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2002年12月31日(火) |
26日目:栓が取れた! |
授乳後、乳首から白い糸のようなものが垂れ下がっているのを発見しました。 どうやらこれが白栓のようです。 5ミリ程度の長さがあったので指でつまんで取ってしまいました。 昨日、助産婦さんが「あと少し」のところまでケアしてくれていたのが効いたようです。
なっちゅんの血便は今日もありました。 3回連続です。 明日のおっぱいケアの時に見てもらおうとデジカメで撮影を試みましたが、うまく取ることが出来ませんでした。 仕方ないので現物を持参しようと思います。
そんなこんなでバタバタしていたら、なっちゅんをお風呂に入れるのが遅くなってしまいました。 今日中に今年の垢を落とさなくては!とあわててお風呂に入れ(今日初めて浴槽に浸からせました!)、年越しのカウントダウンとともにビデオを撮りました。 なっちゅん、初めての年越しです。
2002年12月30日(月) |
25日目:あわや乳腺炎 |
昨夜からおっぱいが熱を持って痛く、冷えピタシート等で冷やしていたのですが、誤魔化しが聞かなくなってきたので急遽産院で「おっぱいケア」をしてもらうことにしました。おっぱいは岩のようにガチガチです。 産後1ヶ月間はおっぱいが安定しないので、食事には気を遣って肉は一切食べていなかったのですが、産院に着いたら「何か食べました?お餅とか?」と聞かれてしまいました。 でも、昨日食べた栄養豊富なものといえば「かぼちゃ」しか思い当たるものがありません。 (食糧不足が深刻だった昔、妊娠中は「二人分食べなさい」産後は「おっぱいが良く出るように」とごちそうを食べていたそうですが、現代でそれをやると大変なことになります。お餅もおっぱいが出ない人には有効かもしれませんが、おっぱいの良く出る人が食べると、途端に詰まって乳腺炎になります。)
早速おっぱいマッサージをしてもらいましたが、乳首の白栓が原因のようです。 白栓は、完全に出口を塞ぐタイプものではなく、「水道管の錆」タイプのものでした。 なので、その穴からはおっぱいが出ますが、穴の大きさが十分ではないためにおっぱいが溜まってしまったようです。 「本当に乳腺炎になる一歩手前でしたね。早く来ていただいて良かったです。」と、助産婦さんに言われてしまうほど、わたしのおっぱいはギリギリだったようです。 結局助産婦さんの努力は実らず白栓を取ることは出来ませんでしたが、溜まっていたおっぱいを絞ってもらっただけでも大分良くなりました。(といってもまだガチガチですが。) さといも粉のおっぱいパックの作り方を習い、しばらくは冷やしながらの授乳になりそうです。 頑張ってなっちゅんにおっぱいを吸ってもらいたいと思います。 本当だったら次は1月10日の一ヶ月検診におっぱいケアを受ける予定でしたが、助産婦さんが「この状態で長期間おいておくのは不安」ということで、1月1日におっぱいケアをしていただけることになりました。 せめてお正月くらいはのんびりしたいでしょうに、「うちは全然大丈夫です!そちらのご都合がなければ是非来てください!」と、本当に有り難いことです。
夜、なっちゅんのうんちに「血」が混じりました。 線状の鮮血が3筋ほどです。 育児本によると、そんなに深刻なものではなさそうなので、しばらく様子を見たいと思います。
2002年12月29日(日) |
24日目:困ったことに |
なっちゅんは暗いところよりも明るいところでの方がよく眠ります。 なんと、出産後に入院しているときもそうだったのです。 それで夜は電気を付けたまま眠ります。 電気代がもったいないとは思うのですが、暗くするといつまでも「ふんふん」言って元気いっぱい、いくら寝かしつけても起きてしまうので仕方がありません。 わたしは電気がついていても眠れるのですが、そうへいは腕で顔を覆って眠っています。 もともと暗くないと眠れない人だったのですが「人間、本当に疲れていれば明るくても眠れるものなんだね。」なんて言うようになりました。 いつになったら暗いところでも眠ってくれるようになるのでしょう。
2002年12月28日(土) |
23日目:出ません! |
今日は義妹のえみこくんが遊びに来ました。(えみこくんはゆかりくんのお姉さんにあたります。) えみこくんもなっちゅんの小ささに驚いていました。 えみこくんは赤ちゃんを抱くのが上手で、なっちゅんも安心して抱かれていたのですが、「出る」おっぱいだと勘違いしてえみこくんのおっぱいを一生懸命くわえようとしている様子は、いじらしくて可愛かったです。 そういえば先日来てくれた友人が抱っこしていたしていた時も同じことをしていたような・・・。 それから、えみこくんが何曲かバイオリンを弾いてくれました。 早くもなっちゅんに情操教育?
それにしても(ゆかりくんにも聞いていましたが)、赤ちゃん用(0歳から)のバイオリンがあるという話には驚きました。 「弾く」というよりは「弾くカタチ」に慣れさせるという目的のものらしいのですが、凄いなぁと思います。 うちには無縁の話ですが・・・。
2002年12月27日(金) |
22日目:成長の速度 |
昨日、車の中での授乳を外から見えない方のおっぱいだけで行っていたのが良くなかったようで、家に戻ってから片方のおっぱいにしこりが出来てしまいました。 熱をもってしまい、痛くてたまりません。 おっぱいに骨がある!と驚くほど固くなりました。 慌てて冷えピタシートを張り、なっちゅんに一生懸命吸ってもらったので、今朝起きたら大分しこりが小さくなっていたので一安心です。 ちょうど、今日はおっぱいケアの予約が入っていたので良かったね、とそうへいと話しました。
助産婦さんにしこりが出来てしまった話をすると、小さくなっているのでこのまま吸わせていけば大丈夫だろう、と言われました。 本当に、毎回ケアの後はおっぱいが軽く、楽になります。 なっちゅんも順調に大きくなっているので、1ヶ月健診の時には4kg超えるんじゃない?と言われて驚きました。 赤ちゃんの成長は、本当に早いものですね。 次のおっぱいケアと1ヶ月健診は1/10なので、楽しみです。
2002年12月26日(木) |
21日目:職場へGO! |
今日こそは準備万端で職場へ出かけました。 もちろん法律に則って、チャイルドシート使用です。 某メーカーのCMで「酸素飽和度」とか言っているので気になりましたが、とにかく座らせないと罰点になりますし、チャイルドシートの説明書には「新生児〜」と書いてあるので大丈夫だろう、と判断しました。 座らせてみると、シートに対してなっちゅんがあまりにも小さくて少し不安でしたが、なっちゅんは泣かずに大人しく座っていました。
道が予想以上に混んでいて、職場へ着くのに2時間もかかってしまいました。 手続きにも時間がかかり、職場を出たのはなんと17時過ぎです。 その間、色々な人になっちゅんをお披露目したり、出産祝いをいただいたりしました。 「0ヶ月なのにしっかりした顔をしている」「頭が綺麗な形をしている。ストレスのないお産をしたからだね」「男前だね」などと誉められて嬉しかったです。 学校長(わたしは医大勤務です)が「随分と髪がふさふさしているねぇ!」と何度も言っていたのがおかしかったです。学校長、少し薄いんです・・・。
育休は来年10月いっぱいまでいただく予定。 ただでさえ育児ボケしているのに、ちゃんと復帰できるのか今から不安です。
2002年12月25日(水) |
20日目:クリスマスプレゼント |
今、わたしは産休中ですが、実はまだ産後休暇・育休の手続きをしていません。 産前休暇は分娩予定日を起算日としていますが、産後については実際に分娩した日が起算日になるため日にちがずれ、それに伴い、育休もずれこむので出産後に手続きすることになっているからです。 さすがに年を越してからの手続きはまずいということで、今日手続きに行くことにしました。 おっぱい育児なので、当然なっちゅん連れです。 電車で行っても車で行っても1時間半かかるので、なっちゅんにとっては初の遠出になります。 そうへいに運転を頼み、わたしは後部座席でなっちゅんの様子を見ながら家を出発しました。
