薔薇園コアラの秘密日記

2003年08月31日(日) オネストジョン賞獲得

 ゴルフに行ってきた。
 27日深夜に帰宅して、時差ぼけも完全に直っていないのに。よくいったものだ。
 日本でウッドの1番、5番、9番を買ってもらって、練習も存分にしてきたから、ワルシャワのコースで試したくてしょうがなかったのだ。
 
 この夏、ワルシャワに「(ゴルフスコア)三桁の会」というのが発足したらしく、そこへ私も急きょジョインさせてもらった。

 本当は内輪の側近たちに、
「新しいウッドの試打会として一緒に周ろうね」
と夏休み前から約束しておいたのに、こちらに戻ってみたら、
「僕たち三桁の会のほうで周るから」
などと二人して冷たいことを言う。
 それならば私もその会のほうに参加させてもらって、そこで一緒に周らせてもらったらいいかな、と思い、慌てて申し込みをした。
 
 が、当日の組み合わせを聞いてびっくり。三人ともばらばら。側近二人で私を避けるべく裏工作をしたに違いない。ぐー、はめられたー。
 私はお友達のご主人方と4人で一緒にまわることになった。(みなさん、何かとご迷惑をおかけしました)

 結果は、個人的には上々。ベスト記録を更に更新、130.
 日本で買ってきた新しいウッド、ブリジストンのツアーステージのだけど、三本とも素直に前に飛んでくれるの。距離はまだまだ・・・だけど。

 さて表彰式。
 スコア計算の方法が難しくて何の数字を言い合っていたのか知らないけど、オネストジョン賞とやらいうものを獲得した。オネストジョンだか嘘つきジョンだか知らないけど、ちょっとおいしいものが懐に舞い込んできた。パパもマージャン用語のような賞をもらってたぞ。あはは、本当においしかった。飛び入り参加でこんなおいしい思いをさせてもらってもよかったのかなー。うへへへ。
 皆さん、どうもありがとうございました。
 
 さて、次回は火曜日、レディースデー。中一日だけど頑張るぞぉ!

 
 
 



2003年08月29日(金) 気心知れた愉快な仲間たち

 4週間あまりの日本滞在中、精力的に出歩いた。まさしく東奔西走。行く先々でできるだけ多くの知人、友人に会ってきた。
 行く先の日程を告げておいたら、友人が昔の仲間を呼んでセッティングしておいてくれていた。

 大きな集まりは、ワルシャワ同窓会。つくばのホテルにて一泊。
 理人の二年生のときの同級生の女の子たち2家族と、今年の春帰国された姉妹ファミリーとで計4家族13名。日帰りの飛び入り参加で、当時中学生だったお姉さんとお母さん。
 久しぶりに会ったけど、みんな元気そうで、誰もどこも変わっていない。子供たちもワルシャワ日本人学校の合宿みたいで本当に楽しそうだった。
 
 そこでは、浴衣を着てお座敷にお膳を囲んで、食べて飲んで歌って、まさしくニッポンの旅館の正しい宴会風景。
 ヨーロッパで、日本人家族で連れ立って出かけても、やはりどこかがヨーロピアンスタイルで根本的なのりが違う。裸足と靴、つまり畳と椅子の生活の違いからくるものかもしれないけど。
 
 そこはノスタルジーさえ抱かせるほどの古いホテルだったけど、子供たちにしてみれば全員生粋の帰国子女たちなので、そのホテルを純粋に和風の旅館と捉え、大満足しているようであった。

 宴もたけなわ。
 酔うと無意識に小指を立ててしまうお父さんがいて、帰国されて2年になるけど、ワルシャワでいまだに語り草になっている。
 そのお父さんが、私たちの目の前でしなを作って
「あなたが〜かんだ〜、ン小指が〜イタイ〜〜、ッハン」
と歌ったからもうたまらない。私たち全員、もうおなかの皮がよじれるくらいに笑い転げてしまった。
 ワルシャワの昔の仲間全員に見てもらいたかったよー。

 翌週末は、単身で大阪へ。
 私は子供を両親に預けてのんきに出かけていった。
 大学の仲間8人と心斎橋の創作炭火焼きの店で再会。
 三年ぶり、もしくは卒業以来。
 みんなの笑顔は昔と全く変わらない。40代目前にして。
 
 そこで仲間が連れてきた幼稚園児の女の子に妙になつかれてしまった。私みたいなタイプが珍しかったらしい。 
 そのおちびさんが私の右隣にぴったしくっついて座った。
 押されるように左側に寄ると、壁際に座っていた寺○氏と太腿から膝まで窮屈なまでに触れ合ってしまった。お互い逃げようがない。
 仕方がないので、結局最後までラブラブ恋人同士のようにぴったし寄り添ったまま座っていた。
 まぁ、彼もかれこれ出会って20年の腐れ縁的な存在だし、下半身ぐらい接触していてもお互い減るもんでも増えるもんでもないからいいのだ。

 別れ際、おちびさんが私たちへ無邪気に質問する。
「ねぇねぇ、ゆーこちゃんと寺○のおじちゃんはどうして一緒に住んでいないん?」
「?!?!」
そんな質問ってありかい?! 返答に窮するではないか。
「一緒には住んでないけど、おじちゃんとおばちゃんは仲良しやから、苗字が似てるんよ。二人とも『寺』ってつくでしょ?」
とだけ答えておいた。
 あはは、それにしても、私たちそんなに仲良さそうに見えましたかね? 
 なんなら、太腿の内側に手でも這わせてみたらよかった。ぎゃはは。

