日々の思い

ひばり【MAIL

My追加

源氏物語
2001年11月30日(金)

源氏物語を現代の言葉で、解りやすく読ませてくれるサイトがあります。

特徴があるのです。
源氏物語と平家物語の違い。
また楊貴妃の話。
それに関して、むらさきと言う色について。
それらのくわしい解説など・・・・なんといっても、
登場人物の、本音で語ると言う部分。

たくさん、源氏についての解説本は、出ていますが、
このサイトは沙羅さんが、独自の世界をその美しい画像と共に、
作り出しています。
紫式部生誕千年を記念して、新春映画で、
千年の恋が公開されますが、映画を見る前にこのサイトを訪れてみるのもいいのではと。

「沙羅 源氏物語」
ガイアックス入り口http://eclat.gaiax.com/home/hikaru_genji/main
ジオ入り口http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/5072/index.html



シャンプー
2001年11月27日(火)

今使ってるシャンプー実は、嬉野茶が入っているのです。
髪を洗うたびほんのり、あま〜いお茶の香り。
とっても、いい気持ちになって、シャンプーの時間が、
とっても待ち遠しいくらい。





ホームページ
2001年11月26日(月)

書き込みをしても、しなくても、ほとんどいつも寄って見る。
元気かなあとそおっと、覗いてみたくなるところ。
そこここで、かかれた言葉を読んで、笑ったり、ほっとしたり、・・・
・いつもいつも、5月の風のように、優しい風ばかりが、吹くわけではないけれど、
木枯らしの先にも、春のあらしが、
その先には、形は違っても、また5月の風が、やってくる。
その前に、クリスマス。
「あと何日で、クリスマス」のカレンダーでも張ってみようか。



メイン道路
2001年11月25日(日)

団地の中は、迷路のようになっていて、散歩のときは、大体同じコースで、回っている。
紅葉があちこち、とても綺麗に、なった。
メイン道路は、イチョウ並木になっている。
今、最高に美しい。
夕日に映えるさまは、まるで金色に光る花びらだ。
はらはらと、次々と落ちていく。
すっかり、見とれながら、歩くのだけど、踏みしめるときの音は、さくさく、さくさく・・

ふと、気がつくと、木をゆすって、葉を落としている人がある。
そうなのだ。
メイン道路に面してすんでいる人にとっては、毎日の落ち葉はきは、苦痛以外にない。
出来るだけ、早く落としてしまおうとゆすっていたのだ。
その脇をそっと、下を見て、通り過ぎた。
ごくろうさまと、つぶやきながら・・





落合恵子さん
2001年11月23日(金)

もう25年も前になるのだけど、
「スプーンいっぱいのしあわせ」というエッセイをだして
、その頃の若い女性の憧れのようだった彼女が子供用の絵本屋さん、
クレヨンハウスを始めたのは、知っていたけれど、
ほとんど、思い出すことはなかった。
その彼女が、今朝、テレビに登場していた。
団塊の世代に入る前、というか、今年56歳になる彼女。
今でも、あの頃と同じ、颯爽としていて、はっきりと自分の言葉で、語っていた。
その中で、人は、男、女、と分けてしまうけれど、人は人であって、
男性も、女性も、老人も、子供も、それに世間で、言われる障害を持った人。そんなふうに、分けて言うのではなく、あくまで、個人であるべきだ。
選択肢はabcde・・・だけでなく、あ、い、う、え、お、だってある。

時計の振り子は、左に大きく振れたら、次は右に大きく振れる。
止まる所は、右側でも、左側でもなく、ひとつの「個」なんだ。

そんな考えにたって、生きている。
これからもそうして生きていきたいと話していた。
久しぶりに、彼女の作品に、触れてみたい。




耶馬溪
2001年11月20日(火)

