昨日書いた泣き言はちょっと人には見せられない。 日記では無様な姿を晒しているが、 現実には勿論他の誰にも見せたことはない。 見せられる相手も、残念だけど今はいない。
経営者になろうという夢は、 副業のほうが何だかんだと好調のため、 逆にとりあえず会社員を続けたほうが 今のうちは有利である(税金の面でも)という判断になった。 当初の目標は今年末で、そのときのプランどおりなら 会社を辞めて会社を興す、ということになるはずだったが、 そんなわけで暫く先に延ばす事になりそうだ。
ただ、その一方で経営学や金融工学を勉強したり、 あるいは実際の経営者に触れてみたいという気持ちが強く、 そのために転職も視野にいれている。 既にエージェントと接触して、来週月曜に2度目の 打ち合わせをすることになっている。
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今年は何もかもが上手くいくような、そんな気がしていたのだが。 神様がいるのだとしたら、少し福音を伝えてくれても 良さそうなものだが。 まあ、そんなことを言っているうちは、 きっと幸せからは遠いのだろう。
ほんのたった1分前まで、自らの不幸を嘆いていたようだ。 全ては自分の責任だと思い、全てはそれが運命だと思い、 ただ、グルグルと感情の渦に身を任せるのみ。
今日は僕にとって大切だった日にもかかわらず、 本当につまらないことで躓いてばかりの日だった。 そして毎年この日はついていないことが多い。 帰りの電車の、がらんとした空間の隅で、 まるでこの世は僕以外には存在していないのではないかという錯覚に、 こみ上げる感情が軽く目頭を圧迫したのだが、 いっそ泣いてしまえば楽だったのに、 結局涙も出なかった。
帰宅して、どちらも大学の友人から2通メールが来ていて、 それぞれが気にかけていてくれて嬉しかった。 奴は機嫌が悪く、早々に寝てしまった。
君の事は相変わらず忘れていない訳で、 それでも少し落ち着いてきたと思っていたのだが、 ここにきて未だその想いが自分に対しての「重い」に なっているのがわかる。 もうかれこれ一年が過ぎようとしているのに、 そんな僕の成長はほんの僅かでしかないように感じる。 僅か半歩戻れば、きっと僕は元通りになってしまうような そんな前進を、誰か笑ってくれないものだろうか。
本業の、いわゆる会社員をする傍ら、 こちらも一年前から友人と始めた事業は、 ここ一年で大きく変貌を遂げ、僕に僅かながら利益をもたらしている。 だが、その利益の一方で心労は相当なもので、 おおよそ普通の人の3倍以上のストレスを常に感じているような、 そんな毎日を過ごしている。 そのストレスから開放されたいが為に、 毎日の日々が早く過ぎ去っていくことを必死に祈りながら、 その一方で歳を取ることに全力で抵抗している。 矛盾は広がる一方で、既に心と体は一体を成していないようにすら 感じることがある。
そんな毎日を暮らして、今日が来た。
おめでとう、なんて、とてもそんな気にはなれないけれど、 自分にご褒美なんて、何も要らないけれど、 只、只、僕がここに生きていて、 そして貴女がそこに生きていたんだ、今ここに生きているのだと、 そういう証を少しでも僕が覗くことが出来るだけで、 僕はいつか来るであろう未来を想像して、 君と僕がこのことについて語り合うであろう柔和な世界を想像して、 ようやく、涙が出た。
前に進もうと人は言うが、 前に進んで何になるのか。 皆、戻ることが出来ないだけだ。 止まっていることが許されないだけだ。
今までで最悪にダラシナイ生き方を晒して、 それでも死ぬことだけは僕の信念は許さない。 だから生きるだけだ。諦めずに生きるだけだ。
身勝手なのは分かっている。 まだ、想っている。
年末にひいた風邪は、未だ喉に残ったまま、 毎日猛烈な咳を引き起こしている。 のど飴が欠かせない。
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年が明けて10日もすれば、只の冬の日常。 年始に実家に出向いたときに、 父がウォークマンを欲しがっていたので、 今日電話してまだ購入していないことを確かめた上で 買って送ることにした。
どんなに出来た人でも、親に迷惑をかけずに育った子供などいない。 僕が迷惑を掛けた度の、あるいはスネカジリ度の、 平均のどの辺りにいるのかは分からないが、 こんな形で少しずつ恩を返したつもりになることにしている。 親のことを本気で考えるようになったのは、ここ数年のことだ。
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日記を書きながら、購入の手続きをした。 11日には届いてしまうらしい。 ネットの素晴らしさと、あっけなさに少しの悲しさを感じる。
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咳の所為で眠れない。 明日は仕事を半日休みにした。 病院へ行ければ、行こうと思う。
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