日記もくじまえの日記つぎの日記
2002年10月31日(木) 恥骨が痛い。

今日は電気工事があるので、立ち会いのために家に戻ってきました。
4時間の予定が3時間という早さで終了し、工事の人が帰る間際に軽く掃除をしてくださったものの、壁の貫通工事等をした際に出た細かい粉があちこちに散らばっていたため、掃除をしてから実家へ戻ることにしました。
掃除を始めると、とことんやりたい性分なので、全ての部屋に掃除機をかけたあと、さらに四つん這いになっての拭き掃除も行いました。
この「四つん這いの動き」は前の日記にも書きましたが、骨盤を広げたりする効果があります。
だからそうへいの「手伝う」という申し出を断り、一人で頑張りました。
前から結構拭き掃除は頑張っていたので、そのせいか分かりませんが、33週くらいから恥骨が痛いです。
一昨日の健診の時にこの痛みについて聞こうと思っていましたが、忘れていました。
でも、そうへいと二人で「骨盤が開いてきている痛みかもしれないね。」と話しています。
毎晩「内股踏み」もしていますし、万全の体制でお産に望めればいいな、と思います。


2002年10月30日(水) 再度模様替え

実家の模様替えを以前行いましたが、少し手直ししたい部分があるということで、再度模様替えを行いました。
さらに部屋の使い心地が良くなり、あと少ししたらここに赤ちゃんがすやすや眠っているんだな・・・と幸せな気分になりました。
そんなわたしを見て母親が「子供は可愛いだけでは育てられない、本当に大変だよ。」と忠告してきましたが、そんなことは分かっています。
大変だけど、自分の子だから頑張れるのではないですか。愚問です。

ところで、まだ妊娠線は現れていません。
9ヶ月で妊娠線が出来た!という話をよく聞くので内心どきどきしていましたが、わたしの妊娠線はいつ出来るのでしょうか。
多分、昨日の健診で腹囲に変化がなかったので、臨月になった途端「ぐーん」とお腹が大きくなり、妊娠線が出来るのだろうと予測しています。


2002年10月29日(火) お、オムツっ?(健診10回目)【35週0日】

今日は外来が混んでいたようで、予約時間から1時間ほど待ちました。
その間、助産婦さんから妊娠後期の説明を受けることになり、リビングへ移動。
そうへいと二人で待っていると、紙袋を持って助産師さんが現れたので、(あの紙袋はなんだろう?)と思っていたら「オムツ」でした。(笑)
もちろん、赤ちゃん用のオムツではなく、わたし用のものです。
この成人用の紙おむつは破水したときに使う物だそうで、万が一散歩などの外出中に破水してしまったら使うため、なるべく持ち歩いてくださいとのことでした。
これは、お産が破水から始まるかどうかは人それぞれで予想が付かないためで、もし破水から始まらなかったら入院時に持参して、入院中に使用するそうです。
とにかく、オムツのインパクトが強くて、そうへいと二人で驚いてしまいました。
考えてみれば来週から臨月に入るんですよね。
その後、骨盤を開くための内股踏み(就寝前、パートナーに内股を踏んでもらうマッサージ)や授乳に備えたおっぱいマッサージ、会陰裂傷を起こさないための前準備としてのマッサージなどについて説明を受け、マッサージオイルを受け取りました。

今回の健診ですが、前回から結構体重が増えていて、自分では怒られるのを覚悟していましたが、特に何も注意を受けなかったので良かったです。
それよりも、またしてもわたしの髪型(前髪を切った)に話題が集中し、先生にも笑われました。
「前回の胎位確認の時も、他の助産婦さん達に笑われたんですよー。」と言うと、髪型とお腹の丸さのアンバランスさが原因なのでは、と指摘を受けました。
「幼くなった」とはっきりと指摘したら落ち込むだろうと、気を遣ってくれたのでしょうか。
大丈夫です、自覚があります・・・。

子宮底長29→31
腹囲83(変化なし)
血圧96/54
浮腫・尿蛋白・尿糖すべて陰性

いつものお楽しみ写真ですが、頭が下の方におりてきているため、はっきりとした顔写真を撮ることが出来ませんでした。
手を握ったり開いたりしていたので、その写真のみいただきました。今回も図入りです。


前回、赤ちゃんの数値をきちんと記憶していなかったのを反省し、今回は一生懸命覚えてきました。
赤ちゃんの推定体重は2,164g、BPD(児頭大横経)は85.3です。
推定体重は今回も500g程度増えていたので、3週間で500g増がうちの赤ちゃんのペースなのでしょう。
この調子で行けば、38週あたりで出産というのがいいのかな?と思いました。
それにしても2kgを突破すると、感慨深いものがあります。
先生にも「11/22あたりで最後にしたいわね。」と言われて、オムツももらったことだし、いよいよ出産に近づいているのだな・・・と感じました。

次回の健診は11/8です。


2002年10月28日(月) また吐血

今日は九州に出かけている両親が東京に戻ってきます。
その送迎のため、そうへいと羽田へ行きました。

朝、交通情報で渋滞していると言っていたので早めに家を出ましたが、結局1時間もかからず羽田に着いてしまい、そうへいと二人で空港内の探検をしました。
最近、少し歩くとすぐにお腹が張ってしまい、思うように散歩が捗っていないため、こういう機会がある時には少しずつ歩くようにしているのです。

