今日もガサゴソ
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明日の午後 幼稚園のお遊び教室のお友達が 「お宅拝見ツアー」に来ることになっているので 一応、掃除をしています。 先週から気が付いたところから チョコチョコ片づけて チビ助には、お友達におもちゃを気持ちよく使ってもらって 楽しく遊べるように あれこれ聞かせ続けました。
普段からマメに掃除していれば こんなとき慌てなくて済むんだけれど 何しろ、掃除より楽しいことが たくさんあってさ〜
今更格好つけたって どうにもならないしねぇ
などと掃除をしながら逃げ道を模索し始める始末。 やれやれ〜。
とにかく、亭主を突いて 資源ゴミを括ってどかっと片づけることができて幸せ♪
床も磨き立てたし 水回りもいつになくスッキリして。
あとは明日の朝、少し早起きして お掃除の仕上げと セサミたっぷりのパンでも焼こう。
昨夜、亭主が散々悪態をついてくれたので 意気消沈していましたが 乾かして櫛を入れた亭主の髪、 悪くないと思うのです。 ちょこっと短かったかなと思う部分も ないではないのですが 人の頭なんてそんな誰も気にしていないって。
ぼうぼう伸びた髪よりよほどスッキリしているよ。 なんて思っていたら チビ助が 「お父さん、その頭、かっこいいじゃん」だって。
亭主め、にやけていましたね。 チビ助、偉いぞ!
2003年09月28日(日) |
お風呂床屋とら刈りの巻き |
結婚したばかりの頃 亭主が髪を切るためのハサミを買いました。 私に髪を切らせて 床屋代を浮かせようという魂胆です。
私は自分の前髪を切るにもひん曲がって うんざりするくらいだし、 うんざりして放っておくうちに いつの間にかロングになってしまうことが 多いので、床屋さんがどんな風に髪を切っているのか あまり気にしたことはありませんでした。 気にしたところで メガネを奪われて首根っこ縛られて 所在ない気持ちで過ごす 床屋だの美容院はあまり楽しいところではないのです。
そういうわけなので 亭主の髪を切ろうにも どこから手を付けたら良いやら 皆目見当も付かないといった方が正確です。
それでも十数年やっていれば、どうにかなりそう、ですよねぇ。 それが、どうにもならないのです。 どんどん下手になっていくのです。
ハサミを持ってしまえば 創作意欲を刺激されないでもなく 嫌々やっているわけでもないのですが いちいち亭主が舌打ちしたり文句を言ったり わめいたりしているうちに どこをどんな風に切ったのかわからなくなってしまうのです。
亭主が「これじゃぁ虎刈りだろう!」と 部分部分を示してくれれば なるほどそうなのですが ある程度髪を切っているうちに なんというか気分が飽和状態になってしまうのです。
今回が一番酷い!っと亭主はののしりました。 年に三四回、嫌々髪を切って ドンドン上達するならいいけれどねぇ。
申し訳ないけれど、切るたびに亭主の髪はなよやかに しかも透けてきていて これはどんな腕の良い床屋さんでも 困難な仕事だと思うのです。
チビ助の髪はとても上手に切れるのよね〜。 怖がったり暴れたりかゆがったりメソメソしたり 面倒だけれど だいたい思った通りに切れています。
別にお礼を云って欲しいとは思わないけれど せめて子供の前でののしるのはやめて欲しいざます。 プンプン
どういう周期なんだか 時々刺繍が気になって、そのたびに少しずつ 糸を買い求めてきました。
刺繍糸は小学生の頃に買った 8色組のもつれた糸までまだ持っています。 小学生の頃 家庭科の時間に枕カバーの刺繍をしました。 アウトラインステッチとチェーンステッチくらい しかできなかったけれど 花の妖精とお花畑の絵を刺しました。 これは今でも実家で来客用に使われています。 どうも、母が娘の自慢の種に使っているらしいです。 恥ずかしいのでやめて欲しいです。 もう一つ手元に残っている作品は クロスステッチで カントリー風の男の子と女の子が並んで立っている図柄です。 文語訳の聖書のカバーに仕立ててあります。 デザインは方眼紙に色鉛筆でマス目を塗りながら考えました。 聖書の奥付に1977年、と書いてありました。 多感であった頃の思い出が こんな風に残っていてくれて嬉しいなと思います。
社会人になって 上京して、休日に行くところといえば 本屋と画材店と手芸店で (それは今も変わらないなぁ) 色鉛筆や刺繍糸や絹の穴糸などを たいした目的もなしに時々買い求めていました。
キルトを作るようになって 素朴で実用的な作品ばかり作っていましたが 刺繍やビーズで装飾したゴージャスな クレイジーキルトに魅力を感じてみたり ミシンで自在に刺繍する方法をテレビで見たときも なんだか胸の中にポッと灯火がともったような気がして とにかく、私がすることと言えば 糸を少し買う。
糸をいくら持っていてもしょうがない 小さくても良いから 手を動かして何かを作るべきなのに ぐずぐずと過ごしてきました。
この頃、へんな気負いが消えてきて ちょこっとした手作りが楽しくなってきました。
昔、恩師が云っていた 人生の上での実りの季節を迎えたのかも知れない。 これまでかき寄せてきたものが ささやかな実を結ぼうとしているのかな。
これまで私を苦しめてきた 焦燥感から解き放たれたみたいだな。
明け方やっと横になったのに なかなか寝付けなくて うとうとすると 地震で怖い思いをする夢を繰り返しみてしまって 疲れるのなんの
そのうち本当にガタガタきちゃって 一応パソコンだけは押さえておこうかなと 起き出して 本体とプリンターを押さえていたんだけれど 立っているのが不安、と言う感じの揺れでした。
五月のときと同じく 回るように揺れるのが不気味で 結構長く揺れていました。 おさまってから時計を見ると 五時前で、まだ薄暗くて 外の飼い犬たちがワイワイ騒いでいました。 珍しくキルト君も少し吠えていました。 可愛そうに外でひとりぼっちで 怖かったろう?
