□■ あたしのお教室 ■□
もくじ過去未来


2004年10月11日(月) 結局、一睡もせず。。

はい、おはよう。

長い夜だった。(現在午前6時)
結局、一睡もしなかった。

痛み止めをもらっているので、昨晩のような痛みこそなかったが、片耳がふさがれた状態で、どうもこうも息がしにくかった。
そのうち動悸がしてきて、このまま危なくなるんじゃないかと思って、また119に電話して病院を探してもらった。

今度はあった。ちゃんと耳鼻科の専門医のいる総合病院が。
しかし、郡外だしかなり遠い。。

意を決して2:30電話をした。
出てきた男が面倒そうに、「明日の朝にしたらどうですか?痛み止めはあるんでしょ?先生も眠いとちゃんと治療できるかわかりませんよ。」と言った。

こっちの切羽詰った状態を話しているのに、なんという言い草。

「わかりました。ちゃんと治療していただかないと困るので、朝まで我慢します。」と答えたところ「我慢はせんでもいいですけど。」と相変わらず不機嫌そう。

もういいわ、と思って電話を切った。

そのうちに痛み止めが切れてきて、また痛くなってきたので、薬を飲んでごまかす。

どうにもこうにも眠れないので、ネットをはじめ気を紛らわし、ついでに兵庫県内の耳鼻科を検索してみる。

なるほどね、あたしの町には耳鼻科はないわけだ。
隣の町にもないぞ。
郡内6町に個人病院は3軒だけじゃないの。

救急センターに連日電話してるわけだけど、耳鼻科の救急っていうのはほとんどないってことがわかった。
てことは、郡内の住民は、休みの日や夜中には耳鼻の病気になるなってことやな。

都会にいたときは、どこに行こうかと迷うぐらい救急で診てくれるところがあったのに。
くそ〜。

頼むから、グランドゴルフ場とか、道の駅とか作る前に、町に総合病院作って〜。

はぁ、夜が明けてきた。
ネットで調べた他市の耳鼻科に片っ端から電話して、診てもらえるかどうかきいてみよ。。。

22452


2004年10月10日(日) 耳その後。

はい、こんにちは。

朝8時半に出た勇んででたのに、帰宅したら、2時近かった。

頼みの耳鼻科が休みで、それからあちこちの救急病院をさ迷って、結局京都の外科までいって点滴してもらって、応急処置だけってことになった。

途中、耳の激痛と発熱のため、自分で歩けなくなって車椅子初体験。
いや〜。車椅子ってこんなにらくちんだったのね〜。
と思いながらも、なんともはや情けない。

痛み止めと点滴が効いたのか、帰り道は割りと楽だった。

今日ばかりはおっとっとが休みをとったので、運転は任せた。
(というか自分で運転できるような状況じゃなかった)

帰宅して、お腹に食べ物をいれて、また寝る。
薬のせいもあるのだろうなぁ。いくらでも眠れる。

さっき起きて、軽く鍋焼きうどんとヨーグルトを食べた。

テレビの音とか、おっとっとの話し声が、あんまり聞き取れない。

耳と脳は近いだけに、このままではやばい気がする。
明日は、また休日だよな。。
はぁ、どうして耳鼻科の救急ってないん?
田舎だから?

明日もう一日がんばって、明後日になったら、朝一番で耳鼻科に行こう。

もういや、こんな痛いの。

22439


2004年10月09日(土) 左耳、聞こえなくなる

はい、こんにちは〜。

二三日前から左耳がなんかおかしいなぁと思っていたら、今日の朝になって、耳に蓋ができたみたいな感じになって、な〜んにも聞こえなくなった。

聞こえないだけならまだいいんだが、耳の奥に激痛が走る。
まるで耳の中にナイフがあるみたいだ。
これはたぶん中耳炎だろう。

痛み止めを飲むこと数回、しばらくは、痛みが止まるが、またぶり返す。

食べ物を咀嚼すると、左あごが痛くて、飲む込むのが大変。

そのうち熱が出てきて、腰がすんごくいたい。

119番に電話して、救急の耳鼻科を問い合わせたが、どこもやってないとのこと。
これは、3連休もたない、と思って電話帳を探す。
どこか個人でみてもらえるところはないかと。

