2003年02月26日(水)
こんなに大事なのに...



れん(晴れ)

必死に本の字面を掴もうと試みるが
しかし心はうわの空
だめだ 集中できない

何とかして気を紛らわそうと試みるが
しかし時間は刻一刻と迫る
全くの無駄である
途方に暮れる

あの日の記憶が蘇る
彼等と出会ったラクナウの空港を
紳士の国からやって来た彼等は
やはり大きかった

そして彼との偶然の出会いもあった
我等の愛する彼との出会いである
モバイルの調子が悪いらしく
窓に頭を擦り付けて話していた彼
彼の前で僕は唯純粋に興奮していた

時間はもう過ぎた
いよいよだ
もうコイントスをしている頃だ
そして先攻後攻が決まる
しかしセンチュリオンの午後のマッチは
先攻した者が必ず勝利する
なぜならライト点灯後のあのグラウンドは
圧倒的にボーラーに有利に働くからだ!!!
ああ コインよ
どうかインドを先攻にしてくれ!!!

今日はインドにとって大切な
本当に大切なマッチ
僕の唯一の交信手段である
ページャーに入るニュース速報をチェック
そこには晴れやかにも浮かぶ
デジタルのメッセージ
インド コイントスで先攻を獲得!!


そしてインドのイニングが始まった
オープナーはセーワグとサッチン
頼む ブラストしてくれ!!
独り心のなかで叫ぶ
ダーバンまで届けとばかりに

ページャーには1オーバー毎に
試合の状況が届けられる
その速報を今か今かと待ちわびる
1オーバー5分が待てないのだ
早く来い! 早く届け!!

遂に我慢できなくなった
ベッドの下にしまい込んでいた
埃塗れのテレビを引き摺り出す
DD1でもワールドカップは放送するんだ
ケーブルに繋がなくても
DDは映る筈だ
その事が分かっててもこの二週間
テレビは我慢していた
然し今日は違う
今日のマッチは違うんだ
スーパーシックスを賭けた
イングランド戦なんだ

テレビのコンセントを差し込みスイッチをオン
画面が明るくなって来
その左上の隅には確かにDDのマークが
やった! 観れるぞ!!

然しそれも束の間の感激
唯の糠喜びに帰してしまった
その唯一映ったチャンネルは
DD1ではなくDDメトロだったのだ!!

テレビのコンセントを力一杯引っこ抜き
そうだ テレビが駄目ならばラジオだ
棚の上で二年間の塵埃の積もったラジオ
スリナートの速球のような早急さと気迫をもって
濡雑巾で拭い コンセントに差し込み
電源をオンに そして電波を探す
聴こえて来た ここだ! この歓声だ!!
然し!!!

ラジオ放送はヒンディー語だったのだ!!!
これで全ての方途が尽きてしまった
深い後悔が繰返し繰返し頭を埋める

どうしてケーブルを解約してしまったんだ
勿論あの時の値上げは不当だったし
それにメンテも最悪だった
でもそれでもほんの少しの忍耐で
今日のマッチが観戦でき
そして南アで闘ってるメン・イン・ブルーと
感情を共有できたのに

どうして五年もの永き間
ヒンディー語を修練しなかったのか
勿論僕には語学のセンスはないし
それに忍耐も興味もない
でもそれでもほんの少しの努力で
今日の大事な大事なイングランド戦を
ラジオでヒンディーで聴く事ができ
そして南アで闘ってるメン・イン・ブルーと
情熱を共有できたのに

ページャーに入るゲーム速報を
今か今かと待ち続ける夜の
今再びのはじまりだった

追記:
ページャーとは、ポケベルのこと(化石並)。
DDとは、インド国営放送のこと。
ドゥールダルシャンの略。
DD1は1チャンネル。
その他、いろんな言語、スポーツ、メトロ
などなどがある。
NHKがいっぱいチャンネルあるようなもん。