定刻より少し遅れて両親と合流し、お昼を外食しました。
ところが本当に理由は分からないのですが、体調が悪くなり、お昼を全て戻してしまいました。
その際、吐血。
吐血はつわりの時以来です。
食事を戻すのは7ヶ月に入ってから何度かありましたが、こんなに「血!」というものを吐くのは久しぶりで、しかも、つわりの時よりも量が多くて驚いてしまいました。
幸い明日は健診があります。
胃がきりきりと痛み、食欲もないので夕食は食べずに眠ることにします。
おやすみなさい。


2002年10月27日(日) 粗食

出産後は赤ちゃんを母乳で育てるという話は前にも書きましたが、美味しいおっぱいを作るには「野菜中心・油控えめ・和食」が良いそうです。
それなのに、わたしはそういった料理のレパートリーが少なく(肉食なので)、今からレパートリーを増やさないと出産後に困るのは目に見えていました。
そこでそういった料理の本を買うために、今日は本屋へ行きました。

まず、和食の本を中心にレシピをチェックしましたが、「和食」といえども結構肉を使った料理が多いのです。
そうへいと二人で「どうしよう?」と考えて、次に思いついたのは精進料理。
これなら究極でしょう!と思ってレシピを見ると、作るのに結構手間がかかります。
出産前ならいざ知らず、出産後に手間をかける時間があるのでしょうか。

そして困り果てていたわたしの目にとまったのが「粗食」の本。
ぱらぱらと本をめくると、肉がない!野菜中心!簡単!と三拍子揃っていました。
こんな訳で、これからわたし達の食生活は「粗食」となります。

ところで、「粗食」といえば玄米やひえ・きび等を混ぜた主食が主流ですが、玄米ご飯で出来た母乳で赤ちゃんに湿疹などが出る、という話を聞いています。
実際にわたしの通っている産院でも玄米などは控えましょう、と案内しているそうですので、主食のみは「粗食」にせず、今まで通り白米で通します。


2002年10月26日(土) 羽田へ

今日から両親は結婚式出席のために出かけるのですが、父方の親戚は九州に住んでいるため、飛行機を使います。
しかも、離島に住んでいるので飛行機の乗り換えがあります。
今回は沢山仕事を休むことが出来なかったので、27日の結婚式に出席して翌日の28日に帰ってくる、という強行日程です。
実家最寄りの駅から羽田行きのバスが出ているので、それで羽田へ行くと言っていましたが、少しでも役立とうと思い、往復の送迎を買って出ました。(といっても、わたしは運転をさせてもらえないので実際に送迎するのはそうへいですが。)

朝起きてみたら雨で、湾岸線に入る頃には大降りになっていました。
わたし達の乗っている「ミニ」のワイパーはあまり効かないので、こういう雨の日の視界はとても悪くなります。
運転するそうへいの体が硬くなっているのを横で感じ、可哀想になってしまいました。
お腹の赤ちゃんも固くなっています。
わたしの恐怖が伝わったのでしょうか?

高速は混んでいましたが、飛行機の時間に大分余裕を持って空港へ着くことが出来たので良かったです。


2002年10月25日(金) お弁当

両親に作っているお弁当は、お父さんが「おにぎりで良い。」と言うのでおにぎりのみを作っていましたが、わたし的には不服でした。
もっとあれこれ作って、豪華な物を食べさせたかったのです。
そうしたら、やっぱりお母さん的にはおかずが欲しかったようで、おかずのおねだりをされました。
食欲の感じ方って、男の人と女の人で違うのでしょうか?

両親は明日から従妹の結婚式へ行くため、実際の「お弁当」は29日からになりそうです。
食いしん坊のわたし的に、今から何を作ろうかと楽しみです。


2002年10月24日(木) 微熱ぎみ

昨日接続できなかったvpnですが、今日になったら何の設定も変えることなく、すんなりと繋がってしまいました。
どうやらサーバの設定を昨日の夕方にしたらしく、わたしが一生懸命やっていた時にはまだ設定されていなかったようです。
これで職場LANにいつでも繋ぐことが出来るので、安心です。

今日は沢山散歩をしようと思っていたのですが、どうも休みに入ってから体調があまりよくありません。
凄くハードな仕事をしていたとき、平日は何ともないのに土日などの休日になる度に熱を出していたことを思い出しました。
きっと今までの緊張状態から解放されて、体がリラックスしすぎているのでしょう。
微熱なので少し歩こうとも思いましたが、そうへいが「駄目!」というので、体調が戻るまで様子を見ようと思います。


