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か!


へその下、腹、胸、脳天

体の鍵盤

ベルト

後ろからの

引っ張りに

後退せず

足の裏、地球をつかんでるかい

やっと

前に出た



忘れちゃいかんぞよ。




2005年01月29日(土)

水、木、金




飯くって

お腹休ませてから

柔軟体操しようと思いきや

ドスンと体が重くなり、

ちょっとだけ目を閉じようと

横になったが最後

そのまま眠りへと。

さすがに3日目くらいになると

「今日も帰って飯くったら、すぐ寝ちゃうのかな〜」
「嫌だな〜」



夜ご飯を食い終わるのを恐れてたが

案の定

3日目も

同じように

目を閉じたが最後

翌日まで開かれる事は無かった。


良いんだか、悪いんだか

睡眠時間ばっちりの3日間となる。



2005年01月28日(金)

配達日和


甲州街道

BLANKEY JET CITY「LAST DANCE」
THE STREET SLIDERS「LAST LIVE」


ボリューム314000


久しぶりに車に乗って

印刷物の配達をした。


ブランキーもスライダーズも

今は解散しているが、

俺に与えてくれた影響は数知れず、

帰りは

友川さんの「花々の過失」

ボリューム536000

夕方、車を車庫に入れ
エンジンキーを抜き

事務所に戻った。

車のボリュームを下げていない事に気付き
駆け足でもう一度、車のところに行き

ボリュームを2まで下げてきた。

シュールな時だった。



2005年01月25日(火)

良いんじゃな〜い


お茶を飲むようになった日だった。

それまで、全く飲まなかった。

急須もなければ、湯飲みもなかった我が家に

新しく急須と湯飲みが仲間入りした。

それまで、常にコーヒーだった我が家が

一気にお茶に変わった。

「あしたのジョー」のマグカップではなく

ちょっと小太りのやや大きめの湯飲みに

お茶を注ぎ飲み

なんか、良いんじゃな〜い。



2005年01月24日(月)

土曜日の渋谷アピアLIVE


去年はギターをLIVEでは
アンプを通さずオンマイクでやって来たが、
そのやり方で、学んだ事は沢山あるが、
例えば、モニターをよく聞きながら唄う事とか
例えば、一弦一弦の音の繊細さだとか
声とギター、曲の表情、体の一部、
マイクが無い状態でどれだけ自分の声とギターの音、
曲の味を知っているかがオンマイクでは顕著に出る。

筋金入りのブルースマンがギター1本持って旅に出りゃ、
そこがどんな音を出すLIVEハウスであろうが、道ばたであろうが、
ギターを弾いた瞬間、声を出した瞬間、色が出るのは
自分の軸となる音が体の中にあるからであろうし、
これからも俺もそれを追求していく事に変わりはないが
今年からは、またアンプに通してLIVEをやる。

単純に今のギターでオンマイクにしてライブをやると
バランスが悪くなると思ったからだ。

今回、ギターのゲージを
ライトからミディアムに替えてやったが、
これが俺にとっては大正解だった。

今のギター、生音でも俺好みの音が鳴るのだが
アンプを通した方が、しっくり来ると思った。

この前の高円寺ALONEでのLIVE、
精神的な面では、本番前のそれまでのいろんな思いから
解き放たれて、自分で勝手に作った重圧を超えられた点では
とっても良かったと思うのだが、
非常に良い時間ではあったが、
ショックだったのが、
その時もアンプを通してやったのだが、
全くギターを弾いていて、強弱がわからなくなり
舞い上がっていた部分もあったのかもしれんが、
それでも去年、ずっとオンマイクでライブをやって来た事が
何にも役にはたっていない事を痛感し、
演奏に関して荒過ぎる日であった。

それでもLIVE音源を聞きながら、ここをこうすれば良くなるはず
オンマイクの時よりももっとこの曲は良くなる、
という思いがあり、時間はそんなに無かったが、
アピアのLIVEまでに悪い点を修正して望んだ。

基本は同じだと思うが
オンマイクでのギターの弾き方とアンプを通した時の
弾き方、弾く場所、ピックの形、やっぱり全然違うものがある。
それに気付くのに、遅過ぎるわけだが、

アピアのLIVEは良かったと思う。
これからは、ギターはアンプを通してやった方が
今の自分には合っている事を確信した日となった。

だが今日、昨日のアピアのLIVEビデオを観たのだが、
活き活き唄い過ぎている。
悪い事ではないのだが、曲と表情に膜があるのである。

もっと全身に神経を張り巡らして、
透明に表現したいと思ったのである。



2005年01月23日(日)