それでも、なんとかあと一時間は眠ろうとふとんに潜り込んで はっと気付くと次の地震でした。 今度こそパソコンの本体がダダダっと跳ねるような 感じだったので慌てて押さえました。 お陰様で寝坊するところを起こしてもらえましたよ。
ご飯を炊きながら こういうときに火を使うのは不安だなと思いました。
ニュースを見ていると 精油所が炎上している映像が飛び込んできてビックリしました。 とりあえず 私のいるあたりは震度4ほどあったらしいですが 特別な被害はありませんでした。
子供は九時まで何事もなかったように 熟睡していました。 幸せな奴〜!
2003年09月25日(木) |
きょうえおちゃんは.... |
有難いお給料を あっちの銀行からこっちの銀行に 移動させる日であります。
貧乏もかなりのところまで来しているので ウキウキお買い物、ということもなく サササ〜ッと いつも立ち寄る売り場を眺めて 食品だけちょっと買って 帰ってきました。
家に戻ってから チビ助とおやつをしてくつろいでいました。
ねぇねぇおかあさん きょうジャスコで、えおちゃん あっちーこっちーっていわなかったよ
!
そうでした。 確かにそうでした。 私がお会計をしている間に逃げ出したり おもちゃ売り場に行くといって 駄々をこねたり ふらふら姿を消したりしませんでした。
チビ助の口から それを教えてもらって とても嬉しかったです。
それにしてもなんて鈍い母なんだろう、私は
幼稚園での猿振る舞いや 我を張っての泣きわめきについて 日を改めて静かに話し合うことがたまにあります。
チビ助の方から持ちかけてくることもあります。 少しずつ「自分の気持ち、その時の気持ち」を 言葉にすることもできることがあります。
チビ助の口から 私が何を怒っていたのか理解していたことを 話してもらえると 本当にうれしいです。
いけないとわかっていても 感情的におさまりがつかないこともあるんだろうな。 泣かれたり駄々をこねられると かなしくてうんさりしてくるけれどね。
今日は 幼稚園に出かける前に 朝ご飯を食べながら チビ助が 「えおちゃんね、おともだちとかして、ってするよ。 じどうしゃもっていかないよ。 おともだちにエイッってしないよ」 などと決意報告を受けまして うれし泣きしそうになりました。
今日までの苦悩が(それほどのことはないが) 報われたような気がして 寝起きに大泣きしてお漏らしをして シーツやふとんを汚したことも 許せる気持ちになって 晴れ晴れと幼稚園に出かけて行きました。
そんな良き気持ちが 長続きするはずもないと 予測することもできたと思うんだけれどねぇ。
今日の猿振りは とても日記にはかけません。
ガクッ
お昼寝のとき 「いやいやえん」中川季枝子(福音館)を 読み始めました。
チビ助は、挿絵のお家が気に入ったようです。 お友達のいるお家だ、と喜んでいました。
次のページの子供たちの挿絵も喜んで お友達の名前を呼んだりしていました。
主人公のしげるが登場すると たいへん深刻な表情になりました。
しげるが忘れたお約束を列挙しはじめると 本当に苦しそうでした。
私は前に読んで笑い転げたのですが チビ助にとっては 違う意味があるのかも知れません。
このまま読み続けようか しばらく読むのはよしておこうか迷いながら 次の章に入ると 嬉しそうな歓声をあげていました。
少しほっとして これからはときどき ふたりでしげるの噂で楽しめるかも、と 思いました。
偉い子より ちょっとイケナイ子のほうが面白いぞ!
2003年09月22日(月) |
チビ助はボールを抱えて散歩に |
かつてはキルト君のおもちゃだったんだけれど チビ助は 玄関収納を漁っていて サッカーボールを発見して興奮していました。 散歩のときに公園まで抱いて行きました。 公園では ちょんちょん蹴りながら走っていました。 初めてにしては上手いんじゃないの? をを坂道も蹴りながら登っていくじゃないの。
ボールとみればキルト君が 猛ダッシュしたりするので 私は大変ですが 自転車よりはボールの方が安心なような そうでもないような。
公園は連休気分が続いているのか 家族連れが多くて チビ助もちゃっかり仲間に入れてもらって 遊んでいます。 ボールを抱えたまま 滑り台もブランコも... 置いておけばいいのにねぇ
もっと遊びたいって 帰りに大泣きをしてくれなければ 幸せな散歩なんだけれど 二時間以上も遊びほうけた上に 疲れ果てて もっと遊ぶなどと大泣きをするのが この頃のおきまりです。
昼寝が終わってから出ようとすると 暗くなってしまうし 昼寝の前に散歩に出ると 疲れ果ててワケがわからなくなるし やれやれ
亭主はお腹が痛いとか騒いで あまり役に立たなかったけれど とにかく午前中は草取りをしました。
家の道路側の植え込みと 道路のアスファルトの継ぎ目のところを きれいにするだけで 疲れてしまいました。
紫陽花もプルーンの木も思いっきり剪定。 そろそろ冬支度をはじめないとね。 今、お庭ではムクゲがたわわに咲いています。 これから小菊が咲いて、それで今年の花はおしまい。
ミツマタがまた今年も盛大に成長して 来年の花芽をつけはじめました。
公園の桜の木が色づき始めて 夜は吐く息が白く見えます。
足早に冬が近づいているような気がします。
2003年09月20日(土) |
目がショボショボする〜 |
ビーズをかき回すと 即座に目がショボショボしてしまいます。 ただ眺めるならそれほどのことはないのに 同じビーズを針で拾い始めると 首や肩や背中まで苦しくなってしまいます。
ふと 思いついて お手許用の度の軽い軽いメガネをかけてみました。 あら、いいじゃない! ラクチンラクチン
メガネ屋さんが ふたつを使い分けると楽ですよって 十年も前からメガネをふたつ持っているんだけれど 確かに、手元を見るなら度の軽いメガネが楽、でも これだと カレンダーも時計もテレビもよく見えなくて それでついつい 遠目用のメガネをかけっぱなしでいることが多かったんだよね。
目を酷使する楽しみをいくつも持っているので そろそろちゃんと考えないと。
お盆前にまとめてしつけの済んだ USA50州のキルトとキルティングスタンドを 居間に運びました。
これからは居間で過ごすときは キルティングをします。
ミシンでのピーシングやビーズは 今まで通り二階でしますが 気持ちの切り替えがへたくそな方なので どこかに比重が偏ってしまいます。
キルティングスタンドの高さや角度を 調整しながら 少し刺し始めました。 裏地にとっておきの柔らかな生地を使ったので 左手の手触りが最高です。
スタンドの下に潜り込んだチビ助は 「テントだ」とか「お部屋」とかいいながら 嬉しそうです。
肌寒い朝夕も増えてきて これからの季節、こたつのない我が家で キルトスタンドはちょっとした暖房代わりになるかも。
火曜日に買った 針に糸を通す道具、素晴らしい使い心地です。 早く買えば良かった〜!
