本来なら福島で迎えるはずの朝だったが
31日からの大雪で福島は泉崎村への、交通の便が途絶える。
俺は新年を東京で迎える事になる。
悪くない朝だ。
これは儀式とか形式とかでは無く
1月1日
今日この時に
1年の計がつまっているのを体が感じる。
前日までのずぼらな俺はどこへやら
とにかく、一度
点を打ちに行くべく
調布市は「深大寺」に向かう。
初詣である。
正月の夕方から夜にかけての寺は
この世もあの世も
皆が帰って来るような。
旅から戻って来るような
それを迎え入れるような臭いがあり好きである。
体が、みるみるとにかく
点を打たせろとうずいてる。
今日しかない。うずいてる。
長い列、並んでる間
全ては自然に去年の出来事が
走馬灯となる。
音楽の事ばかりが頭をよぎる。
嫌でもこびり付く。貼り付いている。
あの日のLIVE。この日のLIVE。
去年は音楽の重さを感じた年であった。
その重さを受け入れるのは
他でもなく、己であり、
己の音であり、己の言葉であり、
リズムである。
絵である。
描くのである。
独自の世界を。
・・・・・・・
そんなことを考えているうちに
大きな賽銭箱が近づいて来た。
何を祈る為に来たわけでもなく、
俺はただ、点を打ちにくるべく、
右手に15円にぎり、
自分の番が回って来た。
気が付けば15円投げてた。
両手を合わせ、目を閉じた瞬間
一番初めに出て来た言葉
自分でもびっくりした。
が、納得した。
頭では無く、体で感じていたものが
そのまま出て来たような言葉に
鳥肌が立った。
去年までの
音楽に対しいろいろ考えていた事、
ゴタクを並べていた事、
これらの邪魔なものに
点を打った。
いよいよ新しい年が始まる。
気持ちが引き閉まった。
お守りも、おみくじもいらなかった。
守る必要のあるものなど、今年は無いのだ。
今年は俺は飛ぶのだから。
そんな思いが点を打った事で
体を覆いかぶせてくれた事に
驚きを感じ、実感のないまま
感触を保った。
いいスタートが切れたと思った。
俺はだいたいにおいて、浮ついている
俺はだいたいにおいて、不真面目である
俺はだいたいにおいて、ふざけた野郎である
俺はだいたいにおいて、無様な奴である
俺はだいたいにおいて、滑稽な野郎である
だが、
今年の始まりの日に、どっしりと構えられた事が
嬉しかったのである。
これからなのである。
その為にも、俺は今日、
点を打つ必要があったのだと
改めて、感じた日であった。
「深大寺」は24歳の時
厄払いをしに来て以来だったが、
来て良かった。
もうあと、2日もすれば
この日の思いは何処へやらになるのかい?
365日。
長いようで、あっという間のドラマが嫌でも待ってるぜ。
頼むぜ〜!!!
しっかりしてくれよ〜!!!
お〜!!
良い年にしようぜ!