パンドラの箱
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自己の基準で他者の過ちを批判するのは簡単だ。
当事者にしか見えない真実を 傍観者である第三者があれこれ言う資格はない。
そんなこともわからないほどの無神経さは あいにく持ち合わせていないけれど。
目を覚ますべきは、他ならぬ、 あなた自身だということに、 あなたはきっと気付かないのだろう。
2007年04月21日(土) |
アンダンテカンタービレ。 |
望みを叶えるべく、存在することを、 我慢、と呼び、 忍耐、と呼ぶのなら、 一体その心はどこに存在すべきなのだろう。
自分の存在そのものを、 認知し、 許容し、 受容するべきなのを、 当たり前と思うのは、 傲慢ではないのか。
あたしが望んだのではない。 あたしは壊したいと願ったのだ。
それなのに。
あたしはここに「いてやる」のだ、と、 思い上がる傲慢さが、少しずつあたしの心を蝕んでいく。
私はなぜここにいるのだろう。 ここにはいたくないのに。 心はここにないのに。 もう、ここでは安らげないのに。
大切な人がそれを望むから。 私がここにいることが最優先項目だから。
その笑顔を守るために、 私はここにいなければならない。
それが正しいのか。 間違っているのか。
今の私にはわからないけれど。
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