窓のそと(Diary by 久野那美)

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2000年10月30日(月) 口語的

私の書いた台詞は、口語的(会話的)じゃないとよく言われる。
自分ではあんまりよくわからない。
ひととひととの距離、ひととひととの距離をいきなり適切に図れないので、
ちょっとずつ調節しながら書いてるとそんな風になってしまう。

ある、とても丁寧な話し方をされる演劇ファンの方に
「私もですね。ええ、そういう話し方をしてしまうものですから。ためぐちとか、きけなくて…。ですからね、久野さんの台詞にはですね、大変興味をもっておりましてね…。」
と、言われたことがあって、そのときはなんだかとっても嬉しかった。

ことばを省略するのはあんまり好きじゃない。
会話でも口語でも、省略しなくていいところは極力省略せずにすませる方法を考えたいなと思う。
せっかく、遠くまで届けるために「ことば」で話すんだから。

口語的じゃない、と言われるのは、だからあんまり嫌じゃない。


2000年10月28日(土) ロングタイプ

ミニコミ紙の「譲ります」コーナーをなんとなく見ていたら、こんな広告がありました。

「ダックスフント(ロングタイプ)差し上げます」

ロングタイプ!
ダックスフントは要らないけど、その言葉は気になります。
ダックスフントの長さの相対化。
私が知ってる「ああいうの」はスタンダードなのか、
それともあれがロングタイプなのか。
他にショートタイプのもいるのか…。
いろんな縮尺のが、頭の中に登場しては消え…。

稽古場で話したらみんな首をひねっていました。
そういう分類について、誰も知らなかったのです。
出演者の大西さんが少し遅れて口を開きました。
「ダックスフントって…毛の長い種類と短い種類がいますよね…。」

「!」
そうなのか。
そう言われてみたら、たしかに…。
でも、言われるまで誰も思いつかなかったのです。
ダックスフントの相対化。

だけど。みんな納得はしたものの。
なんだかちょっと残念な気持ちもしたのでした。


2000年10月27日(金) 理想的な現場について  

山羊の階は…。
よくも悪くも、ものすごくマイペースなひとが多い集団です。
役者さん3人は特に強烈です。
これまでにも、いろんな稽古場で、「宇宙人」とか「妖怪」とか言われてきたひとたちです(?)。このひとたちと毎日一緒にいると、何が普通のことなのかわからなくなってきます。

私も集団作業の現場ではみんなに迷惑をかける方なので、協調性のなさや正確な作業の苦手さに激しいコンプレックスを持っていたのですが、山羊の階が始まってからはあまり考えなくなりました。
ここでは私も標準レベルをクリアしているような気がします。(彼らのように、欠点を補ってあまりある魅力には欠けますが…。)

それで安心していてもいいのか。と思いつつ、人間どうしても楽な方へ流されるものです。みんなで安心しあっています。

さらに。
全員がそんなだったらさぞかし現場が混乱していると思われるでしょうが、よくしたもので、ちゃんとそういうことに長けたひとが居て、できない人の分までがんばってくれています。ここが素敵なところです。

地図が読めて、
チケットがまっすぐ切れて、
書類を失くさずに保管できて、
突然眠くなって意識が飛んだりもせず、
食べ物の賞味期限にも気を配れ、
床にコーヒーをこぼさない制作の中村君は、
いつもみんなから「えー?ほんとに?すごいねえ。」と異端視されながらも大変重宝されています。

必然的に彼の仕事はどんどん増えていきます。
みんな、バランスや正確さを要求される仕事が必要な時は、いまや勝手に手を出したりせず、中村君がくるのを待つようになりました。

「どんな仕事もいちばんの適任者が担当すること。」という山羊の階の階則がありますが、それにもちゃんと合致しています。

「嘘?!なんでできないんですか?」
といいつつ、着々と仕事をこなしてくれる最年少の制作さんを、みんなほんとうに尊敬しています。そういうひとが集団を現実的に支えているのです。

できないことはできるひとにやってもらって、やってくれる誰かを「すごいなー」と思っていられる状態って、いちばん理想的な状態じゃないかと私は思います。

誰も困らないし。みんな得するし。みんな気分いいし。効率もいいし。

そしてそれはもちろん。
その誰かにできないことは、他の誰かがどこかでちゃんとできなくてはいけない、ということでもあるのですが。


2000年10月26日(木) たまには稽古のこと  

ようやくひとがひとらしく、場所が場所らしく見えてきました。
登場人物やものが稽古場で(あるいは本番で)、私の思いもよらなかった表情を見せたとき、なんだかどきどきします。はじめて会った人に会ったときの気持ちがします。
どきどきして、そしていろんなことがいっぱい気になる。

