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らんだむうぉーくー回顧録ー
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モバイル用 2011年01月30日(日)
風邪気味

2:30起床。眠剤飲んで寝なおす。
8:30起床。
昨日から風邪ひきのようなのでしっかり食べてしっかり寝た。
今日一日うちで休んでいれば治る可能性大なのだが14:00-15:30まで拘束されるため出勤。
うちでじっとしてるとそれなりに治ってる気がするのだが,外へでると幾分無理をするせいか息苦しい。

拘束業務終了。
あと明日を乗り切ればとりあえず終わり。

まず今週中にレポートの添削・採点。
2月第1週末はとあるセミナーで上京予定(研究とは関係ない)。
第2週末は法事。3月第2週末から第3週前半にかけて教職関連の集中講義手伝い。第3週後半は学会。4月第2週科研費の研究会。
その他のタスクとして,IDLの設定,ネットワーク設定,論文投稿,実験設備の立ち上げ,文献の整理。

自分の居室は実験室と同部屋(よって学生と同部屋)。
部屋に他人がいても自分の仕事に集中する方法。気にしだすと何にもできなくなる。
うちでやるか。





モバイル用 2011年01月28日(金)

7:00起床。
寝る前に食べて寝たら気持ち悪い。
四十九日は萩へ行く方向で日程調整。

twitterをみてたら学部のときのボスから最終講義の案内(ボスとは別の人)。
そもそも知ってる人がどれだけ残っているのだろう?



モバイル用 2011年01月27日(木)
ろくでもない

8:30起床。
9時から検収作業のため大慌てでうちを出る。
9:30検収作業。

ブックマークの共有について考えた。
同期を取ってくれるブラウザが増えてはいるがXmarksのように終了してしまうのも心配。
と考えると,どうせ使うのは自分なんだからUSBメモリで使うときにつなぐ,ってのがセキュリティも考えると正しいか。

会計関連の書類を全部提出した。
次は学生のレポート採点。
終わりが見えない…。

妹その2は年末年始入院中。おまけに近隣では火山活動が盛んに。
実家の家族の一人は鶏肉加工の仕事をしているのだけど,鳥インフルエンザでえらいことになってる模様。
なんか今年に入ってろくなことがない。

こちらからは滅多にかけない電話を実家にしてみた。
そしたらこの騒ぎのせいで一ヶ月ほど仕事がないとのこと。
まあ、鳥や卵の移動規制がかかっており、検査に数週間以上かかるということなのでしょうがない。
ただ、おそろしいことにツルが運んだ鳥インフルと農家で出たウィルスが別物だったらしく農家への感染原因が不明だという。
幸いそのへんで二件目はまだでていないらしい。
ついでに家族のもう一方は手術入院。

もう何が起きても動じないぞ。



モバイル用 2011年01月26日(水)

9:00起床。
寒さで頭痛。勘弁してほしい。
今日は科研費書類とレポート採点が主な仕事。
終わったらご褒美を与えよう。

学生さんの計算がまだ終わらない。
話にオチがつくか問題だなあ。



モバイル用 2011年01月25日(火)

9時起床。
うだうだしてたらゴミ回収が行ってしまった後だった。
お昼に到着。学生からレポート類を受け取る。

午後卒研生の卒論チェック。
ここまで見る必要はない気もするけど「てにをは」の修正。
学生を信用して文章は見ないと言う手もあるけど,実際書かせてみるととんでもない誤解をしていることがわかったりするので,一応添削することにしている。
ある程度学生同士のダブルチェックをしてもらわないと他の仕事に影響が…。

学生さんが明日の試験の質問へ。
結局書類はできず。



モバイル用 2011年01月24日(月)
取り急ぎ

Twitterより。収拾が付いたら削除します。

---
【拡散RT訂正】「東北大学理学部化学科」の「4年生」の方。知人が10日から連絡の取れないまま行方不明になりました。家族、友人、同級生等必死で何かしらの情報を探しています。そのため、東北大学理学部化学科の4年生の方がらっしゃいましたらご連絡ください。【切実】(原文ママ)
<追加>
その子の両親は警察に公開捜査をお願いし、仙台でビラ配りをしているそうです。そして4回生にはメールも回っているようです。名前は藤井のどかさんと言います。もし何か情報があれば連絡の程よろしくお願いします。
---




モバイル用 2011年01月23日(日)

10時起床。
近くへモーニングに行こうと思ったがネットでみると臨時休業。
食前の薬を飲んでうだうだしてると昼過ぎ。
胃酸が出過ぎて気持ち悪い。もうこの薬を止めてもらおう。

丸善&ジュンク堂へいったが目的が別だったので、バークレー復刻は見落としてた。
昨日もそうだったけどこの時間頭が痛くなる。
もっとも迷子になりそうになって混乱したせいもあるけど。
梅田はだめだ。位置関係を覚えられる気がしない。




モバイル用 2011年01月22日(土)
XEphem@OSX6

MacProにXEphemを導入。とりあえず
http://www.clearskyinstitute.com/xephem/
にてソースファイルをダウンロード。
make MOTIF=../../libXm/osx
かけてみると
ld: symbol(s) not found
collect2: ld returned 1 exit status
make: *** [xephem] Error 1
残念!

