麻綴り
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2004年05月01日(土) 10年か……。

久しぶりに、こっちの日記を書いてみます。

あれから10年か……。
今日は、アイルトン・セナの命日ですね。

さっき息子のお昼寝中、横で添い寝しながら、夫が置いていったF1速報のサンマリノGP号を読んでいました。
10年前のサンマリノGP号の復刻版が綴じ込み付録でついていて……
読みながらしみじみしていました。

思えば、あの週末を境に、私にとって「F1」というものの意味が、まったく変わってしまったのでした。
それまでも、夫が放送を見ていたので、たいてい一緒に見ていて、次第に洗脳(?)されつつあり、「F1って、なかなか面白いな〜」などと思い始めていた矢先のことでした。
前の年からちょっぴり贔屓にしていた、若くて元気なドイツ人ドライバー、ベネトンのミハエル・シューマッハが、開幕から好調で2連勝していたし……。

そこに、突然の出来事――。
ラッツェンバーガーの死。
セナの死。

「F1って、人が死ぬんだ」というのが、まずショックでした。
その厳然たる事実が、気楽にF1放送を眺めていた私に、重いものをつきつけてきました。

次のモナコGPのとき、私は本当に真剣に、テレビの前に座っていました。
モナコGPの予選。
見ていて、本当に怖かった。
あの狭い街路コースを、全速力で駆け抜けていくF1マシン。また何か、恐ろしいことが起こるのではないかと、私は全身を硬くして、食い入るように画面を見つめていました。
実際、あの週末、カール・ベンドリンガーが、トンネル出口のシケインで大事故を起こしていたし。
怖い。もうやめて。
そう思いながらも、私は目を離せませんでした。

ミハエルは速かった。
誰も及ばない速さで、あのコースを駆け抜け――そして、そのタイムを破る者はもう誰もいないのに、さらにアタックをかけていく。
まるで、幻のセナと勝負をしているかのように……。
その姿を見て、私は魂を揺さぶられる思いでした。
一番近いところで、セナの死を見てしまった彼。
あの、闇の週末を乗り越えて、それでも走ることを選択した彼。

そして私は、そのときから本当に、ミハエルのファンになったのでした。

10年は長い。
本当にいろんなことがありました。
「セナが生きていたら……」という声も次第に聞かれなくなり、若き挑戦者だったミハエルは、押しも押されもしないチャンピオン、挑戦される側にしっかり落ち着いてしまいました。

今、セナの旅立ったあの週末を思い返すとき、胸はやはり痛むのだけれど、セナ自身についてはもういいよね、と思う。
彼は天国で幸せにしているはずだから。
もう競争なんかに悩まされないでいるか、あるいは彼のことだから、天国でも車で競争をしているのかもしれないけれど。

すべてのことには「時」がある。
たしかにセナにはもっと生きていてほしかったし、ミハエルと勝負をつけてほしかった。でも、あそこで彼が天に召されたということは、やはり、彼は今生のつとめをすべて果たしたということなのでしょう。
うん、彼はきっと、今、幸せにしていると思う……。

  ***

個人的な思いを、つらつらと書き綴っていたら、すっかり長くなってしまいました。
読んでくださった方、ありがとうございました。


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