車の中で職場に「これから伺います。」とメールを入れると、すぐさま携帯が鳴りました。 着信を見ると係長からです。 訝しみながら電話に出ると、「実は昨日事務部長が亡くなったので、通夜や告別式の準備で忙しくて、来てもらっても誰もいないよ。来るなら明日以降にして欲しい。」という内容でした。
そんなわけで、初のなっちゅんおでかけは10分程度で終了してしまいました。 出る前にちゃんと連絡しておけば良かったです。 フライングですね。
ところで今日はクリスマス。 なっちゅんには少し早いけど、クリスマスプレゼントを用意しました。 プレゼントしたものは絵本です。 松谷みよ子さんの「いないいないばあ」。 もう少し大きくなったら読み聞かせてあげたいと思っています。 なっちゅんのお気に入りの絵本になるといいなぁ。
2002年12月24日(火) |
19日目:知らない人? |
今日は義妹のゆかりくんがなっちゅんに会いに来ました。 ゆかりくんは初めて赤ちゃんを間近で見たそうで、おっかなびっくり抱っこしていました。 妊娠中にお腹に向かって歌っていた曲を歌って聴かせたり、色々と実験?している様子は端から見て微笑ましかったです。 夕方から用事があると言うことで帰っていきましたが、次は26日から泊まりで来ることになりました。
「この人、だれ?」と見上げるなっちゅんが可愛かったです。
2002年12月23日(月) |
18日目:年賀状作り |
昨日デジカメで撮った写真が気に入らず、今日になってから何度も取り直しを試みたのですが、そう言うときに限ってなっちゅんが良い顔をしてくれません。 親ばかなわたし達としては、一番可愛いなっちゅん写真を年賀状にプリントしたかったのです。 午前中いっぱい頑張っても駄目だったので、結局昨日の画像を使うことにしました。 一日なっちゅんのオムツ洗いと年賀状作りで終わりました。 24日までに出すと1月1日に届くというので、わたしもそうへいも必死です。 印刷を終えたものから順に手書きのコメントを書いて、乾かして、全部で約120枚。 日付変更線を超えて、24日の4時まで頑張りましたよ・・・。 本当に眠いです、おやすみなさい。
今日は母方の従姉妹がなっちゅんに会いに来てくれました。 大学に通うために上京してきているのですが、とてもしっかりした良い子です。 なっちゅんを抱っこしたり、千と千尋の神隠しのDVDを見たりしました。 数日前、母親が伯母(母親の一番上のお姉さん)に「(なっちゅんは)声を出して笑うのよ。」と電話で話したのを信じてもらえなかったようで、それを悔しがっていたのですが、従姉妹の前でなっちゅんが声を出して笑ったので「帰省して伯母さんに会ったら、声を出して笑ってたよって言ってね。」とお願いしていました。 本当に「ばばバカ」にも程があります。 といいつつも、わたし達も人のことを言えず親ばかなのですが。
2002年12月21日(土) |
16日目:なっちゅんお披露目会 |
今日はそうへいとわたしの共通の友人3名が、わたしの実家へ来てくれました。 そうです、なっちゅんのお披露目会です。 Nくんは仕事が終わってからということで遅れてきたのですが、セリカちゃんとマイコちゃんは時間通りやってきて、なっちゅんを順番に抱っこしてくれました。 おっぱいでケーキやお菓子が食べられないわたしを気遣って、苺(わたしの大好物!)を買ってきてくれたり、本当に有り難いです。 初めて家族以外の人と接して興奮していたのか、1時間毎におっぱいを欲しがって泣くので、わたしは恐縮しまくりでした。 きちんと授乳すると30分ほどかかってしまうのですが、そんなに長い間お客さんを放っておけないと考え、10分程度で切り上げていたのも敗因かもしれません。
こんなふうに、授乳があるので行動が制限されてしまい、今までのように生活できません。 それを不便と感じることもありますが、長い人生のほんの1・2年ですし、なっちゅんにとって「その時しかない時間」を共有できるのは、わたしにとって喜びです。 おっぱいをくわえて一生懸命ほっぺを動かす様を上から眺めていると、本当に幸せな気持ちになります。 ずっとおっぱいをくわえていて欲しいけど、いつかは巣立っていくのだと考えると少し寂しいです。 いつまでも「わたしだけのなっちゅん」でいて欲しい気持ちもありますが、わたしのお腹の中から出てきた時点で、彼は彼の人生を生きているのだから、その邪魔はしたくありません。 「母」は、複雑な気持ちです。
セリカちゃん、マイコちゃん、Nくん、今日はわざわざ大切な時間を割いて会いに来てくれてありがとう。
出産祝いでいただいたお金が貯まってきたので、なっちゅん名義で郵便局に口座を作って貯金してきました。 実はなっちゅん用の印鑑と印鑑ケースを既に購入してあったのです。 少し早めのお年玉も加えて入金しました。 なっちゅんがいつかわたし達の元から自立したとき、このお金を渡してあげたいと思います。 ところで、お祝いをいただいた人ごとに入金して、通帳に記帳された金額の横に鉛筆で名前を書いて忘れないようにしたのですが、わたしって細かいですか? 一番始めの入金をした後は窓口でお願いするのは申し訳なかったので、ひたすらATMで小分けにしたお金を入金し続けたので時間がかかってしまいました。 将来、大きくなったなっちゅんのために使いたいと思います。
赤ちゃんのまつげは、始めのうちは目尻方向に収納されていて、生まれたあとに少しずつ顔に向かって垂直方向に出てきます。 なっちゅんのまつげも段々と出てきたのですが、その長さに家族一同でびっくりです。 目はお義母さんに似ているな、と思っていたのですが、まつげの生え方はわたしに似ています。 赤ちゃんの顔は日に日に変わっていくので、どんな顔になっていくのか楽しみです。
2002年12月18日(水) |
13日目:親ばかだけど |
今回のおっぱいケアは準備万端で出かけたはずなのですが、そうへいがお尻ふきを入れ忘れてしまい、今日も産院でお尻ふきを借りてしまいました。 そういえば、おっぱいケアの前に必ず赤ちゃんの体重を計るのですが、ついに3kgを超えました! 本日のなっちゅんは3,006gです。 毎日沢山おっぱいを吸って、沢山うんち&おしっこをしているので、大きくなるはずだよね。とそうへいと二人で笑いました。
なっちゅん、本当に可愛いです。 親ばかだけど、親ばかでいいのです。 たっぷり愛情を注いで育てたいと思っているので・・・。 で、どこが可愛いかというと、両手を耳の横に持ってきて「あぅ。」と笑うのです。 顔をひっかかないようにミトンを着けているので、可愛さがアップしていると思います。 この様をそうへいと「ぴょこたん」と呼んでいます。 色んな表情、色んなポーズを取るので、一日中眺めていても飽きません。 そうへいと二人で我が子に夢中です。
2002年12月17日(火) |
12日目:生き返るかな? |
入院中に出産祝いでお義母さんからいただいた、クリスマスローズが枯れてしまいました。 わたしは入院していたのでそうへいに持って帰ってもらったのですが、そうへいは造花だと思っていたらしく、水をあげずにいたのです。 退院後、本物だということに気付いて慌てて水をあげたのですが、日に日に萎れていき、ついに駄目になってしまいました。 そうへいに「ちゃんと水をあげていたの?」と聞いたら、「毎日あげていたよ。」と答えが返ってきて、なっちゅんのお世話にかまけてクリスマスローズの世話をしなかったことを後悔しました。 「毎日水をあげていたら、根腐れしちゃうじゃない!!」 クリスマスローズの土を見たら、カビが生えていました・・・。 表面の土が乾いたら水をあげる、という程度でいいんだよ。クリスマスローズに付いてきた「お世話の仕方」にも4日おきでいいって書いてあったでしょ?と言うと、「枯れてきてたから、たっぷりあげた方が良いと思った。」と、そうへい。 「枯れてしまったものは仕方ないので、次から気を付けてね。」と言いましたが、せっかくお義母さんがくださったものなのに、申し訳ないです。 根っこが生きていれば、そのうち葉が出てくるので様子を見たいと思います。