2002年10月23日(水) お食事係

今日から産休です。
朝、出勤しなくて良いというのは、変な気持ちです。
でも、産休に入ったからといってだらけた生活になってしまうのは嫌なので、今までと変わらずに朝は6時起きを自分に義務づけることにしました。
食材の買い出しをしていなかったので今日は作れませんでしたが、明日からは仕事に出かけるお父さん・お母さんにお昼のお弁当も作ることにしました。
産休中は実家にお世話になるのですからこのくらいは役立ちたいのです。
それに、こうやって動かないとすぐに太ってしまいそうで怖いです。
とりあえず(わたしの体調の許す限り)わたしはお食事係になりました。
親には「(食事は作るけど)その代わりわたしに合わせて低カロリー食だよ?」と忠告しましたが、最近太り気味だった両親的にも「低カロリー食」は有り難いようです。

ところで、ネット関連の仕事は全て引き継ぐことが出来ず(代わりが出来る担当がいなかった)、わたしも不安だったため、外から接続できるようにサーバの設定をしてもらいました。
vpnを使うのですが、いくらやっても繋がりません。
サーバ設定をしてくれた人に電話をしてみましたが、今日は出勤していないようです。
今日は諦めて、明日もう一度挑戦してみたいと思います。


2002年10月22日(火) 今日で終わり【34週0日】

今日で仕事が終わりです。
といっても退職するわけではなく産休に入るのですから、また来年になれば仕事に復帰します。
だから本当は「終わり」と言ってはいけないのでしょう。
それでもわたしの中では「終わったなぁ。」という気持ちがあります。
なんでだろう?と考えていて、分かりました。
この子を妊娠している状態での仕事が「終わった」ということなのだと。
つわりを始めとして、妊娠中の仕事は精神的にも肉体的にも、わたしには大変なものでした。
だからこそ、自分に「お疲れ様」を言いたいです。
そして、わたしのストレスに付き合わされていた赤ちゃんも、お疲れ様。
明日からはあなたのことばかり考えて生活します。

午前中は昨日までに片づかなかった仕事をし、午後は挨拶回りをしました。
色んな方に「頑張って、元気な子を産んでね。」と声をかけていただいて有り難い気持ちで一杯です。
年末・年度末と忙しい時期に向けて産休に入るので申し訳ない気持ちもありますが、新しく増える家族のことを思うと、やはり明日からの生活にウキウキしてしまいます。


2002年10月21日(月) うっかり!

23日から産休に入るのですが、昨日、その時の挨拶用にお菓子を買おうと思っていたのに、すっかり忘れてしまいました。
困っていたらそうへいが「買いに行くよ。」と申し出てくれたので大助かりです。
そして、新宿伊勢丹のアンリシャルパンティエでお菓子の詰め合わせを買ってきてくれました。
いつもごめんなさい。

出勤は明日で終わりなので、細々とした仕事を淡々とこなしました。
「立つ鳥跡を濁さず」と言いますが、忘れてやり残した仕事がいくつかありそうで怖いです。


2002年10月20日(日) 買い物2

今日も赤ちゃんの物を買ってもらうための日だったのですが、昨日のうちに殆どの物が揃ってしまったので、そうへいの洋服を買ってもらいに吉祥寺に出掛けました。
そうへいは1つの洋服を気に入るとそればかり着てしまい、着潰してしまうのです。
所帯を持ったら、こちらが両親に何かを買ってあげるというのが普通なのでしょうから、本当に申し訳ない気持ちです。
赤ちゃんのものと言えば、わたしは赤ちゃんのベビーパウダーとベビーバーム(おむつかぶれに塗るクリーム)を買いました。
本当にもう買う物はありません。

最後に、わたしが妊娠中だったこともあり、わたしに洋服を買えなかったのが心残りだったようで、お義母さんが「これで何か買ってね。」とお金を持たせてくれました。
普段東京にいて、お義父さん・お義母さんの傍で孝行出来ずにいるのに・・・と頭の中がごちゃごちゃになってしまい、感謝の気持ちをうまく伝えられませんでした。
実はそうへいとわたし用に、ユニクロで買ったという洋服もいただいていたのです。
なんだか甘えてばかりですね。

とにかくこの2日間、歩きづめで疲れたと思います。
お義母さん、本当にありがとうございました。


2002年10月19日(土) 買い物1

今日は団地の集団清掃日です。
一世帯1人出ればいいことになっていて、そうへいが参加していましたが、運動不足を解消しようとわたしも参加しました。
すると、団地の奥様方が「旦那さん出てるんだから、無理して出なくてもいいのに!」と揃って心配してくださいました。
うちの団地はみなさん良い方ばかりで、心配していたご近所づきあいも楽でいいです。

清掃の後、上京してきたお義母さんと直接お店で待ち合わせをして、赤ちゃん用品を買ってもらいました。
結構買い物をしたので、もう殆ど買う物はないと思っていたのに、次から次へと買う物が出てきて、結局沢山買っていただくことになりました。
車に着けるベビーシートも買ってもらい、ほぼ全ての物が揃いました。
お昼はインド料理屋で本格カレーを食べたのですが、体重を気にして「沢山食べちゃ駄目」と思いつつも、美味しすぎて食べ過ぎてしまいました。
体重計に乗ったら見たことのない数字になっていて、死にたい気分です。
夜はお義母さんが夕食を作ってくれましたが、わたしは少しつまむだけにしました。
お義母さんの煮豚はとても美味しいので、少ししか食べられないのは拷問に近いです。
夕食時のみ、えみこくん(義妹)が合流したのですが、久し振りに元気な姿を確認できたので良かったです。


