日々の思い

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ラナにもボーイフレンドが
2002年06月28日(金)

ラナには、あちこち気になるワンちゃんがいっぱいいる
その中の一人(一頭)柴犬の卓ちゃん。

団地内だけどちょっと遠いところに住んでいる。
美人のお母さんと住んでるためかかなりやきもち焼きなのだ。

卓ちゃんのお母さんが、他のワンちゃんに触ることを
ぜったいに許さない。
触ろうとすると、大急ぎで、お母さんの手をなめ、顔をなめ
自分だけに関心を向けようとする。

それでも触ろうとすると、相手のワンちゃんに向かって
あっちへ行けとばかりにワンと一声。
そしてなおさらお母さんにまとわりつくのだ。

その卓ちゃんとは、彼の住んでる家の前でしか
あったことがなかったが、偶然散歩の途中で出会った。

はじめはやっぱりお母さんにくっついていたが、
ラナがあまりに遊んでポーズをするので、そろそろと近寄ってきた。

目をあわさないようにしながら、においをかいでいたが時間をかけて、
じっくり点検する。
ラナはというと、少しも遠慮することなくしつこくアプローチ。
飼い主は、とてもおとなしく引っ込み思案なのに、なんと言うこと。

そのうちラナは、あきらめたように座り込んで、伏せのポーズ。
そうすると卓ちゃんは俄然張り切ってアプローチしてきた。

彼のお母さんは、珍しいのよこんなことと、おっしゃる。
30分くらいも過ごしたろうか、すっかり仲良くなった
2頭は、においをかぎあったりなめあったり、取っ組み合ったり。

はては、お尻までもなめあっている。
ああ、でも、まだ早すぎるのよと、飼い主は少々あわて気味。

やっと落ち着いたところで、離れ離れにすると、
彼はいつまでも去りがたいようで、座り込んで歩かない。
また今度ねと約束して、お母さんは仕方なく抱っこして帰っていった。

彼のほうは2歳半。もう十分支度が?できているのだもの。
思いが残ったかもしれないな。

ラナももう直ぐ8ヶ月。
赤ちゃんを卒業する日も近いようだ。





夢紀行
2002年06月27日(木)

一週間あまりの旅行記をまとめようとビデオを見た。

過ぎ去ること矢の如しではないが、
あれは現実だったのか。

そこにはまぎれもなく確かに
素晴らしかった非日常がフィルムに入っていた。

確かに実在した人物に出会い、
しゃべり、すごした一週間のはずなのに、
その時も今も、頭の中にだけある時間、
ハーメルンの笛吹きに踊らされた時間のように思える。

なくした時間の感覚これも時差ぼけ?
せめて画面の上で残しておこう

夢紀行


ヨーロッパ旅行 残照から日の出まで
2002年06月24日(月)

14日から21日まで、ドイツロマンチック街道、スイス、パリのたびに出かけた。改めて、思い出を書いていこうと思ってるが、
一番に残しておきたいこと、それは帰りの飛行機の中のこと。

パリドゴール空港から、オランダ、アムステルダム経由で成田、福岡と帰ってきた。
パリからのエアーフランスは、すばらしい笑顔の持ち主の客室乗務員のジョークとその振りまく笑顔に魅せられているうちにあっという間に到着

アムステルダムのスキポール空港を出てしばらくして夕陽が飛行機の翼の後ろから見えてきた。

その後直ぐに、ペテルブルグ上空に差し掛かった時、真っ赤な空が見えてきた。朝日が昇り始めるのだ

窓際に座る夫をよけながら、カメラのシャッターを押す。その赤い空を理解できなかった夫は、ビールで半分夢うつつなので、うるさいなあとつぶやくのだが・・・
ナホトカ上空くらいか、もう少し前だったかもしれないが、大きな朝日を捉える

