ダンディズムスケジュール
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2002年05月30日(木) 初日が終って!

 泣いた!いろいろ失敗もあったけれど泣いた!今日は人生の財産、明日も財産になるのだろう。それと一つ目的達成!甥が観にくると言う事。ついでに姪も来る。これは事件だ!大人と言われる人たちが懸念する程のイメージをもった芝居を現役の中学生と高校生が観にくるのだ。俺は、男を見せる!奴らの人生の先輩として。それが今のオイらに出来る事だもん!がんばるさ


2002年05月29日(水) とうとう、小屋入り!

 早いものでもう今日本番です。今は深夜ですけど今日は今日、王子小劇場はとってもいい感じに仕上がっています。客演の二人に虐められながら頑張っております、はい。もう、俊と間宮さんはほとんど身内状態の雰囲気で醜団リンチの中に溶け込んでいて永年一緒に居るような気がします。しかしうちの劇団はちっちゃい劇団なのに今日もたくさんのお手伝いさんが来てくれてホント助かります!こんなにたくさんの人が出入りしていたかと思うと胸が一杯になってしまいました。公演終了後にそういった関係者、役者、お客様に僕なりのプレゼントを用意させて頂きました。(ここだけの話)それがどう言ったものかは説明できません!来てのお楽しみ。まぁプレゼントに感じない人もいるだろうし感じる人もいるだろうし様々だとは思うのですが今僕にできる精一杯の感謝です。楽しみにしておいて下さい。それではご来場心よりお待ちしております!


2002年05月28日(火) 飲んで・・・

 客演の人々と言っても伊藤。こいつはうるさい!とにかくうるさい!でも、かわいい!良かった。一緒にやれて。でも、うるさい!
誰か止めてくれぇー俊を・・


2002年05月25日(土) 丹羽克子について 1

 言うまでもなく芝居をやるきっかけになった人である。当時僕は旅行代理店のサラリーマンを止めて何かを探していた時でした!こう言っちゃアなんですけど芝居をやる気はありませんでしたというよりどう言うものかさえわかっちゃいなかったのです!ある日ふとした瞬間に目にしてしまったのです。劇団員募集のチラシを。毎日の繰り返しに飽きていたその時期まさになんでもいいからエネルギーの発散場所を求めていたのかもしれません。へたすれば宗教でも何でも良かったのかも知れない・・・でもその時はその募集への未来に全てをぶつけてみたい衝動にかられたのです。だから行きました当時丹羽のいた大学の劇団に。最初は・・・正直ショボイなぁ〜と思いました。なぜなら金にならないことに燃えているその同世代の若者達がよくわかりませんでした。人間不思議なものです!エネルギーが発散したいと思う一方で一生懸命やっている人を見ると引いてしまう所があったりして・・・だけど僕には続ける運命がありました。丹羽と同じ舞台に立ってみたい!純粋にそう思ってました。何もかもが変りました。いままでの人生観、価値観、人間の生きる意味を。彼女に出会って始めて知った事は人間の感受性、表現がこんなに豊かに存在していることでした。僕はこの運命を感じた事を誇りにしています。今もこれからも


2002年05月22日(水) 肛門時代 その3

 本当にホントオウに不思議な感じです。芝居の稽古をしている時に思う事なんですがこの空気時間がずっと続いていく、そう永遠なのではないか?本番がまだ遠い先のような気がするのです。一刻こく一刻と本番はちかずいているのにまだ遠い気がするんです。稽古もこれでよしと言う物が毎回出てきて終のないエンドレスゲームをしているような気がします。完成品に近い未完成を本番ギリギリ迄やっていくのです。いつも同じ精神状態を保つのは大変です。しかし常に挑戦していかないと居られないのです。この慌ただしい環境でこそ自分の平常心が養われるものだと感じます。そりゃ誰だって人の居ない静かな場所にいけば心安らぐと言うものですわ。だが役者たるものその空気を自分で作らねばならない、どんなに周りが動いていても止まっている人。止まっていても周りが動く。これは日常ある事ですが芝居と言うものはそれを自分で作って更に演じなければならない。なんか凄い難しくなってきたぞぉ〜 まぁ好きじゃなきゃホント出来ないよねこんなめんどくさい事。企画が出来て本番終了してかたずけまで約三ヶ月間芝居の為のスケジュールですからね。肛門メンバーを見て肛門!おいでカモン(くぅおうもん→こうもん)!なんてね