 さらに翌週末は、地元で会社の同期入社の仲間たちとはりきって夜遊びに行った。
 みんな既婚者なんだけど、偶然その日はシングルが多かった。
 独身時代のように午前様ー。
 
 他にも単発でいろんな懐かしい人にあちらこちらへ会いに行って、この元気印の私の顔を見てもらった。

 今回、関東、関西、地元で集まった仲間たち、連絡を取り合った知人たちとは、ずっとこのまま付き合いが続いていくんだろうなと思った。
 ある時期、ある場所で、一生懸命生きていたお互いを知っているから、年齢性別を問わず、目に見えない連帯感や結束力があるのだと思う。
(一部に今回、時間がどうしても取れなくて不義理をはたいてしまったひともいるけど、ごめんなさい。またの機会に連絡しますからね。)
 
 でも今回は、私たちを心待ちにしてくれる親族がいて、とびっきりの笑顔で再会できる知人友人たちが日本全国にいて、私ってホントに幸せだなー、と改めて思った三年ぶりの日本一時帰国でした。

 極楽トンボ祐子の日本滞在記でした。お・し・ま・い。

 



2003年08月28日(木) 別れ際の葛藤

 日本滞在中、毎度毎度の別れ際、私を切ない目でじーっと見つめる年配の殿方がいた。
 
 毎回別れる直前まで、何のことはないお互い心穏やかにずっと傍に一緒にいるのだけれど、別れる段になると急に訴えるような切ない眼差しをこちらに向ける。
「祐子さん、こちらを見なさい。私の瞳をまっすぐ御覧なさい。本当に私と今別れてもいいのですか? 本当にいいのですか? 今一度考え直しなさい。あなたの心が揺れているなら、まだ間に合います。今私を手放すとあなたはやがて絶対に後悔しますよ。」
と。

 私も時間がなくて忙しかったりするから、
「もう迷ってる暇なんかないんです。決めたことは決めたことですから。私、もういいんです」
と、毎回のようにこちらから視線をはずした。

 それでも強い目線で語りかけてくる。
「さっきご家族と、私を手放しても福沢君がいるから、とあなたが話していたのを偶然耳にしましたよ。残念なことですよ。でも、あなたのそういう考えは大人の女性として少しばかり浅はか過ぎないでしょうかね? 野暮な忠告かもしれないがね、福沢君は、先刻あなたのようなルーズで浪費家の女性にはほとほと困っている、と私にこぼしていたよ」
「そんな・・・」
 福沢君にはぜったい嫌われたくない。福沢君にはできる限り長く私の傍にいてほしいのだ。
 
 そんなことをいわれると急に心配になってきて、その日も同伴してくれた福沢君の姿を確認してみた。目元だけで笑顔を作ってこっそり福沢君のほうを見たたけど、少し離れたところにいる福沢君は、どこか一点をじっと見つめて私の存在など全く眼中に無いといった表情をしている。

 「お願い。そんな顔しないでよ、福沢君・・・」
胸の中だけですがるようにつぶやいた。
 あぁ、私、どうしよう・・・。こんなんじゃ、福沢君と二人きりになったらなんとなくぎくしゃくしてなおさら嫌われてしまいそうだわ。福沢君といい関係を保っていくには、この目の前の方もいてもらったほうが二人の間にワンクッションになっていいのかしら?
 いや、だめよ、この方とは今すぐ別れて、これから福沢君をもっと大切にする。私、福沢君と少しでも長く過ごせるのだったら、どんなことでも我慢する。確かに今まではルーズなところがあったかもしれないけど、これからはきちっとするわ。そうよ、これからよ。ちゃんと改心すれば、福沢君も立派な方だから今までの私のことは大目に見てくれるわよ。

「私、あなたとは、今ここでお別れすることにするわ」
「祐子さん、あなたはかつて私にあんなにも心酔したと言ってくれたじゃないですか。この私の深い瞳もきちっと手入れされたお髭も好きだといってくれたではありませんか? 私はあなたとこれからもいろんなものを分かち合えると思っています。私たちはそんなに簡単に別れられる仲ではないでしょう?」
「ごめんなさい。私、もう決めちゃいましたから・・・」
いつもになくきっぱりと言い切った。
「祐子さん、いいんだね。本当に私と別れてもいいんだね。後悔し・・・」
最後まで言い切らないうちに、そこの店員の屈強の男が、その方を連れ去ってしまった。

 胸がちくりと痛んだ。
 でも、私が外出するたびに必ずどこかでまた顔をあわせるのだ。
 
 日本にいるあいだどこへいっても、私に強く訴えるこの方の眼差しにずっと胸をいためていたのだった。

 ごめんね、夏目漱石さん。
 千円札、いーっぱい無駄遣いしちゃって。
 あなたと目が合うたび、私、ホントにつらかった・・・。
 

 



2003年08月27日(水) ただいまー

 何とか日本から無事戻ってまいりました。
 口も利けないくらいに疲れています。

 後日ゆっくり日本滞在記upします。

 着陸時に痛くなった耳、いまだに痛い。


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祐子 [MAIL]

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