日々の思い

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久しぶりの友人との出会い
2002年11月21日(木)

夕べ、久しぶりに友人と夜の街に出かけたのです。
夜の街ったって別にお酒を呑みにでたわけじゃないのだけど。

キャナルシティのクリスマスの飾り付けを見に行ったのです。
彼女の仕事が終わってからだからもうかなり暗くなっていました。
彼女はなんと言うか方向音痴、私はというと助手席専門だから黙って乗ったら目的地に着くと思ってるどうしようもないタイプ。
そんな二人が以前に行った時もそうだったけど、今回もやっぱり同じ。
道に迷ったのです。
駐車場に入れるのに正規の交差点で入れそこね、次の交差点を通り過ぎ3番目の交差点を曲がるとそこはなんと、噂に高い中州の飲み屋街。
狭い路地なのにずら〜とお店が並んでいてそのお店の前には一人ずつ呼び込みのお姉さんやお兄さんが並んでいるのです。

実は、以前に行った時もおんなじ道に入ったことがあるのです。
その時は映画の後だったから遅い時間、怖い顔のお兄さんが一杯いて後ろから車を引っ張られたらどうしようなんて、ドキドキしながら通りました。
今回は、それに比べると早い時間、でもその分立ってる人の顔がはっきり見えるんです。やっぱりドキドキでした。

そしてやっと駐車場を見つけて入れたのですが、そこはキャナルの指定ではなかったのです。まあいいや、近いからここに入れようとやっとお店に入れました。
ツリーや飾りつけはとっても綺麗で写真を撮っている人もたくさんいたし、テレビ局からも来てました。
以前なかったストーブも設置されていてゆっくり楽しんできたのですが私たちの方向音痴はそれだけで終わらなかったのです。
いざ帰ろうと、表玄関に向かったのだけど他にも出口があったので、こっちからもいけるからとそこから出たのが間違いだったのです。

駐車場が見付からない。
一回りしてもない。もう一度回ってみたけどやっぱりない。
結局お店に入りなおし正面玄関まで行ってそこから出直してやっと見つけました。その間かかった時間40分くらい。
なんてどじな私たちと大笑いしながら帰ったのだけど、これって果たしてどじだけで片付けていいのだろうか。
ふと不安に駆られたのでした(爆)

今日は、ボランティアの研修で筑後市に行ってきたのですが、そこの方たちの平均年齢は(デイサービスの利用者)なんと80歳、その方たちのお元気なこと、年齢を感じさせるどころかこちらのほうがまさに遊ばせて貰ったと言うのが正直な気持ちです。

ますます不安に駆られた私でした(爆)




グランドゴルフっておもしろい
2002年11月19日(火)

グランドゴルフとは・・検索してみたのです

「ゴルフのティーにあたるスタートマットから、ホールにあたるホールポストに向かって、ゴルフボールの2倍体ぐらいのプラスチックボール(木製球もあり)をゴルフのパターによく似た大き目のクラブ一本で少ない打数でホールインを競うゲームです。
 打つ(快音)、歩く(快足)、入れる(快感)が魅力です。何といってもカァーンとこだまする球音、チーンと響くホールインの鈴の音、一発で入ったホールインワン(ゴルフより可能性が多い)の嬉しい意外性、自由に歩き時には興奮して走り出す、大きな体力の消耗を伴わずにスポーツを楽しむことができるのです。」

と、ありました。

実は、今日はじめて経験したのです。
本当でした。何にも知らずどこでやるのかも知らずとにかく参加してみたのだけど何にも知らなくていいんです。ただ、クラブを振って、ボールを打ちボールポストに入れるのです。
ボールが空を飛ぶことがなく、地面を転がすのです。ですから安全、無理がなく誰にでもできる。下手も上手もない(なんて言ったら上手な人に叱られそうだけど)楽しめばいいのです。

でも、お年よりは元気でした。
私などは、1ゲーム(言い方違うかもしれないけど)やっただけで息が上がりました。でも、2ゲームやったのです(笑)
ホールインワンが5,6人いました。
私は、一番よくて3パット、空振りと地面たたきのおまけ付きです。
あの、ポストにうまく入ったときのチンという音が最高に気分がいいのです(この音はたった一度だけだったけど)

