いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2013年05月31日(金) 西村眞悟先生に拉致?される@大阪府堺市

 今日は朝一番に蒲田駅前において、日本維新の会統一街頭活動を行った。「事件後」初の街頭チラシ配布であったが、無茶苦茶受け取りが悪い。衆議院選挙の1/10以下かもしれない。逆風を直に感じた朝だった。午後からは、中山恭子参議院議員と共に京都へ向かう。区議会議員だった当時では、まずお会いできない方々に出会うことが出来るのは、中山議員のおかげである。

 最初にお会いしたのは、京都に本社のあるある大手企業の社長さん。6年前の選挙から応援をして下さっているとのこと。私の直球の支援依頼にも、笑顔で応じて下さった。

 次は、京都市内でお医者様と幼稚園、お寺を営んでいらっしゃる支持者宅へうかがう。ご主人は、僧侶でありながら医学博士という「僧医」の称号をお持ちだ。終末期を自宅で迎える患者さんのために僧侶として心の安泰を説き、医師として対応するというお立場だそうだ。初めてうかがう称号に、妙に納得した。ちょうど会議中だった幼稚園教諭の皆さんと暫しの懇談の後、次の訪問地へ。


 次の会社は、婚活支援の会社である。さきほどのお寺さんも、この会社も、また最近お会いする多くの会社共通の特徴として「奥様が元気」ということがあげられる。本日の訪問には、創業者の会長、そして社長さんと共に、会長の奥様である専務が同席された。この奥様、饒舌なうえに、お歳をうかがってビックリ!82歳だそうだ。それで現役バリバリ。とても80歳代には見えない。

 3件を訪問して、中山恭子議員は新幹線で帰京。私は翌日、大阪で約束があるため、残った。さて、一人大阪で夕食を食べるのは淋しい。そうだ、あの方に電話をしてみよう。

 いまや、時の人になってしまった西村眞悟先生に電話をすると「おう、いぬぶしはんか!堺に来いや」と快諾して下さった。駅には顔見知りの秘書さんが迎えにきて下さり、奥様、息子さん、後援会幹部の方なども合流して焼き肉大パーテイになった。

 「先生!そろそろ大阪のホテルに帰ります」と、中座しようとすると「なにをゆうとんのか!堺を見捨てるのか。泊っとけ」嗚呼!!!ホテル代もったいない!息子さんや秘書さんが暮らす宿舎で、あらためて「宴会」…

 いやはや「何があってもへこたれない」西村節に勇気づけられた狂宴の夜だった。


(西村眞悟邸のかわいい老愛犬)しっぽを振ってきて番犬にはなるまい!



2013年05月29日(水) 馴れ合いか維新か?マンションの場合

 来月執行される東京都議会議員選挙。日本維新の会のキャッチフレーズは「馴れ合いか?維新か」である。大田区に限らず全国1800の地方自治体の行政執行は「馴れ合い」と言っても過言ではない。

 形ばかりの入札も「官製談合を疑う」高落札率(行政が決めた金額に近い)ものだし、見事に談合組織内業者が予算を按分できるうように「落札」する。監視すべき議会も「馴れ合い」だから、議論したふりをするが、実態は「質問」をして終わり。

 民間では、まさかそんなことはあるまいと思っていたら、自らの足元が馴れ合いだった。昨年から住んでいるマンション管理組合の理事長に就任した。ところが、この管理委託会社が再三ミスをする。それもケアレスミスである。

 この管理会社は、マンションが完成した直後から管理委託を受けており、すでに20年近く担当している会社だ。本社の社員さんが10人未満の小規模な会社だ。管理委託費の見直しも行われていない。

 そもそもマンション管理組合の役員は1年交代の輪番で、管理の素人だから大体、管理会社の言うがままに1年間を過ごすことが多い。そこで、今期で少しは「行政改革」を図ろうと、大手、準大手の管理会社2社から見積もりをとり、プレゼンを受けた。な、なんといずれの会社も現在の会社より年額150万円以上安いではないか。

 最終的には、180万円ほど安い準大手管理会社と契約をし、7月21日から移管をすることになった。さらに、エレベーター管理会社も検討したところ、独立系最大手の会社の見積もりが、現在年額70万円余りの保守料が50万円に下がった。

 あわせて年額200万円の減額となり、それを原資に老朽化していた入口オーt−ロック鍵をノンタッチキーに交換することにした。

 たかだかマンションの管理費ですら、「前年並み」を踏襲しているとこれだけの削減が見逃されてしまうのだから、国政、地方財政ではどれだけの「馴れ合い」があるかわからない。

 日本維新の会は、橋下共同代表の発言で支持率が急落をしている。が、だ。政治は「バラエテイ番組」ではないのだ。共同代表の発言一つで、我々「維新」の想いで集った所属議員、所属候補者の志はまったく変わることも曇ることもないだろう。

 もし動揺っしている議員、候補者がいたとしたら、それは志ではなく「選挙のために」同志のふりをしている仮面野郎です。

 都議会議員選挙、参議院選挙、有権者の方々の判断は如何に?

 馴れ合いか?維新か、



2013年05月28日(火) 参議院全国比例候補説明会@総務省

 今日は午後から、霞が関にある総務省地下講堂で参議院選挙全国比例名簿登載者説明会が開催された。開始10分前に到着したが、300人以上は座れると思われる大講堂は、ほぼ満席。最前列の空席に陣取った。

 13時より開始。配布されたタイムスケジュールを見ると、なんと終了は15時55分とある。3時間のロングラン説明会。いやはや、最前列に座るんじゃなかった。逃げれないじゃないか!

 区議会議員選挙でもそうだったが、小学生じゃないんだから、そんな細かく説明しなくてもいいだろう、というほど説明をする。詳細な説明書まで配布するのだから、わからない陣営は後で担当者に質問すればいいのだが、お役所のルールでは「詳細に説明した」という事実が必要なのだろう。

 要するに、公示の日に政党担当者が受領した選挙グッズをうまく受け取り、公費助成の書類をちゃんと出せよ。という説明だった。残りは、選挙ハガキの出し方講座と、無料JR券、航空券の購入法講座。

 無駄とは言わないが、この時間の担当官の人件費、出席者が公設秘書であれば、その人件費、さらには大講堂の光熱費など莫大な経費が費消されている。だとすれば、簡潔明瞭にすませ、「不明な点は担当部署まで」とすれば、お互い他の仕事ができる。

 壮大なる時間の浪費が、多くの公務職場で行われていることを区議会議員13年の間実感してきた。そして、この理由づけは、どのような事例でも「適正なる公務執行に必要なこと」なのだそうだ。

 本当に必要な仕事、省略しても差し支えない仕事の仕分けが必要である。大きな予算を使う仕事は「事業仕分け」などとマスコミなどに取り上げられるが、実は「小さな無駄」の解消のほうが、大きな結果を伴うと思っている。

 早く終われよ!読めばわかるから!



