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道化者の憂鬱...紫(ユカリ)

 

 

繋がり - 2002年11月30日(土)

引きこもりがちな私をヒロが連れ出す。
夕方の電話。

「オキナワ料理食べに行こうぜ〜。」

そのまま五反田の店で食べる。

前日、トシユキ君と電話してて
池袋のショットバーの話で盛り上がった事を
思い出し、そのまま池袋。

久々のこのお店。
マスターは覚えていてくれて嬉しかった。
ちょっと前に、タカスミくんも来ていたらしい。

こうやって、なんだか繋がるんだよなぁ。

と思ったりした。


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生温い時間 - 2002年11月29日(金)

共同生活、つまりは同棲してから何年が過ぎたん
だろう?かれこれ3年ちょいくらいになるのかなぁ。
そもそもなんで、一緒に住んだのか今となっては、
あんまり思い出せない。
その頃、きっと好きだったのと、もっと一緒にいたい
話したい、理解したいとか、そういう気持ちがあった
と思う。結婚を前提に同棲する事を親に認めさせて、
今、このザマなのはどうしてなんだろう。

きっと私の考えがとてつもなく甘くて、エゴもあった
のだろうと思う。
それと、一緒に生活していて、なーんか考え方とか違う
んだよなぁ。っていう微妙なズレが大きなズレになり、
脱走する事しばしば、あげくに一緒に住んでいるのに
別れているという状態になっている。
まぁ、酷い話だ。

ただ、私達は籍を入れている訳でもないし、彼の給料で
食わせて貰ってる事もないので、あくまでも対等な付き合い
って事になるのだろうか。
それも善し悪しだったりすると思う。
まぁ、今になっては良かったとも思うんだけれども。
寂しいモンだなぁって思う。

私達が上手くいかなくなったのは、どこからなんだろう?
セックスをするしないで、ケンカになり、ご飯を作る作らない
でケンカになり、まだ販売業をしていた頃に、もうイッパイ
イッパイまで働いて、お局とケンカしてグチを言いまくって
いた時に、君のその話はもう聞けない。と言われて当時、かなり
精神的にもまいっていた私は、あまりにもショックで家に帰って
も何も話せなくなってしまっていた。
それからは、家賃を置きにだけ部屋に帰るような状態になって
しまった。
もうダメ。この人と話したくないと思ったからだ。
こう書くと、彼が酷い人の様だけれども、彼も販売業だったので
彼もイッパイイッパイだったのだろうと今なら思える。

そんなこんなで、別れたいと言いまくり。でも色々と事情があって
引っ越す事が出来なくて、今に至るのであった。

そんな状態だからこそか、一緒に暮らしながら、私は好き勝手やりまくり
だったけれど、さすがに最近は洗濯だって疲れているだろう
からやってあげようとも思うからやっていた。
料理だって、今月はちょっと作った。
掃除もした。
でも、どれにもありがとうって言葉は無かった。

付き合い始めた当初、掃除も洗濯も料理もゴミ捨ても
働きながらやっていた。
疲れてるのに頑張った。せめて皿くらいは洗って欲しくて
言った事があった。

別に、やってくれって俺は頼んで無い。

そう言われてかなり哀しかった。
それから、私も何もやらなくなった。
全てが別になった。
それで上手くいってたから良かったのだろう。
本当に良かったのだろうか???
そこから更にスレ違っていた様に思う。


今回、彼に言われた。



気持ちの無いモノなんか何もいらない。


今日は彼の誕生日だった。


何もしなかった。
せめてと思って煙草をワンカートンあげたけれど
全然、嬉しそうじゃなかった。

まぁ、そうだろうな。

こんな私にここまで付き合ってくれて
本当にありがとう。

ただ、彼の求めているモノと私が求めているモノが
違っていたんだろう。
愛情と言うモノを表現してもお互いに見えなかった
のだろうと思う。
お互いが違う愛情を求めていたんだろうと思う。
そういうスレ違いが、こんな事になってしまうのは
哀しいなぁと思う。

じゃぁ、今からまたやり直せば良いのかもしれない
けれど、私の中で終わってしまったモノは、それでオシマイ
なので、もう立て直そうとかそういう気にはならない。
別に、ヒロがいるからとか、そういう事でもない。

生温い時間が気持ち良かった。
だからダラダラと過ごしていた。
そんな事しても発展性が無い事にようやく気が付いた。
これからが、本当に大変になるだろうけど、
生温い時間は、今はイラナイ。






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菜摘ひかる - 2002年11月28日(木)

知っている方も多いと思うのですが、えーっと作家さん
です。元風俗嬢の作家さんです。
まだ、彼女がHPに日記とかガンガン書いていた頃は、
現役の風俗嬢で、職業は流れの風俗嬢です。って書いて
いた様に思います。ありとあらゆる風俗をやっていて、
少しばかり不安定な人の様な気がしました。

当時、私は仕事も辞めていて精神的に不安定な状態で
彼女の日記を楽しみにしてました。
掲示板にレスが返ってくると、嬉しかったりとか。

今までの日記が本になって、それを読み始めた頃から
また現役風俗嬢を始めて、色々と参考にもさせて貰ったり
また、励まして貰っていた所もありました。
特に一年前は、なんか色々と私がドロドロとしていたので、
もう本当に必ずバックに本を入れてお店に出勤するくらいだった。
控え室で、菜摘ひかるの本を読みながら、気合い入れて
客に挑んだ。っていうような感じだったな。
化粧品も大好きな人だったので、化粧品の事についても
HPによく載せていて、私も化粧品が大好きだったから、ホントに
参考にもなったし、そうかそうかと思って買ってみたモノも
ある。資生堂のインウイのリキッドアイライナーがそう。
これ見るたびに思い出したりもしてた。
(最近は、めっきり使ってないですケド・・・。)


最近でも無いのかな。
「依存姫」って小説を夏前に出して、自分がやっていた事と
同じ様な内容で、衝撃だったかなぁ。
私は、わりと依存傾向が強いので、この内容は辛かったかな。
病院に行っていたら、きっと依存症だって診断されていたと
思う。当時はアルコール、薬物、セックス、ニコチン、
買い物に依存していた。ちょっとでもかまって貰えないと
死んでしまいたい位に哀しくなったりもしていたし、自傷行為も
数回繰り返していたし、何度も病院に行こうと思ったのだけれども、
そう診断されてしまうのが怖くて行けなかった。