でも、大きな声で笑い、歩き、しゃべる。
これ、最高に元気になる方法です。お年寄りが元気なのがなぜか分かりましたよ。

また次があったら、仲間に入れてくれるかしら?
ちょっぴり疲れて、でもいい気持ちの一日でした


九年庵
2002年11月18日(月)

佐賀県の神埼に「九年庵」というのがある。
明治25年に作られた別荘と明治33年から9年の歳月をかけて築いた庭園なのだが、名前の由来は想像通り9年の歳月をかけたとこから来ている。

ここは1年のうち紅葉の時期に9日間だけが一般公開される
今は、佐賀県の所有であり国の名勝に指定されている

15日から23日までなので、16日の土曜日に行ってきた。
待ち時間が長いとは聞いていたが、入り口で整理券が渡され順番待ちではいるようになっていた。
長い間待って、やっと木戸口を通されたがそこから庭園まではまるでアリの行列、歩いて5分で届くところを40分くらいかかってやっと到着。

今年は、季節が早く進んでしまったためにたくさんの紅葉が早や、枯れかかっていた。しかしそこは噂にたがわず本当に息を呑むほどの見事な庭園だった。

カメラはよいが三脚は禁止、歩く時は石畳以外は禁止などと、厳しい条件が一杯。それほど厳しく管理されてきた結果があれほど見事な庭園が維持されているのだろう。

私たちが中に入ったのは殆ど3時、それからゆっくり回って出てきたのは4時半過ぎ。5時になると駐車場へのシャトルバスがなくなるので、それ以上はいられない。
お天気は今ひとつだったけど紅葉の美しさを十分に堪能して帰ってきた。


小学生の会話
2002年11月15日(金)

イチョウの並木道を歩いていて聞こえてきた会話
小学生の男の子数人


「おおい、こんなにたまったよ」

「わあ、すごい」

「おれ、こんな暮らしいいなと思うよ、一度したかったんだ」

「そうだね、おれも」

「ふわふわだよ、ほら」

「ああ、いい気持ち、いいなあ」


角を曲がった時にそっと覗いて見ました。
彼らは、イチョウの葉っぱを一杯ため込んでいたのです。
私の住んでる団地はメイン道路がイチョウの並木になっている
今、金色に光ってとっても綺麗。
その葉っぱが一日中道路に降り注いでいて、道を行く私たちをとても楽しませてくれている。

その道路に面した家々の方たちは毎朝、毎晩葉っぱを集めて大変な苦労をなさっているのだけど・・・・・・

降り積もる葉っぱをあんまり気にしない角の家の方のところには
たくさんたまっているので、それに目をつけた子供たち、よそからも持ってきてイチョウのお布団を作っていたのだ。

子供のころよくやった遊びだけど、今の子供たちもやっぱりおんなじ
葉っぱのお布団に包まるのは好きらしい。
しかし、「こんな暮らしいいと思う、一度したかったんだ」と叫んだ子、
きっと思い切り葉っぱを振りまいたんだろうなあ。

君の心からの叫び、なんだか分かるような気がするよ

でもそこのお向かいのおうちは、まいにちご夫婦で落ち葉集めをしてるんだよ。チラッと顔が浮かんでしまったよ。



24年間の思い
2002年11月12日(火)

夕べ遅くのテレビ番組

お父さんが出演されていた。
飛行機から子供たちが降りてくる時に、どんな言葉を掛け合うかと、もちろんそれだけじゃないだろうけどテレビ局の依頼でバッグに録音テープを忍ばせて迎えにいかれたそうだ。

そのテープが流されていた。

そんな時、言葉なんて出てこない。
用意して考えて行っててもでて来ない。
「元気だったね。よかった」「ああ、会いたかったよ、会いたかった」
他にどんな言葉が見付かるだろう。

長い長い24年の歴史が、別れ別れになった瞬間から、親も子もそれまでとまるでちがった人生を突然に突きつけられて戸惑い、悩みそれでも生きようと懸命に生きて来た筈。
想像することもできない人生。
そんな親子の間に他の言葉なんてみつからない。
ゆっくり埋めて欲しいと思う、なくした時間を。
特に老親にとって、残された時間は少ないのだから。

そして新しく親になった彼らには、同じ運命を歩ませてはいけない
「会いたかったよ、会いたかった」という言葉がいつまでもむねに響いている


室井佑月さん
2002年11月07日(木)

