今日もガサゴソ
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昨日、チビ助と亭主が出かける間際のこと。
チビ助はおもちゃのワープロのようなものに ひらがなを打ち込んで録音していました。
”おかあさん かえってくるよ”
さみしくなったらきいてね!
”おかあさん かえってくるよ”
”おかあさん かえってくるよ”
それから折りたたんだ紙を手渡してくれました。
「おかあさん すぐかえてきま」
あのね〜「す」かくとこなくなっちゃった! さみしくなったらみてね!
玄関でもチビ助はすぐ帰ってくるからねと 繰り返しており 意地の悪い亭主は
もう帰ってこないかも知れないよ〜ん
おかあさんは、いなくなってるかも知れないよ〜ん
などと繰り返し チビ助の顔をくもらせ 振り向きもせずに出かけてしまいました。
冗談ならほどほどにしたほうがいいよね。 私の気持ちは、冗談じゃない。
気が付くとゴールデンウィークで〜(#^.^#)
そういえば、水曜に 義母が突然やってきて 私の左腕を心配していきました。
なにしろいきなりだったので 居間のソファの前の小さなテーブルには やりかけの企画モノのミニタペのアップリケが 作業中のまま山積みになっていて それから編み物のやりかけも 山積みになっていて そんなのは片付けておけばよいものを 未練がましくというか 片付けるのも辛くて放置中でありまして
それを義母は哀しみと怒りで
こたなものは見えなぐしてまれっ!! こたなごどばりしてっから 首も痛める、腕も痛める 手術だの入院だのとなったら えおば、なんとすんのっ!! オラが元気だら泊まって助けるったって どもなんね おめほうの親だって介護だれなんだれ どもなんねっきゃ . . . . 延々と続く.....
申しわけありません。 毎日遊んで暮らして、勝手に病気になってしまいました。 ごめんなさい。ごめんなさい。 心配だというのなら、どうか 放っておいて下さい。 心の中で何度も繰り返す。 情愛の濃さが、義母に言わせているのだけれど 愛しているから殴ってやると 言われているようで いつもいつも、うんざりしてしまう。
ってなわけで ゴールデンウィークの前半は 亭主と子どもを、向こうの実家に送り込み 皿さえも洗えなくなった嫁は ひっそりと命の洗濯中であります。
亭主は9連休だとか.....
後半は私の実家へというのですが 気が重いばかりであります。
でも、希望はある。 左手の重さと痺れが、実に不愉快なほどに蔓延して 指の動きがとても良いのです。 日に日に回復しているのかも。 麻痺が取れてきているので 不快な感じがするのだと思います。
MRIを撮った日が、一番状態の悪かった日で あれ以来、どんどん良くなっています。 今朝、半分ほど中身の入っている牛乳パック掴めました。 ガスレンジのスイッチもなんとか回しています。 背中の筋肉をほぐすストレッチでも やってみようかな〜
チビ助のはじめての参観日でありました。 22人のホッとするような少人数のクラスで 国語の楽しい授業をみました。
教科書の春の詩を繰り返し音読し 感情をこめて、元気に読んでいました。
ひらがなのゲームのような問題もありました。 答えを黒板に書くのですが チビ助は頑として手をあげず チョークをさわったらブツブツがでるぞ〜〜と 何度も、叫んでいました。 面白いことを考えるものだなぁ。 あとで修正しておこう。 それから、私が口紅をしていったら そんなのは嫌だと、なんども怒っていました。 授業中に後ろを向いて アレコレ言うのは辞めて欲しいざんす。まったく!