2002年12月16日(月) |
11日目:水鉄砲のような |
夜2時ごろ、なっちゅんのオムツ替えをしていたのですが、オムツカバーを外してお尻ふきでお尻を拭いていたら、可愛らしいお尻の穴からうんちが出てきました。 嫌な予感を感じつつ、一生懸命お尻ふきで穴を押さえていたのですが、防ぎきれないほどの量が出てきてしまったため、途方に暮れて手を離した瞬間。 びゅーっ!と水鉄砲のごとく、うんちが飛び出てきてしまいました・・・。 わたしも布団もなっちゅんも、全てうんちまみれ。 わたしは半泣き笑いでなっちゅんを着替えさせ、布団のシーツを外し(ダブルの布団に3人で寝ています)、おっぱいが欲しいと泣くのでおっぱいを吸わせました。 もう、部屋はぐちゃぐちゃです。 そうへいは洗濯係なので、うんちまみれのオムツやシーツを洗いに流しへ行きました。 夜中に何やってるんでしょうね・・・。
って、こう書くと悲惨そうですが、わーわー言いながらオムツを替えたり洗ったりするのは、わたし達にとって喜びです。 そうへいと二人で楽しく子育てしています。
2002年12月15日(日) |
10日目:足りない・・・。 |
「うんち6連発で大変!」と前の日記で書いていましたが、母乳が沢山出るようになったせいか、一日に何度もうんち&おしっこをします。 今日も朝からおしっこ大放出で肌着まで全滅してしまいました。 肌着とオムツカバーは産院の指導通り5つずつ用意してあるのですが、殆どの物が汚れてバケツに入っており、タンスに残っているのはあと1つ。 大あわてで朝から洗濯をすることにしました。
肌着の洗濯は型くずれを防ぐため、紐を結んでから洗濯機にかけます。 なので、バケツに入っている肌着を全て出して紐を結んでいると・・・見つけてしまいました! 昨日、沐浴で流してしまったと思っていた臍の緒を!!! 一番下に入っていた肌着だったので、ばば(わたしの母親のこと)が替えた物に違いありません。 「お母さん!あったよ!!昨日なっちゅんの肌着取り替えた時、一緒に取っちゃったでしょう!」と呆れながら言うと「そんなこといったって分からなかったし・・・。」と言い訳していました。 着替えさせたときに臍の緒が取れていれば気づきそうなものですが・・・。 とにかく、無事に臍の緒を発見することが出来て良かったです。 肌着にくるまれて湿っていたため、しばらく乾かしてから、産院からもらった臍の緒の箱にしまいました。
その後、なっちゅんは更にうんち&おしっこの大洪水を繰り返し、洗濯した肌着は乾かぬまま、肌着とオムツカバーは全滅しました。 オムツは仕方なく紙おむつで代用しましたが、肌着はどうにもならず(新しい物を買ってきても、水通ししないといけないので)裸の状態でベビードレスを着せましたが、これも汚されてしまい、最後には裸+カバーオールというとんでもない格好でしばらく過ごしてもらいました。
新生児のサイズは50センチ/3kgのものとされています。 お店で売っているのも50センチ/3kgが一番小さい(はず)です。 なっちゅんは50.5センチで生まれ、体重もほぼ3kgなのでちょうど良いはずなのですが、どうしても横漏れします。 オムツを付ける度に横漏れしないようにするのですが駄目です。 育児本にも用意する数は「5つ」となっているのですから、他の人は5つで足りているはずですよね? それとも足りなくて買い足しているのでしょうか?? ・・・どなたか良い方法をご存じの方は教えてください。
今日はそうへい家の両親が義妹の発表会へ出席するついでに、孫を見に実家へ来ました。 10日の健診で黄疸の話をしたので、とても心配していたのだと思います。 なっちゅんの元気そうな様子を見てもらえて良かったです。 両親は日光浴の様子を見てから発表会へ出かけていきました。
わたしの通っている産院で「冬は1日おきでよい」と言われています。 なので今日が沐浴の日です。 前回、お湯が冷めてしまって大泣きされたので、今回は慎重です。 その甲斐あって、なっちゅんは気持ちよさそうにお湯に浸かり、沐浴後はすやすやと眠っていました。 お風呂を嫌がる赤ちゃんもいるそうなので、お風呂好きで助かります。
ところで、お風呂上がりに「ある変化」に気づきました。 「ないっ!」とわたしは叫んで、大慌てで周囲を探しましたが、ありません。 ・・・臍の緒が取れていたのです。 臍の緒は産院から長いものを頂いていたので、お臍にくっついていた臍の緒が無くても問題ないのですが、気持ち的にはその臍の緒も取っておきたかったので、本当に必死でした。 オムツや肌着、沐浴布などを丁寧に調べましたがどこにもなく、お湯を流しながら沐浴していたので、洗面台の上部に空いている穴から流れてしまったのだろう、という結論です。 残念だけど仕方ないよね、と諦めることにしました。 溜息です。
2002年12月13日(金) |
8日目:再健診とおっぱい |
今日は産院へなっちゅんの黄疸検査とわたしのおっぱいケアをしてもらいに行ってきました。 黄疸は毎日の日光浴の成果が出て数値が大幅に下がり、これなら入院しなくても大丈夫!と言ってもらえたので一安心です。 これからも毎日の日光浴を続けたいと思います。
ところで、わたしのおっぱいは産後5日目から張るようになり、今ではぽたぽたと滴り落ちるほど良く出るおっぱいになっています。 時には痛いほど張ってしまうので自分で搾乳をするのですが上手くいかず、ここ数日ほど苦しんでいました。 ここの産院におっぱいケアがあって本当に良かったと思います。 よくおっぱいマッサージは痛いと言いますが、ここのマッサージは痛くありません。 その丁寧なマッサージを受け、3日ぶりにおっぱいが楽になりました。 なっちゅんの体重も出生時とほぼ同程度になり、助産婦さんもびっくりです。 というのも、1週間で体重が元に戻るのは、初産婦の赤ちゃんではなかなかいないそう。(これは母乳の場合で、ミルクの場合はどうなのかは分かりません。) こんなことまで経産婦並み!と、またまた笑われてしまいました。 とにかく、母乳は足りているようで良かったです。 出産後、乳首にかさぶたが出来てしまうくらい、一生懸命吸ってもらった甲斐がありました。 文字通り、「血の滲む」努力をしたのです。 痛くても頑張って良かったと思います。 といっても、カチカチに張って母乳が滴り落ちるような「過剰生産型」のおっぱいは、本当は良いおっぱいではありません。 良いおっぱいはマシュマロのように柔らかく、赤ちゃんが吸うときだけ母乳が作られる「受注生産型」のものなのです。 味だけは、昨夜味見して美味しいおっぱいが出ているのは確認しているので、「受注生産型」のおっぱいを目指して頑張ります!(ちなみに、良いおっぱいの味は「ほんのりした甘さ」が目印です。駄目なおっぱいは甘すぎたりしょっぱかったりします。色は、産後1〜2週間は黄色がかっていますが、少し青みがかったような透明感のある白色が良いそうです。)
今日、そうへいが出生届を区役所へ出しました。 住民票も発行してもらい、晴れて社会にその存在を認められたことになります。
それから「家では初めて」の沐浴を行いました。 沐浴は、シャンプードレッサーの洗面台を使用します。 着替えを用意し、お湯を入れて温度を確認、準備万端で沐浴を始めたのですが・・・。 なっちゅんが途中で凄い勢いで泣き始めてしまい、そうへいは気が動転したようです。 おっぱい以外はあまり泣かず(おしっこやうんちでも泣かないので、オムツ替えに困るほど)、夜泣きもしない大人しい子なのに、「どうしてだろう?」とみんなで不思議に思いました。 とりあえず、そうへいを手伝おうとお湯に手を入れてその原因が分かり、納得です。 原因はお湯の温度でした。 準備などに手間取っている間に温度が下がっていたようで、こんなお湯に浸かったら風邪ひいちゃうよ!っていうくらい、冷めていました。 そうへいは、なっちゅんに泣かれたことに驚いて、お湯の温度にまで気が回らなかったようです。 「なっちゅんを入れてるんだから、温度が低いのくらい分かるでしょ!」とそうへいを叱り、慌ててお湯を差すと、さっきまで泣いていたのが嘘のように泣きやみ、大人しくお湯に浸かってくれました。 次回からの戒めとして、お湯は流しっぱなしで温度が下がらないようにし、沐浴をしたいと思います。