2002年10月18日(金) 体力の低下を恐れて(胎位確認8回目)

今日は胎位確認の日です。
体の向きが変わってしまったことを気にしていましたが、助産師さんによると「この時期ならまだこういう(体の向きを変える)動きはあるから、大丈夫ですよ。」とのことで、安心しました。
ところが安心したのもつかの間、体重がかなり増えてしまい、「何も言わなくても自分で分かってますよね?」と笑顔で言われてしまいました。
最近、生理痛のような鈍痛とお腹の張りが酷くて散歩をさぼり気味だったのです。
更に便秘気味なのもあり、体重が増えてしまったのだと思います。
親は「りなは全然肉も付いてないし、大丈夫、太ってないよ。」と励ましてくれますが、問題なのは太ったかどうかではなく、「体力があるかないか」でしょう。
散歩をしていない分、確実に体力が落ちています。それが怖いです。

もう少しで産休です。
産休に入ったら、とにかく歩かなくては・・・。


2002年10月17日(木) 胎位変更

昨夜は、赤ちゃんの胎動が激しく、お腹が何度も張っていました。
そして今朝起きてみたら、赤ちゃんの胎位が第一頭位から第二頭位へ変わっているではありませんか!
慌てて頭の位置を確認しましたが、逆子にはなっていないようだったので一安心です。
それにしても、先日の健診で赤ちゃんの左右に余裕があるため、まだ逆子になる可能性がある、と言われていたので気が気ではありません。
先生曰く、わたしのお腹は「余裕のあるお腹」のようです。
赤ちゃんには良いお腹のようですが、こちらとしては逆子になりやすいので毎朝どきどきしています。
明日は胎位確認で産院へ行きます。
特に何も注意されないといいのですが・・・。


2002年10月16日(水) そば茶を復活

紅茶に含まれるカフェインは鉄分の吸収を妨げるため、食後にはなるべく飲まない方がよい、と言われています。
今まで気にせずに紅茶を飲みまくっていましたが、妊娠後期に入って貧血っぽくなってきたため、紅茶を飲むのはなるべく止めて、そば茶を復活させました。
そば茶はノンカフェインで高血圧にも良い、と妊婦向けの飲み物といえます。
で、そば茶にしてから体調が良いです。
プラシーボ効果かもしれませんが、わたしには有難い効果です。


2002年10月15日(火) ヨーグルトと牛乳の関係【33週0日】

10/13の日記に書いていた「サイン」は無事に書いてもらうことが出来ました。
それにしても、どうして芸能人のサインはぐちゃぐちゃとしているのでしょう。何が書いてあるのか、全く分かりません。
「誰々のサインだよ。」と聞かなければ、分かる人は誰もいないと思います。
これならわたしがマネして書いても分からないかもしれません。

先週処理できなかった分の仕事が沢山あり、今日も大忙しでした。
それでも食事の関係で20時前には家に着くように帰宅しなければなりません。
残業が出来ないのは痛いです。
とにかく忙しく、バタバタと歩き回り、階段を何往復もしていたら下腹が痛くなってしまい、焦りました。
こんなことでどうにかなる「あかぽこ」ではないと分かっていても、心配になってしまいます。

妊娠後期に入ってからの便秘ですが、カスピ海ヨーグルトと漢方薬の併用でどうにかしているところです。
漢方だけで大丈夫かと思い、先日朝のヨーグルトを抜かしてみたら、途端に便通がなくなり困りました。
やはりヨーグルトは手放せません。
カスピ海ヨーグルトは、ヨーグルト一さじ程度を牛乳に入れるだけで手軽に作ることが出来ますが、牛乳によって味が違うと知った母親が色々な種類の牛乳を買ってきて、あれこれと実験?をしているので毎日楽しいです。
今日は1L450円もする牛乳で作ったヨーグルトでしたが、少しの酸味とコクが感じられました。
ちなみに、今まで作った中で一番気に入っているのは「タカナシ・低温殺菌牛乳」で作ったものです。(うちは、普段飲む牛乳もここのもの。)
お義母さんによると、「おいしい牛乳」で作ったものも美味しいらしいので、今度試してみたいと思っています。


2002年10月14日(月) 実家の模様替え

今日は前々から計画していた実家の模様替えをしました。
といっても、わたしは重たいものを運んだりは出来ないため、家具を動かすたびに拭き掃除や掃除機をかけたりといったお手伝い程度です。
この模様替えは、これから産まれてくる赤ちゃんのために行いました。
産前・産後と実家でお世話になるのですが、その間(というか、赤ちゃんが産まれてから)気持ちよく過ごせるように、わたしが滞在する部屋を家の中で一番暖かい部屋にしてもらいました。
始めは文句を言っていた母親も、模様替えが終わると「りなの言うとおりにして良かった。」なんて態度を豹変させました。
前の配置よりも各部屋が広く・使いやすくなったからでしょう。
ごみも沢山出てきて、(赤ちゃんは12月に産まれる予定で大掃除も出来ないだろうから、)この時期に色々整理できて良かったみたいです。

