ワジェンキ公園内のパデレフスキー博物館で、日本人会主催の第25回留学生音楽演奏会が開催された。出演者はワルシャワ・ショパンアカデミー研究科に在学中の学生たち4名。チェロ、ピアノ、ソプラノ、ピアノのソロ演奏。
暖かい日だったので、一緒にきた子供たちが演奏が始まる直前まで、「喉が乾いたー」と大騒ぎしていたけど、ボーズたちは喉の渇きも忘れてすばらしい演奏を聴き入っていた。 小さな観客をも黙らせた、といったほうがよいだろう。
留学生の皆さんは時折日本人会の行事などで遠目に見かけることはあるけど、個人的な面識は無い。ごく普通の若いお嬢さん方だと思っていた。 けれども、ステージに上がった4人は全くの別人であった。特に演奏している姿は、近寄り難いほどまでに魅力的であった。 彼女たちの演奏を聴いていて、「何かを表現する」ということは、人間の内に秘めた潜在意識のなせる業なのだ・・・と実感させられた。人間の身体なんか単なる器に過ぎず、人間の肉体に宿っている潜在意識がその人に表現させているのだ。これは音楽に限ったことではない。芸術や文芸、スポーツでも同じことがいえる。
人間は誰もが内なる潜在意識というものを持っているものだ。ただ、この世に生を受けてから今までに、その能力を引き出す訓練や鍛錬のためにどれだけ努力を積んできたかによって、その人の評価というものが決まる。 そんな当たり前のことを、ステージの上の彼女たちに改めて教えられたような気がした。 一回り以上若い彼女たちから、大切なことを学ばせてもらった。 子育て現在進行中の一人の母親として、そして一人の女として。
2003年03月27日(木) |
「戦場のピアニスト」をもう一度 |
A.ブロディがアカデミー賞の主演男優賞を受賞したことで、こちらでまた話題になり始めた「戦場のピアニスト」。 ポーランドではもう終日上演していないけど、一日に一回ぐらいならメジャーな映画館で観ることができる。 友達がまだ観ていなかったそうなので、一緒に観にいってきた。
いろんなところで話題になっていることだけど、映画の中でユダヤ人同士が英語で話をしているのが不自然だった。 アメリカ映画だから翻訳の関係で仕方が無いのかもしれないけど、これは手記をもとにしたノンフィクションのはずだ。ドイツ人兵士との会話はドイツ語そのままなのに、ユダヤ人が英語で会話をするのは全くうそ臭く感じた。ユダヤ系のポーランド人でポーランドでの出来事なのだから。 ポーランド語で話したほうが明らかに効果的なシーンがいくつもあった。ポーランド出身の監督、ロマン・ポランスキーはさぞもどかしかったことであろう。
1944年8月1日 ワルシャワ蜂起 ドイツ占領下で苦しむポーランド青年たちが蜂起しドイツ軍に立ち向かった。それを封じ込むため、ドイツ軍はワルシャワの街をしらみつぶしに破壊していった。ラスト近くで、爆撃の中をシュピールマンが命からがら逃げ回っていたのは、そのときのことである。 こうして当時のワルシャワの街が壊滅されていったんだ・・・と思った。 ここに住み始めていつも耳にする言葉。 「この街は第二次世界大戦でドイツ軍に破壊されて、戦後何年もかけて復元されました」 この映画を観て、その言葉の深みがわかった。
現在のワルシャワの街は中世の佇まいを忠実に復元している。しかし、どこもかしこも妙に新しすぎる。風化もしていない色鮮やかなレンガ一つ一つからは歴史は感じられない。歴史を持ったレンガは廃墟に消えたのだ。
この街の新しさが痛々しい。
* * * * * * * * * * *