「買い物、整形、ホスト、セックス。私はどうして満たされない」
が、サブタイトルだった様な気がする。

どうして満たされないのか。
何をしても穴が埋まらなかった。

穴を埋めるのに、色々な事を繰り返して、傷ついて傷つけて
色んな事を少しだけ学んで、なんとかこんな風になったりも
して、今になって読み返したりしても、感情移入する事は、
するけれど、懐かしいなぁ。って単純に思える様になった。

まだ、風俗嬢だった頃から、菜摘ひかるが「沖縄はいい!」
とさんざん書き、写真をアップしていたりするのを、見て
沖縄に漠然と行ってみたいと思い始めて、トシユキ君に聞いて
も、「行ってこーい」と言われていた場所だった。

BBSにどうして風俗辞めてしまったんですか?
って書いた覚えがある。
レスが「やりたくない事をやりたくないだけです。」
って一言だけついていたのを、今でも覚えている。

今年の1月に、起きてシャワーを浴びて下着を選んで
化粧して、玄関から出れない状態が続いた。
出るまでが、本当に辛くて泣いていた。
よくアツコに励まされた。
今年の2月に予約した客が、ホテルで待っている状態の時間に起きた。
もう、限界だった。
完全にからだが拒否していたんだろう。

やりたくない事はしたくない。

それでお店は辞めた。
そのまま2月の誕生日に沖縄に飛んで、今に至ります。

今月の15日に新刊が出ると、HPに書いてあったので、
ずっと探していたんだけれども、なかなか見つからなくて
発売日が変更になったのかと思い、HPを覗いたらこんな事に
なっていて、かなりショックを受けています。

<ご報告>

菜摘ひかるさんは、お体の具合が急変し、この4日、永眠されました。
ここに謹んで彼女の著作を愛してくださったみなさまにご報告させて
いただきます。ご葬儀はすでに近親者のみで行われました。

本当に歳も近かったし、思い入れもある作家さんだったので
かなりショックで落ち込んでいますが、彼女の日記や本やHPに
出会えた事は、良かったと思っています。


ご冥福をお祈りしています。








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ケジメ - 2002年11月27日(水)

仕事をすっぱり辞めてきた。
仕事って言っても、グチ聞きだけだったしなぁ・・・。
決めた事ならいいよとだけ言っていた。
後は延々、病院の事と病気の事だった。

辛いのは解ります。でも、もう私を解放してください。

病気はかなりらしくて、身体障害者手帳を保有するらしい。
そんな社長を見捨てる事になるのかなぁ?
でも、遅かれ早かれこうなる事は、この日記にもずっと
書いてきていた事なので、何も思い残す事は無い。

昨日の日記で彼氏が出来ました。
と書いたら、メールが着て嬉しかった。
ありがとう。
一人は高知に住んでいるアツコだった。
アツコはヒロに会った事もあるクセに、
「彼氏の顔が見たいわ〜」ってメールをくれた。(笑)
電話して、「この先どうすんねん?」
って、本当にどうしようかなぁ〜。とか思ってマス。
また、働きますよ。ただ、この先のヒロの動き次第で
決まる事が多くて、どうなるかは未定なのであった。
取りあえず、バイトにでも行こうかなと考え中。
この先、どうなるかなんて解らない。
ヒロは一緒に住みたいから、部屋借りるから出て来いとまで
言ってくれている。働きたくないなら別に構わないから
とまで、言ってくれる。嬉しい。

マジで嬉しい。

ずっと、自分のオヤジみたいな人と付き合いたかった。
それが、私にとっての身近な男だったからなのかもしれない。
なんせ私の家は、女ばかり4人もいるから。
だから、どうしても付き合う人はオヤジと比べてしまって
いる所があった。オヤジに近かったのは、トシユキ君と
風俗嬢だった時にベタボレして辞めようとまで思って辞める
きっかけになった人だけだった。ただ彼らは、本当にオヤジに
似ていて、甘える事が出来ない人達だった。
だからか私もワガママが言えなくて、そのまま終わってしまった。
でも、今でも尊敬はしているし、大好きでもある。
ヒロはそういう意味では、甘える所は甘えるし、強い所は強い。
いつもボーっとしてるけれど(苦笑)

だから、きっと上手くいってるのだろうと思う。

一年私を見てきている訳だけれども、嫌われなくて良かったなぁ
とか思ってる。
それから沢山話す事が出来るようになったのが、良かったのだろうと思う。
話して、ケンカしないと進まないってようやく解った。
今まで、それがずっと出来なかった。
どっちかが、一方的になるケンカは意味が無かったんだなぁ
って思う。まぁ、今でもかなり私の方が一方的なのですが・・・。

あと、オヤジより格好良くなって欲しいデス。

妹がオヤジに言っていた言葉を思い出す。

「私に彼氏が出来ないのは、オトウサンが格好いいからだ。
 ばかぁぁぁぁ!」

禿同(藁)

激しく同意(笑)






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EASYCOME EASYGO! - 2002年11月26日(火)

ヒロと付き合う事になった。

私達は、他人から見たら付き合っている様に見られるが、
付き合ってはいなかった。
付き合うと面倒臭いから嫌だといつだったか言っていた。
何が面倒臭いのかと言うと、束縛される事とか、毎日、毎晩
電話をしないといけないとか、メールの返事はしなくちゃ
いけないとか、どこで誰と飲んでるとか、そういう事を言われる
のが、とても嫌だったらしい。
私もそういうタイプで気分屋さんなので、電話したくなったら
するし、メールの返事も気が乗っている時は、返事するしで、
わりと気ままなタイプだったりする。

ちょうど知り合ってから、一年経った。

一年私を見てきて、大丈夫そうだ。って思ったのかな。

嬉しかったし、良かったって思ってる。

名古屋の男と別れてすぐにこうなってしまうのは、不謹慎なの
かもしれない。けれど名古屋の男に対しては、10月くらいから
何かを決めていた所があったので、まぁいいかと思ってたりも
する。何が好きで付き合っていたのかすら、思い出せなくなって
しまっている自分が、哀しいけれど・・・。

ヒロは照れ屋で無口なんだけれど、気の良い奴でそういう所が
好きなんだろうなぁ。あと大きい所も好き。あ、チンコだけじゃない
デス。背とか背中とか気持ちとか。そういうの。
まぁ、大雑把とも言うのかもしれないんだけど・・・。
強いしね。
そうやって強い人を見てると、自分も頑張らないといけないなぁ
って思ったりもする。
だから、イラナイモノやクダラナイ気持ちは捨てて、また一から
始めないといけないのだろうと思う。
手を繋いで同じ歩幅で歩いていきたい。
転びそうになったら、助けたいし、助けても欲しい。
二人で転んでもいいかな。とも思う。

まだまだこの先、長いからゆっくり大切に過ごしたいと思ってる。

*最近のテーマソング*

さよなら言われた後で もう振り向かない
別れにすがって生きる 女にはなれない

濃密な夜を思い出せば 泣けてくる程切ないのに
抜け殻になるのはヤだから 君はまた 独りきり

踊ろうよlady 優しいスロウダンス
また始まる 眩いShowTime
泣かないでBaby 力を抜いて
出逢いも別れも EASYCOME EASYGO!