模様替えで一段落着いたところで、昼食を食べに外出したのですが、ついつい食べ過ぎたようで具合が悪くなり、そうへいに「自分でその辺の管理が出来るようにならないと。」と言われてしまいました。
そんなわけで、後半は全然「役立たず」でした・・・。


2002年10月13日(日) 私物の片付け

今日は職場の文化祭へ行って来ました。
なんと、今回の講演はそうへいが大ファンの俳優さんだったのです。
総務の特権を駆使して、1mという間近で見ることができ、そうへいは興奮しっぱなしでした。
名前入りのサインもお願いしたのですが、「講演の後に書きます」とのことで、どうなっているのかは休みあけに明らかになります。ちゃんと書いてくれているでしょうか・・・。

それから、職場の私物をある程度片づけていたので、それらを持ち帰りました。
そうへいに「他人のことは余り言えないけど、もうちょっと私物は少なくしましょう。」と言われるくらい、私物が多かったです。
自覚はあったのですが、まとめてみると本当に多く、自分でも呆れてしまいました。


2002年10月12日(土) むらさき

そうへいは今日も仕事の打ち合わせで出掛けていきましたが、その間も体調が悪く、家でずっと横になっていました。
ここのところ血圧が高いようで、吐いたりはしないのですが、つわりの頃のような症状があります。
やっぱりわたしは上の血圧が100を超えると駄目みたいです。

今日は仕事を終えたあと、母親は家の近くのデパートに用があったようで、一緒に行こうと誘われました。
結局親は18時過ぎに帰宅し、本当は一日家にいたわたしが夕食の用意をしていれば良かったのですが、横になりっぱなしだったため、ついでに夕食も外で食べることになりました。
途中で打ち合わせ帰りのそうへいとも合流したのですが、わたしの具合が最高潮に悪くなってしまったため結局外食をせず、そうへいと二人で先に帰宅しました。
親は地下の食品街でお総菜を買ってきて、それで夕食としたようです。
いつもだったら「りなが作ってくれれば・・・。」と言われるところですが、顔が紫色をしていたらしく、誰も何も言いませんでした。


2002年10月11日(金) 職場でご飯

今日は仕事の打ち合わせのため、そうへいは外に出ていました。
そのため、いつもの場所に「お迎え」が出来ないから、職場まで行くよ。というので、職場でそうへいを待っていましたが、来ません。
どうやら道が混んでいたらしく、1時間あれば着く距離を2時間近くかけて来てくれました。
ところで、産院の指導により、20時以降は「肉・魚は駄目、火を通した野菜のみで、なるべく油を使っていないもの」、21時以降は何も食べてはいけないことになっています。
そうへいが職場に着いた時点で19時を過ぎており、帰宅すると確実に20時を過ぎてしまうため、職場で夕飯を食べていくことにしました。
ちょうど夕食のお弁当が2つ余っており、貰い手を探しているところだったのです。
わたしの職場でそうへいと二人でお弁当を食べるのは、なんだか不思議な気分でした。


2002年10月10日(木) 苛つく!

産休前で仕事が詰まっているのを知っているのに、優先順位の低い仕事をやってくれと言われて頭に来ています。
他の人に頼めばいいのに、わたしは頼みやすいようで、よくこういった雑用を多く任されます。
しかも始めからわたしに回すつもりなのにも係わらず、他の所属分まで安請け合いをしており、軽く「やってあげてよ。」なんて言われて爆発しそうになりました。
結局どう考えてもわたし一人で処理するのは難しそうだったため、他の所属の担当者に謝ってまわり、自分の所属分のみ処理しました。
謝って説明するたびに「やってくれるって言ってたのに。」とわたしが言われてしまい、なんだかとっても理不尽です。
しかもこの仕事のせいで、今日処理するはずだった他の仕事が全く出来なかったため、わたしの苛々は募りました。
今日は仕事の愚痴しか書けませんので、日記はこのくらいにしておきます。


2002年10月09日(水) 産休を目前にして

本来であれば、出張旅費の請求日は明日なのですが、産休を目前にして仕事が詰まっているため、今日すべてまとめてしまいました。
本当に一刻の猶予もなくなってきて、とても焦っています。
ゆったりと産休に入りたかったのですが、どうやらそうもいかないようです・・・。


2002年10月08日(火) 前回の検査結果(健診9回目)【32週0日】

今日から妊娠9ヶ月になりました。

今日は産院で健診の予約が入っています。
平日朝は通勤ラッシュで道が混むため早めに家を出たのですが、わたしが予約の時間を勘違いしていたせいで早く着きすぎてしまいました。(9時40分からの予約だと思っていたので9時10分に産院へ到着。ところが予約は10時からだった・・・。)
産院のリビングに「自然分娩の第一人者」と言われる吉村正医師の著書が置いてあったので、それを読んで予約時間まで過ごすことにしました。
とても興味深い本で、自然分娩をしたいと思っている方や、今日本で主流となっている分娩方法に疑問を持っている方にはお勧めの本です。