今日はお七夜でもあるため、夜になってから久しぶりに筆を握り、命名書へなっちゅんの名前を書いて、改めてなっちゅんの誕生を祝いました。 上手く書けたか自信ありませんが、丁寧に気持ちを込めて書きました。 家へ戻ったら、神棚へ飾ろうと思います。
あかぽこの名前はお盆前から決まっていましたが、そうへい家の方で「待った」がかかり、今まで出生届を出せずにいました。 理由は、漢字が難しく読みにくいから、というもの。 名前はそうへいがこだわって付けたもので、そうへいは他の名前には絶対譲れないと言い、出産前から両親の説得を続けていました。 わたしは問題なく読めたのですが、漢字が苦手な人は確かに読みにくいかもしれません。 だけど、この名前にはそうへいの想いが沢山こもっています。 姓名判断や音訓占い、全てを調べて「付けたい」と思える名前はそれしかありませんでした。 そうへい家の両親も孫可愛さに「将来名前で苦労するのは可哀想」だと反対しているので、気持ちは分かります。 そうへいの気持ちも分かります。 双方の気持ちは分かりますが、折角生まれてきたのに名前のないあかぽこが一番可哀想です。 話しかけるにも名前がないので「○○だねぇ、あかぽこ。」と、わたしは胎児名を使うほかありませんでした。 それでずっと困っていたのですが、ついに両親の方が折れ、あかぽこの名前が決定しました。 これでやっと名前で呼ぶことが出来ます。 ネット上で名前を公表するのは控えますが、わたし達は愛称で「なっちゅん」と呼んでいます。 良かったね、なっちゅん。
今日は産後5日目の母子健診日です。 あかぽこにとっては初めてのミニでのおでかけ。 そうへいと二人で泣かれるのでは?とドキドキしていたのですが、意外にも大丈夫でした。 妊娠中の健診は全てミニで通っていたから、お腹の中でこの「揺れ」や「音」に慣れていて、それで大丈夫なのかもしれません。
産院について、まず始めにそうへいに対する沐浴指導がありました。 そうへいはおっかなびっくりで、それでも一生懸命指導を受けながら頑張っていたのですが、お風呂上がりにあかぽこがタオルの上でうんちをしたのには参りました。 そうへいと二人で「あああ!す、すみません!!」と謝り、助産婦さんは苦笑いです。 更に、湯冷ましでおっぱいを飲ませているときに、再度うんち。 せっかく新しい肌着やオムツに替えたのに全滅で、しかも産院のクッションまで汚してしまいました。 またまた二人で「すみません!」と謝り、肌着は産院に来る際に着てきたもの、オムツは着けてきたものはおしっこで、取り替えたものはうんちで駄目になっていたので産院のものをお借りしました。
それからあかぽこは色々な検査や計測を受け、その間にわたしはおっぱいケアを受けました。 すると、リビングでそうへいと一緒にわたしのケアを待っていたはずのあかぽこが、先生と一緒にわたしのいる部屋に連れられてきました。 先生は血相を変えて、わたしのケアをしてくれている助産婦さんに「ちょっとこの子、黄色いよね?採血はどうだったの?ミノルタは?」と素早く質問をしながらあかぽこに聴診器を当てます。 「りなさん、この子、活気はある?」と聞かれて「はい、元気ですよ。よく寝るし。」と言うと「ちょっと、ミノルタもう一回やってよ。」と助産婦さんに指示を出しました。 先生曰く、ここのところ見ていないくらい黄色いとのこと。 確かに退院してから両親やそうへいと「なんか黄色いよね?でも黄疸は大丈夫だって言ってたから、このくらいは範囲内なんじゃない?」とのんびりしていたのですが、やっぱり先生から見ても黄色かったようです。 おでこでの検査はパスしましたが、一番黄色い目の周りは規定値を超えていました。 先生は「採血、申し訳ないけどもう一回やって数値を比べてみて。」と助産婦さんに指示を出し、それから言いました。
「りなさん、申し訳ないけど今日2回目の採血をこれからするね。それで数値にばらつきがあるようなら入院も考えます。」
そうへいもわたしも頭が真っ白になってしまいました。 とても不安になりましたが、あかぽこの検査が終わるまでおっぱいケアや搾乳の練習をしながら待つしかありませんでした。 黄疸自体は早めに治療すれば治るものなので心配ありませんが、やっぱり不安なものは不安です。 あかぽこが入院となればわたしも一緒に入院になります。(授乳のため。) やっと親子で過ごせるようになったのに、そうへいも可哀想です。
結局採血は3回行いました。 あかぽこの小さな足は、両足とも絆創膏が貼られて痛々しいです。 数値はなんとかパスしたようで、今日の入院は見送られました。 でも「心配なので念のため」と、金曜日に再度健診を受けることになりました。 そういえば、帰る前に再度あかぽこがうんちをして、産院のオムツをもう一枚借りることになり、最後までそうへいと二人で恐縮しまくりでした。 それでも元気ならいいのです。 本当に入院にならなくて安心しました。 次の健診は、肌着もオムツもおしりふきもビニール袋も、全て沢山用意してから来院することにします。
昨日1度もうんちをしていなかった反動か、今日は6回もうんちをしました。 あかぽこがうんちをするたびに、我が家は大騒ぎです。 だんだんおっぱいが出るようになっているのか、昨日の授乳は2時間おきだったため、入院中の苦労を知らないそうへいに「思っていたより楽だね。」と言われていたので、「ね?大変でしょ!」と、少し嬉しくなってしまいました。
そういえば、出産前から危惧していたとおり、おっぱいの時以外、わたしの手元にあかぽこはいません。 みんな「可愛い、可愛い」と抱っこしまくりなんです。 おっぱいの時だけ、「おっぱいですよー。」と戻ってきます。 本当にみんな恥ずかしいくらいにメロメロです。(もちろん、わたしを含めて。)
今日は大雪だったので、昨日買ったアンカが大活躍でした。 昨日のうちに買っておいて良かったです。 腹帯もさぼり気味で着けていなかったのですが、きちんと着けていないと骨盤の戻りが良くないと言われて、慌てて着けました。 臨月になってから腹帯は一度も着けていなかったので、戸惑ってしまいました。 腹帯を着けているのに、お腹の中に赤ちゃんがいないのは不思議な気分です。
今日で退院です。 入院生活は短いようで長いものでした。 普通の産院では分刻みで色々な検査等、やらなければならないことが多いようですが、ここの産院では必要以上の検査等は行わないため、一日の大部分を赤ちゃんと二人で過ごすのです。 おっぱいとオムツの毎日だったので、早く家に戻って親子水入らずの生活を始めたくてウズウズしていたので、退院は本当に嬉しいです。 他の人に「産後は3日で退院」というと、必ずと言っていいほど「短いね!」と驚かれます。 確かに、他の病院では普通分娩で1週間は入院するそうですので、それに比べれば短いと思います。 でも、やっぱり長かったです。 ここの産院はご飯がとっても美味しいので、このご飯が食べられなくなるのはかなり寂しいですが・・・。 ちなみに、美味しいと言ってもブランド病院のように、『○○のフルコース』とかいった贅沢な食事が出るわけではなく、おっぱいのためにヘルシーといえば聞こえが良いですが、かなり粗食な和食です。 でも、化学調味料は一切使わず、ダシもきちんと取ってある丁寧な和食は、本当に美味しくって、やみつきになります。 家に帰っても、おっぱいのために和食で頑張らなければ・・・。
話がずれましたが、りな家の両親とそうへいが迎えに来てくれ、退院しました。 父親は仕事のために面会に来られなかったので、今日初めて孫に会います。 初めて見る孫はとても可愛かったようで、目を細くして笑っていました。 あかぽこはみんなに愛されて幸せ者です。
