いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2013年06月30日(日) 不思議なインドネシアからの機内での読書

 私は、様々な不思議な出会いを経験している。なぜ、この時にこの人とここで会うか、なぜ、この瞬間にこの本に出会ったのか、様々な出会いが私の人生を支えて頂いている、と言っても過言ではないだろう。

 私は海外に出かける際、必ず本を持参する。それは、長い機内で無駄に時間を潰すのが嫌なこと、また、日課である朝刊の全ページを読破することが出来ない代わりに、といった理由だ。持参する本の基準は特にない。その時、書棚で目についたものを持参する。

 ずいぶん前に、ニューヨークに出かけて、ウオール街近くのトリニテイ教会に足を踏み入れた。観光客気分で入ったその教会には、聖母マリアのステンドグラスがあり、昼休みの多くのビジネスエリート達が祈りを捧げていた。観光で訪れる場ではないと察知したが、彼らにならって頭を垂れたのだ。すると、不思議にも私の眼から涙が流れたのだ、なぜ?

 ホテルに戻って、マックを食べながら日本から持参した本を読みだして驚愕した。敬けんなクリスチャンである遠藤周作氏の本だった。そこには、対談ふうに、このように書かれていた。(記憶なので記述は趣旨)

遠藤先生はクリスチャンですね。神とはどのようなものですか?

遠藤:神とは玉ねぎとかピーマンとか(犬伏注:野菜かどうかは忘れたが)のように形のあるものではありません。皆さんの周りで不思議なことがあるでしょう。それが神なのです。神は存在ではありません。働きなのです。

 今、トリニテイ教会に立ち入った私に、神は涙を流させ、偶然を装い、遠藤氏の本を通して、「さきほどの涙が、私、神なのだ」と、示されたと思った。私はクリスチャンではない。が、我々を超越したSomething Greatの存在を、この日から確信するようになったのだ。

 そして、今日もそうだった。インドネシアで研修中の友人らを残し、参議院選挙準備の為、単独で帰国をするガルーダインドネシア航空の機内。いつものように、日本から持参した単行本を開いた。

 それは、6月17日に中山恭子参議院議員と共に訪れた佐渡で出会った、ジェンキンスさん(拉致被害者、曽我ひとみさんの夫)が書いた「告白(角川書店)」という本だ。ご本人が勤務する土産物屋さんで売っていたので、ジェンキンスさんから購入しサインまでしていただいたものだ。

 事務所の本棚に置いたまま、読んでなかったので今回持参した。ページをめくるたびに涙が溢れてきた。一人の気の弱い陸軍軍曹の人生を、また、若い日本人女性の人生を、さらには、その娘たちの人生を、これほど過酷なものにした北朝鮮という国家への憎悪と、彼らに対して何も出来なかったことに対する涙だ。

 読み進めていくうちに、先に帰国した曽我ひとみさんと、北朝鮮に残ったジェンキンスさん、二人の娘さんが再会したのがインドネシアだったことを改めて想い出した。インドネシアのホテル滞在中、米国で訴追されること、k北に戻ろうと言う長女、日本に行こうと願う妻、様々な想いと葛藤するジェンキンスさんの自伝は、迫力がありすぎ圧倒されてしまった。

 そして、気付いたのだ。その葛藤の末、彼は家族そろって帰国する途を選択し、今、私が飛んでいる航路を通って日本に向かったに違いない。その航路上で、この本を読んだのは、偶然ではあるまい、と思うのだ。そんなの、こじつけだ、と考える人は哀れである。例えそうであっても、偶然ではない、と考えるほうが楽しいではないか。

 この必然を胸に、拉致問題解決のために、私の出来ることを模索していこうと決意した機内での感動だった。さあ、元拉致問題担当大臣中山恭子参議院議員、夏の陣が始まる。各々方、心して戦おうではないか!



2013年06月29日(土) いぬぶし携帯水没!700件のデーターが水の泡

 インドネシアの暑い日差しのもと、私の携帯電話は大活躍である。選挙前の様々な問い合わせが届く、まったく距離を感じない仕事環境は携帯電話のなせる技だろう。ただ、相手に聞こえる着信音と、こちからからかけた場合の着信番号が、国内通話とは違うので、わかる人には「国外脱出」がバレてしまう。すまないです!みなさん

 一日の日程が終わり、プールサイドの会場で夕食会を開催した。そこで悪夢は起こったのだ。プールサイドを歩いていた私に、参加者の一陣が倒れてきたのだ。その結果、何が起こったか。

 その勢いで、私はプールに落下、ぬれ鼠と化してしまったのだ。それどころか、私のズボンのポッケに入っていたスマートフオンさんも、御一緒に水没。哀れかな、二度とスイッチが入らない運命を辿ったのだ。本体は買いかえればいいが、問題は700件の電話番号、メールアドレスである。

 私は、バックアップなどという面倒なことをしたことがない。したがって、電話番号のデーターは、さようならである。嗚呼!!!!!!

 という訳で、お知り合いの皆さま、恐縮ですが、7月1日の午後以降、私の携帯にショートメールでお電話番号、お名前、メールアドレスを送信頂けるとありがたい。御手数ですが、どうぞよろしく!



2013年06月28日(金) 一人のドジが企業イメージを潰す!HISの場合

 狭いエコノミークラスに閉じ込められ、織のニワトリのように、ジュース飲め、水飲め、食事しろ、軽食だ!と機内サービスならぬ機内強制を受け、朝7時半にデンパサール国際空港に到着した。

 インドネシアは、到着ビザ(VOA)という入国制度を取っていて、到着ロビーにある銀行カウンターで一人US25ドルを払って領収書と証紙を購入。次のカウンターで入国審査官に提出するとパスポートに証紙を貼ってくれてビザとなるのだが、まあ、体のいい外貨稼ぎにしか思えない。なぜなら、入国ビザはドル建て、出国税はインドネシアルピアしか受け付けないのだから。入国でドルを稼ぎ、出国では外貨を持ちださせない、という実にわかりやすい政策である。

 本日から2班に分かれての社員研修が始まる。到着後「コーデイネーター」の最初の仕事は、手配内容が予約通りかどうかの確認だ。今回の現地代理店は、JTBを超える勢いのH.I.Sバリ支店。かっては、海外の空港に降り立つとJTBの旗と制服で溢れていたが、デンパサール空港の出口ではJTBの社員は2名、近畿日本ツーリスト1名、HIS10名、と選手交代が明白だった。

 さて手配は大丈夫か?ダメじゃん。社長の部屋を「ランクアップ」するようにリクエストしていたが、現地に通じていないのだ。すぐするように、と現地に電話で依頼。東京で依頼したスタッフに国際電話をすると「忘れていた」というではないか。

 どんなに大きな会社でも、組織としてのチェックが及ばない個人のドジはなんともしがたいものがある。10年以上前にボストンに出かけた時、1時間まっても送迎バスが来ないことがあった。JTBの新米添乗員は「会社を信じて」待つというが、私の経験から「手配していない」と忠告をしタクシーに分乗してホテルに向かったことがある。到着後、再確認させたところ「手配ミス」が発覚した。大手でもそんなものである。

 昼間の日程をこなし、夕食を食べる前にHIS現地支店に電話を入れ、どうなったかを確認すると「満室で手配できない」との回答。ふざけるな!ではホテルに怒鳴りこむ、と言って電話を切った。「満室、オーバーブキング、航空会社に調整してもらっている」等は、使えない旅行会社の常套句であることは永年の経験でわかっている。

 旅行会社が使えない時は「元」と交渉するのが一番。それも、海外の場合はわざと声を荒げて「冗談じゃない!どうしてくれるのか!」と、やるのが効果的である。さっそく、高級ホテルのフロントで「ふざけるな」とやりはじめた。寝耳に水のフロントマネージャーはHISからは何の連絡もないことを教えてくれ、さっそくパソコンに向かい、3ランク上の部屋を確保してくれた。

 その後、HISの手配担当者から「なんだ、かんだ」と出来なかった理由の電話があったが、お役人じゃないのだから「理由」を言うんじゃない。結果がすべてだよ!