日当たりの良い、午後の教室で 繰り返し、30回もおなじ詩を聞かされて 私は立ったまま眠ってしまいそうになり 危なくてしかたがないので 授業が終わったら、とっとと帰宅しました。 そのあと、延々といろいろななんかがあったようですが チビ助だけ先に帰宅させるのは嫌だったのでありまして。
午前中には、ママ友から電話があり チビ助の担任が、とても素敵な先生なのよと 嬉しい情報提供がありました。
2006年04月27日(木) |
二度も泣いちゃったし |
お帰りの時、おなじ団地に住んでいる 数人の一年生の男の子たちのかたまりの中に チビ助がいました。
声の限りに「ちんちん」がどうしたとか叫び お互いの帽子をはたき落とし はやし立てたり怒ったりして ガラガラに声をからして それは男の子としてはあたりまえの姿なのかなと 困惑しながら様子を見ていました。
そのうち、こどもたちのなかの一人が 執拗に悪ふざけを繰りかえしていることがわかりました。 チビ助は、何かされて黙っているような 大人しい子どもではないので
なにを〜 くそ〜〜〜
と対抗意識丸出しで 悪ふざけを増長させてしまっていました。
私とママ友、ふたりがお迎えに出ていることに 嫉妬があるのかも知れません。 私がチビ助に「えおちゃん」と呼びかけることも あげつらって叫びはじめるので チビ助をつかまえて
いやなことをいう子はかまわないで 先に行ってもらいなさい 怒るとよいけいによろこぶから ほうっておきなさいと言い聞かせ 悪ふざけをする子と距離をとろうとするのですが 向こうも、こんな楽しいことを 簡単にやめるなんてできないようで まといついて離れません。
そのお子さまには、友人宅で一度遭遇して とんでもない目に会わせて頂いて たいへんなお勉強をさせてもらっているので 違うクラスになって良かったなぁと思ってはいましたが 通学路で一緒になることは 避けられないんだよな。やれやれ
団地の中に入って やっと嫌な子と別れてホッとしたら チビ助が転び、ぎゃんぎゃん泣きました。
生まれてこの方、チビ助が転んで泣くなんて 見たことがなかったので 今日はよほど辛かったんだなと思いました。 夕方、ソファでうたた寝をしたチビ助が 目覚めたときも いわゆる「夜泣き」のような状態で しばらく泣き叫んでいました。
もっとタフになれ〜!
昨日と今日、すれ違いや勘違いのため チビ助は、お友だちと二人で帰ってきました。
学校の指導では、 もう送り迎えは必要ないということなのですが ママ友だちと歩くのが嬉しかったり チビ助のようすが心配で 行き帰り、ある程度のところまで 送り迎えを続けてきました。
昨日はすれ違いのために 私よりもチビ助の方が早く帰宅しました。 そういう場合は、 マロママさんのところに行くようにと 言い聞かせてありました。 思い出してくれるかな、と心配でしたが チビ助はちゃんと マロママさんの家を訪ねてくれました。
入学前は、学校まで結構道のりがあるので 心配でしたが、大丈夫のようです。
毎日、一日一日過ごすのが精一杯で 公園の桜祭りの準備を見てはじめて ゴールデンウィークが近いのだと気づきました。
桜の木の枝は色づきはじめましたが 蕾のピンクはまだ見えません。 連休中に満開の桜が楽しめるかな?
2006年04月25日(火) |
何かが終わり、何かが始まった |
この日記の2002年11月と12月の二ヶ月分は 自己紹介のような内容で、 毎日のことは2003年1月から書かれています。
この自己紹介的な内容の最後のところは 断続的に書かれていて チビ助の妊娠がわかった夜、 亭主がしくしく泣いたところで中断しています。
しくしく泣いた亭主が泣きながら発言したことと それに対する私の返事がその後の暮らしに どの程度影響を及ぼしているのか計り知れなかったからです。
私たち夫婦に、子どもが授かったとき 医師は奇跡だといいました。 亭主はしくしく泣き、泣きながら
あんたには、申し訳ないが へんな話しだと思うだろうが、と繰り返しながら こういいました。
あんたは死んでもいいから、 どうかその子どもを生んでください あんたが死んでいなくなっても きっとりっぱに育てるから お願いですから、生んでやってください
その言葉は、真実、正直な気持ちからでたものであろうことは 私にもよくわかり
はい、いいですよ、と返事をしながら 私も少し泣いて、そしてモヤモヤした気持ちを抱えました。
