窓のそと(Diary by 久野那美)

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2003年01月25日(土) 「逃げる」ことについて。

ここしばらく、考えていること。「逃げること」について。

誰にでも、「逃げる」権利がある。
誰にでも、「生きる」権利があるのと同じように。

出発点は偶然に与えられた場所であって自分のために在る場所ではないから、そこはもしかしたら、自分にとって最も危険な場所だったりするかもしれない。アイデンティティを出発点(ルーツ)に求めるから、求めるものが見あたらないと立ちすくむ。求められない場所ではしゃがみこむ。
出発点を肯定することでしか自分自身を肯定できないのだとしたら、殺されるまでとどまらなければならないことだってあるだろう。
それって本末転倒だと思う。
だから、そういう時は逃げることにしよう。
生きなければ始まらないから。始まらないまま終わってしまうから。
逃げましょう。全力で、どこまでも、最後まで。

逃避行、という魅力的な言葉がある。
安全と幸せを求めて、与えられた場所を捨て、まだ見たことのない自分の場所を探しにいくこと。
だけど、どこまで逃げても、否、逃げれば逃げるほどに、振り返るといつも出発点はおなじところにあって、決して消え去ることはない。
世界はいつも「その場所」と「この場所」の間に在る。

逃げることは世界から遠ざかることではなく、
世界をどんどん拡げていくことなのかもしれない。
だったらよけいに逃げねば。そしてどうせなら、できるだけ魅力的に逃げねば。
華麗に。贅沢に。力強く。どこまでも。
ちょっとでも、広いところで暮らすために。

ずうっと、そういうことを思って物語を創っていたのに、
私は「逃げる」という言葉を使ったことがなかった。
劇作家の友人に指摘されて、なんでだろ、と思った。
そのひとは、「逃げる」という言葉をとても自覚的に使う人だった。

で。ちょっと気になって、最近考えている。


2003年01月14日(火) 花束

個人的なささやかなお祝い事があって、花束を頂いた。
薄い色の小さなつぼみ入りの繊細な花束を見慣れていた私にはかなりショッキングな花束だった。
ちょっとこぶりのひまわりくらいの真ピンクと深紅の花、ゴボウサイズの頑丈な茎、昆布をシソに漬けたような大きくて立派な葉っぱがざくざくと束ねてある。
しかも束には薄い焦げ茶色の紙とリボンがかかっていて、それもとても素敵だった。「花だからって無難には包まないわよ。」という気概を感じる。
抱えると結構重くて、持って帰るのが嬉しかった。
なんというか・・・・強そうな束なのだ。豪快な束なのだ。
植物というより作物・・て感じ。これに勝てるとしたら、野菜盛りくらいか。
しかも根菜系。

ビールジョッキに生けたら、部屋の中ですっかり主役になってしまった。
大きなものがたっぷりどっさりあると、なんだか心強くなる。
華やかで豪快で頑丈な花束は、しかも生きていて、ぐんぐん水を吸いあげるのだ。
帰ってから、飽きずにずうっとみている。