作家だけど代名詞ように「元レース・クイーン、銀座ホステス」というのがついて回る。
作品は読んだことはなかったが、人並みの興味はあった。
たまたま、テレビで紹介されたので、早速見ることにした。

そして、すぐに好きになった。
彼女の人となりがそのまんま、小説じゃないかと思う。
何一つ、臆することなく、隠すことなく言葉に表情に表れる。

注目されたい、ちやほやされたいといつも思っていたそうだ。
そのためには、どんなことも一生懸命頑張ったという言葉には、微塵も嘘が感じられない。
歩いてきた道を見ると、投げやりに生きてきたように思っていたが、そうではなく、負けたくない気持ちと、自分探しとでこれまでを生きてきたそうだ。作家になろうと思ってからは、必死で勉強したと話していた。
まずは、好きな作家の小説を自分で打ち直すことから始めたそうだ。
文章の書き方を覚えるためにだ。

普通、作家になりたいと思ってもその前に「多分駄目だろう」と諦めてしまう。彼女はなれないなどとは思わなかったそうだ。
「だって、一生懸命勉強したもん」夜の仕事を終わって、深夜2時過ぎから、1リットルくらいの水を飲んでお酒を全部だしそれからワープロに向かったという。

才能があったんですねという言葉に、それだけの努力をすれば才能なんて、ついてくるという返事。
他の人が言っても奇異に思える言葉も、この人が真剣な目で言えば、納得する。
「たとえば絶対に負けたくない人ってどんな人?」
「長嶋さん(一茂)みたいな人。だって、立派なご両親がいて・・」
と、はっきり。
「でも、息子はお坊ちゃんになって欲しいと思ってるから矛盾してるけど」
と笑った。

「生きる」って一言で言うけれど、この人こそまさに「生きてる」と思う。
それも時間単位でなく分単位で。
全身でそれを表現し、星の数ほどある言葉の中から言葉を見つけこれからも書き続けていくのだろう。
でも、もしかしたらまた別の人生をあの目で探し自分のものにするのかもしれない。

ともあれ、彼女の人生に乾杯。


誕生日
2002年11月01日(金)

このごろ、日記によくラナが登場するのだが我が家にとって、ラナはそういう存在になってしまっているのだろう
明日はラナの誕生日、1才になる。

翻訳家の中野孝治さんがひょっとしたことから犬を飼うようになってのめりこんでいった話を3冊の本に現している。
はじめテレビドラマになったときにテレビを見て本を買った。
その後で、やっぱり次の本をかってしまったのだが、今その時の中野さんの気持ちが私にもとてもよくわかる。何か気持ちを共有してる気分になっているのだ。

我が家で、犬をかうのは3頭目なのだが1頭目は3ヶ月で亡くなってしまった。親から受け継いでしまった虫が体中を侵してしまっていたらしくいくら治療を続けても駄目だったのだ。
車も怖がらないおとなしく度胸の良いワンちゃんだったのにいきなり悲しい別れとなってしまって家族中がすごいショックを受けてしまった。

結局亡くなった悲しみよりもいなくなった悲しみに耐え切れず今度はペットショップにいってリンをつれて来た。

その時は、まだ大正元年生まれの義父がいて、子供たちがいて犬を室内で飼う等考えられず、私も仕事がありずっと外で飼ってきた。

リンは、シャイな子でカメラを向けると大急ぎで小屋へ隠れ、小さいときに避妊手術をしたためか、病院のにおいを極端に嫌がるために、連れていけず
何かあると往診を頼んだ
なにしろ近くに歯科医院があるのだけどその半径500メートルには、決して近寄らないので、散歩のコースにも気を使った位なのだ。

今度やってきた、ラナは、ある意味とても飼いやすい
誰にでもどの犬にでも大好きで挨拶を交わさないとそばを離れないし、
カメラを向けると喜んでやってくる。

今、私は子供も巣立ち、特に時間も心も煩わすようなことがない。
ためにラナの存在が、生活の大部分を占めるようになってしまった。
夫婦二人の間にも程よいクッションとなって、良い関係を保ててるように感じる。
よく心のリハビリなどといわれるけれど犬を飼う事で、十分リハビリができているように思うのだ。
たまに夫と、ラナのやきもち合戦はあるのだけど・・

そして、11月3日は、義母の命日。
お寺さんにおまいりに行く予定だ。



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