あ、食べたい!って 英語の子供番組のオープニングをみて チビ助が叫んだので むむむっと見ると 画面いっぱいに手足のはえたキノコが....
そういえば今年は 雨が多かったせいか 公園へ行くと そこら中にキノコが生えていて チビ助が「とりたい、たべたい」と叫んでいます。
チビ助は、なぜかキノコが好きなのです。 買い物に不便な暮らしをしているので 乾物の出番が多くて 干しシイタケもよく使いますし 冷凍のキノコミックスもバンバン使います。 チビ助がよく食べてくれるので 炒め物にも味噌汁にもよくキノコが入ります。 何を食べたいか聞くと 「キノコのスープつくってよ」といいます。
植物図鑑が大好きな私は キノコの図鑑だけは我慢して買っていません。 亭主が仕事で山や藪に入ると 「うまそうなキノコがあった」と年中云っているからです。 長年キノコ採りをしてきた名人でも 中毒で命を落とすことがあるんだから 図鑑を見て「大丈夫」なんていやだよ〜ん。
キノコをみて食いたがるのは亭主の遺伝子か〜 私の子なら キノコの妖しい美しさに感動して欲しいんですがねぇ。
それにしても、気を付けないと チビ助ったら 本当に食べたそうに キノコを眺めているんですぅ。
えおちゃんね ごはん、い〜っぱいたべて おおきくなったらね でんちのくるま、かうの おとうさん、かってくれるっていったよ ごちそうさま やった〜 えおちゃん、ごはんたべたから おおきくなったよ!
この頃、ご飯を残して おかずばかり食べて困らせています。 少しでも濃い味のものが 食べたいようです。
ホームアローン3を観たら 憧れの「でんちのくるま」が縦横無尽に走り回っていて それは赤い四輪駆動のラジコンカーで チビ助のこころは 鷲づかみ!
ご飯食べないと 大きくなれないよ。 大きくならないと 「あかいでんちのクルマ」もらえないねぇ。
しかし、ラジコンって 何歳くらいになったら操れるようになるんだろう。 楽しむくらいに チビ助が大きくなるには 何年かかるんだろう!
私はチビ助が大きくなるのは なんだか寂しいので せめて いまのまんまでいて欲しい 無理なんだけれどね
でも、ご飯、食べようね
曇天続きの夏だったので ぱあ〜っと憂さの晴れるようなことっていったら それは阪神タイガースの猛虎ぶりだったのかも。 私は野球音痴で 熱狂する人々を羨ましく思いながら 世界柔道見ていたんだけれど〜。 実は団体競技より 格闘技のほうが好きなんです〜。 特に、去年まではアメリカのプロレスにはまって 磨き抜かれた肉体美に酔いしれていました〜。 だんだんシナリオにうんざりしてきて 見なくなっちゃったけれど。 日本のプロレスのストイックな感じも嫌いじゃないけれど 組織のゴタゴタで、なんだか 好きだった選手をテレビで見かけることが難しくなって 結局、オリンピックとか世界選手権のような試合を たま〜にテレビで観戦するばかりです。 格闘技が好き、といっても それほど熱心ではないのです。
そんな不埒な私ですが 阪神優勝おめでとうございます。 お陰様で 何気なく出かけたショッピングセンターで ビーズなどを2割引きで買えました。 ポイントがたまって500円の割引券も出たので 針に糸を通すお道具も奢ってしまいましたY(^^)ピース! 770円セールで、薄手のトレーナーやコーヒーメーカーも ゲットできました。 コーヒーメーカーは880円でも買うのをためらっていましたが 770円の更に10%引きで なんだか嬉しくって。 私はドリップが超へたくそで 煮出し汁のようなコーヒーしか入れられないので シンプルなコーヒーメーカーが欲しかったのです。
帰りは近所の方に行きあって クルマで送って頂きました。
チビ助はお手洗いに ガチャガチャでゲットした「清掃車」を 置き忘れて無くしてしまってメソメソしました。
タイガースファンのみなさん、 お喜びはわかりますが お酒を飲んで道頓堀に飛び込むのはやめましょうね。 危険ですよ〜。
2003年09月15日(月) |
ミシンでピースワーク |
かれこれ五年もしまい込んでいた ミシンピーシング用にカットした布を 引っ張り出してきました。
本で読んで頭ではわかっているつもりでも 実際手を動かしてみると どうにもこうにも 歪んだり寸法が狂ったりしちゃって 呆れてしまいます。
それでも あれこれ試したりほどいたりしながら 練習のつもりで 星のブロック作りを進めています。
とにかく、カットしてしまった布は 縫い合わせようと思っています。
練習練習!