みるたびに、なんか可笑しい。そして嬉しい。
お花をもらうのはいつも嬉しいけど、こんなに嬉しい花束ははじめて。
選んでくださった方のセンスに脱帽。

そんなわけで。ちょっと素敵な一日でした。




2003年01月07日(火) ガス屋さんが来た。

なぜかガスが止まってしまって・・・、ガス屋さんに電話したらすぐ担当のひとがきてなおしてくれた。引越しのときも来て説明してくれたひとなんだけど、ものすごく親切。ガス屋さんが来るのはちょっと嬉しい。わからないことをいろいろ聞けるから。電気屋さんは町中にあるけどガス屋さんは少ないので、ガス製品についての正確な知識を仕入れる場所がなかなかないのだ。このひとは何を聞いてももほんとうに丁寧に教えてくれる。しかも、ガス屋さんのつなぎが猛烈によく似合っている。
昔、国際結婚した友達の家に遊びに行って、ガスオーブンで焼いたグラタンをご馳走になって以来、いつの日かガスオーブンを買おう!と思っていたので、この機会に根掘り葉掘り聞いてみた。
「オーブンのことについて教えてほしいんですけど・・」
というと、その場で資料を出してきていろいろ教えてくれた。
きれいなカタログもくれた。
「オーブンにはガスのと電気のとがありますが、ガスの方のいいところと悪いところを教えてください。」と言うと、
「みなさん、ガスは危険だと思っておられるんですけど、そんなことないんですよ。今日、僕がこうやってここへ来ているように、ちょっと何かあったらすぐ止まるようにできていますし・・・。電気代よりも安くつきますしね。何と言っても火力が違いますから、炊飯器なんか特に差がでます。ガスで炊いたご飯はおいしいです。火力が強いと言うことは、調理時間が短いということでもあるんです。だいたい、電気の半分の時間で済みます。」
ガス屋さんはものすごく、電気屋さんにライバル意識・・・というかコンプレックスをもっているようだった。無理もないか。あれだけ、情報量が違うんだから・・。
「あの、よいところはわかりました。火力と光熱費ですね。では、電気のオーブンの方がいいとしたら、どんなところですか?ガスではなく電気の製品を選ぶひとたちは、何を理由にガスを敬遠するんですか?」
ガス屋さんは、悔しそうに、しかし、明瞭に教えてくれた。
「・・・・・・まず、価格が違います。」
「ガスのオーブンの方が、高いんですね。」
「そうです。でも・・・!」
ガス屋さんはさっきくれたカタログを開いて説明してくれた。
「カタログをごらんになって、ここのところの値段を見て、<こんなに高いなら無理ね>とか思わないでほしいんです!」
「・・・はい。」
「定価で売ることは、まず絶対といっていいほど、ありません。」
「そうですか・・・。」
「値段を見てみなさんひいてしまうんですが・・・(電卓を出し、すばやく計算)、大体2割から3割引きが普通だと思って頂いていいです。春にはセールもありますし・・・。」
だったらその値段を定価にすればいいのにと思うんだけど、そういうわけにはいかないんだろうか・・・。
「じゃあ、電気のよりちょっと高いくらいですね。それで、光熱費が安くて時間も半分なんですね。だったらみんなガスにしそうなのに・・・」
ガス屋さんは、とても悔しそうに言った。
「そうなんですよ・・・でも、みなさん、電気の方が使いやすいんでしょうね。」
「どうしてですか?」
「まず、さっきも言いましたように、ガスは危険だ、というイメージがあるからです。僕たちから言わせると、電気だってじゅうぶん危険なんですけどね。」
「止まりませんしね。」
「そうです。」
「じゃあ、電気製品のほうがメジャーなのは、ガスが誤解されているからなんですか?」
「いえ・・・・・その・・・電気のコンセントの口は各部屋にだいたいありますけど、ガスは少ないでしょう?たいてい台所だけだし、しかも2つくらいしかない・・・これでは電気製品の方が使いやすい、と思われても仕方がありません。」
「なるほど。」
これはとても納得のいく理由だった。
現代の日本家屋そのものが、ガスを拒絶するようにできているのだ。

ガス屋さんは、とても丁寧に、かつ嬉しそうにガスの説明をしてくれたあと、「春のセールの案内、また持ってきますからね・・」といって帰っていった。

私は面倒なのが嫌いなので、早く済むなら早いほうがいいと思ってしまう。
ガスだと半分の時間で済むとは知らなかった。
いったいどうして、日本でいちばんメジャーなガス製品がガスコンロなのだろう?
煮たりあたためたりするのはむしろ電子レンジの方が早かったりするのに・・・。
家庭料理において、「早く済ませるためにガスを使う」という発想はあんまりないような気がした。たいへん、勉強になりました。やっぱり餅は餅屋、ガスはガス屋。

それにしても。最近はお風呂も直接焚けるのは少ないし、ガスはどんどん不要になっているような気がする。そういえば、学生時代にはじめて一人ぐらししたときも、ガスをひくのを忘れたまま引越してしまった。電気ポットと電気なべがあればそんなに困らなかった。電気がなかったら大変だっただろうと思う。

なんか、ガス屋さんの宣伝みたいになってしまったけど・・・自分の扱ってるものをプライドを持って薦められて、ひとに「それっていいかも。」と思わせる力があるというのはやはり素敵なことだと思う。営業マンの言葉より、職人さんの言葉のほうが気持ちがいい。そういう職人さんに会うと世界が豊かになって、なんか得した気持ちになる。
以前、料金を聞いて簡単に断ってしまった私にクーラーの分解掃除の必要を必死で説得して、暑い中猛烈にスピーディ処理してくれて、作業の間中、クーラーについていっぱいいろんなことをおしえてくれた電気屋のお兄さんがいたけれど、そのときも得した気持ちがした。
「これであと10年はいい状態で使えます。いいクーラーですから、大事に使ってくださいね。」と言われて、素直に「はい。」と思った。高いなあとか思わなかった。
あのときは電気屋さんの勝利。
今回はガス屋さんの勝利。