その日から、夫婦の関係が変わりました。 まず、妊娠中に起こる様々な些細なトラブルのため 例えば、激しい腰痛のため ソファに腰かけることもできなくなり ベッドのスプリングにも耐えられなくなり ベニヤ板を敷いたベッドに毛布を敷いて そこで私は寝起きするようになりました。
無事にお産が終わっても 私はそのままそのベッドに留まり チビ助を抱いて、ひたすら抱いて育てました。 チビ助が1歳8カ月になり 私の身体がお産の前に戻り、お乳を与えることに 耐えられなくなるまで、それは続きました。 断乳の日からは、亭主が子どもを抱いて眠るようになりました。 そのお陰で、わたしは、不眠の暗い長い夜を 明るい部屋で、遊びながら過ごすことができるようになりました。
子どもが授かったことで 夫婦の関係が変わることは 当然のことだろうし それは不幸なことではないし 亭主の子どもに対する献身を思うと 「あんたは死んでも...」と発言した 亭主を責めるような気持ちは微塵も感じません。
でも、あの日に、確実に終わってしまった 13年間にも及ぶ新婚生活に未練があったかも知れないと このごろ、思うようになりました。
耳の手術のため入院しているとき 不思議な青年に出会いました。
仕事帰りに病院を訪れた亭主を見送りした私が 見送りのあとタバコを吸い始めたとき
その青年は私に おねえさんは.....おとなですよね、と 遠慮がちに確かめるのでした。
なんのことかなと思っていると
さっき、男の人と一緒にここを通った女の子は 確かに4歳くらいだったのに 車で出ていった男の人を見送った女の子が ここでいきなりタバコに火を付けたので オレはビックリしてしまって まじでビックリして じろじろ見てしまってすんません いや、ほんと おねえさんだ、おね〜さんですよね〜〜〜 あはは オレ、なに見たんだろ、はははは
何を見たんだろと笑うのですが この青年は、不思議な視覚を持ち合わせていて 私の心のありようを視てしまったらしいのでした。
子どもを授かるまでの13年間。 初めの3年くらいはなかなか馴染みませんでしたが 馴染んでからの10年間。 私は亭主に、全身をゆだねて甘えて暮らしました。 スンスンと鼻を鳴らしながら 甘えきって赤ちゃん言葉を使って過ごしました。
亭主を愛して愛し抜いて、結婚に至ったのではないのでしたが 結婚したあとに、ゆっくりと時間をかけて 懐いて、頑なだった心が解けて ゆったりとした幸福にひたっていた13年間なのでした。
医師は妊娠を奇跡だといいましたが そんな風に、小さな子どものようになりきって 亭主に甘えさせてもらった13年間のほうが 奇跡であったのではないかと そんな風にも思えるようになって
あの夜に終わってしまったものを 取りだして こっそり眺めてみるのでした。
今日は整形外科に行って、先週の検査の結果を聞いてきました。 頸椎には深刻な病変がみられず 心配はないのではないか、とのことでした。
左手の麻痺は肘から発生していることには、違いなけれど 先週より、動きが良くなっているので 1ヶ月、薬を飲んで様子を見るそうです。
ホッとすると同時に、こんなに不便なのに 大したことがないとはどういうことか、とか ふたたび、あれこれ考え込んでしまいました。
でも、とにかく いきなり手術をしましょうとか そういう話しにならなくて、ほっとしました。
ホッとしたら どっと疲れがでて.... 今夜はよく眠れるかな....
やっぱ、だめだね よけいなことかんがえちゃう
とにかく、あす、検査の結果がでるから それによって これからのことがすこし きまるから
ねむろう、とにかくねむってしまおう....
が、 不眠症の夜明けは遠い....
今朝、階下からトーストを焼く香りがして 降りていってみると チビ助が台所で奮闘していました。
真っ黒に焦げたパンは オーブントースターのタイマーを「5」にしたんだそうです。 それじゃぁピザが焼けちゃうねぇ。 パンが燃え出さなくて良かったね。
おかあさん、えおちゃんは ひはあぶないから めだまやきつくってよ おかあさんは おとうさんとまだねていていいよ おとうさんはおふとんでしんぶんをよんでる えおちゃんが しんぶんとってきた ねぇ、おかあさん ハリー・ポッター、きのうとどかなかったねぇ え、とどいたの? よる?わ〜〜 みたいな、みせてよ わかってるよ ごはんたべるよ、たべてからね おとうさん、パンだよ えおちゃんがやいたよ!!