夢にまでフラれそうで 思わずぞっとする
そんな日をどうか耐え抜いて 明日にバラを咲かせよう

昔 卒業の寄せ書きに 書いた事のあるクサイ言葉
「逆境にくじけるな」と 今自分に言い聞かせて

 
踊ろうよlady 優しいスロウダンス
ぐるぐる回る 世界のなかで
泣かないでBaby 力を抜いて
金も恋も EASYCOME EASYGO!

生涯 最愛のものを手に入れるまで
晴天ばかりは続かない・・・・・体が気づいてる
過ぎた時間はすべて DESTINY 今の君を産んでくれた

踊ろうよlady 優しいスロウダンス
また始まる 眩いShowTime
泣かないでBaby 力を抜いて
くやしさを忘れないで 
踊ろうよlady 優しいスロウダンス
笑われても あくまでマイペース
まだまだまだ 盛り沢山LIFE
幸も不幸もEASYCOME EASYGO!
 
                by BZ



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現実 - 2002年11月25日(月)

変な時間に眠ると、変な時間に目が覚める。
そんな事はいつもの事で、充分承知している
けれど、そうやって目が覚めると、ロクでも
無い事ばかり考える。
更に酒を飲んだ所で、眠くなる訳でもなくて
妙に冷静なアタマで、考え始めていた。

もうすぐ東京に帰らなくてはいけないし、
そうなったら現実が待っている訳でって
色々考えたらメールしてた。

社長には辞めるって言わなくちゃいけない。
具合があんなんだから、少し待ってから言った
方が良いのだろうけれど、そんな事を続けて
いたら、いつになっても終わらない。
だから、帰ったら話しがあるのでってメール
した。返事はこうだった。

「そうなんだ。彼氏ができたんだろう?態度みれば
わかるよ。残念だけど俺の手伝い所じゃないよね。」


勘違いもイイカゲンにして欲しかった。

手伝うって何ですか?
ご飯作る事なんですか?
彼氏が出来ようと出来まいと、仕事はしっかりしてました。
自分が納得出来た仕事はしっかりしてました。
責任ある仕事ならしてきました。

でも、グチ聞いたりご飯作る仕事なんか、納得出来ない
んです。親にも言えない仕事はしたくないんです。
ただ、それだけなんです。

もう、解放して欲しかった。

楽で良い仕事だったけれど、掴んだ感じがしなくて
途中からウンザリしていた。
でも、カネが欲しかったから、へらへらして話し聞いて
心配してるフリを装って、給料を貰っていた。
もう、そういうの疲れた。

貸してるお金だけ返してもらって、もうオシマイ。
うん。そうしよう。

カラダの具合が悪くて、大変だろうとは思うけれど
奥さんにも離婚されて、娘はお見舞いなんか来なくて
お母さんも病気の事わかっていなくてってそんな家庭を
築いたのは、社長だ。
もう食事療法しか手段がないのに、誰もアナタの病気を
理解しようとしてくれていないからって、私に甘えるの
は止めて下さい。
私は、恋人でも母でも妻でも娘でも無いんです。

今までが、ダメだったからって投げ出さないで、今から
また家庭を立て直せばいいのに。


建築家なのにね。





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天保山 - 2002年11月24日(日)

毎度おなじみのデートコースなんだなぁ。
今日は、天保山でデート。
海遊館でデート。
ジンベイザメはでかくて好き。
あの辺はぶらぶらするのも、丁度良くて
のんびり歩いたり、ちょこちょこ食べたりして
呑気な時間を過ごした。




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甲子園 - 2002年11月23日(土)

大阪って大好きなのに迷う・・・。
地下鉄に乗っても、必ず反対方向に行って
しまうし。
あぁ・・・。どうしてこうドジなのでしょう。
しかも相変わらず寝坊なぞしてしまったしで
甲子園に行く為に、大阪に来てるのに、着いたら
午後でした。
でも、楽しかったなぁ。
こんなに楽しいのなら、やはり早くから行けば
良かったなぁとか思いながら、外野席で日なたぼっこ
しながら、家族連れとのんびり眺めていた。

その後、京橋で会食予定だったから、早々に引き上げて
きた。
なんだかんだで、関西弁を聞きながら楽しかった。
食い物も安いし、活気があって楽しかったデス。




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大阪にて - 2002年11月22日(金)

のんちゃんと大阪に来た。
のんちゃんは、大阪で彼氏さんとデート。
本当に可愛い人で、こーんな彼女さんがいる彼氏さん
は、幸せな人だなぁって思う。
私が男だったら放っておかないっす。
あぁ、でも四国のあっちゃんも彼女に欲しいなぁ〜。

まぁ、そんならぶらぶな二人の間に入れる訳もなくで
私は心斎橋のデザインホテルに泊っている。
ここは、去年もあっちゃんと泊ったホテルで、かなり私は
気に入っているので、予約がとれて良かったなぁとか
思っていたりする。
心斎橋からなんばまで歩いて、金龍でラーメンを食べて
たこやき買ってと、かなり御満悦な時間を過ごしております。

月曜日まで大阪にいる予定なので、何をしようかなぁと
考え中だったりします。
わーい。大阪大好き。

楽しいです。



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同居人 - 2002年11月21日(木)

私の同居人は、ちょっと難しい人だと思う。
彼とは、かれこれ4年近い付き合いになり、
一緒に住んでからは、3年位になる。
私はその3年間で実家に帰っていたり、昨日
書いたトシユキ君の部屋に、居候していたり
はたまた、名古屋に通いつめたり、沖縄だ、
北海道だとかなり部屋を空けたりもしたし、
風俗嬢だった事だって知っている。
いつだって彼には、イイカゲンだったと思う。
そのクセ、不平不満ばかり言ったりもしていた。