んで悔しいんで
この情熱のもっていきようないんで
ワールドカップ特別企画を
僕の独断と偏見で開始します。
場所はまさら交差点のいっちばん下です。
以上追記:
2003年02月23日(日)
ち・ょ・う・ど・じ・ゅ・う・ね・ん



れん(晴れ乾燥甚)

いまは二〇〇三年の二月
インドもぽっかぽかになってきました

(ぽっかぽか)というと
むかしTBS系列のお昼の愛の劇場で
(ぽっかぽか)ってドラマ
ありましたねえ
そうだ七瀬なつみだったはず
七瀬なつみって可愛い感じなのに
何処かお色気漂ってる雰囲気
誰もしらんだろなあ
好きだねえ

話は戻り二〇〇三年の二月
ということは
ち・ょ・う・ど・じ・ゅ・う・ね・ん
なんだねえ
初のインドより

一カ月間
大学の春休を利用したインド旅行
あの春のメンバーは
ツルクン(ホネツギ屋の修行中)
アッコサン(OLさん)
オオツキ(理系のよう分からん博士)
サイトー(将来社長の修行中)
あの頃はみんな若かった
一九九三年の二月のことだから

んであの春
デリーで出会った
たかジーも若かった
パックの日本酒を貰ったし
中華を御馳走になった
トウショウさんも若かった
まだ在ジャイプルだった
メガネが凄かった
二人とも骨と皮って感じで細かった
一九九三年の二月のことだもんねえ

デリーもなんだか若かった
灯りも少なかった
車もリクシャも少なかった
アンビーかマルティ800だった
道もガタガタだった
デリーも静かだった
デリーも若かったんだろな
一九九三年の二月のことだからねえ
2003年02月17日(月)
電話の対応―トウショウ



インド人の電話の対応・・・前からスッゴク気になっていたんですが、

日本だとまず自分の名前を名乗りますよね。

「もしもし、〜ですけど、〜さんおられますでしょうか?」って

でもインドってちゃんと自分の名前を最初に名乗らない人が多いです。

しかも、電話に雑音が多いのか一発で名前を聞き取ることができなかったりする。

話す間合いが人によって全然ちがうのでお互いに話がすれ違う。

この前も、会社の総務の人の電話を黙って聞いていると・・・。

「もしもし」
(1秒間隔)
「もしも・・もしもし!」(相手も同時にもしもしといっている)
(0.2秒間隔)
「もしもし!!!」(怒鳴る)
(0.5秒間隔)
「誰?」
(2秒間隔)
「誰??」
(2秒間隔)
「そう。ABC社からだけど」
(1秒間隔)
「ABC社からだけど」(だんだん声が高くなる)
(2秒間隔)
「ABC!!」(怒鳴る)
(1秒間隔)
「そう」
(2秒)
「サーフ―だけど」(ここでようやく自分の名前を名乗る)
(0.6秒間隔)
「サーフ―だけど」(声がだんだんでかくなる
(0.8秒間隔)
「サーフ―!!」(怒鳴る)
(2秒間隔)
「そう」
(0.2秒間隔)
「Aさんいる?」(ここでようやく話したい人の名前がでる)
(0.4秒間隔)
「いないの・・」
(2秒)
「じゃあABC社のサーフーから電話があったって伝えといて」(電話切る)

全然話し通じてないよ・・・って思いながら思わず吹き出してしまいました。
もっとすごいのがあるんですが、ここでは書けません。(笑)

2003年02月14日(金)
バレンタインデイ



れん(晴れ)

いつもとなんらかわらない朝
ふと気づくと君がいなくなってた
いつもとなんらかわらない朝なのに

君を失って初めて気づく
君の存在の大きさを

いつもはなんら気にもしてなくて
いつもは君のことなんて気にも留めてなくて
でも失って初めて気づく
君が僕を守ってくれてたことを

君がいないと僕は
どうしてもおどおどしてしまう
君がいないと僕は
自信がもてないんだ
君がいないと僕は
思いっきり全力疾走できない
君がいないと僕は
堂々と大通りの真中を
風を切って駆け抜けられない