このひとは何してるのか。
何考えてるのか。
そもそも。このひとは誰なのか。
どうしてそこにいるのか。
そこはどこなのか。

聞きたいことはたくさんあるのに、そのひとはとても遠くにいる。
あたり前だったはずのことがどっかへ行ってしまって、思いもよらなかったことが当たり前になる。
私がいちばんよく知ってたはずの場所から私がいちばん遠くにいる。

不思議な瞬間です。
最近そんな時間が増えてきて。私は楽しいです。
どきどきする。

こんなとき、役者さんは何を考えてるのか。
わからないから余計に楽しいのかな。



2000年10月25日(水)

風を記録したいなと思ってお芝居を作るような気がする。
形は絵で記録できる
音はテープに録音できる。
風景は写真に撮ることができる。
できごとは言葉で記録することができる。
でも、風は…。

風を説明するのための要素はなんだろう。
できごと?
場所?
ひと?
ことば?
物語?

あのとき吹いていた、「あの風」。
もう一回ここに再現するために必要なものは何だろう。

音響ブースと照明ブースの横に、風ブースを創るのが私の夢なんだけど、それはなかなか難しいらしい。


2000年10月24日(火) 名前について  

ものの名前を覚えられない。
ひとの名前はすぐ忘れるし、本の題名も覚えられない。
だから固有名詞にはあんまり興味が持てない。
台本を書いても、登場人物に名前をつけたことがない。
つけても本番までに忘れるような気がする。
お芝居を見てても。名前がわからなくなってよく混乱する。
「名前がなかったら芝居の中で、お互いを呼ぶときどうするの?」と聞かれるけど、
呼び合わないので特に問題ない。
できれば、タイトルもつけたくないと思っている。
「題名つけないとだめ?」といつも聞いてみるんだけど、
「チラシが作れないからだめ」と却下される。
毎回。台本はできてるのに題名がないから宣伝できないという状態になる。
一回だけ、題名のないチラシを作ってもらったことがある。
一見誰も気付かなかった。題名ってそんなものなのかと思った。

タイトルや名前は大切だといわれる。
大切なものの大切さがわからないのは少し悲しい。


2000年10月22日(日) 綺麗なだけのもの  

「こころという名の贈り物」という本(ドナ・ウイリアムズという高機能自閉症の女性の自伝)の中で。彼女が恋人からプレゼントされたクリスタルの置物を突き返すシーンがあった。   
「クリスタルは何かを発見するためのものよ。自分のものにするのではなくて。」

なんだか気になる台詞だった。
…ましてや、相手から愛情の確認のために「贈られるものではなかったんだろう。
彼女にとって、それはいつも自分の外側においておかないといけないものだったのだ。
自分を確認しながら、外側の世界と接するための道具なのだ。

「綺麗なだけで何の役にも立たないもの」にしかできないことがあるような気がする。
「何の役にも立たないもの」が無力なのは「何か」の内側に対してだ。
内側に対して完全に無力なものだけが、外側に対して働きかけることができるときがある。

ドナのクリスタルのように。
「綺麗なだけで何の役にも立たないもの」がものすごく欲しくなるときがある。
そういうのを創れたらいいなあと思う。
思うけども難しい。
どうしても、ちょっとぐらいは役に立つように創ってしまう。
そんなつもりがなくても、ちょっとぐらいはまず何かの役に立ってしまう。