そんな彼と、今年は部屋を出る出ないでモメた。

さすがに、結婚もしないで一緒にいるのは、
お互いに良く無いだろうと思うからだ。
親も一緒に住んでいることは知っている。
最初は、結婚するつもりで〜。って事で
同棲を許して貰っていた。
それが、さすがに結婚スル気も無いまま暮らして
いるのは、とても不自然だっって話しになり、
同居人にも悪いだろうって話しにもなっている。
私も、そう思ってはいたので、引っ越しの話しが
夏くらいに、かなり盛り上がっていた。
その頃、私は社長と付き合っていたのと、名古屋の
男とも付き合い始めた頃で、かなり金銭的に不安に
陥っていた。
それと、今、住んでいる場所がとても便利で離れるのが
嫌だった。いつのまにか人気エリアになっていて、家賃
が高くなっていて、コレだ!って物件が見つからなかった。

今月は、色々な事を考える月間だったようで、さすがに
一緒に暮らしていては、いけない様な気持ちになって
きたので、また部屋を出たいんだ。と切り出したら、
自室に戻れと言われ、彼の部屋に置いてあった、私のモノを
私の部屋に投げ込まれた。

まぁ、仕方が無いだろうとは思う。

またしても、自分勝手な言い草だったから。
でも、いつか出るって事だけは、覚えていて欲しいのだ。
そうじゃないと、私はいきなり飛び出して、帰ってきたら
もぬけの殻になってしまうからだ。

同居人は、難しい人じゃなくて、きっと常識的な人だと
思う。
ただ、一人っ子なので、世話を焼くとかそういう事とか
が、私とは合わないんだろうと思う。
気を遣うポイント所も私とは、ずれているような気がする。
って、私がオカシイのかな?(笑)










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どんなに時が流れても君だけはソコにいて - 2002年11月20日(水)

最近、オトモダチになってもらった、のんちゃんと
新宿で飲んで遊んできた。
のんちゃんは、ちょい天然だけどめっちゃ気遣い屋さんで
かなり楽しい人だった。
しかも、酒が強くて私ったら、すっかりやられっぱなし
でした・・・。よろろ〜。
久しぶりに、女の子と楽しく飲んで食えたので、良かった
なぁとか思う。
この先も、仲良くやっていきたい人だった。
どうぞ、よろしくデス。(笑)

久し振りにトシユキ君とも電話した。
彼は、私がいた前のどうしようもなくくだらない会社の
同僚で、戦友とも言えるのかな(苦笑)私が鬱で会社を
辞めた時に、部屋に置いてくれた人だった。まぁ彼氏とも
言うのかな。トシユキ君は、本当にイイオトコで私は大好き
だったし、今でも大好きだ。
鬱で、引きこもりで、口も聞けない、食えなくて毎日泣いて
いたけれど、黙って部屋に置いてくれた。
同じ業種で仕事内容も同じで、彼は私以上に厳しい店舗を
やっていた。
何ヶ月も休めないで、朝は6時には部屋を出て、帰宅するのは
午後11時過ぎだった。
それでも、嫌だとか辛いとか言わない人だった。
唯一、背中だけが何かを物語ってたかな。

彼には、今でも恩がある。

色々して貰ったのに何も出来ず、それが嫌でまたシゴトを始めた。
外に出られる様になった私の事を、彼は祝福してくれた。
安易な発想のシゴトをしている時は、安易な人間しか寄ってこない。
何処かで、私は病んでいたのだろう。
そういう時は、そういう奴しか寄ってこなかった。
その病んだ奴に熱を上げ、金まで使いきって、トシユキ君とも
別れた。
今だったら、考えられないコトをした。
あの時、彼にもう少し甘えてしまえば良かったのかもしれない。
他人に甘えるのは、苦手だ。
特に、金銭絡みは本当に嫌だった。
そういう思いは何処かで伝わっていたのかもしれない。
トシユキ君と別れて、私もフラれてしまって、私はまた鬱だった。

それでも、弱ってるトコ見せたくなかったので、暫くメールも電話も
我慢していた。
今年になって、元気になってきた頃に電話を貰って、また、お互いに
話す様になった。


電話でも、相変わらず、強がりさんで可笑しくて笑い転げた。


最近、私は自分の中で何かが動き出し始めている。
それで良いんだと思う。
その結果が、友達って形で残って来ている。
古くからの友達。
新しい友達。
自分が、気持ち良い奴じゃなければ、気持ちの良い奴は
自分の周りには来ないから。
どうぞこのまま気持ちの良い奴が、周りにいてくれますように・・・。








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オヤジ - 2002年11月19日(火)

またしてもオヤジと試写会に行って飲んだくれて
帰ってきた。
なーんかオヤジには、やっぱり嘘つけなくて
今の仕事の状況を言ったら、ハッキリ一言
「辞めろ」と言われた。
私もそう思っていたので、そうしようかと
思っている。
そんなの、ただの妾でしかない。オマエが言えないなら
俺が言う。
そう言ってくれた。
やっぱり家族は大事。
社長も腎臓がなくなって大変だろうと思うけれど、
血の繋がった奴を頼れと思う。
明日の栄養相談は行く。
全部、メモも取る。
そしてそっくりそのまま娘に渡してくれと思う。
さすがに入院中だから、今は言う気がないけれど
今年の終わりには、金も返済して貰って、辞めようと思う。
そして、今、同居人と暮らしているけれど、やっぱり部屋は
出ようと思う。
このままダラダラしていても、お互いの為にならないし
ケジメもつかない。
今年は、きっと精算の年なんだろう。
この先、また嫌な事も沢山あるだろうけれど、今までのツケだと
思うしかないだろう。

本音を言えば、名古屋のぬるい男からも金は返して欲しい。
そしてぬるい社長からも返して欲しい。
どうしてコイツらは、気持ちすらくれないんだろう。
ただ、自分の選択ミスだから、自分を責めるしか無いんだろうけどね。

また期間限定で風俗を始めようか、本気で迷う。
ただ、今回は金がメインなので、感情を殺す事が出来る様な
気もしてる。あーんまりやりたくないんだけどねぇ。

金が返ってこなければ、また始めるだろうと思ってる。

借金だけは本当に嫌だから・・・。
他人から金借りてのうのうとするのは本当に嫌だから。


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お見舞い - 2002年11月18日(月)

社長のお見舞いに行った。
本人は元気そうなんだが、病気はヤバイ
らしい。腎臓が機能していないらしい。
今週中に退院出来るらしいけれど、本格的に
食事療法になるらしい。
よって、水曜日は栄養相談に一緒に参加する。
本格的に賄いスタートな感じになってきた。
新聞、雑誌を切り抜くよりも、食事を作るって
仕事になりそう。
まぁ、私次第で病状が良くも悪くもなるのならば
私は頑張って食事を作りますよ。