わたしもそんな職人さんになりたいと思う。

というわけで。
オーブンはやっぱりガスにしよかな。
でも、春のセールは無理。まだずいぶん先のことだけど。


2003年01月04日(土) モップの交換


月に1度、某レンタルモップ会社のお兄さんがやってくる。
私はこの日がとても怖い。
そろそろ来るな・・と思うとどきどきする。
引っ越し屋さんのサービスで化学モップのモニターになって以来、
彼は毎月一度、訪ねてくる。モニター期間は終わっているので有料なのだけど、「もういいです。」と断るまではモップの交換にくるのだ。
嫌なら断ればいいんだけど、モップ自体は便利だし、便利なものにはそれなりのリスクが伴うものだとも思うので、がんばっている。

でも怖い。来る日がわかると朝から緊張するし、早起きしてしまったりする。

まず、当日、または前日、留守番電話に「○○会社の○○です。本日○時頃伺います。」とすごい低音でメッセージが入る。静かに丁寧に、音楽的にはかなり美しいはずの声で強行に時間指定をする。

にもかかわらず、約束の3時間も前に玄関のチャイムがなる。
恐る恐る穴から覗くと、どこからか突然振り降りてきたかのように、「すでにきちんと」そこに立っている。スーツには少しの乱れもなく、足元はきちんと揃い、どうみても、他のひとたちと同じルートを通って歩いてきたように見えない。
ドアを開けると、
「ふふ。(笑顔)○○です。モップの交換にあがりました。」
とこれもエコーのかかった低い音で静かに言う。そして微笑む。
この佇まい方は・・・そう、俳優の阿部寛さんにちょっと似ている・・・。
阿部さんは素敵な俳優さんだと思うんだけど、あの顔とあの風情はマンションのドアの前に立つにはあまりに違和感があるのだ。

私はとりあえず、「どうも・・・。」
と言ってはんこを押し、お金を払う。
そして・・・恐怖はまだ続くのだ。

はじめてモップの交換に来た日、満面に笑みをたたえて彼は言った。
「ふふふ。いつもいらっしゃるんですか?」
「は・・・?」
いつもいるわけはないので、言葉に詰まる。
しかも、彼はなぜだか自信たっぷりに微笑んでいる。
いったい何にそんなに自信をもっているのか。

「あの・・・、いるときもありますけど、いないときもあります・・・。」
「ははははは。」
「・・・・・・。」
「ウイークデーは?いつもいる?」
何気にため口になる。怖い・・・・。
「・・・しゅ、しゅうによります・・・。日にもよります。」
「ふふふ。この時間なら、いつも、いるんですね?」
どうしてそんなに微笑むのか??
わたしは馬鹿にされてるのかしら?
いや。モップ屋さんがお客を馬鹿にするはずがないので、それって被害妄想だわ。

混乱する。
家具じゃないんだからいつもいるかどうかなんかわからない。
「用事がなければ・・・。」
「ふふ。この時間はだいたいいらっしゃいます?」
いつもがだいたいに変わった。これは譲歩か?
「だいたいいますけど・・あの・・・いないときもあります。」

彼はすこし肩をすくめ、ふうとため息をついて言った。
「・・・・・・じゃあ、来る前に電話したほうがいいのかなあ。」
始めて聞く面倒そうな口調。でも笑顔はけっして崩さず・・・。
できるんなら最初からそうしてくれればいいじゃない・・・。
「いつならいつもいるのか」確認するより簡単じゃないの??
「・・・・・・電話してください。」
必死で、それだけは伝えることができた。

「わかりましたっ。では、お電話してから伺うことにします。ふふふ。」
ひとことで場を仕切りなおし、彼は一礼してくるりと後ろを向いた。
「・・・・・おねがいします・・・・。」
ドアを閉めたとたん・・・・疲れた。
なんだか、開けたらもうそこには何の痕跡もなくすべてが消え去っているような気がした。


私が電話をしてくれといったので、事前に電話で予告をして、(受話器の向こうの声は地底を響くように低く、静かで、しかも微笑んでいる(声が!))翌月からも、彼は同じように現れた。
ドアを開けるとそこには同じように一糸の乱れもなく立つ彼がいる。
私ははんこを押して料金を払う。
彼はまた同じことを言う。
「ふふふ。この時間はいつもいらっしゃるんですね。」

あなたが来るというから家に居るのでしょうが!!
と言い返したくなるのだが、力なく笑い返すのが精一杯。
わたしを見ながら、彼もエコーの聞いた、低い声で、ふふ、と笑う。
足をそろえてきちんと立ち、異常なくらいにこやかな笑顔でこちらを見据え、ときどき台詞に合わせてリズミカルに方を振るわせる・・・。

実際危険なことはなにも起こらないんだけど、モップも新しくなるんだけど、
殴られたり、叱られたりするわけでもないんだけど・・・・
そのひとが来ると私は猛烈に疲れる。
なんで疲れるのかわからない。

営業マンというひとたちはみんなあんなふうなのでしょうか?