尿は、蛋白:プラスマイナス、糖:マイナス
浮腫:マイナス
子宮底長:27→29
腹囲:79→83
でした。
体重は前回の健診から300gの増で済んだので、特に何も言われませんでした。
少し気になるのは、上の血圧が100を超えていたことです。
普段70〜80台のため、100を超えると体調が悪くなります。
つわりのときも100を超えていて辛い思いをしていました。
妊娠も後期になってくると「水血症」(血液を薄めることにより量を増やし、赤ちゃんへ回す量を確保しようとする。このため、ヘモグロビンの濃度も薄くなり、貧血や頻脈になったり、血圧が上がったりする。)になるため、仕方のないことですが・・・。

前回の健診時に行った検査は、不規則抗体はマイナスで、血色素量は10.9g/dlという結果でした。
本当だったら血色素量11g/dl以下は貧血となるのですが、0.1程度の差だったため、鉄剤処方はありませんでした。
鉄剤を飲むと具合が悪くなったり便秘が酷くなったりすると聞いていたので、処方無しで本当に良かったです。
その後、超音波写真を渡されて今日の健診は終了しました。

そういえば、今回は写真に数値が記載されていないため、正確な数値が分からないのですが、赤ちゃんのBPD(児頭大横経)は8センチちょっと、推定体重は1,600gちょっと、という感じでした。
わたし自身の体重増加は300gなのに対し、赤ちゃんの体重増加は500gなのだということを考えると、後期に入って急成長しているのだな、と嬉しくなりました。
・・・最近の胎動が痛いはずです。(手や足がお腹から飛び出てくるので、びっくりします。)

今日の写真も分かりづらかったため、今回は図入りです。
両手で顔を隠しているようなポーズをとっていました。

次回の健診は29日です。
29日はちょうど35週0日にあたり、どんどん出産に近づいているのを感じて、どきどきです。


2002年10月07日(月) 余韻?

昨日、ピクニックで張り切った余韻が残っているのか、なんだか仕事中もハイな状態でした。
明日はまた健診で仕事をお休みするので、このくらいが良いのかもしれません。

ところで、赤ちゃんは車が拾う路面の振動が嫌いのようです。
毎日そうへいに途中まで送り迎えをしてもらっているのですが、少し舗装が悪いところを走ると「ぐぐぐ。」と上にあがってくるのです。
先生によると、沢山歩いて赤ちゃんを骨盤の中の方へ下ろしていかなくてはいけないのに、これでは全然意味がありません。
赤ちゃんが上にあがってくるたびに胃が押し上げられ、わたしも「ううっ。」となってしまいます。
この時ばかりは、早く産休に入らないかな、と思ってしまうのでした。


2002年10月06日(日) ピクニック!

今日はわたしの通っている産院OGの方たちが主催するピクニックへ行って来ました。
昨日の疲れは長時間の睡眠ですっかりとれ、元気いっぱいです。
一生懸命お弁当を作って、そうへいと二人で参加しました。
妊婦の出席はわたしだけだったため、少し恐縮です。
でも、OGの方々は気さくに声をかけて下さり、とても楽しめました。
沢山の赤ちゃんに囲まれ、怖い?経験談も沢山聞かされ、ますます出産が待ち遠しくなりました。
みなさん声を揃えて「はっきり言って、出産の痛みよりも陣痛の方が痛かった。先生に『陣痛、あと何回ですかー?』って聞いちゃった。こんなに痛いなんて、聞いてない!って思った。」と言います。
これには目から鱗で、そうか、陣痛が辛いのか・・・と思いました。
「産む前は、お腹の中にいる状態でさえも『可愛い』と思っていたし、産んだらもっと『可愛い』んだろうなーって思っていたけど、実際に産んでみたらそれ以上に可愛いよ、赤ちゃんは!今から楽しみだね!!・・・もう一人産もうかな。」との話も聞いて、痛みに対する怖さよりも、赤ちゃんと会える楽しみで一杯になりました。


2002年10月05日(土) 9ヶ月間近で結婚式に出席する妊婦

今日は友人の結婚式へ出席するため、帝国ホテルへ行って来ました。

結婚式の日取りが決まった時に計算したら、ほぼ妊娠9ヶ月に近い頃だということが分かり、出欠に関して色々と悩みました。
というのも一般的に、妊婦が結婚式に招待された場合は、式の途中で体調が悪くなったりすることや、不慮の事故(階段で転ぶ、等)も考えられることから、新郎新婦に余計な気遣いをさせないために出席は控えた方が良いとされているからです。
しかし、今回結婚するのは、わたし達の式の時に受付をしてくれた友人で、わたしとしては直接駆けつけて祝福したい気持ちで一杯でした。
そんなわたしの気持ちをそうへいが配慮してくれ、(夫婦で招待を受けていたこともあり、)二人で出席することと、直前に体調が悪いときは欠席すること、という条件で出席することを許してもらいました。

そして今日。
赤ちゃんもわたしに協力してくれているようで、体調は万全です。
披露宴に着ていく服のことも心配していましたが、こちらも手持ちのドレス(マタニティではなく、普通サイズ7号のもの)を着ることが出来ました。
一緒に出席したセリカちゃんに「(妊娠9ヶ月で)普通服7号が着られる、というのがりなちゃんの凄いとこだよ・・・。」と言われましたが、これにはわたしもびっくりしています。