最近、どういうわけか、昔付き合っていたタカスミくん
からメールが来る。
タカスミくんは、私よりもの凄く年下で、本当に可愛くて
仕方なくて、かなり溺愛していた彼だった。
だからって、軟弱とか男として腐ってるとか、そういうタ
イプでもなくて、竹を割った様な性格とモデル並に足も
長くて、顔も小さくて綺麗だった。
その彼も、どうやら彼女と別れたらしく、誕生日も近い
しで、寂しくてメールしてくるのかな?
今、長期出張中らしく東京はもうクリスマスなの?
あぁ、クリスマス〜。
なんてメールが来る。
帰ったら、遊んでね。おひめさま抱っこしてあげるからねぇ。
なーんて、弱い言葉が並んでいた。

久し振りに、若いくて可愛らしい子とデートになりそうで
ちょっと浮かれていたりします。


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逮捕 - 2002年11月16日(土)

かなり久しぶりに、コスプレをしてみた。
かれこれお店にいる時以来なので、一年振り
位になるのかなぁ。
お店を辞めてから、太ってしまったのもあるし、
年も年なので、そんな事出来ませんとか思って
いたのですが、久々にやってまいました。

しかも、

「ミニスカポリス」

自爆・・・。

開き直って遊んでました。

「そこの女子高生!万引きしたわね!!」

って女子高生役に聞くと

「ほ・・ほんの、物心ですぅぅぅ」

「モノゴゴロ???」


「デキゴゴロやろ・・・。」



そしてそのまま、ぷち女王様の悪戯が
始まるのでした。





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大阪襲撃予定 - 2002年11月15日(金)

突然ですが、来週大阪に行く事になりました。
行きたかったので、結構、嬉しかったりもする。
ココで知り合った、日記作家さんと行く事になり
ました。もちろんヒロも一緒です。(苦笑)

USJにも行って、天保山の海遊館にも行く予定。
あの辺は好きだなぁ。
なんだかんだで、USJは4回目なのか・・・。
しかも今年入って2回目。マニアみたいだなぁ・・・。
本当は違うんですけどね。
そんなこんなで、急にホテルの予約だのなんだかんだ
していたりもします。
初日は、アツコと泊まったデザインホテルに宿泊予定。
あそこはPCもあるので、更新も出来るかな。
カネは無いけれど、結構楽しみだったりする。

「借金してでも旅はしろ」

と旅好きの日記作家さんも言っていたので、行ってきます。


社長は相変わらず入院してるらしい。
今日、久しぶりに電話したら
「見舞いに来い」
と言われたので、明日にでも行ってこようかと思う。
なーんか元気そうだったから安心した。
どういう訳か、一緒に栄養相談をうける事になってるらしい。
っていうか私、栄養士なんですけど・・・。

まぁ、退院したら本当に賄いをやらなくては
いけないみたいなので、まぁそれも良いかなぁと
思いながら日々を過ごしております。
よって、最近はお料理ザンマイしてます。
でも、いつも分量が多くて何日も同じモノ食べたりしてて
苦痛だったりするんだな。(苦笑)

そうそう、食費横取り計画はダメだった・・・。
うぅ。無念じゃ。
でも食材の事話して割り勘にしてもらおうかな。
なんせ、ちょっとビンボウな私なのでした。
だったら大阪に行くな!って感じなんだけどね。
しかも来月は石垣島が決定してるし・・・。

まぁ、何とかしてみますわ(笑)





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タイトル変更 - 2002年11月14日(木)

なーんかタイトルがなかなか気に入らなくて
また変更してみた。
そう、「首輪」ってタイトルにした頃は、まだ
SMなんかやってたりしたし、誰かに拘束されて
いたかったのだろうと思う。
けれど、やっぱり私はワガママだし、何処でも
自由に行ってしまいたいので、首輪をしていても
無駄なんだろうなぁ。と思ったりしてので、タイトル
変更しました。

今日は久しぶりにSMチャットなんぞに行って、話しを
しちゃったりなんかしていたのだけれど、どうやら私
には、主従とかそういう言葉は、当てはまらないみたい
だし、そもそも無理なんじゃなかろうか?と、思ったり
もしている。

きっと、SMを始めた頃から、私にとってはゲームの様な
モノでしかなかったのかもしれない。
いつも何処かが冷静で、駆け引きみたいにやりとりをして
服を一枚ずつはがされて、快楽を貪る事が好きなだけだった
のかなと、改めて思ったりもした。
服をはがされても、心までは剥がす事は出来なかった。
唯一、冷静なままでいられない人がいて、私はその快楽を
まだ、何処かで探しているのだろうとも思う。

でも、なかなかそんな事を出来る人はいなくて、私はその人に
された冷たく甘美な悪戯を、今度は誰かにしていくのではない
だろうかと思う。
そう、冷たくてそして官能的だった。

その人は言った。


「SMって出来ないんだよね。」



だからその行為が何だったのかは、本当は解らないけれど、
あの時の悪戯は今でも忘れられない。


だから今度は私がしてみようかと思う。
まだまだ、経験不足だけれども。




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晩飯 - 2002年11月13日(水)

北海道から帰ってきて、荷物の整理をするのも
億劫だったのだけれど、ようやく片づけた。
洗濯物が多い事がブルーだった。

最近の私ときたら、ちょっとばっかり料理好き
になっていたりもする。
今日は、ロールキャベツのポトフ風。
野菜がたっぷり取れて、カラダも暖まるし、簡単な
料理なので結構、お気に入り。
ついでに、ハンバーグも作ってみた。
明日のお昼用。(笑)

しかし、料理を作るのは良いが、買い物が面倒で仕方ない。
私の家は、まぁスーパーの側にはあるのですが、何せ坂の
上にあるので、食材と酒を持って坂道を登るのは、
とっても鬱な作業だったりする。

ついでに言うと、同居人と私との生活費と言ったら、
食費は各自。
備品は、無いと解った方が買う事。
って事になっているので、この食材費は誰が持つんだぁ。
今月、あと残り2万円で過ごさなくちゃいけないのに、
3200円は、出費な感じ・・・。

ううぅぅ。
考えた私は、夕食500円也。大盛りサービス!ってな
メールを同居人に送りつけ、ちゃっかり食費を浮かそう
って魂胆なのだった。
むふふ。一週間で、元が取れるかも。(笑)
調子こいて、食材を上手く使ってさらに倍!ドーン!
って感じかも。
よし、この作戦で行ってみよう!とか思ったりしてる。


料理は嫌いだが、得意で良かったとか、改めて思う。





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旅 - 2002年11月12日(火)

