いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2009年11月30日(月) 月に会議2回合計4時間、報酬247000円の教育委員の増員

 今日は、こども文教委員会である。本日上程された議案は2本。教育委員会委員を現行5名から6名にするもの、区立図書館の指定管理者の指定に関するものである。

 まずは、教育委員会委員を5名から6名にする議案。これは、平成20年4月に改正された法律で、委員の数を5名以上に「することができる」ことになったこと、また、改正前は「保護者をいれるように努める」が、改正により「いれなければならない」になったことによる、と説明された。

 現在の教育委員は、教育長(大田区職員)、学識経験者(弁護士)、社会教育団体(PTA,青少年対策委員経験者)、学校医(医師)、教育経験者(私立高校校長)という陣容である。

 今回、このうち2名の任期(4年)が切れる。ここで、2名のうち1名を再任しないで、新たに法律が定めた「保護者」から任命すれば、条例改正もいらないし、年額300万円の報酬の追加も必要ない。

 最も問題なのは、「なんのための増員」なのか、「増員すると何がどう変わるのか」が、一切説明できない事にある。

 はたして、教育委員なる人々が必要なのか、月額報酬は、教育長(常勤)785000円、委員長(非常勤)297000円、委員247000円(非常勤)であり、定例会月1回、協議会月1回、それぞれ2時間程度である。

 教育委員会制度は、(以下、ウイキペデイアより抜粋)戦後、連合国司令部(GHQ/SCAP)の要請でアメリカ合衆国からの教育使節団が、1946年(昭和21年)3月5日、7日に来日、同年3月30日に第一次アメリカ教育使節団報告書が提出され設置勧告をされた。そこで文部省は1948年(昭和23年)に教育委員会を設置した。この制度は、教育行政の地方分権、民主化、自主性の確保の理念、とりわけ、教育の特質にかんがみた教育行政の安定性、中立性の確保という考え方の下に、教育委員会法によって創設された。地方自治体の長から独立した公選制・合議制の行政委員会で、予算・条例の原案送付権、小中学校の教職員の人事権を持ち合わせていた。しかし、「教育委員選挙の低投票率、首長のライバルの教育委員への立候補・当選、教職員組合を動員した選挙活動」(文部科学省、2004)などにより、教育委員会は発足直後から廃止が主張される。
1956年(昭和31年)には、教育委員会に党派的対立が持ち込まれる弊害を解消するため、公選制の廃止と任命制の導入が行われ、教育長の任命承認制度の導入、一般行政との調和を図るため、教育委員会による予算案・条例案の送付権の廃止を盛り込んだ地方教育行政法が成立した。教育行政に対する首長の影響力が増したといえる。

 「教育の特質にかんがみた教育行政の安定性、中立性の確保」とあるが、教育長は、大田区幹部職員の最後の花道となっているし、事務局職員は全員、大田区職員で、異動があれば区長部局に戻る。さらに、教育長以外の委員は区長が選び、議会が同意する。これで「中立性」が確保されるとは思えない。

 当然、区長に選任された教育委員さんは、区長に対し「精神的ロイヤリテイ」が生まれるだろうし、首長がいやがること(歴史教科書の採択)などはするはずもない。さらに、前任の教育長に、区執行部が強力に退任を強要するなど、もはや、独立性、中立性はないものと思われる。

 大阪府知事の「クサレ教育委員会」発言や、民主党による「廃止論」など、なぜ教育委員が必要なのか、月4時間の会議で、247000円を支払うことで、どのような活動をしているのか、アカウンタビリテイ(説明責任)を果たさなければならない。

 そのような趣旨の私の質問に、大田区教育委員会下遠野課長は「定例会だけでなく、卒業式など学校行事にも顔を出していただいている」と、教育委員の「必要性」を説明された。まったく、説得力にかける。

 要するに、2名が任期切れになるが、どちらかを切って、新たに保護者代表を委員にすると、切った方、または、切った方の出身母体に対し、按配が悪い。であれば、丁度法律で「6名にしてもいいよ」と言っているのだから、1名増やしてしまえ!ということなのだろう。絶対に反対!

 次に、区立図書館14館の指定管理者を新たに指定する議案であるが、まったく「議会軽視」の説明資料には怒った。役人が出してきた議案説明資料は、A4一枚。選定委員会の委員の役職と、審査方法が1行書かれ、選定委員会の開催日が書かれているだけの、資料と言うよりはメモ程度のものだ。

 こんなバカにした資料で、指定管理者指定の議案は審査出来ない!会社名を伏してもいいから、選定の評価点などを持って来い!こういういい加減な審査が「大田区区議会の慣例」で、他の議員が「必要ない」と言うのなら仕方ないが、と迫った。

 その結果、公明党の委員から「そんなのいらない」との意見があったが、他の会派の委員及び同じ公明党の別の委員からは「必要だ」との意見が続出して、大田図書館長があわてて取りに行くという大失態をしでかした。相変わらず「情報公開」に後ろ向きな「大都会の中の超ド田舎役所」である。

 民間出身を標榜する新区長を迎えたのに、体質は相変わらずの大田区役所である。国の「脱官僚」より、地方議会の「脱役人」「脱なんでも賛成」を変えなければ、民主主義とは言えないxし、教育委員会だけでなく、地方議会無用論まで出てくるだろう。



2009年11月29日(日) 先生!規則は守ろうね!@中学校PTA音楽祭

 私は、初当選以来「学校は規則破りのデパ−トだ」と、学校職員、教員の規則破りを指摘してきた。無論、大多数の先生方、職員は子ども達のため懸命に努力して頂いていることは承知しているが、残念ながら管理職(校長、副校長、主幹)を含め、教員以前に、社会人としていかがかと思う人種が紛れ込んでいるのも事実である。

 そのことを白日に晒し、「教室を聖域」にしないことが、学校教育や教員自らのレベルアップには必要なことだと思っている。

 さて、今回見つけた「規則破り」は、以下のようなものである。

 昨日、大田区民センタ−において、大田区立中学校PTA合唱祭が開催された。主催は、大田区立中学校PTA連絡協議会で、松原区長も来賓として挨拶をされた、きわめて公共性の高い催しだ。

 そこで「事件」はおきた。ある年配のブッチャ−風の強面の男性が、出演者に渡す花束を持って会場に入ろうとした。そこで、運営委員の女性役員さんが「花束は持ち込みをご遠慮いただいています」旨、注意をした。

 時間配分の関係で、舞台で花束をあげることを禁止し、受付で預かり、後刻渡すか、演奏会場外で渡して頂くことを決まりにしていた。とこらが、ブッチャ−氏は譲らない。曰く「これは高い花束なので、他人には預けれないのだ」と、強引に会場内に持ち込んでしまったのだ。

 この強引さにあきれた役員さんが、身近にいた、区立中学校の若い教員に「あの男は誰ですか?」と聞くと、今度は、この若い教員さん「僕は知りません」と、会場外に演奏中なのに、逃げ出してしまった。勿論、演奏会の常識として、演奏中のドアの出入りは、最低のマナ−違反である。

 なぜ、彼があわてて逃げ出したか?それは、つい昨年度まで、自分の上司の副校長だったからである。さすがに「元上司の副校長です」とは言えなかったらしい。以前、自分の上司の警察副署長が酒臭いまま、自家用車を運転して警察署に来たところを、摘発した部下の警官がいた。この若い教員も、困難な道ではあるが、「先生、外でお渡ししましょうよ」と、昔の上司を諭す勇気が欲しかった。普段、部活などで生徒指導に熱心な若い教員だけに残念である。

 さて、一番悪いのは、強行突破した前副校長である。彼には「規則破りの前科」がある。昨年度末で定年を迎えた区立中学校に赴任する前任校で、禁止されている「自家用車通勤」を5年間も続け、電車通勤として偽って届け出て、その間の通勤定期代を受け取っていたのだ。

 当該校の関係者からの連絡により、私の知ることとなり、教育委員会から呼び出され、厳重注意処分となった。定期代は返還したのだろうか?多分、身内に優しいお役所だから、「不問」だろうな。

 このような、本来子ども達に規則を教えるべき教員、それも卑しくも最近まで管理職だった人間が、このような規則破りを「確信犯」として行うことは断じて許せないことである。他校の出演者、応援団からは「なぜ、あの学校だけ花束を持ち込んだのだ」と、苦情しきりだったようだ。当然である。

 当該中学校の校長には、前副校長は監督外なので、演奏中に扉を開けて逃げた若い教員への指導を電話で御願いした。ちなみに、強引なブッチャ−氏を注意した運営委員さんは、当日行われた、運営委員の反省会でこの事実を発表され、大ブ−イングだったそうだ

 多分、この日記を見た、当該校のPTA関係者、特に花束をもらった方からは、相当のブ−イングが私に来ることは過去の事例から容易に予想される。しかし、学校や教員と馴れ合うより、もっと大切なことをPTAの関係者には望みたい。決して「モンスタ−」になれ、と言っているのではない。例え、自分の学校の教員であれ、親しい友人であれ、「ダメなことは駄目!」と毅然と注意できる保護者、親、友人でありたい。少なくとも、私はそう思っている。



2009年11月27日(金) 仮設プレハブ建築に坪71万円也@大田区保育園

 まあ、お役人の吞気な金銭感覚と、それをうまく利用した業界の「官庁価格」は、あきれるほどだ。このことを白日に曝した意味では、事業仕分けは評価できよう。(その判断、内容は断固としておかしいが…)

 大田区でも、山ほど仕分けに値する事業があるが、総与党体制(共産と一部一人会派を除く)の大田区政では、議会がすべき「仕分け」は機能していないのが現状である。

 今日の本会議での議案説明について、以下のような議案質疑を行った。本来は所管委員会ですべき内容ではあるが、一人会派にはその機会がないため、やむなく本会議で以下のように質疑を行った。