家に戻ってすぐ、母親にあかぽこを見てもらい、産院で使っているのと同じアンカを買いに出かけました。 お昼近くだったため、お総菜を買ってくるように言われていたので和食物を探して買うことにしたのですが、レジのおばさんに「若いのにいもがらを選ぶなんて!」と感動されてしまいました。 自分で料理をせずにお総菜に頼っていることが恥ずかしくなり、「本当だったら自分で作ればいいんですけど、今日退院だったので・・・。」と言い訳をしたのですが、わたしのまだ小さくなりきっていないお腹を見て悟ったらしく、「・・・赤ちゃん?」と言うので「はい。」と認めざるを得ませんでした。 それで、「おっぱいにはやっぱり和食が良いですからねぇ。」と言うと、おばさんはかぼちゃの煮物をおまけにくれました。 申し訳ないような気もしますが、厚意がとても有り難かったです。 そうへいと二人で「得しちゃったね。」と帰宅しました。
それから、夜になって撮影大会をしました。 産後すぐの写真も載せようと思ったのですが、思ったよりも部屋が暗かったようで上手く撮れていなかったため、今回撮った写真を載せます。
あかぽこ、今日は1度もうんちをしていません。 そうへいと2人で「便秘?」と心配しています。
2002年12月07日(土) |
2日目:レベルアップ |
昨日は添い乳(そのまんま、添い寝しながらおっぱいをあげること)が出来なかったため、ずっと座っておっぱいだったのが敗因でしたが、今朝方は少しレベルアップし、添い乳をマスターしたので楽でした。 片乳を吸わせたまま睡眠を取ることが出来たので、今日は元気いっぱいです。 ただし、それはおっぱいに関することのみで、今回はうんち大洪水で大泣きされてしまいましたが・・・。
そうへい家の両親は用事があるとのことで、昨日のうちに日帰りで長野へ帰ってしまいました。 というわけで、今日は母親とそうへいが面会に来てくれる予定です。 ところが、産院の都合で面会時間がずれてしまい、結局そうへい一人で面会に来てくれました。 パートナーのみ、無制限で面会できます。 なので2時間たっぷり部屋に滞在し、たっぷりあかぽこと触れ合っていました。
そういえば、おっぱいを吸われると子宮が痛みます。 出産直後の痛みが一番酷かったのですが、これは後陣痛といって、広がっていた子宮が元の大きさに戻ろうと収縮するために起きる痛みだそうです。 普通、経産婦さんの方が痛みが酷く、初産婦さんはあまり痛まないそうなのですが、わたしはとても痛かったので「痛いですー。」と助産婦さんに訴えたところ、「りなさん、お産だけじゃなくて、そんなところまで経産婦さん並ですね。」と笑われてしまいました。 「お産だけじゃなく、産んだ後も痛いなんて聞いてないよー!」って感じです。 確かに、出産前の吐き気等はすっかり無くなってしまいましたが、子宮収縮の痛みは本当に痛くって、生理痛が殆どないわたしにとっては、大変な苦痛なのでした。 「痛い」といえば、自然裂傷とはいえ会陰縫合を受けていますが、会陰切開をされた方がいう「円座クッションがないと座れない」なんてことは、全然ありません。 多分切れたのが少しだったためだと思いますが、会陰に関しては普通にしていられるので、これは本当に楽なんだと思います。 なので、わたしの目下の悩みはおっぱいと子宮収縮なのでした。
昨日からシャワーは解禁になっていたのですが疲れて入らなかったため、今日は最後の夜だし、明日は退院だし、とシャワーを浴びました。 久しぶりのお風呂は気持ち良かったのですが、やはりシャワーだけというのは物足りなく感じます。 早く湯船に浸かれるようになりたいです。
2002年12月06日(金) |
1日目:夜泣き、おしっこ大洪水 |
ここの産院では糖水やミルクは一切使いません。 これらを使うと不必要に胃が大きくなってしまい、退院後の母乳育児に支障が出てしまうからだそうです。 どうなるかというと、おっぱいとミルクの混合育児になるらしい・・・。 で、ここの産院ではどうするのかというと、ひたすら赤ちゃんにおっぱいを吸わせます。それだけ。 「赤ちゃんは3日分のお弁当を持ってくる」と言われるとおり、3日くらいはおっぱいが足りて無くても大丈夫だそうです。 例え陥没乳首でも、毎日根気強く吸われ続けると出るようになるとのこと。 わたしもご多分に漏れず、この「根気強く」が求められました・・・。
昨日は生まれたばかりだったせいか大人しくて夜泣きもなく、オムツ交換は2回だけだったし、おっぱいもあまり求められなかったので「育児は大変って言うけど、楽そう。」と思っていたのですが、甘かったです・・・。 3日深夜に出産した褥婦仲間さんに「明日の夜は大変よー。」と言われていたとおり、一晩中泣き通しで、昨日の夜から今朝にかけて殆ど眠ることが出来ませんでした。 もちろん、おっぱいが足りていないせい。 横になったのは本当にトータルで1時間くらいで、あとはずーっと吸ってもらってました。というか、吸わせてないと泣くんです・・・。 あかぽこを抱いて、おっぱいを吸わせたまま船を漕ぎました・・・。
それで失敗してしまいました。 抱っこが楽なように枕を膝の上に載せ、その上に赤ちゃんを乗せておっぱいをあげていたのですが、最長2時間吸わせ続けていたときに、おしっこしていたのに気づかなかったんです・・・。 オムツ、オムツカバー、短着、長着、アフガン代わりのタオル、そして枕までぐっしょり、大洪水です!! 大慌てで着替えさせたのですが、生まれたばかりの赤ちゃんに慣れていないわたしはおっかなびっくりで作業するので、なかなか服を着せられません。(だって、袖を通そうと腕をひっぱったら、関節外れちゃいそうじゃないですかー!) そうしたら「寒い!」って怒っているのでしょう、大泣きです。 「あかぽこー。お母さんの方が泣きたいよー。」と言いながら、本当に半泣き状態で着替えさせていたら、すぐに当直の助産婦さんが「どうしましたかー?」と来て下さり、本当に助かりました。 時刻は午前2時半。 いくら困っていても普通の病院で出産していたら、この時刻ではナースコールをするのも躊躇うだろうし、一人で右往左往していたと思います。 だけどここの産院は一ヶ月に受ける分娩数がとても少なく、最大入院患者数は3名という規模。 全てが個室で、赤ちゃんの泣き声が聞こえる場所に助産婦さんが常駐しているため、こういったきめ細やかなケアが可能なのでしょう。 その後も3回ほど大泣きし、その都度助産婦さんが助けに来てくれました。 濡れた枕も取り替えてもらい、赤ちゃんの足が冷えてるからとアンカまで持ってきてくださり、そのおかげで朝までなんとか持ちこたえました。 焦るわたしに「今はおっぱいが足りていないとか、気にしなくていいんですよ。吸ってもらうことが大切で、そのうち出るようになるから大丈夫!」と言ってくださり、救われました。
とにかくそんな調子だったので、他の病院のように入院中の面会を無制限に行っていたら、休む暇がないせいで倒れます・・・。 そう、ここの産院では一日に指定された2時間の間の中で、面会できるのは30分間のみと決まっています。 今日はそうへい家からは両親、りな家からは母親が面会に来てくれました。 お義父さんはガラス越しに赤ちゃんを見て帰るのだとばかり思っていたので、わたしが直接抱っこしてスタスタ歩いている姿に驚いていました。 お義母さんも「元気そうね・・・。」と口をあんぐりです。 それから、赤ちゃんが随分としっかりした顔をしていて、新生児っぽくないのにも驚いていました。 「えらく一人前な顔をしているなぁ。」とお義父さん。 わたしの母親もメロメロで「可愛いわねぇ。りな、よく頑張ったね。」と誉めてくれたので嬉しかったです。 早くも親ばか全開ですが、本当に我が子は可愛いです。
面会が終わり、夕食後に臍の緒をいただきました。 臍の緒は3センチ程度の短いものだと思っていたので(普通そうですよね?)、ぐるぐると巻かれた状態で乾燥している臍の緒を見てびっくりしてしまいました。 なんと、そうへいがカットしたところから胎盤までの臍の緒全てを乾燥させてあったのです。 助産婦さんも「わたしも他の病院からここに来たときは驚きましたよー。普通見ないですよね、こんな長い臍の緒。」と言っていました。 胎盤と共に処理されたと思っていた臍の緒に再会できて、嬉しかったです。 明日、早速そうへいに見せなければ!
