日本百名山を踏破することを、生涯の目標の一つにして、長い期間かけて、登ってる方がいる。 7月の山は、巻機山(まきはたやま)と越後(魚沼)駒ヶ岳。 登山の様子が、まるでリアルタイムで見ているように書いてある。 ワクワクしたくて、ときどき訪問しているのだが、なぜ山に登るのか? 有名な言葉に、『そこに山があるから』というのがあるが・・・ 彼のエッセイを見ると なぜ、のぼるのか・・答えが書いてあるような気がする。 下記、原文のまま 「人はいくつの道を越えたら 人と呼ばれるのだろう 白い鳩はいくつの海を越えたら 砂に眠る事が出来るのだろう 答えは、友よ!吹きすぎる風に舞っている」だっ。 ときどき、歌をハミングしながら、あるときは苦しみながら 時に、至福の境地に達しながら、人は、山に登るものらしい。 高山植物に出会い、雪渓に出会い、はたまた素晴らしい空や雲。 これらに出会うために、身体に苦しみを強いてまで、山を歩くのかもしれない。 彼のホームページは、link2より「風に吹かれて」
この一週間、会社の暑中見舞いのはがきを作るのに追われている。 やっと、住所録ができたと思ってると、次から次と追加がくる。 なんと、まるで関係ないようなところまで、書いてある。 いいかげんにして!さすがに辛抱強い私でも愚痴がでる。 次は文面・・・ああ、下が揃ってないとか、 この部分は、字が小さいとか、いや大きいとか・・・ おかげで、まだ終わらない。 明日は、給料日。 一人何役の仕事をやればいいのかしら? かなり、お疲れモード・・ちっちゃな会社だもの。 仕方ない。 わかっているのだけど、かなりゆううつ。
近頃、ずっと考えてきた。 ガイアックスで、今起きているあらしのこと。 ホームページは、情報発信の場、交流の場であり 楽しくまた驚きの場でもあるはず。 ガイアックスには、よそにはない、ログシステムがある。 足跡を残し、訪問しあうことが出来る。 一言メッセージを残すことで、お互いの気持ちを伝えることも出来る。 このシステムを使って、悪意を伝えると言うのは、やはり間違っている。 高度な技術を駆使して、他人のホームページを荒らすのは、悲しいことだ。 自分のページを壊されるのはつらい。 誰にとっても、それは、大切な子供みたいなものだから。
千尋(ちいろ)の闇 上下ロバート・ゴダード 幸田敦子 訳 ゴダードの第一作 やっと読んだ。 つまり、あとの作品から読み始め、第一作を最後まで、とっておいて、最後に一気に読んだのだ。 決して、途中でやめることが出来ない。 ストラドフォードの顔が浮かぶ。 捕らえがたきわが逃亡者よ、私にはあなたの姿が見える。 だが、声を聞くことは出来ない。 あなたの過去への探求の、行き着く先をあの時教えてくれたなら、 私は決して船出したりはしなかった。 それはあなたもわかっている。 あなたの影が・・・・私のたどり着いたその影が、 故国を離れあなたが過ごしたこの場所で、今私を包み込む。 あなたならどうするだろう?いやこたえる必要はない。 ストラドフォードよ、まずは、この本を閉じねばならない。 あなたと私のこの本を閉じ、それとともに、 時を越えた知己たちの世界をも閉じねばならない。 外では夕闇が手招きしている。 あの中へ踏み込んでゆくことは、冒険であるに違いない。 あなたならどうするだろう? いや、こたえる必要はない。もはや、決めるのは私だ。 以上、最後のプロット。 主人公は、元歴史教師マーチン。 ストラドフォードの過去を調べるうちに、抜け出しようのない闇に引き込まれる。 ゴダードの作品は、なぜにこうも、絶望と、悪意、偽りに満ちているのだろう。 しかし、引き込まれてしまうと、もう抜けることは出来ない。 次に読む作品が見つからない。 この世界から抜けることが出来ない。
フォスタープランより 【日時】2001/07/21(土)18:00〜 2001/07/22(日)15:00〜(再放送) ※急遽変更になる可能性がございます。予め、ご了承ください。 【番組】 NHK BS1「アジア情報交差点」※特集の中で、10分ほど取り上げられます。【内容(予定)】 子どもたちが主体的に考え、情報発信をする機会を提供するプロジェクト 「子どもにだって言いたいことがある!(Children have something to say)」の紹介です。 子どもたちがビデオ撮影のトレーニングを受け、彼らの日々の思いや希望、関心を伝えるミニ番組を制作します。これにより、子どもたちの能力が強化されるだけでなく普段は軽視されがちな子どもたちの声を周囲の大人たちに伝え、子どもたちの視点を取りこんだプロジェクトをすすめることが可能となります。ぜひ見てください。