毎年、この時期になると、耶馬溪に美しい紅葉を見に行く。
昨日は、夫が月曜日の休みだったので、平日だと空いてるかと、のんきに出かけてみた。
ところが、多いこと。
団体も多いけど、若い人も、熟年も、老年も・・
まだ、ほんの少し、早いかなと言う感じだったけど、それなりに、満喫できた。

裏耶馬溪の素晴らしかったこと。
ビデオを持っていって、車を走らせながら、撮ったのを帰ってから見たら、なんと、ただ、すごい、すごいの連発。

他に、言葉は、なかったのかしら。
こんなときって、出てくる言葉は、ほんと、つまらない


雨上がり
2001年11月18日(日)

夕方のほんの少しの雨。

散歩に出ようと、道路に出ると、綺麗に虹がかかっていた。
ほんのちょっとだけの雨だったのに。
虹が出る条件てなんだろう。
それから、日が沈むまでのわずかの時間の、天空の動き。
5分足らずで、虹が消え、そのあとの雲の色のうつろい。
なんてきれいな茜色、柔らかで、そのあとは、うすずみ色・・・

徐々に徐々に、墨の色がふかくなる。
雲の間に、スリムな月が、現れてくる。

30分の天体ショー。





子供部屋の整理
2001年11月16日(金)

今、子供部屋の整理をしている。
一遍に出来なくて、少しづつやってるのだけど、
なくそうとしている机の中から、ひどく懐かしいというか、
こころみたいなものを発見してしまった。
息子が、この日記を読むことはないと思うので、書き残しておこうと思う。

二男が、中3のころ、ちょっとこころが、通わない時期があった。
今、思えば、たいしたことはなかったのだけど。
その頃、水泳の試合があり、成績が、思わしくなかった精だ。
考えたすえに息子に手紙を書いた。
もうすっかり忘れていたのだけど、その手紙が、引き出しにしまってあった。
それは、先生からの手紙と一緒に入れてあった。
「きみは、きっと、昔をなつかしむあまり、自分の道を探しあぐねているのだろうと思うよ。
だけど、お母さんからの手紙なんて、一生のうち何回あるだろうね。
大事にしなさいよ。」とかいてあった。
息子は、母からの手紙を先生に見せていたのだ。
この先生は、息子の祖父がなくなったときは、毎日やってきて、
手紙を渡してくれた。
忌引きが三日あるが、その三日間、毎日だ。
父母をいたわるようにとか、きみが元気でいられるようにとか、、
いろんなことを書いてあった。
片付けることを中断して、すっかり過去に浸ってしまった。
今、少しづつ、母の気持ちが、わかるようになってきている。
こんな状態で、すっかり後片付けが、終わるのは、いつになるのだろう。

息子は、昔を懐かしんで、と、先生がいみじくも言ったように、

今、北の大地で、暮らしている。




新月
2001年11月15日(木)

新月は、月が、新しく生まれ変わる日。
満月は、美しく、つい見上げることも多い。
新月は、気がつかないほど、ひっそりと暗い。
人も、ある時期生まれ変われるとしたら、
こころが、すさんだとき、哀しいとき、
生まれ変われるといい。
いつも、楽しい日々を送ることは出来ない。
でも、生きていくことは、できると思いたい。
だけど、それさえ、出来ない人もいる。
人にも、新月があればいいと思う。




交通整理
2001年11月11日(日)

時々、買い物に出かけるお店で、というか、
駐車場で(郊外の大型店舗なのです)いつも、とても、素敵に、整理をしている男性がいる。
多分、警備会社の人だと思うのだけど、夏の暑いときにも、
冬の寒いときにも、いつも、とにかくかっこいいのだ。
会うたび、そう思う。
以前、交通整理のおまわりさんで、踊るおまわりさんという代名詞で、
テレビに登場した人を知ってる人もいると思うけど、
あんなふうには、かっこ悪くないんだけど、とにかくそのスタイルが、スマートなのだ。
ハンサムというわけではない。
でも、人目を引く。と、私は思っている。
仕事をとにかく楽しんでる。そう私には見える。
夫と行くと、いつも「いいよね、あの人。仕事楽しんでると思わない?」
つい、聞いている私がいる。
手際がいいし、迷うことがない。
はつらつとしてる。出会うとつい、嬉しくなるのだ。