土曜日、亭主が「休みだ」というのだけれど 自分の実家に行かない休みは決まって頭痛。
働き過ぎで神経が参っていて 急に休むと頭が痛くて何もできないんだな 私も働いているときそうだったからな
それで、土曜日は チビ助と二階におこもりさんになって ミシンと映画とおもちゃでゴタゴタ過ごしていました。
夜は台風の影響で凄い風。 家中の窓を閉め切って空調機を回して 蒸し暑い夜を過ごしました。
今日は晴れ。 布団を干して、他に行くところもないので トイザらスでたくさんクルマを見て ヨーカ堂で食品を買って帰ってきました。
食事をして片づけをして掃除機をかけてサッパリして 布団を取り込んで 昨日までのジメジメした部屋がうそみたいにからっと乾いて 嬉しい昼寝
夜はテレビで「ホームアローン3」を見て 三人でゲラゲラ大笑い。 チビ助はこういったギャグが大好きで。 なにしろ近頃一番気に入っているテレビ番組は ピンクパンサーなもんで
これで我が家の連休は終わり
特別なことなんてないけれど とっても気持ちが良かった
お天気のおかげかなぁ そういうことにしておこう
チビ助は繰り返し観た映画の話をするのが好きです。 三歳なりに 映画の場面や筋を理解したり説明するので 感心したりおかしかったりします。
最近、彼が気付いたのは ロード・オブ・ザ・リング「旅の仲間」のなかで 登場人物たちが 徒歩で旅をしている、ということでした。
おかあさん、アラゴルンね、あるいていたね、あしで クルマないねぇ
そうだね、アルウェンは馬に乗っていたよ
こわいくろいうまがきてねぇ かわがゴーってしろいうまに ながされてねぇ でもみんなあるいていたよ あしで
うん、えおちゃんも歩くでしょう 散歩のとき
うん、えおちゃんもあるく いっぱいあるくよ!わ〜い!
お陰様で、散歩のときに自転車や三輪車を 持ち出さなくても良い日が出てきてほっとしています。 犬がいるので 自転車は本当に疲れるのです。 帰り道には必ず「もっと遊びたい」とぐずって おんぶを要求する輩がいるのでして、はい
歩きましょう 歩きましょう
さまざまな大きさや色やかたち 材質や、また、表面の質感
ビーズには色々な種類があるようです。
なかでも私が好きなのは 丸ビーズと呼ばれる、もっともシンプルなかたちのビーズです。 竹ビーズは切り口が鋭くて 眺めていてくつろぎません。 角のあるビーズであっても クラッシックな雰囲気の カットやねじれのあるものは イメージが豊かで大好きです。
糸に通してあるビーズの房や 単色で売っているグラム売りのビーズは 高価でとても買い求める気になれません。 売り場ひとつを買い占めたところで 満足できるとは思えないのです。
だから、手芸用品のお店や100円ショップの一角で 色々なビーズが詰まったケースをいつも探しています。 100円だからといって侮るなかれ 子供の頃には見たこともなかった 色や模様のあるビーズがこそっと混じっていることがあるのです。
こうしたビーズの入ったケースを かさかさ振りながら 眺めていると 本当に何もかも忘れて 癒されます
ある時、珍しいと思ったビーズで 指輪でも作ろうと思い立って ビーズのケースをまち針で突いて ビーズを拾い始めました
指輪を作るのに必要なだけの粒を集めるために バラビーズのケースを探し始めました。 嫌いなかたちのビーズやスパングルを取り除いて、 拾ったビーズを何かに入れておこうかな なんてことをしているうちに ビーズを色やかたちごとに選り分けるのが 楽しくなって 指輪なんかどうでもよくなって ひたすら ビーズをかき回していた時期がありました。
亭主は呆れて 私の安上がりな喜びを笑っています。 でも、本気でビーズで遊ぼうと思ったら これほど貴族的な趣味もないわけで 笑っちゃいられないんだからね まぁ 私としては 眺めて嬉しいだけで相当に癒されているので これでいいんだけれど
引っ越しのとき、キャスター付のコンテナのひとつに 注意を払っていました。 ビーズの収納してあるケースで、水平を保っていないと どんな悲劇が起こるかわかりませんからねぇ。
子供の餌食になってもまた大変なので 押入にきっちりしまい込んでいましたが 近年のビーズブームで 気もそぞろになって 引っ張り出してみました。
チビ助が興奮して何をやらかすかわかりませんでしたが 私の真似をして ピンセットで大きなビーズの入った瓶をかき回して たいそう満足げでした。
私の本当の趣味は ビーズを眺めること、かも知れません。 何かの役に立つということもないし お金をふんだんにかけるということもありません。 ビーズ関係でもっとも高価な道具は アウトドア用品のところで発見した スキットルにお酒を注ぐための小さな漏斗です。380円なり これは私のビーズをみて呆れた父が買ってくれました。
そのコンテナを父に見つかったときの会話を 再現しておきます
おい、この、ワープロの下のこの箱はなんだ?釣り道具か? あ、いや、そ、それはビーズだよ。 ほう、どれ、見せてみろ え〜、見るの? どらどら。って、おまえ、これはなんだ? え〜と、え〜っと、同じビーズを針で拾ってわけてるの 何百あるんだ、この瓶はなんだ、あれか?弁当のタレ瓶か? そう、だって、きれいな小さな瓶、一個50円もするんだよ 一個50円って、お前、ビーズってのはいくらするんだ? 大さじひとつで100円くらいかなぁ ここになんぼあるんだ? わかんないよ何年もチビチビ集めてきたんだから コレで何をするんだ?何か作るのか? 何も作らないよ。作ったら減っちゃうじゃない。 は? 減っちゃうでしょう。 こんなにあるのにか? 見てよ、ひとつの瓶に何粒入っている? なんか作ったらなくなっちゃうでしょうが じゃなんのためにこんなことをしているんだ? なんのためって、眺めて楽しいからに決まってるじゃん だから眺めてどうなるんだ? きらきらしてきれいでしょう。 は? お父さん、もしかして「趣味と実益をかねて」なんてこと考えて なにかしてない? そんなのね、不純だって。 誰かのためにだの、実益だの。趣味はね、自分が嬉しければいいの。 道楽じゃないんだからお金をあまりかけないでさ。 ほら、ビーズなんてこぼさなければ 誰の迷惑にもならないでしょう? 腐らないし。シルクロードの遺跡にも縄文の遺跡にもビーズがあったよ。 こりゃこりゃ こりゃこりゃって何よ〜 参りました。ビーズ万歳!