とりあえず調べてみるとMacPortsなるものがいるっぽい。
バイナリがあるようなのでダウンロードインストールする。
defaultでは/opt/local/bin以下にportがはいる。
Pathの設定。.bash_profile に
export PATH=$PATH:/opt/local/bin
を入れて
source /.bash_profile
をかけてPathを通しておいて。
sudo port install xephem
勝手に入った。XEphemも/opt/local/bin以下に入る。
まずMacBookに試してみてだいたいうまくいってるっぽいのでProで再挑戦。
あとJAVA@Developer toolが必要かも。
ターミナルからxephem &で起動。
必要情報は後から足せたと思うのでとりあえずこれでOK.




モバイル用 2011年01月21日(金)
交通整理

いろんなものがしっちゃかめっちゃかですべてにおいて交通整理が必要。
という訳でまずうちの整理整頓。

午後は大学にて書類を全部だし終えること。
科研費の執行、アンケート集計、成績評価。
と,考えつつ大学へきたら電話。
…すっかり忘れていました。あわてて会議室へ。
電流はなぜI?と言う疑問を浮かべつつ,いくつかの案件といくつかの予定を確認して戻る。
学生さんの卒論見たり,コメントしたり。

…そうこうしていたら久々に家主さんから電話。「地デジの具合はどう?」
で私。「テレビをつないでいないのですが・・・」
なんだかなあ。どうも,ものすごく忙しい人だと思われているもよう。
あ,前につないだときNHK教育のはいりが悪かったのですが…と,伝えそびれた。
忙しいのではなくて単純に時間の使い方が下手なだけなんだけど。



モバイル用 2011年01月16日(日)
遠隔

XEphemってバイナリは有料になったんですね。
リンク
ソースからか。久しくやってないな。

シラバスやっと完成。
というか、書いてみていろいろ調べないといけないことがわかった。
本来の意味でのシラバスではないが講義する人が自分の講義を客観的に見られるものとして悪いものではないなと思う。学生さんがどれだけ参考にしているか不明だが。

後は会計関係。お金関係の書類は他の仕事に比べてものすごく疲れるので自然と後回し。もうこれ以上は無理。

夜20時を過ぎると調子が上がってきてしまう。
衝動買いもしそうで危険なので自重。



モバイル用 2011年01月15日(土)
再度バックアップ

もう一回観測に行かせました。
というか私もいきました。

今回は天体が沈む前の午前中。
当日朝、学生その1から@「完全に雨だと(予報では)いってるけどどうするか」、
といういかにもやる気の出ない連絡に、現地へ行ってから判断しようと返答する。
やる気のない私にしては珍しい。
私の聞いた予報では昼から雨ということなので、たぶん観測終わったあたりに振り出すだろうと予想。
そもそも観測やってたときはそのパターンが多かった。
移動中、大雨の箇所があればまったく降っていない場所もあり、これってどうなんだろう?と学生その2と話しながら到着。

現地の天候は雪!!
雪自体は濡れないからと大急ぎでセットアップをし空と室温の放射体と天体を観測。
それなりのデータを取得。撤退したころには積もり始めていた。
ふもとの温泉で暖まり食事をして帰阪。




モバイル用 2011年01月13日(木)
バックアップ

午前講義の後午後観測へ。
学生さんが年末の観測でデータを取り損ねたため。
この辺の指導が緩かったので責任も感じつつ同行した。
思ったより寒くはなかったのだが、みたい天体は一ヶ月前に比べてかなり西に沈んでおり、セッティングと時間と寒さとの勝負。取得条件が悪すぎて結果は微妙。
「学生実験がいかに楽かよくわかりました」という学生の談。
それがわかっただけでもよかったかも。卒研は果てしなく厳しい状況だけど。



モバイル用 2011年01月11日(火)
情報

休日は少しでも動こうと思っていたのだが完全にシャットダウン状態。正月に休んで元気になった分がしっかりリセットした上にマイナスでリカバリできている気がしない。

後期再開の今日葉学生実験と予算の消化。
よく見てみるとお財布を間違えて予算執行してしまい片方は黒字もう片方は赤字に。
いくつか買う予定のものがあったが見送りに...orz.。

その後の当番業務を住ませて帰る前にtwitterをみたところ、PlanckのプレスリリースがESAのサイトでストリーミング放送中。
いい時代になったものだ。
Planckの結果として聞き始めはよくわからなかったのだが、SZ効果をつかってX線では見つかっていない銀河団がいくつか見つかったらしい。
あと星間塵でもいろいろ変なものが受かった模様。宇宙論に関しては解析に2年はかかるということだった。
あとはPaperでさらわないとな。

