|
|
■■■
■■
■ 耳を塞いで蹲りたい
(ネガティブモード全開なので、読みたくない方はスルーで)
人を信じられない病発動中
人の言葉が信じられなくなってる
昔にもこんな事かあった
あの時は他人の言葉だったんだけど
今回は心を開いていただけにかなりシンドイ
はぁ.......
また心を守るために閉じるのか....
ほんと、どこか遠くへ行きたい。 もう帰らなくていいのなら、そのまま何処かへ行ってしまいたい。
一人で立つのは疲れました。 ちょっと何かに寄りかかりたいです。 籠の中に帰りたいのかもしれません。 結局戻ってくる場所はココなんですよね。 他に行くとこなんてないし。
一つになって、一人で立つようになって、強くなった気でいたけど、 や、確かに一時期は本当に強く立ってたんだけど、 今はもう、しゃがみこんでる。 歩かなくちゃいけないと分かっているのに、足を動かす気力が無い。 立って前を向かなくちゃいけないのに、伏し目がちにしか見れない。 笑うことも忘れた。 笑顔を作ることもシンドイ。 悪口や避難の言葉は聞きたくない。 例えそれが他人に向けられた言葉であっても、もしかしたら私に対する事もどこかでそのように言っているのかと思うと、もう何もかもが嫌になる。
なぜ人は他人(たにん)を非難しなくちゃ生きていけないの? なぜ人は優位に立ちたがるの? なぜもっと広い心で見れないの? なぜ他人(ひと)を許せないの?
同じことを聞くのは、ちゃんと教えてくれないから。 「同じ事を何回も聞かれるのは説明の仕方が不十分だから」だと接遇のテキストにもそう書いてある。 なぜそれが分からないの?
自分たちだけが都合の良いように捻じ曲げて、自分たちが正しいのだと人に強要して、従わないのが愚か者のように言うのはやめて。
耳を塞いで蹲っていたい。 もう何も聞きたくない。 気をつかうのも疲れた。
(ネガティブモード全開でゴメンナサイ)
2021年02月20日(土)
|
|
|