週に一度、幼稚園のお遊び教室に行っています。 出がけに土砂降りで ポンチョを着る着ないでもめて 結局、チビ助は骨の二本折れた傘を振り回しながら でかけることになりました。
バスを待っている間に 宿命のライバルと傘をぶつけ合う小競り合いになって 傘に二個 穴が開いてしまいました。 どうせ濡れちゃっているんだから どうだっていいんだけれど。 高価な傘修理セットを使う前で良かったわ。
幼稚園では 年中さんがお教室で お絵かきをしたり歌を歌っていたので ホールが広くてのびのびしました。 年中さんたちはさすがに遊びなれているので チビ助たちのように まだ物珍しさの抜けないマゴマゴした子供たちは はじき飛ばされがちなのです。
チビ助は大きな積み木が積んである一角に作ってあった カウンター式の厨房におさまって 「おみせやさん」をしていました。 注文すると 鍋釜かきまわして何やら料理して出してくれるのが楽しかったです。
子供たちも回を重ねるごとになれてきて 顔見知りのママたちも出来てきました。 そうそうおしゃべりばかりしているわけにはいかないのだけれど 他のママたちを見ていると 子供たちより楽しそうだったりして 良いガス抜きになっているのかな、と思ったりしました。
髪の毛を汗でぴんぴん立てて遊んでいるチビ助の姿を見ると 本当に嬉しいです。
今日はアメリカ人の女性が二人きて (なんと5人、8人の子だくさん!) 英語の歌を歌って下さいました。 手遊び歌などです。 チビ助は猿ぶりを発揮してホールの後ろの方で すっ飛び歩いていましたが 最後にマーブルチョコを配る段になると いち早く走っていって袖を引いて 頂戴していました。 そんな子はたった一人で、可笑しかったです。
お遊び教室で子供たちを見て下さる先生二人のうち 一人は、お祭りのイベントでは横笛を吹き 散歩のときには紫外線対策フル装備で ラベンダーの虫除けスプレーをふりまいていましたが 今回は英会話が堪能なことが判明。 しゅごいっ!
昨夜、眠い目をこすりながら日記を打ち込んでいたんだけれど またやってしまいました。
セキュリティソフトの更新。 打ち込んでいる最中にいきなり 「更新しますか」ってダイアログが現れて こっちは返事をするもなにも 文章を打っている最中なんだから なにかキーを打っているんだろうな いきなり 更新が始まってしまうわけだ。
そのあと引き続き 日記を書いて 文章ひねくり回して
そこで 内容をコピーしておかないと 登録するときにエラーが出て 中身が消えちゃうんです。
今日の名文が、
ってほどではないけれど。
書き終わった瞬間、 忘れているんだよね〜 そんな更新したってことなんか....