Early Results Papers@Planck-ESA



モバイル用 2011年01月05日(水)
寝倒し

今日は結局元日同様寝倒し。
今日出勤はできなかったが、やっとものが食べられるようになった。




モバイル用 2011年01月04日(火)
帰宅

帰宅。

3日妹と移動。
お通夜って何人か仮眠をとって時間交代制と思ってたのだが、これが文字通りみんなで完徹。
あけて4日。ローカルルールなのか宗派のものなのかわからないが、火葬と納骨の後本葬。
これは体力的にも精神的にもダメージが大きすぎたのでこの日のうちに帰らせてもらった。

メールをみないで寝ようと思ってたのにメールチェックをしたら緊急案件がいくつかきてて寝られない。馬鹿だ。

---
もう少し詳しく書き残しておく。

死因は倒れたときに後頭部を打ったことによる脳出血。
倒れた所にトイレのスリッパが片方あったということで、おそらく寒いトイレへ行って立ち上がったときの血圧変化でふらつき倒れたのではないか、といわれてるが真相は闇の中。

29日の朝倒れたところを祖父が見つけて110番したらしい。
その後救急車で運ばれたのだが、その間にお餅を送ってもらったいとこ(母の弟の子供6歳)が「届いたよ」と電話するとすぐ切られて3回かけたら「救急車がきよるのにそれどころじゃない!!」と怒鳴られた。

ここで叔父の家では何かおかしい、となってネットでそこの救急受付(119は緊急なのでそれ以外の番号(警察署や救急当番病院など)がある)を調べたという。
電話するとどの病院へ誰が運ばれたのか教えてもらえるらしく、そこで次第を知って29日。
その間向かいに住んでいる親戚(母のいとこ)が病院へ駆けつけて祖父と医者から次第を確認した。
母と叔母は30,31日に帰省する予定だったが叔父の知らせを聞いた母らは29日に駆けつけた。
診断によると手術とかやる余地はなく処置なしということだった。
明くる日の30日に医者より死亡の確認された。

死後の通帳等の取り扱いは早くしないと非常に難しくなる、ということで家捜しをすることに。
ほとんど趣味らしい趣味もなく使わないでためていたようで、これがさがすとこさがすとこ小金や通帳が見つかったという。
祖母の部屋である2階では印鑑発掘までそれこそ宝探しの形相の中、1階では納棺を行われていた。
湯灌は病院で行われており防腐剤はなしに。納棺は花嫁衣装を着ることになるらしい。
角隠しまですると顔が見えなくなるのでやらないが草鞋から上の着物まで綿で作った衣装を着せられた。
一日一回葬祭の方がドライアイスを取り替えにきていたらしい。
30日から4日の火葬まで丸5日祖母はうちで横になっていた。
その間棺桶の窓はあけておくものらしい。故人が寂しがるからだという。

自分は妹その1と通夜からこいと言われたので元旦と二日はしっかりと休養をとり移動。
私は帰省ラッシュの逆向きなので楽だったが、妹は途中の人身事故とラッシュが重なりかなりしんどいことになっていたようだ。
正月を避けるため3日通夜、4日火葬•告別式と初七日法要。
向こうのやり方で納骨の後本葬を行う。これは全国の3分の1ほどがこのやり方であるということだった。
後で調べたところ、この辺と東北の方などいくらかのところでは火葬の後骨葬であるようだ。
なので、死に顔をみて最期のお別れをしたい場合は、お通夜に出るか火葬前の早朝にくる必要がある。
今回は8時半坊さんによる送り出しのお経のあと火葬1時間半後納骨、12時から本葬、引き続き初七日法要を行われた。

日頃薬で寝付いてたのと一旦服薬後寝るとある時間までは起きられない。薬を飲まなかったので通夜では全く寝られず。
火葬の直前にみた骨壷があまりにも小さいことに堪え、火葬後の納骨もちょっとしたショックだった。
葬儀の人がいうのはご老体でこれほど骨がしっかり残っているのは珍しい、という。
よく歩いていていたため骨粗鬆もなく関節もしっかりしていた。
とはいえ、箸で骨ってつかめない。ぼろぼろ崩れる。
また大きすぎる骨は壷に入らないので崩す。
みんなが拾わないので残りを祖父と拾った。

私は一度だけ列車事故の遺体をみてしまったとき丸一日ものが食べられなかったことがある。
死に顔をみて納骨まですれば法要後の食事などできるはずもない。
というかここは通夜の食事も葬儀後の食事も精進料理じゃなかった。
あんなヘビーなもの食えるか!!みんななんで食えるんだ?
ということで葬儀後すぐに帰省ラッシュの中帰宅。



モバイル用 2011年01月02日(日)

さすがに腰が痛くなってきたので起床。
体はだいぶ楽になった。洗濯して買い物へ。
行った店の休みで初めて正月って気づく。
正月ってものがほとんど無意味。

明日からお通夜と本葬及び初七日法要。



モバイル用 2011年01月01日(土)
ZZZzzz...

知り合いのお店で年を越して宝山寺でお参りをして帰宅。
そのまま就寝。
起床し雑煮をたべたら眠くなり就寝。
起床<--今ここ
まだ眠いのでもう少し眠らせていただきます。