 急成長した会社は、社員の資質が社業に追い付いていかないのかもしれない、頑張れ澤田秀雄さん、ハウステンボスもいいが、本業回帰が必要ですぞ。

 本を忘れず、末を乱さず

 



2013年06月27日(木) 参議院選挙まで1週間!いぬぶし国外逃亡

 いよいよ参議院選挙まで1週間に迫った。あまりにも大きな選挙で、なおかつ選対事務局長という立場に、やることが多すぎて発狂寸前である。とは言え、無償で手伝って下さるボランテイアの皆さんの努力を見れば、頑張らねばと思う。

 今日は、18時から中山恭子議員とご主人成彬代議士を交えての選対会議を20時過ぎまで行った。まだ会議は続いていたが、失礼をして別件に向かった。それは、インドネシアへである!

 私の友人でもあり、支援者であるIさんが経営する会社が研修旅行にインドネシアに出かけるが、それに同行する為に羽田空港に向かった。社員さん50名、全額会社負担で毎年海外において研修を行うのだが、私はその現地コーデイネーターとしてご一緒するのが恒例になっている。

 ところがである。今回は参議院選挙の1週間目。勘弁して欲しい、と懇願したが「参議院選挙と、うちの研修、どちらが大切なのだ?」と難問を下さる。独身時代の女性が男性に「私と仕事どっちが大切なの」と聴くようなもので、計りようがない、比べようのないものだ。

 30日には選挙絡みの複数のアポイントが関西であり、なんともできない。とは言え、Iさんには恩儀もある。先の衆議院選挙、資金の工面をお願いにいった私に即決、大金を貸して下さった時の言葉が忘れられない。「仕方ないような、弟だから…」Iさんとは、縁戚関係は一切ないが、ありがたい言葉だった。

 30日には、インドネシアから関西空港に早朝到着すれば、アポには間に合う。その方法を取ることにし、予約を入れたが満席で取れない。中山恭子議員に、それとなくく伝えると「無理しないで。誰かに代わってもらえばいいから」と。

 では、お言葉に甘えて、本体より1日早く帰国する2泊で同行することにした。インドネシアは旅行業経営者時代に何度も訪問したことがあり、親日的で好感のもてる国のひとつだ。

 20時半に選対会議を出て自宅へ急ぎ、身支度をし羽田空港国際線ターミナルへ。ここは、区議会羽田空港対策特別委員会のメンバーとして何度も訪れた場所だ。一般車両のための送迎停車帯をロビー前に付けろ!という利用者目線の要求は、国土交通省の頑な「出来ない理由」のオンパレードで実現できなかった。

 ほんの一車線レーンを増やせば、出発、到着の送迎が楽になるのだが。結局、人々はタクシー乗り場やバス乗り場の空きスペースに割り込んで乗降している。利用者目線の欠落が、お役所の限界でもあるが、これを是正する政治が「お役人の手のひら」にあることも問題である。

 さて、深夜1時無事羽田を離陸。8時間空路インンドネシアに向かう。

 



2013年06月26日(水) 国会最終日に成立予定の4法案が廃案!これでいいのか

 本日の国会最終日、野党が提出した安倍総理問責決議の審議を優先するため、電気事業法改正案、生活保護法改正案など、成立が確実視されていた重要法案が審議未了廃案となった。

 その結果、電力自由化が遅れ、日本船舶の安全航行の不安が残り、生活保護者の就労支援が遅れるなど、国民生活への影響は計り知れない。では反面、日本維新の会も賛成した首相問責決議は、いかなる影響があるのだろうか。

 実は、何もない。法的拘束力もない。ただ、あるとしたら、参議院選挙を前にした政権与党への批判勢力としての、誇示ぐらいだろうか。そもそも、一国の総理を問責するには、それ相当の合理的理由が存在しなければなるまい。大田区議会の自民党のような「子供のケンカ」では情けないではないか。

 参議院予算委員会では、与党自公も同じようなマヌケをやってのけた。石井委員長(民主党)が職権で委員会を開催すると、与党はこれに反発して委員会を欠席したのだ。

 言論の府であるべき国会が、泥仕合化しえちる現状は、到底国民の支持を得られないだろう。野党は「なんでも反対」に終始するのではなく、時には与党に協力しつつ、与党の暴走を防ぐ監視役にならねばなるまい。

 その意味では、与党を経験しつつ「反対」ばかりしている民主党にはその役割は担えない。そこで、わが日本維新の会の出番である。健全な野党として、自民批判勢力でしか存在意義のない他野党とは違う存在感を是非とも国政の場で示して欲しいものである。



2013年06月25日(火) 嗚呼!裏切り者がもう出たよ。都議落選候補

 都議会議員選挙で日本維新の会は34名の候補者を擁立したが、2名の当選だけだった。そこで、一昨日の日記に「今までの事例から、多くの落選候補が、落選を党のせいにして離党するだろう」と書いた。

 すでに、その事例が表れている。7月4日は参議院選挙の公示日である。東京地方区では各市区町村にある公設掲示板に、候補者のポスターを貼らなければならない。組織政党はなんとかなるし、お金のある政党は業者に任せる。ところが、わが党は、地元に頼るしかない。

 そこで、各都議候補陣営や私のような支部長に依頼が来たのだ。大田区には、数少ない都議当選の柳ケ瀬裕文氏がいるので、彼が選対から引き受けてきた。選対担当者から、私に電話があり「柳ケ瀬さんと一緒にお願いします」と。えええ!当日は全国比例で忙しいんだが!

 ところが、複数の落選都議候補が、この申し出を断ったのだそうだ。いかなる選挙でも、「逆風」だろうが勝つ者は勝つのだ。そして、経営でも学問でも選挙でも、負けを他人のせいにしている限り「次の勝利」はない、と私は信じている。

 一度、門戸を叩いて同志となった以上、落選したからさようなら、というのはあまりにも情けないではないか。そんなやつは、二度と政治を志そうと思うなよ!さっさと去れ!!!



2013年06月23日(日) 維新は本当に負けたのか?by都議会議員選挙

 都議会議員選挙が終わった。日本維新の会は散々な結果だった。当選したのは20年間稲城市長を務めた石川さん、現職の柳ケ瀬さんの二名のみだった。選挙前の3議席も確保できなかった。

 しかし、これは単に橋下共同の発言のせいだけだろうか、と候補者の得票などを見て疑問に思ってしまう。確かに、惜敗の仲間も多い。なぜ、彼を落とすかな、という元職もいる。が、現職だった一人は、千代田区で当選し、今回北区に「お国替え」での出馬で落選した。国会議員ならまだしも、地元密着の地方議員が「お国替え」とは、私には理解できない。落選は必然ではないだろうか。

 さらに、34名の候補者中、1万票以下が17名、うち7名が公費負担も受けれず、供託金没収という得票である。いかに政党の風にのろうが、都議会議員選挙で一万票以下、なかには3000票以下という候補もいるのは問題だ。地道な努力を積み上げて一万票以下などということは、いかに「逆風」でも努力不足だと思う。

 そして、こういう候補者に限って、落選を党や代表のせいにして、落選後離党していく可能性が高いのは、過去の事例が物語っている。また、残念だったのは、、みんなの党と協力していれば、7議席がどちらかの党で確保できたこと、維新から二人出したことにより、共倒れが2選挙区あったことだ。

 どうか、今回落選された、32名の候補者の皆さんには、捲土重来、御一緒に「日本再生」のため、雪辱を果たす戦いをすすめていこうではないか。ドンマイ、ドンマイ!