今晩も眠れそうにありませんが、毎日助産婦さんが桶谷式のおっぱいマッサージをしてくださいますし、赤ちゃんもお腹がすいているのに頑張って吸ってくれているので、わたしも頑張りたいと思います。
2002年12月05日(木) |
0日目:出産!!(長文です) |
※4日の日記、加筆済みですので、お読みになってない方は先にそちらをお読みください。
日付が変わって、5日の午前0時すぎに産院へ到着しました。 すぐにお産の部屋へ入院です。 ここの産院では、お産の部屋と言われる部屋で陣痛から出産までを過ごします。 ベッドは無く布団で、好きな体勢で出産の間の苦痛を耐えることが出来ます。 パジャマに着替えた後、素早く点滴をされ、モニターを着けられました。 通常、初産婦はお産の経過が遅いため、陣痛が5分間隔になってから来院を指示されるのですが、わたしは感染予防の点滴を受けなければならないため、8分間隔で来院しました。 当直の助産婦Mさんは「みんなでりなさんは朝になってから来院すると思っていたから、Nさんなんかは『わたしがお世話するんだ!』って張り切ってたんですよー。夜のうちにいらっしゃるとは思いませんでした。」と笑いながら言いました。 それから、わたしから電話があった後、写真家さんに連絡をしてくれたこと、お産は朝になってからかもしれないけど、一応、電車のあるうちに産院へ来てくださるということを教えてくださいました。 実は、お産の写真を撮影するので有名な写真家に、今回の出産を撮影して頂くようにお願いしてあったのです。
母親の立ち会いを止めた後、そうへいはわたしのお産の補助で写真を撮る余裕はないだろうし、それでも記録に残したいよねと二人で相談して、少々お金はかかってもプロの方に撮って頂いた方が素敵な思い出になると、親にも内緒で依頼しました。 この女性の写真家さんは先生もお墨付きの、本当の意味での「プロ」です。 先生は雑誌の撮影で、他の写真家さんをお産に立ち会わせたことがあるそうですが、そういった方達は間違いなくお産の「場」を壊すそうです。 一方、この方は「場」を壊すこともなく、写真を撮っているのも気づかない状態で撮影し、しかも一番素敵な場面をしっかりと写してくださるとのこと。 写真が出来上がってくるのは時間がかかりますが、このアルバムはわたしとそうへいだけの秘密の宝物で誰にも見せるつもりはありませんので、「見せて。」とねだらないでくださいね。
そんな話をしながらモニターをずっと確認していたMさんが、有効な陣痛(お産に結びつく陣痛)は12分間隔でしか来ていないと言います。 こんなに痛いのに、有効な陣痛が12分間隔と聞いて眩暈がしました。 何故かというと、出産本には10分間隔の陣痛になってからお産までは初産婦で12〜15時間、と書いてあったからです。 この痛みにそんなに長い時間耐えなければならないという事実に打ちのめされ、それでも赤ちゃんが出てくるまではいきんではいけないと書いてあったのを思い出して、なるべく逃すように心がけました。 そうこうしているうちに、写真家さんが到着。 写真家さんも今まで何件ものお産を撮影しているので、わたしの様子を見て「まだまだ元気。お産は当分先になりそうですね。」とおっしゃり、「今晩の休憩場所を他に作りますね」とMさんが言いました。
引き続き、わたしは陣痛を逃し続けました。 その様子を見てMさんが「痛みが来たら我慢せずに、痛みに体を任せていいんですよ。いきみたかったらいきんでもいいし、好きにしてください。」と言いました。(ここの産院では、必要以上の指示は出さず、呼吸法もありません。) そう言われて、たかが「本の知識」に振り回されていた自分を恥じ、「そうだ。お産は本能でするものだ。」と気づきました。 点滴の間は股に向かって下に加わる痛みに耐えるために、便座状に穴の空いた椅子に座っていましたが、午前1時ごろ点滴が終わった後は、そうへいに体を預けて痛みを我慢するのを止めました。 痛みを我慢するのを止めると、自然に声が出ます。 唸りながら、ひたすらそうへいの鎖骨付近に向かって頭突きを繰り返します。 そうへいは肩が邪魔だと思って頭突きをしていると思ったらしく、体を動かしましたが、わたしは固い部分に頭を押しつけることによっていきんでいたため、「動かないでぇ・・・。」と言いながらそうへいに元の体勢に戻ってもらい、再度頭突きを続けました。 そうしている間に、お産は進んでいたようです。 痛みの間隔はどんどん短くなり、わたしは言葉を発することが出来ない状態になっていました。 (出産前のペアレンツクラスで「『痛い』とマイナス方向の言葉を発しないほうがいい。」と言われていたことを思い出し、「痛い」とは結局最後まで1度も言いませんでした。)
時間の間隔が麻痺し、いきみ始めてからどのくらい時間が経ったのか分からなくなりました。 そうへいに頭突きをしている間も、Mさんはわたしの腰をさすったり肛門を押してくれながら「こうした方が楽かな?」と甲斐甲斐しくお世話をしてくれます。 なのに、わたしは恩を仇で返すかのごとく「分かりませんー。」と言ってしまいました。(今から思い返してみると、かなり楽でした。)
体の後ろの方では、気配はしないものの時折シャッターの音がします。 普通だったら、こんな理性を失った姿を他人に見せるのは嫌なものですが、全然気にならないのは凄いなぁ、と感心していました。 顔を上げる気力も、長文を話す気力もなく、短い単語で必要最低限の会話しか出来ないくせに、頭は変に冴えていて、そういった色々なことを考えていました。(あとから他の産婦さんに聞いたところ、そんな余裕はなかったそうで、わたしはやっぱり他人より痛みに強いようです。) しばらくした後パジャマの下を全て脱ぐように言われ、布団の上に白い衛生シートが敷かれて腰にはバスタオルが掛けられたため、お産が相当進んでいることが分かりました。 正直、「もう産まれちゃうの?」と思いました。 後からそうへいに聞いたところ、午前2時頃だったそうです。
それから大きなクッションを積み上げてもらい、上半身を預ける形で四つん這いになりました。 そうへいはクッションを間に挟む形でわたしを支え、痛みの合間で「頑張って。」「もう少しだよ。」と声をかけながら、凄まじい力で引っ張るわたしの手を、必死になって掴んでくれました。 いきみながら「世の中のお母さん達は、この痛みに耐えて子供を産んでるんだから凄い。」「いつか終わる痛みだと思ったら耐えられた・・・なんて良く書いてあるけど、嘘だー!耐えられないよー。」「普通の病院は全開大になるまで陣痛室で一人にされるみたいだけど、こんな痛み、一人じゃ耐えられない。わたしはそうへいは傍で体を支えてくれるし、Mさんはずっと腰をさすってくれるし、幸せだー。」「この痛みで仰向けでじっとしているなんて、無理。分娩台で産む人って大変だなぁ。」「やっぱり痛みに耐える時って、人間は無意識に体を丸めるものなんだ。」「呼吸法なんて、モニターを見ながら有効陣痛の時だけいきみ、他の陣痛は逃すなんて、辛いだけだよ。しかも痛いときに『ちゃんといきんで!』なんて指示されたくないよねぇ。そんなの、好きなときにいきませなよ!」などと考えつつも、(赤ちゃんにちゃんと酸素を送ってあげないと、苦しくなって可哀想。この子も頑張ってるんだ、わたしも頑張ろう。)と一生懸命深呼吸しました。 この頃になると、完全に思考回路が混乱しています。
そうしたわたしの思考の中で、時たま「一円玉」「百円玉」「五百円玉」「伊予かん」と言う声が聞こえてきます。 どうやら赤ちゃんの頭の見える大きさのようで、そうへいはどんどん大きくなっていく会陰の状態を助産婦さんから知らされ、その早さに驚いていたそうです。 Mさんがしばらく席を外して電話をすると5分後に助産婦のTさんが来て、Mさんはわたしの会陰保護、Tさんはわたしの腰をさすりながら何分かおきにハンディタイプのドップラーで赤ちゃんの心音を確認する作業、と分業を始めました。 「あともう少しですよー。」とMさんが言い、続いてそうへいがわたしの耳元で「もう少しだって。」と言いました。 「えぇーっ?もう??なんだか展開が早くない???」と思いながら、ひたすらクッションに顔をうずめていきみます。 すると、再度Mさんが電話をし、今度は2階の自宅から先生が下りてきました。
先生「あれーっ、りなさん、朝になってから来ると思ったのに。早かったわねー。」 Mさん「そうなんですよー。来院されたときはまだまだだと思っていたのに、怒濤の勢いで進んじゃって。ねぇ?」 写真家さん「わたしが来たときは『朝になるな』って思いましたからねぇ。」 先生「やっぱり、沢山歩いていたからだねー。あの子宮口で難産になるとは、到底思えなかったのよ。あら、りなさん(いきみが)上手じゃない。」