今回は、唐突に「最北端に行きたーい!」って言う私の希望で
北海道に行く事になった。

一緒に行く奴は、野郎でヒロだ。
ヒロとは、去年からの付き合いで、今年になって沖縄、宮古島、
高知と旅行してきた。
高知には、私の親友が住んでいて、親友にも紹介したりした事もあった。
私とヒロとの間柄は、何て説明したらいいのだろう?
その当時は、旅トモって感じだったのかな。
その後、名古屋の彼と付き合い出したりとかで、彼氏出来たから旅行は
出来ないよ〜。って言ったりして、暫くはメールするだけの関係だった
りもした。そんな感じで夏が過ぎて、なんとなく私の頭の中で名古屋の
彼との事で、ややノイローゼ気味の時に、電話を貰って飲みに行く様に
なって、遊ぶ様になった。きっとその頃から、名古屋の彼との関係は、
私の中では終わってしまっていたのだろうと思う。
だからって、ヒロは私と付き合おうとか、そんな男、別れてしまえとか
そういう事は一切言わない奴だった。
引きこもりがちな私を外に連れだしてくれたのも、奴だった。

名古屋の彼に、北海道に行く。って言った時には、もう私達の関係は
終わっていただろう。そして彼がいるまま一緒に旅行するのは嫌だった
から、旅行に行く前に別れた。
それで良かったんだと思う。

北海道の寒さは、半端じゃなくていかに東京がぬるい所なんだなぁ
って、再確認出来る様な所だった。
宗谷岬の風は冷たくて、耳元で本当にぴゅーって音が聞こえる。
風に当たっている所は痛くて、どんどん身体が冷たくなっていくのが
わかるのだけれど、それが本当に心地が良かった。
そして、外が寒い分だけ北海道の人達は、温かくて泣きそうになった。

夜は、地ビールから地酒で今回の旅で初めてヒロとよく話した。
ヒロは、わりと人見知りだし、顔がちょっと怖いのと、背もデカイの
とでかなり威圧感があったりもする。(苦笑)しかも口下手だったり
するが故で、無口なので、(本人はクールと言う表現が好きらしい)
何考えているかわからない人に見られるらしい。
私はあんまりそう感じなかったけれど、今回の旅ではお互い酔っぱらっ
て、どこまでも話した。
色んな事を言い合い、色んな事が解った。
彼の悲痛な過去も知った。
今まで誰にも言わなかった、言えなかった過去だった。
そんな事があったからなのか、彼の言葉には重みがあった。

旅行の途中、ケンカもした。
最終日に、富良野で追突事故にあって、病院に行ったりなんだかんだで
予定がほとんど流れてしまった。札幌に向かう途中では、高速で吹雪き
に見回れて、前がほとんど見えない状態で運転してもらった。
ススキノでお土産を買おうって話しで、到着したはいいけれど、あまり
の人の多さと、歓楽街だが故の欲望みなぎる感じが、私達はとても苦手
だった。私はイライラしてヒロに当たっていたし、態度もトゲトゲしか
った。カニだけ買ってススキノを後にした。お互いに車の中では無口だ
った。お互いが苛立っているのが、空気でわかる。八つ当たりは良くなか
ったなぁって思って謝った。悪い事をしたと解っているなら、格好悪いと
か、意地とかそんなのどうでもよくて、謝らなくちゃイケナイんだ。

「ごめんなさい。」

言ったと同時に涙が出た。泣いているって思われるのは嫌だったから、
窓の外を見ていた。
その後、仲直りをして相変わらずバカをやって、調子こいて途中で、
ラーメンなんか食べていたら、最終便の飛行機3分前に空港に着く
始末だった。走りながら飛行機に乗るのは、初体験だった。
手荷物検査なんかも走りながらで、かなり楽しかった。(苦笑)

私とヒロの旅は、いつでもいい加減でふらふらと何処かに行く。
毎回そうだったけれど、北海道は広すぎた。(笑)
そして、私達の関係も他人から見れば、非常にぬるい関係だったり
もする。付き合っているとかそういう認識は、お互いに希薄だ。
それでも、お互いが必要だと思う時は、何があってもすっとんで行く
のだろう。
そんな関係でも良いのかと思う。
私達は、他愛の無い話ししかしないけれど、お互いの微妙な空気感や
距離の取り方を非常に大事にしているんだろうと思う。
それは、アツコやねいさんやアライ君にしてもそうだろうから、私の
周りにいてくれる人達は、本当に大事にしたいと思っている。

旅はいいね。








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次回旅行 - 2002年11月11日(月)

毎回、旅行は前日に羽田の側に泊まって、帰って来た日は品川辺りに
宿泊している。今日は品川です。
北海道は、本当に広くて移動するのが、本当に大変だったし、雪は降るし
吹雪いてるし、路面凍結だしで、すごく大変だったいけれど、途中の
道っぱたで、キタキツネに遭遇したり、鹿の親子に遭遇したりで楽しかった。でも、一番楽しかったのは、稚内の小さい居酒屋で、マスターと飲んで
話して、そこのお客さんに日本酒をご馳走になったりで、楽しかったなぁ。
翌日、最北端の宗谷岬は寒いのなんのって、昼の気温が5度しか無い!
それで海風がびゅーびゅーで、どうしようかと思ったけれど、すごく良い
所だったなぁ。ノシャップ岬には、最北端の水族館があって、あざらしが
人なつっこくて可愛かった。
寒いところだけど、人は温かいところだったかな。

まぁ、最終日には事故にも遭遇し、飛行機には乗り遅れそうになり、
かなりエキサイティングで楽しかったけれど、これもまた良い旅だった。
そして、どういう訳か、もう来月には石垣島に行く予定になっている。
今度は、最南端を目指して飛び回るのであった。
どうしてなんだか、沖縄好きなんだよねぇ。
今年、3回目の沖縄。
また、楽しんでこようと思ってる。

沖縄の前に、大阪って話しも浮上しているのですが、どうなるんだろう。
まぁ、いいか。
大阪はずいぶん行ってない気がするなぁ・・・。
って思ってたけど、今年すでに3回行ってるのだった・・・・。
でも、なんか印象が薄いんだよなぁ。
景気ずけに行って来ようかなぁ・・・。
しかし、隣で「大阪行くより沖縄の方が安いんだなぁ」
って言われている・・・。
とほほ。
どうなるんだろう。















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北海道 - 2002年11月10日(日)

最終日は、散々な事になった。気ままだったが故に、温泉と景色だけ堪能してたから、今日はかなり早起きして出発したら、追突事故にあって、病院行ったりなんだかんだしてたら、何処にもまわれずに最終便の3分前で、走る走るで、お土産も買えずに帰ってきてしまった。あぁ。なんてことなんだろう。次回はもう少しだけ、計画するかな。苦笑。次はイリオモテかな。笑