セキュリティソフトの設定をいじった方が いいんだろうな、 そうなんだけど 頭痛いんだよね どうしてパソコンの設定の項目って 日本語で書いてあるのに 何のことだかわからないんだろう あ〜やだやだっ
私が中学三年の年の瀬、 都市計画のため 小さな家を取り壊し 今両親が住んでいる家を新築しました。
私は進学のため 新しい家にはほとんど住まないうちに 家を離れました。
帰省するたびに 両親が土木工事に勤しんで 庭作りをしているのを 酔狂だなぁと思っていました。
両親は登山を通じて知り合ったので 集める植物は山野草が主でした。 木は山野草に日陰を与えるために植えられているようなものでした。 母は庭造りに「万葉集に出てくる草花を集める」という テーマを持っていました。 そして生け花に使う草木を自給自足したいという 願いももっていました。
母の文学への憧れは短歌というかたちで ゆっくりと育まれ 還暦を過ぎて地元新聞の文芸欄で 新人賞を頂戴するというかたちで実を結びました。 切磋琢磨、という言葉の似合わない人と云えば それは母です。 毎週葉書に三句書いて送るのだそうですが、 葉書を取り出すと 短歌の神様が降りてきて ちょいちょいと歌ができる、というのです。 そんな短歌なので 上手いとか巧みだとかといったものではないのですが やはり気に留めて 拾って下さる先生がいらっしゃる。
お花も短歌も お金がかからないんだもの、というのが 母のつぶやきです。
母を外に出したがらない父に 縛られている風でもなく 飄々と そこにあるものを深く愛でて
草木が自分で住む場所を選ぶのではなく 芽を出した場所で 懸命に生きるように
母はそんなふうに過ごしてきた人のように思うのです。
母は六十代後半です。 脳梗塞で寝たきりの一歩手前の父を介護しながら のんびり暮らしています。
母が不幸に見えないのは 母が自ら作り上げた 小さな楽園に住んでいるからではないのかと 考えてみたりするのです。
せっかくの機会なので 母に電話で取材をいたしました。
お花を習おうと思ったのは 「老後の楽しみ」のために何かを始めたかったから。 山らは遠ざかっていたし(母はアルピニストでした) 編み物やお裁縫ができたら 多分、お花は選ばなかったと思うな。
近所の奥さんで、息子さんを弘前大学にやって 暮らしの糧に家庭菜園の野菜を 行商していた人があったのね スカートはいて、行商、くすくす とても気さくで楽しい方で、 お野菜は笑ってしまうような 素人作りの貧相なものなのだけれど お父さんも「買ってあげなさい」っていうの
その人が 「近所でお花を教えている方が、習う人を探している」って 教えてくれたの ちっちゃなジャガイモも 「煮っ転がしに丁度良いおいもですよ」って 買って下さる先生だって聞いて 良さそうな先生だなって思って それでホイホイ見学に行って そのまま教えてもらうことにしたの
先生が「器なんておどんぶりだって良いのです」って だから教材の他にはそれほどお金もかからなかったの だんだんには目が肥えて 色々な器を持つようになったけれど 義理で買わなければならなかったり というようなことは一切なかった
そういう先生の人柄にお父さんが惚れてしまって 良いから黙ってお世話になりなさいって 自分でも思いもしなかったほど 長続きしてね、8年、習ったの
師範のお免状を取るかどうか聞かれたときは どうしようかなと思ったけれど せっかくなので貰ったの 先生が健康上の都合で教えるのを辞めたがっているらしいと 聞いていたし
お稽古をね、始めると 本当に、何もかも忘れて お花の世界にはいってしまうの そんなに深々としたところにすっと入ってゆけるなんて 楽しくて楽しくて
一緒に習っていた人たちが お稽古のあと、帰り道で 誰それさんが着ていたお洋服、だとか あの人の指輪を見たか?なんておしゃべりするのが不思議で だって、誰が何を着ていたかなんて覚えていないもの
オラは良い先生に恵まれて 可愛がって頂いて そのあと組織には組み込まれず、生徒さんを取ることもなく 一人で庭の草木でお花を活けることをしてきたから 大変なことなんてひとつもなかった 組織に組み込まれてしまうと どうしても人間関係や政治的な問題が出てきて 教授の看板を叩き割ってしまった、なんていうはなしを 聞いたこともあるよ どんなお稽古ごとでもね 結局は人のつながりで、軋轢って出てくるよね
今は本当に老後になって お庭の花で自給自足していて、 たまに本気で活けるとね 姉ちゃんが「あんたやっぱりうまいよね」って褒めてくれるの こそばゆいけれど 姉ちゃんに褒められると嬉しい オラはいっつも ミソッカスでデギランズだったから(不出来な子供のこと)
素晴らしい先生に会えたから 今もこんなに嬉しく花を活けている 本当に老後の楽しみになったのさ、ね
十年ほど前 母が軽い脳梗塞で倒れました。 倒れた直後の記憶が断片的にしか残らず また、断続的な記憶の障害が 半年くらいにわたって起こったようでした。
入院は十日ほどでしたでしょうか 薬を飲み忘れず、普通に暮らしなさいという 医師の指示で 極力横にならずに ゆっくりゆっくり家事を進めていました。 父もかなり家事に協力して 台所の後始末や掃除などをこなしていました。
でも、母はテレビを見る、新聞を読む、本を読む、会話する といったことが苦痛になっていて 歩く姿もうつむいて よるべなくトボトボした様子なのでした。
見かねて私たち夫婦が 東京を引き払って同居するようになりました。
母が嘆くので 庭の手入れを手伝ったり 母の手に余る家事を私が引き受けて暮らしました。 母はお料理はできましたが 買い物に行くこと、片づけることなどの 気力と体力が萎えていたようでした。 母には出来ることを出来るだけしてもらうことにして 無理をしないことに徹して暮らしました。
薄紙を一枚一枚はぐように ゆっくりと 母は回復して行きました。
倒れてから丁度一年後、 年末を迎えて ふと、新聞の小冊子の記事で 枯れ枝にスプレーで白や銀に着色するとステキな素材になると 知りました。 こういうものを使いたいか尋ねると 母はスプレーを買うのは気が進まない、というのです。 それでは、とアクリル絵の具でチョイチョイと ムクゲの枝を筆で塗りたくって渡しました。