簡単なサラダを作って添えて がんばって食べましたよ、真っ黒なトーストも。 がりがりとお焦げを削いだ トーストも、たまには乙なものでありまする。
毎日、いっしょに過ごしているのに あるいは、いっしょ過ごしているせいか 亭主と会話するのが困難です
お前がなにをいおうとしているのか さっぱりわからないと なんどもくりかえし、いわれ いいたいことにたどり着く前に いいわけめいた説明を なるべ正確にしようとして どんどんシドロモドロになっていきます 亭主以外の誰とも こんなに会話に不自由することはなく 一体これはどういうことなのかと いつもがっかりしています
おまえのことばは詩のようだと 友だちにいわれて
ぽっかりとあいた暗い闇をみてしまったような気がしました
日向のレンギョウが、黄色い花芽をのぞかせています。 草むらでは「ばっけ」と呼ばれるフキノトウがぽこぽこ出ています。 昨日、ひさしぶりに一輪のタンポポの花をみました。 桜の枝は大地紫に染まりはじめました。
今朝は、小雨模様の霧のなかを歩きました。 キルト君と早朝歩いていた頃を思い出しました。
チビ助がお帰りの頃は、雨足が強まってきたので レインコートを持参して、学校までお迎えに行きました。 帰り道、私の体調がおかしくなって なんだか貧血?みたいなおかしな状態で フラフラしちゃって、友人に心配をかけてしまいました。 なんとか家に帰りついて 2時間くらいソファで眠りました。
亭主が帰ってきたとき チビ助の宿題が終わっていない 夕ご飯の支度ができていないと うんと文句を言われました。
情けね〜
目が覚めると、聞こえがすっかり回復していました。 少しずつ回復しているとは思っていましたが キーボードを打つ音がカタカタするのでビックリしました。 壁の時計の秒針が動く音も聞こえました。 普段、気にも留めていない音が新鮮に響きます。
左手が、昨日からとても良く動きます。 力は入らないし、皮膚の感覚も鈍くなっていますが 指の動きが格段に良くなっています。 検査の結果は出せなかったけれど 筋電図を撮るために、2時間もビンビン電気をながして 神経を刺激したのが効いたのかなぁ。
筋力が衰えて張りを失ってしまった 左手をさすりながら、 何もかも無くしたわけではない どの程度の病気なのかはまだ明らかではない などと、ぼやぼや考えています。
チビ助は、少し風邪気味で喘息を起こしていますが 元気に学校へ行っています。 夜8時には就寝させるようにしていますが もう、抵抗する気配もなく布団に入って行きます。 朝、早く起きると テレビでアニメがみることが出来るのを発見したようです。
近所のママ友と一緒に、途中まで送り迎えしています。 これはしばらく続けたいなと考えています。
昨日、夕方、チビ助が喘息を起こしていました。 熱もないし、小さな発作なので、学校へもいきました。 チビ助のアトピーの軟膏も切れかかっているので 放課後病院へ行くことにしました。
学校の正門まで迎えに行き、 そこから町民病院までテクテク... ちょっとしんどかったけど 途中で、バスの時刻表を貰えるバス会社の事務所に寄ったり 郵便局の用を済ませながら歩きました。
私の耳は、かなり聞こえが回復していていて めまいも立ちくらみも 気にならないくらいになってきて 数キロの道のり、元気に歩き通しました♪
病院では、初めての小児科の先生が来ておられ チビ助のカルテを丁寧に見て下さり アトピーや喘息が、とてもよく管理されている状態ですねと 仰って頂けて、嬉しかったです。
帰りはタクシーでバビュ〜ンと帰ってきました。 連日の病院ツアーで、ちと疲れました〜(~0~)ネムイ
朝7時前に、チビ助を送り出し それから亭主の出勤に便乗して、病院へ行ってきました。 今月は耳の定期点検もあったのラッキーといえなくもないか... いわないな、普通。
整形外科の受付が完了しないうちに 耳鼻科の診察が終わったのは、実に有難かったです。 聞こえが悪いのも、徐々に回復傾向なので ニコニコ先生のお顔を見て終わり、という感じ。
整形外科は混んでいて、問診をし、レントゲンを撮ったあと うんと待って、診察が終わったのは午後1時でした。 採血をして、MRIと筋電図の予約をいれるのですが 筋電図が午後3時半からの検査で、それなら 今日お願いできますかと言ったらオッケーでした。 MRIもできることになって、ラッキーでした。 検査のために何度も出向くのは大変なので チビ助をお願いしているママ友のところには 申し訳ないけれど、とにかく、今日、頑張ることにしました。