ものすごく難しいのでものすごく憧れる。
ものすごくものすごく憧れる。
一生憧れてるような気がする。

*ドナ・ウイリアムズの著作
「自閉症だったわたしへ」
「こころという名の贈り物」
「ドナの結婚」


2000年10月21日(土) おんなじかたち。  

水平線は海のかたち。そして空のかたち。
私の輪郭は「私」のかたち。そして「私以外の全部」のかたち。

同じ輪郭線で描けるものはいつもふたつある。
何も共有しない、全く違うふたつのものだけが、いつもおなじ形をしている。


2000年10月20日(金) 何してもいいということ。  

「好きなようにしていいよ。」「何をしてもいいよ。」と言われるのが苦手だ。

いいのか。
と思って好きなようにするとたいてい怒られるから。

「いくらなんでも非常識でしょう。」
「何をしてもいいと言ってもそこまでは。わかるでしょう。」

それは約束が違う。だったら最初にそう言ってくれればいいのに。「どこまでの範囲で」何をやってもいいのか。
そもそも、ひとはひとりひとり、考える方向も範囲も違うんだから、本来何をするか分からない他人に対して、
「何をしてもいいですよ。」と無制限に言うのはものすごいことなのだ。
そんなものすごいことをさらっと言うなんてすごいと思ったら違うのだった。
「何をしてもいいですよ。」というのは、「私の思っている範囲のこと以外はしないでね。」
という意味であることの方が多い。慣用句なのだ。

でも、何が、そのひとの思いつく範囲なのかわからないから、その言葉はやっぱり不合理な気がする。
説明してくれないとわからない。お互いに。でもその言葉が出てくるとそれ以上説明してくれない。
だから苦手だ。


でも。ひとりだけ。ほんとうに何をしても怒らないひとに会ったことがある。
怒られないのをいいことにどんどん助長しているのに、微動だにされない。
たぶん、誰も彼の想像の範囲を越えることはできないんじゃないだろうか。
何故かというと、この人の想像には範囲がないからだ。
毎月台本を書かせていただいているstry for twoというラジオドラマの、ディレクターの広畑さんという方。
このひとの「何をしてもいいですよ。」の裏には底なしの覚悟が見える。
これはこれで反対に恐怖だ。とても生産的な恐怖を感じながら、毎回書かせていただいている。
他の場所ではさしわりがあるかもしれないけど、ものを創る現場にこういう方がいらっしゃるのはとても素敵なことだと思う。
ご本人は大変だと思うけど。

「いつでもスタジオにあそびに来て下さい。山羊でも羊でも連れてきていいですよ。」
とおっしゃる。これも聞き捨てならない台詞だ。
でもいつも。安心すると同時に、ちょっと残念な気もする。せっかくのご厚意に添えなくて。
自分の想像力の狭さを反省する。まだまだだなあと思う。
いつか山羊を連れてスタジオに遊びに行きたい。


2000年10月19日(木) どっちの月

「今日あったできごと」って何だろう。

たとえば今日。誰かとさよならして来たとして。
そのとき空には大きな丸い月が出ていたとして。
おなじ形の月を前にも見たなあとつい思い出してしまったとして。
そのときも、たしか誰かとさよならした後だったなあとふと思い出したりして。
そしたらそのときわからなかったことがいろいろはっきり理解できたりして。
そして、頭の中がそのときのことで一杯になってたとしたら…。

「今日あったできごと」って何だろう。
日記に書けるのは、どっちの月のことだろう。


2000年10月18日(水) 機能的な本棚について  

この間。本棚の整理をしてみた。
生まれて初めて、本をシリーズごとに並べて上下を正しく収納した。
本棚とそれを巡る風景は、見違えるように美しくなった。
うちの本棚じゃないみたいだった。ものすごいカルチャーショック。

本を並べてみよう。と思い立ったきっかけがある。
遊びに来た友人といっしょにご飯を食べていたとき。
「久野さんは、どんな基準で本を分類してるんですか?」と聞かれて言葉に詰まった。
「さっきから考えてるんですけど、どうしてもわからなくて。」
本棚の向かい側に座っていた彼女が言った。最初は質問の意味がわからなかった。
「…分類しない。」
「え…。でも、探すとき困りませんか?」
彼女は重ねて質問した。
「探さない。」
やっぱりよくわからないまま答えた。

シリーズものの漫画も1234巻と並べたことがなかった。
読んだら空いてるところにもどしていた。別に困らなかった。
3巻がみつからなければ飛ばして4巻を読んだ。
1巻だけが長い間読めないまま、最終巻まで読むこともあった。
そもそもあんまり順番にこだわる方ではなくて、積んである順番に読んでしまうので
そんなに困らなかった。機能的に、特に問題があるとは思わなかった。

だけど、順番に並んでいればそれはそれで別の読み方ができたのかもしれない。
並べたくないわけでも、順番に読みたくないわけでもなかった。
ただ、思いつかなかった。
思いついてみれば、「本を分類して並べる」というのは、なんだかとっても素敵な作業のような気がした。