ドイツは自国の戦争責任を認め、ポーランドに対して戦後補償もしてきたし、自国民には「命の尊さ」を説き続けてきた。 世界のどこかで戦争がおこるたびに、マスメディアの捉え方が日本よりもはるかに真摯である。戦争の恐ろしさと残酷さを十二分に理解している国ゆえに、破壊と流血の痛々しさを目の当たりにし、誰もが痛切に和平を願う。 長年のドイツ生活で、私が肌で感じたドイツという国の印象である。
今回のイラク戦争で、米英に対し明確に戦争反対を唱えたドイツは評価に値する。何でもかんでもアメリカの言いなりの日本国が、在外の日本人として何だかとってももどかしい。
私はここに住む、日本語を理解する無国籍人でありたいと切に願う。
2003年03月24日(月) |
ハムスターのちびまるちゃん |
春休みだけど、図書室の本を借りるために日本人学校に遊びに行ってきた。 低学年クラスが飼っているハムスター・ちびまるちゃんのかごが静かな職員室の机の上に置いてあった。春休み中は日直の先生が交代でお世話されているようだ。 ちょいと覗いてやると、ちびまるちゃんがかまってほしそうにこちらを見つめ、はなをひくひくさせた。ここのところ児童たちもいないから籠を覗く人も少なかったんだろう。かわいいもんだ。籠の間から指を入れて鼻っ柱を触ってやった。 息子たちの希望もあり、我が家に持ち帰り休み中しばらくお世話させてもらうことにした。清二は低学年クラスでハムスターの世話をきちんとしていたそうなので、ハムスターを飼ったことのないママよりも頼りになるであろう。
家について、まず最初に小屋ををきれいにそうじしてやった。 それから、リビングで放し飼いにしてあそばせてやった。狭いところがすきなハムスターは、壁際にまっしぐら。案の定、家具の後ろの入り込んで出てこなくなった。子供たちはまだまだ遊び足りないっていうのに・・・。 家具の後ろでひっそり眠ること4時間。待てど暮らせど出てこない。ま、ねずみだから仕方ないけどね。パパが帰ってきてから食器棚を動かして、なんとか捕まえた。 夜遅く、夫婦二人で珍客をもてなしてやった。 相手も緊張しているのか、主人の手の中でおどおど震えている。 二人でイラク戦争のニュースに見入っていたら、主人はちびまるちゃんに人差し指をかまれたらしい。人間さまのほうがびっくりした様子。うーん、きっとそれってタバコのヤニ臭かったからだと思うよ。私もお料理のあと、えさと間違われてかまれたけど。 生きものがいる家って家族同士のコミュニケーションが増えていいもんだなぁと思った。
そういえば二年前、ドイツの家で猫を飼っていた時代が懐かしい。子供たちから逃げてばかりいるのに、朝までみんな一緒のベッドで眠ったり、パパが帰ってくるとどこからか出てきて必ずぴったり寄り添って座ったり。ほうれん草のおひたしのかつおぶしがいつのまにかぺろりとなくなっていたり。 何だか、一つ一つが懐かしい。
また家で何か動物を飼いたくなってきた。イヌより猫のほうがいいかな。 ま、でも今はちびまるちゃんをちゃんとかわいがってあげよう。
今日、メルキュールホテルで日本人会主催の映画鑑賞会があった。
子供向けには、宮崎駿の「パンダコパンダ」、大人向けには、「陽はまた昇る」。ホームビデオのベータに対抗してのビクターのVHS開発に関するノンフィクション映画。企業戦士のおじさんたちには見ごたえがあったみたい。涙をぬぐっている人が結構いたそうだ。 涙もろい私だけれども、号泣というほどではなかった。おもしろかったけどね。 その後、なだれ込むようにお友達夫婦とそのお友達を呼んで、我が家で寄せ鍋をした。 すごくおいしかった。みんな絶賛! パパが下ごしらえして、パパが味付けしたんだけど・・・。なんたって彼は鍋奉行だからね。
あのね、すごくおいしかったの。普通の料理屋さんで食べる鍋よりも。 ね、今度うちに食べにくる?