午前中の待ち時間には、うとうとしていて、 かなり元気になっていて さらに、MRIでもぐうぐう眠りこけて 検査でリフレッシュするというのも、ナニですが、ははは。
しかし、魔が潜んでいたのは筋電図でした。 脈が弱くて、思うように検査が進まず、 検査室の大魔女3人にふんづかまって電撃浴びせられること2時間。 しかも、データは結局取ることができず 再検査になるかも、とのことでした。
5時半を回っていて、会計も次回の予約もできず 正面玄関は閉鎖されているという バスはいってしまうという どうやって自宅に帰ろうか途方にくれるところでありました。 亭主にメールすると、迎えに来てくれました。 ウルウル、感激。
今日の診察でわかったのは 左手の麻痺は、肘の故障ではなく やはり、頸椎ヘルニアに起因するものだということでした。
やっぱね。しかたないよね。 検査の結果は来週、聞きに行きます。
今朝は7時から、町内一斉清掃の予定でした。 今年度は、班長になっているので 一年を通してあれこれ雑用を言いつかります。 昨日は二度目の役員会議でしたが 亭主がサッサと出かけてゆきました。
家を建ててから、我が家の亭主は無理のない範囲で 町内の行事に関わってきました。 でも班長の仕事を積極的に引き受けてくれるとは 思っていなかったので驚くやら、感謝やら。 まぁ、私は身体のあちこちガタが来ているので 亭主に頑張って貰うよりしょうがないのですけれど。
今日はあいにくの雨模様でした。 霧雨がどんどんみぞれに変わってゆきました。 しかし、集合場所のコミュニティセンターには 雨合羽で完全防備の人々がどんどんやってきて それはそれは壮観でありました。 中止なら中止と言って欲しいのに とにかく、全員中に入りましょう、斑ごとに並んで 名簿に書き込んで、顔合わせをいたしましょうということで もりもり人が集まってドヤドヤすごしました。
ふだんはひっそりしている団地に こんなに人が居たのかい〜〜〜〜というのが 皆さんの感想でありました。
そうこうしているうちに 風雨が強まってきて、今日の清掃は中止ですと 町内会長が宣言して、やっとのことで解散になりました。 やれやれ。
私は、帰り道、姿が見えなかった マロママさんを尋ねて、久々の近況報告をしてきました。
2006年04月15日(土) |
さて、どうなる... |
今日はチビ助の歯科の定期点検と 私の内科の受診があって 二手に分かれて病院行きでした。
内科は、家庭医で色々な相談をしてるので 左手を診て頂くことにしました。
色んな動作や触診で、先生は 頸椎よりも肘から障害が出ているのではないかと仰いました。 既に、左の手のひらの筋肉の弾力が失われてきており 放っておいても回復は望めないどころか 治りにくくなってゆくのではないか、 手術が必要なのではないかと、仰いました。
冷えとか重さとか痺れとか麻痺とか あれこれはあっても 取り立てて痛みはないので 呑気にしていましたが 年貢の納め時なのかもしれません。
先生が、大きな病院の整形外科の予約を入れ 紹介状を持たせてくださいました。 月曜に、行ってきます。
チビ助の幼稚園での生活では 亭主はほとんどノータッチでした。 それはいけないなぁと思い「園だより」などを さりげなく目につくところに貼ったりして 関心を引き出そうと腐心していました。
しかし、チビ助が小学生になった瞬間に 亭主のうるさい、うるさい.... 一体これはなんなのさというくらい つぶさに点検しています。 ランドセルの中身の点検までするのでビックリしました。
連絡帳を、連絡袋に入れるのかどうかで 少し混乱があったのですが お迎えに学校まで出向いた時に 担任から直接聞いてこなかったのが悪いと ガーガーわめくし〜(T_T) ウルウル
私は学校での生活に関して 両親に強く干渉されたことはなかったので ランドセルの中は私のプライバシーであり 親といえども触れて欲しくないものでありました。 だから、亭主が、なんどもランドセルを ひっくり返しているのをみると ひそかにイライラしてしまいます。
宿題の(!)プリントの名前が下手だ、 とか言って書き直しをさせたりするのね。 まだそんなにガーガー言わないの。 反抗的な子どもを製造しようとしているみたいに感じる〜〜!!