2013年06月22日(土) 都議会議員選挙最終日

 人の選挙は、なんて早いのだろうか。自分の選挙は、長〜く感じられるのに。もう最終日である。

 今日は、朝10時に日本維新の会女性部が管理している党の街宣車が蒲田駅西口に来る、との連絡が昨晩入った。既存政党のように、事前に詳細な遊説計画を立案して選挙に臨んでいる訳ではないので、だいたい前日か当日に、党幹部や宣伝車の日程が伝えられる。

 10時前に蒲田駅西口に到着すると元気のいい女性議員の声が聞こえてきた。衆議院議員の三木圭恵さんだ。彼女は、兵庫県三田市議を務めていたが、たちあがれ日本から参議院議員に立候補、落選。その後3年近く支部長として活動し、昨年衆議院議員に初当選をした。

 たちあがれ日本時代から、衆議院選挙を見据えて長く活動していた同志は、ほとんどが昨年の総選挙で議席を得ている。私のように選挙1ケ月前に決断した組や、他党から移ってきた新参に落選が多いには、アリさんとキリギリスさんの好例だろうか。

 三木さんと共に、党の政策を訴え終わると、彼女から「相変わらず口が悪いね」と、お褒めの言葉を頂いた。

 さらに、12時からは中田宏衆議院議員(元横浜市長)が、都議候補の応援に蒲田東口に入るとの連絡。やっと維新も組織選挙の体をなしてきた。昨年の総選挙とは大違いで、党が育ってきたと感じる。

 そして、最終日の大ニュースは、橋下徹共同代表の蒲田入りである。16時に蒲田駅東口に入るとの連絡に、場所の確保のため、各陣営との調整などドタバタだったが、なんとか格好をつけた。街宣車の場所確認やタイムスケジュールを確認し、しばし蒲田を離れて、都内中心部へ向かう。ある団体が主催して下さった中山恭子講演会の事前調整のためだ。

 熱烈恭子ファンのこの団体さん、今回は石原慎太郎共同代表、中山なりあき代議士も応援講師として会場に入る。橋下共同代表が蒲田入りしなければ、こちらに張り付きたいところだが、二足の草鞋ゆえそうもいかない。事前調整の内容を主催者と確認して、蒲田へトンボ帰り。

 15時30分から、私の前座、二人の都議会議員候補の演説を行い橋下代表の到着を待った。すでに蒲田駅前は、歩く隙間もない状態だ。すると、見知らぬ女性がタスキをかけて到着した。日本維新の会参議院全国比例候補予定者だという。名刺を拝見すると政治経験はなし。橋下共同代表と高校時代からの知り合いとか。聴衆に紹介して1分だけ演説をお願いした。

 私の経験から、無名の新人が全国比例に挑戦する場合、舞台を全国に拡げると失敗すケースが多い。地元だけをまわって全国比例に当選した無名の新人を何人も知っているし、大した知名度もない新人が全国をまわって落選した例も多すぎるほど知っている。私の経験則通りにならないよう、彼女の勝利を祈っている。

 聴衆の期待も最高潮に盛り上がった16時ピッタリに橋下代表が到着した。当初予定を超えるあつい演説に聴衆は魅了されたが、この場所の確保に協力をしてくれた他陣営からは、宣伝車を叩かれて抗議されてしまった。すまんな〜

 橋下代表の演説が終わり、また都内中心部の講演会場へ戻り、中山恭子議員の講演を聴き、会場の後始末などのお手伝い。時間は街頭演説終了時刻でる20時少し前。首都高の出口に近い都議候補の事務所に顔を出すと「候補者は街頭演説を終わりウグイスを蒲田駅まで送ってから戻る」とのこと。あらあら!

 街頭演説は、本日20時で終わるが選挙選は本日の23時59分まで行える。勝利を勝ち取る候補者は、まだ駅前にいるはずだ。もう一人の我が党の候補の事務所に向かう。もうとうに20時は過ぎている。やはりいた。小さな地元の私鉄駅前に彼はタスキをして立っていた。「おかえりなさい」と、降車する人々に声をかけていた。もはや必死の形相だが、戦う男の雄姿が見える。

 自分の事務所で夕食をすませ、夜10時前。誰が残っているだろうか、と蒲田駅東口に行ってみた。やはりいるではないか。区議会議員の後輩である、民主党の若い候補者が、やはり「おかえりなさい」コールを行っている。彼は、選挙前からず〜と駅前演説を続けてきた。他党ではあるが、きっとこの努力は報われるだろうと思う。

 民主党や日本維新の会には「逆風」だと言われえいる都議会議員選挙だが、党の「風」で受かろうとしている候補者には、「突風の逆風」だろう。しかし、日頃から政治活動に精を出し、地に足のついた活動をしていれば、「逆風」の影響は受けないだろう。

 どんな大物が応援演説をするよりも、本人の努力に勝る王道がないのが「選挙」という試練である。「私の不徳の致す…」という敗戦の弁をよく聞くが、その通りである。負けたのは、候補者、あなたの自己責任である。決して党の責任ではない。党の責任だ、風のせいた、等と言っている輩には、選挙に出る資格はない。安定した公務員にでもなればよろしい。

 いずれにしても、必死に戦ったであろう、すべての候補者の皆さん、支援者。選対のみんさん、お疲れ様!!勝利の女神が全員に微笑みますよう!

 



2013年06月21日(金) 辛坊さん「すばらしい国に生まれた」海自への感謝

 どしゃぶりの雨の中、昼は参議院会館会議室で、新潟県の中山恭子応援団の皆さまと昼食会。終了後、ペットボトルの後始末、キーの返却を会館サービスセンターに行う。(初めていった!)秘書業務完璧!(残り1ケ月だが…蒲田駅前で日本維新の会松井一郎幹事長(大阪府知事)を迎え、都議候補の応援弁士にたち、夕方からは中山恭子議員と共に品川区大井町駅、さらに東村山駅に出向いて都議候補の応援演説を行った。

 自宅着は午後10時前。妻と娘は義父の納骨で不在。義父の納骨にも参列できない「ヤクザな稼業」である。

 自宅に戻り、お嫁さん(息子の)から父の日に頂いた特製ビールを呑んでいると、辛坊さん遭難のニュースが流れた。全盲のセーラーと共に、太平洋横断に挑んでいた、辛坊治郎さんが遭難し、海上自衛隊の救難飛行艇に救助されたとのこと。

 記者会見で辛坊さんは、多額の税金を使って救助されたことに感謝と反省の言葉を述べた後、次のように荒海に飛行艇を着水させた海上自衛隊を褒め称えた。

普通のパイロットだたら、あの海には降りない。僕は本当にすばらしい国に生まれたと思った。

 そう、日本は過去も現在も未来も、ずっと素晴らしい国なんだ。日本が嫌いな諸君!この海自の勇気に「憲法9条はんた〜い」とでも叫んでみろ!

