いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2014年02月10日(月) 敗戦処理中に、いぬぶし吠える!@東京都選挙管理委員会

 長い戦が終わった。負け戦だったが、次なる一歩を残すことが出来たのでは、と田母神俊雄氏の新たな決断に期待するところである。

 さて、戦は終わったが私の任務はまだ残っている。選挙費用のうち公費負担(税金)分の請求事務があるのだ。宣伝車のリース料、ガソリン代、運転手の日当、チラシ(本人分のみ)、ポスターの印刷代などが、選挙公営の原則により税金で負担される。

 今日は、その手続きのため東京都選挙管理委員会を訪問した。書類は完璧、多分、各候補者中最も早い提出だと自負している。顔なじみの担当係長さんと書類の確認をしていると、何やら選管の入り口付近で怒鳴り声がする。

 どうやら、選挙管理委員会に文句を言いに来たクレーマーのようである。しばし放っておいたが、内容を聴き頭にきた。「火中の栗」は喜んで拾う私である。余計なお世話がはじまった。

私:すみません!うるさいよ、あなた。

彼:うるさくないよ。静かに話している。

私:十分うるさい。みなさい。職員の方々はうるさくて仕事ができないでいるだろう。外に出て話そう。私は、議員をしていたから、人の話を聴くのが好きだから。

彼:ここで話す。外にはでない。だいたい、選挙管理委員会は法律違反をしている、けしからん。

私:何が違反なのだ。彼らは、法律に基づいて粛々と一生懸命仕事をしているはずだ。

彼:法律違反をしているのに、裁判所を騙して合法だといっている。

私:裁判所が合法と言っているのなら、彼らは公務員だから、司法の決定に従うまでだ。何が問題なのか?

彼:(係長を指さし)だいたい、こいつは…

私:人を指さすんじゃない。こいつ、とは失礼だろう、やめろ!

係長:いぬぶしさん、大丈夫です。こちらでやりますから。

 係長さん、これ以上、いぬぶしに介入させると「火に油を注ぐこと」になると思われたらしい。都庁の衛視さんもこられたが、こういう権利の濫用者にはお灸をすえなければならない。

 選管を出て、110番をした。「対行政暴力です。警官を派遣してください。」と。都庁職員としては、都民に対して警官を呼ぶことは、なかなかできないだろうと思う。

 ただ、その優しさが、こういうバカ者をのさばらすことにもなる。大田区役所でも、クレ−マーの常連さんがいた。業務妨害には毅然とした態度が必要である。

 都庁を後にして、元選挙事務所に戻ると、スタッフたちが反省会を開いていた。

 おい!学生!早くビール買って来い!



2014年02月06日(木) 弘法も筆の誤りby大田区選挙管理委員会&所轄署

 昨日の蒲田駅西口での街頭演説について、まずは大田区選挙管理委員会担当から「候補者の氏名の書かれた幟が出ていた」との、警告モドキの電話が選挙事務所にあったそうだ。おいおい、ふざけるな!いぬぶしの地元で、私がいて「違反行為」などするわけがないだろう。

 今日、担当者に厳しく抗議をした。彼の言い分はこうだ。

公職選挙法により、候補者の氏名が書かれた物は、選挙カーの上、選挙事務所など以外では認められない。今回は、蒲田駅街頭演説の会場において、田母神俊雄候補と平沼赳夫衆議院議員の名前の入った幟がたてられていた。

 私:私が現場にいて違反などするはずがないだろう。東京都選挙管理委員会から交付された「個人演説会」の証票プレートを付けたもので、警視庁管内某署刑事課長のご指導により装着したものだ。違法性はあmったくない。このプレートを見たのか。

大田区担当者:プレートまで見ていない。

私:私は、現場でプレートを写真撮影している。違反でもないのに、確認もせず電話するな。

大田区担当者:いや、私は「候補者名の氏名が書かれた幟があったことを現認した事実」を伝えただけだ。

私:なに言ってんだ。じゃあ、すべての候補者に「候補者名の氏名が書かれた幟があったことを現認した事実」を伝えろ!