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ぬるい奴 - 2002年11月08日(金)

北海道で色々考えたりした。

一緒に行った奴は、私の旅トモって感じかなぁ。
丁度、去年知り合って今年の誕生日に沖縄に行きたくなって
旅に付き合ってくれた。
ちょっと無口で、何を考えているのかが見えないタイプだけれど
根は優しい人だし、情とかそういうのを重んじる人だから、こう
長く旅に行けるんだろうと思う。
今年は、奴と沖縄、宮古島、高知、北海道と旅をした。
どれも良い思い出だったりする。

その旅トモのヒロと、日本酒(鬼殺し)を飲んで、私は散々、
愚痴ったし、あたり散らしもした。
あげくに、潰れて先に寝たりもしていた。(最悪)

愚痴る事なんて、もちろん名古屋の彼の事しかない。
今年もまた一言で終わらされてしまった事に、私はショックを
多少なりともうけていた。
私が出した答えを、彼に言った訳だし、それに関してどうこう
言うつもりも無いのだけれど、あ、いいよ〜。薄々わかっていたし。
って、それだけってなぁ・・・。
その後、電話もメールも何も無いまま。
だから、どうのって言う訳でも無い。
今年も去年と全く同じで、気持ちが欲しかった。
そう、たったそれだけ。

今年、何回、名古屋に通ったんだろう?
そんな事を、眠る前とかに考えたりもしていた。
夏は、毎週の様に通って、ホテル代とか色々出費した。
そんな事が、数ヶ月続いた。
あぁ、付き合っていた期間中だけで100万以上彼に遣っていた。
そういう事を彼だって解っていたハズなのに、
別れる時の言葉は、たった一言だった。

ありがとうとかごめんなさいなんて、言葉はどこにも存在しなかった。
悪かったとかそういう言葉もなかった。
「あ、いいよ〜。北海道気をつけて行ってきなね〜」
ってそれだけだった。
言葉を期待した私もバカだったけれど、気持ちの無い彼には正直驚いた。
うん、本当に驚いた。
この人は、他人の金の事なんて、なんとも思って無いんだなぁって
そう思った。
そんな事は無いって思っているのかも知れないけれど、そうであったら
ソレは非常に、ぬるい考えなんだろう。
もう、これで終わりだっていうのに、何も伝わらない、伝えようとも
しない。そんな奴だったとはなぁ・・・。
今年は、大丈夫だろうと思っていたけれど、結局、去年と同じ様に
終わってしまった。

今年は、去年とは違っていて、自分から別れたという事に全く後悔して
いない。去年は、思いっきり未練があったけれど、今年は全く無い。
そこだけが救われている。
もう、コイツ、だめだなぁ。って思う奴は、バサバサ切ってきた。
そういうのは良くないし、俺は出来ない。そう彼に良く言われた。
ダメだなぁ。だからこうして。そう言ってきたつもりだった。
何回、言ってもダメなら仕方が無い。

金の事を、一番解ってるハズだと思っていたのに、残念だな。

カネのニオイを自分でまき散らしてると、そのニオイに集まって
来て、ニオイがしなくなれば、また他に行くんだ。だからカネの
事なんか、言っちゃいけない。

ヒロは、それだけしか言わなかった。


ぬるい奴の周りには、ぬるい奴しか集まらない。
私は、ぬるい奴には、なりたくなんかない。

彼が今後、どう生きるのか解らないけれど、私は彼と付き合って
いた期間、楽しかった事もあったけれど、それよりも自分の愚かさを
知った気がする。甘やかすばかりじゃ何のイミも無かった。
そういうイミで、私はぬるかったんだろう。
もう、この日記なんか読んでいないだろうから、書いてやる。

アンタ、おぼっちゃんだったんだよ。

私と別れて、色々考えて下さい。

















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相変わらず - 2002年11月07日(木)

行き先も決めていない気ままな旅をしてる。今日は、気ままに立ち寄った美術館でも、人の暖かさに触れた。今の私には泣きそうになる位に、嬉しかった。幻のラベンダーゼリーをこの美術館の人に、めちゃくちゃ調べてもらってしまった。この気持ちが嬉しい。旭川まで、買いに行ってきますぅ。ちなみに、昼間の気温4度です。


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稚内 - 2002年11月06日(水)

風も強いし、寒いけど、人は優しい。それが、凄い嬉しい。飲みやな親父に、十勝を勧められたから、必ず行ってくる。私は今まで、サービス業をしてきたけれど、旅をして人に触れてそれから、商売が成り立つんだと思った。必ずまた、この地には来ようと、そう思ってる。周りの人を見て、まだまだ小せぇなぁ。私って。そう思ったりした。


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冷たい季節 冷たいカラダ 冷たい海 冷たい私 - 2002年11月05日(火)

海の底に沈んだ私は冷たい海中でゆらゆらと、
海水と一緒に揺れていました。
手を離したのは私で、浮かんで行ってしまった
のは彼でした。
このまま、海の藻屑となってしまって消えてし
まおうと思いながら、ずっと目を瞑っていました。

ゆらゆら揺れながら、どうして手を離してしまった
のだろうと、その事しか考えられなくなっていました。

ある日、誰かが私の手を握ります。
思い瞼を開くと、彼が私の手を握っていました。
そしてその手に導かれるように、私は海中から浮上しました。

久しぶりに海面にあがり、太陽が気持ちが良いのだと言う事
を知りました。そして私達は貪るように求め合いました。
今までの空白を埋めるかの様に・・・。
刺す様な日射しは、いつかからか私の心まで刺し込み、風が冷
たくなる頃は、海水に濡れた私の肌から体温までも奪っていく
様になりました。
私の身体はいつからか冷えきり、また、彼の身体も冷え切り、
私達はお互いの体温だけではもう、温もりすら感じなくなって
しまいました。
私は、刺すような太陽の日射しがとても欲しくて仕方が、ありま
せんでした。
冷たい身体を押しつけ合っても、どんどん冷えて行く事が、苦痛で
しかなく、私は唇を紫色にしたまま、太陽の事だけを考えていました。

ある日、彼の温もりを全く感じられなくなってしまいました。
抱きしめている彼は、私を冷やしていく。
もう、私には彼を温めてあげられる体温も残っていない。
あんなに、求めあっていた気がしていただけで、私達は温もりだけが
欲しかったのです。
偽りの温もりは、必ずいつか取り返しがつかない位に、冷たくなって
しまう。
私の腕は寒さで痺れ、彼を抱きしめている力を抜きました。
彼は、いつかそうなるだろうと解っていたから。
そう言って、冷たい海の底に消えていきました。