餃子三昧


今日は餃子を36個食べた。

餃子を口に頬張る時の

味は

神聖さを増してくれる。

明日のアピアLIVE、

弦をライトゲージからミディアムに替えてやろうと

食いながら思った時もあった。

が、

だいたいは餃子に集中してた。

「うめ〜うめ〜」を連呼してた。



明日のアピアLIVEに向けて

目はマジだった。





2005年01月21日(金)

日曜日、高円寺ALONEでLIVEでした


「こんばんわ高円寺ALONEです」

1曲目が終わり
自分の名前を言おうと思ったら
間違っちまった。

1曲目「涙よ」
バンジージャンプする気分
飛び込み台に立ってる気分
サビでまっ逆さまに宙を堕ちる気分
おまけに途中で弦も切れ
スリル満点で「もっと来い」

LIVEが始まるまでの恐怖はどこへやら
何が起きても、動じない、
弦を張り替える間もラリッてた。

2曲目「ベルが鳴る」
Eのベース音叩きながら
高円寺ALONEオープンしたぞ。オープンしたぞ。
イエーイ。
お客さんからも「イエーイ」の声が聞こえ、
カモン、カモン。

MCでほんの少し次の曲の説明をした。
自分では制御不可能なわけ分からん気持ちの
3曲目「クラウディ」

LIVEが始まるまでの恐怖はどこへやら
照明がビンビン当たり「な〜んでもこ〜い」
動じない気持ちに拍車がかかる。
細い線で張り巡らされた神経は無意識の素となりうる。

4曲目に入る前も少ししゃべる。
高円寺ALONEの内装工事中の徹夜のヒトコマを
思い浮かべて唄いたい曲があった。
「今日の出来事」

5曲目「朝の足音」
洪水、地震、幼児虐待、戦争、交差点、
友川さんの曲をヘッドフォンのボリューム1028で
聴いてる自分。

6曲目「大切なもの」
例えば踏み切り渡る時。
例えば坂道下る時。
例えばポケットに手を突っ込んでいる時。
例えば帽子を深くかぶってる時。
最後はギターで音の洪水の空間を作ろうとした。
もっともっと体重のっけて、
もっともっと行ける世界のある曲である。
今回のLIVEで一番、軸に置いていたのはこの曲だった。

次の曲に入る前に少ししゃべる。
「まだまだ新しい高円寺ALONEのスピーカーに
注入したい曲があります。」
7曲目「僕のジェット機」

最後、ギターを軽く弾きながら少ししゃべる。
今日は感謝してますの事、これからの事、
そのまま8曲目「11月ともなれば」に入る。
この曲に表情が生まれた日となる。

LIVE終わる。

あれから4日が経っている。

なんだか遠い昔のようでもある。

明後日の渋谷アピアのLIVE。

そして2月、3月、4月、・・・・

これからのLIVEで俺は何をつかんでいくのか。

超えていくのか。

放っていくのか。

無難じゃつまらない。


高円寺ALONEの正面から照らされるライトは
比較的、真近にある。

俺はその距離に
表現する上でのヒントを感じた。

表現者はライトに照らされる。



2005年01月20日(木)

水曜日


家に帰って、飯食って、

お腹いっぱいになって、

しばらくお腹休ませて

柔軟体操しようと思って

横になったら

寝てた。


2005年01月19日(水)

火曜日


三重県は名張市から

近鉄戦で大阪は鶴橋に行く。

そこから乗り換え

徳庵へ。

ブラブラの電線。

斜ってる電柱。

高円寺ALONEのLIVE音源を

ずっと聴いてた。


2005年01月18日(火)

月曜日


三重県は名張市にいた。

高円寺ALONEのLIVE音源をずっと聴いてた。

2005年01月17日(月)

セットリスト



田村やすひさ 高円寺ALONE 2005年1月16日(日)

LIVE

テーマ:ドキュメント



2005年01月16日(日)

AM4:30


正常な気持ちではいられない何者かと
平静を保っている何者かが
ふたつ一緒に宿り
静かに静かに眠れぬ夜を過ごしてます。

体って不思議ですね。



2005年01月15日(土)

一観客として


高円寺ALONEの内装工事に携わった人達が
続々とLIVEを始めだした。

昨日と今日、
佐藤さん、中野さん、れいやさんがLIVEをした。

皆、独自の世界を放ち始めていた。

俺は一観客としてLIVEを観た。

いい空間の臭いがぷんぷんぷんぷん立ち込めている。

日増しに音が良くなっている。

今日最後に唄った、城谷さんはDOG FOODという
名前で知られているが、今日は一人でやった。

オープンして4日目で音圧が一番出たLIVEをやってたと思う。

一観客としてにんまりする瞬間がここかしこにある。

確かな手応えを感じて止まない日となる。


2005年01月14日(金)