 さすが、北朝鮮と親しい区役所、職員労組委員長が共産党員の大田区である。(2/7 大田区選挙管理委員会事務局長に対し口頭で厳重に抗議した)






 さらに、本日夜8時前に、所轄署刑事課長代理から「公職選挙法違反で警告する」旨の電話が選挙事務所にあったとの連絡が来た。早速、所轄に電話をするちお、同様の事実誤認であることがわかった。この警察官も「プレートの存在」を見落としていたのだ。

 「警告」の数は警視庁本部において、カウントされてしまう。「警告」を取り消して欲しいと依頼し、違反事実無しとして警告は取り消された。

 候補者や陣営は、どうしても選挙管理委員会や警察を聞くとビビって、言うことを鵜呑みにしてしまう傾向になる。悪いことをしていないのなら、正々堂々と主張すべきが、「危機管理のプロ」である田母神俊雄候補の陣営である。

 明日からも、法律を遵守した選挙戦を戦って行こうではないか!



2014年02月05日(水) 田母神俊雄候補、大田区スミからスミまで!

 今日は、11時から田母神候補が大田区に入られた。選対の中で唯一「選挙で複数回当選した経験者」としては「これが選挙だ!」という姿を見せなければならない。今回の選対の中心は、日本文化チャンネル桜というインターネットTVの関係者と、頑張れ日本全国行動委員会という市民運動のグループだ。この主たる応援団の出自が、今回の選挙をいささか特殊にしている。

 前者は「映像派」である。票になるかどうかよりも「絵になる」イベント型選挙の傾向がある。確かに「泡沫と見られない」ためには、ある程度のハデな演出は必要だとううが、そればかりでは「野次馬」が集まるだけで票にはならない。

 後者は、日頃、NHKなどの問題で街頭抗議活動などを行なっているコアな方々がお手伝いを頂いている。ただ、抗議街宣と選挙は大きく違う。例えば、街宣では、いかなる旗でも幟でも自由に使えるが、選挙では大きな規制がある。抗議街宣では「名も知らぬ保守系弁士」が、何時間でも自己陶酔演説をしても、勝手に盛り上がればいいだけで問題はない。が、選挙では聴衆は「候補者」の話を聴きに来ている。

 さらに言えば、市民運動の場合は、いかなる服装で、いかなる言動でも問題は少ないが、選挙では例えボランテイアの方であっても、端正な服装、最大限の笑顔と大きな声が求められる。



 さあ、大田区である。まずは大森駅前で街頭演説。本来なら、もう少し早い時間大田区入りされて、都民の台所である大田市場を歩いて頂きたかったのだが、なぜか品川駅、五反田駅からスタート。この辺もセオリーとは違うが、いたしかたない。

 演説の後、石原慎太郎元知事の事務所があった、山王商店街の「桃太郎(練り歩き)」だ。これは、幟をあげて歩く姿が「桃太郎」の一団に似ていることからつけられた業界用語である。ただし、あまり大掛かりになると「気勢をはる行為」として公職選挙法違反となるので、注意が必要だ。

 同行するボランテイアさんと共に、所轄書の刑事さん(選挙違反担当)、同じく警備課の私服警官(雑踏整理)、所轄と本庁の公安刑事さん(妨害左翼担当、及び陣営におかしな右翼活動家がいないか監視)と、相当数の警察官が歩く。

 商店街は、本当に反応がいい。途中、大田区議会の同志である荒木秀樹氏も自宅から飛び出て応援をしてくださった。彼の推薦するお蕎麦屋さんで昼食を取り、また桃太郎に出発。

 さらに、大森の防衛省官舎の下から、自衛官の奥様たちにご挨拶。ご主人である自衛官がお留守にも関わらず、ベランダから奥様たちが手をふってくださる姿には、いつもながら涙である。



 さらに、軍団は、雑色商店街、水門通り商店街、西糀谷商店会、糀谷商店街、萩中通り商店街等、区内でも私の支持層が多い商店街へ向かう。モミクチャにされながら、トイレ休憩を東六郷二丁目町会会館でとらせていただいたが、ここでは温かいお茶の接待を頂き、ありがたかった。



 次なる場所は、中小企業の街大田区ならではの工場地帯への訪問。製造業の工場で油にまみれて働く従業員さんに言葉をかけ、工事会社の事務所を訪問、さらに、自動車整備工場を訪れ、中小企業の問題をヒヤリングした。

 途中、大田区を離れ品川戸越銀座商店街で桃太郎をし、再び蒲田駅西口へ。多くの「応援弁士」の間で、私も「短く正しい選挙応援演説」をさせて頂いて、大田区でのミッションを終わった。

 はたして、有権者の反応はいかに。審判まで残り3日。



2014年02月01日(土) 橋下徹共同代表辞任か?@日本維新の会党大会

 今日は朝から忙しかった。昨晩、運動員用腕章が1枚返却されていないことが今朝わかったのだ。この腕章は11枚交付され、着用していない運動員は「田母神俊雄に1票を!」との「選挙運動」ができないのだ。腕章が足りないボランテイアの方々は、本人の顔写真の掲載されているビラは配布できず、確認団体ビラをいう「候補者の名前を類推できない」ビラしか配布できない。重要な七つ道具だ。

