いっしょくんの日記

 へ(* ̄ー ̄)> 
なんとなく 書くんで〜
なんとなく 読んで下さいね。

2007年10月21日(日)  理解


 分かり合うには
 相手を受け入れないと
 受け入れてもらえないですよね

 ゛精神保健福祉ボランティア゛講習会に参加しています
 週に一度 2時間半の講習で
 全9回あり その中に1日 ゛実習゛というものがあります
 
 サポートセンターの非常勤職員になってから
 電話相談にも携わることになり
 ゛精神障害者゛の理解を求めて
 この講習会に参加することにしました
 始まってから5回目になりますが
 毎回講師の先生が素晴らしく
 飽きることなく参加することができます
 ゛統合失調症゛゛うつ病゛についての講義は
 何故心の動きに支障が出るのかを聴き
 自力ではどうにもならないことだということを
 専門分野から学びました
 当事者との懇談では 辛い体験や
 何故発病したのかを語っていただき
 長い時間の対話の緊張に
 休みながらとどまっていただきました

 目に見えない障害は
 理解するのもされるのも時間がかかることです
 誤解のないように ゆっくり時間をかけて
 障害理解をしたいと思います



2007年10月05日(金)  意識

 上の娘が通っている塾で
 面接がありました

 長女にはずいぶん悩まされたことは日記にも書いたと思うのですが
 親の考えすぎとか 過干渉だとか
 私自身反省する所もあるので
 気にしないでいようと過ごしてはいますが
 それでも 今日のように彼女のことを語るときには
 どうしても現実に引き戻されることになります

 「性格を何とかした方がいいぞ」
 
 まぁ 普通のお母さんなら
 カンカンに怒る言葉かもしれないですが
 あの子の親なら そのくらいの言葉で驚いていられないわけです
 ベテランの塾講師が お手上げということでしょうか
 ぼろくそに言われました
 どうして怒らないのか不思議な思いで
 この日記を読まれていることと思いますが
 この講師の言う言葉に込めた思いは まったく同じように
 私が家で娘に伝えたい思いだからなのです

 「お母さんが思っている以上にこの子には意識というものがないです」

 恥をさらすようですが
 どうも塾に行くと寝てしまうということのようで
 講師も言葉がないという気持ちが伝わります
 一体どうしたらいいのか
 私の育て方が悪かったのかとへこみます
 
 わかっているけど動かない 知っているけどしない
 言われるけどできない
 スチューデント・アパシーって言うのはこれですかね・・・
 娘を見ていて少しずつわかってきたのが
 関心のないことには一切手を出さないということです
 人間誰でも関心のあることには一生懸命になるし
 関心がなければ通り過ぎてしまうものですが
 やらなければならないことと 関心がないということは
 別物だと思いませんか?
 関心がなくてもやらなければならないことはするでしょう?
 ・・・・というか
 しなければいけないでしょう?

 「関心がなかったらしなくてもいいじゃないか」

 と 思います?
 親だったら そう言って過ごせないものってありますよね・・・

 宿題をしない 提出物を出さない
 テスト勉強をしない 
 関心が無いからってしなくていいことですかねぇ・・・

 「意識が育ってない」
 
 意識・・・
 一体どうしたらいいと思いますか・・・
 心が動かないのです
 できるだけ情緒豊かにと 感動や発見をしに
 あちこち連れて歩いたりしているのですが・・・

 娘の表現力の問題でしょうか・・・
 私たちと過ごす娘は楽しそうにおしゃべりするし
 私に偉そうに意見したりもできるのですが
 学校のこととなると駄目なのです
 かといって成績が゛足踏み号令゛状態というわけでもなくて
 『何もしないでこのくらいなら
   頑張ったらどこまでできるか試してみたくない?』
 今回の試験の前にも あの手この手で話してみました
 暗記に使うといいよと マーカーもそれとなく置いておいたり
 ルーズリーフを使った暗記方法も見せたり
 とにかく英語だの社会だのは丸覚えだから
 暗記力テスト クイズみたいなものなのよ と刺激しても
 結局駄目でした
 ぼーっと机の前に座り 宙を見つめているような感じです