その時初めて夫が、ああ、これは朝日だったのかとつぶやいた。
実際に、時差があることは頭では理解できても、それがどういうことなのかは、よくわからない。でも、それをこういう形で、はっきり目にすることができた。時間を逆流したと言うべきか、早回しで、進んだというべきか。

美しい景色に堪能してきた心の中に
それ以上の涙が出るような感動を覚えた瞬間だった。
このとき覚えた時間旅行にも似た感覚は決して忘れることはないだろう。




この金、土、日のことをまとめて書こう
2002年06月10日(月)

この金、土、日のことをまとめて書こう。

金曜日は前夜が、遅かったこともあって朝から大急ぎで、
庭の水撒き他にも、気になる仕事(といっても病院行きなんだけど)
ありで、あっという間に一日が終わり。

土曜日、
朝一で、美容院行き
その後旅行の支度をと、部屋中に散らかしたというか、
広げておいた身の回り品をスーツケースに入れ込んでみる。
え、たったこれだけというほど、荷物は少ない。
大きいのと、ちょっと小さいのと、二つスーツケースを
用意したのだけど、はじめっから、二つもいるの?って、
疑心暗鬼の通りに?中身は1個分でちょうどだ。

それを、ああでもない、こうでもないといいながら、
分けてみたり、どうしてこんなにがたがたするんだろうと
よく考えてみたら、中身を抑えるカバーみたいなのを
片方にだけつけていたりで、まるで、小学生の旅行準備みたい。

やっぱりインスタントコーヒーは欲しいし、ご飯も欲しいと
夫はのたまう。

じゃ、そんなのはまた買出しに行くことにしようと、
なんとか土曜日の予定の準備は終わり。

ラナは、ペットホテルに予約の電話を入れる。
柴ちゃんはねえ、性格上ご飯を食べなくなるんですよ。
できれば誰か見てくれる人がいると一番ですけどね

そうなのだ。
ラナは、どこかへ連れて行くとほとんど、ご飯も水も食べようとしない。
見向きもしなくなる。
予防注射のときは、注射されたことだってわからないで、
周りから触られ声をかけられ大喜びしてはしゃいでいたのに、
やっぱり3日は、食べなかった。
突然食べなくなるので後で考えると「あ、あれかも」というのも
珍しくない。


今日は(土曜日のこと)、散歩に行った公園で、オスの柴犬2歳と
メスのハスキー9歳に会った。
飼い主が知ってる方だったので(二人とも男性)、足を止めると一緒に遊ばせてくれた。

犬同士が本気でじゃれあうのを始めてみた。
真向かいから、まるでカンガルーのオスが、戦うような姿勢で、
思い切り抱き合うというかじゃれあうのだ。
びっくりしたのだけど、大丈夫、大丈夫といわれる。
ラナはというと、2頭と比べると体は、大型犬と小型犬の違いがあるのに、
ちっとも負けてはいない。
自分のほうから、間に入っていく。3頭とも、声を出さずにただ、
ぶつかって重なって抱き合って組み合ってという時間が過ぎていった。
大人のワンちゃんが、止めようとするとラナは自分から、誘って止めないのだ。

私のほうがすっかり疲れてしまった(笑)

夕食の時、ついでくれたコップ2杯のビールを飲んで
(今は、殆ど発泡酒ばかりだけど)ためしに買ったチューハイを
コップに半分、でも、これが行けなかった。
お店で買った、イカのリングフライなど食べながら、
主婦業落第だけど、おいしいねと食べたのに、・・・

サッカーを見てたはずなのに、・・
気が付いたら、殆ど深夜。
土曜日は、こうして終わった。


日曜日。
さあ、今日はちゃんとしなくちゃ。
夜は、サッカー見なくちゃいけないし。
で、朝のうちに、頼まれた書類を作って、その後、
朝顔や、冬瓜やきゅうりや、トマト、にがうりなど、
添え木や、伸びるための棒を立てる作業をして、もうお昼。