チビ助は元気に小走りに登校して行きます。 私はママ友と、散歩を兼ねて学校近くまで しばらく見送りすることにしました。
帰りも、ほどほどのところまでお迎えに出ることにしました。 今日からは、一人で登下校する、というのが学校の方針で 今日と明日は先生の引率で、 道路の横断をするところまで集団下校でした。
元気に先生と別れたチビ助、 また今日も、ごもごもと午後の予定について 通りもしない要求をあれこれぶつけてきました。 とにかく、疲れると、チビ助はしつこい。 一通り話しを聞いて、全部、お断りだと 今度はストライキ気味にノロノロ歩き出す。 そして、置いてけぼりにしたとグズリ出す。 とにかく、泣く理由を見つけないとやりきれないようで 友だちが優しく取りなしてくれるのですが 意地を張ったり涙ぐんだり手を付けられない。
今日はとうとう途中から大泣きで帰ってきました。
泣くとスッキリすることもあるので 無理に泣きやませることもなかろうと ゆっくりめに歩いて帰宅しました。
母親の顔をみて甘えが出て ちゃんと帰宅できないような気もします。 こういう子だということは 先刻承知なので気にはかからないけれど 一緒に歩いたお友だちに 笑顔でさようならができない奴だというのが 情けなくてしかたがありません。
やれやれ
チビ助の学年は総数68人でした。 非常に微妙な人数であったそうで 一日入学の時には、2クラスになるか3クラスになるか 確定できないということでした。 最終的に3クラスになりました。 チビ助は男の子12人、女の子10人の22人クラスです。 とてもゆとりを感じる人数で ありがたいことだなぁと思います。
担任は大柄な男の先生で お迎えに行くと、玄関ホールで膝を落として 子どもたちの目の高さで 子どもたちを包み込むように接しておいでで なんだか嬉しくなりました。
起床時刻も、朝食の時刻も変わったので 慣れるまでしばらくかかりそうです。 この頃、なにかというとお腹の調子の悪い ふくろう家では 昨夜からチビ助がお腹の調子が悪いと行って 個室を出たり入ったりしていました。 やれやれ
今日も学校の近くまでチビ助を送っていき 昼前にお迎えにゆきました。 このところ、目がまわっていて キルト君の散歩をお座なりにしていたので 結構しんどいかな。
生活のリズムがかわると ますます眠れないし、 浅い眠りで騒々しい夢ばかりみるし。
まだ二日目。今週は長く感じます。 チビ助は、帰りみち 今日も、お友だちの家に行きたい 誰かに来て欲しい、公園で遊びたいなどと ごもごもと文句を言い続け、いよいよ家が近くなると 足が痺れて歩けないと言い出しました。 これって、そうそう 疲れているというサインです。
午後、チビ助はソファで昼寝をしました。 やっぱり疲れていたんだね。
夜、はじめてチビ助は、ひとりでお風呂にはいりました。
2006年04月10日(月) |
振り向かず走って行く |
朝7時前に、家を出ました。 近くのお友だち親子と待ち合わせました。 その場所まで亭主も見送りに来ました。 珍しく、チビ助と私の二人の写真を撮影してもらいました。
通学路を確かめながら 学校の近くまで歩きました。 薄曇りの気持ちよい朝でした。
チビ助は手をつなぐのを嫌がり 上級生の男の子に密着して 小走りに駆けて行きます。 散歩の時に、そんなに早く歩いたことなんかないくせに。