2013年05月26日(日) 様々な出自の維新の会候補者たち

 今日の一番目は、杉並区議会議員松浦芳子さんの「区議10周年区政報告会」だ。同じ保守系地方議員として日教組や歴史ねつ造漫画家らと戦ってきた仲間である。

 会場のホテルには、他県の県議の仲間まで応援に駆け付け、満席状態で、途中から席を参加者に譲り立ち見状態だった。最初に中山恭子参議院議員が祝辞を述べ、保守系の来賓挨拶が続く。

 国政に挑戦すれば、と思うようなエネルギッシュな活動の紹介に会場は大いに沸いた。がんばれ「杉並のお母さん」!今回の都議選では、御子息が挑む。

 夜は、東京都議会議員の柳ケ瀬裕文氏の決起大会に参加した。日程は聞いていたが、参加の要請がなかったので、予定にはいれていなかったが、大田区で開催するのに、他区の区議まで来るのに出ないのは失礼と、おしかけ参加した。

 会場の大きなスクリーンには、柳ケ瀬都議の活動がドキュメンタリータッチで描かれた映像が流され、それが終わるとライトが消え、ライトアップされた柳ケ瀬氏が登場する、という演出である。

 いやはや、流石、元広告代理店に勤務していただけのことがある演出である。来賓も元都議会議員(東京ガス労組出身)の後援会長、参議院東京地方区公認予定者のテレビアナウサー、比例候補予定のお笑い芸人、東国原代議士秘書と、バラエテイに富んでいる。

 登壇者の最後に挨拶させて頂いた。(柳ケ瀬氏は、順番を間違えたと詫びていたが、どうでもいい話である。トリということもある。)

出自の違う人が、日本再生のために手を取り合ったのが日本維新の会」。既得権益だけに配慮する自民党や民主党から、国民へ政治を取り戻そう。と。

 いやはや、様々な自らの政治的歴史や主張を乗り越え、「日本再生」に挑戦する日本維新の会。その本質は、東京都議会議員選挙と参議院選挙で試されることになる。

 「風」で当選しようと思っている方々は、今すぐに「辞退」すべきだろう。「逆風」に立ち向かう志士だけが残って欲しいと、同志として願ってやまない。



2013年05月25日(土) 教育再生に国民の声を!「民間ミーテイングin東京」

 区議会議員に当選するまでは、旅行会社社長として土日は大忙しだった。ショッピングセンター内に二つあった支店は来店客のピークだし、国内ツアーの添乗業務も土日に集中する。したがって、「土日に休む」という習慣がない。

 そして、議員になり益々その忙しさがヒートアップ。特に春から秋にかけての土日は、様々なイベントが花盛りなのだ。議員を辞めて少しは減るかと思いきや、逆に増えたかもしれない。

 今日は、「教育再生をすすめる全国連絡協議会」発足記念行事である「教育再生に国民の声を!」に、中山恭子参議院議員と参加した。登壇者の打ち合わせ会では、大田区在住の保守の論客、八木秀次高崎経済大学教授、私自身が所属している社団法人倫理研究所丸山敏秋理事長などと久しぶりの懇談をすることが出来た。

 さらには、あの恐るべき「教育のガン」日教組の組織内候補、輿石東参議院議員と山梨選挙区で闘い落選した宮川典子氏(現衆議院議員)の姿もあった。保守の欠点は、すぐ仲間割れをすることだろう。敵は保守勢力内ではない。ところが、反日勢力は、すぐさま「共闘・連携」を行う。党派を超えて、日本再生のために保守勢力は団結しなければならない。

 真面目な会場を後にして、立川に向かった。母校である立川市立第四中学校の同窓会に参加するためだ。卒業後2回ぐらいやっただろうか。今日は40年ぶりに会える同窓生もおり、楽しみな参加だ。

 会場にんったホテルのレストランには、いるいる。おじさんやおばさん達が。顔を見ただけでは誰だかわからない。名札を見て「おお!○○君か」という具合だ。

 遠くの席から、見覚えのある愛くるしい「ロボタン」が現れた。クラスは別だったが、テニス部で一緒に活動した仲間だ。名刺交換をすると、多摩地区の市役所の部長さんではないか。いままでのことを話すと「お前、相当、区の幹部に嫌われていいただろう」と笑う。そうよ!真面目に仕事すると、議員は嫌われるんだぜ!

 2次会でも話しは終わらず、3次会まで参加。流石に遠方なので中座したが、タイムマシンーンに乗ったような楽しい時間だった。交換日記をしていた憧れのIさん、相変わらず綺麗だったが、つれなかったな〜

 すみません!ビールないですよ!

 



2013年05月21日(火) 躍進の集い@大田区 成功裏に開催

 今日は、日本維新の会躍進の集い@大田区を開催した。これは、自民党出身の元区議会議長の永井敬臣氏、民主党出身の現職都議柳ケ瀬裕文氏と二人の都議会公認候補予定者、そしてたちあがれ日本出身の私と、出自が違い3名が、その違いを乗り越えて連携していこう、と私が主催して開催した。

 一昨年の3月7日同じ会場で、私自身の区政報告会を行った際は、用意して280名分の椅子が足りなくなり、急きょ足した経験を持つが、今回は集客をお二人の都議候補にお任せしたこともあり、いささか不安ではあったが、最終的には200名の方々にお集まり頂いて安堵した。

 最初は、山田宏東京都総支部代表(元杉並区長)のご挨拶である。当初、別の都議候補の日程が入っていたが、「両陣営に勝って欲しい」と参加された。杉並区長時代の経験から「行政改革」の必要性を訴えられた。

 続いて、中山恭子参議院議員の登壇である。拉致被害者の問題から見た国家観、さらには憲法問題と持論を展開され、特命全権大使として経験されたウズベキスタンの実情も話された。


 公務のため遅参された、平沼赳夫党副代表は、最近の維新の会幹部の発言と、西村真悟代議士の除名問題に、相当突っ込んだ発言をされた。テレビ、新聞各紙が取材に入っており、ドキドキしてしまったが、いつもながらの「平沼節」は、偉大な政治家を感じさせるものがある。