その時、母が庭から持ってきた素材が何だったのか 白く着色したムクゲの枝、赤い実のついた南天、それからもうひとつ。 どうしても思い出せないのですが 母が床の間に 新年を迎えるための花を生け始めました。
私は和室の隅に膝をついて 母の所作を見ていました。
確かな目で枝を切ってゆくと 何故か庭にあったときよりも草木が生き生きとしてくる このときすでに 不思議な空間が醸し出されていて 張りつめていると云うよりは 濃厚な空気が和室全体を支配している
今、水盤に活けられているのは まさに小宇宙のような気がして
母が小枝をゆっくりと角度を付けながらまわしていると 夜空の月星が巡るような気がしてくるのです。
気が付くと 作品は完成していて 私は母の回復を確信して 良い年を迎えることができたのでした。
私の母は、弟が幼稚園に上がったと同時に 生け花を習い始めました。
近所にとても美しい老夫婦が、 それはまた美しいたたずまいで暮らしていて 旦那様は詩吟をなさり 奥様は華道教授の看板をあげていました。
そのお宅の前の桜の木の小さな黒いサクランボは とても美味しくて お転婆な私は木の大枝に座り込んで 小鳥の上前をはねていたものですが 奥様に見つかると 「木がかわいそうよ」と叱られ 木から滑り降りると 見たこともないようなお茶菓子をいっぱい握らせて下さるのでした。
母が、そのお宅にお花を習いに行くというのです。
近所のもう少し年かさの主婦たちは 「花嫁修業でもあるまいに、主婦がお稽古ごとなどもってのほか!」 などと声高に噂していたのも聞いていました。
でも、玄関の下駄箱の上に お花が活けてあるというのは とても気持ちの良いことでした。
父も満足げで 今回は良いの悪いのとアレコレ文句をいいながらも 母のお稽古を楽しんでいました。
私はあまり植物には関心がありませんでしたが、 母がお花を活けるときに 茎や枝をゆっくり回転させながら かたちを見ているとき なにか不思議な空気を感じて それが何かわからないのだけれど 気になるのでした。
何年かして母が持ち帰る 生け花の本が非常に面白いことに気付いて 時々読んでいました。 例えば「タマゴのかたち」の究極的な美しさを 表現する芸術を紹介していたりするわけです。 子供なので勝手に解釈をしながら読んでいたのですが。 それにしても、当時はそのおもしろさと 母の生け花がどう結びつくのかサッパリわかりませんでした。
今にして思えばそれは 得難い美学の授業であったかもしれません。 母が習っていた龍生派は前衛的な華道であったかも知れないと 大人になってから気付きました。
詳しいことは まったくわかりません。 また、自ら活けてみようと思ったことはないのですけれど。
色々な場所で 生け花を目にすると様々なことを思います。 申し訳ないけれど 母ほど美しい空間を紡ぎ出してくれる作品にあったことはありません。
流派によって素材も思想も違うのかも知れませんが 包み込むと同時に 清冽な何かを放つような そういったものが母の作品には見えるのです。
それが何なのかいつも知りたいと思うのです。
今日は午前中、せっせと針仕事をしたり キルト作品集を隅々まで眺めたりして チビ助とおしゃべりしながら 過ごしました。
私がパソコンを開かないのを見透かして チビ助がしきりに散歩を要求するので お昼過ぎに 日焼け止めを塗りたくって 麦茶をペットボトルにたっぷり仕込んで 公園に行きました。
チビ助は小魚をすくう網と虫かごをもっています。 このちぐはぐした組み合わせが笑えます。 網はトンボだって捕まえられますしね。 まぁ、チビ助は網を振り回しているだけで トンボは帽子の上にとまったりしているのですが。
公園の鯉のいるお池は 小さな魚がすくえたり アメンボや糸トンボがいて 小さな子供たちは池の端っこをかき回して喜んでいます。 キルト君はお水に浸って 炎天下の散歩のなかにも楽しみを見いだしてくれています。
小一時間遊んだところで 大きな池を渡ってくる風がなんだかきな臭くて 気になってあたりをみまわすと どうも半端じゃない煙が公園の裏手から流れてきているようでした。
危険を感じて戻ることにしました。 途中、出会った自転車のおじさんに 「煙臭いけれど、どこかで焚き火でもしていましたか」と 聞いてみましたら 公園の裏手で火が見えるというのです。 そのあたりには水田が少しあるだけで 湿地と散歩道と藪があるばかりなので 火が見えるのはちょっと心配なので 公園の管理事務所に届けることにしました。
管理事務所のおじさんは バイクに消化器を積んでブイ〜ンと公園の裏手に走って行きました。
チビ助は、火事といえば消防車が来ると知っているので なんとなく野次馬状態で もっと遊ぶとは云わずに素直に帰路につきました。
公園のはずれの丘を越えようとしたら 湿地の外れで火の手が上がっているのが見えました。 公園の植栽の手入れで出た草木を山積みして 湿地の埋め立てをしていた場所が燃えているのです。 とりあえず団地に抜ける道は安全そうだったので 公園を抜けました。
公園の出口で 見回りに出た公園の管理事務所のおじさんが 携帯電話をかけ終わったところでした。 やはりこの火は火事で 焚き火などではないので消防に通報したそうです。 知らせてくれてありがとうと お礼を言われました。
この先がどうしても気になるので 火災現場が見える 湿原の向こうの草の斜面にあるあずま屋で 様子を見ることにしました。 遠くでサイレンが聞こえて 間もなく消防の車や救急車や消防車がゾクゾク集まってきました。 防災無線でも林野火災の連絡があり 野次馬もどんどこ集まってきました。
火災は程なく鎮火して 人家への被害はまったくありませんでした。 原因は まだわからないけれど 春先にもこの近くで林野火災があったので (これは小学生の火遊びでした) なんとなく嫌な気持ちです。
帰り道、出会った近所の顔見知りと 火事のことやら町のお祭りのこと 町内会や子供会、婦人部の活動等 いろいろな話題が飛び出してきて おしゃべりがとまらない〜。