 そして、もっともっといい国に、誇りある国にしていこうではないか。



2013年06月19日(水) カメレオンいぬぶし!いったい何屋さん

 今朝は、10時から党の東京都総支部の選対会議が開催された。党幹部の応援状況、各都議候補の戦い具合などについて報告され、残り3日の戦術が議論された。

 特に、都議候補については客観的に勝てそうな候補、今一歩の候補、ちょっと無理な候補と色分けをさせて頂いた。その結果は、今は書けないが私の当落予想と一人も違わなかった。

 選対会議での立場は、選対幹事(衆議院東京都第四選挙区支部長)である。ところが、選対会議の合間をぬって、中山恭子参議院議員の選挙立候補手続きを、同じフロアの党担当者と行った。この立場は、中山恭子選対事務局長である。

 さらに、総務省選挙部に出向いて、立候補書類の「事前審査」を受けに霞が関へ。これは、立候補当日に、間違いの修正など、ドタバタしないために、書類を事前に確認して、公示当日は単に書類の受け取りだけのセレモニーにする、という制度である。

 二人の担当者が審査して、無事終了。これで、あとは選挙公示を待つばかりである。総務省での、私の立場は、「選挙責任者「である。

 事務所に戻ると、会社経営者の顔が待っていた。あるテレビ番組の担当者からの相談ごと。普通の会社では出来なだろう案件だ。「出来ないこと」を「やる」ことが、私の最も喜びとするところである。

 ひと段落していると、党幹部から「都議選最終日に大物が蒲田に入るから準備せよ」との指示が入る。さっそく、二人の陣営に連絡し、所轄警察署へ報告。他の政党と調整を始めた。

 すると所轄署が困惑していることが電話口からも伝わってくる。な、なんと6月22日16時から、蒲田駅西口には安倍総理が入るのだそうだ。西口は安倍総理、東口は橋下徹日本維新の会共同代表。なぜ、蒲田。それも同時刻。大田区が注目を浴びることはいいことだが…

 いずれにしても都議選最終日に、蒲田の地で大舌戦バトルが展開される。いや〜なんとも楽しみではないか。



2013年06月18日(火) 連呼はうるさいだけ!マイナスでっせ!@都議会選挙

 はたして、選挙戦の王道はあるのだろうか?どうしたら票が取れるか…これは、各級選挙での候補者の命題である。過去に東京都選挙管理委員会が、「なぜ投票したのか」というアンケート調査をしたことがある。その結果は、「ウグイスさん」には申し訳ないものだった。

 宣伝カーの連呼により投票:0.1%という結果だ。先日、ある吞み会で都議候補の知人が「今朝8時すぎから、知り合いの都議候補が名前を連呼していた。嫌がらせにしか思えない。絶対、投票しない」と怒っていた。

 自分が候補者ではない選挙は客観的に見ることができる。街は、都議会選挙に実に無関心である。必死なのは陣営と候補者だけ。冷静に有権者の投票行動を見極める努力が必要だ。

 では、選管の調査で投票理由のトップは何か。それは「知人、友人に頼まれたから」というものだ。いかにも、日本人らしい主体性のない判断基準だが、多分、事実はそうなのだろう。主権者意識の欠落を嘆いたところで始まらない。

 各候補者の皆さん!僭越ながら、いまからでも遅くない!意味のない連呼はやめて、直接有権者に訴えられる方法と、知人、友人のネットワークを駆使した票固めに尽力されたい。

 ところで、最近は週1回は飛行機に搭乗している。私は、上空の景色が大好きだ。雲海を見ると、天国があるような気になるし、眼下の小さな家々を見ると、日々の悩みがなんて小さなことなのか、と思える。

 先日、広島からの帰路の写真。I-phoneで撮影した素人写真にしては、我ながらいい感じだと思う。(中央に小さく富士山が見える)







 票の多寡、支持率の上下などに惑わされない、大自然の摂理、宇宙の法則に則った生き方をしたいものである。



2013年06月17日(月) 中山恭子議員と走る!走る!ご縁に感謝の新潟県訪問

 しかし、凄い体力である。私のことではない。中山恭子参議院議員である。参議院議員選挙まで残すところ17日に迫ったが、とにかく東京に居ることがない。日本中からの講演依頼で早朝から深夜まで活動をしている。今日も朝7時の新幹線で待ち合わせて、新潟へ出発したが男性の私でも5時起床だから、女性であれば4時すぎには身支度を始めるのではないだろうか。

 今日の訪問先は新潟県だ。最初の訪問地は、佐渡である。拉致被害者だった曽我ひとみさん、ジェンキンスさんご夫妻に会うために向かう。行程によれば新潟駅から新潟港出港まで1時間の余裕があることになっている。私的には「もったいない時間」だ。

 新幹線の中で、新潟県の「政治的友人」を想い浮かべると、いるではないか!JTB代理店を経営していた時代、えらくウマがあうJTB管理職のKさんがいた。その彼が、JTB新潟支店長から、新潟県観光監をへて、新潟県議会議員になっている。さっそく電話をした。「もうすぐ新潟に着くのだが、港で会えないか」突然のアポに、彼は相変わらずだな、という感じで応えながら快諾をしてくれた。仕事の出来る人間は、突然にも即応してくれるのが常だ。出来ないヤツほど、理由をつける。

 いざ、新潟駅到着。なんと、中山議員の後ろから、たまげる人が降りてくるではないか。放送大学大学院で私の指導教員を務めて下さった「鬼の」T先生だ。現在は、新潟県立大学の准教授に異動されている。偶然ではない。必然である。だから人生は面白い。T先生は「もっと早く言って下されば学生を集めたのに。僕の講義を聴きにくる市会議員に連絡しておきます。戻りの船を教えて」と。

 不思議な再会に驚きながら新潟港に向かう。新潟港での、K県議との突然の面談。JTB時代に北朝鮮に何度もチャーター便を出しツアーを企画した彼の平壌裏話には、中山議員も興味をもって応じていた。さらにタマげたのは、6年前の参議院選挙で新潟駅前で宣伝車の上で中山議員の演説の司会を務めたのがK県議で、その時新潟県中越沖地震が発生したのだそうだ。ご縁である。

 静かな凪の日本海を滑るように進むジェットホイルの旅は快適だった。佐渡の港まで約1時間。港には、前の佐渡市長さん、市役所の拉致問題担当係長(兼職)、曽我ひとみさんが出迎えてくれた。それから、曽我さんの勤務先、御主人ジェンキンスさん、お二人の娘さんの勤務先などを訪問。日本での生活再建が順調であることが確認できた。



 曽我ご夫妻との昼食で、ジェンキンスさんがほとんど話されない。ひとみさんにうかがうと、英語がしゃべりたくて仕方なにのだが、話せる人が佐渡には少ない、とのこと。え〜い、では下手くそ英語で行くか!

 ジェンキンスさんは、自書の印税などが入ってきたが、余りに高い日本の所得税と、貰える可能性がない年金保険料に苛立っていると語り始めた。それからは、川の堰が壊れたように、機関銃のように英語で話しかけられた。ただ、強い南部訛りの早口の英語にはまいったが…元気に、おみやげもの屋さんで、看板おじさんになっている。



 訪問を終わり、佐渡港に向かうが出発10分前になっても車窓から港が見えない。心穏やかでないが、市役所の係長さんも前市長さんも焦る様子がない。港に到着は出港3分前。桟橋まで中山議員と、走る!走る!

 朝、新潟駅で出あったT先生が、教え子であるF新潟市会議員に連絡を取って頂き、新潟港に迎えの車を手配して下さった。なんと、F議員も日本維新の会で、以前から中山恭子議員の応援団だったというではないか。これも不思議なご縁だ。



 地元の有志の方のミニ集会に参加した後、F議員と参議院新潟地方区出馬の候補予定者の街宣カーで、にわか街頭演説を行った。凄いのは、トラックを改造して作った看板車。石原・橋下両代表の顔と「志」の文字が大書されている。資金潤沢な選対なのだな、と羨ましかった。



 すでに時間は、午後6時を過ぎている。次なる訪問地は、長岡だ。長岡駅構内の喫茶店に、旧知の市会議員らが集まり、中山恭子議員のミニ選対会議を開いている。そこに合流し、1時間余り懇談した。

 さあ、帰京だ。腹がへっては戦が出来ぬ。駅弁屋に走る!な、な〜にーーー!!!!「本日は完売しました」嗚呼、長い一日お疲れ様でした!

 



2013年06月16日(日) 衆議院議員とカバン持ちの違い?