 そして、都議候補予定者の永井氏、柳ケ瀬氏の登壇である。永井氏は、いつもながらの区役所問題を提起され、若い柳ケ瀬氏は「先輩である永井先生を一番に私を二番に」と、圧倒的に永井後援会の参加者が多い会場の空気を読み訴えた。ただ、原発反対を声だかに訴えられたのには、いささか困ってしまったが…

 最後は私の挨拶で締めくくったが、費用も企画もすべてこちら持ちの強みで、予定時間をオーバーしてしゃべりまくってしまった。

 逆風での維新の船出だが、風ではなく、それぞれの候補予定者の「人物」で勝ち残れるような闘いにしていかなければ本物ではないと思う。その意味では、「風頼み」から真の政党へ脱皮する試金石が都議選であり、参議院選挙ではないだろうか。頑張ろう!



2013年05月20日(月) いぬぶし自民党?のパーテイに出席!.

 今日は、朝一番に四谷の後援会事務所で中山恭子議員と打ち合わせを行い、参議院議員会館でいくつかの面談をこなしてから地元事務所に戻った。自分の居所が移動するというのは、精神的にも肉体的にも負担がかかるが、楽しんでやっている。しかし、私以上に負担なのは、地元事務所のスタッフだろう。「親分」不在の事務処理には頭が下がる。

 夕方からまた都心に戻った。自衛隊出身議員の会「全国武の会」の総会に出席するためだ。所属政党は問わないが、亡国民主党所属議員は排除する会である。遅参して参加したが、事務局のご配慮で自己紹介の機会を与えていただいた。

 私は、「場のご縁」ということをとても感じている。不思議に、空いている席に座ったことがご縁で親しくなった、力になって頂いたな等ということがいくつもあるのだ。また、その地に居たことにより、大きな力になって頂いた例にも事欠かない。私が議員になった大きなきっかけは、宴席で松原仁衆議院議員(当時は落選中の都議)の隣席にたまたま座ったご縁による。

 あの時、別の席に座っていたら今、こんな立場ではなかったと思う。そして今日、遅参して参加した会場において空席だった場所に座った「全国武の会総会」。座ったとたん、隣席の参加者の顔を見て「おい!K君じゃないか」と絶句した。彼は、胸に「入間市議会議員」と書いたプレートをつけている。

 K君は、航空自衛隊生徒の19期生。私は18期生。たった100名弱しかいない一学年の一期後輩。そのなかでも最も親しい後輩だった。初めて会ったのは昭和48年。そして、今から20年近く前のこと、航空自衛隊府中基地で訓練招集に応じていた予備自衛官の私と、現役の調達幹部だったK君とは、懐かしく基地のBX(売店)喫茶店で話しをしていた。

 K君は私が自衛隊生徒の先輩でもあり、また、自衛隊部内の喫茶店ということもあり、仕事の愚痴を話してくれた。K君が調達幹部として、1個100万円の戦闘機の部品100個合計1億円の執行担当になった時の話しである。

 K君は、どう考えても1個100万円はしないと思われる部品の仕様を公開し、公募したところ最安値の業者は1個1万円、100個で100万円。予算の100分の1の金額だ。そこでK君は、その業者から試供品を取り寄せ検査した結果、当初予定の100万円の部品と差がないため、「国庫に対し1億円のものが100万円で買える」とばかり、契約をした。

 すると、当時の調達担当の上司から「予算を無視した」と、閑職に左遷をされ、当初の予定納入業者のY社幹部からは「殺すぞ」と脅かされた経験を持つ。Y社はその後、癒着事件で起訴され、時の防衛庁幹部が訴追された。

 その正義感あふれるK君が、定年(自衛官は定年が早い)後、航空自衛隊ゆかりの地、埼玉県入間市の市議会議員になっていたことは驚きだし、今日会えたことは、本当に嬉しいことである。それも偶然にも隣り。

 さらに辿ると、参加者の静岡県議会議員のWさんが自衛隊生徒14期生など、まさに同窓会だった。続いて行われた懇親会は「自民党決起大会」の装いで、中山恭子議員に許可を得ての参加ではあるが、聊か居心地が悪かった。


 現職、元職の防衛大臣が駆けつけ、自民党の組織選挙のすごさを体感した時間でもあった。そして、中谷元 元防衛大臣とお話する機会があった。

私:自民党の組織選挙は素晴らしいですね。

中谷大臣:自衛隊OBなら自民党にくればいいのに。

私:地元の自民党が入れてくれないでしょう。

中谷大臣:維新にもいい方がいるから頑張ってください。

 自衛隊出身という括りだけで、党派を超えた会合には、ありがたかった。ヒゲの隊長こと、佐藤正久参議院議員は、以下のように述べた。

「今、私を含め5名の自衛官出身国会議員が誕生した。過去に例のないことだ。この5人だけで、政党要件が成立して、政党を作ることすら出来る。これからも、我が国の安全保障に現場感覚で訴えていく。」

 自衛官が制服で外出すると「税金泥棒」と言われた時代から思うと隔世の感がある。党派は違うが、「自衛隊を自衛軍へ」「誇りある国家へ」との共通項で、共闘していきたいものだ。

 それにしても、K君!びっくりしたぜ!



2013年05月18日(土) 四国の交通機関は大変だ@高松・徳島

 選対事務局の週末は結構忙しい。今日は、朝7時から地元のファミレスで開催された中小企業団体の役員会に出席(私も役員)、1時間で中座して羽田空港に向かう。口の悪い旧知の役員さんから「食い逃げ!」と言われながらの逃避行だ。しかし、選挙前になると、突然、この団体にも議員や候補者が参加してくる現象はなんとかならないものだろうか。

 衆議院選挙を戦った自民党現職、民主党現職(今回は私が勝った)も、選挙前と選挙後「いい訳」のように参加し、以降、姿を見せないし、最近は都議会議員のオンパレードだ。「学びたい」ではなく「票が欲しい」がミエミエなのが情けないではないか。

 羽田空港で中山恭子議員とおちあい、空路高松へ。今日は香川大学大学院で四国の経済活性化についての講師を中山議員が務めるのだ。中山議員は大蔵省(当時)時代に四国財務局長を務めていたことがあり、高松には縁が深い。講演前には、当時ご縁を頂いた方々が、「支援する会」を開いてくださり、今後の打ち合わせのために私が同行した。