君を失って初めて気づく
僕はいつも君をみつめてたんだ
何度も何度もみつめてたんだ
何の気なしにみつめてたけど
でもそこに映る景色にいつも
僕は安心と勇気を見出してたんだ

君なんかなくてもやっていける
君のことなんてまったく眼中にない
そんな強い人たちも大勢いるけど
僕はとても君なしじゃやっていけない
君を失って初めて気づいたんだ

一言も僕に告げずに
夜の隙間にいなくなってしまった
僕の左バックミラーよ
君を取り戻すためなら
僕はどんな代償も厭わない
僕には君が必要なんだ
君なしのリングロードなんて考えられない
マンディハウスチャッカルなんて
君なしじゃとても回れないんだ

明日の朝一番に
ヒーローホンダのディーラーへ
君を取り戻しに駆け込むから

追伸:
若くてきれいなのを
失った君のアトガマになんて
僕は決して思ってないから

ついでにエンジンさんの調子も
みてもらっちゃおっかなあなんて
これっぽっちも思ってないから
2003年02月13日(木)
高所恐怖?



れん(晴れ暖)

最近いい天気が続いて嬉しい
日本の皆さんには申し訳ないけど
ぽっかぽかって感じ

インドに来る前から
ちょっとそのケがあったのですが
インドに来てからははっきりしました
というかひどくなりました

なにがというと
高所恐怖症
はっきりとは言えませんが
しかしどうもそれっぽい
まだパニクラないんでいいんですが
とにかく飛行機が恐ろしい
今回はまだよかったのですが
前回去年の夏の日本からのJAL
ホントに怖かった
もう天気がすんごくよくって
上空からウチの実家の最寄駅まで
肉眼で確認できたのですが
すごくない?
しかしその天候のよさとあまりのリアルさに
アッアッミズクダサイィィ
って感じでびびりまくって
もう怖い怖い怖い
二度と飛行機はいやだ
と思ったけど
まさか陸路で日本に帰るわけにもいかず
けっきょくまた飛行機乗ってしましたが
とにかく飛行機に乗んないといけないような仕事は
ゼッタイニゴメンダ!!
固く固く決意発表です

僕はJALを使うのですが
デリーから成田はいいんですよ
夜飛ぶから
でも成田からデリーってのはちょうど昼
新宿から甲州街道を西へ進み
京都から瀬戸内の海を進み
関門海峡を渡っていくんですよ
んでずっと西に飛んでってインド上空
ヒマラヤ鑑賞しながらガンガーに沿って
カルカッタ方面から北上していくんですね
西北上といいますか
いいんですよっていうか素晴らしいフライトなんですよ
天候さえよければ風光明媚とはいわないか
窓からの流れ飛んでく景色を味わって

しかししかしこの一年僕にとっては興ざめもの
下をのぞくだけでもう背筋ゾクゾクの
もういいからとにかく早く着いて
それか天気悪くなって雲ん中飛んでくれ
と念じてしまいます
落ち着いて本も読めない
忘れよう紛らわそうと酒がぶ飲みすると
もう変な酔い方顔は火照って真っ赤っ赤心臓ドクバク
もっと怖くなるもう最悪
それなのにカウンタでいつも窓側席お願いしてしまう
貧乏性というかがきっぽいというか

最近用事でちょっと高いところに行くんですが
まあ高いといっても六階(日本式七階)なんですが
っこっれっがっひっさっしっぶっりっ
どうしてこんなに高所恐怖的になっちゃたか
理由が分かりました
理由は簡単
<デリーじゃ高いところに行くことがない>
だからなんですね