2002年05月20日(月) 初通し稽古

 今日なんとか通し稽古ができました。今回で三度目の肛門時代となりますがいやはや変るものですなぁ〜さすがに作品自体が変る事はないのですが役者で変る物でもあるのですねぇ本当つくづく感じます。後、やはり小屋によっても全然感じが違うと言うのもあります。大阪の應典院ではアトリエの四倍位の広さがありましたし、その前に公演した横浜STスポットのセットとは違う形になったのです。強いて言えば今回の王子小劇場は横浜と大阪の中間と言った感じでこれまたじゃっかんの変更が予想されるのです。あ〜ぁ頭が痛い!どうしたら劇的な作品になるのか今日も恍惚の苦悩に浸っていくのです。そして今回客演の伊藤俊のおかまぶり、間宮さんの厳しい女子高生ぶり、なんとも頼もしい限りです!考えようによっちゃぁ三十前後の大人が高校生やるところに今回の作品がすでにコメディを予感させているのかも?まぁ芝居の役者に年齢などないのです。そういう事です!


2002年05月18日(土) 肛門時代 その2

 再演のない再演。肛門時代とは良く思い付いたもんだ。丹羽の感覚には本当に考えさせられると言うかよくこう言った言葉がポンと出てくるかなぁと感心してしまう。よく役者仲間や知人達にこれじゃあ客が来る訳ないよ!などとありがたい御忠告を頂いちゃったりするがきれいごとのマインドコントロールメディアにすっかり動かされてる人々は皆こう言う。話が変るが子供の頃うんこに行きたいけど友達に目撃されるのを嫌い学校でのうんこにはかなり慎重に行かないと後でえらいことになるので中には授業中にもらす輩もいて運が悪いやつは長い学校生活をうんこにまつわるあだ名で過ごす運命になったものもいる。俺の知る限りのあだ名を並べると、ドボン、ばい菌、ゲーリ−などなど。ちなみに成人式の時にもそれはタイムリーに使われていた。大人になってもあらゆる所で耳にするのはやはりうんこの会話である。だいたいその辺での女の子の会話でも『今日、凄いの出ちゃった』などと電車の中で話すかよ!的に結構頻繁。よーするに日常。でも肛門時代がうんこと一緒か?と考えれば誰でもわかる。あえてこのタイトルにしたと言う事が僕としては皆にも考えてもらいたいとこなのです。僕は思いきってこう考える。今の便の状態に時代をつける。快便なら快便時代、便秘なら便秘時代。もうお分かりでしょう!人間の心と肛門の結びつき。肛門(心の)時代、今回テーマにする少年達の青春物語。


2002年05月16日(木) 今回の肛門時代 その1

 北区ケーブルテレビから取材と言うか北区のケーブルに告知したいのですが・・・どのようなないようですか?と。お茶の間にうつるんですか!そっそれはヤバいかも知れないなぁと僕。一応資料をいただけますか?いいですよぉと荷作り。あぁなんでネガティブな営業してしまったんだろう。もっとなんだぁ爽やかでぇ、恋愛もので、感動モノの作品です!とか言っときゃ良かったと思い資料と一緒に手紙をしたためたのです。タイトルは確かに肛門時代となっており確かにお茶の間で告知出来ずらいモノかも知れません。しかし僕らはいたって真面目に取り組み少年犯罪をテーマに作品作りしているのです。本当の私の気持ちはお茶の間の人々の反応、そして影響が知りたいのです。是非とも御検討下さい。的な事を書いて送りましたが、相当日にちはたってからやはりお茶の間では・・・他の作品の時改めてと言う感じで予想通り。僕の期待を裏切ってはくれなかった。
 リンチをオンエアー出来るぐらいの裁量をもったテレビディレクターないしプロデューサーなどいやしないのだ!お茶の間ではきれいごとが栄光でありドキュメントなど存在しないのだ。と又世間不振に陥った僕はある意味での決心をした。今まで声を掛ける事のなかった甥を呼び見せる事計画だ!おじちゃんとして大人としてしっかりと夢のない話を見せるのだ!これはある意味生きてる鶏をさばいて調理する現実を見せるような事である。これから食べるであろううまそうなその肉はいろんな犠牲をともない君の口に入る。青春とは大人になると言う事はそういった事だと見せてやるのだ。少なくても悪い事をしたと言う自覚をもった人間になってもらいたいのだ。よくわかんなくなって来たがそういう事だ。


