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■ 蝉と蛙と夏休み
7月が終わった。
子供の頃は、夏休みが永遠に続けばいいのにと真剣に思っていた。 (終わると分かっているからこそ夏休みは楽しいのだと言うことに大人になってから気づいた。苦笑)
もちろん夏休みの宿題はテンコ盛りだったし、苦手な感想画と感想文も嫌で嫌でたまらなかった。 が、、、それ以外の楽しみの方が多くて、夏休み中はドキドキワクワクしっぱなしだった。 子供の頃の私はとてもワンパクで、家にジッとして居るタイプではなかった。 夏には真っ黒に日焼けして、腕と足にはクッキリと日焼けの跡が残っているという、いわゆるオテンバ娘?だった。
そして夏は、人間だけでなく生き物たちにとっても楽しい季節なのだろう。
夏休み前日までの蝉は、まだどこか遠慮がちな鳴き声で、日中気温がグングン上がってもまだ、控え目な感じの鳴き声だったのに、夏休みが始まった途端、その鳴き声が一気に変わって、 『さぁ、夏だ!これからは僕たちの季節だ!!思う存分鳴く(遊ぶ)ぞーーっ☆』 と私の耳には嬉しげに聞こえた。 虫にも感情があるんだ!と不思議に思ったし、今尚そう思う。 今も向かいの大きな木にとまっている蝉の鳴き声を聞いているが、我先にとこぞって精一杯(激しく?!)鳴いている。笑
そして夜になるとバトンタッチしたように蛙が鳴き始める。 夏の夜と言えば"蛙と西瓜と花火"と言っても過言ではないだろう。 ただ蛙の場合、蝉のような暑苦しさを感じさせないのは何故だろう? 蛙が水を連想させるからなのか、それともその鳴き声に癒しの周波数でも含まれているのだろうか? どちらにしても、日中に感じるような追い立てられる感じは無い。
さらに、蛙が鳴き始めると夏の終わりを告げるカウントダウンが始まったような気もしていた。 夏の終わりに哀愁漂う寂しさのようなものを子供ながらに感じてたのかもしれない。
お盆が過ぎると一気に秋めき始め、蝉の鳴き声にも勢いがなくなりだす。 蛙の鳴き声も喪失感を漂わせる。 それは夏休みの終わりを告げる合図でもあり、子供の頃は、一歩オトナに近づくための通過儀礼のようにも感じていた。
生まれてこのかた、8月の終わりを好きだと思ったことは1度もない。 1度もだ。 秋に向かうこの時期は本当に苦手で、お盆辺りからテンションが下がりはじめる。 終戦とお盆が重なっているからなのか、生と死が隣り合う時期というのも喪失感を増幅させる。 (私の場合『火垂るの墓』が秋スイッチかもしれない)
季節が移り変わるのは日本に住む以上必然の成り行きだろうが、こうも激しく変化する時期も珍しいと思う。 その変化に一役かっている生き物たちの声にこんなに聞き入る時期もまた珍しい。
夏休みが終わると共に夏が終わり、生き物たちの短い命も尽きていく。 "夏休み"も"生き物"も終わりがあるからこそ、輝くのだろう。
夏が来ると、毎年こんな事を考えながら過ごしている。
2015年08月02日(日)
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