 国政の場においては、政権交代が行われ、日本中が小沢民主党のファシズムに振り回されているのは、まことに憂慮する事態であります。
大田区では、国に先駆けて平成19年に政権交代がおこり、お役人出身の区長候補に対し、「民間出身」を標榜された松原区長が圧勝をされました。
しかしながら、その民間感覚は、残念ながらお役所独特のル−ルや、業界のしがらみなどに阻まれ、前政権よりお役所的になってしまったのです。
 そこで、今回の補正予算の中から、民間感覚から判断すると、すなおに「もったいない」、「おかしい」と思われる事例につき質疑をいたします。
ご答弁は、どうか形にはまったものではなく、答弁者自らのお財布から払うとしたらどうか、という当たり前の視点から、お財布を握る、ご自身の奥様を説得するつもりで、理解しやすくお願いいたします。

 まず、第101号議案、平成21年度大田区一般会計補正予算(第三次)事項別明細書、28ページから29ペ−ジにある「債務負担行為補正」についてうかがいます。
 鵜の木特別出張所改築工事に伴うプレハブリ−スとして、6900万円、また、みどり保育園耐震補強等改築工事に伴うプレハブリ−スで1億5120万円が計上され上程されています。そこで、金額の大きいみどり保育園についてうかがいます。これは、平成22年から23年の間、18ケ月間、プレハブの園舎を建築するものです。延べ床面積約212坪、鉄骨2階建てのプレハブの本体リ−ス料が987万円、このプレハブの工事費が9872万円、解体と仮設費用が2205万円、諸経費が930万円、しめて1憶5千120万円とあります。
 普通の感覚では、本体リースが940万円.で、工事費が10倍、諸経費と解体仮設費用が、リ−ス料の3倍、建築費合計では坪71万円というのは、不思議だし、もったいないと思うのではないでしょうか。
 理事者の皆さんは、長い間役人をやっていると、私人、民間人としての個人のお財布の金銭感覚と、公務員として税金という他人のお財布を使う場合の金銭感覚が、まったく別の回路になってしまうのでしょうか。
毎回、テレビで嫌になるほど流されている事業仕分けの民主党の女性議員が、この予算、事業を見たら、多分勝ち誇ったように「削減」と叫ぶに違いありません。
 学校の空き教室、公有財産の活用、民間施設の利用など、ご自身の財布と同様なシュミレ−ションはされたのでしょうか?
 今後、保育園の建て替えの度に、このような「もったいない」ほとんど、プレハブ業者や建築業者支援のようなことを続けるのでしょうか?

 次は、報告24号、仮称大田区大森西4丁目区営住宅(その1)新築工事請負契約の専決処分の報告についてうかがいます。この契約は、平成20年5月19日に希望制指名競争入札により、5建設企業体により入札が行われた結果、私が度々申し上げている談合が疑われる「最安値業者不変の原則」の通り、2回の入札共2位以下の業者の順位は入れ替わるものの、最安値の建築企業体は不変で、大田区予定価格の99.79%、差額86万円の4億614万円という驚異的な近似値で落札したのです。
 そして、平成20年12月1日に1回目の専決では、杭の太さと材質を変える、として1627万円の増額、さらに、今回、特定瑕疵担保責任保険加入に係る経費として、245万7000円を増額、専決処分されました。その結果、区長の専決の上限でえある5%までは、残すところ157500円となりました。
 
そこで問題点は、

1.1回目の専決により、入札による2位以下の4建設共同企業体の入札額より高くなってしまったこと。

2.何故、建築業者が附保すべき特定住宅瑕疵担保責任保険の保険料を施主たる大田区が支払うのか。

 確かに、特定住宅瑕疵担保の履行に関する法律は、2年半前に交付され、本年10月1日よりすべての条項が施行されたものであります。そこで、施工前の9月15日に専決処分を行い、法施行日には業者が違反とならないように配慮したのでありましょう。しかし、この法律第2条5項一には「建築業者が保険料を支払うことを約したものであること」とあり、さらには同二、ロ、において「建設業者が相当の期間を経過しても、なお当該特定住宅瑕疵担保責任を履行しない場合、建築主、発注者の請求に基づき、その瑕疵により生じた損害を補てんする」とあります。

つまり、

1.保険をかけるか、法務局に保証金を供託するかは建築業者の経営判断であること
2.保険の支払事由は、建築業者が瑕疵担保責任を履行しなかった場合 

であります。

 とすれば、瑕疵担保責任が発生しないように工事をし、万一の場合には即刻責任を果たせば、保険支払い事由は発生しないのであります。
 例えば、大田区が身障施設で貸切バスを借り上げる場合、借り上げ単価とは別に自賠責保険や任意保険の保険料を負担するでしょうか。
 さきほどの保育園のプレハブ工事では1億5千万円の工事で930万円、6%分を「諸経費」として見ているのですので、4億を超えるのですから、経費は2000万円以上計上されているでしょう。つまり、瑕疵担保責任は保険をかけるか、保証金を供託するか、建築業者の経営判断と責任として、必要であれば、この必要経費の中で処理すべきであります。

 そこで、なぜ、施主たる大田区が負担するのか、根拠となる法文、条例、規則をお教えください。
 また、なぜ、そこまで建築業者に優しくするのか、おうかがいします。

 野田副区長は、1.国土交通省よりの文書と東京都の例にならっていること 2.法の施行が完成引き渡し前だったので、専決により処理さいた、と答弁された。

 地方分権一括法の施行後、国の所管からの文書は「強制権」を持たず、また、基礎的自治体となった「特別区」は、東京都に右に倣え、をする必要はない。相変わらずの、中央集権、東京都依存の「分権時代に遅れた」自治体であることがよくわかった。







2009年11月25日(水) 約束通りお迎えにまいりましたbyJAL@ジブチ

 私のところには、毎月自衛隊関係の新聞が6紙届けられる。おやばと(自衛隊父兄会機関紙)、大江戸かわら版(東京地方協力本部広報紙)、あづま(陸自東部方面隊広報紙)、防衛ホ−ム(自衛官向け)、朝雲(自衛官向け)、CRF(中央即応集団広報紙)の各紙である。

 その中で、先日届けられた朝雲新聞(11月5日号週刊)に以下のような記事が掲載されていた。

ジブチ派遣から4カ月・・・・「約束どおりお迎えにまいりました」

見送りと同じ日航クルーたち 無事帰還祝う寄せ書き

 ソマリア沖・アデン湾派遣海賊対処航空隊の陸上警護を担当した陸自ジブチ第1次派遣隊員が帰国途中の民航機内で搭乗員から無事帰還を祝う寄せ書きを贈られた。日航のチャーター機、JL8820優で、羽田着陸の10月9日、乗員代表から警衛幕僚の森川駿治2佐に手渡された。
 この日、8820便のクルーは機長、パイロット、乗員のほとんどが1次派遣隊員を出国時(今年5月28日)に羽田からジブチまで乗せたJL8821便と偶然同じメンバー。同機がジブチ到着直前、機内アナウンスで「4カ月後、必ずお迎えにまいります」と激励、隊員たちを見送った。
 今回、日航のクルーたちは色紙のほか、機内のシート肘掛やトイレなど各所に「おかえりなさいませ。危険を伴う任務の遂行お疲れさまでした。笑顔の皆様をお迎えにあがることができ大変嬉しく思います」などと書かれたメッセージカードと小さな折り鶴を置き、隊員への心遣いを見せた。
 搭乗後、クルーの思いやりに気づいた派遣隊員たちはそれぞれ自発的に「5月とほぼ同じ搭乗員で迎えに来てくださったと聞き、本当に感激しました。(中略)我々の任務は決して楽なものではありませんでしたが、東京に着く前にそのストレスから解放されたような気がします」など感謝のメモを機内に残した。
 後日、移動手配を担当した旅行会社の添乗員から、機内点検時、メモに気づいた搭乗員の中には文面に触れ涙を流す姿も見られた、との話が伝えられた。


 羽田空港の北旋回での出発(通称ハミングバ−ド)では、ライバルANAに比べて、格段に騒音を撒き散らし、経営はぐちゃぐちゃのJALだが、現場のこのようなホスピタリテイには頭が下がる。

 はたして、「自衛隊は若葉マ−ク」と言い放った、ガイコツ岡田や「自衛隊のインド洋派遣は評価が低い」と言った防衛大臣さん達は、まさか出迎えにいったのだろうな!!

 ボケ亡国民主党さんよ!



2009年11月24日(火) 官僚の手のひらの中で事業仕分けby民主党

 民主党の事業仕分けが、連日マスコミで報道されている。政治家のスキャンダルや歳費の多寡だけに関心をよせていた、マスコミにコントロ−ルされた国民、有権者が自ら支払った税金の使い道に、関心を持つようになったこと、公開の場で議論すること、この2点は大いに評価できる。

 が、だ。謝蓮舫議員の、あおの勝ち誇ったような顔だけは、なんとしても許しがたいものがある。勘違いも甚だしい。また、、面白いのは、各官庁が出してくる「事業仕分け対象事業」の内容だ。

 仕分け人や、民主党の議員は、しょせん「予算組みの素人」である。とすれば、誰かが、この仕分け事業を「選んできた」はずだ。誰か?財務省主計局、というのが霞ヶ関や永田町で、風聞聞かれる「選んだ人たち」である。

 さらに面白いのは、各官庁の「仕分け対象」は、必ずしも、各官庁の「主たる事業」ではない点だ。本日、まな板にあげあれたのは「自衛隊広報事業」である。

 謝蓮舫議員らは、陸上自衛隊広報センタ−(朝霞駐屯地所在)を視察して、ヘリのシュミレ−タ−やなどを堪能して「入場料と取れ」と、事業削減を提示したそうだ。うまくやったな、防衛省と防衛主計官!というのが感想である。

 まあ、そもそも世界中の軍隊の広報施設で「入場料」と取るところがあるのか、ぜひとも教えていただきたいものだ。それよりも、防衛予算のなかから、たかだかの広報予算を「仕分け」に出すとは、仕分け人や民主党もなめられたものだ。

 自衛隊の本来の装備品などは、広報予算の比ではない。「この戦車の台数は必要か」「戦闘機は?」「艦艇は?」とやれば、すぐさま100億や200億は出て来るだろう。が、それは出てこない。

 さらに、仕分け人に短時間で議論させるために、財務省作成の「論点マニュアル」が、配布されているとの情報もある。

 「脱官僚」と叫びながら、財務事務次官を日本郵便社長に返り咲かせ、官僚作成の「論点」で、事業仕分け、なんとも「お茶目」な人々である。

 そして、哀れなのは、院政を敷いている「小沢幹事長」が、決定権のすべてである点である。国会対策委員長ですら、この意向に逆らえば、路線変更を強要される、恐るべし「独裁帝国」に、哀れかな「議員バッチ」のため、必死にしがみついている各級議員さん!