なんかせわしいけど、
めがねの修理ができていたので、取りにいって、
ついでに買物も。
最後の点検と、もう一度荷物のチェックを終えたら、夕方。


お決まりのラナの散歩に出る。
向こうから来るおばあさん、ワンちゃんを抱っこして散歩してる

訳がわかった。オスのワンちゃんが、脱走して着いてきていたのだ。
おばあちゃんのワンちゃんは、オスのミニダックスフント。
相手が大きいので、逃げ切れなくて、やむなくおばあちゃんが抱いていた。

そこへ、ちょうどラナが来たので、そのオス君、
しつこくくっついてくる。結局私も抱いてしまう。
散歩に来てた人に何人か、出会ったけど、お互い苦笑しながら、
抱いてすれ違う羽目になる。
とうとうそのオス君、うちの家まで、着いて来てしまった。
ラナは、7ヶ月になったところ。
どうも発情しそうな気がしている。

たまに焼肉が食べたいと夫が言うので、
焼肉を食べながら、サッカー観戦。
日本チームの試合運びに感動すら覚えながら、夢中になって
日曜日が終わった。


今朝になって、
ラナが、やっぱり発情が始まった。
どうしよう、こんなでもペットホテルは預かってくれるのかしら?
9時になるのを待ちかねて電話した。
ええ、大丈夫ですよ。ですって。

ああ、これで、一安心。
でも、朝から食欲がないのだけど。







バスの中で
2002年06月07日(金)

バスに乗っていて、出会った一人の女性。

あんまり変わらない年代かなあ。

夏は、紫外線が多いから、紫外線をはじくには白
といわれて、久しい時代が過ぎたのだけど、
いま、紫外線を穂等に受けつかないのは、黒だといわれる。

その女性、全身黒で覆われていた。
降りるバス停が同じで、その彼女が、先に降りて行ったので、
見るともなしに見たのだけど、
黒のパラソル、黒のワンピース、手には、黒のレースの手袋。

ああ、こうじゃなくちゃ、美しく年を重ねるなんてことはできないやと、
思わず感心してしまう。
私と来たら、考えもせず、帽子はなし、パラソルなし、
上は、紺のポロシャツ、たまさか下は、黒のジーンズだけど。

午後の時間帯はバスで出会うのも、ある程度の年齢の人が多い。

もう一人の女性は、若いころは、さぞ美人だったろうなと
思わせる感じの70代の人

白で、統一されていて、
白のゆったりしたVネックのサマーセーター、グレーっぽい白の
ゆったりしたパンツ。
色の白い顔に自然のままの白髪がとても素敵。
穏やかな顔が、そのままでとても綺麗な人だった。

このさき、どんな風に年を重ねていくのだろう、と、思うときが
最近増えてきた。
そんな空間に落ちたとき、博多駅で、多分ネパールの音楽だと
思うのだけど、5人くらいの男性が、ミニコンサートを開いていた。
彼らもよくはわからないが、30代から50代くらい。
聞いている人たちもやはりそのくらいかな。
形は尺八に似た民族楽器がとてもやさしく、どこか懐かしく
青空に向かってどこまでも届けと、響いていた。
今思えば、CDを買っておけばよかったと、ちょっと後悔してる。
ネパールの人だとすると、今、彼の国は、微妙な状態にある。


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夕べは、ドームに巨人、中日を見に出かけたのだけど、
友人が、仕事を終えてからだったので、駐車場を確保するのに、
1時間半もかかり入場した時は、7時を過ぎていた。
福岡に巨人が来るのは、めったにないため入場者数がものすごい。
外野席だったこともあり、応援のムードが最高潮。
メガホンなしでは、白い目で、見られそう。

かねや太鼓で、メガホン打ち振り、
私や友人は、波に乗り遅れたこともあって、いまいちできなかったけど。
めったにない興奮と臨場感、体にしみこませて、かえって来た。




一瞬の光の中で  
2002年06月04日(火)

