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弱音(長いよ)


体の丈夫さには自信があったが
前の仕事で上司からの 言葉の暴力と実際の暴力
飲食店で働いていながら 昼飯もロクスポ食えず
昼飯を食う時間があるぐらいなら
煙草を吸う時間が欲しい状況で
社員の皆が辞めていく中、辞めずに
残っていたオレは知らず知らずのうちに
精神的にイカレ 、体にもガタが来て 、最後に腰を痛め
立てなくなり 、寝込んで
辞める事を決意した。

あの時、それでも最後まで踏ん張ったのは
意地もあったが一緒に働いてたアルバイトの子達が
最高の奴らで、奴らと働くのが最高に楽しかった事に
つきる。
奴らと別れるのは淋しかったが
最後の頃は、それよりも
もうつらい思いをしなくてすむんだと思うと
その気持ちは淋しさより大きかった。
最後の日、何事も無かったように店を出て
階段を下り地面に足をつけた時、
天高く両手を上げてガッツポーズをした。

あれから6年。
今でも
疲れがたまると腰痛が再発するので
日頃から気を付けるようにしてる。

だが、先週の木曜日の夜
家でゴキブリ退治をした時に
普段、気を付けなければいけない動きを
突発的にしてしまい
その時、腰を痛めた。

次の日の朝、腰が曲がらず
靴下を自分で履く事が出来なかったが
嫁に手伝ってもらい靴下をはいて
仕事に行った

その日、背筋を伸ばしている分には
問題ないのだが
少しでも腰を曲げると背中に電流が走った

次の日のアピアライヴ
不思議なもので
ライヴハウスの扉を開けた時から
痛みなんか消えていた

その次の日のアローンライヴ
不思議なもので
朝から
痛みなんか消えていた

実際、腰の痛みも引いていたんだと思うが

その次の日の松浦キノコのワンマンライヴは
息子を連れて観に行った

腰の痛みも大分
治まったように思えた

次の日からの仕事は
もう大分腰の痛みも治まったのだが
まだ、いや〜な違和感が腰にあり
腰が張っていて、背筋を曲げるのが
キツい状態ではあったが
背筋を伸ばしていれば痛くないので
結局そのまま、1週間が過ぎた

さすがに靴下は自分で履けるようになったが
それでも腰の痛みが引かないので
今日いつものゴッドハンドの中国気功師さんの
ところに行ってマッサージを受けて来た

そしたら、叱られた。
腰がカチカチになってると
なんで、もっと早く来なかったのだと

早速
カチカチになった腰を叩き潰してもらった
「今日だけじゃ駄目、明日も来ないと駄目
 明日も来れば治る!」
と言われたので明日も行くけど


その腰を叩き潰してもらった跳ね返りの
影響からか
先週の木曜日に腰を痛めたときよりも
痛くなっている

咳をしただけで
痛い

こんな事を言っても
腰の痛くない人には
なんにもわからない事なのは
知っているんだけど

言ったところで
なんにもならないんだけど

痛いよ
つらいよ

酒を飲んで
痛みを紛らわしているのだが

とりあえず
明日、もう一度、中国気功師さんのところに
行くよ


背筋をびしっと伸ばして
パソコン打ってるよ

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先週のライヴ2days
ほんの些細な出来事だけど
自分にとって
とっても重要な位置づけとなる
ライヴだったと思うよ

アローンで久しぶりに
坂井ライさんと共演した
それは
道の途中でバッタリあって
バッタリあった場所で
今やれる事を
精一杯やって
自分を確認して
そんな些細な事が
とても重要な
またいつの日か思い出したくなるような
例えて言うなら
そんな点を打つ
あるきっかけとなる日だった

そして坂井ライさんのライヴ
最後の曲の「かくれる」
メチャクチャしなやかに
体を動かし
今まで聴いた事も無いような
フレーズを目の当たりにした
背筋がゾクゾクした
一言では言えないが
その時
救われた

そして次の日の
松浦キノコのワンマンライヴ
ステージに立つ人間の通過点
その点を
さっそうと通過する
その瞬間を目撃した!