なんであんなに怖いの?
こういうのが怖いのってわたしだけ?


2003年01月01日(水) どうして「おおきいほうから」なのか?

買い物してお金を払うとき、いつも緊張する。
おつりが「お札の方」から出てくるのか、「小銭の方」から出てくるのか、あるいは同時に出てくるのか、確認するため相手の手元から目を離すことができない。
それを読みることができないと、財布のどちら側を開けて待っていればいいのかわからないのだ。
店によってもひとによっても違うのでその都度緊張する。
不器用でお金の出し入れが苦手なうえに、あとに長い列ができていたりすると、あせってよけいに時間がかかる。混雑したレジでスタンプカードとお札と小銭を操らなければならないときの緊張感はとても辛いものだ。

どうして統一しないのかしら?
必ず小銭の方から返すようにすれば、お互いにずいぶん楽になると思うのに・・。

だってお客はたいていまず札入れを開けてお札を取り出し、そのあと小銭を出すのだから、支払った時点であいているのは小銭入れの方なのだ。小銭のほうから返してくれれば小銭入れは一度開けて一度閉めればすむじゃないかと思うのだ。

なぜか、「大きい方から」返すひとがいる。しかも、それがだんとつに多い。
次は「両方いっぺんに」返すひと。この二つで9割以上を占める。

「6754円です」と言われたら、まず札入れを開けて10000円札を1枚出し、次に財布を横向けにして小銭入れを開けて760円を出す。(*注 ちょうどあれば754円出すので、この問題は起こらない)すると、相手は
「では、おおきいほうから」と1000円札を4枚出してくるので私は小銭入れをいったん閉じて財布を縦にし、それを仕舞う。その間に相手は小銭をレジから取り出している。
そして、「あと、こまかいのが6円になります。」と数え終わった小銭を渡してくれるので、私は再び財布を横向けにし、小銭入れを開けて1円玉6枚をそこへ入れ、小銭入れを閉じる。さらに、
「スタンプカードはお持ちですか?」
とくるときは、再び財布の向きを変え、中を開き、カード入れの中を検索しなければならない。

それれだけの動作をやっていると、3回に1回は小銭入れのふたを閉め忘れて小銭をバラまいてしまうことになる。
せめて、「小さい方から」返してくれれば、事故の回数はかなり減るのになあ・・と精算しながらいつも思うのだ。

そこで。
年末に素敵なお買い物をした。
お札サイズになっていて、一度ファスナーをあければ札入れもカード入れも小銭入れも一覧できるタイプのお財布を買ったのだ。

さっそく帰りにスーパーによってみたら、もう、夢みたいにスムーズにことが運ぶ。このお財布の導入によって、私のクオリティー・オブ・ライフは格段に向上した。

もう、おおきい方だろうと小さいほうだろうとどっからでもかかってこいという感じ。

すごく喜んでたら、一緒にお買い物してたひとに言われた。
「そもそも、払うときに小銭の方から出せばいいじゃない。」
私が「大きいほうから」問題について日記に書こうと思うと言ったら、
「そんなことで悩んでるひとはあんまりいないから、恥ずかしいからやめたほうがいい。」と言う。

・・・・・・・・・・・・・・・もしかして、みんなそうやって解決してる?
「おつりはおおきいほうから」は合理的なの???

いや。世の中は広い。
ゴキブリだって1匹見れば100匹いるっていうし・・。
私が何十年も悩んでるんだから、おなじことで悩んでるひとがどこかにいるかもしれない。
だから、今日の日記はそのひとたちへ。
私たちの問題はとにかくいずれかの方法で解決されるのです。

小銭から先に払うか。
財布を買い換えるか。

みんなで知恵を出し合って、生活の質を高めていきましょう。
今年もよろしくお願いします。

(でも、「小銭から」支払って「小さいほうから」(あるいは同時に)返されたらどうするんだろ、とやっぱり疑問に思うのでした。少なくとも、統一してほしいですよね。)


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