港にて








港は開きました。


2005年01月11日(火)


喜びは人を新たな道へと
自然と一歩踏み出せてくれる。

それは大げさなものではなく
例えば帰りの駅のプラットホームの喫煙所で
噛み締める程度のものでよい。

冬が似合うのが、これまたニクイ。

高円寺ALONEは本日
無事にエンジンのキーが差し込まれました。

酒ガソリンも入り
音楽が鳴り

源さんが舵を握り始めました。

舵を握る姿、とても似合ってました。


2005年01月10日(月)

1月4日から9日まで


源さん事、井上博之氏が舵を取る
新しいライブハウス
高円寺ALONEが
1月11日(火)にオープンする。

1ケ月前から本格的な内装工事が始まり
去年の年末までは、区切りのいいところで
作業が終われば
現場でビールを飲み、語り、また明日、の
日々であったが、

年を明けてからは、それをする必要もない程、
夢中でオープンに向け、まい進の日々であった。

幸いな事に俺は、解体作業の時から
手伝わせてもらう機会があり、今日まで来た。

考えてみれば、内装工事の技術もないなかで
おまけに、源さんからは「手伝いに来てくれ」と
頼まれた事がない事に最近気付いたのだが
ほぼ毎日、高円寺ALONEに足を向けては、
源さんに「頼むから田村!何もしないでくれ〜」
「このバカチンが〜」
と言われてたように思える。

手伝いに来たくても、遠くてなかなか
来れない人達がワンサカいるなかで、
高円寺は俺にとって帰りの電車の途中下車駅である。

源さんに世話になりっぱなしの俺の10年は
何にも恩返しが出来ていない俺の10年と等しく
高円寺を通り越して東小金井まで帰る事なんて
出来なかった。

解体作業でな〜にもなくなった空間をゼロから
手作りで作っていく事に対し貴重な体験をしてるとか
そんな生易しい気持ちでは到底手伝えない領域があった。

源さんの高円寺ALONEに対する思い入れ、
出演者の事を何よりも大切に考え、
高円寺ALONEに人生をかけている姿は、
年を明けてから特に凄まじく、俺も熱くなり
平日は終電まで、翌日が休みの時は明け方4時まで
高円寺ALONEで過ごした。

その生活も11日で終わる事への実感が今は全くないが
この1ケ月全日、源さんと内装工事をした、
丸ちゃんこと西岡さんの存在をなくして、高円寺ALONEの
内装工事を語る事は出来ない。

丸ちゃんはミュージシャンではない、
内装工事の職人さんである。
源さんとのつながりは
草野球チームのメンバー、だという事だけであった。
それが今じゃ、源さんと切っても切り離せない存在になっている。

ガス工事、電気工事以外、材料の手配から内装のあらゆる全て全部
丸ちゃんなくしては語れないのである。
水まわり、配水の仕組みを作り上げたJINさんも然り。

今回の工事中にお会いした
中野さん、篠塚さん、八幡さん、マーボさん、イムカイさん、
れいやさん、中島さん、佐藤さん、高畑君、3吉君、ガッちゃん、
定由さん、浦部さん、他にも沢山の近い人、遠い人達の
「源さんがんばれ」が源さんには届いている。

俺は高円寺ALONEがオープンしたら、
いちミュージシャンで、ALONEのステージに立つだけであり
内装工事に関して、それをLIVEに持ち込む事はしないし、
源さんがいるから、ALONEで唄うとか
ましてや内装工事して愛着あるからALONEで唄うといった
スタンスでやる事はない。

今、実際は10日の午前11時30分を過ぎたところだが
俺の中ではまだ9日なのだ。
今、帰って来たところだ。
ずっと高円寺ALONEにいた。源さんも寝ずにいた。
これから2時間、ちょっとばかし寝る。
源さんはまだ、ALONEにいると思う。

今日の作業が終わり、俺が帰ろうとした時
源さんは「明日おめ〜来いよ!」と最高の目つきで
俺に言った。

初めて源さんは俺を誘った。

だから、今から2時間ばかし寝て、起きたら10日の
ALONEオープン前日の最後の追い込みを手伝いにいくのである。
源さん、待ってて下さい。なのである。

あと少しなのである。

オープンしたら、もう高円寺ALONEは
出演する全てのミュージシャンが主役となる
誰のものでもない個のステージとなるのである。

その日が内装工事に携わった全ての人達の
心から待ち望んでいる最大の事なのである。

俺にとって、生意気にも私的だった高円寺ALONEの日々は

明日で終わる。



2005年01月09日(日)

ういっす


源さんと高円寺の駅で待ち合わせ。

「あけましておめでとうございます!」

源さんがお年玉頂戴のポーズをとる。

クックック

「八海山」をリュックサックから取り出し

年明け初の顔合わせが終わる。

自然と高円寺ALONEに足が向かう。

正月気分是にて終了。

長く保っても引きずっちゃ〜意味がない時

さり気なく、無言に、自然に向きを変え

暗黙の了解で歩き出すのが、役に立つ。

方向が同じであれば尚、納得の話。

エレベーターは4階へ。

すでに中野さんお待ち。

ういっす!