音楽と真剣に向き合ってる
人のステージは
美しい

オレ
腰痛になってる場合じゃない

2007年09月29日(土)



JR国分寺駅を降りる
南口から帰るか
北口から帰るか
その日の気分次第

北口からの帰り道
左手に線路、右手には林
緩やかな坂道を下る
池のある湿地帯と草の中を抜け
西国分寺

南口からの帰り道
狭い
急な下り坂 登り坂を通り
芝生だらけの公園を抜け
西国分寺

どっちから帰ろうと
家まで25分

どっちから帰ろうと
国分寺駅を降りて
ヘッドフォンの
ボリュームを最大にした
その瞬間から
全ては解決する



ストーンズ聴きながら
キースリチャーズになっちゃって
ブラウンシュガーのイントロで
ギター弾く真似しながら左足を上げちゃって
ジャンピングジャックフラッシュのイントロで
ギター弾く真似しながら中腰になっちゃって

そんな時
部活帰りの自転車に乗った
高校生に抜かれたりするけど


別に特に恥ずかしくない





だがしかし
勝手に口が動いて
でたらめな英語で
意識はしていないが
歌も唄っているのかもしれない

それを聴かれていたとしたら

ちょっと恥ずかしい
・・・・・・かも





2007年09月28日(金)

徒歩


中央線の国分寺で降りてから西国分寺の家まで
仕事帰りに歩いて帰るのがとっても楽しい。
ちょうど25分、音漏れも気にせず
ヘッドフォンを大音量にして、草むらを歩いて
初日にストーンズの「Jumpin' Jack Flash」を
聴いたら、飛んだ。

翌日、草の臭いに包まれて
T REX聴いて、トロケタ。

どうやら3日坊主じゃなさそうだ。

夜のピクニック

つづく。


2007年09月21日(金)


明日から
仕事帰りは
国分寺から西国分寺まで
歩きたい


きっと楽しい



2007年09月17日(月)

最近



じっと黙っている時は
たいてい頭の中で鼻歌が
流れてる

だから黙って
考え事が出来ない

動いてる時に
ナニカひらめく

その点、読書は良い

じっくり
その本の世界に没頭出来る

じっとしていられる

鼻歌が流れてこない


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最近
夜の9時に芳多郎を寝かしてる。
一緒に横になって
いつのまにかそのまま
一緒に寝てる。

そうしないと
芳多郎、寝ない。

遅い時間に寝た次の日の昼間は
芳多郎、機嫌悪くなってる。
母さん、お腹が大きくなってる。
芳多郎、泣いてばかりでダダをこねると、
母さん困る。

試しに
夜9時にちゃんと寝る習慣を付けてみたら
芳多郎、昼間もご機嫌になった。
今は夜9時に3人で一緒に寝てる。

気がつけば9月後半
年末にかけてまた、仕事が忙しくなる時期。
そしたら、逆に夜の9時には
お父ちゃん帰れなくなる。

それはそれで
芳多郎
夜9時には、母さんと一緒に
とってもスヤスヤ寝てくれる。と思う。

お父ちゃん、芳多郎を起こさないように
足音忍ばせて帰って来る。

どうか どうか お父ちゃんがいる時に
母さんの陣痛が来ますように!