学校が見えるところの横断歩道に、 交通安全指導員の方と幼稚園の園長が立って こどもたちの横断を助けていました。 園長の姿をみたら、つい泣きそうになってしまいました。 チビ助はお友だちと小走りにどんどん小さくなって行きました。
昼前にお迎えに行くと 揚々としたチビ助が出てきました。 帰りにお友だちの家に寄らせてもらいたい 公園で遊んでゆきたい 初めからダメだ、といってあるのに ワガママを言い、すねて 私をにらみつけて、また小走りにチビ助は行きます。 家に帰ったら逆さ吊りにしてしばいたるぞ〜〜と わめく私に、ママ友たちが青ざめたり笑ったり。
帰宅して、簡単な食事の支度をしながら がっこうは好きになれそう?って聞いてみました。 うん、といいながらチビ助の顔が歪み、 えおちゃんはおかあさんも、もっと好きになれそうだと そういってすがりついてきました。
行き帰り、あんなに意地を張っていたくせに 家に帰り着いたら ホームシックになったのかな。
もっともっと抱きしめて もっともっと守ってあげなければ。
夜、きょうの授業で読んだ こくごの教科書の詩を チビ助は大きな声で読んでくれました。
亭主が不機嫌なのは私が可愛いからからかと 思っていたら、大まちがいでした。 お腹の調子が悪くて 昨夜はご飯も食べられないほどで そんなのは結婚以来、滅多にないことなのでたまげましたが ほったらかして、チビ助と美味しい炊き込みご飯を食べました。
今日も亭主は不機嫌に トイレに通い詰めていました。 チビ助はチャンネル権をほしいままにし 私はPCにかかりっきりで PCの中身をまるごとバックアップしていました。 まるごとっていうのが しゅごいけれど、3時間もかかるのね。
午後は居眠りしながら ペンタブレットの接続と、ソフトのインストールをしていました。 マウスよりもペンの方が手に馴染む気がします。 さっそくお絵描きしてみたいところでしたが 今年は町内会役員の当番がまわってきてて 夜は初会合だったので、早めに台所に立たねばなりませんでした。
明日からチビ助は小学校に登校して行きます。 家から学校まで、低学年の子は 小一時間もかかるらしく 朝7時には出してやらねばなりません。 幼稚園とは2時間も時刻が違うので 馴染むのに時間がかかるだろうなぁと思います。
チビ助を8時に就寝させるには 夕ご飯もお風呂もとっとと済ませないといけません。 町内会の役員会には亭主がいってくれたので 大いに助かりました。 そんな場所に腕を吊って、 補聴器をぶら下げて行くなんて嫌だもん。 めまいはおさまって来ましたが 立ちくらみは続いています。 めまいがおさまったので すっかり元通りになったつもりで 方向転換したらがっくり倒れてしまいました。 あぶないあぶない(怪我はありません。ダイジョブ) 階段から転げ落ちないように気をつけないとね。
居間のチビ助のおもちゃの引き出しも ガラクタを掻きだして整理しました。 教材とランドセルと置く場所だけを作って机はなし。 ひとりっ子だけれど 貧乏なふくろう家の身の丈にあった お入学であります。 お祝いありがとうございます。
2006年04月08日(土) |
チャンスはのがさない...でも |
亭主とチビ助に、ちょと泣き顔を見せたので 彼らはちょっと気をつかっているのね。 こういうチャンス逃したら勿体ない!