 今日は朝から広島出張である。都議会議員選挙の最中、それも一回しかない日曜日に東京を離れるのは実に残念だが、外に出れる人材不足の中山恭子選対、やむを得ない。中山恭子議員の美人政策秘書さんが「平沼先生とご一緒ならいぬぶしさんがいい」と、御推挙頂いたようだ。

 日本維新の会広島県総支部の設立総会への参加である。来賓として平沼赳夫副代表、中山恭子参議院議員が招待され、中山議員のカバン持ちとして同行した。

 原爆ドーム近くを車が通過する際に「平沼先生、過ちは繰返しませんから、という文言が気に入らないのです。そのあとに、アメリカ合衆国大統領、とついていれば許しますが」とお話すると、平沼赳夫先生は「いぬぶしさん、広島でも街頭演説やりますか!」と応じて下さった。我が国、稀有な政治家と身近にお話出来る今の立場は、本当にありがたい。

 総会の会場の舞台壇上には、中丸啓衆議院議員(1期比例中国36,993票)、坂元大輔衆議院議員(1期比例中国38,919票)が総支部長、幹事長として登壇されている。ちなみに、私の衆議院選挙の票は、44,999票。このお二人より多い。が、東京ブロックでは、比例復活は山田宏代議士のみという悲惨な結果、私は舞台の下にいる。僭越ながら、中山恭子参議院議員のご主人である中山成彬衆議院議員(比例九州37,198票)も、実は私より得票率、惨敗率共に下なのだ。選挙区事情ににより、支持して下さる票だけではない、運不運が存在する。

 ただし、私は決して壇上にいる方々を羨んでいる訳ではない。政治経験がまったくないお二人の代議士が、総支部を立ち上げ、参議院地方区の候補者を支えることは並大抵のことではない。

 人間の人生は、必ずどこかでツーペイになると信じている。したがって、今は私の立場である「中山恭子選対事務局長」「衆議院東京第四選挙区支部長」というミッションを、手を抜かずこなすことが重要だと思っている。

 羽田空港着18時40分。東国原代議士が蒲田駅西口に都議会議員選挙の応援に来るのが19時。必死に車を飛ばし蒲田駅到着。19時30分。すでに、東国原代議士の姿はなく、都議候補からは「都議選の最中にどこ言ってるんですか!」と苦情を言われる始末である。

 二兎を追っているつもりはないのだが、やはり選挙区支部長としては、地元にいたい気持ちは山々である。が、明日は曽我ひとみさんに会いに佐渡ケ島に出かける。すまんな、都議候補の皆さん!火曜日からは、地元にいますから…



2013年06月15日(土) 候補者が選対本部長兼務はダメ!神輿に乗るだけ

 都議会議員選挙二日目。大田区から立候補している候補者二人の選挙活動に少しだけご一緒した。年配のほうの候補は、もっぱら自分が宣伝カーに乗車して区内練り歩き作戦。

 若い方の候補は、駅前街頭演説作戦、とそれぞれが特徴的な戦い方をしているが、共通項が一つあった。それは、いずれの選対も、指示、決定は候補者本人である点だ。こいつはあまり感心できない。

 選挙前から、候補者は選対のことに口をはさむべきではないと私は思っている。でないと、選対が「勝手にやれば!」と、口には出さないが思ってしまうケースを自分自身を含め、沢山見てきたからだ。

 それには、選挙に精通した選対幹部を見つけることが重要で、さらには、形だけではない選対会議の開催も必要である。形だけの選対会議を行っているケースがいかに多いことか。候補者は、神輿に乗って「当選」を勝ち取るようでなければなるまい。

 それにしても、いぬぶし選対は素晴らしかったな!と、今更ながら、支援者の皆さまに感謝である。



2013年06月14日(金) 都議選告示日は大阪府堺で焼き肉!

 今日は都議会議員選挙の告示日である。大田区でも現職8名と新人5名の合計13名が立候補の届け出を行った。日本維新の会は、68歳と38歳という年齢差のある二人の候補を公認候補として擁立して戦うことになった。

 党の第4選挙区支部長としては、両候補に勝って頂きたいが、世論調査の結果は、それほど甘くはない。

 午前11時から片方の候補の出陣式があるというので、中山恭子議員と合流して出向いた。決して良い場所とはいえない本部事務所には、地元の方々が50名程度集まっていた。


 松野国会議員団幹事長、中山恭子議員をさしおいて、まず私の挨拶と言われ、あわてたが、地元という配慮だろう。候補の人となりを話し、支援をお願いした。応援演説で、時として長々と自説を語ったり、候補と関係ない話しをする応援弁士が見受けられるが、支援者にとっては「応援」どころか迷惑でしかないので、気をつけなければならない。

 自分の話しを終えて、他の弁士の声を聞いていると、宣伝車のスピーカーの音がおかしいことに気付いた。どうやら、前後にあるスピーカーのうち、前部のスピーカーから音が出ていないようだ。さっそく、聴衆にわからないように屋根上にあがると、な、なんとスピーカーのコードが切れているではないか。あわてて、つなぎ治し、近所のコンビニでビニールテープを買い、事なきを得た。戦いの最中、即応体制が必要である。

 出陣式も終盤になったが、中山恭子議員と大阪に飛ばねばならないので、失礼をして羽田空港に向かった。道すがら、「そうだ!Iさんの会社に顔を出そう」と、私の大の支援者であるIさんの会社で中山議員と下車。

 突然のビック訪問に、社内は騒然。さすがに人気者の中山恭子議員であった。

 羽田から向かう先は、大阪府堺市の焼き肉屋さんである。地元の連合町会長さんと、焼き肉屋の社長さんが「中山恭子さんを応援する会」を開催して下さるのだ。


 会場には、200人近い聴衆が集まっており、なかには地元の西村真悟代議士の姿もあるではないか。焼き肉屋さん着が18時半、出発が20時。嗚呼、焼き肉食べたかった…

 羽田空港着22時35分。慌ただしい都議会議員選挙の告示日だった。



2013年06月13日(木) いよいよですね!明日から都議会議員選挙

 衆議院選挙が終わり、支部長解任、都議出馬検討、都議出馬断念、衆議院支部長再任、中山恭子参議院議員選対事務局長就任、とめまぐるしく動いた半年だった。そして、一時は自分自身が候補者になる可能性のあった都議会議員選挙が明日告示される。

 大田区では二人の公認候補予定者を擁立する。それぞれ、選挙区支部長の立場として支援しなければならない。今日は、それぞれの候補者の宣伝カーの事前審査を受け持った。

 宣伝カーは、告示当日に所轄警察署の「設備外積載許可」と受けて、初めて走れるのだが、事前に看板の大きさ(最大273X70cm)や、地上からの高さなどのチェックを受けなければならない。(当日行ってもいいのだが、スムーズな手続きのために事前に確認を受ける)

 一人の候補者の宣伝カーの地上高が規定より5cm高いことが一昨日判明し、再度の挑戦である。道路使用許可担当の制服警察官と供に、私服の目つきの怖い(すみません)刑事課知能犯担当刑事が傍らから目を見張る。

 選挙担当者は「知能犯担当」なのだ。議員等、さほどの「知能」があるとは思えないのだが、組織上そうなっているらしい。日頃、街頭演説で道路使用許可をとっているので、書類自体はなれたものだが、試験を受けているようで、「合格」と言われるまでは落ち着かない。

 30分程度待って無事2台とも合格。それぞれの陣営に引き渡しミッション終了。明日の選挙告示日には、2陣営に出向き、それから中山恭子議員と大阪へ「高飛び」である。帰京は、同日深夜11時。

 なお、公職選挙法の規定により、明日以降選挙終了まで、特定候補や特定政党の有利、不利になるブログの更新は出来ないのでご了承いただきたい。いささか「激辛」ではなくなるかもしれない。