ウェディングドレスを着た友人はとても綺麗で、初めてお会いする旦那さんも誠実かつ優しそうな方で、二人とも幸せそうです。
出席している来賓の方たちも本当にみんなで祝福していて、とても雰囲気の良い、温かい結婚式でした。
自分の結婚式の時は、正直言って来賓の祝辞が長すぎたのと体調不良のため、殆どの料理を残してしまい、それなのにみんな口を揃えて「料理、凄く美味しかったよ!」と言うし、それがとても心残りでした。
「友人の結婚式でその無念を晴らすのは申し訳ない」と思いつつも、今回は体重増加を考えず、全て完食しました。
幸せな友人の顔を見ながら、幸せに食事が出来て満足です。わたしの無念も昇華されました。
今日もそうへいをハラハラさせながら、大きなお腹を振り回しつつ写真を撮りまくりました。
努力の甲斐あって、ベストショットの写真が沢山撮れたと思います。

帰宅後は張りきりすぎたせいか、疲れ果てて18時に就寝。
一人暮らしをしている弟が久し振りに実家へ顔を出していたのですが、一度も話を出来ませんでした。

−−−−−
■おまけ

妊娠9ヶ月の3日前です。でか!


2002年10月04日(金) 無茶ばっかり

役員の方が別室を急遽利用することになったのですが、今日は別室の開室日ではないため、誰もいません。
そこでわたしも急遽出張することになりました。
慌てて優先順位の高い仕事を片付け、電車に乗ること1時間。
妊娠してから長時間電車に乗ることがなかったため、少しきつかったです。

定時で帰ることが出来たので、仕事の後にそうへいと待ち合わせて新宿伊勢丹へ行きました。
「仕事後に待ち合わせ」というのは久し振りで、妊娠前の気分を味わうことが出来ました。
伊勢丹では、前から欲しかった台所用品をあれこれ購入し、満足です。

ところで、新宿から帰りの電車に乗るとき、お目当ての電車が発車寸前だったため、階段を駆け下りホームを走って乗り込んだら、そうへいに「転んだらどうするの!」と怒られてしまいました。
しかも、乗り込んだ電車が満員電車だったのも気に入らなかったようで「次の電車にすればいいのに・・・。」と言われてしまいました。
毎度、無茶をする妻ですみません・・・。


2002年10月03日(木) 今日は散々。

今日は通勤電車で具合が悪くなってしまい、席を譲ってくださいと言い出せず、職場最寄り駅に着いたときにはふらふらでした。
仕事を休んで帰宅しようかとも思いましたが、ここまで来て帰るのも悔しいし、通勤ラッシュで電車は混雑しているし、どちらにしても具合が悪すぎて帰れません。
「出勤する」と決めたあと、昼になってからご飯を調達しに外出するのは無理だと判断し、駅から職場へ直行せず、昼食を購入しに行きました。
ところが運悪く、その店のレジ係が要領の悪い人だったために長時間待たされ、わたしの体力も気力も限界ぎりぎりです。
「本当に気を失うのではないか」と思うくらい最悪な体調でしたが、ここで倒れたら職場(わたしは医大に勤務しています。)に運ばれるだろうし、救急車が来るまでの間さらし者になるのも勘弁して欲しいと思い、それなら頑張って職場へたどり着いて横になろう、と気力だけで歩きました。
駅から職場まで、徒歩で12分程度かかるところを30分・・・。
職場に着いたら倒れるように横になり、情けないことに泣いてしまいました。
具合が悪すぎて自然に涙が出てくるのです。
赤ちゃんは大丈夫かと心配しましたが、あばらに向けてキックを繰り返していて、いたって元気です。
(お母さんはあかぽこの元気さが羨ましいよ・・・。)と思いました。

1時間ほど横になり、さほど体調は良くなっていませんでしたが椅子には座れるようになったため、自分の机に戻りました。
ちょこちょこと仕事をこなし、昼頃再度具合が悪くなり、昼休みは寝て過ごしました。
その後しばらくは普通に仕事が出来るくらいになりましたが、15時過ぎからはお腹が張り、今日は散々です。
唯一の救いは、そうへいが職場まで迎えに来てくれること。
こういう時のサポートは、本当に有難いです。
そして、いつも心配ばかりかけてごめんなさい。


2002年10月02日(水) 焦った!

昨日は戦後最大級と言われた台風の中、美容室へカット&カラーをしに行きました。
「妊婦なのに無謀」と止められましたが、この日しか予約が取れなかったのです。
来週になれば妊娠9ヶ月に入ってしまうし、なにより今週末は結婚式へ出席しなければならないため、なんとしても美容室に行く決心をしていました。
台風といっても、時間の巡り合わせが良かったのか、大したことはなく帰宅することが出来たので良かったです。

ところが台風の気圧のせいなのか、先日湯船に(1分ほどだけど)浸かってしまったのが良くなかったのか、赤ちゃんがモコモコと動き出したのです。
どんどんお腹は痛くなってくるし、これは少しまずいのでは?と思って恐る恐る胎位確認をしてみると・・・。
頭が左腹部へ移動しているではありませんか!
しかもそのまま逆子になってしまう勢い。
そうへいと二人で必死になって、「頭、ここだよー、こっちだよー!」と下腹部をぽこぽこ叩いて赤ちゃんにお願いです。
すると斜めではあるけど頭を下の方へ動かしたので、「明日起きて駄目(逆子)だったら病院へ行けばいいや。」と思い、昨晩はそのまま就寝しました。