 衆議院選挙や区議選挙の経験は多いが、全国比例の参議院選挙はとてつもなく範囲が広い。今まで私が経験した選挙は、「池にいる鯉やフナを釣る」選挙だった。ところが、全国比例の選挙は「太平洋でメダカを見つける」ようだ、と揶揄したら参加者一同苦笑。(決して有権者の皆様をフナやメダカだと思っているわけではないのでお許し乞う)支持母体のある既存政党の候補者は「太平洋に浮かぶ生簀の中のお魚を釣る」選挙だともお話した。

 大学で中山議員と別れ、「たちあがれ日本」で親しくして頂いた県議に会うために徳島へ向かう。「今から電車(実は電車ではなくデイーゼル)ですぐ行きます」と電話をすると、「いや、列車ないですよ。多分」と。本当だ、1時間に1本しか特急がない。特急を待つ間、高松駅前の湾岸再開発地区を見学した。


 大きな再開発ビルに公園。そして、その脇には国の合同庁舎が建っている。実はこの建物は「中山恭子ビル」であることは地元でも知る人は少ない。四国財務局長だった当時、県有地のこの地に県の施設と商業施設の入った再開発ビルと公園の計画が作られた。明日計画発表という日、中山恭子四国財務局長は、他の予定をキャンセルして、香川県知事を電撃訪問。

 「香川県と高松市の発展のために、一部を国に売って合同庁舎を建てよう。計画を変更して欲しい」と直訴したのだ。中山議員の熱意で、すぐさま計画が変更され立派な国の合同庁舎が建った。商業施設にしていたら、事業が頓挫した可能性もあり、また、国の役所をすべて松山市に取られたかもしれない事例だったと、当時を知る方が教えてくださった。

 拉致された日本人5名が帰国したときに「絶対に北朝鮮には戻さない」と外務省と戦った大臣時代、ウズベキスタン特命全権大使時代に隣国で発生した日本人技師誘拐事件での対応等、あの優しい蚊の鳴くような声の持ち主とは思えない「強い意志」を感じる。まさに日本のサッチャーと言えるかもしれない。

 徳島で打ち合わせを終わり、最終便まで2時間以上あったので、もうひとつ「人」に会って帰ろうと画策した。実は、私の祖父は徳島出身で、今は縁故のある方はいないのだが、菩提寺があり、「犬伏家」の墓が残っているのだ。伯母が存命中に教えてくれて、10年以上前に家族で墓参をした。伯父亡きあと、はたしてお墓はどうなっているのか見たいと思った。(私の父の墓は、私が相模原に建てた)


 徳島駅発の列車はすぐあり、お墓の最寄り駅、府中(こう)まで10数分で到着。駅からタクシーで行って、待っててもらって、次の列車で帰れば余裕で間に合う、はずだった。

 念のため駅の時刻表で次の徳島行きを確認して驚愕!な、なんと次の徳島行きは、8分後と、50分後しかない。50分後では最終の東京行きの飛行機に間に合わない可能性がある。どうする?明日は朝から予定があるし…


 駅前にはタクシーどころか、バス停すらない。いやはや、東京の生活が当たり前だと思うところが間違いであることを痛感した。帰ろう。お墓の方向に手をあわせ、今度は「ついで」ではなく、墓参りに来ることを誓って、トンボ帰りで徳島駅に。

 夕食は空港で「徳島ラーメン」のお店に入った。が、だ。隣りは「さぬきうどん」の店だ。ちょっとまった!徳島でラーメンじゃないよね。おっ!「冷たい生ビールあります!」いっちゃう?

 すみません!生もお願いします!



2013年05月17日(金) 今年の六郷神社祭礼事情

 私の地元、大田区六郷の氏神様は、応神天皇(誉陀和気命-ほんだわけのみこと)をおまつりする六郷神社である。950年以上の歴史を持つ神社で、多くの参拝客でにぎわい、私自身も崇敬会、氏子青年会の会員である。

 そして、毎年6月の2週目の土日に「例大祭」が催され、地元14町会の御神輿が巡行するのが恒例である。ところが、以前にも書いたように、このお祭の奉納金をめぐり、ひと波乱があった。

 例年、各町会の奉納金額は神社側(総代会)から、町会の世帯数に応じて示され、その額を奉納していた。ところが、今年は、連合町会(町会の集合体)が各町会一律50万円を集め奉納する、と言い出したのだ。神社側は、おくまで例年通りの奉納金提示方式を譲らず、こう着状態た続いていた。

 そして、結局、多くの町会が「お祭をしたい」ということで、神社側の主張を受け入れることで収まった。が、4町会は、であれば祭り自体参加しない、と決定してしまったのだ。

 その一つは、「言い出しっぺ」の連合町会長の町会。そして、残る3つの町会には、不思議な共通項があった。六郷地区には共産党を除き、自民、民主、公明の各党区議が一人ずつ選出されている。お祭に参加しない3町会には、この3名の区議が一人ずつ住んでいるのだ。まあ、単なる偶然だが、面白い現象である。

 町会の役員さんたちが、町会員全員の意見を代弁している訳ではないのだから、願わくば全町会が参加する氏神様のお祭になるよう願ってやまない。3名の区議さん、頑張っておくれよ!

 



2013年05月16日(木) 久しぶり?の区議会保健福祉委員会夜間部

 今日は、本当に久しぶりに「いぬぶし秀一」だけの一日だった。中山恭子選対の仕事に忙殺され、自分の事務所の業務がすべえ滞ってしまったので、今日は一日「お暇」を頂いたのだ。

 朝一の仕事は、弁護士との面談。住んでいるマンションの理事長として、不法に壁面に看板を設置した区分所有者たる不動産屋を提訴したのだ。この不動産屋は、地元で店を構えているのに、再三の話し合い要請にも応じず、管理組合名や弁護士名の内容証明も受け取り拒否という兵である。

 地元のケーブルテレビのCMには、笑顔の社員さんたちが映されているが、本質は「自己中心的」な経営者に違いない。このマンションでは、数年前にも、区分所有者が「漏水で住めない。帝国ホテルの宿泊料を出せ」との理不尽な要求から、管理費を2年以上滞納する事案があり、その時も私が「原告」となり、提訴し和解ながら、ほぼ勝訴の内容を勝ち取ったことがある。

