日々の思い

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野生の生き物たち
2007年03月29日(木)

動物にしろ、植物にしろ野生の生物というのはどうしてこれほどまでに忍耐強くしかもチャンスに強いのだろう。

チャンスに強いというのは、正確ではない。

彼らは、いつだってそのときを虎視眈々と狙っていて、決して狙いをはずさない。

はずしたときは死ぬときだということを遺伝子が知っているのだ。


彼等こそが本物の”生”を生きているのかも。


そのためには、相手の体に忍び込み、体内を住処にし、最後にはすべてを吸い尽くし、胞子を伸ばしていく。


そのさまは、残酷であり、見事でもある。










春の花
2007年03月27日(火)




なんの花だと思います?

菜の花ですよね。もちろん。

これは水菜を植えっぱなしにしていたところどんどん花が咲いてきたものです。
今では菜の花畑に変身中なのであと少し楽しむつもり。





こちらは水仙やにら花、手前はクロッカス(写真を見直してみるとクロッカスはカットしてしまってた)
黄色いクロッカスも沢山顔を出しているのに・・

この季節には家の庭はにら花にほぼ占領されてる状態。


やっぱり春の花はいいなと思う。

すっかり手入れを怠って、荒れ放題の土の中からもちゃんと芽を出して自己主張をしてくれるから。


名作平積み大作戦 <終> 卒業にふさわしく?
2007年03月23日(金)

「卒業〜旅立つ君に贈る〜」と題して
『二十四の瞳』壷井栄
      /プレゼンター:相島一之(俳優)
を見た(月曜日19日)


相島さんのプレゼンはもう最高。

涙、涙・・まさに滂沱の涙。   
出演者たちもハンカチや手で盛んに涙を拭き、ごまかしという状態だった。

この作品は映画で見たり、お話として聴いたりと、よく考えてみると小説を手にとって読んだことはない。
でも”知ってる”のだ。

小さな島に赴任した女先生と子供たちの交流物語。
悲しくも美しい物語として残っている。

本当は反戦小説なのだ。そのことを相島さんは強調していた。
そうなのだ、これは完全な反戦小説なのだ。その意味でも、一度きちんと読んでおくべきだと思う。

プレゼンの結果、50人中48人が読んでみたいとボタンを押した。
押さなかった二人の気持ち。
あまりに完璧なプレゼンでもうすっかり読んだ気持ちにさせられたからかもしれない。

私もそんな気がしたもの。番組最終のプレゼンターが相島さんだったのは良かった。
思い切り、印象に残りそうだ。


そして、その晩の番組、「鶴瓶の家族に乾杯」(これも大好きな番組)の中で鶴瓶さんが出会った老人。
確かお蕎麦屋さんで改装中のお店を外から眺めていた。

その人は体のあちこちに戦争の傷跡をたくさん残していた。

小さな村から7人ほどが出征していって戻ってきたのは半数ほど。

その老人は戻ってきてから、結婚し50才を過ぎて息子さんが生まれ今では息子さんは37歳に。

背筋をピンと伸ばした姿勢で傍に寄り添って、
父親が涙ながらに話す人生をその背中をそっとただ撫でさすっていた。

あれは、あの家族にしか出来ないことなのかもしれない。

老人は、言っていた。

人生はいろんなことがあるけれど、本当にぎりぎり崖っぷちに立って、飛ぶしか道がないとしたら、
飛んで行けばよい。落ちて死ぬことなんて絶対にだめだ。(言葉は少し違ってるかもしれない)

昼間に見た「二十四の瞳」と重なって、胸の奥に涙がたまった。

息子さんには赤ちゃんが誕生したばかりだそうだ。
後を引き継いで生きていく、同じように立派な大人に成長するに違いない。


犬は、大人になることを拒否したんだと思う。
2007年03月16日(金)