子供たちが友達の家のお泊りに出かけていった。それも、だっこ用の大型ぬいぐるみのトラ、白くま、ライオン、イヌとともに。着替えはリュックにまとめたけど、ぬいぐるみは旅行カバン2個分になった。いつまでも子供みたいなのでかわいいもんだ。
で、私たち夫婦は二人だけで、ハイアットホテルのQクラブ(日本食ジャズレストラン)にいってきた。 タマの夫婦二人だけの外出もいいものだなとしみじみ思った。
サケダイキリというQクラブのオリジナルカクテルを飲んだ。日本酒をベースに、ライムとミントの葉をブレンドしたもの。口当たりがとてもよくておいしかった。
カクテル一杯ぐらいと思ったけど、結構つよかったらしい。 う〜、よっぱらった〜。
ソファで珍しくうたたねなどしてしまった。
2003年03月20日(木) |
モニカさんの琥珀の店 |
ポーランドは琥珀が有名である。
帰国する友人が日本の友達に琥珀をお土産に買って帰るというので、「モニカさんの琥珀の店」にいっしょに連れて行ってもらった。 ワルシャワに住んだことのある日本人なら少なくとも一度は足を運んだことがあるといわれるほど有名な店らしいけど、なぜかしら私は機会に恵まれず、滞在二年目にして今日初めて訪れた。
この店は普通の住宅地にごく普通の民家のような門構えなので、ついつい見逃してしまいそうになる。けれどもなかに入るとそこはれっきとした立派な琥珀ブティックであった。ピアス、ネックレス、指輪、その他諸々、かわいいのからシックなものまで豊富な品揃え。ついつい時間を忘れて琥珀のアクセサリーに夢中になってしまった。
私はただ場所を教えてもらうつもりでついて行ったのでさらさら買うつもりは無かったんだけど、見ているうちにどうしても欲しくなり、指輪とピアスを衝動買した。 ピアスには濃いルビー色の四角がぶら下がっていて耳たぶにはスコッチ色の琥珀。指輪の琥珀はウィスキー色。どれも大ぶりな四角で揃えてつけると意外とインパクトがある。
琥珀を身につけて大きな鏡の前に立つと、その中にはいつもとは違う瞳の色をした私が映っている。琥珀の魅力が私の中に潜む何かを引き出だしてくれてるようでもあった。私の瞳と琥珀の色とのコントラスト、なんともいえずミステリアスでますます気に入った。
それにしてもこの琥珀、いつの時代にできたものなんだろう? それは遠い遠い太古の昔。それから時代はめぐりめぐって今、現代の私が身に付けている。
この琥珀の中に埋め込まれているものってなんだろう? もしかしたらこれって時間の結晶なのかな・・・。
昨日、18日はワルシャワ日本人学校の卒業式だった。規模が小さいので保護者も全員出席する。 たった一人の卒業生。彼は二学期の終わりに転校してきて、引き続きワルシャワ日本人学校の中学部に通うので、この日でお別れ・・・という湿っぽい式ではなかった。 が、転校してきてからここ最近の彼の成長振りは目を見張るものがあった。みんなに慕われる優しいお兄さんで、まじめな努力家でもあるので、今日の大人びた立派な彼の姿がまるで我が子のことのように嬉しかった。
そして卒業式の後、転出生と離任者の別れの挨拶があった。 転出生姉妹の2年生のひとみちゃんが、おっきな瞳で淡々と落ち着いて長い挨拶をした。まだまだ小さいのに堂々とたいしたものだった。
お姉さんの4年生の由真ちゃんが、別れの言葉を口にするなり、こらえきれずに泣き出してしまった。嗚咽で何度も言葉が途切れて次の言葉が出てこない。 それもそうだろう。 20人足らずのこんな小さな学校で毎日全員と仲良く遊んできたのだ。一人一人とのかかわりの密度が濃いのだ。陽気で純真な姉妹だったし、それぞれ友達との思い出も多かっただろう。 みんなの前に立って大粒の涙を流す二人は、感情の高ぶりが先行して、溢れ出る涙を拭うのすら忘れているようであった。生徒児童、教員、来賓、保護者、そこに居合わせた誰もが目頭を熱くした。
私も最初はアイメークが剥げ落ちないようにと涙を押さえるハンカチに細心の注意をはらっていたけど、涙が後から後から溢れ出るのでそのうちそんなことお構いなしに目頭を押さえた。
引き続き、三年間の任期を終えて離任されるK先生が一人一人へメッセージを。みんなは涙のまましんみりと先生との思い出に浸っていた。
* * * * * * * * 後でお母さんたちで話題になったのは、それぞれ自分の子供たちが涙を流していたので驚いたということについて。それも低学年児の小さな子供たちも別れが哀しくて泣いていたのだ。我が子達も知らないうちに、そういう感情の動きで涙が出るような素直な子供にちゃんと育っていたんだねぇ、と感慨深く語りあった。