 このような事例を見るにつけ、我が国の伝統文化である「和」や、「譲り合い」の心が欠落した社会に陥っていく様を感じる。すべてとは言わないが、教育に大きな原因があるような気がする。

 午後は、事務所に戻り停滞していた事務処理をこなし、6時から久しぶりに、区議会保健福祉委員会?に出席した。これは、1年間の常任委員会委員の任期が今月で終わるのに伴う懇親会である。(会費5000円の私費である。念のため)

 委員長の配慮で、途中離団した私も呼んでいただいたのだ。4月の人事異動で、理事者(お役人)も大分入れ替わっており、私の「攻撃」の被害にあっていない管理職も見受けられた。

 乾杯の後に、「いぬぶし挨拶せよ」声があり、挨拶をし「2年後にまた区議会に戻ろうかな?」等と冗談を言うと、議員、理事者双方から「頼むから戻らないでくれ」との視線が浴びせられた。

 さて、席が一つあいているではないか。民主党の遅刻、無断欠席常習犯の女性区議がいない。またやったな!委員長に聞くと「愛ちゃん、ドタキャンですよ」と嘆く。

 相変わらずである。流石である。たぶん、彼女の遅刻、ドタキャン癖は死ぬまで治らないだろう。頑張れ!

 ああ、課長、駄目だよ!呑み放題でウーロンハイなんて原価の安い酒呑んじゃ!ビール呑まなくちゃ。店との闘いなんだから。

 すみません、ビール3本急いで!

(追記)
5月17日(金甌日)に開催された、蒲田東特別出張所「民生委員推薦委員会」にも、このセンセイ「無連絡欠席」!死ぬまで治らない病気。彼女を応援しているオジサマたち、忠告してあげてね。

簡単なことです。
1.欠席の場合は連絡しろ。
2.遅刻はするな。

これだけのことが議員であるまえに、30才超えた人間が出来ないことが哀れだ。



2013年05月15日(水) スクランブル500回超!22年ぶりby航空自衛隊

 防衛省統合幕僚監部の発表によれば、平成24年度のスクランブル(領空侵犯に対する緊急発進)回数が22年ぶりに500回を超えたそうだ。最近では平成13年度の141回を底に徐々に増加傾向にあったものの、前年度(平成23年度)に比較して、142回増というのは、不気味ですらある。

 国別では阿藤的に中国機が多く、全体の54%を占めている。ロシアは中国についで44%、そのほかの国が2%となっている。ただ、スクランブルは、「領空侵犯の可能性」がある場合に緊急発進をしており、実際に領空侵犯したのは中国機、ロシア機各1回だ。

 各国とも、領空ぎりぎりに飛行して、我が国の対空能力、レーダーの探知能力などを探っているのだろう。問題は、ロシア機が「情報収集機」であるのに対し、中国機の多くが「戦闘機」だったということだ。

 そして、中国機に対するスクランブルの回数が倍増したことが、今回の回数大幅増の原因である。地域別では、南西航空混成団(那覇市)が318回と、過去最高を記録したが、これも尖閣周辺を含む中国機への対処のためと思われる。


 さて、平和ボケの社民党、共産党、日教組なども諸君!憲法9条があると、平和だそうだが、では、スクランブルの際、憲法9条の条文を切り裂いて、中国戦闘機の前にジャミング(邪魔する物体)したらどうだろうか?

 きっと、中国の戦闘機は、ニンニクを見たドラキュラのように退散するに違いない。さすが壊滅寸前の政党の主張は立派である。

 はやく消滅しちまえ!国家観の欠落した連中め!

 



2013年05月14日(火) 西村真悟先生、録画中に「そこの犬伏君が…」と!

 今日は、久しぶりに早朝から蒲田の事務所で溜まった事務処理を行った。忙しいことは何ら苦にはならないが、遠方への出張が多く地元に居れないことはいささか問題である。

 午後からは、中山恭子先生に同行して講演会の補助と、チャンネル桜の録画どりである。いずれも私が同行する予定ではなかったのだが、「いぬぶしのほうが適任」とのことで急きょの出番となった。

 特に、チャンネル桜は西村真悟先生との対談ということで、「西村先生はらいぬぶし」という、ありがたい?選択になったようである。

 番組は、中山恭子先生が聞き役となり、西村真悟先生、すぎやまこういち先生のお二人が時事問題について意見を述べ合うものだ。いくつかの発言を再現する。

西村:久しぶりに国会に戻ってきたが議員会館がすごい。大阪の中小企業のおっさんは、社長室を立派にすると会社が潰れる、と言っている。新しい議員会館は、素晴らしい。地下には動く歩道もある。政治家は、一番最後に自分の部屋を作ればいいのだ。これじゃ、日本が潰れる。

西村:頭の禿げたおっさんが、自分の娘ほどの女の子に洋服を買ってやるような光景が当たり前に見られるとき、本当に景気は回復したのだ。これは、ブテイックのおっさんから聞いたから間違いない。

西村:そこにいる犬伏君が、蒲田駅前で演説していた。タクシーが沢山客待ちをしているが、客がいない。これがデフレだと犬伏君は言っている。これを克服しなければいけない。

 おっと、西村先生!私は、カメラの手前で「見学」しているだけ。テレビの視聴者には「犬伏君」は映っていないので、なんのこっちゃ、になりまっせ!
あわてた、チャンネル桜のスタッフが「犬伏さん、画像だけください」と、私にカメラを向ける。

 「カメラを向けられるとしゃべってしまう」症候群の私は、思わずカメラに演説を始めてしまった。すると、映像スタッフから「犬伏さん、画像だけで声は入りませんから…」あっそう。つまんないじゃん。

 この光景に中山恭子参議院議員は、思わず爆笑。すみません!出たがりで。



2013年05月12日(日) 領土侵犯相次ぐ?@地元町会

 尖閣諸島周辺への中国公船の領海侵犯が相次いでいるが、「領土をひろめたい」という想いは国家でけでなく、誰しもが持ち合わせているものらしい。例えば、我が大田区と江東区は、中央防波堤の埋め立て地の「帰属」を巡り対立しているし、動物園のサル山や大田区議会自民党等では常にボス猿の座を虎視眈眈と狙う連中がいる。

 今日は、朝6時半から京王プラザホテルで開催された中小企業団体の役員会に出席した後、中山恭子議員の支援団体のご葬儀に同席。さらに、もっとも親しいと思われる町会の総会に出席した。

