life
ゆん



 母には(`m´#)ムカッ

どうしてるかと思って、用もあったので電話した時の事
葬儀の時とかずっと色んな変更手続きを引き受けてやってくれてた
千葉の年の離れたいとこが、また来てくれて残ってる手続きやらをやってくれるらしい
その話の最中に母が
「本当はあんたらがせなあかんねんで」
って言い出した
「本当は・・・って自分の事やろう?
 本当はって言うんならお母さん自身がする事やのに
 それを棚に上げて、あたしに何でもやらせようなんて虫が良すぎるで」
って思ったけど、言った所で聞く耳持たない人やから
煮えくり返るむかつきを押さえながら黙ってた

母が言いたい事はわかるよ
縁続きやとは言え、自分とは血の繋がりの無い甥に
わざわざ休みを取ってまで来てもらって面倒な手続きに走ってもらうのは
申し訳ないやろう
実の子のあたしがいるんやから
あたしがするのが当たり前
なのにあたしが何もしないで、遠くの甥にさせてる自分の体面が悪いのが嫌なんやろう
その気持ちはわかるけどね
あたしが面倒事が嫌やからって逃げて、その人が引き受けてくれたんじゃないよ
先に自分から進んで引き受けてやってくれてるんやん
「してくれる」って言うのに甘えて「自分でするからもういい」って言わないあたしに怒ってるのかな?
誰もしてくれなかったら、あたしがするしかないのはわかってる
そうなったらしょうがないからやるよ
自分と子供達の生活を犠牲にしてね

そんな嫌味を言うんなら自分で甥の好意を断ればいいやんか
自分も好意に甘えておいて、あたしに嫌味を言うのはおかしいよ
それにいとこ(母にとっての甥)がこんなに何度も来なくちゃいけない事の責任の一端は
重要書類をいい加減にしておいた母にもあるのに
その事わかってるのかなぁ?って思う

いつも母は、自分の考えだけをあたしに押し付けて
あたしの気持ちを追い込む

配偶者と子供達の様子は聞くけどあたしの事は何も聞いてくれないね
お母さん
体が日増しに重くなってます

2002年11月29日(金)



 母が望むあたしの幸せ

息子が熱出しました
娘もあごのあたりが痛いとかって・・・
あたしの体調が良くないのに、重なるんだなぁ
しんどいな

家中みんなで寝込んだらどんな事になるんやろう?

母に頼まれたお礼状と喪中欠礼のハガキ作り、出来ました
PC使うと宛名まで印刷出来るので便利ですね
でも、これしても母には「して当然」としか思われないんでしょうね
そしてお得意のべったり寄りかかりするんでしょうね
「わからへんから・・・」を合言葉(?)に
何から何まで寄りかかるんですよね
母だと思うから、少々の無理をして自分を犠牲にしてもやってあげようとするけど
母には「して当然」でしかないみたいです

いつも後で疲れがどっと出ます

これが母が望むあたしの幸せなんでしょうか・・・

2002年11月28日(木)



 わかりにくいんでしょうか?あたし

父が無くなって1時間程後に配偶者が到着した
ベッドの横で
「間に合わんかったか・・・」と悲しんでる様子だったけど
それを見てあたしは
「今頃、何言うてんねん
 人前ではいい人間みたいに振舞って」
って腹が立ってしょうがなかった

この腹立ちは配偶者がいる間中ずっと持ってました
人前、それも大勢の前だとやたら気のいい人を演出する癖がある人だから
親戚受けはとても良かった
でも細かい心配りの出来ない人だから
あたしには気を使う事もあまりなく
勝手に人の気持ちを推測して判断してしゃべってたみたい

会社に連絡したら香典や花を(立替で)出してくれるって言われたとかで
その事ばかり言い続けてた
会社関係だから弔電を打ってくれる所もあって
それがほとんど自分の関係者ばかりだから
内心喜んでるのがあたしにははっきりわかった
それを見て、悲しくなった

喪服を取りに戻らなくちゃいけないけど
配偶者は車を置いて来てるのでバスと電車で行かなくちゃいけない
なのに一緒に行こうともしない配偶者
あたし一人で子供達の分まで荷物を抱えて帰ったのに何も言わない
まして自分で持って来てくれって頼んだシャツは着ないって言う

