通勤時間が、子供達の通学時間と同じ。 毎日、元気に通ってる、小学生を見るのは朝の時間には、励みになっていい。 女の子が、学校にお花を持っていく光景を見るのは普通だけど・・ 先日、3年生くらいの男の子が、いかにも嬉しそうに、紫陽花を抱いて歩いてきた。 綺麗に、包まれた、ピンクのガク紫陽花それが、いかにもその男の子に似合うので。思わず顔を見てにっこりしてしまった。 男の子は、はにかんだ顔をしたが、すぐにスキップをしながら、通り過ぎていった。 同じ日の帰り道。 もうすぐ、自宅というところに空き地がある。 そこで、3人の子供達。 女の子が一人。男の子が二人。多分、幼稚園くらいかな。 3歳くらいか4歳くらい。 女の子は、知ってる子。 お姉ちゃんはかなり美人。彼女も、大きくなるときっと・・・という感じ。 男の子が、高いところに立って、飛べるかどうか、度胸試しをやってる。 私は、無理かなと思いながら立ち止まった。 駄目だ、やっぱり、という声。 そうだよね、思わず声をかけた。 その言葉に励まされたのか、エイ! あ、とんだ!思わず一緒になって拍手してしまった。 そのあとのこと。 女の子が、もう一人の子に、○○ちゃん、あんたもよ!というのだ。 でも、その子は、ちょっと小さい。 え、ぼく・・といいながら、所定の位置に立った。 誇らしげに、胸を張るもう一人の男の子。 澄ました顔で、促す女の子。 私は、というと、見てられなくて、そこで、帰ってしまった。 何だか、今日は、小さい子に縁がある日だったなと、思いながら、 また、こんなに小さい頃から、もしかしたら、男の子は大変なのかも・・なんて、ふと思ったりした。 あの子、あんなに高いとこ、飛べたかしら? ちなみに、我が家のりんちゃん・・高いところから飛ぶのが好きで、 何度か飛んだけど、最近は、そこまで、行くけど、飛ぶのはやめて、 低いところへ、戻って降りるようになってしまった。 だって、骨折しそうなくらい高いとこだから。
昔、雨の日が嫌いだった。 私は、髪の毛が、いわゆる、くせ毛。 細くて、とても始末が悪い。 たいていは、伸ばして、三つ編みにしていることが多かった。 いつも、直毛の人がうらやましくてあこがれた。 私の両親は、誰が見ても立派な直毛。 私は、見たことも会ったこともない、母方の祖父の遺伝を受けているそうだ。雨の日は、より、始末が悪くなるくせ毛。 そんなこともあって、雨が降る日は、憂鬱だった。 今の時代はいい。ストレートパーマがある。 ちょっと、パーマ代はかさむけれど・・ あんなに気になった髪の毛を、それほど意識しなくてよいのだ。 でも、2ヵ月ごとに、やっぱり思い出すのだけど・・
とても不思議な夢を見た。 坂道で、登りながら,道路わきの草むしりの掃除をやっていた。 なぜだか、這い蹲るような姿勢で。 どんどん、ごみや草を取るのだが、取っても取ってもまだぬかるみのような感じで生えている。 初めは、一人だったが、だんだん人が増えて、大勢で町内清掃のようになっていた。 そのうち、鳥の糞が、たくさんあって、ふと見るとからすの親子、 (確かにそうだ)が間にはさまれたような感じで死んでいる。 まあ、早く捨てなければと手を出すと、1羽が、確かに目を動かした。 何だ、生きてる、そう思ったとき、親鳥が、飛んだ。 すると、赤ちゃんの鳥も羽を動かした。 みんなで、息をつめてみていると、ばたばた羽を動かした。 それがなんと、人間の赤ちゃんの形なのだ。 それもとてもかわいい。 でも、誰も不思議がらずに一生懸命応援してる。 拍手しながら落ちないように願う。 よかった。着地した。 そのとき、呼び声が聞こえた。 主人の携帯のメロディーも。 私が、あまりに嬉しそうに笑っているので、不思議に思って、起こしたのだ。 夕べの夢だけどはっきり赤ちゃんの顔を思い出す。 ほんとに不思議な夢
ロバート・ゴダード「永遠に去りぬ] 伏見威蕃 訳 今までに読んだゴダードもので、最高の作品。 私にとって,ゴダードは、推理を超えて,純文学に近い。 この作品の主人公は、ほんのわずかの出会いで,自分の人生を賭けてしまう。 「あなたと,私,本当に人生を変えられると思う?」 と聞いた人のために・・・・ その人の名も聞かずに別れ,その後殺されたひとのために・・・, 単なる見知らぬ旅人同士たった一言交わしただけなのに、 後戻りの出来ないことに。交わした言葉の重さゆえに。 最後のプロットを書いておこう 「二人の人間が、たまさか、見知らぬ旅人同士ではなくなることがある。 そうなったら、もう後戻りは出来ない。 ただ一つの過ちは後戻りできると思いこむことだ。 しかし人間は過ちから学ぶものだ。 私は一度歩み去りそれをずっと悔やんできた今回は、一歩も譲らない。」
テレビでは、時々,見かけたが,本物を始めてみて,すっかり感激してしまった。 古代の赤米を作るのに、アイガモの雛を田んぼに放してあった。 ぴよぴよと、鳴きながら,やすむ暇なくつついている。 とってもかわいい。 でも、どのくらいの期間田んぼにいるのだろう 水を必要としなくなったとき,アイガモは食用になるのだろうか? これって、合理的なのかもしれないが、 考えようによっては、すごく残酷? でも、お互い,助け合ってると見れば、これは、広げるべきだろう。 でも、案外,被害もあるようだ。 などと、つい、いろいろ考えてしまった。
楽しみにしていた人が、ずいぶん沢山。 私もその一人。どんなことがかかれているかと・・・最初だからかな。 当り障りのない、普通のメールと言う感じだ。 ま、親しみを感じた分だけ、良いのかなと、納得してしまった。
久しぶりに映画を見た。 高倉健 主演 元特攻隊で、生き残った二人、昭和天皇の崩御の時、一人が亡くなった。 生きることとは。 重いテーマを扱った作品だった。 在日韓国人の少尉、その婚約者。 知覧の母と呼ばれた人。 関わっている人々にとっても生きると言うこと。 今の、時代私たちは、よりよくということばかり追求してきた。 原点に戻って、生きると言うこともう一度、しっかり考えなければ。 こころのそこから、揺すぶられた。
どうしても、日記を書き込むことができなかった。 すっかり臆病になってしまって・・でも、いい加減、卒業しなくては。 いろんな人の思いを包み込んで、とにかく月日は移ろっていく。 そこにとどまることはできない。 今の時代、どこでも、いつでも、選択肢は有り余るほどのものがある。 そのとき、どちらを選び、どう進むか、まるで宝くじに等しい。 何が正しくて、何が誤りか、私が子供の頃はたぶんそうやって物事を選択した。 今は、どちらが好きで、どちらが興味がないかそんな尺度で選んでるような気がする。 選択肢が増えたことは、喜ぶべきなのか? 考えることは、より増えたことになる。
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