今日もガサゴソ
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2008年10月30日(木) 実家で

(この日記を書いているのは12月です)

10月の中旬の三連休に
一家で私の実家に行ってきました。

GWにはチビ助がマイコプラズマ肺炎をこじらせて入院したりして
ドタバタしてしまったので
昨年の5月からずっと実家には行けないでいました。

実家では、8年前に二度目の脳梗塞を起こして
次第に運動機能が失われている父を
軽い脳梗塞を起こしたりしたこともある母が介護しながら暮らしています。

父の脳梗塞が起きた場所は脳幹のそばに二箇所。
言葉が出にくいのが顕著で
手足の運動能力にもかなり障害がでていました。
病変のあった場所の都合で
頑張ってリハビリをして運動能力を取り戻すという
「がんばり」があまり期待できないのだと
複数の専門家に言われていました。

リハビリに関する「がんばり」というのは期待できないといいつつも
持っている能力のすべてを懸命に使い
寝たきりになりたくないという一心で
父は居間から台所へ、トイレへと歩いていました。
二度目の脳梗塞のあと、かなり回復した状態であったときは
杖をつきながらご町内一周の散歩も可能でした。

しかし、歩行に時間がかかるようになり、
伝い歩きに変化していき
だんだんに介助なしでは歩くことができにくくなりました。

プライドが邪魔して
介護用の機器を利用するのを嫌がり
トイレまで歩行に時間がかかりすぎて間に合わないのに
身近な場所に据え置きのトイレを置くことや
尿とりパットのようなものの利用を拒絶するため
母の苦悩と苦労は並大抵ではありませんでした。

母がメニエール症候群にかかったり
帯状疱疹にかかって腕の痛みで悶絶したり
椎間板ヘルニアのために身動きできなくなったり
そういったどうしようもない状況になって初めて
父は少しずつイロイロなものを渋々受け入れるようになるのでした。

ディサービスを利用する
介護用のベッドをレンタルする
車椅子を使う
たったそれだけのことを
暮らしに取り入れていくのに
本当に面倒をかけてくれる父なのでした。

しかし、父はきちんと食卓にむかって食事をしたい。
そのためにあらん限りの力を使って起き上がり
車椅子に移動してテーブルにつきます。
(父もがんばっているが介助も並大抵ではない)
でも、食も細くなっており
ろくに飲み食いできなくなっており
お腹がすくので立ち上がらねばならないと主張するのが日に8回。
睡眠のリズムもぶっ壊れているので
母はまとまった時間熟睡することが出来ないのです。
父は少しも待つことが出来ないので
母がスグ動いてくれないと自分で動き始める。
するとベッドから滑り落ちてしまったり転んだりする。
転んだ父を抱き起こしてベッドに戻すことが
もう、母にはできなくなっているので
面倒なことが起こるよりはと母は無理をするのです。

7月頃から父はディサービスに行けなくなっていました。
父と母の二人暮しはもう限界に来ているなと感じていました。
両親は私の身体の弱さや故郷から離れねばならないことを思い
私たち一家と合流することをためらっていました。
何度誘いかけても、私たちのところに来てくれるとは言ってくれないのでした。

次に実家に来るときは
大きな決断をするときであろうと思いながら
実家をあとにしました。

それが今年の10月のことでした。


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