Spilt Pieces
2006年01月31日(火)  スカート
半月ほど前、膝丈のスカートを購入。
スーツと制服以外では、それこそ10年以上ぶり。
勢いに乗って、何と二枚。
ついでに、ピンクのキャミソールも。
ちょっとずつ。


それまでパンツだけだった私のワードローブには、とてもひらひらのスカートに合うようなトップスなどなくて。
玄関を見た。
やっぱりスカートに合うようなミュールもブーツもない。
それまで、スカートはクローゼットでお休み。


女らしさ、というものに、抵抗感があった。
それは半ば嫉妬にも似ていたのかもしれない、と思う。
かわいくなりたい、って、素直に言うことすらできなかった。
鏡の中の自分の顔が、嫌いだった。
「かわいい女の子」を羨ましがっていた。
自分にはなれない、遠い存在だと。
努力していないことを、棚に上げながら。


素直じゃないところがかわいくない、と、よく言われた。
当時はその言葉に逐一反発していた。
今、職場にいる人が、まさに昔の私のようで。
見るたびに、過去の自分が恥ずかしくなる。
人からの好意や優しさを感じるためには、自分にそれを受け止めるだけの余裕が必要なのだと、この年にもなって、今さらのように思う。
誰にでも噛み付いてしまうような牙が、痛々しい。
そして今の私は冷たくて。
そんな彼女に対する関心と言えば、反面教師と思っている程度で、それ以外には、興味がない、というのが正確なところ。
あまりにも幼くて、会話する気にもなれない。
そのたび、かつての自分を思い起こしては、ふと悲しい思いになるのだが。


話が逸れた。


スカートを買おう、と思ったのは、変わりたくなったから。
変わりたい、と、思わせてくれたから。


生まれて初めてお付き合いした人と、11月に別れた。
別れた彼と、またいつか、きっと近いうちに会うと思う。
私は、感傷的かもしれないけれど、彼と、笑顔で会いたい。
元気な顔をして、変わらぬ友達として喋りたい。
そのときには、別れたときより少しくらい、いい女になっていたい。
「お前はいいところ、いっぱいあるよ」
そう言ってくれた彼の言葉を、忘れない。
別れたからって、過去にもらった記憶は消えないんだな、って思った。


いつか、また、誰かを愛したい。
いつか、また、誰かに愛されたい。
スカートは、女らしさの象徴というより。
「スカートなんて穿かない」と、半ば意固地になっていた、小さな自分を終わりにするために。


冬季期間中につき、脂肪蓄積中。
春が来る頃、山の雪解けと共に、このお肉も消えてくれたらいいのに。
あー、ダイエットしよ。
(いつになることやら)
2006年01月21日(土)  突然ですが
ここ(エンピツ日記)は、オフでの友人一人にしか教えていません。
彼女は私がここで書いていることを読んでも、日常生活においてそれに触れたりするような人ではありません。
だから、私の意識としては、完全にプライベートスペースとして使っている場所です。
自分のゴチャゴチャとした気持ちを何となく綴ったり、考えていることを書いてみたり。
ここを利用している理由は、インターネット上で公開するためではなく、インターネット上にあれば家にいなくてもパソコンさえあれば気が向いたときに日記を書けるし、もしある日突然死んだとしても、日記帳の処分が心残りになることがないから、人の目を気にせずにいられると思ったからです。
要するに、普段日常的に私のことを知っている人に見られたい場所ではないです。
むしろ、見つかったなら消去するしかないと思っています。


うっかりあるキーワードを一つだけ伏字にするのを忘れてしまったらしく、最近、私をオフで知っている人以外入力するはずのないキーワード検索による訪問者の方がいらっしゃるみたいです。
その日記は削除しましたが、Yahooでのキャッシュに残ってしまっていて、また、YahooはGoogleと異なりキャッシュ削除依頼も受け付けてもらえないため、どうにもこうにも手の打ち用がありません。
しかもオフで知っている人にはどうしても見られたくないような内容のページが引っかかってしまったため、正直、現在とても苦痛です。