 ぜひとも「脱官僚」「脱日教組」「脱自治労」「脱連合」が出来たら、次は「脱小沢」をぜひとも成し遂げて欲しいものだ。多分、太陽が西から出ても、それは無理だ。あと、民主党にできないこと、それは、党本部と議会控え室に国旗を掲揚すること、遅刻しないこと。これも無理だと思う。

 悔しかったらやってみろ!



2009年11月23日(月) 久しぶりの入学試験@放送大学大学院

 昨日は、厳寒の雨の中、放送大学大学院の修士課程の入学試験の最終関門である「口頭試問」を受けに、幕張の本部まで出かけた。学部には長く通っていたが、放送大学は、最寄の学習センタ−で授業を受けることが出来るので、一度も本部を訪問しない学生も多い。私もその一人である。普段は、世田谷学習センタ−(旧学芸大学跡)か、神奈川学習センタ−(横浜国大弘明寺敷地内)で授業を受けていた。

 初めて見た放送大学本部、「え〜!立派な学校じゃん」というのが正直な感想である。さすが、文部科学省肝いりで作っただけある。また同じ敷地には、国立大学財務・経営センタ−、ICT活用・遠隔教育センタ−なる「事業仕分け」に引っかかりそうな組織と、総合研究大学院大学という大学もあるらしい。


 放送大学は、誰でも入れる開かれた大学で、様々な目的を持った学生が学んでいるが、放送大学に限らず、通信教育での大学卒業はなかなか難しい。知り合いの珠算塾の先生で、慶応義塾大学の通信教育を8年かかって卒業し、教室に慶応義塾の三色旗を飾っている方がいる。彼は、家業の下駄屋さんの店番をしながら、こつこつと学び卒業したのだ。大変なことだったと思う。

 そういえば、過日、明治大学公共政策大学院の教授と、学会でお会いして雑談の中で「お宅の社長さん、大学院卒業したよ」と言われた。社長さんというのは、大田区の松原忠義区長である。区長の激務の中、夜間に授業を受けたのだそうだ。そして、2年間で卒業。票とは無関係な、自己研鑽に時間を費やし、見事ゴ−ルに到達されたことは、心からのお祝いと、そのご努力に敬意を表する。


 さて、その開かれた放送大学ではあるが、大学院には入学試験があるのだ。特に、心理専攻は例年40倍を超える狭き門となっている。私は、すでにこの大学院の修士選科生として12単位を取得済みなのだが、修士号を取得するには、試験を受けて修士課程の正規の学生になる必要があるのだ。そこで「社会経営科学プログラム」の入学試験を受験した。

 一次試験は、大学の成績証明書、志望動機、研究計画書などの書類審査である。これに合格した者は二次選考にすすむ。先月下旬に、小論文と英文読解の筆記試験を通い慣れた弘明寺の神奈川学習センタ−で受けた。

 小論文は、数多くの課題が提示され、そのうちから自分の研究課題に最も近いものを選び、論述するものだった。私の選んだものは、他のプログラムと違って、いささか易しい気がした。「大統領制と議員内閣制の違いを述べ、我が国の政治制度につき論述せよ」というようなものだったと思う。

 また、英文読解は、ジャパンタイムスの記事を読み、設問に答えるものだ。今回は、住基ネットについて最高裁が住民の上告を棄却した、というような記事であった。

 そして、本日の面接試験である。

 指定された時間に出向いて、自分の順番を待つ。久しぶりの面接試験には、待つ間、自分でも意外だがドキドキした。受験番号が呼ばれ、会場に入る。

 放送授業で見慣れた教授と、もう一方、試験官2名と対峙する。質問のほとんどが、すでに提出済みの研究計画書についてのことだった。研究課題についての理解、具体的方法、先行研究事例への関心などが問われた。約10分の短い面接だったが、なんとかこなせたと思ってはいるが‥

 発表は、12月18日発送されるそうである。従って12月19日以降、放送大学大学院についての記述が、この日記になかったら、何も聞かないで欲しい。慰めの言葉も不要である。お願いだから〜



2009年11月22日(日) 沈黙を続ける民主党内保守・民社系議員諸君!by民主党都議

 本日、憂国の民主党土屋敬之都議(板橋区)選出から、以下のような民主党議員に宛てたメ−ルを頂いた。誠に真実をついた内容に感銘し、その勇気にエ−ルを送りたい。民主党にも、少しだがこのような議員がいる。ただ、大多数は彼が指摘するように「選挙事情」により、大躍進した民主党、そして、それをコントロ−ルする小沢幹事長に「物をいえない」のが実態である。どこぞの、区役所と構図が似ているのは、世の流行なのだろうか?以下、メ−ル全文である。


貴殿は言ったではないか!「●●を必殺仕置き人に頼めるのなら私も10両出します」その後、貴殿は連絡を絶ち、現在、政府の要職にある。
私に民社の精神を説いた貴殿!民社の精神はどうされた。
電話で「私も先生と同じ考えです」と言った多くの皆さん!

貴殿たちは、議員ではなかったのか。
議員は、生活の手段か?そうであるのなら,「子供がいるので、正直に物が言えません」となぜ言わない。仮にそうであるにしても、政治家として失格だ。
『政治家が言葉を失った国は滅びる』とある。

特攻隊の先輩たちは「後に続く者あるを信ずる」と言って散華した。
西村塾で勉強した君!そう君だ! ブルーリボンはどうした!西村先生に顔向けが出来るか。
「後援会がいろいろありまして」と言う君もそうだ。
では、なぜ、説得しない。

議員は、投票する機械でも、張子の虎でもなんでもない。
自分の信念と思想を持った人間である筈だ。
この国家存亡の折、「言い訳」を言いに電話をかけ、言い訳がましく賛同し、それで何も言わない。行動しないでは、賛成している議員より質が悪い。

良識的労働組合幹部諸氏。
諸氏は私の前で何と演説した。内輪の会合なら演説も出来るが、公では出来ないとは、貴殿の組合は秘密結社か?

ポジションが欲しい、議席を守りたい。立派な理由だ。
であるなら、私と同じように、「正論」を主張して議席を守れ!
夜、酒を飲み、だらだら生活し、それで、言うべき時に、党を恐れて発言もしない。それが議員か。

鏡の前に立ち、己の信条を述べ、今の革命法案を述べて見よ。乖離はないか?
あるだろう。
次に、議員として今、自分の取っている態度を述べてみよ。
恥かしくて涙が出るだろう。それなら、信条に基づいて行動しろ。

それでも、「出来ない」と言うのなら、貴殿は、生活の為、議員職に寄生する寄生虫と同じと言われても仕方がない。

弱虫・卑怯者と言われても仕方がない。それでも、「どうせ、有権者は難しいことは分からない」と言って、巧言令色に生きるか。それは、精神的売春婦と同じだ。
無礼だと思うのなら、ご発言をお願したい。民社の精神を見せて欲しい。
保守の、良識派の精神を見せて欲しい。

諸君は、選良ではないか。
なら、なぜ、決起しない。発言しない。

仮に、閑職に追いやられてもそれは、日本の歴史の一瞬でしかない。しかし、日本は、祖国は2600年、悠久の歴史を生きている。諸君の名前など、30年経てば誰も知らない。しかし、日本はここに生きている。
それを考えれば、職を賭して行動する価値はあると思う。

議員が真実に生きずに、誰が生きるのか。国民の範に誰がなると言うのか!


民主党を国民政党に!保守改革政党にしよう!

**********************************************************
東京都議会議員  土屋たかゆき  板橋区 当選4回 民主党改革派



2009年11月21日(土) 大田区政策研究フオ−ラム「今、地域力を問う」

 今日は、大田区主催の「大田区政策研究フオ−ラム」が開催されたので顔を出した。基調講演の増田寛也前総務大臣(元岩手県知事)が基調講演をされるというので、二元代表制の意義と、議会の役割を説かれていた彼が、「二元代表制が機能していない都会の田舎町、大田区」で、いかなる講演をするかが楽しみだったのだ。

 開会挨拶と主催者挨拶は、大田区を象徴しているようで印象的だった。それは、最初に開会挨拶にたった「実行委員長」たる、大田区の若手職員のHさんは、ノ−原稿で自らの言葉で、このフオ−ラムの想いを語ったのに対し、松原区長は、誰が読んでも、誰が書いたも「当たり障りのない」原稿を朗読され、最後のワンセンテンスだけ、原稿なしで「ご自分の言葉」で語られた。

増田前総務大臣(現東京大学大学院客員教授)

「なぜ、今地域力なのか」
地方分権は制度論が大切なのではなく、制度をいかに各地域にあったように工夫していくことが重要である。

知事、大臣を経験すると、予算は削るのは簡単、創るほうが難しい。民主党の事業仕分けについて、その可否は言わないが、あれだけの専門家を集めるのなら、削る作業ではなく、創る作業を行うべきだ。

