先週の水曜日に行ってきた。 平日なのでそう多くはあるまいと思っていたのだが、結構な人、人、人、だった。 若冲の絵はいつだったかテレビのお宝の番組で鶏の絵を見たことがある。 江戸時代とは思えない、ポップアートのような錯覚さえ覚える絵だ。 しかし私の見たい絵は、実は昔教科書で習った幽霊絵や美人絵。 あの頃に感じた長い髪の女のいかにもさびしく恨めしい表情と、花魁らしい女性の着飾っているが、重くて辛そうに感じた取り澄ました表情。 今の私が見たらどんな風に見えるのだろうか。 幽霊絵は・・やっぱり恨めしい思いをこめてそこに立っていた。 そして・・花魁の美人絵は重そうではなく、わが身の美しさを誇っていた。 面白いなと思ったのは、鬼退治の絵。 酒呑童子の屏風絵は2幅になって、楽しい物語絵になっていた。 昔は、こんな絵草子がたくさん出回っていたのだろう。 そして、一番のお気に入りになったのは2枚の屏風に書かれていた長沢芦雪の白象黒牛図屏風 なんといっても面白い。 一枚には大きな牛が寝そべっているそばに可愛らしい白い子犬が寄り添っている。 もう一枚は大きな像の背中に小さなカラスが2羽乗っているのだ。その大きさの対比が江戸時代の作品とは思えない。 若冲の作品ではマス目が4万3千個も書かれ、その大きな画面いっぱいに動物たちがあふれている絵がやっぱり面白い。 何も説明がなければ現代の絵としか思えないその作品、江戸時代の日本で書かれたなんてまさにシンジラレナイ。 九州国立博物館の中はとにかく広い。 常設展の中までゆっくり見ると、しっかり4時間はかかる。 そしてまったく絵心のない私にも楽しめる。 縄文時代の土器を見るのも好きだ。 この日は、ホールでお雛様を飾ってあったし、剥製の動物たちもたくさん勢ぞろいして私たちを迎えてくれた。 猛獣もいたのに、なぜか皆かわいい顔に見えた。 この日記はプライスコレクション『若冲と江戸絵画』にエントリーしています。 写真ももちろん許可済みです。
先週の月曜日のこと。 福岡市にある小さな島「能古の島」に日本水仙が咲き始めたというのでいってきた。 このシーズンには島に渡る人は土地の人が大半で観光客はほとんどいない。 島にあるお花畑(アイランドパーク)も開店休業と言う風情。広い園内に訪れている人は3組くらいしかいなかった。 水仙の咲いている地区は島のはずれで海が見えるところ。 日本水仙は地味にひっそりと咲いているのだが香りはどこまでも誘っていた。 ぐっと近づくと端麗な姿が凛々しくさえ感じられる。 ゆっくりと園内を回っても見るものがないこの時期、バスで降りるのもなんだかつまらなく汗をかくこともなくしっかりとした散歩にもなると歩いて船着場まで降りることにした。 40分強の間に出会った車は3台、人は一組。 ちょっと遠回りして「壇一雄」の旧居とされるところにもよって見る。 建物の周りには人が立ち寄っているらしい足跡がいっぱいで平らに踏み固められている。 小さな家で住むには寒かったろうなどと思ってしまう。 その帰り道、フェリー乗り場で思いがけず壇ふみさんに会う。 すらりとしたそれでいて飾り気がまるでない普通の女性だった。 思わず声をかけてしまったが、そっとうなづく様子に声をかけたことを後悔してしまった。 この一週間、またまたパソコンの不調。 今回は不用意に開いたサイトからウイルスに侵入されてしまったようで終了がうまくいかなくなり その上、プロパティまでも開けなくなってしまった。 仕方なくもう一度リカバリ。 リカバリするのはいいけれど、直前まで使っていた環境に戻す作業に骨が折れる。 そう何度もはやりたくない。二人でパソコンを使うのも考え物だ。