そういった会話の後、先生が「りなさん、もう見えてるよ。あらー、随分ふさふさじゃない、この子。」といいました。 ハゲちゃん(髪の毛の薄い赤ちゃん)も可愛いよね、と出産前にそうへいと話していたので「えー!ふさふさなんだー、うちの子!!」と驚きました。(注:この間もひたすら唸ってます。) その後2回いきんだらMさんが「頭が出ましたよー。」と言い、同時に先生が「あらー、真っ赤な良い子じゃない。おちょぼ口だよ、この子!りなさん似だねぇ。」と言いました。 「うちの子、おちょぼ口なんだー!っていうか、わたし似?超音波ではそうへい似だったのに。」と思っていると、先生から「りなさん、もういきまなくていいよ。息を短く吐いていこう。ふーって声出してみようか。」と指示が出ました。 初めて「こうして。」と指示が出たので、これは大切な指示なんだとすぐに分かり、なるべくいきまないように「ふー、ふー。」と息を吐きながら意識を股の間に集中させると、会陰と言うよりは尿道よりに「焼けるような」というのが多分一番近いのでしょう(痛くはなかった)、独特の感覚があります。 Tさんが「なるべく力を入れないようにしてくださいね。」と声をかけてくださいましたが、わたしは情けなく「自信ないですー。いきんじゃうかも・・・。」と答えてしまいました。 そうしてしばらくいきみを逃した後、いきなり(自分では力を加えていないのに)力が加わり、「ずるっ」というか「ぽとんっ」というか、何かが股の間に落ちる感覚が・・・。 「ほぎゃー、ほぎゃー!」とすぐに鳴き声が聞こえ、その瞬間「生まれた!!」と思いました。
「りなさん、おしりつけるかなぁ?」と先生に言われて体を起こし、わたしはその場に座りました。 すると、ちょうどわたしの股の間に少しだけ血の付いた赤ちゃんがいて、すぐに先生が手渡してくれました。すかさず助産婦さんが、赤ちゃんが寒くないようにタオルを掛けてくれます。 そうへいは号泣、わたしはそんなそうへいの様子に気づかぬまま(後になって、ビデオで号泣を確認したのです)赤ちゃんだけを見て、裸でふるえながら泣いている我が子を抱きしめて「よく頑張ったねー、良い子だねー、頑張って、よく生まれてきたねー!!」と声をかけました。 初めて見る我が子は、胎脂が一切付いていない綺麗な状態で、皺くちゃのお猿さんを想像していたにも関わらず、新生児とは思えないほどしっかりとした顔をしていました。
赤ちゃんはわたしに抱かれて落ち着いたのかすぐに泣きやみ、その後もしばらく話しかけ続けると、赤ちゃんに掛かっていたタオルが「ぽろり。」と落ちました。 それで「ふっ」と股間を見ると、付いているではないですか! 「男の子だぁー!」と叫んだ後、そうへいと二人で爆笑しました。 ここの産院は性別の告知をしないのですが、不思議と妊娠中、「女の子じゃない?」と言われたことが一度もなかったのです。 全員が全員「男の子だよ!」と変に確信を持って言っていて、わたし自信も妊娠を自覚したときから「男の子だな。」と思っていたので、まさに百発百中だな、と思ったのでした。 股間の間に付いているもののほか、赤ちゃんの臍の緒がわたしの股間の間から出ているという事実に、そんなことは当たり前なのですが、「あぁ、赤ちゃんとわたしは繋がっているんだなぁ」と実感しました。 思う存分抱かせてくれた後、先生が「そろそろ胎盤が出そうだから、りなさんちょっといい?」と言い、わたしは先生に赤ちゃんを手渡しました。 すると、途端に大声で泣き始め、「おぉ、ごめんねぇ。」と先生が赤ちゃんに声をかけています。 先生に手渡すときに、臍の緒が右足に一周巻かれていて、そうへいと「巻き付いてる!」とびっくりしてしまいました。
わたしが横になったところで助産婦さんがパジャマの前を開くように言ったのでボタンを外すと、裸の胸の上にうつ伏せで赤ちゃんが寝かされました。 赤ちゃんはすぐに泣きやみ、「あぁ、この子はお母さんがわたしだって分かってるんだ。他の人に抱き上げられて、心細かったんだ。」と感動しました。(後からそうへいに聞いたところ、そうへいも「赤ちゃんは分かっているんだ。」と思ったそうです。)
そうへいがわたしの枕元で臍の緒を切り、胎盤を出す準備が整いました。 すぐに陣痛のような痛みに襲われます。 助産婦さんに「いきんでいいんですか?」と聞いていきんだ途端、ずるりと胎盤が出ました。 赤ちゃんの頭越しに時計を見ると午前3時を回ったところで、そうへいに「赤ちゃん、何時に生まれた?」と確認したところ「3時5分だったよ。」と教えてくれました。 12時過ぎに病院について、3時間で出産してしまったという事実を初めて知り、本当に驚きです。
それから、やっぱり会陰が切れてしまったようで縫合することになりました。 その間そうへいは赤ちゃんを抱いて計測に行きます。 切れる予感はしていたものの、「つるり」と産めなかったので「あー、やっぱり切れちゃいましたね。いきまないように努力したんですけど・・・。」と言うと写真家さんが「いや、上手に産めてたと思うよ。あれ、最後は赤ちゃんの力だねぇ。自分から『えいっ』って出てきてたもの。仕方ないよ。」と教えてくれました。 そうか、赤ちゃんも一緒に頑張っていたんだった。 そう思うと更に我が子が愛おしくなりました。
会陰を縫ってもらった後、わたしは血で汚れたパジャマを着替え、白いシートも外されました。 Tさんがへこんだわたしのお腹を触らせて「これが子宮ですよ。」と教えてくれます。 お臍の少し下のあたりに、固いものを確認することができ、「ここに10ヶ月間、赤ちゃんがいたんですねー。」と話しました。 布団に横になっているわたしの横に、羊水をふき取られた(ここの産院では羊水の吸引や分娩直後の沐浴はしません。)赤ちゃんが戻ってきました。
性別 男 体重 2,882g 身長 50.5cm 胸囲 31.0cm 頭囲 31.5cm 妊娠期間 40週2日 娩出日時 12月5日午前3時5分 分娩所要時間 3時間41分(陣痛開始から数えるため。)
パジャマの前をはだけて、赤ちゃんにおっぱいをあげることになりました。 生まれてすぐだというのに、赤ちゃんは上手におっぱいを吸います。 その様子に「生きる」という本能は凄いなぁ、と思いました。 そうへいは赤ちゃんが至福の表情でむさぼり付く様子に「可愛いねぇ。」とメロメロです。
そんなわたし達の所に、Mさんがトレイに乗せられた胎盤を持ってきて見せてくれました。 「通常はこういう状態が本とかで見慣れた胎盤だと思いますけど、これはわたしたちが臍の緒を引っ張って出すからこうなるだけで、本当は裏返したこの状態が本当の胎盤なんですよ。ほら、この袋の中に赤ちゃんが入っていたんです。」と丁寧な説明つきです。 そして、「よく草食動物が産んだあとに胎盤を食べると言いますけど、食べられますよ。昨日産んだ方も食べましたし、希望されるなら食べて頂いて良いですよ。」と言われました。 「胎盤を食べる」という話は聞いたことがありましたが、まさか自分の通っている産院で食べられるとは思っていなかったのでびっくりしました。 が、少し引け腰になってしまい、断りました。 これは後になって実際に食べた方の感想を聞いて「食べておけば良かった。」と後悔しました。 「この子の」胎盤を食べる、というのは2度とないことだからです。 ちなみに、きれいに洗浄された2cm角くらいの胎盤が、骨董の素敵なお皿にちょこんと2切れ乗せられ、わさび醤油が添えてあり、これまた素敵なお盆に乗って、上品に出てきたそうです。 そして味の方は「レバーを想像していたのだけど、赤身のお肉であっさりしていた」とのこと。 本当に後悔しました。
産後2時間ほど、お産の部屋で赤ちゃんとそうへいと3人で過ごし、それから午前5時ごろ入院室へ移動しました。 この2時間は「first 2hours」と言われているものです。 産道を通って生まれてきた赤ちゃんは強い刺激を受けて覚醒しており、この時間を母子で過ごすことが、その後の母子関係に影響を及ぼすと言われています。 入院室へ移動するときはそうへいに赤ちゃんを抱いてもらい、わたしは自分で歩いて部屋へ行きました。 出産後なのに普通にしていられる自分に驚くと共に、ちゃんと歩いて体力を付けておいて良かった、と思いました。
そうへいは7時まで仮眠を取り、一旦実家へ戻りました。 この産院では、出産当日の面会はしないことになっています。 そのため、ご飯を食べるとき以外は赤ちゃんとゆっくり休むことが出来ました。 そして、夫の面会のみは許されているのでそうへいは14時に再度来院し、すやすやと眠る我が子を撫でたり眺めたりして、3人で贅沢な時間を過ごしました。
ここの産院で産めて、本当に良かった。 本当に楽しいお産でした。
2002年12月04日(水) |
破水、入院、退院そして再入院 |