高円寺ALONEの扉が開く。床が塗られてる。

3人ともまずタバコを吸う。

吸い終わる。

・・・・・・・

誰彼共無く

軍手をはめ、作業始まる。

悪くない始まり。

丸ちゃん登場。

ういっす!

おはよう、とか

おかえり、の

始まり。

・・・・・・



長かった壁貼り終了。

達成感無し。

だが、興奮してる。





2005年01月03日(月)

CINEMA・TWO


立川にあるCINEMA・TWOという映画館に
映画を観に行く。

が、

満席で観れなかった。

CINEMA・TWOはとてもいい映画館だ。
広さ的にも空間的にも。

映画館に入るといつも
入った瞬間、「ここで唄いて〜」って思う。

今回は映画館に入れずに
映画館をあとにしたが、

CINEMA・TWOの出口を出た
その前の素敵な通りで、
「暖かくなったら毎週ここに来て唄いて〜」

路上LIVEは高校生以来だが、
春になったら始めようか。
土曜日のPM10:00から12:00くらいまで。

夜、ロウソクみたいな街頭が灯る
素敵な通りがあるのだよ。






2005年01月02日(日)

新年到来


2005年1月1日の朝




本来なら福島で迎えるはずの朝だったが
31日からの大雪で福島は泉崎村への、交通の便が途絶える。

俺は新年を東京で迎える事になる。

悪くない朝だ。

これは儀式とか形式とかでは無く

1月1日
今日この時に
1年の計がつまっているのを体が感じる。

前日までのずぼらな俺はどこへやら

とにかく、一度
点を打ちに行くべく

調布市は「深大寺」に向かう。

初詣である。




正月の夕方から夜にかけての寺は

この世もあの世も

皆が帰って来るような。

旅から戻って来るような

それを迎え入れるような臭いがあり好きである。

体が、みるみるとにかく

点を打たせろとうずいてる。

今日しかない。うずいてる。

長い列、並んでる間

全ては自然に去年の出来事が

走馬灯となる。

音楽の事ばかりが頭をよぎる。

嫌でもこびり付く。貼り付いている。

あの日のLIVE。この日のLIVE。

去年は音楽の重さを感じた年であった。

その重さを受け入れるのは

他でもなく、己であり、

己の音であり、己の言葉であり、

リズムである。

絵である。

描くのである。

独自の世界を。

・・・・・・・

そんなことを考えているうちに

大きな賽銭箱が近づいて来た。

何を祈る為に来たわけでもなく、

俺はただ、点を打ちにくるべく、

右手に15円にぎり、

自分の番が回って来た。


気が付けば15円投げてた。

両手を合わせ、目を閉じた瞬間

一番初めに出て来た言葉

自分でもびっくりした。

が、納得した。

頭では無く、体で感じていたものが

そのまま出て来たような言葉に

鳥肌が立った。


去年までの

音楽に対しいろいろ考えていた事、

ゴタクを並べていた事、

これらの邪魔なものに

点を打った。


いよいよ新しい年が始まる。

気持ちが引き閉まった。


お守りも、おみくじもいらなかった。


守る必要のあるものなど、今年は無いのだ。

今年は俺は飛ぶのだから。


そんな思いが点を打った事で

体を覆いかぶせてくれた事に

驚きを感じ、実感のないまま

感触を保った。


いいスタートが切れたと思った。


俺はだいたいにおいて、浮ついている
俺はだいたいにおいて、不真面目である
俺はだいたいにおいて、ふざけた野郎である
俺はだいたいにおいて、無様な奴である
俺はだいたいにおいて、滑稽な野郎である

だが、

今年の始まりの日に、どっしりと構えられた事が

嬉しかったのである。

これからなのである。

その為にも、俺は今日、

点を打つ必要があったのだと

改めて、感じた日であった。


「深大寺」は24歳の時

厄払いをしに来て以来だったが、

来て良かった。


もうあと、2日もすれば

この日の思いは何処へやらになるのかい?

365日。

長いようで、あっという間のドラマが嫌でも待ってるぜ。








頼むぜ〜!!!





しっかりしてくれよ〜!!!











お〜!!








良い年にしようぜ!










2005年01月01日(土)

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