2013年06月12日(水) どうなる参議院選挙&都議会選挙

 今朝は中山恭子選対会議が開催された。参加者のうち、公務員定年退官者でないのは、私を含めて2名という会議。仔細は書かないが、なかなか大変である。また、過去の自分自身の反省も込めて思うのは、選対に候補者本人が出席するのはやめたほうがいい場合が多い。

 午後は、都議候補の宣伝車の警察事前審査指摘事項の修正などで大忙し。夕方から、「平成の大講演会」なる講演会に、保守系のよしみで講演者ではないのに、中山恭子議員を幕間に入れるお願いをした。ところが、参議院拉致問題特別委員会が延びて、到着が30分遅れ。

 講演中の、日本文化チャンエル桜の社長さんが、快く講演を中断して下さり助かった。挨拶の後、足立区の現職都議の決起大会に参加。民主党から維新に移籍しての挑戦だが、民主党時代に組合頼みの選挙はしないで、独自の組織を作られたことが実感できる大会だった。

 都議会議員選挙の公認候補予定者の方とお話したり、街頭活動を拝見していると、あえてお金をかけた世論調査をしなくても、だいたいの情勢がわかる。(ただし、自分のことはわかない…)

 都議会には、日本維新の会から35名の公認候補予定者を擁立しているが、私の勝手な尺度と、選挙区事情から優勢7名、微妙3名、合計10名程度が可能性有と思われる。無論、明日から始まる選挙戦の戦い方で、浮動票を取り込めれば、この数は伸びるだろうが、極めて厳しい状況であることは間違いない。どうか、各陣営とも全員当選を目指して頑張っていただきたい。

 そして、7月4日公示の参議院選挙。1月頃はマスコミ各社の予想は10議席プラス・マイナスだったが、直近の調査では3議席程度と予想するところが多い。いやはや、どうしたものか…

 選ばれる立場を経験した者としては、マスコミに動かされないしっかりとした目で、主権者としての意思の表明をお願いしたい。



2013年06月11日(火) いよいよ選挙選開始直前!

 朝5時起床。鹿児島中央駅発6時10分のリムジンバスに乗り、鹿児島空港に向かう。一便の東京行き7時35分に搭乗するためだ。周囲からは、いつも「ゆくっりしてくればいいのに」と言われるのだが、自衛隊時代からの訓練成果か「のんびり」することが出来ないのだ。したがって、食事もアッという間にすませる。口癖は「早く食べないと北朝鮮が攻めてくるかもしれないから」である。

 ANAで予約したのに、なんと飛行機は見慣れないペイントのソラシド航空!(ドレミファ航空のほうがかわいいと思うが)どうやら、ANAとの共同運航便だそうだ。羽田の発着枠が決められているから、各社共同運航をしているらしい。そういえば、行きは「ハワイアン航空」だったけ。

 国会から座席予約をすると、だいたい前方通路側になるようだ。この席は降りる時や、ビジネスクラスにいる中山恭子議員と打ち合わせには便利なのだが、離着陸時にスッチーいえ、客室乗務員のお姉さんがこちらを向いて座る際、バッチリ視線が合う席でもある。

 今日もキレイなお姉さんが目前に座る。視線を会わせまいとするが、瞬間目があってしまうことがある。ここで、彼女の接客業の本質が出るのだ。上級の乗務員であれば笑顔が返ってくる。中級は無視。初級もしくは低級の乗務員のお姉さんは「何見てんだよ!オヤジ」といいわげな怖い顔をする。ソラシド航空さんは、残念ながら低級レベルだった。見るもんか!

 東京に戻り自分の事務所で、参議院選挙の事前申請の準備をしていると、都議候補二人の陣営から支援の連絡が入る。出陣式にきてくれ!ハガキの名簿くれ!宣伝カーの手続きは…党本部からは「参議院選挙の党ポスターの必要枚数は?」さらに、地方の支持団体からの連絡。わお!!!!!待ってくれ、みんな。今順番にやるから。



2013年06月10日(月) 中山なりあき&恭子 講演会@鹿児島

 今日は、朝5時起きで羽田空港に向かった。鹿児島県鹿屋市、鹿児島市で「中山なりあき&恭子講演会」を開催するためだ。まったく土地勘のない場所での会場手配や講演会開催は、いささか戸惑ったが、やっと当日を迎えることができた。

 鹿児島空港には、中山なりあき代議士の地元(宮崎)の秘書さんが出迎えてくれ、彼の運転で鹿屋市に向かった。途中、近道だということで、山間部の県道に入ったが、今にも道がなくなりそうな細い山道に、思わず「全国比例区は凄いことだ!」と苦笑してしまった。

 空港から車で1時間半、やっと会場の鹿屋市に到着した。日中、街中に人影があまりないこの街で、はたして講演会が開催出来るのだろうか、と心配したが、開会前に会場は満席となり一安心。在京の地元出身である中山恭子ファンが超党派で支えて下さった結果だ。



 会場となった鹿屋市民交流センターで、会場の使用にあたりハンコがいる、と告げられた。誰でもいいという。(そんなの意味ないじゃん!)私を含め誰もハンコの持ち合わせがない。サインではだめか、と聞くがハンコだという。なんとも「お役所的」な対応の、小奇麗なお姉さん。わかりましたよ!ハンコ屋さんは近くにないの?目の前にある、と教えてくれた。地域産業育成のための仕掛けか…500円を払って「中山」の印を買い無事手続き終了。

 講演会終了後、フェリーで鹿児島に向かう。桜島は曇っていて見えなかったが、いやはや鹿児島県は広いなぁ!



 鹿児島の講演会は、ある団体が主体となり「300名は堅い」と豪語されていたので、それなりの会場を確保した。開始10分前、来場者数人……ええっ
結局、300名と言われていた団体の関係者は10名余り。中山なりあき代議士関係者や一般客が50名ほど。合計70名での開催となった。開始10分前の集まり具合には、会場から逃げ出したい心境だったが、まあ、まあの集客で安堵した。

 予定時間をオーバーしてのお二人の熱のこもった講演会が終わり、参加者の何人かの方々から「あんた司会うまいね。何やっている人?」との質問を受けた。しまった!集客のドキドキで、司会の自己紹介を忘れちまった。すみません。議員やってました!「どうりで口がうまい」…口だけじゃないんだがな。



 中山ご夫妻は、終了後、宮崎の実家に移動。私は最終便で帰京しようと思ったが、もはや間に合わない。今回の講演会開催がご縁で知り合った方が「いぬぶし君付き合え」と、鹿児島屋台村に誘って下さったので、喜んでご一緒した。



 東京では廃れてしまった屋台村。鹿児島では健在で、賑わっていた。その後、ずうずうしくも屋台村で同席した方のご自宅にまでうかがってしまった。「お茶にしますか?コーヒー?」との奥様の気遣いに「いえ、この時間にカフェイン系は眠れなくなるので、ビールを…」と、失礼な返事を返してしまった。

 冷蔵庫にビールがないと、奥様はコンビニに走ってくださった。すみません!嗚呼、日本は広いな!いい国だ!ビールが旨いぜ!



2013年06月09日(日) 六郷神社例大祭二日目。駅前は、ほとんど都議会議員選挙本番?