2002年05月15日(水) 悩んでいます。

 思い起こせば八年前、当時稽古も世田谷区や中野区の施設を借りて毎日ジプシーのように動き回っていたのが思い起こされます。そこで僕は何度か人生の中で貴重な体験をしました。それは・・・まず世田谷区での事、管理人のおじさんが劇団名が悪いと言って入れてくれなかった事。当時は処女コレクションと名乗っていた訳ですが契約はSPDになっている訳でどっからどう嗅ぎ告げたのかばれてしまいガンとして入れては貰えませんでした。公演まじかで練習したいと言う思いが心の中で渦巻きでも入れてもらえず結局練習は出来ませんでした。そんな事が何回もありました。十人の登録なのに六人しか居ないから入れる事は出来ませんとか、声がうるさいので静かにして下さいとか、卑猥な言葉は使わないで下さいとか毎日が嵐のような日々でした。稽古の途中に管理人から注意されると役者の声が小さくなり稽古にならず「もっと出せ−」と葉っぱをかけ役者が「いや、でもあのここの施設つかえなくなりますよぉ」と「いいんだよ、二度と借りなきゃいいんだから!」そうして稽古場が無くなっていきました。リンチの芝居を見た事ある人ならわかると思いますがうちの芝居は絶叫、大音量、卑猥な言葉の応酬で(本番通りに稽古をしていますので)館内には当然響き渡る訳です。一役所の管理人としては当然注意はしますわなぁ。そういう訳で稽古場を借りました。その稽古場はまさしくオアシスの様に僕らの表現を潤いの深いものえと誘っていってくれました。しかし稽古場には経費が存在する訳です、いかに絆の深いリンチのメンバーと言ってもたかが四人の劇団員、思えばよくぞみんなして維持して来れたなぁ〜と思います。芝居のクオリティーをいつも同じまたは良くしたい、だから誰でもいい役など作らず作品を、やりたい作品を純粋に追求していこう!だから作品に合わない役者には即効止めてもらったし、またそういう意味でうちでやるのに100%やる気の人間でやると徹底した結果、少人数になってしまいました。  丹羽、宝田、ヒロアキ、けいちゃん、はるちゃん、福浦、可知さん皆、皆ありがとう、稽古場があってみんなで楽しかった、いろんな飲み会アトリエ公演、朝まで話したり柔術の稽古したり道具作ったり・・・今、劇団活動を休止する事になった今稽古場の廃止を目前にしています。一人残された僕は悩んでいます。ここを手放すかどうか?バラバラになっていく今、一人で維持していくのはやはり無理。やはり手放すしかないのだろう、そう!悩んでます本当に一人で女々しく感傷に浸りながら。


2002年05月13日(月) 人間万事塞翁が馬

 この言葉が胸にしみる。醜団リンチも活動休止を決めたのはほんの先月の事しかしそんな空気はこの何年間毎日のようにあったような気もするしこのままず−っと続いていく気もしていた。そしてその日はある日突然やって来るまるで決まって今日ですよと言わんばかりに。しかしなっなんと感傷的になっているのは僕一人だけ・・・Oh! ジーザス 後のB型三人衆はナチュラルポジティブシンキング 正直羨ましいぐらい書いたらきりが無いほど・・・いや逆に憎くなるぐらいマイペースなのだ!いかん、これでエネルギーを奪われてしまうのだよ、いかんいかん。そんな訳である意味この結果は自然の成りゆきと言う事で納得しようではないか。うん。とりあえず僕はお金をためて女の子に飯おごれるようになりたいです。えっこれが一応当面の夢です。ちっちぇーーーーーっ!


2002年05月12日(日) やってしまった・・・

久々に一日中寝ておりました。ダメだなぁ〜


2002年05月11日(土) カウントダウン!

 何と早いもので5月も十日を過ぎました。しかしはえーな時の経つのは本番まで二週間、光陰矢のごとしとは良く言ったもんだ!最近よく思う事はなんで芝居の世界に入ったんだろぉ、しかもアングラ・・・。はぁ〜今思うと昔からその気質は在ったように思う。高校の進学指導の時間にみんな進学とか就職とか当たり前のように決めているころ僕は陶器作りの職人になりたいと担任に言っていたのを今でも覚えているし今思えばなんでそうしなかったのだろうとも思う。みんなと同じ生き方は嫌だ、何か自分で表現したい!と思っていたわりにバンドをやる訳でも無く絵を描く訳でも無く田舎にはそういった先導者もいる訳ではなかったので悩んだ結果陶器作りになった訳だ。
 考えてみれば芝居を作る過程は陶器作りに似ているぞ。まず構想が在り、そして素材を用意する。これはあるもので済ましたりこだわったりその時の場合によるわな。そしてコネる芝居で言えば本読みと言ったところか、いい感じになって来たら形を作る、これは立ち稽古か。そして形の原形が出来上がる、通し稽古だな。模様をつけたり、色を入れたり取っ手をつけたり工夫をする、舞台で言えば大道具小道具の美術制作そして照明音響を決める。最後に焼く、本番に入る。焼き過ぎて割れるまたは火が弱くて崩れる、本番で緊張するまたはハプニングスタッフの失敗。いろいろ経験していいものが出来る。いいものが出来たとしても買われるとは限らない。テレビや雑誌では壊れても替えが聞く量産品が重宝される。時たま注目するがこだわる事をしらないのですぐあきる手作りの扱いを知らない為量産品に戻る。ブランドの意味を理解していない。馬鹿丸出し。そのくせブランドを持ちたがる。日本では生まれる土壌も育つ土壌もないので外国モノが幅を利かす。さらにそんな日本でこだわる。やっぱりアングラになるわけだ。リンチブランドはわかる人が持てばいい、作る方も見る方も。とりあえずリンチ商店は今回で閉店。