 私が現職の区議の時代に町会会館建設のお手伝いをしたご縁から、応援を頂くようになった。そもそも、自民党区議が町会役員にいらしたのだが、お亡くなりになった直後ということもあり、平成13年頃からのお付き合いだ。自民党支援者でありながら、「自由党」の私の選挙事務所を手伝ってくださり、日教組の支援する民主党への合流を拒否した時には「無所属」の私を、さらに「たちあがれ日本」、「日本維新の会」と政党に関係なく応援して下さるありがたい「地元」である。

 ところが、今日の総会後は聊か光景が違った。区議だったころは「俺のシマだ!」という感じがあったが、今日は、自民党、民主党、公明党の区議が参加。いぬぶしの居なくなったこの領土(町会)をなんとか自分へとばかり、名刺配りに勤しむ。

 そこへ、6月選挙の自民党現職都議2名が入り、町会役員さんの机の上は、パンフレットと名刺の山がトランプのように山積みとなる。口の悪い役員さんが、「全部まとめてゴミ箱へ捨てれば平等だろう」と。

 勢力図が変わったな、と少しばかり複雑な思いになりながら町会会館を出ると、「嬉しい景色」に出あった。地元でいつも親身に応援して下さるSさんの駐車場。

 先週まで、自民党都議のポスターが3枚貼ってあった場所、一番目立つ道路側の一枚が我が方のポスターに貼り替えられているではないか。


 ありがとうSさん!

 そして、事務所に戻ればボランテイアスタッフの皆さんが、5月21日の会合の打ち合わせをして下さっている。

 自民でもない、自由党でもない、維新でもない、このような地元の「いぬぶし応援団」の声援を忘れずに頑張っていきたい。



2013年05月11日(土) 祝 日本会議大阪市支部設立総会

 今日は、共産党など左翼陣営からは「日本最大の右翼団体」と言われている日本会議大阪市支部設立総会で講演する中山恭子議員に同行した。日本会議は、私も会員だが「右翼団体」ではないが、保守系最大の団体であることは確かかもしれない。

 会長には三好達元最高裁判所長官が就任をされ、神社庁や倫理研究所などが団体会員として名を連ねる。さらに平沼赳夫代議士をはじめ保守系国会議員、また、私を含む3000名近い地方議員も会員である。皇室問題、憲法改正、尖閣等の領土問題などの国民運動の主体的存在でもある。

 そして、日本会議は全国に支部づくりをすすめており、今日は大阪市支部が設立されることになった。実は、この団体、なぜか参議院全国比例区では「自民党候補予定者」しか推薦をしてくれない。しかし、各地方組織の中には、中山恭子参議院議員を応援して下さる所もある、という構図である。まあ、保守系の議員の議席が増えることは、国益にかなうことなので、政党は問うまい。

 会場である大阪神社庁に到着し、中山議員の後に名刺交換をすると、複数の方から「フェイスブックのお友達です」と応じられた。あ、失礼しました。そうでしたか。FBの使い方がよくわからずに、「承認」をしていたら、いつの間にか、お友達が700名を超えてしまった。全国に「見知らぬお友達」が出来るインターネットは素晴らしい。


 講演会後の懇親会も和気あいあいとした和やかな雰囲気で、普段の街頭演説などでの、「勢いのある保守」とは、また少し違ってとても良い会だった。新大阪までのタクシーの運転手さんが、拉致解決の「ブルーリボン」を制服の袖に付けていたので話しが弾んだ。

 普通に制服の襟に付けていると、お客様からは見えない。そこで、左の袖に付けているのだという。お客様から「それなんですか?」と聞かれると、拉致問題を説明するのだそうだ。素晴らしい工夫である。是非、中山恭子参議院議員のご支援をお願いすると、「仲間に配るから資料を送って」と快諾して下さった。ありがたい草の根である。


 中山議員をグリーン車に送り、自席に着席。睡魔と空腹感が襲ってきた。とりあえず、食欲を満たそう。「すみません!牛丼弁当とビールお願いします」(なんでビールじゃい!)えええ??1300円、高いじゃないか!
豪華夕食を食べながら家路についた。



2013年05月09日(木) また一つお別れ

 私の人生は、人との出会いと、多くの善意に支えられたものだと常日頃思っている。なぜ、この時にこの人に出会ったのだろう、なぜ、この時に、この人が助けてくれたのだろう。そんな出会い、そんな支援が数限りなく続いて、今の私がある。

 初めて大田区の土地に降り立って、6畳一間のアパートをお借りしたことがきっかけで本当の親のように付き合ってきた、不動産屋のYAさん。初めての選挙。右も左もわからない時に、宣伝カーを作り、事務所用の紅白の横断幕を提供してくれたYKさん。回り中が自民党応援団の中、後援会長を引き受けて下さった地元商店会長のSさん。いずれも、すでに「この世」には、いない。

 社団法人倫理研究所創始者である丸山敏雄氏は著書の中で死について以下のように述べている。

地上の人類が、知ると知らぬとにかかわりなく、時の古今、洋の東西、長幼をも、性別をも超えて、公平に課せられる命題。そして、のがれることも、延ばすことも許されず、必ず果たさねばならぬ責任。それは必ず一度であり、再び出あうことのない、最もむずかしい、しかし又最も易い事件。

 さっきまで「生きていた」人が、「死」をもって「生体」としての活動を停止してしまう。はたして、「あの世」があるのかどうか、誰もしらないのだ。特に親しい人の「死」は、なんとも悲しく、すぐさま受け入れることができない。

 そして、今日、また新たな別れの場面に立ち会った。妻の父、義父が89歳の生涯を閉じた。私と正反対で几帳面な義父には、生前、度々叱られたが、厳しさの中にも優しさをもっていた。父を10歳で亡くし、母とも離れていた私に「私たちが親だと思いなさい」と、結婚の当時に言ってくれたのもこの義父と義母だった。

 経営していた会社が、同時多発テロの影響で資金不足に陥り、潰れかかった時、義父が私に内緒で資金援助を妻にしてくれていたことは、大分後になってから知った。

 また、一人恩を受けた人が「あの世」へ旅立ってしまった。米寿のお祝いの席で撮影した遺影の義父は「いぬぶし君、頑張らければ駄目じゃないか」と、厳しく語っているようだった。

 ありがとう、お義父さん。ご冥福を祈る。

****なお、葬儀については妻と実家の意向もあり家族のみで執り行いました。皆様にご通知を差し上げなかったことにつき、お許しをいただきたいと思います。****

 



