最近テレビを見るとも無く見てるときが増えている。見るというより目を向けているだけ。かといって何かを考えているわけでもなく、ただぼんやりしてるだけ。それで夜になると毎日、ああ今日も終わってしまったと思うのだ。 そうして8月が終わろうとしている。 今日は朝から台風が来るというので、ご近所の家々は雨戸がしまったままになっている。家はというと、なぜかそんな気分になれずいつものようにあけたまま。結局は、台風はたまに突風が吹く程度で殆ど影響が無く通り過ぎていった。まだその風は吹いているのだが。 その結果、家の周りは、枯れ葉もとんでいってなんだか殺風景になったようだ。今はちょうど季節の変わり目というか、お花の変わり目で我が家の庭は淋しい。 気持ちよいほど繁りに繁った朝顔も、おいらん草も、役目を終えたので抜いてしまったし、ラベンダーもあまりに伸びすぎたので、切り戻した。 にがうりと一緒に繁っている朝顔だけが今は残っているのだが。 この夏はミニトマトが取れも取れたりで、すっかり飽きるほど収穫した。 まだたくさん青い実がついているので、当分悩まされそうだ(トマトには悪いけれど) 冬瓜も棚を作って上げたら次々に花を咲かせ、小さな実をつけた。 けれどもたった一個を残してすべてが親指大になったところで、落ちてしまった。そのたった一個が見事に成長して台風が来る前に収穫した。 二人暮しだと4回分はゆうにある大きさだ。直径15センチ、長さ45センチの最優良児に育った。鶏肉と煮て食べるのが好きなので、透明になるまでにて味を含ませて食べることにする。 冬瓜や、かぼちゃや、にがうりが煮えるとラナがお座りして待っている。 いつまでもいつまでも貰えるまで、ただじっとお座りして穴が開くほど顔を見ながらお座りして待つのだ。駄目だなあと思いつつもやらずには置けない。こうして太りすぎにしてしまうのかもと、ため息をつきながらも、ついに負けてしまうのだ。
水曜日に映画に行った。「トータル・フィアーズ」なぜ英語の題名になったんだろう。「恐怖の総和」のままがいいのに。 トム・クランシーの原作なのでもちろん以前に読んでいる。 で、どんな感じだろうと見に行く。 アクションとして見るだけなら良いのかもしれないけど、でも「これは違う」と思った。 きのうのクローズアップ現代を見た。 イスラエルとパレスチナから子供たちが日本にやってきて日本の家庭で、一緒に11日間を過ごしていた。神奈川の市民団体が起こした行動だった。 やってきた子供たちは、それぞれ父親をテロで亡くしたり、いとこを殺されたりしている男の子。言葉も違っているので、片言の英語で、交流を図っていた。はじめて見た平和、この子供たちの目に日本はどんな風に移ったのだろう。 心を通わせ始めたころ、テロ事件が起こった。 テレビで見ていた子供たちの一人パレスチナの少年がインタビューを始めたことからお互いの家族のことをしゃべりだした。 彼らの言葉からは、恨み言は出てこなかった。 僕たち子供の中から首相を選べたらいいなと言ったイスラエルの子。 早く平和になって欲しい、僕たちが大人になったころに実現するといいなといっていた子。 彼らは楽しかった11日間が過ぎてそれぞれが別の飛行機で帰っていった。 あの子達が、20歳になるころまで、あと12年から9年。 その間に、憎しみの連鎖が止まることは無いだろう。 兵士として出会ったとき、彼らはどれほどの悲しみを背負うことになるのだろうか。 映画では、報復の連鎖をジャック・ライアンが見事に取り除いた。信頼を切々と訴えたことでロシアの大統領がまずは心を決めた。 結果アメリカの大統領は怒りにませた選択を止めることができた。 あの少年たちの心の叫びを大人たちも聞こえてるはずなのに、宗教が絡まるとなぜにここまで引き裂かれてしまうのか、悲しいことである。
今年のお盆もいつものようにやってきていつものように終わった。 初盆のお宅にお参りに行き、我が家にお坊さんを迎え、実家へお盆の挨拶に行き、義妹たちがお盆の挨拶に来る。 迎えちょうちんをつるし、わらで作った馬や牛に乗った両親を迎える。 毎年思うのだが、義父は義足だし、義母は目が殆ど見えなかった。 ふたりとも、お迎えの馬や牛に乗るのに難儀してるんだろうなと。 帰りは楽に乗れたろうか。 今年は、義妹たちは二人だけでやってきて、楽しく過ごして帰ったから 両親もきっと嬉しかったろう。 送る時にはこれまでは車で集積所に行っていたが、今年は散歩を兼ねて ラナをつれて歩いていった。 ************************************** 朝顔を毎年実家で咲かせていて種ももちろん自家製なのだけど今年は、 交配があったようで3種類の雑種が生まれて綺麗な花が咲いた。 この種を取っておいて来年咲かせたらどんな風になるのだろう。