4日午前1時すぎ、トイレに起きて用を足した後、布団に入って横になったらすぐに「にょろっ。」とした感覚がありました。 「あれ?」と思ってトイレに行くとおりものだったので、再度布団に戻ったのですが、まだ何か濡れているような気がします。 気になってトイレに行き、何度もペーパーで押さえて確認しました。 なんとなく、破水しているような気がするのですが、膣周辺を押さえても少量しか濡れません。 やっぱりおりものが少し多くて、それで濡れているのかも知れない、と考えて横になるのですが、どうしても気になります。 そうしてトイレに戻るのですが、下腹部に力を入れると「シャーッ。」という感じで液体が出てきて、それが尿なのか羊水なのかがどうしても分かりません。 途方に暮れて部屋の電気を付け、そうへいを起こしました。 「破水したかも・・・。」 「うーん・・・ええっ?」とそうへいが起きたその瞬間、3日の健診時に先生に入れてもらった膣剤が溶けていないそのままの形で膣から出てきました。 「あれー・・・?やっぱり、尿漏れかなぁ。破水したかも知れないけど、違うかも知れないし、分からないの。」と言いながら、何度もトイレと部屋を往復し、トイレに行っては下腹部に力を入れて尿とも羊水とも分からぬ液体を放出し続けました。 その様子をしばらく見たそうへいが「違くてもいいから、電話して産院へ行こうよ。もし破水だったら赤ちゃんの命に関わるんだよ?」と言いました。 前にも書きましたが、わたしはGBS(B群溶連菌感染症)に感染しています。 これが分娩時に産道において赤ちゃんに感染すると、新生児敗血症や新生児髄膜炎を引き起こすことがあります。これらは、半数近い赤ちゃんが死亡する非常に怖い病気です。 先生が「他の病院で実際にあったことだけど」と教えてくださったのですが、出産前の検査でGBS陰性だったにも関わらず、出産してみたら感染していて赤ちゃんが死んでしまった、ということがあるそうです。 時計を見ると午前2時になろうとしていました。 なんとわたしは1時間近くもトイレと部屋を往復していたのです。 夜遅い時間なので迷いましたが、やっぱり赤ちゃんに何かあったら困るので、電話をしました。 「すぐ来てください」と言われたため、「破水だったら、即入院になりますか?」と確認したらやはり即入院になるとのことで、荷物を車に載せて産院へ向かいました。
産院へは午前2時半ごろ到着、下着に着けていたパッドでは量が少ないために破水かどうか分からず、膣に直接試験紙を着けたところ、やっぱり破水していることが判明しました。 わたしは青くなりました。 家で1時間近くも羊水を放出していたのです。 余計な腹圧をかけ続けた結果、産院へ着いてから破水が進んでしまい、オムツなしではいられないくらい羊水が漏れ始めてきました。 すぐに採血をされ、3時半から抗生剤の点滴を受けることになりました。 今後、感染防止のためにほぼ6時間ごとに点滴を受けるそうです。 モニターも2時間ごとにとります。 通常、破水をしたらすぐに陣痛が始まることが多いようですが、わたしは陣痛の兆候がありません。 わたしの布団の横にそうへいの布団も敷いてもらい、とりあえず朝まで眠ることになりました。
夜が明け、9時半に再度点滴を受けた後、散歩に行くことになりました。 羊水が結構出てしまっているのを心配しましたが、元々わたしは「羊水たっぷり」とカルテに書いてあり、また、羊水が足りなくなって出産が困難になったとしても、生理食塩水を注入して羊水を補うことも出来るそうで、問題はないと説明を受けました。 11時から2時間、オムツをつけたままそうへいと二人雨の中、散歩に行きました。 オムツのせいで歩きにくく、雨も途中で酷くなってきてしまったため、びしょぬれです。 13時に産院へ戻り、そうへいには家に替えの洋服や靴等を取りに行ってもらうことにして、わたしは モニターの後、14時半から再度点滴を受けました。 破水から12時間を過ぎましたが、一向に陣痛が起きません。 15時頃、先生がわたしの様子を見に来てくださり、モニターとわたしの様子から「退院」ということになりました。 次の点滴については明日の9時に来院して受けることになり、15時半頃到着したそうへいと共に、16時頃産院を出て帰宅です。 なんだか出戻り娘の気分で、バツの悪い顔をして実家に「ただいま・・・。」と言って入りました。 破水してまでも、陣痛がこないなんて・・・。 とても自分が情けなくなってしまいました。
わたしは破水をしているため、感染予防でお風呂に入ることが出来ません。 明日の通院に備えて18時頃、シャンプードレッサーで洗髪をしました。 髪の毛を乾かすわたしに母親が「そんなのんびりしないで、破水をしているんだから、さっさと陣痛促進剤を使えばいいのに。」と言いました。 確かにモノの本には「破水後、すぐに陣痛がこない場合は促進剤を使います。特に感染症を持っている妊婦にはすぐに使う病院が多い。」と書いてあります。 でもわたしは、そういった人工的な処置をなるべく受けないで出産することを希望して今の産院へ通っているのです。それを母親も知っているのにそんなことを言うのは、やはり娘の体が心配なのでしょう。 「感染予防の点滴を受けながら、自然に陣痛がくるのを待つよ。」と言いました。
その後、20時から21時の間に来客があり、破水しているのに退院してきていることに驚かれてしまいました。その方の奥さんも破水して、「母子どちらかを選んでください。」と言われるほどの事態に陥ったことがあったそうで、わたしの体を心配していました。 22時になってもお腹はうんともすんとも言わず、今日はもう諦めて明日に備えて眠ることにしました。
23時25分頃、お腹の痛みで目が覚めてトイレに行きました。 用を足してから「ふっ」とオムツを見ると、羊水に血が混じっています。 退院後も、陣痛が起きたときや37.5度以上の熱発をしたとき、羊水の色がおかしいときはすぐに電話をして来院してください、と言われていたわたしはパニックを起こし、急遽産院へ電話しました。 すると、血液の量から大丈夫だと判断されて「今後も熱発や痛みが酷くなったときは電話を下さいね。」と言われて電話を切りました。 わたしはすっかり安心して、布団に入って眠りにつきました。 その5分後。 再度お腹が痛みます。 その痛みで「そういえば、さっきもお腹が痛くて目が覚めたんだった。」と言うことに気づきました。 起きあがってみると、明らかに今までの前駆陣痛とは痛みが違います。 下に向かって力が加わっている感覚。
陣痛だ。
慌てて、再度産院へ電話をしました。 「たびたびすみません。先程は血液に動揺してしまったのですが、陣痛が来ているみたいです。陣痛と自覚してからまだ2回目の陣痛が終わった後なんですけど、間隔は8分でした。」 そう報告すると、すぐに来院してくださいとの指示を受けました。 眠っているそうへいを起こし、再び産院へ。 ほぼ8分間隔で来る痛みに耐えながら、「一日に2度も入院するなんて思わなかったね。」とそうへいと笑いました。
無事に赤ちゃんを産めるのでしょうか。
2002年12月03日(火) |
予定日だけど(健診14回目)【40週0日】 |
ついに出産予定日になってしまいました。 まだ少し寂しいけど、やっと本当に気持ちを浮上させることが出来ました。 性別も誕生日も、神のみぞ知るからいいのだと、初心を思い出すことが出来たのが良かったみたいです。 今まで沢山心配をかけたそうへい、ありがとう。
子宮底長33→35 腹囲84→86 血圧112/62→108/62 浮腫・尿蛋白・尿糖ともに陰性 BPD(児頭大横経)は92.1→94.9、推定体重は2,609g→3,019gでした。
赤ちゃんに「2,600〜2,700gくらいで産まれてきてね。お母さん、骨盤小さくてきついから。」とお腹に向かってお願いしていたのに、推定体重で3,000gを超えてしまいました。 実際産まれてみると、推定体重より軽かったということが多いらしいですが、どうなんでしょう? 安産できるのか、少し焦ります。
次の健診は40週を過ぎたために週2回となり、12/7です。 先生は「この予約必要ないかもね。」と言いましたが、どうでしょう。 気持ちも浮上したし、案外明日産んじゃったりして!なんて思っています。
昨日とは打って変わり、今日は良い天気です。 でも明日は予定日、全然出産兆候のないわたしは天気とは裏腹、歩きながら泣きました。 こんなに毎日歩いて努力しているのに、体は出産準備を完了しているのに赤ちゃんが生まれてこないのは、自分の中の何かが悪いんじゃないかと、自分を責めています。 別に予定日を過ぎたって大したこと無いのに、それが全てのように自分に覆い被さっています。 一生懸命に慰めてくれるそうへいに八つ当たりしたりして。 公園のベンチに腰掛けて、落ち葉が散り、太陽が降り注ぐ景色を眺めながら、本当だったらきれいな景色だと感動するところなのに、自分の心には響いてきません。 自分だけが世界から隔離されているような感覚に襲われて、公園でもまた泣きました。 なんでこんなに悲しいのか、寂しいのか、考えて分かりました。
なんだか、遠距離恋愛をしている気分、なのです。
電話をすれば話せるけど、会えない。 週末には会えるかもしれないけど、予定が合わずに会えないかも知れない、そうなったらいつ会えるか分からない。今すぐ会いたいのに。 ・・・そんな感じです。
赤ちゃんはお腹の中にいて、すぐそこにいるけど、触れることが出来ないのです。 今すぐにでもおっぱいをあげて、抱きしめてあげたい。 体温を感じたい。 早く赤ちゃんに会いたい。
散歩していたら、天気雨に降られて参りました。 今日は天気が良いから、と傘を持たずに散歩していたので少し濡れてしまいました。 天気まで自分に意地悪をしているようで、本当に気分が落ち込みます。 ため息。
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