ロバート・ゴダード また、見つけてしまった文庫本

ミステリーがどこまでも、ミステリー。
最後まで、ミステリー。

ゴダードが書く男性の主人公は、なぜか駄目男が多い。
人生をリタイアしていたり、詐欺師だったり・・

この本の主人公、イアン・ジャレットはプロの写真家である。
ちょっと家庭内が、うまくいっていなくて、
過去に、浮気の相手とドライブ中に、女性をひき殺したことがある。
事故つまり過失はなかったのだが。
あまり思い出したくない過去であり、実際、それほど気にしても
いない。

仕事で、写真を撮りに来て偶然に被写体の中に入った一人の女性
その出会いから物語は始まる。
一瞬のうちに恋に落ちた二人。

必ず、また会おうと、家庭を捨てる決心をする。
イアンは約束どおりにホテルで待つが、マリアンは、
電話をかけてくる。
「やっぱりあなたには、会えない。そして、決して探したりしないで。」と。

仕事も家庭もすべてをなくしてしまったイアンは、
ただ探すことしか頭に浮かばない。
手がかりを求めて突き進むが・・・

心理療法士にであい、マリアンが、通っていたことを知り、
しかも、彼女の名前は、本当はマリアンではなくエリスと知る。

その後幾重にも絡まった糸を丹念に解いていく。
エリスは、過去の時代に生きた女性マリアンに、時々、精神浮遊してしまうのだ。心理療法士のもとに、エリスが話した隠された真実が、
テープに残っていた。
そのテープを手がかりに、二人で、探すのだが。

この後に、本当の謎解きが始まる。
マリアン、つまりエリスは、作られた虚像であって、
イアンが探すべき相手は他にいた。

イアンが過去に殺した女性イソベルに本当の意味があったのだ。
彼女の弟、ナイマンガ何年もかけて、周到に用意した、恐るべき
復習劇が始まっていたのだ。

彼の復習は、イアンがすべてをなくすこと。
一番大切だと思っているものをこの世から葬り去ること。

冷静に、緻密に考えられた、恐るべき陰謀の数々。
佳境に入るほど、血も凍る事実が。

最後に、最愛の娘、エイミーは16歳の命を奪われる。
そして、ナイマンはピストルで自殺。
すべてが筋書きの通り。

ほんのときおり、陰のようにひっそりと息遣いが聞こえてくる、
エリスは、彼のすべてを知っていて、最後まで姿を現すことはない。

この後彼は、どう生き、どういう決着をつけるのか。


写真は、生者と死者を区別しない。
時の断片の中に、光の破片の中に、写真は
人々の構図をはめ込む。すべての人をひとしく。

カメラのレンズをのぞいてシャッターを押すかどうかが、重要なのではない。
目を開けていようが、閉じていようが、それさえたいしたことではない。
写真は常にそこにある。そして、その中の人々も常にそこにいる。


ワールドカップのチケット
2002年06月03日(月)

始まったワールドカップ。
テレビや新聞は、開くとかけると、まずはこのニュース。
スーパースターのプレーを見たくて、集まったたくさんの人、人。
なのに、売れ残ったチケットが・・・

買うためには、ものすごい手順を踏んで、
やっと手に入れた人もあるけど、
はじめから、あきらめた人もいたはず。

空席が目立つ試合会場を腹立たしい思いで、見ていたんだろうな。
なぜ、こんな馬鹿なことがと思うのは、私だけじゃない。

はじめから、考えに考えた末に、決定された販売方法で
あったなら、こんな馬鹿なことは、なかったと思うが、
やっぱり、単なる商業主義だったのか?

世界中が注目し、4年に一度の世界の祭典。
飾る言葉は、数あるけれど、
信じられないチケットの残数。
結果的に何万枚残って、最終的な、収支はどうなるんだろう



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