 どの一枚がなくなってしまった。危機管理のプロとしては、すぐさま対応しなければならない。予想された事態で、事前に対処法は学んであった。まず、ボランテイアの法学部学生さんに最寄り交番に紛失届を出してもらった。その間に選挙管理委員会に連絡し、再交付の依頼をする。

 一枚紛失しても、実はずべての腕章を新しいものにしなければいけないのだ。車上運動員(ウグイスさん)用の4枚を含めて合計15枚の腕章を都庁に持参し、再発行。都庁前に待機させていた宣伝カーに真新しい腕章を渡し、無事解決!

 その後、戦線を離脱して東京プリンスホテルへ。所属する日本維新の会の第二回党大会開催されるのだ。衆議院の選挙区支部長でもある私は、一応壇上で紹介されることになっているので、欠席はできない。



 冒頭、橋下氏の挨拶があった。以下、その一部である。(文責は私にある)

朝日新聞の記者は出て行ってくれ。まだ、広告掲載問題が解決していない。大阪都構想の法定協議会において公明党が反対にまわり、議論が中断することになった。私は一昨年の衆議院選挙において公明党代表に会い、大阪都構想への協力をすることを条件に、関西の6選挙区に候補者を擁立せず、私は公明党候補の応援にも行った。ところが、今回維新の力が弱まったと見て、反対にまわった。どういうことだろうか。

今回の挨拶は、最後になるかもしれない。私は、二つのことが人生では大切だと思っている。それは、自分のことは自分で決める。自分のことは自分で守る。である。国家も人も同じだ。

歴史認識について石原さんと僕は違う。サンフランシスコ条約を受諾した以上、「自衛戦争だ」というのは為政者としては正しくない。サンフランシスコ条約で侵略と認め、東京裁判を受け入れたんだから、世界中からは「侵略戦争」と評価されていることを受け入れなければならない。

慰安婦については、今の価値観で言えば問題であっても、当時の状況では世界中が「戦場の性」につて同じようなことを行ってきた。筆舌に尽くしがたい辛苦を味わった慰安婦の方々がいたこととは別の話だ。

いかなる価値観を持っている国に対しても、議論をする場合にはフエアかアンフェアか、で戦えばいいのだ。世界各国が当時行っていたことを日本だけが悪だ、と袋叩きにあるのはアンフェアだ。

最後に、これだけは申し上げたい。

私は、大阪維新の会や日本維新の会を守るために活動してきた訳ではない。大阪都構想実現のために戦ってきた。今後、自分のことは自分で守る。

これからは皆さんに日本維新の会を託す。

 あえてコメントはしないが、侵略戦争の部分では壇上の平沼赳夫代表代行のお顔が忘れられない。私と同じ想いをされていたに違いない。



 続いて始まった懇親会中にアナウスがあった。

 大阪維新の会の皆さんは、●●の間にお集まり下さい。と。

 後刻知ったのだが、その場で大阪維新の会所属の国会議員、地方議員に対し、橋下氏自ら市長を辞任して、出直し市長選挙に出馬。民意を問うことを話されたそうだ。

 大阪市長であり、日本維新の会の共同代表であったとすれば、われわれ「日本維新の会」のメンバーにもご説明を頂きたかった、と残念えある。

 華々しい会場を後にして、田母神陣営の戦線に復帰。阿佐ヶ谷駅前の街頭演説から合流。ところが、候補者が選対本部長の突然の発案で、近所の神社に必勝祈願に行き、到着が予定より30分遅れとなってしまった。



 多くの聴衆が待っている。止む無く、いぬぶし品のない応援演説を始めた。日教組教育を東京から追い出さなければ子供たちが可哀想!とやった。

 壇上を降りると、教員と名乗る女性が「私は教員だが、いまや日教組など3割もいない。私はそんな教育をしていない。」と、くってかかってきた。さては、共産系だな、と思い質問した。

全教の方ですか?彼女は、そうだと言った。なんじゃい、やはりそうか。周辺には、なぜか公安刑事が多数張り込んでいた。実は、杉並区は過激派出身の議員や支持者が多いことでもしられているのだ。万一を考えての警察当局の警備には感謝である。



 夜の選対会議を主宰して帰宅は深夜0時。さあ、残り半分頑張るぞ!


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