しかし高いところから観るデリーは
それはそれでいいっすよ
飛行機はダメだけど六階くらいならぜんぜん平気
たかジーがいつも言ってますが
デリーって緑の多い街なんですねえ
いつも行くところからは
大統領官邸からインド門まで
ラージパートが見渡せて
その向こうに官省庁公舎関係地区が
まるで森のように広がってます
オベロイってけっこう遠いね とか
もしかしてあの向こうに立つのがAIIMSなの
とかとか

以前コンノートプレイスにある
ビルの屋上回転インド料理レストランに
連れて行ってもらったことがあるのですが
デリーの夜景もまた格別でした
コンノートプレイスってホントに丸だ

慣れきったそこもあそこも
ちょっとエレベーターに乗ってみるだけで
まったく同じだけどまったく違う感じに観える
地面に這いつくばってる感じの
デリーの毎日だなあ
それはそれでいいんだけど
でも自分にきゅうきゅうになり過ぎだなあ
とちょっと大きな気持ちに
まあ旅行の人にとっては
デリーって暗いねえ電気少ないねえ
くらいなのかもしれませんが
2003年02月04日(火)
インドの男性―トウショウ



この前、仕事の関係でソフト会社の総務で働いている
インドの女性の方お会いする機会がありました。
その日は不幸なことに旦那さんの御祖母様が亡くなられてしまい、
彼女は仕事場から自宅に一度帰って食事の用意をして、
再び私と会うために出てきたようでした。

ところが会議中にも旦那さんが携帯に電話してきて、
彼女はスープを温めて飲むのだのいろいろ指示して大変そうでした。
電話を切ったあとに、この女性は
「インドの両親は男の人の育て方を間違っている」と一言・・・。

確かに、インドの親を見ると、子供が人に迷惑をかけることを
しているのに全然叱らない人が多いです。
おまけに、家では子守りやサーバントがなんでもやってくれちゃう。
おかげでネクタイも自分で結べない人までいます。

この女性の方は、旦那さんといろいろ家事の役割分担について
議論したらしいのですが、変わっていないといっていました。
こうした現状を見て彼女は、
子供が生まれたら絶対そういう子には育てないといっていました。

世のインドの男性みんながそういう人ばかりではないと思いますが
この国ではそういう傾向性が強いと感じます。

こういう女性のような考えのお母さんが増えれば
インドの男性も変わっていくのではないかと思います。

この国で家事も仕事もやっている男性というのはあまり多くないと思います。
なのに女性に対して威張っている人が多い・・・。

本当に強いというのなら、家事も仕事も全部自分でやって
女性には、本人の力が最高に活かせるように仕事や勉強を自由に
してもらうくらいの度量があってしかるべきじゃないかと私は思ってしまいます。でもこんな強い人ってめったにいるもんじゃない、
だから自分の力の弱さを隠すために女性に威張るんでしょうね。

力が足りないんだからそのことを認識して
男性はもっと謙虚になって女性に敬意を表するべきだと思います。

・・・と今日は書きたいことを書いてしまったトウショウでした。
これはインドに限ったことではないかもしれませんが・・・。











2003年02月02日(日)
カラム大統領さん



れん(曇り寒)

カラム大統領の著した本を読みました。
題名は「Ignited Mind」
とかく「ロケット博士」という名のもと、なかなか評価というか評判が分かれてしまうし(特に外人のなかで)、なかなか人柄も知り得ないもんで、彼の本でも読んで、彼がどんな人物か、まず自分自身で判断した方がいいかなあ、などなど。

この本は知人に薦められて読み始めたのですが、青年へ熱くメッセージを贈ってます。大統領は就任前の数年、インド各地の学校などを精力的に訪問し、子供や青年と触れ合い、彼ら彼女らのなかに、名実ともの大国インドの未来を見出した、と常々語っています。この本でも、その来る世代との対話のなかで、彼自身の印象に強く残った、子供たちの素直な疑問やアイディアを数多く紹介しながら、誠実に、また真剣に様々なコトを記しています。詳細は述べませんが、彼を知るにはなかなかの本だと思いますので、興味がおありの方は是非。