そのうち小学生が帰宅してきて チビ助が大好きなお姉さんが捕虫網を持ってやってきて 二人で草むらで遊び始める始末。
ちょっと水遊びをすれば 充実した昼寝が!というもくろみは 見事に外れて いつものようにプカプカ昼寝をしていたところで 防災無線にたたき起こされたであろうことは 必至で 早めにシャワーを浴びて 身体はサッパリしたけれど 眠くてドヨヨ〜ンとしています。
やれやれ、これから 亭主の夕飯のお支度をするんだけど 気合いがはいりません。 困った困った。
2003年09月03日(水) |
チビ助はやはり猿である |
チビ助を「悪い子」とは呼びたくないです。 まだ三歳半だし 私が引きこもりがちだったり ひとりっこだったりで 集団でのルールを身につけているところなのだから。
というわけで 猿様には申し訳ないが 幼稚園でのお遊び教室での チビ助の振る舞いを「猿」と呼称しているのであります。 親バカですみません。
今日はブランコでした。 ブランコならたくさんあるのに チビ助が乗りたいのは人気の高い プラスチックのキリンさんの滑り台付属のブランコ。
離れて様子を見ていたら ずっと待っていた子を押しのけて 横入りしていました。 そばに行くと 「えおちゃんのブランコ!」とわめいていました。 押しのけられた子は泣きながら ブランコに手を伸ばしていましたが 先生に抱かれて立ち去りました。
順番を守っていないこと みんなのブランコを自分のだと言い張ってはいけないこと しばらく遊んだら待っている子に譲ること じゅんじゅんと聞かせて まわりの子供たちに「困ったねぇ」というと 年中さん、年少さんのみんな(数人)が 深刻な顔をして頷いています。 チビ助は強情な顔つきでブランコで踏ん張っているし。
もう行こう、と手をのばすと 「うるせー」と凄んだのです。 こんなチビ助ははじめてで、ビックリしましたが 許し難いので 腕をつかんで誰も遊んでいないベンチの方に ぐりぐり引っ張っていきました。
こんな哀しい気持ちは初めてでした。 こんな気持ちを味わうために ここに来ているんですよね〜。
チビ助はごめんなさいごめんなさいもうしませんもうしませんと これまた聞いたこともないようなセリフで 大泣きしています。
楽しく遊べないのだから もう今日は歩いて帰ろうと提案すると 帰るのはイヤだという ごめんなさい、もうしませんと繰り返す 一体なにをもうしませんと云っているのか怪しいものだし 涙とよだれと鼻水と汗で デロデロ こんなに激しく泣かれると 問題が曖昧になって 収拾がつかなくなってしまいます。
私の気持ちが少しゆるんだと見ると 抱っこ抱っこ抱っこ
そうしているうちに 外遊びの時間が終わってしまいました。
こういうことを 繰り返しているうちに ルールというものは身に付いていくのでしょうか。 自分自身がどうやってそういうことを学んだのか 覚えがないのです。 他の子供たちが どのように成長してきたのか 間近に見たことがほとんどないのです。
とにかく、あと半年 どんなふうにチビ助が物事を理解して行くのか 見つめてゆきます。
生理痛なのか耳からきているのか わからないけれど 朝起きたときから 涙がチョチョ切れるような頭痛。
鎮痛剤を飲んでも効かないし やっとの思いで 朝の仕事を済ませた後 ソファでもうろうとしていました。 チビ助は申し訳ないことに テレビに子守をしてもらっていました。
先週は忙しかったし 週末から珍しく掃除を頑張ったし いろいろで 身体もビックリしたんだろうな。
夕方、なんとか頭痛はおさまってきて ただ締めつけるような感じと重い感じになって のろのろ洗濯物をやっつける。
こんなのに毎月襲われていたら たまんないよね。
チビ助には気の毒だったような気がして 罪滅ぼしというほどでもないけれど 夕ご飯の支度の前に シールやハサミやノリを使って ちょっと遊びました。 しまじろうのサンプルが届いていたので、ちゃっかり。 こういう教材って 子供の心をしっかりとらえるんだよなぁ。
今日、チビ助が喜んだのは おもちゃの葉書と簡単な地図をペンでなぞることでした。
明日は元気になれるかな。 げ、幼稚園に行く日じゃないか(T.T)
2003年09月01日(月) |
結局苦しかっただけか |
滅多にないというか もう卒業したつもりだった生理痛で 身体が重苦しくて 頭が痛くて 腰が痛くて 吐きそうで きっと13回分苦しいんだろうな。
こういう日は 腰が痛くて横になっているのも苦痛だし 外に出ると 注意散漫で危ないので 家の中で動き回っているのが 良いかも知れない、と 思いついて そういえば、今日じゃなかったか 亭主の大姉様が病院帰りに寄って 初孫のためにベビーベットをもらってくれると云っていた日。
うへ、やっぱ掃除しとかなきゃ!
というわけで 布団を干すやら洗濯機ブンブン回すやら 犬の爪切りをするやら 洗面所を磨き立てたり 午前中はゾンビのような姿で うろうろ働いてしまいました。
昼過ぎにウキウキ騒いでいたチビ助が 昼寝に突入して 私はホームページの更新をして
を!電話!
なんだ、健康食品の勧誘か、 チビ助が起きたらどうするのっ!
午後三時、これ以上待っていられなくて 私も少しうとうとする。
小一時間で腰が痛くて起き出して やっぱ大姉様、来ないし。
う〜ん。
そのうちチビ助が起きて、おばさんがまだ来ないと知って 怒り出すし(イベント好き) 犬は散歩じゃ散歩じゃとわめき通しだし。
六時まで待って大姉様のところに電話してみると 今日の運転手の甥が出て 「今日は寄らなかった〜。来週検査結果を聞きに行くとき寄るからね〜」
大姉様、検査、辛かったのかな。
今日はおばさんが来ないと知って 泣き出したチビ助をせっついて 散歩じゃ散歩じゃ!
この頃、日が短くなって あっという間に暗くなってしまうから 急いで急いで
久しぶりに乗り物は出さずに歩いて出ると チビ助がずっと手をつないでいました。 夕暮れ時で心細かったのかな
結局一日苦しかっただけのような気がしたけれど 家の中はすかっと片付いているし 子供の手は柔らかだし なんだか悪くない一日だったような気がしました。
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