2013年05月06日(月) 拉致問題解決よりEXILEかい?安倍総理大臣の場合

 しかし、もう少し考えたらいいのに、という「愚行」をなぜこうも政治家達は軽はずみに行うのだろうか。今日の事件は、少しばかり期待していた安倍総理大臣の「愚行」である。

 4月27日に日比谷公会堂で「拉致被害者救出国民大集会」開催され、私も頭だけ出席して大阪に向かったことは当日のブログに書いたとおりである。歴代総理が参加しなかった「大集会」に安倍総理が参加されたことは、被害者家族にとっては、大きな期待を持って迎えたことだろう。

 その会場では、ボランテイアの皆さんが集めた1029万人の署名簿が総理に手わたされ、2000人の参加者は総理大臣のメッセージを聞きもらすまいと聞き入ったのだ。ところが、安倍総理大臣は国民集会の会場は30分程度で離席。公務多忙な総理大臣のこと、誰しもが「仕方ない」と見送った。

 が、である。その数時間後、安倍総理は東京ドームで開催された人気グループ「EXILE」のコンサートには、下村博文文部科学大臣を伴い出席。47000人のファンに迎えられたのだ。


 そして、こちらには2時間以上も滞在し、メンバーと記念写真を撮る「はしゃぎよう」である。総理大臣がコンサートで、「はしゃぐな」とは言わない。しかし、その前の行事の内容を考えて行動すべきではないか。

 それとも、2000人の参加者より、47000人の「浮動票」を狙いにいったのだろうか。いずれにしても、総理大臣として余りにも軽い行動には「やはり坊ちゃん出身」と思ってしまうのは、坊ちゃんではない者のヒガミだろうか。



2013年05月05日(日) 端午の節句を祝ってはいけません?byジェンダーフリー

 我が国の伝統文化を崩壊させ、精神性を低下させることにより、二度と連合国に「楯つかない」ように作られたGHQの心理作戦が、今まさに成功している。その作戦にマンマと引っかかっていることに気づかない「上野千鶴子氏」や「大沢真理氏」らの一派は、端午の節句やお雛祭りを祝うことは「差別」であると主張する。

 聊か旧聞になるが、ジェンダーフリー運動花盛りし平成14年に、文部科学省委託事業で『新子育て支援−未来を育てる基本のき』(日本女子社会教育会発行)というパンフレットが作成され、全国に配布された。国会で山谷えり子氏が公開して大問題になった代物である。(以下、抜粋)

・「男らしさ」と「女らしさ」を子どもに強要することは許されません。
・桃の節句のお雛様は「女らしさ」の象徴であり許されません。
・端午の節句の鯉のぼり、武者人形はたくましさという「男らしさ」の象徴であり、やはりこれも許されません。
・男の子に「強そうな名前」をつけることは差別を助長します。
・女の子に「愛らしい名前」をつけることも同様です。

 さらに、バカ者ったちは、以下のようなことまで言い張るのだ。正気の沙汰とは思えないが、彼らにすれば、私が「正気ではない」のだろう。読者のあなたは「正気」かしら?(以下、日々是口実アーカイブさんより)

1.童話『桃太郎』を子どもに読ませてはいけません。
(理由:おじいさん(男)が山へ柴刈りに行き、おばあさん(女)が川へ洗濯に行く(家事をする)という昔話は、おかしな偏りがあり、男女の性別役割意識を小さい頃より刷り込むことになるから)

2.ランドセルの色は性別にかかわらず選びましょう。

 このようなバカげた「意識」が、子供たちの精神文化を崩壊させ、家庭での役割分担、男女両性の相互扶助、互恵意識を壊しているのだ。さらには、同じ思想(国家解体、家庭崩壊)の持ち主である日教組や全教(又は性教協)に所属する左翼教員により「あなたらしければいい」という、わがまま教育が、全国の公立学校で行われた結果が、いまの世相である。

 日本再生の大前提は、最小の社会組織である「家庭」の再生であり、次なる組織、公教育の正常化であることは明白である。

 頑張れ!マトモな先生方!頑張るお母さん!お父さんも「男らしく」頑張るからね。



2013年05月04日(土) 報道機関なら自衛隊への感謝も書け!赤旗さんよ

 ある時は「日本共産党機関紙」、ある時は「報道機関」と、ご都合主義の「赤旗」には、いつもながら、そのカメレオン的体質と、いかなる選挙でも「躍進」と書ける「前向きな姿勢」に敬意を表しているところだ。

 さて、その「報道機関」の赤旗日曜版(5月5日号)が届いた。3面には、カラー刷りで「黒柳徹子の南スーダン報告」が掲載されている。記事は、彼女が作った「トットちゃんセンター」に16年前に救われた南スーダン人の感謝の言葉で締めくくられている。「日本に皆様に頂いた募金に感謝しています」と。

 愚息がPKOで派遣されていたので、南スーダンには興味を持って読んだが、自衛隊の活動については、意識的なのか一切触れられていない。50度を超える灼熱の太陽のもと、陸自の派遣隊員は、インフラ整備を続けている。

 南スーダンには上水道がほとんど整備されていない。そこで、人々は川に水を汲みに毎日でかけている。ところが、とてつもない大雨で、毎度道路が崩壊し、水汲みが出来なくなるのだという。そこで、自衛隊が道路整備をし、学校を作る支援をしているのだ。

 南スーダンの人々は「Jieitai」に、又、日本人に大変な感謝をしているそうだ。そんなことは、赤旗には一行も書いていない。「海外派兵反対」を訴えた共産党機関紙が、「海外派兵」の成果を認める記事を書けないと言うことだろうか。

 そのようなご都合主義の記事を書く媒体を、報道機関とは言わない。以前、NHKの反日番組に抗議する3000人のデモ隊がNHKを取り囲んだことがあった。私は拡声器で「NHK報道局よ!君たちに報道人としての良識があるのなら、この映像を7時のニュースで流せ!」と訴えたが、一切放映されることはなかった。

 NHK,朝日新聞、赤旗、いずれも同じ「反日グループ」だ。そして、共通の報道姿勢は「自分たちに都合の悪いことは書かない、流さない」だ。こうして、朝日と赤旗の読者、NHKの視聴者たちは、ますます日本が嫌いになっていく。