芳多郎は
お父ちゃんの事「お〜ちゃん」
母さんの事「あ〜たん」と
呼んでる

本人は
「お父ちゃん」「母さん」って
言ってるつもりなのだろう


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友川かずき「ぜい肉な朝」
T REX「THE SLIDER」「ZINC ALLOY...」
TYRANNOSAURUS REX「UNICORN」
LOU REED「TRANSFORMER」
The Rolling Stones「LOVE YOU LIVE」

また音楽を聴き始めている
今聴くとまた
とても新鮮だ


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心の中は
芳多郎の事、お母ちゃんの事で
いっぱいだ

以前は思わなかった事を
思うようになってる

でも自分の事と言えば
以前と変わらず
くすぶってる
常に違和感を抱えて生きてる
曖昧模糊とした
白黒のつかないところに
立ってる


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心に蓋をするのはやめる




2007年09月16日(日)

上海 北京 ニーハオ シェイシェイ



8月26日から9月1日にかけて
中国に行ってきた。

上海と北京なのだが
目にした光景は、刺激的だった。



【上海についての印象】


 スケールの大きい、近代的な超高層ビルが立ち並び
そのすぐ脇には昔ながらの古い平屋が存在している。
高級ホテルの入り口には5歳くらいの男の子が紙コップを持ち
物乞いをしている。

 街全体は得体の知れない大きなものに動かされ
急速に登りつめている真っ只中。
「ついて来れる奴だけついて来い。ついて来れない奴は知らない。」
と言わんばかりの勢いを持ち
何にもかもを拾い集め、かき混ぜ、何に向かっているのか?。
そこに意味などなく
混沌と喧騒の中、吹き飛ばされるか、吹き飛ばすか。
肯定も否定もなく、ただただ「生」への強烈なエネルギーに満ちたパワー。
「今」を生きるパワー。「人間」あふれる、汗まみれのロマン。
それを肌で感じられたことが非常に良い経験となった。

 街は香辛料の臭いと、薬草の臭いと、ドブの臭いと熱気で充満してクサかったが
上海の子供達の顔はとてもハツラツと活き活きしていて、ヤンチャで良い顔をしていた。
だから・・・・そのまま行け!と思った。


【北京についての印象】


 来年(2008年)オリンピックが開催されるとあって、建築ラッシュだった。
その影響もあってか、空気が非常に汚く感じた。
故宮の全体が見渡せるという景山公園の丘に登ったが
大気にスモッグがかかっており、ほとんど故宮が見えない程、ひどい状態だった。
このままだとオリンピックで走るマラソンランナーが大変だと思った。





 上海もそうだったが北京も、建物に関して言えば
もはや日本をはるかに越えるスケールの大きい発展を遂げている
と感じた。
 ただ歴史的建造物(万里の長城、明の13陵)を見る限り、創り方は
日本と違い大雑把で、大胆ではあるが繊細さに欠ける印象を受け
それは国民性にも出ているような気がした。

はたまたそれは料理にも現れているような気がした。
 
 日本で食べる中華料理は餃子にしろチャーハンにしろラーメンにしろ
焼きビーフンにしろオレは大好きなのだが
中国の中華料理の味は日本で食べるそれと違っていた。
大雑把だった。辛いか甘いかで作られていた。それは決して
まずくは無いが、味わい深い香りが、そして風味が、無いように思えた。
 要するに、中国料理は何でもかんでも(鳩もネズミもサソリもその他諸々)
食材にしてしまい
フライパンに油を沢山敷き、食材を強火で炒め
仕上げに唐辛子と薬草をドバッと入れ、いっちょ出来上がり!!
の料理なんだと感じた。
 それはそれで好きなのだが、さすがにそれを1週間食べるのは・・
しんどかった。

 日本はほとんどの料理に、隠し味として醤油を少々いれ
全体的な味を引き締めるところがあり
そこに味わい深さを感じるのだと思うが
中国料理にはそれが無かった。
 だがそれは、食文化の違いを痛感したという意味で
とても良い経験であり
やはり食は文化なのだなと、あらためて感じた。

 帰りの飛行機の中で機内食が出た。
「中華丼とドライカレーどちらにしますか?」と聞かれた。
もちろん「ドライカレーを下さい」と言った。
 機内食だから、そんなにおいしくない食べ物のはずなのに
ドライカレーに薬草の臭いは無く、どこかに醤油の味を感じた時
涙が出る程、懐かしい味に思え、メチャクチャおいしくて
むさぼり食ったよドライカレー。
 なんにせよ、北京に行ったことで日本の良いところが
客観的に感じることが出来たことは、とても良かったと思っている。
 