2002年05月10日(金) 生中継!

 今日はパラダイステレビのキャットファイト生中継でレフリーやってまいりました。スカパーのパラチャン入っている人は是非見て下さい。再放送あると思うしこれからちょこちょこと出るかも知れないので宜しくお願いします。


2002年05月09日(木) 将来の夢・・・

 まぁ少し前の話になりますが田舎に帰った時の話です。僕の家族は父と母、そして近所に長男と次男が住んでおります。僕が帰るとその日母屋に家族がゾロゾロと集まって来るのですがその日今は高校一年生ですが当時中学二年の甥と話をした時の会話です・・・
 おい!キャッチボールするか?お前野球部だろ! 
 ちょっと待って・・・(手帳を広げて)今から塾だからそんでその後太鼓(僕の田舎には五龍太鼓と言うものがある)にいってそれから〜(おいおい甥だけに!・・・まだあんのかい)アッセン(近所の知り合いの美容院)に遊びに行く約束してるから、塾の後三十分だったらいいよ。
 三十分ーーーー!さんじゅっぷんってなんだそれ・・・(ここで僕は一回目の崩壊をしている)じゃぁ何?お前が塾から帰って来るまでオラぼぉーっと待ってんの?そんで三十分のおきまりコースかよ!(だいたい僕は居酒屋とかギャバクラの何分コースと言う決まりにすでに気分がのらないたちなのです)なんでキャッチボールすんのに・・・!?うぐっあぐっ(二回目の崩壊) お前忙しいねぇーっのんびりキャッチボールも出来ないのかよ。
 おじさんが突然来るのが悪いんだよ−!
 まっ・・・まあなっ、お前何?いつもこんなに忙しいの?
 今日は暇な方だよ!
 あっそう・・・(三回目の崩壊、なんとか立て直して)
 お前将来どうすんの?なりたいものあんの?
 う〜ん・・・(おっ考えてるよ、ワクワク)そうだねとりあえず大人になっても怒られるおじちゃんみたいにはなりたくないなぁー
 (完全崩壊・・・その瞬間甥の頭をひっぱたき)
 おれだってなぁお前みたいな忙しい子供にゃなりたくねぇXYZXYXXXXX!


2002年05月07日(火) 選ばれし者の恍惚と不安二つながら我にあり。

 確か太宰治の言葉でした。役者とは典型的にそれなのではないのか!こんにち醜団リンチのファイナルを目前として思う日々である・・・
今日はフラワーカンパニーというバンドのミュージックビデオ制作をしているディレクターの加藤氏と打ち合わせ。内容は言えない、結果としては出演はしないが結構重要なお役目所かもしれない。うふっふっ楽しそぉ〜
 そして夜は稽古、なかなか面白くなって来たなぁ〜これからどんどん煮詰めていかなきゃだな。明日その撮影だしその後バイトだしいろいろ考える事が多過ぎてもう書きません。以上
  選ばれし者の恍惚と不安二つながら我にあり。さあ自分の生きてる意味を今一度考えてみよう。ある動物研究科が言ってた言葉で哲学的に悩む事は人間だけの特権?否才能だと  ようするに悩めるから人間なのですう。
      さいならぁ〜〜〜〜〜ぁ


2002年05月06日(月) キャットファイト。

 今日はCPEの興行で新宿のHEAD POWERに行って来ました。いやぁ〜凄かったですよはい!客満パン、ギュウギュウの寿司詰め状態汗だらだら煙りモクモクおっぱいポロリ興行としてはかなりの盛り上がりを見せていたと思います。いろんなキャラの出演者ばかりでどれが良かったと言うか皆見せ所が沢山あったと思います。なかでもアムリタ選手と梅沢選手の試合は独特のものがあってお互いの世界が出てました。キャットファイト的と言うかエンターティナーとして楽しませていたと思います。全部書くと長くなるのでこの変にしておきます。又、楽しくレフリー出来るのを夢見て!しかしアラマキちゃんは可愛さお勧めすっ。


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