なんと、あったあった!
一軒だけあった。
女医さんで、昔弟くんがお世話になっていたところだ。
感じの良いドクターだったことを覚えている。

明日診てもらえると思うと、俄然元気がでてきて、今、アイスを食べた。
早く寝て、起きたらすぐ病院に行こう。
たぶん、切開しないといけないだろう。

明日は、久しぶりの神戸飲み会だったのに。。残念。。

日記を書こうと思うのに気持ちがのらなかったり、いろいろなことがつまらん、と思っていたのは、病気のせいだとわかって、良かった。

かなり厭世的になっていたのは確か。笑。

あたしは、結構、単純だ。

22414





2004年10月03日(日) 静かなる人々

はい、こんにちは〜。

は〜、くたびれた〜。今日は村の敬老会。
婦人会役員5名で、30名近くのご老人の接待ざますっ。
はぁ。もう老朽化した公民館の床がぬけるんじゃないかと思うほどたくさんご老人が来ておられましたわ〜。

9:30から準備開始。

ま、弁当は仕出屋に頼んであったりで、昔に比べたらすることも少なくなってきたらしいけど、それでもあったわよ。
4時間ぐらいは座る暇もなかったわね。

後片付けで、皿、茶碗、グラス、お猪口、コーヒーカップなどなど、ま、あわせて300個ぐらいは洗い物があったわね。
それは一人で黙々とやらせていただきましたわ。
おかげで、手がふやけてふにゃふにゃですわ〜。

終わったあと、役員ばかりで簡単に食事をしたんだけど、そのとき飲んだ「いいちこ」のお湯割りが美味しかったわね。

・・・ふとこんなことを考えた。

都会にいるときには考えもつかなかったこういうイベント、会う可能性もない老人たち。

何の因果か、こんな山奥の寒村に来て、しらないお年寄りにお食事を振舞う。

確かに面倒で、しんどいよなぁ。。。

・・・一人のご老人がこう語り始めた。

「この村から戦争に何人も男衆がでてな、わしも送り出された一人や。敵の攻撃にあって死ぬる時にな、天皇陛下万歳なんて誰もいわんかった。みんな、かあさん、と言って死んでいった。。」と。

あぁ。この平和な日本を守って、支えてきた一人なんだな。

みんな帰るときに、うれしそうに「ありがとうね。おかげで良い一日やった。」と言ってもらえて、あたしの大事な365日の1日ぐらい、ご老人のために費やしてあげてもいいな、と・・・そう思ったわけなのだ。

22153


2004年10月02日(土) 帰国の日が決まる。

はい、こんにちは〜。

うれしい、うれしい。

弟くんの帰国の日が決まった。
11月26日。
さっそく年休を取ったのだ。

パースから一人で大陸を横断して、それから仲間とブリスベンで合流して、それから成田まで帰ってきて、そこで一泊してそれから飛行機で伊丹まで帰ってくるらしい。
伊丹までお迎えにいこうかなぁ。
それとも篠山のJRで待っておこうかなぁ。

2階のやつの部屋にはテレビがあるもんだから、ずっとあたしが占領していたんだけど、明け渡さないといけないなぁ。

10月は一ヶ月かかりでやつの部屋を綺麗にして、制服と通学靴の点検をしてっと。。

どれだけ大きくなったかな。
わがままなやつめがどれだけ成長したか。

帰ってくる日を指折り待つ毎日になりそうだな〜。

なんか、俄然元気がでてきて、すっかり浮かれている〜。

全然関係ないけど、あたしの車、12月が車検。

もう走行距離も14万を越えているので、新しい車を手に入れないといけないんだけど。

車の車種とか色とかにうるさいやつが帰ってきてから一緒に考えよっと。

また、アッシーはじまることだし。

ふっふっふ。

22123


小春せんせ |MAIL