お互いの体温が感じ合える程までに小さなフロアで行われたワルシャワ日本人学校の卒業式と離任式。その後は腹を抱えて笑ったお別れ会。なんといっても小規模校ならではの温かみがある。お互いの心の温かみまでも感じあえるのもごくごく自然なこと。そして、そのぬくもりがいつまでもお互いの胸に残っている。
同じ時期に同じ水を飲んでワルシャワで暮らした人たちの間には、なぜかしらお互いの存在を忘れない不思議な繋がりがあるみたい。これまでに帰国された人たちのことも、今は離れ離れになって顔をみる機会はないけれど、思い出はしっかり私たちの胸に残っている。そして今でもワルシャワのどこかでよく話題に上る。 この土地での思い出はワルシャワの水の成分と結合して、いつまでも胸に残るものなのかもよ。 しかも、飲んだ水の量と思い出の数は正比例して・・・。
先週の金曜日あたりから、ふと心が軽くなった。 特別いいことがあったというわけでもなく、嬉しい知らせがあったというわけでもない。ただ、金曜日を境に急にいろんなことに意欲が出てきて、ハードスケジュールも全然ストレスにならない。がしがし動き回れちゃう、働けちゃう、ってなかんじ。
心に春がきたんだな、と思った。 ハートマークのともなう艶っぽい春ではなくて、長い鬱々したヨーロッパの冬を今年もとうとう乗り切ったぞ、と感じるときの心の春。 長くて暗いトンネルを抜け切ったときに感じる安堵感のようなかんじにも似ているかな。特に私はトンネルに入ると無意識に息を止めてしまうくせがあるから、あ、やっと抜けた! という喜びは心に酸素を補給するようなものなのかもしれない。
心の春到来を素直に受け止めると、不思議と周りのものがなんでもかんでも自分にポジティブに働きかけてくれるような気がしてくる。 読むもの聞くもののなかから、今の自分に必要な言葉がすとんと胸におちてくる。 心が冬に支配されていたときは、う・・・こんなの今の私には絶対無理・・・。と逃げ腰になっていたことでも、さぁさ、ここらでひとつがんばろっかなとすら思えてくる。
昨日、JSTVの朝の番組「朝のオアシス」で、過去にスタジオに出演したゲストが残した一言メッセージを紹介しているコーナーがあった。それぞれ各業界でトップに駆け上った著名人ばかりなので、メッセージの一つ一つをその人の人生に照らし合わせると、あぁ、なるほどね・・・と心からうなづけるものばかりであった。 私が一番感銘を受けたのは、村田兆治「人生先発完投」
私に欠けていた発想であった。これからの私の座右の銘にする。
2003年03月15日(土) |
最近忙しくて・・・。 |
モニターを買い換えた。 17インチだけど、今まで使っていたのに比べるとものすごくでかい。今までのデスクトップが小さすぎただけなのか? これは液晶の薄いタイプなので、机が広くなった。散らかる領域が増えたということか・・・。ま、いいけど。
パソコンは素人なので、いつもキーボードの手元とモニターの両方を忙しく見ながら入力している。 今、これだけ大きな画面だとクビまで上下に振らないといけないから、妙に疲れる。慣れかもしれないけど。 遅ればせながらも、そろそろブラインドタッチなるものを訓練して、覚えようかなと思う。 ***************
最近、日記の更新をゆっくりする暇も無いほどに忙しい。 昨日なんか、ポーランド語、引き続き送別会、映画、子供のピックアップと出ずっぱりで、朝八時半に家をでて、帰宅したのは晩の7時半。行く先々で楽しかったから、それほど疲れてないけど。
昨日観た映画は、昨日封切の「シカゴ」ミュージカル映画。リチャード・ギアが共演してるから、待ちきれずに早速観てきた。
あ〜。今はね、リチャード・ギアのことしか頭に無いの。 ラストシーン近くで見せた笑顔がなんともいえなかったのよ。 音声は英語だったけど、途中、画面に釘付けで、私の聴力は働く気配など無かった。だいたいのストーリーは観てたらわかるんだけどね。 今度またお友達と一緒に観てこようかな・・・。 今年の春は観たい映画がいっぱいなの。
2003年03月11日(火) |
春です。ぼちぼち活動開始! |
今日、一日ハードに動き回った。
午前中に、ポーランド語。少し早めに家を出たら、なんと授業開始15分も前についてしまった。いつも滑り込みセーフか、完全遅刻なのに。 ほぉ、すごいぞ!