 ちなみに、北京の子供たちの顔も上海と同じくらい
とてもハツラツと活き活きとしていて良い顔しているなと思った。
あんな大人になるなよ!!!と思った。



 中国には、たった1週間しかいなかったが、1年いたら
本を一冊書けるんじゃないと思えるくらい面白い国である事は
確かだった!

 一つ気になった事があった。
それはコピー商品が何の悪気も無く、当たり前のように売られている
現状だった。
 何かを吸収し、創っては壊し、別の何か新しいものが産まれてくるのであれば
よいのだが、あれだけ発展を遂げているのにもかかわらず、ましてや、もの凄い歴史の
ある国にもかかわらず、新たな独自のキャラクターが産まれていないように思え
なんとなく、いろいろなものにチープさを感じてしまうのが気になった。
 余計なお世話なのだが、この国の一流とは何だ!と言いたくなった。
これは日本にも言える事だが、日本はまだ、アレンジをする力があり
何かを吸収したら、独自のものを産み出す力があるのが救いだと思えた。
 
 いずれにせよ、日本も中国と同じく、土台を無くしたまま闇雲に進むと
その付けが、いつか回って来るわけで、その時、どうするかを問われるのが
もうそこまで来ているし、、とっくに日本なんかバブルがはじけたわけだから
いい加減、なんとかしなきゃいけないところに来ているんだと
中国に行って、初めて思い知った。
 火山国でありながら、冷めきっちまっている、ハナタレ日本だ!。と。


 それにしても、初めはあまり中国行きに、乗り気じゃなかったのだが
日本と違う空気を吸う事は、自分にとって、とても良い経験となり
楽しい事だった。

 バスガイドさんがいつも、みんながバスを降りる時に言っていた。
「貴重品は、お持ちになって頂いてよろしいです。ハイ」
オレはそれを聞くたび、ニンマリしていた。
 
 中国人は一見、無愛想だが、それは愛想を振りまく概念が初めから
ないだけであって、実はとてもチャーミングでオチャメで優しい人達である事を
いろんな場面で感じた。


話は変わるが


 中国は生水を飲んだらいけない。中国人も生水は飲まない。
もちろん日本人よりは多少、生水に対し免疫があるから、うがいする時や
歯を磨く時は生水を使うだろうが、オレはお腹を壊したくなかったから
うがいする時も、歯を磨く時もミネラルウォーターを使った。
 それなのに、とっても暑かった日、上海で散歩してたら、屋台の
カキ氷屋があり、オレはそのカキ氷を買って、食べた。
食べている途中で気付いた。
「待てよ、この氷、もしや、生水を凍らせただけじゃね〜か?」と。

 案の定、その夜から3日間、オレは腹を下した。
夜中に何度も起きて、ピーヒャラピーヒャラ言っていた。

それはさておき

オレはデジカメを持って行って、旅の前半から沢山写真を撮っていた。
だが旅も後半になり、まだまだ写真を撮りたいと思い、
このまま解像度の高い設定だと、撮れる枚数に限りがある為
解像度を低い設定に切り替えようと、デジカメをいじり始めた。
 そしてまもなくして、今まで撮っていた写真が全て消えた。
「画像を初期化しますか?」の問いに「yes!」と答えてしまったからだ。

 オレにとってこの旅は、そういう事だったんだと、その時納得した。

 旅の最終日の故宮の写真と帰りの飛行機の窓からの写真だけが
このデジカメにおさめられている。

 バイバイ中国!
 オレは帰るよ!


 良い旅だった。ありがとう!










もうじき帰るよ。










ただいま!



 
日本!











2007年09月08日(土)

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