私は沈んでゆく彼を見ないように、最期の力を振り絞って陸に上がり
ました。
よろよろと歩き、冷たく突き刺さる様に吹きつける風に向かって
私は歩きました。
突き刺す様な太陽を求めて・・・。


振り返った海原は、何も無かったかの様に、灰色でした。



7月の11日と29日の日記と繋がっているかもデス。
三部作になってしまった。
興味があったら、「熱帯魚」「海月」の順番で読んで
みてください。



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皮肉なモンだね。 - 2002年11月04日(月)

ここの所、色々な事を考えていた。
誰に対してでも何でもない、自分に対して
色々考えていた。

ちょうど去年、名古屋の彼がこっちに彼女と別れて
付き合ってくれと言いにきた。
スゴイ嬉しかった。
そして、翌日彼は名古屋に帰り、その晩、彼女が
別れたくないと泣きながら、彼の部屋にやってきた。
彼女を入れないで。
そう、私は言ったが、彼はそのまま彼女を入れて話して
なんとかすると言ったきり、何時間も電話を待っていた。
もう、入れてしまった所で終わったなとそう思っていた。
それでも、私の事が好きだと信じていたが、冷たい雨を
眺めながら、「彼女が来てるどうしよう。」と泣き声で
電話してきた彼と泣いている彼女とか、色んな事を思ったら
もの凄く面倒臭くなってしまって、電話してこう言った。

「ヨリ戻せば。」


それでも次の日には、愛してるよ。と言ってくれると
どこかで思っていたが、お返事はメールでたった一言。

「ヨリを戻しました。」

それを、私は彼の為に移籍した繁盛店に初出勤で向かう
電車の中で読んだ。
愕然とした。
どこかで、まだ好きでいてくれていると思ったが、その後も
そのままだった。
私は、半狂乱で睡眠薬とか色々やったりもした。
それでも死にきれなかった。
笑えない、食えない、眠れない。
そんな毎日を送っていた。
それでも、お店じゃ新人で、客も多くついて何の為にこの店に
いるのかも全く解らない状況になってしまった。
毎日が、埋まらなかった。
欲してる体温はココには無くて、汚い親父の体温で代替えして
隙間を埋めているつもりだったけれど、穴は広がって行くだけ
で、暫く狂っていた。

それで、彼にも彼女にも酷い事を何回かした。

その内、そんな事をしてしまった事を後悔して、謝罪した。
それから、また仲良くなったりもして、また付き合う事になった。

とてもとても楽しかった。
彼とするセックスもSMも本当に大好きだった。
後にも先にもあんなに気持ちの良いセックスを出来る人は、現れない
だろうと思う。本当にそう思う。

でも私の中で、彼の考え方にどうしても許せない所が、
また、少しづつ出てきてしまったりしていた。
それを、自分で納得する様にしてきていたつもりだった。
でも、それは自分を誤魔化して、自分に言い訳をしている様な
そんな感じになってしまい、そういう事を彼に言えない私って
一体、何なんだろう?
そう思ったら、もうダメだった。

何が好きなんだろう?
そういうのが、わからなくなってきていた。
セックスが好きってそんなのドウデモイイコトだと思う。
大切な事かもしれないけれど、それだけは哀しいなぁって
本音で思う。
私は、ソイツの生き様が好きだ。
そう思える奴と付き合いたいと思った。
彼は、他人に対して甘え過ぎだ。
それが私の結論だったし、そう思った瞬間に興味を失ってしまった。
キツイ事を書いてると思うけれど、これが本音だから仕方ない。
私も人の事なんか言えないくらい、甘えてると思う。
けれど、私達が一緒にいたら、お互いが甘やかして先に進めないと
私は思ったので、去年と全く同じ日に、別れを告げた。

「白紙に戻そう」

「うん、いいよ〜」

彼の返事はそれだけだった。

明日から、最北端へ旅に行く。
そこで、全てを凍らして来ようと思っている。

後悔?
そんなモノはしていない。





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食って笑った - 2002年11月03日(日)

アメリカンレストランの、プレオープンに招待されて
ねぇさんと行ってきた。
もう、めちゃくちゃな料理の多さに、驚きながらモリモリ
食べてかなりご満悦。

そのまま広尾のイングリッシュパブで、飲んでいたら、
ライブが始まって、めちゃくちゃ良くてついCDを買って
しまった。
なーんか寒い所で聞きたい感じがしたので、良い買い物
だった気がする。
ついでに、隣に乱入してきたニュージーランド人のお兄さん
とも、友達になったりして、めちゃくちゃ楽しかった。
彼は、柔道をやっているらしい。
なぜか、格闘技の話しで盛り上がってしまった。
しかし、相手は日本語が出来なくて、私と言えば英語が出来ない
ので、ヘンな盛り上がりだった。(苦笑)

今日も楽しい一日だった。


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親と話す - 2002年11月02日(土)

ママンがいきなり、こう言った。

「友達の息子が、俺は法律に触れる事と、親に迷惑かける事は
やらないから。って言ったみたいなの〜。アンタはどうなのよ」

「っていうか、そんなの高校生の時に言ってましたけど・・・。
 自分で責任取れない事はやりませーん。って。私は、親に迷惑かけても
 他人には迷惑かけたくないんで〜」

って言ったら、
「あぁそうかもね。他人に迷惑かけて、親に言えない
 親子状態っていうのは、私も嫌かもしれないわ。」

そんな話しをしていた。

相変わらずな我が家だった。



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すっかり冬だねぇ - 2002年11月01日(金)

最近は試写会だったり映画だったり良くみてます。
毎月1日は、映画ファンの日だったらしく、1000円だった
から、2本も見てしましました。
「サイン」
「容疑者」

どっちも面白かったかなぁ。
サインに出てくる女のコが、めちゃめちゃ可愛いかった。

その後、めちゃ飲みして阿呆だクソだと散々、毒をまき散らし
そのまま実家で死んだ様に眠っていた。
まぁ、でも楽しいから良いんだ。
ってツレはかなり迷惑なんだろうけど、あんまり気にしないのが
私と友達の間柄なのかな。
そうじゃなきゃ、お互いに付き合いきれないだろうと思う。
ポイント所だけ、気を遣い合っていれば全然問題無かったり
する。そういう付き合いが一番好き。
男でも女でも同じだな。

今日も良い日で楽しかった。


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