ということで、カラム大統領の人物評と読書感想。あくまで僕個人の評価ですので、まったくあてにしませんよう。どうか読み流して下さい。

全印人から「ロケット博士」と尊敬を集めているだけあって、やっぱりなかなかスゴイヒトっすね。ただ単にロケット作ったからスゴイヒトってんじゃないっすね。職人気質で仕事もすっごくできるヒトなんでしょうけど、それだけじゃなくってコミュニケーションがきちんとできるヒトなんですね。誠実さに感銘しました。自分自身に誠実で、他人にも誠実で。えらぶってないんですよね。子供たちとも誠実に、んで謙虚にコミュニケーションがとれる、そんなヒトだなあ、と。

んでもって、責任感の強いオトナなんでしょうね。スケールの大きな責任感。家族や自分の仕事に対してってのも勿論そうなんですが、それにもまして、自身の科学分野に対する、また、インドという国に対する、また、来る世代に対する、そんなでっかい責任感に燃えるオトナ、ってな感じで。スケールでかいっすよねえ。

科学者だけあって、やっぱりなかなか実際的なヒトっす。本文中でいろんな経験や事例などを丁寧に挙げて自分の意見を展開していくような辺り、きちんと結果を出してなんぼのもんやってなシビアな実務者的責任感漲ってます。しかしそれだけじゃなく、彼自身、敬虔なムスリムだし、かなりLOVELOVEインドなヒトだし、インドの哲学や歴史、詩や文学等々含蓄する所大なりで、謙虚ながら然し大胆に高きインドの理想を掲げ、それを達成すべき実際的なノルマとし、いかにして現実化していくかを真剣に問い続けてます。冷たき科学者の脳ミソと熱き詩人の心臓(実際、詩人なんです)とを併せ持ったヒトってな感じっすか。

チームワークを大事にするヒトなんですかねえ。ロケット開発に関わらず、何事も独りじゃできっこないっすからねえ。このバラバラインドでロケット作っちゃったんですもんね。スゴイことっす。上に書いたような人格的なイイトコないと、決してできっこないことっすよねえ。「ロケット博士」の尊称が「明るい未来インド博士」となることを念願して止みません。

読書感想文。
読んでてやっぱり気になっちゃうというかひっかかっちゃうことが二点。「愛国心」と「非暴力」。カラム大統領、非常に熱い愛国家。勿論、ガンジーやネルーも熱烈愛国家でしたし、また愛国家でなくしてあのような偉業も成し遂げられるものでないし、「愛国心」といっても偏狭なものではなく、そこから人類のみならず地球環境全体を抱きしめてしまいたくなるような、より普遍的な意味での「愛国心」なのですが、どうしても変に反応してしまっちゃいます。僕の育ちの問題もかなりあると思いますが、そこのところをアタマでなくカラダできちんと感じ、識別できるようにならないと。

んで、話は「ロケット博士」。彼も深くて広い「愛国心」を胸に、貢献という唯一字の下で、彼の在る場所場所で闘い続け、その持ち場がどんどんと拡がっていき、そしてインド共和国大統領という場で今も闘い続けているのですが、どうしても僕のなかですっきりこないのが、「非暴力」と「ロケット」開発という二つに、彼自身のなかでどうやって折り合いというか倫理的整合をつけてるのか。勿論、彼は好戦的ではまったくないし、平和を愛してるし、虐げられている人々をどうやって幸福にしていくかということが何よりも先ずのプライオリティだし、そういった高潔な人格者、この精神の大国インドの大地が産み落としたヒト、そして今、大統領という政治の場に立った彼だからこそ、核という、責任倫理じゃみんなぶっとんじゃうモノは、彼にとっていったい何なのか、そこんとこが是非是非。

◎日記の目次
▲この先のぺいじ
▼以前のぺいじ

○めいる

まさら通りへ