そういうわけで並べてみた。
時間はかかったけど、見違えるような美しい本棚が完成した。
あっという間に本がみつかるので「探して読む」という文化が生まれた。
本を取り出すたび、「ふーん」と声が漏れてしまう。
本を戻すたび、「かたん」と音をたててきっちり奥まで収納してしまう。

なんだかとても具体的な作業を通して、抽象的な問題を掘り起こしたような気がする。
それが何なのかはまだよくわからない。



2000年10月17日(火) えんげきのことば

はじめて「演劇」に会ったのは15年前。あの時は、世界がひっくりかえるほどびっくりした。「ことば」の概念も、世界と一緒にひっくり返った。
ということは。世界というのはことばのことだったのか…。

そこではあらゆるものが「ことば」だった。
光の色、光の方向、音の大きさ、音の種類、ものがうごくこと、ものが動かないこと、何かが見えること、何かが見えないこと、重力、ものが倒れること、ひとが振り向くこと、風が吹くこと…。
人間と、人間でないものと、ものでもないものとがみんな、同じ資格を持って違うことをしている場所だった。
その場所はとても広くて。なにかがそこに在るために、他の何と争う必要もなかった。だから競争のない場所だった。すべてのものが、つまりことばが、みんな、より所なく宙に浮かんでいて、風がゆらゆらとそれらを揺らしていた。

あれから15年たった。
私は今でも。そういうのを「演劇的」というのだと思っている。
だから演劇っていいなと思う。



2000年10月16日(月) ことばの意味  

昨日の稽古の時。言葉の意味と音の話が出た。音と意味はそんなに別のものかなあと私は思ってて。言葉の意味って、状況によって違うし。使う人によって違うし。受け取るひとによって違う。おんなじように、音によっても違うような気がする。音の違う言葉はやっぱり意味も違う。「ねこ」と「にゃんこ」では意味が違うし、「わたし」と「わたくし」では意味が違うし、「こっち」と「こちら」は意味が違う。「ご飯」と「ライス」でも意味が違う。「そうだよ。」と「そうなの。」も意味がS違う。私にとっては言葉の意味というのはそういうものなんだけど、それって意味の定義が違うのかな?



2000年10月15日(日) どうしようもないこと

世の中は、「どうしようもないこと」でいっぱいだと思う。
始まったものが終わること。私が私であって、他の誰かでないこと。遠くは近くにないこと。過去が未来よりも前にあること…。

解決しようと思ったら解決できることも、もちろんたくさんあるけど。解決すればするほど、「どうしようもないこと」が後に残る。
「どうしようもないこと」がなんだか切ないのは、自分の無力さを実感することと、世の中を肯定することがイコールになるから。

「どうしようもないこと」って、でも結構綺麗なんだということを、演劇をしてると確認できる。


2000年10月14日(土) 新幹線の作り方  

この間、新幹線についての本を読んでいたら。新幹線の生みの親、島秀雄氏の言葉が扉に書かれていました。

ひとつの手だてさえ見つければ、「出来ます」と言える。
あらゆる筋道をツブさないと「出来ない」とは断言できない。
断ることは、難しいのだ。

今日から稽古が始まりました。気分を一新してがんばります。

*「新幹線をつくった男 島秀雄物語」の情報は→こちら


2000年10月13日(金) メカたれぱんだのこと  

たれぱんだに「メカ」の奴がいる。「メカたれぱんだ」という。
固い金属をつぎはぎしてつくったぱんだ。
鈍く光る、銀色のぱんだ。
叩いたら、ぼわあん、と音が鳴りそうなぱんだ。

私は大きくて重くてかりんと固いものが好きなので、なんだか気になる。
ふつうの奴と、金属の奴が向き合ってるイラストが書いてあって、その下にあるコピーがまた素敵。


「メカたれぱんだ VS たれぱんだ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・でも特に戦わない。」

でも特に闘わない…。
あの姿で闘わないとは…。ますます気になるぱんだ。

転んだときにけがをしないために、あのぱんだは金属でできてるのだ。
洗濯しなくてもすぐ汚れが落ちるように、あのぱんだは金属でできてるのだ。
中身が腐ったり濡れたりしないように、あのぱんだは金属でできてるのだ。
抱き上げてどこかへつれていかれないように、あのぱんだは金属でできてるのだ。