地域分権は、いままで行政権の分権だけが語られていたが、これからは、立法権の分権も必要だ。国会で決める法律ではなく、地域のことは条例で、地方議会が決める仕組みだ。多くの国会議員が、地方分権に賛成だが、立法権の委譲のためには、最大の抵抗勢力は国会議員になるかもしれない。

 そして、最後は時間切れで、あたらしい公共の仕組みと、地域力を生かそう、とのレジメを駆け足でお話されて終わりだった。

 あまりに、一般的かつ「つまらない」基調講演には拍子抜けしてしまった。さては、「大田区の首長や議会のレベル」にあわせて、レベルを考えてくださったのか。それとも、東京大学という「いたってつまらない最高学府」の教授に就任され、東大の「企業文化」に染まったのか‥

 いずれにしても、過去拝聴した、改革派知事のお一人だったころの講演とは、相当ソ−ンダウンしたものだった。物たりなかたので、以下、私が拝聴した彼の過去の講演の一部を掲載する。 


増田寛也前岩手県知事(2007.7.14 ロ−カルマニュフェスト推進議連)
私は3期でやめた。やるべきことはすべてやった。12年で出来ないことは、16年だろうが、20年だろうが出来ない。情報を出来るだけ隠すのがお役所だったが、今後はいかに情報を公開し、痛みやウミを処理していくかが問われている。各議会の調査課はとてもヒマをしている。これを使わなければいけない。議会の姿が、どれ位市民に伝わっているだろうか。市民はほとんど関心がない。議員は、もっと発信すべきである。

増田前総務大臣(2009.05.21 地方自治経営学会)
研修会などをやると、毎回同じ顔ぶれの議員さんが出てくる。本当に熱心に勉強されている。が、本当に聞いて欲しいのは、研修会など出てこない議員さんだ。地方議会の活動に国民が無関心。これは有権者の責任である。地域の代表者たる首長、議員を住民が真剣に選べば地域は変わってくる。

 そもそも、今回のフオ−ラムは、大田区の若手職員が実行委員会を作り、半年間かけて準備をし、自治体学会が「後援」をしているものだ。ゴマすり、情実人事が横行する組織において、健全な若人が残っていることは心強い。

 ただ、どうか「政策」は首長と議会が議論し、すり合わせる、ということが本来の二元代表制であり、そのことは残念ながら、みなさんの勤務する大田区では具現されていないこと、このことを是非、自らの良心に刻んでおいて欲しい。

 あなた達(若手職員)が、管理職になるころ「そういえば、あの時代の大田区政はおかしかったな」と、笑い話が出来る区政を、職員も、今後出るであろう新たな区長も、議員も肝に銘じ目指さなければ、地方分権から大きく取り残された「都会の中のド田舎自治体」になってしまう。

 大田区の多摩川のほとりのマンションに暮らす、増田前大臣には、はたして地元の区政は、どう映っているのだろうか???ぜひとも伺いたいものだ。

 そして、「地域力」優先の松原区長は、森総務担当部長とともに、青少年対策委員会メンバ−と鬼怒川温泉へ旅立ったのだ。ご苦労様!



2009年11月20日(金) 嗚呼!日米同盟も終わりか?亡国民主党政権

 政権のダッチロールと、小沢幹事長の「フアシズム」が顕わになりつつある民主党。事業仕分けでは、蓮舫(本名:村田蓮舫、旧名:謝蓮舫)議員の、勝ち誇ったような顔には、チャンネルをすぐさま変えることにしている。何様じゃい!元クラリオンガ−ルさん。

 それよりも、安全保障が大問題である。「自衛隊を若葉マ−ク」だなどという岡田外務大臣、「米国の極東におけるプレゼンス(存在)は第7艦隊で十分」と述べる小沢幹事長、さらには、就任挨拶で「インド洋は評価が低い」とバカぶりを発揮した北沢防衛大臣など、どいつもこいつも、現状認識がない。

 さらに、普天間の県外移転こそが党の命運とばかりの社民党福島党首。あきれた米国は、オバマ大統領の日本滞在は1泊、中国は3泊と、到底、最恵国待遇の同盟国と「仮想敵国」との接遇とは思えない滞在日程を組んだ。

 迎える鳩山総理も無茶苦茶である。オバマ大統領の来日中に、天皇陛下に後をお任せして、APEC参加のためシンガポ−ルに出発してしまったのだ。ちなみに、米国もAPECのメンバ−である。なんたる外交上の無礼か!なにが「友愛」だ。あんた(米国)より、アジアを重視しまうよ、とメッセ−ジを発信してしまったのだ。

 その民主党の反米の努力(?)が実ってが、米軍の国外転出が明らかになっている。米空軍は、嘉手納基地所在のF15戦闘機48機のうち、24期を三沢基地に移転、三沢所在のF16戦闘機40機を米国内へ移転させることを決定。さらに、沖縄駐屯の海兵隊約8000名も日本国外に移動するという。

 これにより、対中国、対北朝鮮に対する防空能力は大幅に後退し、我が国同時の対空戦闘能力を次期防で再構築する必要がある。しかし、民主党政権では、それもあり得ない。

 現在の日米安保には、主権国家としての異論もあるだろうが、最も割安な国防手段として割り切るべきだ、と思っている。米軍にすべてお引取り頂いて、現在の極東情勢に対峙する、我が国独自の防衛力整備には、莫大な予算と時間が必要とされ、あまりに現実的ではない。

 早く、目を醒ませ!亡国の民主党!又は、民主党に賭けた日本国民!



2009年11月19日(木) 全国武の会(自衛隊OB議員の会)設立!

 今日は、午後から参議院議員会館で、全国武の会設立総会に出席した。これは、全国の自衛官出身の地方議員が結集する会である。平成11年に、田村秀昭参議院議員(故人、元航空自衛隊幹部学校長)が、同様の組織の立ち上げを試みたが、どうもうまくいかなかった。

 今回は、先行してOB議員の会が出来ていた宮城県(知事もOB)の組織を拡大する形で設立に漕ぎ着けたものだ。国会議員では、尾辻秀久参議院議員(海)、中谷元(げん)衆議院議員(陸)、佐藤正久参議院議員(陸)が、首長では村井宮城県知事(陸)、宮下善通寺市長(空)、菊池伊豆市長、江戸扶桑町長、新貝中津市長が会員となられた。また、県議、都議を含め地方議員は75名が会員として名乗りをあげたとのこと。

 全国には、約300名のOB地方議員がいることがわかっている。(H12の調査)さらに多くの仲間が大同団結して、物言えぬ「現職」に代わり、大いに発信していかなければなるまい。

 国会議員の挨拶の趣旨は以下。

中谷元衆議院議員
山形県でレンジャ−の教官をしていた。今の私が、政治の激務に耐えられるのは、あの経験があったからだ。私の体は、自衛隊そのものである。

佐藤正久参議院議員
北沢防衛大臣は、着任の辞で、旧軍の暴走で先に大戦が始まった。そうならないようにシビリアンコントロ−ルを徹底する。インド用は評価が低いので撤退する。等と述べた。指揮官からこのような言葉を言われて、現場はどう思うのかわかっていない。また、岡田外務大臣は、自衛隊は若葉マ−クさからアフガニスタンにはいかせられない、と述べた。いったい、民主党の安全保障政策はどうなっているのか。


 この後、懇親会となったが、佐藤正久議員については、初当選の選挙でいささか嫌な想いがあったのだが、お酌をして頂いた際、ご本人から「色々、ご迷惑をおかけしました」と言われ、すべてを忘れた。

 また、自己紹介で、懇親会出席の20数名の中に、自衛隊生徒の先輩、後輩が4名もいることを知り、大いに盛り上がった。さらに、サプライズは、来年の参議院比例代表区に自民党公認候補予定者として、航空自衛隊OBの宇都隆史氏を擁立することが発表された。


 氏は防衛大学校42期生、航空自衛隊で要撃管制幹部として9年間勤務した後、松下政経塾に入塾した、イケメンのナイスガイである。無名の若い自衛官が、混迷した国政に挑戦するというのなら、なんとしても応援しようではないか。

 がんばろう、全国の隊友議員の皆さん!!!!




2009年11月18日(水) 大田区自民党、国政に先駆けて再編か??

 議員の控え室の机の上、メ−ルボックスには実に様々な文章、お手紙などが届く。時には「死ね!」等と言う物騒なものもある。本日の文章は、想定内とはいえ「またですか」という感じだ。

 それは、議会事務局発のもので「議員の会派異動について」というものだ。それによれば、先日、自民党3会派だったものが、4回派目に「自由民主党政友会」なる会派が出来たのだが、この新たな会派に、11月16日付けで、自由民主党大田区議団所属の4名が合流し、同日付で、自由民主党大田区議団(ここでは、最長老議員の名をとって便宜上、永井派とよぶ)は解散したそうだ。

 いやはや、なんだか、忙しい。当初は18名の最大会派だったものが、議会内役職と、区長との関係をめぐり、真の親区長派(自称)9名が分離、大田区議会自民党(ここでは同上の理由で河津派と呼ぶ)を設立。その後、議会内人事の見解の相違から近藤忠夫議員が永井派を離脱、自由民主党大田区議会を一人で設立。さらに、先日、河津派から2名、永井派から4名が離れて、政友会を設立したのだった。

 まあ、他所から見ていても、政友会は、全員合流のためのソフトランデイングとしての、土俵作りだ、と思っていたが、なんとしても合流の条件として「議長と幹事長をよこせ」(河津派の発した部外秘文書による)と頑なだった、河津派は合流せず、また、近藤議員も合流しなかった。

 結果、政友会10名、河津派7名、近藤議員、と3つの会派構成となり、相変わらず、大田区議会最大会派は、公明党である。従って、議会内の慣例で、永井議長が辞任すれば(慣例では毎年辞任で交代)、公明党から議長を選出することになってしまう。

 何度も書いているが、大田のサル山の大将よりも、日本という大きなサル山の大将を交代することに全力を傾注すべきで、区民に理解しにくい会派間抗争をやっている暇はないはずである。保守勢力は、超党派で合流し、現亡国政権を倒すべきであろう。

 がんばれ!自民党!まだ、民主よりマシだ!