オフで知っていて、そのキーワードと私を結び付けられる情報を持っているくらいですから、普段から親しくさせていただいている方なのだということは分かります。
ですが、私は、言いたいことは口で言いますし、口にしないことは言いたくないことです。
なので、どうかその点をご理解の上、キャッシュを辿ってまで度々プライベートスペースに立ち入ることはご勘弁下さい。
サイトをお教えしないのも、最初に書いた通り、学生時代に教えた友人ただ一人以外、どれほど親しい間柄の人にも教えていない場所だからで、特にその方一人にだけお教えしないわけではないのです。


誰にでも見られるような、インターネット上で日記を書いている私が悪いのだとは思います。
全て言葉を伏せていたつもりだったこともあり、油断してロボット検索よけなどの処置をしておかなかったこともミスだと思います。
ですがどうか、「教えない=見られたくない」という感情をご理解いただき、勝手なお願いとは存じますが、今後このページに立ち寄ることはご遠慮下さい。
また、この数日で知り得た内容については、どうか他言無用でお願いします。


普段からこのようなプライベート空間に足を運んで下さっているオンライン上の方々には、今回このように関係のない文章を載せてしまって申し訳ないです。
2006年01月16日(月) 
年々、本音の言葉が減っていく気がする。
ごちゃごちゃ考えすぎているからかもしれない。
たくさんのことを知れば知るほど、たくさんの人を知れば知るほど。
誰かに語りかけるための言葉は、消えていってしまう。
自分の小ささを知ってしまうから。
自分の無知が分かってくるから。


「最近、独り言のような言葉ばかり言ってるんだ」。
ぼそっと口にしたら、友人が、「私もそうだよ」と、あっけらかん。
「もっと、身近にある些細なことに気がついたり、心を配れたり。そういう文を書けるようになれたらかっこいいなとは思うんだけど…」
「でも、」
「それって、自分の素直な言葉じゃないかもしれないから」
「かっこつけずに自分と向き合えるだけ、大人になれた、って思うようにしてる」
「自分のことばっかり考えちゃうって、幼いかもしれないけど、それを認められなかった頃よりは、ちょっと成長してない?」
何だかなあ。
彼女の笑顔って、意図的なものが感じられない分、すごく輝いて見える。


他の誰が何を言っても、揺らがないだけの自分がいればいいのに、って、ずっと思っていた。
だけど、私はいつだってすぐに揺らいでばかりいた。
少女と呼べる年齢だけじゃなくて。
この年になっても、そう。
でも、たくさんたくさんのことを考えていると、どうしても、貫けなくなる。
そういう考え方もありかもしれない、とか、私には分からない経験を踏まえて言っている言葉なのだろうから、とか。
漠然と、譲れないもの、はある。
でもそれは、今日明日では変わらないにしても、今年と来年では違うかもしれない、その可能性を捨てきれるものでもなく。
変わっていきたいの、柔軟に。
認められなかったものを認められるようになる自分を、軽いとは思いたくない。
ただ段階が変わっていくだけなのだと。
そう思いたいから。


年々、本音の言葉が減っていく、というより。
年々、少しずつは何かを学んでいるのだと思いたい。
痛みを知れば、人前で泣くことは減っていく。
悲しみを知れば、笑う回数は増えていく。
笑える瞬間がいとおしくなる。
笑い合える相手を大切に思う。
くだらない話ばかりでも、別に不安にならない。
本音は、言わなくても、分かってくれる人たちがいるから。
必要なら言う。
でも、なくても分かってくれる。
だったら、自我を押し付けていた時間を、相手をどう幸せにするか考える時間に置き換えたっていいじゃないか、って思う。
…そうは言ってもなかなかうまくいかないんだけど。


無意識のうちに、粗雑に周りを振り回してきた自分なのに、大事なものは、ちゃっかり確保していたのかもしれない、なんて、最近よく思う。
何年も前から付き合いのある友人たちは、よく当時の私から離れていかなかったな、と思ったり。
過去の自分にとってより、今の自分にとっての方が、大切だと思う。
だけど当時の私はそんなこと分かっているはずもなく、大事な人たちを泣かせたし、迷わせたし、怒らせたし。
それでも、どうして傍にいてくれたんだろう。
どうして必要としてくれたんだろう。