なんて素敵な金属の使い方。

闘ったり競争したりしないものがわたしは大好き。
大きくて重くて固くて冷たい、金属でできてるものが大好き。

気になるぱんだについて。



2000年10月12日(木) 日記のこと  

このページを創ることになったとき。毎日日記をつけてみることにした。日記というのはそういうものだと思ったから。
小学生のとき以来。宿題以外で書いたことがないので、続けることがどれくらい大変なのか、やってみないと分からない。もしかしたらすごく楽しいのかも知れない。毎日がおんなじで、書くことがなくなったらどうすればいいんだろう。とても書けないようなものすごいできごとがおこった時はどうすればいいんだろう。
日記に書いておいたらいいことって何だろう?

少し前。物置を整理していて小学校1年のときの絵日記を見つけた。読んでみて仰天した。内容も文体も書き方も、今の自分ととあまりにそっくりだったから。やってることも見てるものもたいして変わらなかった。
描かれている風景を意外と覚えていることにも驚いた。これはあのブラウス。これはあの鉛筆削り。これはあのピアニカ。これはあの滑り台。
−子供の頃の記憶。−子供の頃の記録。

予想に反して。その日記の中にみつけたものは遠くに置いてきてしまった過去の私ではなく、今ここにいるのと同じ私だった。
でもこれは日記がそういうものなのか、私が成長のない人間なのか、どっちの証明なのかわからない。


2000年10月11日(水) 風船おじさんについて  

風船おじさんが風船に囲まれて空へ出ていった時。私は彼がいつか戻ってくる日のことを考えていたような気がします。
何年も何年も経って誰もがすっかり忘れた頃に、同じ風船に囲まれて故郷へ帰ってくる風船おじさん。飛び立った時彼を笑ったひとたちも、もう誰も彼のことを覚えていない。無視したひとたちは、もちろん覚えていない。
時代はすっかり変わっていて、同じ乗り物を高校生が乗り回していたりする。もしかしたら、空は同じような風船でいっぱいで、渋滞の中誰もおじさんに注意すらむけないかもしれない。
それは(多くのひとの想像通り)海の藻屑と消えてしまうことより、ずっと哀しい結末のような気がしました。
それからときどきなんとなくそんなことを考えていて、去年の夏。港に戻ってこない船のお芝居を作りました。
風船おじさんのことを書きたかったわけではないのですが、風船おじさんが風船で出発しなかったら、違うお芝居を作っていたのかも知れません。

私は何かを見たとき、それを見ている自分を見ている遠くの誰かのことを考えてしまう癖があります。遠くというのは過去だったり未来だったり、地平線の向こうだったりします。遠くの誰かというのも、自分自身だったり、何かの物だったりすることもあります。他の人のこともあります。そういう遠くの誰かのことを考えていられる間は、「まだ大丈夫だ」という気持ちになります。

風船おじさんは何を考えて海を越えていったのか。「まだ大丈夫」と永遠に思いたかったからなんじゃないか…。

わたしたちは、いつまで彼のことを思えてるのでしょう?
意外といつまでも覚えてるのかもしれません。
風船おじさんの勝利なのかも。


2000年10月10日(火) 山羊の階始まる。  

山羊の階がスタートしました。私の4回目のお芝居。14ヶ月ぶりの稽古です。秋から冬にかけて。いちばん気持のいい季節に芝居の稽古があるのはなんだか贅沢な気持ちです。日記を書くことにしました。20世紀最後の年の秋から冬の記録。
稽古場へ向かう道は高い建物がなくて空が広く見渡せます。
雲を見てるのは好きです。飛行機で14時間、雲だけ見てたことがあります。14時間があっという間に思えるほど。それは楽しい時間でした。(さすがにこのときは自分でも驚きました。帰りの飛行機で見た映画にはすぐ飽きたのに。)
好きなものは何時間みててもたいくつしない。変化の激しいものにはすぐ飽きる。
演劇を創るためには、もしかしたら致命的な性癖なのかもしれません。でも、好きなものは好きなんだから仕方がない。秋は、雲も時間もあんまり動かない。いろんなものがいちばんベストの状態で止まってる。冬が来る瞬間。1回だけ、ばたんと変化する。そういうのが、ぞくぞくするほど好きです。
そして、今回の「ここはどこかの窓のそと」は、そういうお話です。



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