(参考)

自民党政友会:
永井敬臣、田中一吉、水井達興、高瀬三徳、安藤充、伊藤和弘、塩野目正樹、鈴木康文、鈴木隆之、湯本良太郎

大田区議会自民党:
河津章夫、海老沢信吉、松原秀典、岸田哲治、松原茂登樹、大森昭彦、押見隆太

自民党大田区議会
近藤忠夫



2009年11月17日(火) 年収1000万のお仕事ありますby大田区課長公募

 任期付公務員採用の条例を可決して以来、様々な職種において、「任期付」が「人気」である。あきれた事例では、定年退職の一日前に「大田区職員を退職」させ、一日だけ民間人にして「翌日から任期付採用」などという新たな天下り?とも言える荒業まで実施されている。この例は、問題ありとして東京都が疑義を表している。

 また、新政権の目玉である観光課長も、墜落寸前の航空会社の「ホテルマン」から「期限付き」で入庁されたが、いかなる理由かは承知していないが「病気療養」を理由に9月以来姿がない。

 東京都の天下り的「期限付き課長」も、「高度な識見」で採用されたわりには、議会答弁では「承知しえいない」「私は担当したことがない」「そう信じてやってきた」など、およそ「識見がある」とは思えない内容を答えていた。 

 さらには、建築系の比較的若年の「期限付き」担当課長、係長の中には、全職の「会社名」を明らかにしない者もおり、ひょっとしたら、ゼネコンなどから「期限付き」を装い送り込まれたスパイか???

 さて、そのような中、またまた大田区では、期限付き課長と係長を公募することになった。対象は「再開発担当」である。資格要件もたいしたことはない。

 課長が、再開発の経験3年以上。係長が経験があること、だそうだ。その程度の経験の人材民間から期限付きで公募する必要があるのか疑問である。再開発は、発議から竣工まで、早くても5年以上。時間がかかるところでは20年以上を費やす事業である。たかだか、3年の経験は、なんの役にたつのか。

 また、この程度の人材を庁内で発掘できないのか、と実に不思議に思う。さては、またお得意のデキレ−スで、どこぞのデベロッパ−と組んで「すでに決まった人材」がいて、それを「透明性、公平性を高める」言い訳に、公募をするのか??

 真偽不明の「民間出身」を標榜する、自民党出身区長と取り巻き役人である。



2009年11月16日(月) いぬぶし、ピロリ菌に感染か?

 一昨日、ある医療機関の会合で同じテ−ブルでご一緒した消化器系の女医さんに、「過去に十二指腸潰瘍にかかった痕跡があること」「最近、下痢ぎみであること」などを告げると「ピロリ菌駆除」を勧められた。

 以前、放送大学の保健衛生系の面接授業で、講師がピロリ菌駆除をされた体験を話され、ピロリ菌駆除が胃がんのリスクを軽減するから是非、との言葉を思い出した。

 さっそく、本日、「いるかいないか」の検査を受検した。これは、ピロリ菌に反応して二酸化炭素を発生する検査薬を飲む前後の、呼気に二酸化酸素量の差異を測定することにより、その有無を確認するものだ。

 最初に、呼気を採取。次に検査薬を飲み、5分間横たわり、さらに15分間座位で安静にし、呼気を再度採取する。結果は、5日後とのこと、永年同居していた「知人?」の有無は、いささか面白いではないか。

 ただ、一部学説によれば、ピロリ菌除去を行った患者に、食道炎や食道癌の発症が多くなった、という。必ずしも悪玉だけではないのだろうか。

 ちなみに、検査は保険適用で2400円也。50歳以上の方の50%以上は保菌者だそうで、検査をお勧めする。

 



2009年11月15日(日) いぬぶし新入隊員、市民消火隊「旗手」の栄誉に!

 自民党、民主党の多くの議員が消防団に入り、普段から消火訓練や救護訓練をされているのは、誠にりっぱだと思う。ただ、私は航空自衛隊予備自衛官なので、大規模災害、国民保護などの事態には、招集命令が防衛大臣より届く可能性がある。そこで、消防団と自衛官の選択を迫られた時には、たぶん、自衛官を選ばざるを得ないだろう。従って、再三のお誘いも固辞しているのだ。

 消防団とは別に、多くの町会には市民防災組織としての「市民消火隊」がある。普段、消防団の指導のもと、初期消火訓練などを行っている。妻は、地元町会の女子消火隊員で、操法発表会では「2番員」として活躍をしているが、私は、これも逃げまわっていた。

 ところが、つにに逃げ切れず、一昨日「制服が出来たから取りに来るように」との指示が、消火隊長からあった。そして、本日、六郷地区市民消火隊操法発表会が多摩川河川敷で行われた。

 勿論、新入隊員の私など出る幕はない、と思い開会式に臨んだのだが…
隊長「今年は、当町会が幹事なので、旗手をやらなければいけない。誰かやって」一同シ−ン…

隊長「じゃあ、いぬぶしさんやってよ!」

私「一応、来賓なんですけど…」

隊長「大丈夫!大丈夫!」

 てな訳で、突如、六郷地区15町会の消火隊の先頭を、とても重い旗を持って行進することになってしまった。

 自衛隊で散々やらされてきた「観閲行進」のようなものだが、何しろ30年も前のことだ。忘れちまったな〜

 旗の敬礼は、旗を体に直角に掲げて行うのだが、この旗が実に重い。行進中は、なんとかなったが、挨拶の度に、「かしら右!」。これは大変だった。不動の姿勢での「旗の敬礼」は、まず予令「かしら〜」で旗を真上にあげ、動令「みぎ!」で旗を真正面、体に直角に出す。「直れ」で、反対の動作だ。

 これを繰り返すのだから、たまらない。事前にわかっていれば「休め」の姿勢の時は、旗を保持せずに、右手で体と同じように地面に立てることも、形としては出来たのだが…

 いやはや、右手が痛いこと。他の議員からは「政治力で、一番目立つところを取ったのだろう」と言われたが、とんでもない。

 まあ、旗手というのは、名誉なことではある。皆さん、御苦労さま。




2009年11月14日(土) 日本解体阻止!!守るぞ日本!国民大行動

 今日は、志ある保守系地方議員の団体である、草莽全国地方議員の会等が主催する「11.14 日本解体阻止!! <第2弾> 守るぞ日本! 国民大行動 」が有楽町マリオン前で行われた。

 昼間から街頭演説、日比谷公園までのデモ行進、そして、またマリオン前で17時半まで、街頭演説というロングランの企画だ。

 固い内容と、土曜日という日程にどれくらいの方々が集まるか?なんと、マリオン前は、約2,000名もの人々が参加し、身動きができない状態だった。




 外国人参政権、夫婦別姓、靖国に替わる国立追悼施設など、民主党政権はまさに、とどまるところを知らない「亡国政権」である。なんとか、この暴走を止め、国民の前で化けの皮をはぐ必要がある。

 民主党お得意の「労組の動員」とは違い、今日は誰に動員されたのでもない人々が、怒りをもってマリオンに集結したのだ。街宣車の上には、高市早苗衆議院議員や、憂国の士である西村眞悟前衆議院議員、田母神俊雄前航空幕僚長の姿もあり、道行く人の歓心を買っていた。

 私も多くの同志の地方議員と街宣車の上で、いかに民主党が危険で、外国人参政権など絶対に認めてはいけない、と訴えた。自民党への「お灸」のつもりが、日本解体に繋がってしまう等とは、有権者は考えなかったのだろう。

 はやく、出て来い保守本流のマトモな政党!!



2009年11月13日(金) 忘れちゃだめでしょ!国旗掲揚by区立学校管理職

 我が国ほど「国旗をあげる」という、世界中の国で当たり前におこなわれていることを、当たり前にできない国はない。北朝鮮だって、国旗だらけではないか。

 昨日は、天皇陛下御即位二十周年の国民がこぞって祝賀すべき日であった。さすがに左傾した民主党政府も式典を開催し、祝意を表した。内閣府、文部科学省、総務省などは、この日、全国の自治体、学校、企業などに国旗を掲揚するように、協力を依頼した。

 大田区教育委員会でも、これを受け、区立学校の学校長宛てに、国旗掲揚の依頼文を数回流したそうだ。(教育委員会総務課長)ただ、日教組の教育政策丸のみの民主党政権下で、はたして国旗を掲揚するのか、不信に思い、議会調査係に調査依頼をした。

 大田区4地区で、中学校、小学校各2校づつをランダムに抽出し、11月12日の国旗掲揚状況を調査して欲しい、との依頼だ。全校調査してもいいのだが、とりあえず実態をすぐさましりたかったので、16校にとどめたのだ。

 結果、調布地区は、小中学校ともに4校共に掲揚されていた。大森地区は、小学校、中学校、それぞれ1校が掲揚していなかった。糀谷・羽田地区では、中学校1校が掲揚していなかった。問題なのは、蒲田地区の小学校である。「朝のうち掲揚していたが、今は掲揚していない」という回答である。何が原因なのだろうか。

 さっそく、掲揚していない学校、降ろしてしまった学校の副校長、または学校長に電話で事情を確認すると、またまた面白いことがわかった。

 *大森地区の中学校の副校長:忘れていた。その文書はいつきたのか?

これでは、生徒の忘れものの指導は出来ませんな!