前回から、もう1週間、とにかく時間が過ぎるのは早い。 一つのことに、とらわれてると、あっという間に過ぎている。 若いときは、一日が長かった。 というより、自由な時間が好きなだけあった。というべきか。 今は、・・・う〜ん、同じ時間なのに、自由な部分が、少ない。 特に何をしてるわけでもないのに・・・ 会社にいて、時間をうまく使う方法って・・・そんなのある訳ない。
今日は、二男の22回目の誕生日。 このところ、やけに生意気になった。 何かにつけて、困ったことがあると電話をしてきてたのが、 もう22歳なんだよ、とのたまう。 いつまでも、中学生じゃないんだから、なんてそんな言葉が飛び出す。時々、それに誘惑されてと言うか、つい乗せられてというか、 衝突してしまう。あとで、ああ大人気なかった、と反省しきり。 その彼が、ハンセン病って何!と一言聞いてきた。 周りの人に聞いても、回答が得られないと。 そういえば、はっきりした回答が出来ない。 改めて、ちょっと調べて連絡するわと電話を切った。 結局、検索に頼ってしまった。 やっぱり、わたしも誤解したまま、信じてた部分があった。 今回は、プレゼントは、なしだけどこの資料を送ろうと思う。 でも、時々思うんだけど、もう22歳?それともまだ22歳。 どっちだろう。 私には、二男の場合、やっぱり まだ22歳と思えるのだけど。
今夜は七夕。 子供の頃の七夕は、旧暦だったので、8月7日。 父が、うちのうらにあった笹を切り出してきて準備をする。 母は畑から、芋の葉にたまった朝露をすずり石にとってくる そうして縁側で、一生懸命に墨をするのだ。 願い事を書いて、短冊をたくさん作り、・・・・楽しかった。 自分で、家庭を持ってから私は、そういう行事をやらなかった。 新暦を使っての行事には、やはり季節感が伴わないからと言うのが、 その頃の言い訳だ。 今になると、それも悔やまれる。 自分が、半世紀を生きてきて、いろんな思い出があるのに、子供達には、残せてないわけだから。 織姫と彦星、年に1度の逢瀬。今日は会えるかしら? 単なる、お話とわかってからも、これだけは、信じていたいと思ってきた。 雨で、増水した天の川には、かささぎが、羽根を広げて、道を作ると言う。今夜も羽根を広げてやって欲しいと願う。
息子が、友人を連れてきた。 今年同じ職場に内定したばかりの、全員が初対面。 大分へ、工場見学に来た帰りに顔を見せに来たのだ。 どんな人がくるのだろうと、ワクワクした気分で、待った主人と私。 今の時代の若者。それも、どこの出身なのかもきいてない。 でも不安はなく期待ばかりが膨らむ。 食事は済ませたが、お父さんと飲みたいなと嬉しがらせる電話。 早速、ありあわせのおつまみを用意して待った。 やってきたのは男子二人、女子一人。 見るからにあっけらかんと明るく、しかも礼儀正しい。 希望に燃えた学生というのは、これほど気持ちのいいものかと改めて実感。実に個性的。 22歳から24歳。 大学を入りなおし、国際法を勉強している人あり。 どんな事態になろうとも、一度もノートを欠かしたことがないという人。 (ただの、がり勉と言う意味ではない) これには、それなりの目的と意味あり。 北海道をこよなく愛し、しらかばの研究を命題とした人ありで、 人生50年の私や主人のほうが、教えられることが一杯。 まるで、若くなったような気持ちで、とても楽しい時間をすごした。 「今の若者は、」と言う言葉は、彼らには当てはまらない。 彼らのような、若者をたくさん集めた会社が、現実にこうしてあるのだもの。 日本は、大丈夫。 すっかり安心して、次世代を頼める。 心から実感した。
風の姿を who has seen the wind? 風の姿を 見た人がいるかしら? わたしもあなたも 見てないわ でも 木の葉の そよぐとき 風は 吹き抜けているわ 風の姿を 見た人がいるかしら? わたしも あなたも 見てないわ でも 木の葉が よこになびくとき 風は 吹きすぎているわ。 これをあなたに・・・クリスティ-ナ・ロセッティ 恋の歌よ。ちょっと違うかもしれないけど 感じたままを・・・しあわせにね。
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