狼と犬の違いというか、犬”は狼が祖先か”みたいな事が何かに書いてあって、
ムツゴロウさんが犬は犬であって狼とは絶対に一緒にはなれないみたいなことを言ったとか・・・

詳しいことは忘れた。


私が思うには。

犬はある時期に人と一緒に住むことを決意した。

そのときに狼とは相容れない生き方をしようと決めたんだと思う。

狼は、人と暮らすことは選ばなかった。
狼として誇りを持って自分で生きることを選んだ。
たいていの種はそうだ。そうすることで個を維持して、野生を維持してきた。


だけど、犬は。

人と生きることを選んだ時点で、大人になることをやめたんだと思う。

そして、一生を子供として生きることにしたんだ。
一生、大人になることなく、子供のままに生きることにしたんだ。

そうして、人の家族として、自分を生かすことを選んだんだと思う。


ひところ、ピーターパン症候群という言葉が毎日のように叫ばれたことがある。

いつまでも自立できない大人。

犬が、一生子供で居ることとは、根本的に違う。

自立できない大人。


自立するというのは、どういう状態だろうと、改めて思ったりする。

自分でお金を稼いで、食べて、他人と適当に距離をとって、マイワールドを誰にも覗かせない?


そんなに単純でもないよなあ。





絵が描けるって尊敬する
2007年03月14日(水)

何でもいい。思うように描いてごらん。

小さい頃に言われた言葉。


私はまったく絵がかけない。

絵だけでなく歌も歌えない。

運動もできない。




で、音痴なのに歌の練習をする?

いや、やっぱりできない。 頭の中で音程を取れたら大丈夫だから。

だめ、やっぱりできない。

小学校の音楽の時間なんて大嫌い。絶対に歌の時間がある。

体育だって、図工だって大嫌い。

早く大人になってしまおうなんて考えた。


大人になったら歌は強制されないし、走ることだってしなくていい。絵だって描かなくていい。



今、大人になって考える(もう、大人を通り過ぎてるけれど(笑))

人が、生きていくのに実は必要なことって、楽しく歌が歌えて、走れて、そして絵がかけることじゃないか。



音楽を聴くのは好き。

絵を見るのも好き。

スポーツだって見るのは好き。


できなくても楽しむ方法はあるんだ。。。。

でも、やっぱり負け惜しみ。


できる人を尊敬する。欲張らないから、

絵だけでいい。  描けるようになれたらなあ。



エミリブロンテの詩
2007年03月08日(木)

ドラマは、現代をそのまま書き写したような、鋭く、息詰まる展開。

「お金儲けは悪いことですか?」と問う言葉。

現在3回を終わったところだが、はじめっからあまりのインパクトの強さに圧倒される。



最近気になるドラマNHK土曜ドラマ ハゲタカ

のエンディングテーマ。

メロディーに妙に惹かれて誰の曲かなと気をつけて見ていると、
”詩”のところに”エミリ・ブロンテ”とあった。

英語での詩に意味を汲み取れない私は
「え、エミリ・ブロンテて、まさか嵐が丘?同じ名前でペンネームを使ってる人が人がいるの?」

と、たまたま居合わせた息子に聞く。

息子は「???」と、その名前には何の反応もなかった。


ちょっと気になった私、番組のホームページを調べてみると、あの”エミリ・ブロンテ”の作品

彼女が23歳のときに書いた詩「Riches I hold in light esteem」とある。


導入時のお金を拾う子供たち、
ドラマのエンディングに流れるエミリブロンテの詩、

主演の柴田恭平が、収録の途中で体調を崩しそれでも、最後までやり遂げたといわくつきのドラマでもあるのだが、若い頃、スマートでかっこよかった彼が今、この年齢になって体中から苦悩をにじませて演じている姿が現在の日本を象徴しているようでとても心惹かれるドラマである。

見終わってから原作を読んで見るのもいいのかも。


ごぼうを食べさせて戦犯となった
2007年03月05日(月)