久しぶりに出かけた公園にバラが咲いていた。まだまだ頑張るよって感じの2種類のバラ いろんなことの多すぎる今日この頃だけど時間は確実に過ぎていく こちらは長崎県愛野の海 ススキが印象的
長男が、 ボーナスを貰ったので旅行資金は僕が出すから(金に糸目はつけないからと、のたまった) 二人で行っておいでよと急にやさしい言葉をかけてくれたので、 ついでにわんこも見てくれる?と、図に乗って雲仙に霧氷を見に行くことにした。 一日目はお天気も悪くとても寒かったが、40年以上も前に行ったきりの「グラバー園」をゆっくりと散策することにした。 なぜか急の鼻炎に薬屋さんを探し回るというおまけがついてしまったが夕方には雲仙に到着。 二日目の空は快晴。 まずは仁田峠に行き、しっかりと霧氷を目に焼き付ける。 そこで2時間くらい歩きまわって、山の中に動物たちの足跡を発見した。 もう一度温泉地に戻り、雲仙地獄を卵を食べながらゆっくりとまわって歩いた。 帰りはフェリーで長洲へ フェリーにはカモメたちが群れていた。 かもめがこれほど美しい鳥だったとは・・・新しい発見だった。
かなりの高視聴率だったと武雄市の市長さんはブログで喜びをあらわしていた。 近年のドラマにないドラマ。 いろんな飾りもなく、思いっきりストレートに心に向かって飛び込んでくるドラマだったと思う。 懐かしい武雄や佐賀の景色があちこちに出てきて、あまりの懐かしさに涙が出てくる。 そうだよ、これが本当の人の暮らしなんだと心の中でつぶやく。 火吹き竹でふうふう葺きながらお釜でご飯を炊くシーンは私の小さいころを思い出せてくれた。 あの少年は一人でやっていたが、私は母や姉妹たちとおしゃべりや喧嘩をしながらふうふうやっていた。 目に沁みていやだと思いながらもなぜか楽しかったのを思い出す。 ばあちゃんは、家の中で台所仕事をするよりも、外で畑仕事をするのが好きな人だった。 そうだ、こんなことも思い出した。 「げんのしょうこ」という薬草に真っ黒い大きな虫がついているのを平気な顔で捕まえては川に流していたんだ。 洗い物はやっぱり川でやってたし・・あの家の風景は我が家の昔とおんなじだった。 家の前に川があり、その前に線路があった。 その線路を伝って学校に行くのだけど、かえるや蛇が目の前や靴の上を歩く。 そのたびに悲鳴を上げながら歩いたものだった。 思い出すことがいっぱいある・・・ 思い切りストレートに心に入り込んだドラマ、続編が見たいと思う。 武雄市長物語
新年おめでとうございます。 本年もどうぞよろしくお願いします。 今年はまず初めに大根抜きの作業から始まった。 母の畑でできた大根、新聞をいっぱいに広げた大きさ、7キロある。 こんな巨大な大根がいっぱいごろごろできている。 しっかりと実が詰まってみずみずしく甘くておいしい大根だ。 あまりにたくさんあるので家族だけでは消費しきれない。 そこで、私が行くとたくさん持って帰れと母は言うのでその都度余分に持ち帰りご近所に配って回る。 今年もご近所への挨拶は大根持参になりそうだ。 新聞に大根を載せてみるとそばには”1億円の使途不明金”という文字が。 新年早々この国にはお金があるところにはそれをほしがる人々が群がっている。 若いころには彼らも”青春時の青い夢”を語るのに時間を忘れるほど夢中になっていたはずなのに いつのまにか、自分の周囲数センチしか見えなくなっているのかもしれない。 もういちど、二十歳のころに戻ってみるのもいいと思う。 一枚一枚年賀状を手書きして、それも文字を埋め尽くしてから投函していた二十歳のころに。
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