 *糀谷・羽田地区の副校長:忘れていた。午前中の議会からの調査で気づいた。

では、なぜ、午前中のうちに掲揚しなかったのか、との私の問いに「すみません。今から掲揚します」と。う〜ん!!学校管理職って、この程度か。

 *蒲田地区の朝掲揚していた校長:なぜ、降ろしたのか?私の指示ではない。風が強いからかもしれない。すぐ、掲揚する。指導が行き届かなく申し訳ない。

へえ、他の学校では風は吹かなかったのだろうか?それにしても、学校管理職が知らないうちに、国旗が降ろされるとは、学校とは恐ろしいところだ。

 *大森地区の掲揚していない小学校長:インフルエンザとか忙しくてそれどころではない。個人情報の関係で話せないこともある。

はあ〜!!!ついに、国旗掲揚が出来ない理由に、インフルエンザと個人情報まで持ち出すとは、流石、学校長になる方の頭脳はすばらしい。だいたい、校長が掲揚するわけではないはずだ。主事に指示すればすむ。皇居前から15時半に電話をかけ、「間違いを気づいたら、すぐ直す。教育者の基本でしょ。今から掲揚したらどうか」と、私が頼むと「学校は、あと30分で終わりだが…」と、学校長は嫌そう。

何???また、1時間、教員が早帰りをしているのか、と思ったら、児童の下校時間までだという。「下校時間に国旗がある。子どもたちは、なぜ、と思う。それでいいじゃないか」と、告げた。はたして掲揚されただろうか…

 全校調査していれば、学校名を公開するのだが、ランダムの一部抽出調査なので、他に掲揚していない学校と不公平になるので、今回は学校名を明らかにしない。

 どうか、教員のみなさん、学校だけがシ−ラカンスのような、時代錯誤の組合活動や、国際常識から外れた行動をしないように願いたい。あなたたちは、定年まで「閉鎖されたユ−トピア」にいるからいいが、教え子らは、学校を卒業いたら、まともな国際常識を身につけ、まともな国民にならなければいけないのだから!

 頼むよ、日教組の政治組織たる民主党さんも!せめて、政権与党なら党本部に国旗ぐらい掲揚しろよ!無理だよね。横路さんや輿石さんがいたんじゃね。

 



2009年11月12日(木) 天皇陛下ご即位二十周年をお祝する国民祭典

 二十年前の今日、天皇陛下はご即位の礼を行われた。本日は、政府主催の記念式典が挙行され、夕方からは、奉祝委員会主催の国民祭典が皇居前広場で行われた。

 第一部の奉祝まつりは圧巻である。何しろ、全国の著名なお祭りが、一同に会し、見ることができるのだから。

 五所川原ねぶた(青森)、奥州江刺百鹿大群舞(岩手)、しばた台輪(新潟)、館林八木節(群馬)、佐渡おけさ流し(新潟)、郡上おどり(岐阜)、東京神社庁連合御輿渡御、など、まだまだある。


 その後、2部は祝賀式典である。前回10年前は、一般席での参加だったが、今回は国会議員のすぐ後ろの来賓席だったので、さすがに圧巻だった。各界を代表する方々の紹介、あまりに多すぎて覚えきれなかったが、何人かを列挙する。

森光子、宇崎竜童、松崎しげる、藤岡弘、常盤貴子、原辰徳、王貞治、野村克也、高橋尚子、荒川静香、…

 印象的だったのは、ポ−ランド特命全権大使ヤドヴィガ・ロドヴィッチ 閣下(女性)である。両陛下がご訪問されたことから、祝辞を述べられたが、長文にもかかわらず、全文すばらしい日本語であった。

 また、原辰徳氏は、海外で日本の選手が、日の丸を胸に戦う心を披露され、これからも、天皇陛下の温かい励ましを糧に頑張っていく、と抱負を述べられた。

 荒川静香選手は、片手に原稿を持っていたが、一切目もくれず、立派なスピ−チをされた。流石である。

 演奏は、陸、海、空の音楽隊の合同チ−ムという、なんとも豪勢な陣容である。

 そして、いよいよ18時半、天皇皇后両陛下がお出ましになり会場は、12度という気温にもかかわらず、最高潮に。鳩山首相が以下のような祝辞を述べた。

(前、中略)
わけても、昭和天皇のみこころを受け継がれ、戦没者およびそのご遺族に思いを寄せ続けておられますことには、ただただ恐懼(きょうく)するばかりでございます。私どもは、天皇陛下がご即位以来、一貫して願われてこられた国民の幸せと国家の発展、世界の平和の実現に全力で取り組む決意であります。天皇皇后両陛下のご健康と、皇室の弥栄、皇室と国民を結ぶきずなが揺るぎないものとなりますことを、心よりお祈りを申し上げ、私のお祝いのあいさつといたします。

 総理、本当にそう思っているのかいな、と思うのは私の思いすごしだろうか。

 祝辞の後は、EXILEとか言う(有名らしいが、私は知らない)グル−プの奉祝曲。後で、彼らのHPなどを見たのだが、普段はかけているサングラスもはずし、全員、白ネクタイの礼装では、あったが、一昔前なら考えられない光景だろう。陛下は、メガネをおかけになり、皇后陛下と仲睦まじく何かを語りながら、聞き入っておられた。また、大画面に映し出されたメンバ−の瞳には、感激からかひかるものが見えた。

 天皇陛下からは、「少し冷え込み、皆さんには寒くはなかったでしょうか」「とても楽しい時間を過ごしました。ありがとう」とのお言葉を頂いた。本当に寒かったが、このお言葉で、寒さを忘れた列席者も多かっただろう。

 最後に、万歳三唱をして終了。

 約三万人を超える人々が参加されたそうだ。まだまだ多くの日本人の心は、健全だと安堵した。


 日本国、天皇陛下万歳!!
  



2009年11月11日(水) こども文教委員会視察最終日

 本日は、2泊3日の視察の最終日である。私が議員に初当選したころは、最終日はホテルで朝食を食べ、委員長が「解散」を宣言して、各自勝手に行動するというのが、ほとんどだった。(場合によっては、前日の夕食後に解散を宣言するケ−スもあった。)

 が、最近では「世間の目」もあり、最終日の午前中は「なんらかの視察」を組み込むことが通例となった。帰路のオン・ザ・ウエイ上で、かつ時間がかからず、視察項目に合致した施設を探す、議会事務局の努力は大変なものだ。

 そうして、今回、上記3条件にみごと合格した視察先はJR郡山駅前にある「郡山市ふれあい科学館」である。本日の日程は、以下のようなものだ。

8:15ホテル出発、8:48一ノ関駅発 新幹線 10:00郡山駅着
10:15-11:30 ふれあい科学館視察

 ふれあい科学館は、「宇宙の中のわたしたち」をコンセプトに、駅前再開発ビルの最上階20階〜24階に開設されており、23階、24階部分には、「世界一高い(高さ)」プロネタリウムが設置されている。

 到着後、すぐこのプロネタリウムの午前中の上映が始まり、約45分間、6億円の宇宙ショ−と堪能した。年間維持費3億5千万円弱、うち9割が郡山市からの支出である。

 年間入場者14万人。一人入場するごとに入場料を頂いても1700円の税金が使われることになる。

 教育や、宇宙振興に「費用対効果」を持ち出すのは、場違いたと思っているが、素晴らしい施設を拝見しながら、「基礎的自治体(区市町村)」がやるべき事業、「広域自治体(都道府県)」や国がうあるべき事業、地方自治体こそ、流行の「事業仕分け」を行うべきであろう。

 これにて、2泊3日の視察は終了である。道中、いかにもそれらしい「ご同業」の団体と何度もすれ違った。日本全国に2万人余りいる地方議員の視察が、我が国の「観光産業」に寄与する経済効果は、さぞかし大きいだろうと痛感したものだ。

 ちなみに、本視察の予算は、9名の議員と2名の職員で、ざっと120万円。はたして、これだけの公費を使った意味はあるのか。それは、それぞれの議員の、今後の言動にかかっている。

 ,
みなさん、お疲れ様でした!                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 



2009年11月10日(火) こども文教委員会視察2日目

 二日目のスタ−ト朝食は、なんと8時だという。ゆっくり寝てください、という大田区職員さんお配慮だろうが、これも「添乗員マニュアルに反している」。今回の参加者の平均年齢は50歳を超えている。この年代の方々は、前日いかに飲もうとも、翌朝は早いのが通常である。

 とすれば、概ね5時半から6時には起床されているはずなので、8時朝食というのは、遅すぎる「配慮」である。だいたい、普通の人間が平日8時に飯食うか?甘やかしすぎ!

 で、出発は9時半、9時58分発の電車に乗って、八戸、盛岡と乗り継いで一関まで行くのだが、この乗り継ぎも、あまりの配慮に「やめなさい」と怒ってしまった。改札口には、必ず、大田区職員がいて、「ここでは○○のキップを出してください」、出口では「乗車券は東京までですから、忘れずに」と、至れり尽くせりである。

 一時はやった「農協観光」でもここまでやらない。ここまでするから9名の議員に二人も職員が必要なのだろう。

 一般の方々(区民を含む)が、自分で普通に出来ることを、議員が出来ないというのは、代弁者として問題である。よく区執行部は「区内産業育成」という錦の御旗で、談合もどきを行っているが、このことが区内業者の競争力を失わせていることを知るときが必ずくるはずだ。

 同様に、議会事務局職員が「よかれ」と思って、区議会議員に手取り足取り誘導することは、そのときには議員に感謝されるだろうが、結果として、議員の「社会性」を阻害し、社会経験の少ない若い議員は、より一層、社会との乖離が広がり、バカにされることになるのだ。

 どのキップが必要か、わからなければJR職員に聞けばいい。通しの乗車券であることを忘れ、取り忘れたら、自費で払えばいい。そうすれば、次は忘れないだろう。集合時間に遅れたら、おいていけばいい。そうすれば、次回は遅れないだろう。当たり前のことが、当たり前に出来ること、それが議員以前に求められる社会性だと思う。

 さて、そのような極めて細かい配慮の乗り継ぎで、視察先一ノ関に到着したのは、12時47分である。なんと、列車乗り継ぎで、3時間かけて一ノ関に着いた。旅行会社では、絶対に組まない行程である。その無駄こそが、必要なんだ、という意見もある。

