にっき日和
おしながき前よむ次よむ


2004年04月20日(火) 交差点の風景

どうしても思い出せないのです。


その交差点の角に、

真新しいコンビニができていたのです。

いつ開店したのかはわかりません。

たまにしか通らない道だけど、

10年位前には、頻繁に通った道でもありました。

なぜならその頃、

交差点の筋向いに、お友達のおうちがあったからです。

何度かお邪魔したことがあったし、

おうちの人から、自家製の野菜をいただいたこともありました。

今では、そのお友達とも疎遠になってしまい、

おうちもどこかへ引っ越してしまいました。



通いなれた交差点、

見慣れた街並み・・・・



それなのに、あの交差点の角に、

以前どんな建物があったのか、

どうしても思い出せずにいるのでした。

たしか、古い小さな町工場があったような気がしたけれど、

どんな工場だったやら、外壁の色は?建物の形は?

記憶の断片が、

そこだけ、すっぽり抜け落ちてしまったかのようです。

人の記憶って、こんなにもあいまいなものだったんですね。



ふと、思ったんです。


生きるってことは、

自分の居場所を求め、

それを、死守し続けることの連続なのかもしれないって。

それは自分自身のためだったり、

ときには、ほかの誰かのためだったりしますけど。

けれど、もしかしたら・・・・

それらは、案外脆いものなのかもしれません。

あの古い工場のように、

いつか、忽然と消えてなくなってしまうことも、

あり得るのかもしれないのです。




いつもの夕暮れ。

家路を急ぐ車の列・・・・・



あの交差点のコンビニは、

もうずっと以前から営業しているかのように、

町の風景に溶け合っています。



そして、わたしは・・・・



思い出の破片を拾い集めながら、

家路に、着きました。











2004年04月02日(金) 愚かです


わたしって、やっぱり愚かな女だと思います。

どうやら、人間をうわべだけで判断していたみたいです。



本当に優しい人って、

見た目だけでは決してわからないものなんですね。

優しげな笑顔で、いつもニコニコ人当たりがいい・・・・・

そんな人を「いいひと」なんだと、カンチガイしてたみたいです。

笑顔の裏にあるものを、

まったく見えていなかったみたいです。



人は誰でも、良い時期悪い時期があるもの。

相手の良い時期だけにいい顔をみせるのは、

極めて簡単なことだったのです。

どん底の気分に陥って、はじめて相手の本質に触れたような気がします。

口が悪いとか、コワモテとか・・・・

そんなうわべに左右されて、

どうやらわたしは、人を見る目がなかったようです。

いざというときに頼れる人、思いやりのある人って、

普段のみかけだけでは、簡単に選別できないようなのです。



改めて考えてしまいました。



人間の価値って、どんなところで決まるのでしょう。

財産でしょうか?学歴でしょうか?

それとも、友人の数で決まるのでしょうか?

美しい人は、醜い人より価値があって、

仕事のできる人は、できない人よりも価値がある。

利口な人ってどんな人ですか?馬鹿ってどんな人ですか?



わたしは何も持っていないけど、

今日も、生きてます。


2004年04月01日(木) いっしょうけんめい

わたしは、いつも一生懸命だったと思います。

まわりが誰ひとり理解してくれなくても、

いつも、精一杯がんばっていると思うのです。

何度踏まれても、

その都度、ひとりで立ち上がってきたと思うのです。


けれどわたしは、

がんばっても、報われないことがあることも知っています。

努力や忍耐の後に、

必ずしも、ごほうびが待っているとは限らないのです。


人生に勝ち負けがあるとしたら、

わたしのこれまでは、

負けの連続だったような気がします。

それとも、そんなふうに考えてしまうこと自体が、

はじめから負けを認めることになるのでしょうか。

こんなわたしは、きっとだめな人間なんでしょうね。


ひとりでがんばるのはつらいです。

いっそ、思い切り泣けたらいいって思います。

そうすれば、

だめな女だけど、可愛げのある女にはなれるでしょう?

けれど、それができないわたしだから、

これからも、「一生懸命」を続けていくのでしょう。


これからも、ずっと。








ぴょん

My追加