そして、今朝。
毎朝恒例の胎位確認を行ったところ、見事!赤ちゃんは頭位へ戻っていました。
ちゃんとわたし達の言っていることが聞こえて、理解できているのでしょうか。
とにかく、親孝行の良い子です。
でもしばらくは気が抜けません・・・。

ちなみに、美容院へ行ったら前髪を作られてしまいました。
育児で髪の毛を構えなくなると、後ろで結わくのが楽になるから、そうすると前髪がないと老けて見えるよ、というのがその理由。
しばらく前髪のない状態でいたので、不思議な感じです。
なんだかとても幼くなってしまいました。


2002年10月01日(火) 真実はどこにある【31週0日】

〔前置き〕
今日の日記は、幸せな妊婦さんにはきつい内容だと思いますので、そういったことが苦手な方にはお勧めしません。
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先日、出生前検査などについて日記を書きました。
世の中きれい事だけではないと知っているが・・・と書いたものの、本当は目を背けているだけではないかと自責し、実際に堕胎を選択した方等のHPを見に行きました。
わたしは中絶否定派ですが、実際には中絶せざるを得ない方もいらっしゃるはずで、きちんと現状を把握しなければならないと思い・・・。

なんだか、言葉が出てきませんでした。
上手く気持ちがまとまりません。

ただ一つ分かったのは、誰でも「自分の子は可愛い。」ということ。
ネットの中には色々な「母親」が存在していました。

堕胎する、といっても、ある程度週数がいっていれば、陣痛促進剤を使って人工的に陣痛を起こして「分娩」という形で行います。
その際の、激痛。
そしてその激痛に耐えるのが、「我が子を殺すため」だと気付いたときの悲嘆。
死んでしまった我が子を見たときの衝撃。
「やっとこの苦悩から開放された。」という安堵と、その後やってくる「産まれる前にお腹の中で死んでしまうと分かっていても、生きている限りはお腹の中で育ててあげれば良かった。」という後悔。

法律で定められた週数を過ぎた後の中絶は「死産」という形で秘密裏に行われているという実態。

「産む」という形で処置することが出来ず、お腹の中でバラバラに切断されてから摘出される胎児。バラバラにされるのが分かっているのか、お腹の中でメスから逃げまどい、切断され、トレイに乗せられた「胎児であった」断片。

産まれる前にお腹の中で死んでしまうかもしれない、例え産まれても数分で死んでしまう程の障害を持っていると判明してなお、「お腹の中でなら生きていられるというのであれば、この子の人生を全うさせてあげたい。」と出産を決意し、早産で出産したあと数十分しか生きられなかった我が子を看取った母親。妊娠していた数ヶ月と、その数十分に愛情の全てを込めて。

障害があると分かっている子供を産んだとしても、普通に接してあげられる自信が無く、そんな風に育てられるのならその子が可哀相だから、今中絶してしまった方がよい、と出生前検査を選択した母親。

出生前検査で陰性と分かり出産したとして、その子が成長した際に「出生前検査を受けた。」という事実を伝えられるのか?また、伝えたとして、その子に「その時陽性だと分かったら、わたしを産んでくれなかったの?」と聞かれたときに答えられるのか?今、お腹にいる「命」に対して、後ろめたいことは出来ない、と出生前検査を拒否した母親。

・・・わたしが思ったのは、人生最大の選択は、医者も、親も、パートナーでさえも決断し得ない選択を、本当に苦悩しながら自分自身で選び取らなければならず、そして選んだ後の苦しみも悲しみもその人自身のものでしかない、ということでした。
だから、そうした人たちに「こうした方が良かったのに。」なんて安易な意見は誰にも言えない・・・。

どんな決断も「わが子を想う気持ち。」によるものでした。

・・・人間の赤ちゃんは人間であるために発達した頭部(脳)を持ち、それ故にその頭部が母親の骨盤を通過でき、なおかつ自分の生命を維持できる、ギリギリの週数で産まれてきます。だから、他の動物は産まれてすぐ歩行することが出来るのに、人間の赤ちゃんは1年ほど経過しないと歩くことが出来ません。生物としては、1年も、未熟な状態で産まれてこなければならないのです。
そして、自分の意志を他人に伝達できるようになるのには、更に時間がかかります。
誰も、産まれてこようとしている赤ちゃんの「意志」を確認する術を持っていません。
だからこそ、母親は決断を迫られるのです。
本当は、赤ちゃんはどうしたいのか。
この子にとっての最良の決断はどういうものなのか。

生きていたい?
産まれたい?
辛い人生なら殺して欲しい?

わたしが選択した「出生前検査を受けない」「障害を持って産まれてきても、変わらず愛する」という選択も、所詮、わたし自身のエゴでしかありません。

誰か教えてください。
真実は、どこにあるのでしょう。


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