 一ノ関駅から、のどかな田園をさらに1時間。「森は海の恋人」事業の最前線の市役所支所(元村役場)に着いた。何もないところに、素敵な役場。ここでも民主党政権前でよかったね、と思った。

 「森は海の恋人」は、山の下流にある気仙沼の牡蠣養殖漁師たちが、山から流れる水と牡蠣の関係に着目したのがきっかけで始まった、自然環境事業である。山に植林をして、豊かな栄養のある水を河を通して海に流す。その結果、牡蠣が育つ、ということらしい。

 当委員会の塩野目委員長が、自民党有志と以前、ここを視察して植林をしたので、ぜひ、各委員にも紹介したい、との熱望で出かけたのだ。あまり関心のないテ−マだったので、失礼ながらどうでもいい、と思っていたのだが、塩野目委員長の「自分の植林した苗木」を見つけた時の、少年のようなうれしそうな姿を見たら、これでいい、と思ってしまった。


 案内の市職員さんが、「環境教育をちゃんとしている学校の植林はいいのだが、旅行会社の提案に安易にのって来る学校の植林は、まったく形だけで意味がない」という言葉には、環境保全をビジネスにする構図と、業者に丸投げする教員の姿が見えて、現場職員さんに申し訳ない気持ちになってしまった。

 そして、下山して宿泊ホテルへ。本日のホテルは、恒例のビジネスホテルである。



2009年11月09日(月) こども文教委員会行政視察1日目

 本日から3日間、区議会こども文教委員会の視察で、青森県、岩手県、福島県を訪問する。都市環境委員会が、宮古島・沖縄、総務財政委員会が、やはり沖縄に行ったのに比べて、なんとも地味(失礼)ではある。

 本日の日程は、以下のとおり。相変わらず「のんびり」な行程である。毎度の事ながら、行政視察のあり方、そして、必要性を考えてしまう。

09:00羽田空港集合、09:45羽田発 JAL1203 11:05青森空港着
青森空港からバスで青森駅、昼食。13:30青森市役所着。視察。
15:00青森市役所発、15:30三内丸山遺跡着。視察。16:40遺跡発、17:30旅館着。

 議員9名に議会事務局職員2名がお世話係として同行する。通常、旅行業界では観光バス1台(最大45名)程度までは、添乗員1名、ベテラン添乗員であれば3台程度まではこなしてしまう。しかし、議員という特殊な人種には、どうやら、この程度の「お世話係り」がいるようだ。

 例によって、同行する職員の第一関門は「定時に集合してくれるか」「欠席しないか」である。昨日、担当の職員さんから「明日です」と確認の電話が入ったのには笑った。旅行会社より親切!

 さて、楽しみ(何が?)の集合時間である。はたして、定時集合はどうか。やはり民主党だ!集合時間に遅れること15分。「出かけてから忘れ物に気づいた」そうだ。先日も書いた民主党の若い女性議員の病的な遅刻グセといい、もはや、遅刻は民主党の企業文化と言ってもいいかもしれない。(ここまで書いても、次も遅刻するからたいしたもんだ!)

 昼食場所で1時間半もの昼休みを頂戴したので、青森市内を「個人視察」をしてみた。正直言って「ヒドイ」の一言である、中央政府では「地方分権」が花盛りであるが、権限を委譲しても、これほどまでに経済が疲弊している現状は、地方だけで解決できるのだろうか。ましてや、民主党のファシズムとも言える「めった切り」の結果、地方都市はますます、ひどい状態になるだろう。

青森駅から2分の空き店舗群

 青森市での視察項目は、1.学校支援地域本部、2.習熟度別学習、の2点である。学校支援地域本部は、文部科学省の肝いりで全国3600の中学校区に、学校支援地域本部を設けよう、というもので、3年間は国から100%の予算がつくことになっている。(民主党のファシストに見つからなければ‥)

 青森市では、2つの支援本部を立ち上げ、そこに9名の地域コ−デイネ−タ−が配置されているそうだ。その属性は、町内会2名、元教員2名、PTA3名、民生委員1名、ボランテイア団体1名である。

 そして、大田区と大きく違うのは、この地域コ−デイネタ−に国庫補助の上限である、時給1200円、週20時間の報酬を支給している点だ。月額10万円を超える方もいるそうだ。わが大田区は、今月から1校で試行しているが、コ−デイネ−タ−への支給は、1時間1000円、最大月2万円というショボイものだ。残りの国庫補助はどこへ??ちなみに、青森市の試算によれば、学校支援地域本部1ケ所の国庫補助の限度は約520万円だそうだ。

 ただ、設備、備品には使えないので、パソコンなどは、わざわざ高い品物をリ−スして、借料としているそうだ。こんなバカらしいことこそ、仕分けしろよ!ファシスト民主党さん。

 習熟度別学級については、残念ながら先進的とは言えなかった。中学校21校中1校だけが導入しており、それも人員の関係で3学年のみである。導入するか否かは、学校長の判断に任されており、導入しても、市独自の加配教員もなく、導入したくとも「加重労働」との教員の反発に、手控える校長が多いのは、容易に理解できる。

 唯一、導入している三内中学校の先生が、説明をしてくださった。それによれば、各クラスから8名程度の習熟度下位の生徒を数学、英語に限り、本人、保護者の同意のもと、「基礎充実授業クラス」で教えるそうだ。

 成果そしては、1年、2年のわからず進級してきた分野を理解できる、褒めてやれる、生徒に達成感を味あわせることができる、ことなどをあげられていた。が、成果としての、高等学校進学の際の状況をうかがったところ、明確な回答はなかった。

 やはり、もっと早いうち、多分、小学校時代から習熟度別に、必ず理解させてから進む、という実践を積み重ねることが重要なのだらおう。私などは、小学校、中学校の、算数、数学の先生が嫌いだったので、高校時代の教官がとてもいい方だったが、いまだに数学は大の苦手である。(そりゃ能力だ?)

 次に、青森出身の野呂けい子議員の、推薦で三内丸山遺跡に向かった。車寄せにつくと、いったい、これのどこが遺跡なのか、と驚く巨大な建物が建っていた。いやはや、自民党時代に建ててしまってよかったね。



 この巨大な建物をくぐると、これまた広大な土地に縄文の遺跡群が連なる。復元された建物、住居などを巡ると、4000年以上昔の、人々の英知と努力に頭が下がった。しばしのタイムマシンは、よい体験ではあった。

 そして、今宵の宿は、浅虫温泉である。私が議員になって、10年、視察では、温泉が近くにあっても、あえてビジネスホテルに泊まり、近所のレストランで夕食というパタ−ンだった。

 理由は、イビキのうるさい議員と同室はいやだ、温泉では「世間の目が」等らしい。一つ目の理由は笑い話である。最もわがままな職業集団である議員こそ、協調性を養うために、イビキぐらい我慢せねば。二つ目も、そうだ。世間の目を気にすべきは、税金を一人10万円を使って、はたして、この程度の視察でいいのか、又は、視察をする意味はあるのか、という点で、温泉に泊まったかどうか、などというのは瑣末な、そして、アホなマスコミを気にしすぎである。

 さあ、風呂行くぞ!!!

 



2009年11月07日(土) いぬぶし、葱を売る@OTAフェスタ

 私は根っからイベントやパ−テイーが大好きである。特に、屋外バ−ベキュ−などやっている姿を見ると、知らない人でも混じってしまいたくなる程だ。

 さて、本日と明日は、大田区で最大級のイベント「OTAフェスタ」が平和島競艇場で行われる。人口69万人の大田区で、30万人が訪れるというのだから驚きである。(ただ、どうやってカウントしているのか知らない‥)

 今日は、午前、午後と「地方財政論」の授業だったが、午後1コマをサボって、会場に入った。イベント好きな私は、このフェスタにおける行動パタ−ンは、毎年ほぼ決まっているのだ。まず、場内一周して、緑の広場で、自称「最も行政に嫌われている区民」Yさんが主催するコ−ナ−で焼きそばで発泡酒を飲む。(勿論、自費で)次に、商売人区議荒木秀樹氏の「おうどん」コ−ナ−で「てぬきうどん」を食べる。

荒木議員と美郷町ミス清水

 その次に、自分の住んでいる「六郷地区」青少年対策委員会のブ−スで、「いそべ焼き」と「フランクフルト」を売る。これが完売すると、お隣のコ−ナ−である「秋田県美郷町」の、特産品の「叩き売り」を担当する。

 秋田県美郷町は、旧六郷町だった時代に、大田区の六郷地区と名前が同じことから交流が始まり、合併後は、町と区とが友好都市の調印を行った間柄だ。もう、何年も「美郷の叩き売り」をやっているので、町長さんに始まり、JA(農協)のおばちゃんまで、みんな顔馴染みになってしまった。

 このコ−ナ−に行くと、今「叩き売って欲しい物産」を、誰かが私の前に持ってくる、または、その物産の前に連れて行かれる。今日は、それが「葱」だった。大の葱嫌いの私に、葱を売らせるとは、イジメかい!打ってやろうじゃないか。

 1本40円の葱は、なかなか売れない。そこで、生産者らしきおばちゃんに交渉して、4本を袋にいれて100円で売ろう、と頼んだ。「はい、はい、惜しいしい秋田のねぎ!タイムサ−ビスで4本100円、もってけ」とやった。あという間に、明日の分まで売り切ってしまった。さらにキャベツも完売。

 叩き売りの極意は「騒ぐこと」「面白い口上」「嫌味のないごり押し」である。これは、私の得意技。なんでも、売る自信がある。いつのまに、覚えたのだろうか、自分でも不思議な特技だ。

 完売すると、美郷の皆さんから「ご苦労さん」と、おいしい地酒を振舞っていただいた。私は、ビ−ルならどれ程飲んでも大丈夫なのだが、酒を一発できてしまう。今日もアウトだった。

 美郷のみなさん、今年も酔っ払ってごめんなさい!!!反省!!!