春ごぼう・・・大きく育った立派なごぼうもいいけれど、
今の時期に出回る細くてちょっと出来損ないかなというくらいのごぼうは、柔らかくてとてもおいしい。

大きく切って煮物にしてもよし、
きんぴらごぼうもよし、
混ぜご飯に入れるのもよし、
たたきごぼうもよし、
牛肉の八幡巻きもよし。

と、皮をこそいで、ちょっとだけ水にさらしてと、手間はかかるけれど
和食の代表みたいで大好きだ。


しかし、戦争中の頃、アメリカ軍の捕虜にごぼうを食べさせたところ
木の根を食べさせたとして、戦犯として死刑になった人がいたという。

食文化の違いがそうさせたのか、
それにしても・・・

もっと違ったところにも原因があったのかもしれない。

食糧事情が極端に悪かったこと。
うがった見方をすれば、戦犯をもっと増やしたかったのかも知れないし・・・










「キリコさんの失敗 」 小川洋子
2007年03月02日(金)

もうかなり前から読もうと買っておいて、そのままになっていたのを引っ張り出して読んだ。

解説の川上弘美さんが「キリコさん」を短編の中で一番好きだと書いていたので、私も一番に読む。

私は文庫を買うときに先に解説を読んでしまう。
解説者が誰かそしてどんな面白いことが書いてあるか、私にとって本を買うときのポイントになっている。


う〜ん、やっぱり小川洋子さんの本だ。


小川さんの世界は読んでいて、完全なる創作の世界とは思えない。
主人公の”私”は小川さん本人で、小川さんがが経験したものをそのままやわらかい筆致でスケッチしたものだと本気で感じる。



キリコさんはなくした物を探し出す、いや、見つけ出してくる天才だ。

それも絶対にありえないことなのに、実にこともなげに見つけ出してくる。


洋子さんの作品は失われていくものを書いたものが多い。

美しいものが愛するものが身の回りからどんどん消えていく。
美しい言葉や砂糖のような優しさの中に取り返しのつかない残酷さが潜んでいる。

「密やかな結晶」の記憶狩りしかり、「薬指の標本」しかり、
「完璧な病室」、「凍りついた香り」、「余白の愛」だって。

そんな作品と比べてこのキリコさんは、何かが違っている。

小川さんの気持ちの奥底にたゆたっている、本当はなくしたくない大切なものを
たっぷりした肉体のキリコさんが何事もない顔で運んでくるのは私を幸せにしてくれる。

これらを、少女時代に読める今の若者っていいな。







村上春樹青春3部作  「羊をめぐる冒険」ほか
2007年03月01日(木)




「羊をめぐる冒険」が面白かった。

僕と鼠と羊男。
僕は流されるままに(表現は間違ってるかもしれないが)生きることができる男。
鼠は頭の中で生きることを考える男。
羊男は権力と力を求めてやまない男。

生きるって何? なぜ生きるの?  という声がずっと聞こえている。

でも、羊男を飲み込んだまま、死なねばならなかった鼠。
鼠をもっと知りたい。


表題に青春3部作の完結編とあるし、作中に出てくる”鼠”にとても興味を惹かれたし
絶対に読まねばと「風の歌を聴け」を読み始める。

しかし、しかし、

何度も文章の上を目は追うのだが頭に入ってこない。

1ヶ月位もかかってやっと文字だけは読み終えた。


次に「1973年のピンボール」

私の知りたいと願った”鼠”は・・私には読み取れなかった。
ジェイズバーのジェイだけが鼠をわかりえたのかもしれない。
だったら、ジェイのことをもっと知りたい。


もっと、”鼠”を知りたいと思う。

は鼠の死に衝撃を受けながらも生きている。

はこれからもずっと、そのままの僕でいきていくのだろう。


次にどの作品にたどり着けば、鼠のことがわかるのだろう。
欲求不満が募るのだが、もう一度「風の歌を聴け」を読めばわかるだろうか。



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