 「社会はお母さんがいったみたいなやり方でやってみて
  いつもよりできたのに成績がかわらなかった」
 と 初めて今日の面接の後でぼやいたので
 『だったら社会の先生に言うべきじゃない?テストの点数として
  ここまであげたのに どうして通知表に反映されなかったのか
  納得いくように学校で聞いておいでよ』
 「えええ わけのわからない先生だから嫌だ」
 『そういうことじゃないでしょ・・・ 
  あなたの将来がかかってっているくらいの気持ちで
  食いついといでよ』
 「・・・・」
 それ以上は無理ですよね

 ゛感情表現の過度な家庭には統合失調症を発症する例が多い゛
 
 なんていう文を目にしたら 
 余計な心配で頭がいっぱいになってしまうわけです
 私が大袈裟に表現するからだろうか・・・とか
 幼児期に何かしてしまったかな・・・とか

 いい子なんだけどなぁ・・・
 気にしないことが一番と
 今みつからない答えは探さないことにしているのですが
 
 どうしたら心や体が動くのかなぁ
 
 



2007年10月03日(水)  思い

 ここに来たら なんとなく深呼吸したくなりました
 悶々とした気持ちをどこに吐こうかという時に
 この場があるということが ありがたく思えてきました
 書かなくては・・・と言う思いのときもありましたが
 今日は懐かしい友達にでも愚痴をこぼすような思いです

 今年の4月から
 障害者とかかわる仕事に非常勤として就いてから
 半年以上が過ぎました
 日数にしたらまだ三ヶ月くらいなのですが・・・

 私は聴覚障害者を担当し
 聴覚の方が関わることは私も関わるようになっています
 彼らのパワーはすごいもので
 仲間で行動するのでわいわいと移動してゆきます
 聞こえないという障害は
 本当に理解されているのでしょうか
 このごろ私が抱いている疑問なのです

 「彼らが一緒だとめちゃくちゃになる」
 こんな話が聞かれるようになったのは
 私が聴覚を担当することになって
 たくさん聴覚障害者がセンターに集まるようになってからではと
 気にかかります
 伝えることに一生懸命な彼等
 相手のことが自分に伝わらなくても
 自分が伝えておけばわかっていてもらえると
 思いを託すような様子を感じます
 聴覚障害者と一緒に活動をしている難聴者達は
 まったく聞こえないことと 多少でも聞こえるということは
 全然違う世界なんだと言います
 わかってもらうことで精一杯の聴覚者に
 わかりきれずに悶々とする難聴者
 一堂に会しながらも悪く言ったりするのです

 私は聴障者を差別視しているのでしょうか
 そういう身勝手さは気にならないのです
 一まとめに非難するのではなく
 それぞれに性格があり人柄があり
 それに加えて 障害を踏まえた理解をしなければと思うのです
 長い事彼らを見てきたせいかもしれないですね
 センターの若い職員は その聴覚障害者の身勝手さを
 強く批判する発言をします
 そのたびに私は「何とかしろ」と言われているような気持ちになります

 「聴覚の人はわからないね!自己中で周りが全然見えてないんだね」
 周りが読めないから確かめたい 自分というものを伝えたい
 じゃないのかな・・・
 百聞は一見にしかず でも 百見は一聞にしかず のときもあるのです
 突然電車が停まったら?突然電気が消えたら?
 自分が障害者だとわかってもらえず
 何の説明もなかったら・・・
 聞こえたら直ちに行動できることがあるのです

 絶えず周りの状況を掴みたい
 自分の存在を知っていて欲しいという不安は
 どう彼等に表現できますか・・・
 手話も使わずにおとなしく立っていろ
 そんなことができますか・・・・

 身勝手にされたくないなら
 充分な説明とその時間を作って欲しいです
 車椅子の人が町を歩いたり
 視覚障害の人が出かけるには
 道の段差の様子やトイレの状況
 道が平行であるか傾いてないか
 気をつけることがたくさんあります
 それと同じことです
 今の状況が掴めているかな
 いつどこで何をするか把握できたかな
 障害にあわせた援助があるのです

 まず身勝手だと感じたら
 連絡は充分であったか どうしたら共有できるか
 反省と試行錯誤が必要ではないですか

 自分の福祉観がわからないのです
 障害者にとって何がいいのかわからなくなっています

 バランスが崩れたとき
 理解はなくなります


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