 



2009年11月06日(金) 世にも恐ろしい日教組の実態@大阪の場合

 先の総選挙で、決して国民は「日教組の教育政策」支持して民主党を選択した訳ではない。マスコミによる一億総勘違いと、「自民にお灸を」という結果、我が国は亡国への道を選択してしまった。教員免許更新制廃止、学力検査縮小など、お得意のマニュフェストにはない項目が、日教組の依頼で実現していく。

 現在、大田区における日教組の組織率は20%代であるが、校長経験者によれば、組織率の問題ではなく「たった一人でも日教組の教員がいると、正常な学校経営は出来なくなる」そうである。これは、社会党、民主党系の日教組だけでなく、共産党系の全教の組合員でも同じことだそうだ。

 さて、その、恐ろしいウイルスのような日教組の実態を書いた記事が産経新聞に掲載されたので転載する。これは、10年前、天皇陛下ご即位10周年の際、大阪の公立学校の屋上に国旗を掲揚しようとした校長の手記である。今回も、政府は11月12日、全国の学校、官公庁、会社などに国旗を掲揚して祝意を表すよう依頼をしている。はたして、日教組の悪夢が、また全国の学校で再来するのだろうか。(以下、産経新聞から)《》内が校長の手記である。

《天皇陛下御在位十周年の祝賀の日である11月12日、私は国旗を粛々と揚げるために午前5時に出勤しました。午前6時30分、誰も出勤してこない時刻に私と教頭は国旗を持って屋上に上がり、掲揚台にいつでも上げられるように国旗を取り付け、教頭をその場に残して私は校長室に戻りました。》

なぜ午前5時に学校長が出勤するのか。国旗掲揚を妨害する組合教師たちの陰湿な攻撃を避けるためだ。閣議決定で国旗掲揚の通知にも現場は従わない。職員会議で深夜まで「つるし上げ」が続き、追い詰めていく。通知は反故にされる。糾弾的な討議を断ると「話し合いを拒否した」と逆に騒ぎが大きくなる。校長はこの日、不測の事態に備え屋上に通じる予備の鍵まで用意して臨んだ。

《午前8時23分、組合役員が国旗掲揚を阻止するために校長室へやって来ました。私は先日名言した通り「会いたくありません。話し合う必要はありません。」と断り、校長室のドアを閉めて施錠しました。》

組合役員が大声で面会を求める。校長は携帯電話で屋上に残った教頭に掲揚を命じる。登り口には組合教師が座り込む。教頭は屋上に立ち往生し、座り込みが解けた午前9時15分に階下に戻れた。

《午後2時ごろ分会長が「抗議声明」を持ってきましたが、私が校長室から出ないので教頭に手交し、「日の丸は誰が揚げたのか」と抗議しました。》

糾弾はその後、むしろ大きくなった。校長室に鍵を掛けたことを組合が文書で非難してくる。反論すれば今度は反論自体が非難対象に。元校長はこうつづる。

《祝賀の日に国旗を掲揚するというごく普通のことをするのに、これほどの大騒ぎをしなければならない学校の現実を、世間の人たちはどう思われるでしょうか。実に嘆かわしいことですが、これが公立学校の実態の姿なのです。》

あれから10年、学校での陰湿な対立構図は今も全国の至る所に残ったままだ。
(↑以上、11/6産経新聞社会面より)

 そして、国民、有権者は、この恐るべき日教組という組織に政治的裏づけまで与えてしまった。はたして、11月12日はどうなるのか。がんばれ、全国の学校管理職。バカ教師に負けるな!





2009年11月05日(木) 天皇陛下御即位20年をお祝いする国民祭典に行こう

 天皇陛下におかせられましては、本年1月、御即位20年をお迎えになられた。これは、国民等しくお祝いすべきことであるが、GHQの「マインドコントロ−ル」が、未だ解けない人々は、何やら不穏な動きをしているらしい。

 国家観の如何わしい閣僚、国会議員も多い民主党政権に変わった今だからこそ、マトモな国民はこぞって、天皇陛下の御慶事を心よりお祝いしようではないか。

 11月12日には、皇居前広場において、国民祭典が開催される。

11月12日(木)皇居前広場 14:30〜16:30 第一部 奉祝まつり

 全国の御神輿、郷土芸能、警視庁などの音楽隊等のパレ−ドは、10周年の時に拝見したが、圧巻である。1部はどなたでも参加できるので、お時間のある方は、ぜひ、来週木曜日、皇居前へ!

 なお、第二部の祝賀式典は、全席着席のため招待券が必要で、すでにその公募は終了している。

 この日は、全国の学校、官庁、企業、家庭などに「国旗日の丸」が掲揚され、世界中のどこの国でも、「当たり前に行われている」国家元首(←異論もあろうが、私はそう思っている)の御慶事を喜びあいたいものだ。



2009年11月04日(水) 区役所端末で、いぬぶしのブロク閲覧制限か?

 一部の職員さんたちの間で「近じか、区役所の端末からブログが閲覧できなくなるらしい」という事が、マコトしやかにささやかれている。区政関係で「閲覧禁止にすべきブログ」と言えば、勿論、私のもおであることは誰もが思うことだ。

 さすが、北朝鮮を彷彿させる恐怖政治、密告人事の大田区、やるもんだな、と関係方面に取材を試みた。結果、あながちガセではないことがわかった。

 区役所の端末から、勤務時間中に「株価」をチェックしたり、如何わしいサイトを閲覧したり、このようなことを防ぐための対策を検討しているのだそうだ。その一環として「ブログ」の話題も出てきたようだ。

 まあ、閲覧を禁止すれば、それをくぐる方策を考える輩も出てくるだろう。望ましい姿は、地方公務員たるモラルの自覚であるが、これがなかなか難しいのだそうだ。

 だったら、発覚次第、懲戒処分。給与減額、勤勉手当減額と、実生活に影響が出るようにすれば、モラルより効果は絶大なはずである。国旗国歌に起立しなかった教員たちも「給与に影響」があったり、「再雇用に影響」があると知った途端、起立だけはするようになったではないか。

 まあ、私のブログの「正しい情報」が、職員に漏れては困るのかもしれないが、そんなもんは、家で見れば同じこと。くだらない心配しないで、正しく生きること、自らの「良心」に恥じない生き方をすること、それが一番である。



2009年11月03日(火) 祝 六郷神社崇敬会創立20周年

 今日は、朝4時半に起き、恒例の父親の月命日の墓参りに相模原の霊園まで出向いた。普段でも渋滞を避け、早朝に出かけるのだが、今日は9時から六郷神社崇敬会創立20周年のお祝いの式典があるので、特に早くでた。片道1時間半、途中のマクドナルドでモ−ニングセットを買い、霊園到着までに食べ終わる、というのが何年も続いている習慣だ。


 父親は昭和42年、私が10歳の時に癌により42歳で他界した。両親は離婚していたので、私は伯父の家に引き取られ、遺骨は伯父が建てた墓に長い間預かっていただいていた。平成に入り、7年月賦でやっと父親の墓を建てれたが、バブル絶頂期で、近隣では1000万円などと言われ、止む無く相模原の奥に購入したが、今ではこの山あいの霊園を私はとても気に入っている。

 あわてて戻った神社崇敬会の周年行事。式典、お茶会、祝宴と長丁場だったが、多くの崇敬者との語らいは、楽しいひと時でもあった。六郷神社は、そのHPによると、

天喜5年(1057)源頼義、義家の父子が、この地の大杉の梢高く源氏の 白旗をかかげて軍勢をつのり、石清水八幡に武運長久を祈ったところ、士気大いに奮い、 前九年の役に勝利をおさめたので、凱旋後、その分霊を勧請したのが、創建である。  

文治五年(1189)源頼朝もまた奥州征定の時、祖先の吉例にならい、白旗を立てて 戦いでの勝利を祈願したので、建久2年(1191)梶原景時に命じて社殿を造営した。 現在、社宝となっている雌獅子頭(めじしがしら)と境内に残る浄水石は、このとき頼朝が 奉献し、神門前の太鼓橋は、景時が寄進したものといわれている。

 すでに、950年以上を経過した由緒正しい鎮守の杜である。我が家も、息子の結婚式、孫のお宮参り、選挙事務所開き、など人生の節目には必ずお世話になっている。

 式典には、自民、民主の代議士、自民の都議二人、民主区議、私6名の議員が参列したが、祝宴には民主の代議士、自民都議秘書、民主区議、私となり、前政権党の議員本人は誰もいない崇敬会という保守系の祝宴となった。たまたまだろうが、「政権交代」を象徴するような光景だった。

 私はご挨拶で、天皇陛下ご即位20周年の好き年に崇敬会も20年を迎えるお祝いを申し上げ、政権が変わっても「変えてはいけないもの」、それは国家観であり、国の在りようである。国旗を切り裂き党旗にしたり、中国で総理が「靖国は忘れてくれ」などと発言する民主党には、大変な危機感を覚える。民主党の代議士は、神社に来ているのだからマトモだと思うから、どうか党に、その危機感を伝えてくれ、と申し上げた。

 しかし、自民党であっても民主党であっても、神社の会合に来て、町会の防災訓練に出るという選挙対策の構図は変わらないのだな。違うマ−ケットで勝負したほうがわかりやすいのだが、きっと「選挙」のマ−ケットは、その辺にしかないのだろう。それも、いささか民主主義のあり方として如何だろうか。

 それにしても、紺碧の空に国旗が実に映えていて綺麗だった。みずほちゃんや、鳩ちゃんも党本部に日の丸をあげようね!



 < 過去  INDEX  未来 >


いぬぶし秀一 [MAIL] [HOMEPAGE]
 
↑今日の日記は気に入りましたか?
My追加