 もうちっと、がんばれよ!産経新聞



2013年05月03日(金) 政府専用機にみる憲法9条@憲法記念日

 今日は憲法記念日である。全国各地で憲法に関する集会が開催されており、相変わらず間抜けな社民党や共産党などは「護憲」を訴えている。共産党のポスターには「アメリカの追従を許すな」と書かれているが、現憲法がGHQの占領下で、素人により8日間で作成された「米国製」という点の矛盾は、どうされるのだろうか。いつもながら、ご都合主義である。

 さて、憲法改正論議の中でも中心的な条文は9条だろう。内閣法制局長官などという「お役人」の憲法解釈を営々と引き継いでいる政府は、責任放棄と言うしかない。「自衛隊は国内法上軍隊ではないが、国際法上は軍隊である」という詭弁を今でも踏襲しているのは、あきれるどころか国賊と言ってもいい。

 さて、そんなアンポンタンの政治はどうでもいい、自衛隊の現場では、みな軍隊だと認識しつつ職務に精励しているのだ。私の母校である航空生徒隊では、修学旅行(関西研修という)等、高校生として行動する場合用に私費で「別の制服」を作っている。そのブレザーの胸のエンブレムには「AIR FORCE(空軍)」と書かれていた。

 また、航空管制や要撃管制官が使う英語は、「Air Force(空自)」だったり、「Navy(海自)」である。自衛隊という英語表記は、Self Defence Force だが、そんなものは使わない。「空軍」、「海軍」「陸軍(Army)」なのだ。階級の呼称も、国内では3等空佐などと言っているが、海外ではMajor(少佐)である。


 さて、本日、皇太子殿下妃殿下がオランダご訪問からご帰国あそばされた。このご訪問に使用されたジャンボは政府専用機と呼ばれているが、実は航空自衛隊航空支援集団特別航空輸送隊第701飛行隊に所属することは、あまり知られていない。

 パイロットはもちろん、整備士や客室乗務員(特別空中輸送員と呼称)もすべて航空自衛官である。そして、面白いのは、この航空機のコールサイン(呼出符号)である。通常任務の場合は、Japan Air Force 001又は002 (主任務機が001,予備機が002)。さらに、今回のような特別の任務の場合には数字が変わる。

 今回のオランダご訪問は、Japan Air Force 901 である。Japan Air Forceつまり、日本空軍なのだ。下の写真のタラップ上で直立不動の敬礼をしているのは、航空自衛官であるし、日本国という文字の下、搭乗口ドアに書かれている丸い紋章は、わが航空自衛隊のマークである。


 国内で政府専用機が使用するタラップの各段に「航空自衛隊」と連記しようとしたところ、外務省筋から「NO」になったと聞いたことがある。世界中、どこの国でも軍隊は国家を象徴する組織なのだ。

 だからこそ、賓客の訪問には、各軍の軍楽隊と儀仗隊が栄誉礼をもってお出迎えをするのだ。在外大使館では、外交式典などで大使の隣りは、駐在武官(軍人)が常識である。

 早く日本も、占領呪縛から解放されて「あたりまえの国」にならねばならない。

 よう!護憲派諸君、政府専用機すなわちAir Force(空軍)の海外派兵反対と叫んで見ろよ!良識ある国民の失笑をかうから。



2013年05月01日(水) 久しぶりに区議会醜聞ネタ@自由民主党幹事長選挙

 中山恭子参議院議員の選対を務めてから地元をまわる暇がなく、支援者の方々には大変失礼をしている。また、区役所ネタ、区議会ネタなどを「取材」することもままならず申し訳ないと思っているので、久しぶりに区議会ネタを一発。

 自民党N代議士(当時)オッパイ辞職事件に端を発した、区議会自民党分裂問題が、まだ尾を引いていることが本日明らかになった。この事件は、「はめられた」と、N氏ご本人は言っているが、兎に角、代議士が六本木でハレンチ事件を起こしたとして辞任したことは事実である。

 その結果、自民党は平将明氏を公募で公認した。ところが、この党本部主導の公認候補選びに反発した一部の自民党区議が、無所属で出馬したN氏の応援にまわったのだ。結果、平氏の圧勝に終わったのだが、騒動は続くのだ。

 N氏を応援した区議らは、党から除名やら、離党勧告、厳重注意などの処分を受け、区議会自民党の主導権は、河津章夫区議をリーダーとするグループ(通称河津派)に移ったのだ。ところが、様々な変遷を経て復党した、N氏応援派の永井敬臣氏をリーダーとするグループ(通称永井派)が数のうえでは河津派を超え主導権が逆転した。

 区議会自民党内の人事(幹事長選挙、議長選挙)などでは、常にこの二つのグループが衝突して、「区民とは関係ない、サル山のボス争い」が続けられていた。そして、ある時、ついに河津派が会派を別れる決意をした。

 大部屋の自民党の控室を、区民の税金200万円を使い二つに仕切った。そして、さらにくっついたり、離れたりを繰り返し、また一つになったのだが、長年の恩讐は消えないようで、永井派の高瀬三徳議長に対し「離党勧告」やら、「議長辞任勧告」などをする、という有様である。

 そして、本日、幹事長を決める会合がもたれたのだが、通常話し合いで決まる幹事長職が、話し合いでは決まらず、「選挙」になってしまったのだ。結果、旧河津派の松原登茂樹区議が9対6で選出された。

 自民党の区議は、16名いるのだが、高瀬三徳議長が「議長辞任勧告」従わないので「仲間はずれにして」の選挙である。なんとも、69万都市大田区議会に似合わない「子供じみた」議会ゴッコには、今更ながらおきれてしまう。

 そして、問題なのは、松原茂登樹区議の立場だ。最大会派の幹事長となると、区議会各会派との調整、お役人との事前調整、さらには、党務などと多忙を極めるはずだ。ところが、彼は、西糀谷2丁目町会長、さらには、糀谷地区連合町会長の立場でもある。

 地元の代表なのか、議員なのか、はなはだ疑問の立場にある。松原忠義区長も同様の立場だったので、その道を模倣しているのかもしれないが、実にわかりにくい。

 自民党の区議は、16名いるのだが、高瀬三徳議長が「議長辞任勧告」従わないので「仲間はずれにして」の選挙である。なんとも、69万都市大田区議会に似合わない「子供じみた」議会ゴッコには、今更ながらおきれてしまう。

 区議会自民党は、最大会派として区政の監視役、区政の牽引車として健全に動いて欲しいというのが、自民党区議に投票した有権者の願いであろうに、こんな「サル山」ばかりしていては、区民からもお役人からも、バカにされてしまう。がんばれ、良識ある自民党区議さんたち!


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