帰宅後、処方箋をもらいに、近所の医者にいった。 「処方箋を書いて欲しい」とまともなポーランド語で言ったつもりだけど、なんじゃらかんじゃらと私に一方的に説明してくる。 片言で聞き取れたのは、歯医者でどうのこうのといっている。歯医者へいけというのだろうか? でも、これは決して歯医者で書いてもらう処方箋ではない。ここであっているのだ。それでも、若いかわいらしいおねぇちゃんは、かたくなに頭を横に振っている。 「一年前にも来たことがあるんだけど・・・」と更にいうと、おねぇちゃんはふわぁんと何かがわかったというような表情になった。
つまり、私が一年前にきた外来の医院というのは、もう引越ししてしまい、今は、代わりに歯科医院になっていたのだった。同じ系列のせいかマークも同じだったので、私としても大きく書かれた「DENTYSTA」という看板が目に入らなかった。おっしゃるとおりですね、確かに歯医者さんとは関係の無い処方箋でした。
あぁ、恥ずかしい・・・。よくわかっていないお馬鹿な勘違い東洋人は、懇切丁寧に道順を教えてもらい、引越し先の外来病院までいった。何のことは無い、そこから歩いて150歩ぐらいのところであった。
ポーランドに住み始めてから、極力気合を入れて、病気にならないよう心がけている。ここは、まだまだ医療水準が低いから、病気になんぞなれないのだ。 病は気から・・・気を張っているせいか、過労はあっても、本当に抗生物質を飲まないといけないほどの大病は患っていない。(ドイツではしょっちゅう医者通いしてたなぁ、そういえば。)
それから、セントラムのフミェルナ通りにいき、修理していた腕時計を取りに行ってきた。 この通りは、靴や毛皮、時計などの専門店が軒を連ねており、ぷらぷらするのが楽しい。ポーランドではデパートよりも小さな専門店のほうが、取り扱いアイテムの種類も多いし、修理などのアフターケアがしっかりしている。
生活に慣れないうちは、便利なハイパーマーケットで全て用を済ませてしまうけど、本当はこういう市内の小さな専門店を見てまわったほうがいろんな発見があっておもしろいんだろうな。
車で通りがかりに見つけたイタリアレストラン「ROMA」で、ボンゴレスパゲティを食べて、その後、近所の美容院へ。 イメチェンするわけでもなく、少し傷み始めた毛先をただカットしただけだったけど、美容院へ行ってきたという事実だけで心が華やぐ。
そこのちかくで2、3の用を足していると、美容院で私を担当してくれたお姉さんも、買い物しに来ていた。
帰り際、友達同士が別れるみたいに、「じゃ、またね〜」とお互い手を振った。
あー、今日は忙しかった〜。
あ、あぁ?! 夕飯の買い物するの、すっかり忘れてた! うわぁ〜ん、どうしよう・・・。
は・・・。 久しぶりに書いた日記を操作ミスで消去してしまった。 どうして消えたのぉ?
ま、いいです。でもおなじこと繰り返し書く元気も暇も無いので、久しぶりに日記を更新したという足跡だけ。
春は別れの季節。 先週末は、我が家でスポーツクラブの送別会を開いた。 この略称スポクラは、毎週土曜日の夕方、日本人学校の関係者を中心に、ワルシャワ農大の体育館をかりてサッカーやバスケなどをして冬の運動不足を解消するために開催されていた。主人が珍しくも、子供たちを連れて熱心に通っていた。 そのスポクラの幹事をされていたK先生が三年の任期を終えられてもうすぐ帰国されるのだ。PTAとしてもカラオケ会場貸切で送別会を開いたけど、スポクラはスポクラで、アットホームにささやかな送別会を開きたかった。ほとんどのメンバーはPTAのときとダブっているんだけどね。
我が家に集まったのは、6世帯、大人12名子供11名。各自お料理を持ち寄りで、和洋折衷おいしそうなお料理が華やかに並んだ。和やかに楽しかったので、わいわいおしゃべりしながら食もかなり進んだ。
K先生の他にも、商工会から帰国と異動でワルシャワ滞在の長い人が一人ずついなくなる。子供たちの年齢も近かったし、残されるものたちにしてみれば寂しい限りだ。
私たちはいつもいつも見送る立場なんだな。 ドイツにいたときも、ここも・・・。 毎年三月は別れが多すぎてちょっとつらいかな・・・。 人一倍涙もろいからな、私。
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