 今日は地元、六郷神社の例大祭二日目である。昨日は町会の御神輿や、曳き太鼓が各町内を巡行したが、今日は「神社神輿」が巡行する日である。各町会は、それぞれの神酒所で「接待」を行うのだ。

 私も、お祭大好き人間(実は、お祭り騒ぎ大好きの誤り)なので、このシーズンは、各町会の神酒所で「御神酒」ならぬビールを頂戴している。今年も、と思ったが、ちょうど都議会議員選挙が来週14日から開始されることもあり、のんびり酔っ払っている暇はない。

 午後一番に、蒲田駅前に日本維新の会、東京都総支部代表の山田宏代議士、参議院東京地方区公認予定候補の小倉淳氏が回ってくる。場所取り、前座の演説などをしなければならない。


 午後1時には、都議会議員柳ケ瀬裕文氏の宣伝カー、私の宣伝カー、そして党本部の宣伝カー3台が蒲田駅前に集結。維新一色の駅前となった。やはり、維新の支持率低下は、ビラを配っていても感じる。田母神元航空幕僚長、西村眞悟元防衛政務次官、中山なりあき元国土交通大臣など、「本当のことを言って」職を追われた方も多い。

 いつの間にか、我が国は「本当のこと」を発言するとマスコミの餌食になり、その報道に騙された国民のバッシングにあう、というおかしな構図が出来上がってしまったようだ。

 いかなるバッシングがあろうとも、真実はひとつである。支持率など気にせず、正論を訴えていかなえばならない。

 それにしても、蒲田駅前は、各政党の場所取りが激しくなり、もはや都議会議員選挙本番の様相である。はたして、2名を擁立している我が陣営の勝敗はいかがだろうか…



2013年06月08日(土) 六郷神社例大祭1日目 政治と祭り

 地元の六語神社例大祭も本日の町会神輿巡行、明日の神社神輿巡行と最高潮に盛り上がっている。神輿の担ぎ手は、大田区内はもとより各地から、それぞれの半纏を着て駆け付けてくる。


 町会の御神輿は、町内各所で休憩をし「接待」を受ける。私の住んでいるマンションは、建築されてから18年以上、地元町会とは一切の関わりを持たない「孤島」だった。もちろん、町会にも加入していなかった。私は、町会活動について、積極的支持者ではなかったが、東日本大震災の被災地支援でみた「行政が頼れなくなった時」の町会の素晴らしさを見て、いささか想いがかわった。

 私が管理組合の理事長になった4年前、何人かの「積極的反対」を押し切り、総会で町会全員加入を決定した。続いて、マンション敷地内において、有志による神輿接待を提案した。これも、一部の方から批判が出たが、理事会の許可を得て、恒例行事となった。

 本日も、17時半から町会神輿の休憩に合わせて、有志による接待をすることになった。集合ポストに「支援のお願い」という書面を入れると、お金やらお手伝いの申し出が、私の自宅のポストに届く。

 御神輿の接待に参加しても「具体的な利益」は生じない。しかし、それでも支援して下さる姿勢がありがたいし、日本人の伝統文化を感じる。まだまだ、捨てたもんじゃない、と。


 お祭でも政治でも、傍観者と主宰者がいる。主宰者にはならなくても、積極的に参加する姿勢を持つ人もいる。どちらがいいだろうか。傍観者のほうが圧倒的に楽だ。私は出来ないが。

 そして、腹がたつのは悪意の傍観者である。接待所では、誰でもビールや食べ物を取ることができる。すると、袋いっぱいに缶ビールを詰め込んでいる輩が必ず毎年いるのだ。わが接待所では、そんなヤツに持ちかえらせないために、今年からびんビールに替えたところ、消費量が圧倒的に減ったのだ。

 不正な生活保護請求、ウソツキ失業手当受給、接待所での飲み物持ちかえりなど、一見「得」をしたような気にはなるが、実は自らの心に、そして、その姿を見ている子供たちに、大きな「負」を与えている。

 ビニール袋に沢山の缶ビールを入れている半纏も着ていない知り合いの姿を見た時、コイツは絶対に信頼できない、と残念ながら確信した。政治の世界でも、こんなヤツが多いのが実情だ。

 参議院選挙が終わって、はたして何人の落選者が日本維新の会で活動を続けていくか。缶ビールをかぱらって逃げる輩に成り下がるのか、見ものである。ちなみに、「たちあがれ日本」で、前回参議院選挙に出馬して落選したほとんどの候補者は、党から離れて行った。

 バカお笑い番組に出ている杉村何某、監督に戻った中畑、そして、東京地方区に出たわからんちんの女弁護士は結婚。前回の衆議院選挙で「衆議院選挙を辞退して都議選にまわってくれ」と私に非常識な電話をかけてきた、みんなの党の衆議院候補も、すでに政治から足を洗ったそうだ。嗚呼、なってこった!



2013年06月06日(木) 日本維新の会 パーテイin東京

 今日は、日本維新の会初の東京でのパーテイがニューオータニで開催された。来賓に猪瀬東京都知事を迎えた会場は、身動きできないほどの盛況である。

 最初の挨拶は、平沼赳夫国会議員団代表である。若い新人議員の多い中、平沼先生の毅然とした存在は、なんとも心強い限りで、最初の挨拶に選んだのも極めて正しい選択である。


 続いて、石原・橋下両共同代表による対談となった。

石原:自民党は所詮、バラマキ政党だ。何かやろうとすれば、業界団体の反対にあい、公務員改革では組合の反発を食う。だから、何もできない。

橋下:選挙が近づくと、自民党は憲法改正を言わなくなった。自民党が絶対に踏み込めないところを踏み込むのが日本維新の会だ。

 しがらみのない政治、公務員改革を、ということがお二人の対談の要旨だったが、危なかったのが公明党についての発言だ。

石原:自民党も公明党とくっついているから憲法改正ができないんだ。さっさと別れちまえばいいんだ。

橋下:ちょ、ちょっと待ってください。大阪市議会は公明党のおかげでうまく運営できているんです。地方議会はちょっと違います。

 乾杯の段になったが、あまりの人の多さで、乾杯の飲み物がない。流石のニューオータニも手が回らないらしい。乾杯後、ずいぶん時間がたっても、ビールがない。止む無く、水割りで渇きをいやした。

 飲み物がそんな感じなので、到底「食べ物」までは行きつかない。はたして、食べ物は何が出ていたのか、まったく拝見できなかった。

(中山なりあき・恭子ご夫妻と)
 以前からのアポイントメントで、ほとんでお開きになってから会場に到着された中山恭子参議院議員。残っていたお客様から握手攻め、写真攻めにあい、ホテル側から「そろそろ」と、宴会場から出されてしまった。握手された皆さま、どうか夏の陣まで、その感触を忘れないで!

 ありがたかったのは、平沼赳夫先生、藤井孝男先生から私の支援者に対して「この人は国政に必ず出る人だから」と言って下さったことだ。

 腹へった!焼鳥屋に行こう。しかし、ニューオータニの焼鳥屋美味いけど高いぞ!新橋に行けばよかった…



2013年06月05日(水) まだかしら?政党助成金口へのご入金

 昨年12月16日落選決定と共に日本維新の会の支部長を解任され、3月30日の党大会で再任をされた。一般的に、衆議院選挙区支部長は、いくばくかの活動費が党から支給される。ただし、「フツーの政党ではない政党」を目指している日本維新の会には、この「一般論」は当てはまらなと思っていた。(つまり、党からの活動費はでない)

 ところが、先月初めにすばらしい連絡があったのだ。政党助成金口という口座を至急作るようにというものだ。ええ、そうですか!期待していなかったので喜びもひとしおである。それから、毎日のように銀行のATMで印字をするが、本日も残高「0」である。

 大阪の党本部に確認すると「決裁待ち」だそうだ。ずいぶん「待」っているんだがな。そして、今日、党本部から封筒がついた!!おお、ついに来たか「入金通知」が!と、勇んで開封するとショックが大きかった。

 そこには「特別党費納入のお願い」とあるではないか。どうやら、選挙区支部長や現職地方議員は「特別党員」として、党費月額1万円を払うことに決まっているらしいのだ。(知らなかった!)したがって、4月分から12月まで9万円を振り込むように、との「お願い」である。

 了解!すぐさま振り込みましょう。ただし、中央官僚機構を打破する、との我が日本維新の会の党本部事務局が「お役所仕事」にならないように、こちらにもお早目のお振り込みをお願いしたい。どうか!