おすぎさん推薦の映画なので是非と行ってみた。 テーマは悪く言えばありきたり、よく言えば永遠、家族のきずなである。 しょっぱなのシーンで海へ向かって放尿している男性、それを隣の娘が窓から見ている、気がついた母親が止めさせる。その時に流れるメロデイーがなぜか懐かしい。潮風のにおいだなと感じる。 コンピューターを使っての図面を書こうとしない主人公ジョージ・モンロー(建築事務所デザイナー)に雇い主は解雇を申し渡しその上癌による死の宣告。ジョージは別れた妻と住む息子と夏を過ごすことにする。 アナキン・スカイウォーカーになったへイデン・クリステンセンが息子のサム。アナキンを先に見た私としてはこっちのへイデンは「む、まだまだかな」というのが感想。 ドラッグに溺れた彼を海辺の家に連れ帰り家を立て直す。 近所づきあいや元妻との関係や、よくある問題が山積の家作りははかどらず、しかし、死を間近にした彼は人間が変わるというのはこういうことだと息子に身をもって示す。 やっと心が通い合ったころにサムは父が死ぬ日が近いことを知り裏切りだとののしり家をでる。 途中ででてくる、同性愛者や、隣の母親の男性遍歴?などが最後になって意味を持つことが無ければとくに必要のない場面のような気もするが、最後にはハンカチなしでは見れない映画だ。 ジョージの父親が若いころに起こした自動車事故が、彼にとって生き方を決めた原点であり、サムにとっても原点になる。 家族とは家だ、家こそが家族だ、死ぬことは怖くない。何かをお前に残したいのだと痛みをこらえて説き、黙々と家を作る。 たった一人だったのが町中の人が集まって作り始める。 海辺の病院で息を引き取る間際のジョージに家にたくさんの電気をつけてサムが見せる。「もう少しだよ」「急げ、早く作り上げるんだ」 何のための家なのか、誰が住むための家なのか、意外な最後が待っているのだが。 父から子に、親から子に、残せるもの、受け継がせることができるものが、いったいいくつあるのだろうと考えた映画ではあった。 この日映画館に入っていたのは、私たちを含め3組の夫婦と、女性一人男性3人だけだったのは、公開されて日がたっていたからだろうか?
久しぶりに母が、甥たちを連れて夏休みを過ごしに来た。 母にとって、夏休みや冬休みは孫を連れて、我が家にやってくるというのが最高の楽しみになっていたのは、私たちが、福岡に越してきて、そして実家の近くに住んでいる妹の子供たちが、小学生になってからのことだった。 この10年くらいの間、父の入院や死、そのために母が自分の体を壊してしまったりで出かけることができない年もあったが、そんな時にも来年はきっとといいながら過ぎ、今年も喜んでやってきた。 いつもは、高速バスを利用していたが路線が変更になりバス利用ができなくなって、今年は電車で来ることになった。 もちろん迎えに行ってもいいわけだけど、甥も、一人は高校生、最後の一人は6年生になったので来年は、もう来れないかも知れないと、一度どうしてもやっておきたかったことがあって普通電車にしたのだ。 高校生の甥は、部活があるので、来ない予定だったのが運悪くというか、都合よくというか学期中を自転車通学で過ごしたことで体力が無かったからだがオーバーヒートを起こし、病院通いをすることになり、3日くらい部活を休んでいた。そこで、休養を兼ねる目的で急に話がまとまり当日になって一緒にやってくることになった。 母には、遠い昔の忘れられない思い出があった。 国鉄に勤めていた父には、昔、年に数枚の無料チケットが支給されていたのだ。とにかく貧しかった私たち家族にとってそれは最高のプレゼントだった。 農閑期を利用して、佐賀市内や、どこでもよい列車に乗って、出かけるのだ。田主丸というぶどうの産地にぶどう狩りに出かけたり、太宰府天満宮にお参りに行ったこともある。 そのときに、当時の列車は佐世保線から、門司港行きに乗りかえるわけだけど、その乗換駅が鳥栖で、ホームに立ち食いうどんがあるのだ。 そのうどんを食べるのが母や私たち子供にとって、最高の楽しみでもあった。そのことを懐かしく思い出してもう一度行きたいとここ何年も言い続けていた。でも、小学生の甥たちも、来年は中学生。 今年を逃すとチャンスが無いからと、普通電車を利用することにしたのだ。 食べたらその後で、福岡へ快速電車で行くからというのだが、何度も電車の時間を確認したりするので急に不安になった私と妹。こんなことは今まで無かったねと結局鳥栖駅まで迎えに行くことになった。 少し早めについて一緒に食べようと出かけたのだが、ほぼ到着と同時に携帯に電話。甥がもう改札口に向かってるという。 「え、食べなかったの」と聞けば、だっておなかがすいてないもん。 妹も一緒に食べるようにちゃんと言っておいたのにというのだけど、子供たちにとって、立ち食いうどんというのが奇異に写ったらしく結局食べずにでてしまったという。 母は、やっぱり残念そうだった。 もう次は無いかもしれないねと淋しそうに悔しそうにつぶやいていた。 何かの折に一度食べさせてやりたいのだけど・・・ 大観覧車に乗ったり、映画に行ったり、母の得意料理のだご汁を食べたりと のんびりゆったりそして久しぶりににぎやかな4日間でであった。 昨日、藤本敏男氏の死亡のニュースが流れた。 お登紀さんと同じ時代に青春を生きた私にとって、二人の結婚は衝撃的だった。片や東大出の歌手、片や全学連委員長しかも獄中結婚である。 その結婚がどういう意味を持つのか田舎に住む私にとっては小説の世界にしか思えなかったものだ。 そんな藤本氏が、10年以上も前にNHKの朝の農業関係のインタビュー番組か何かで、自然農法の農業者という立場で出演していたのを見た。 そのときなんて穏やかな顔をしているのだろうとある種不思議な感覚に襲われたのを思い出した。
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