| 2004年01月31日(土) |
散歩のとき何か食べたくなって |
池波正太郎
新潮文庫 P70 藪二店
池波正太郎の小説に、現れる食い物のことは、よく話題になっている。 ここは、食べ歩きとはことなり、自らのいきざまを、食い物と、それを食わせる店を道具立てにして、表現しているといっていい。
さて、この本には、そばについて、語られているのは、この部分だけで、これをどう読んだかというと、そば屋とは、池波正太郎にとって、どういうそんざいであり、江戸っ子にとって、どういう存在であったかを、語った文章という読み方をした。
「外でのむ酒は私の場合、まだ日の落ちぬうちにはじめることになる。・・・となると、のむ場所は、やはり、蕎麦やということになる。」
そして、子供のころの蕎麦やは、
「大人たちは、銭湯の帰りにも、ふところにわずかでも余裕(ゆとり)があれば、かならずといってよいほど、最寄りの蕎麦やへ立ち寄ったものだ。」そうだ。
また、
「男と女が、男と男が待ち合わせる場所も、蕎麦やが便利だった。そして、どこの蕎麦やも、土間の椅子席の向うに、入れこみの畳敷きがあり、一つ一つの席が衝立でしきられてい、蕎麦の香りが店内にたちこめていたものだ。」という。
池田 満寿夫
サンケイ新聞土曜版に連載 中公文庫
池田 満寿夫の男の手料理は、ご本人いわく
「モットーは、”手抜きの料理”である。 もっと格好よく言えば、料理は機知である。」
奥様の佐藤陽子さんは、ご自分の料理哲学とともに 池田 満寿夫の料理をこう表現された。
「料理の一番のポイントは、材料探しである。 料理10のうち、6.5がいかなる材料を揃えられるか、 あと2.5がそれらの味をいかに殺さずに調理できるか、 最後の1はひらめき、というのが私の料理に対する考えである。 技術は、素材をこわさないためにのみ使われればいい。 満寿夫の料理は、おもにひらめきのみである。 ただし天ぷらだけは例外で、私は満寿夫と一緒になってからは、 天ぷらを作るのをやめてしまった。」
その池田満寿夫が書いた男の手料理62のうち2つがそばである。
P119 花巻そば
「ここ10年位前から、そば屋に「冷しきつねそば」とか「冷したぬき」などが 現れてきた。これは明らかに冷し中華の人気に対抗した産物に違いない。 ならばと更に頭をひねった工夫そばに、”花巻そば”がある。 これは女房がどこかのそば屋で初めてお目にかかった新種で、 私に種明ししてくれたものなのだ。 つまり、皿に盛ったざるそばの上に冷し中華の具をのせ、ざるそば用のタレをかけた日中友好そばである。日本そばの干めんならどこの家でも常備している。 ざるにしようか、冷し中華にしようかという悩みを一気に解決してくれる名品である。ただ何故それを花巻そばというか、私には分からない。」
P154 イナリ風ソバ
「イナリ寿し用の薄揚げをしょう油、砂糖少々のダシ汁で煮る。そこにゆでて水洗いしたソバをイナリ寿しの寿し飯の代わりにつめるのである。 最近は冷しイナリソバがソバ屋で時々見受けられる。ソバの上にのっている薄揚げを、薄揚げの中にソバを入れかえるだけだが、これは手づかみで食えるから、大変便利である。それに、想像しているよりも遥かにうまい、という重要な特徴がある。」
そば打ちにこだわらない、そばの料理の楽しみ方が、ここにはある。 料理一品毎に、この料理を発想するにいたる話が書かれて、その文章の面白さにひかれる。
奥様が、「彼の作る食べ物は、単純な中に心温まる何かがある。」と書かれているが、「心温まる何か」が生れるもとが、その文章に垣間見られるような気がする。
阿部 孤柳
小学館文庫 1925年生れ 料理家 割烹「かねさい」主人 テレビ番組「鬼平犯科帳」の料理指導
原作とテレビとの比較もさる事ながら、蕎麦について
断トツにそばが食べたくなるのは、原作「浅草・鳥越橋」の最後のくだり。 「朱塗りの薬味箱から、葱が匂った」。たったこれだけで(そば中枢)が刺激されてしまう。(P32)
と、記されている。 この場面は、画面では表現できないかもしれない。 でも、著者のいうとおり、そば好きには、これで充分、これ以上はいらない。 いつか、だれかが、画面で表現する日がくるだろうか。
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