ふわふわと浮きながら、大事なものをきちんと大事にできる自分になれたらいいな。
ぼんやりのんびり、笑っていられる時間が好き。
2006年01月13日(金) 
HPを作ろうかなと思う。
あの町のこと。
考えるばかりでちっとも進んでいないが。
自分の言葉を吐く場所ではなく、紹介する場所として。
大人になったというより…エンピツで吐きまくっているので別に必要ないからかもしれないけど。


住んでいた町。
大切な人たちのこと。
大好きなお祭り。
活動したこと。
笑顔だった。
泣いてもいた。
少なくとも、24年間生きてきた中であれほど我儘に、そしてゆっくりと、過ごしたことはない。
自分が自分らしくいられた場所。
人に優しくすることも、優しくしてもらうことも、素直に受け止められた、そんな時間。
あの町を、住む人たちを、伝えたい。


高校が廃校になる。
都市部との合併で、若い人たちはどんどん流れていく。
小さな町の小さなお祭りが、もっと小さくなって、やがて、霞のように消えてしまう。
それが過疎。
そしてあの町を離れる選択をした私には、時代の渦に飲み込まれ、外へと羽ばたいていく子どもたちに何かを言える権利などなくて。
何ができるんだろう。
何もできない。
でも、何かは、きっと。
あの町には笑顔がたくさんあって、私はそれが大好きで。
それを、伝えることは、多分無意味ではないと思っているのです。
2006年01月12日(木) 
今、玄関でうちの犬が鳴いている。
くーくー鼻をならして外を見ているので、ちょっと外に出してみた。
するとものすごい勢いでベニカナメのところまで走っていって、はるか遠くを見て吠えまくるの何の。
時刻は午後11時過ぎ。
辺りは閑静な住宅街。
落ち着くまで外にいさせてやりたいのも山々だけど、ご近所の皆さんの安眠も重要事項。
諦めて家の中に無理やり連れ戻した。


言い訳。
コンクリートに爪を立てて抵抗している音に耐えられなかった。
言い訳その2。
首輪をあまり締め付けるのも嫌だったのです。
そして結果。
彼女の好きなササミジャーキーを囮にし、檻の中へとだまし討ちに。


…こういうこと、本当はしちゃいけないって分かってるんだけど。
お姉ちゃんはもう寝たいのよ、と、ぐずる彼女をお風呂上りにしばらく相手していたら、10時半就寝予定を大幅に過ぎ、なおかつ湯冷めしてしまった。
現在日記を書いているのは、半ばヤケだ。
体調がすぐれない上、今日から両親が留守にしている。
薬を飲みながら仕事に行っている、なんて、犬に言っても分かるはずがなく。


お姉ちゃんの言葉、分かってよ。


わうっうーうー、という感じで、まだ唸っている。
視線の先は玄関のドア…というか外。
今日に限らず、最近のあの子ははてさて猫のように見える。
気まぐれで、寂しがり屋で、何を考えているか分からない。
だけどかわいくてたまらない。


犬の言葉が、分かればいいのに。
2006年01月06日(金) 
久々に母に叱られた。
年末体調を崩して未だ復活できない私のことが気になるらしい。
「あなたが無理して会社に行っている間、どれほど心配していると思っているの!」
帰宅後、咳をしながらもテレビから離れない私に向かって、呆れながら。


母は、怒るとむくれたような顔をする。
まるで子どものように。
それが嬉しいと言えば、きっと気を悪くするに違いない。
この年にもなって、体調管理は自分の責任。
寝る時間が30分や1時間遅くなったからといって怒鳴られているのも正直辛い。
でも、本気で、そんな些細なことで気を揉んでくれる人がいる。
溜息をつく母の隣でふっと笑ったら、怒りの声がパワーを増した。


「心配しすぎだって!放っておいてよ」
あえて反抗的に言ってみた。
声を出したらまた咳が出た。
苦しそうに見えたのか、母は私の咳が収まるまで黙っていた。
ああ、この人には敵わないな、と思った。


私もいつか、母になれる日が来るんだろうか。
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