実はパソコンのハードディスクが怪しいの。 ずっと前から。 ブンブン凄い音がしたり しょっちゅ「深刻なエラーから復帰しました」とか
亭主は、PCがブンブン言うのは 当たり前と言って これまで取り合ってくれなかったけれど クラッシュしてからでは遅いので 今日はおねだり大騒ぎして PCの本体を修理専門店に持ち込みました。
やっぱりねぇ、ハードディスクの交換、必要みたい。
今度は電器店に行って「親切な店員」という名札の 優しそうなおじさんをつかまえて いろいろ聞いてもらいました。 ハードディスクの交換よりも、外付けのハードディスクを 増設するほうが安く済むんだそうで、なるほどなるほど。
で、またさっきの「親切な店員」さんに 売れ筋のを選んで貰って、 何気なくもおもむろに、隣の棚においてあった お絵描きのペンタブレットをね へへへ買ってもらっちゃいました。むりやり。 そうそう、こっちのほうが欲しかった。
午後は、パソコンの外した本体をつなぎ直し 外付けのハードディスクをつなぎました。
つないだだけじゃ、バックアップはできません。 そうよねo(ToT)o ダー あああ、またワケのわからない マニュアルと闘うのね〜〜 ソレが終わらないと ペンタブレット、だせません。 ううう
今日は午後から、チビ助の入学式でした。
泣き顔で子どもの入学式なんてだめよと言いながら 友だちが支えてくれて 辛かった一件を乗りこえました。 ご心配をおかけいたしました。
入学の準備のため チビ助の爪の手入れをしているときに 私の左手では、爪切りを握ることが 出来なくなったいることに気付きました。
出来ないことを数えるよりも 出来る、たくさんのことを考えていこうと 自分をはげますのですが これ以上黙っていることはできないと思い 亭主とチビ助に 頸椎ヘルニアのせいで 左手が動かなくなってきていることを ハッキリと告げました。
もう2年間も、無理をせず大事にしてきたのですが 困難が増していることを 見せないようにしてきました。 少し変なのよとはアピールしてきましたが 両手を差し出して実際の動きを 見てもらったのは初めてでした。 チビ助は、お母さんは死んでしまうのかと涙ぐみました。 亭主は心配して、すこし怒ったようなようすでした。
腕を下げたままにしておくのが苦しいので ベルトを丁度の長さに縫い合わせて 簡単に腕を吊れるようにしました。 お腹のあたりに左手があると 動きにくい手でも、かなり役に立ちます。 幸い、人差し指と親指が痺れを免れているので 台所の仕事も、ちょっとスローペースで まぁまぁふつうにこなすことができます。 隠さなくても良いと言うことは なんと楽なことかと、思いました。
インフルエンザの後遺症で 耳が壊れて、まだふらふらと立ちくらみがするので 今日の入学式は、亭主とチビ助ふたりで行ってもらいました。
二人が出かけるのを見送りながら チビ助が巣立ったのだという気持ちがして 嬉しさと寂しさとが ほんのりとわいてきました。
この気持ちを心ゆくまでひとりで味わえるのを 幸せだと思いました。
ネットの友人たちがお祝いしてくれて ほんとうにみなさん喜んで下さって 今日は良い日でした。
夕方、耳のいかれた私の代わりに 亭主とチビ助が、実家に電話をかけてくれました。
しばらく眠れない日々が続いていたのですが 今日は夕ご飯の片づけのあと ダイニングの椅子の背もたれに寄りかかって 深い眠りに落ちました。
短い眠りでしたが、深く 目覚めた時に、テレビの音声がうるさく聞こえました。 聴力が少し戻ってきたようでした。
ご心配をおかけしました。 浮いたり沈んだりを繰り返して ふくろうボタンは ゆっくり歩いています。 ささやかだけれども 嬉しいこと、幸せなことを ちょこちょこと拾い集めながら 案外幸せに、過ごしています。
これまで、自分の醜さをさらすのが恐くて そっとしまい込んできたあれこれを これからは逃げず隠さず 小突きまわしてゆきたいと思います。
もしかしたら 皆さんに、私の意外な一面を披露することになるかも 知れませんが、まぁ、 毒にも薬にもならないことでありましょう。 笑ってお付き合いいただけたら嬉しく存じます。
ではでは、あらためまして よろしくお願い致します。
わたくしというヒトは 実ははた迷惑なだけのおせっかいな 嫌なおばさんだったのではないかと 反省を強いられる出来事があり
恥じる気持ちと哀しみで 気持ちがグルグルと定まらず 日記が書けません
有難いことに 身近な友人たちは あらゆる言葉を尽くして わたくしを弁護し 守ってくれようとするのですが
ひとりになると また哀しみが襲ってきて 昨日まで見過ごしてきた 些細なことどもが にわかに大きく立ち上がってきて これでいいんだという もうこのことは済んだことにして 忘れようという気持ちを 蝕み 嫌な妄想をかきたてます
ご心配をおかけしまして 申しわけありませんが しばらく、たぶん、数日 日記の更新をお休みします
ごめんなさい
まだまだ眠れそうです。 咳を止めるお薬が、眠気をもたらしているらしい。
眠ればまた、元気がでてきます。
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