2013年06月04日(火) いぬぶし公職選挙法違反で警告!

 私は現在、参議院選挙対策本部事務局長、党衆議院選挙区支部長、会社経営者、といくつかの「顔」を持つ身だが、いずれも今「佳境」である。無茶苦茶忙しい。「急ぎの仕事は、一番忙しいヤツに頼め!」というのが、私のモットーであるが、その「一番忙しいヤツ」になっている昨今である。

 使い勝手がいいいのか、それぞれの立場で、様々な仕事の依頼が舞い込んでくる。妻や事務所スタッフからは「なんでも引き受けるな」と、お叱りを受ける。しかし、そのお人よしの私も、流石に今日は「他の奴に頼めよ」と怒鳴りたくなる程の忙しさだった。

 その超多忙の中、事務所のスタッフが神妙に電話口で謝っているではないか。電話を終わり事情を聴くと、所轄警察から「警告」の電話だという。先日、蒲田駅前で行った「維新の会統一街宣活動」での、私の宣伝カーが公職選挙法に抵触するというのだ。

 選挙後何回もこの宣伝カーで街頭演説をしているのに、初めての「警告」である。さっそく、所轄の刑事課長代理に電話をして事情を確認をした。疑義があれば、所轄警察か選挙管理委員会に徹底的に聞くのが私流である。

 どうやら、私の宣伝カーの前後にある「いぬぶし秀一」という文字が、公職選挙法に抵触するらしいのだ。不思議な法律である。では、「いぬぶし秀一」と大書したポスターはどうか?「弁士 犬伏秀一」と書いた垂れ幕はどうか、と、御指導を仰いだが、「詳細は選挙管理委員会に」と言われてしまった。

 では、選挙管理委員会に尋ねると「最終判断は警察です」と。いったい、どうしたらいいのだろうか?本来「お金のかからない選挙」を目指すための公職選挙法が、いつのまにか、有権者に「政策と伝えづらく」する法に変化し、結果として組織政党に有利になってしまったことは残念なことだ。

 とは言っても「悪法も法」である。課長代理にはお詫びを申し上げ、再発防止をお約束した。すみません!





2013年06月03日(月) パーテイ三昧の一日

 また1週間が始まる。但し、土日は休みという感覚がないから、「始まる」という意識もあまりないのが実感でもある。今日は、朝一番に選対会議。いよいよ参議院選挙まで31日と迫った。ポスター、選挙ハガキ、街宣車など手配することは山ほどあるのだが、お役所定年退官者を中心とした選対には、聊か大変かもしれない。

 大急ぎで選対会議を終わり、地元に戻った。六郷神社例大祭参加のためだ。本日から、6月9日まで毎年恒例の例大祭が挙行される。本日は、神社総代など関係者が神前において神様をお迎えする儀式だ。

 式終了後は、直会だ。昼間であっても、当然お酒が出る。気温も急上昇中。目前のビールが誘う。いや、だめだ。まだ仕事がある。前の席に座っていた自民党区議が「いぬぶしさんが呑まないなんて、どうしたのですか?」と、心配?してくれる。確かにそうだ。昼夜を問わず、ビールには目がない。でも今日はダメ!

 蒲田の事務所に戻り、事務処理をし、次はAPAグループ代表の誕生パーテイに出かけた。元谷代表ご夫妻とは、10年ほど前に李登輝先生主催の「台湾正名運動(台湾と呼称しよう)」のデモ行進参加のためのツアーでご一緒したことあある。たまたま、ご夫妻に同行されていた方が、自衛隊生徒の先輩ということもあり、お昼やお茶を台湾で御馳走になり、帰国後も様々なイベントのご案内を頂戴する。


 今回は、中山恭子参議院議員の代理としての出席である。パーテイの前座として、田母神敏雄元航空幕僚長が講演をされた。いつもながらのユーモアで会場を魅了された。「どうも、危険人物の田母神です。中山なりあきさんという方が、日教組は癌だ、といって大臣をやめた。私は日本はいい国だ、といって航空幕僚長をクビになった。正しいことがいえない国だ。」と。

 石川県の別々の信用金庫に勤めていたお二人が、労組の会合で偶然出会い、結婚。不動産会社を設立して苦労の末、現在のAPAグループを創り上げられた。大したものである。

 まだ、明るいうちに会場を後にして、地元都議の選対会議に向かった。大田区では2名の維新公認候補を擁立する。38歳の民主党出身と、68歳の自民党出身。支持層も違い票のバッテイングもないと思われるので、両方が当選してくれれば、と願っている。

 遅くに帰宅したが、長女はまだ帰宅していないようだ。4月から法科大学院に入学した彼女は、まわりの勢いに負けじと、学校の自習室で終電間際まで勉強するのが日課になっているようだ。もう1週間、同じ家にいなあら会っていない。

 娘に負けないよう、オヤジも頑張らねばなるまい!



2013年06月01日(土) なに!!!プロペラ機かい?大阪から福島へ

 昨晩の狂宴の疲れもあったが、西村宿舎で秘書さんから「愛のおむすび3個」を朝食に頂き、伊丹空港へ中山恭子参議院議員と合流するためにむかった。通常我々が降りるところではない、VIPの出口がある。到着まで優雅にコーヒーなど頂きながら待った。

 昨日の疲れもまったく見せずに、凛とした中山議員を迎え、本日の講演場所に向かう。1000人近い聴衆に、あのか細い声で切々と訴える。なかには感極まり涙する女性もいらっしゃる。私のような、イケイケドンドンの演説を聞きなれていると、より一層新鮮だろう。

 主催者のご配慮で、私のも発言の機会が与えられ、ご縁の不思議さと、来るべき参議院選挙の「投票方法解説」を行った。今の時期は「政治活動」であり、「選挙活動」を行うと「事前活動」に認定され処罰されるのだ。したがって、「特定の選挙」をさし「投票を依頼」することができない。やっかいな法律である。

 昼食をとり、次はなんと「郡山」に向かう。大阪と郡山。どちらもはずせない会合が重なった。そこで「元旅行会社経営」いぬぶしの出番である。伊丹(大阪)発、福島空港行きのフライトがあることを確認。この便に搭乗した。搭乗ゲートに向かってびっくり!ボーデイングブリッジがないではないか。歩いて飛行機に乗る。

 小さなプロペラ機である。航空自衛隊にいたことがありながら、私は高所恐怖症である。特に高層ビルはだめだ。飛行機んど「あきらめがつく高さ」は大丈夫なのだが、真下が見えるヘリや、空間が狭い「小型機」などは不得意なのだ。いや、まいった!1時間以上「恐怖」と戦わねばならないのだ。

 離陸直前に便意をもよおしてしまった。早く飛べ!飛んだが、なかなかシートベルト着用サインが消えない。緊急措置として持参した正露丸を水なしで呑みこんだ。早く〜!!!!

 プロペラ機でも結構早いものだ。1時間余りのフライトで福島空港に到着した。ここから40分かけて郡山のホテルへ。「講演会終了には間に合わせます「と主催者には連絡してあったのだが、乾杯が始まっていた。滑り込みセーフだった。

 会場内には顔見知りの方もおり、懇談していると和服姿の女性が「ええ、いぬぶしセンセイじゃないですか?」と声をかけて下さった。なんと、たちあがれ日本の政治塾「かけはし塾」の卒塾生だった。「こちらでできることがあったら何でもいってください」との言葉。ありがたい。志が同じ仲間ほど心強いものはない。

(女性参加者と故郷を合唱)

 豪華バイキング料理に箸もつけずに新幹線に走る。

 「中山先生、出発まであと1分です!」 


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