五木寛之氏
2001年11月08日(木)

美容院で、見てた本に、五木寛之氏と山本容子さんの対談が載っていた。
五木作品は、前期のが好きなので、最近は、変わったなあと思いながら
、読んでいると、そのわけがわかった気がした。
氏の考えは、こうだ。

たとえば、歌手にしても、自分の、歌を、絶対に守って、その路線を決して変えない人がいる。
しかし、自分は、そうは思わない。
以前の古い読者5人に去ってもらって、新しい読者5人に入ってもらうのだ。

だから、10年前の読者は、「母が、五木さんのファンでした。」といい、いまの、ファンは、高校生など、
「五木さんは文章がうまいのだから、エッセイだけじゃなく、文学作品が、書けますよ」と、いうのです。
と、言って笑っていた。
つまり、氏の作戦は、成功したということだろう。
私は、デラシネであることを、よく話していた頃の、
五木さんが、好きだから、氏に言わせれば、
去っていった5人に入ってしまうのだ。
息子は、そういえば、「生きるヒント」を、熱心に読んでいた。




よく見て・・・
2001年11月07日(水)

よく言われる言葉。
よく見て。
そうでないと、ちゃんとかけないよ。

でも、見てるけどかけない。
丸い形で、色は、ブルーで、でも、ブルーったって、さまざまだし・・・

よく聞いて。
聞いてるけどやっぱ、歌えない。
さっき聞いたばかりなのに、もう、歌詞を忘れちゃった。
いつもこれの繰り返し。

クリエイターといわれる人たち。
どんな、耳と、目をもっているのだろう。




甥のこと
2001年11月05日(月)

先日、命日にお寺に行った帰り、妹のところに寄った。
甥は、今、入院して、リハビリ中なのだけど、
外泊許可を貰って、帰宅しているという。
まだ、小学5年生。学校を離れて、半月以上。
担任の先生は、一度見えたきり、きてくれないそうだ。
いそがしいのだろうか?
小学生が、学校を離れて、治ったあとで、学校へ戻りやすいように、
何かの手伝いをしてくれるのが、先生では、と、
私は思うのだが・・
彼は、遊んでいて、首をひねり、手の筋をおかしくして、
右手が、使えなくなっている。
多分治ると思うのだけど、もしかしたら、後遺症が・・・・という状況。
なおさら、先生のやさしさが欲しいと思う。
そこで、土曜日に寄ったところ、どうしても泊まっていってというので、
お泊りセットは、なしだったけど、急遽、泊ることに。

結局、深夜二時頃まで、トランプをして、楽しんだ。
神経衰弱、七並べ、エトセトラ・・・

果たして、リハビリになったのか?



命日
2001年11月04日(日)

11月3日は、義母の命日。
義父の命日は12月6日・・この日は、私の誕生日。
だから、二人とも、決して、命日を忘れることはないのです。
それで、昨日は、佐賀のお寺に行ってきた。
18年前、つまり、私達家族が、転勤で、北海道へ、行った翌年、
母は、風呂場で倒れ、そのまま2週間くらいの、昏睡の後、逝った

夫は、知らせを受けて、すぐに帰郷し、看病をしたが、とりあえず戻って、今後の方針を決めるため、北海道に戻ってきた。
その翌日、緊急連絡が入り、私達は、家族で帰ってきた。
福岡空港から、佐賀へ行く途中の、夕日が、とても大きくて、
赤くて、残酷な色をしていたのを、忘れたことがない。

私達が、病院に着いた直後、母の呼吸は止まった。
まるで、待っていたように。

18年後の、昨日は、酷い雨だった。





BACK   NEXT
目次ページ