しょうがないのかもしれないけど
あたしの知り合いは同じ町内の同級生1人だけだった
声を掛けてくれたりしたのも自分から話した彼だけ
あたし・・・それだけの存在だったんだ・・・

親戚や近所の親しい人達は残った母の事が心配だからあたしに頼むって言います
夫を亡くした妻の悲しみを気遣って
あたしにはついでに「気を付けて」と声をかけてくれた事もあったけど
父を亡くした娘の悲しみを気遣う人はいません
しょうがないですか・・・
元気そうに振舞ってたもんなぁ
そうしか出来なかったんだけど、わかってもらえないか・・・
母と配偶者の話を耳にしてショックだった
「ああ見えても、あいつも悲しいんですよ」って配偶者の声
て事は、母はあたしが父を亡くして悲しんでるようには見えないって事を
配偶者に言ったんでしょうね

実家で生活してた頃は、母と折り合いが悪かった
家を出てからは、父が間に入ってくれてたから穏便に平和そうにやって来れたけど
直接になったので腹が立つこと、多いです

あたしの本当の気持ちは死ぬまであたしにしかわからないのかもしれません
もし、わかろうとしてくれる人がいれば違うでしょうか?




2002年11月27日(水)



 緊急連絡なのに連絡取れず

前の日記と重なる話もあると思いますが
色んな事を順番に書きたいので、許して下さいね

8日に父の具合が悪くなったって連絡があってから
バタバタしてましたが、一応落ちついたので家に戻って来ました
配偶者と話すのは嫌だったけど、そんな事も言ってられない状況だと思ったので
こちらから電話をかけて父の事を話した
「また何かあったら連絡くれ」と言ってました
その後、次の日にメールが来たけど内容はこっちから送った物が着いたって話だけ
父の話は全く無かった
以前はそんな時でも、こちらから少しだけでも今の状況を説明してたけど
向こうから聞いて来ない話は何度言っても配偶者の記憶には残らないってわかってからは
聞いて来ない事は話さない事にしたから
今回もこちらからはそれ以上言わなかった

それから1週間近く過ぎた土曜の夜、母から電話があって病院から呼び出しがあったんだそうで
あたしにもすぐ来てくれって
タイミング悪くお風呂の最中だったので出掛けられるようになるまでに時間がかかりそうだったから
配偶者にはすぐ電話した・・・けど留守電だった
「連絡下さい」ってメッセージを残して慌てて用意して
子供達も寝る所だったのを起こして出られるように支度させてやっと家を出た
けど・・・なかなかタクシーが捕まらず、ウロウロしてるうちに電車がなくなってしまった
しょうがないので家に戻って朝一番で行く事にした
病院に電話してその事を話しして、何とかもって欲しいって願った
その間、3時間位、配偶者からは全く連絡が無かった
連絡があったのは翌日の朝8時前になってから
「ずっとマナーモードにしてたから気がつかんかった」やて・・・
電話した時に、いつどうなるかわからない状態って言ったのに
様子を聞く事もせず、電話を気にする事もせず
あたしにしたら「信じられない」「考えられない」「やっぱりそんな人やったんや・・・」
って悲しい思いでいっぱいになった
後で、言い訳してたけどもう何を聞かされても信じられません
配偶者が言った事が本当だったのかもしれないけど
「自分に優しくしてくれる女と気楽に遊んでたんじゃないの?
 電話にも出ないなんておかしいよ
 何度も留守電にメッセージ残してるのに
 寝るような時間じゃない時から電話してるのに
 朝まで気がつかないなんて無神経と言うか冷たいって言うか・・・
 あたしの親の事なんて口じゃ心配してるような事言ってても
 関係ないと思ってるから自分から連絡取る事はしないんやなぁ」
あたしにはこうしか思えないです

朝8時過ぎに病院に着いて母と交代しました
父はずっと変わり無いように見えて少しずつ悪くなってました
昼過ぎに心拍がかなり乱れて要注意状態になったみたいで
看護婦さんに言われて母に電話しました
母が来た頃は、また少し持ち直してたのであたしと子供達は実家に戻る事にしました
帰り道の商店街で子供達の靴を買って戻ったら
近所の世話になってるおじさんが待っててすぐ病院に戻ってって事で
慌てて戻りました
さっき病院を出て時よりもっと悪くなってて、もう心拍もほとんど無い状態
あたしが着いて30分ほどしたら心拍ゼロが続くようになって
お医者さんが来られて、死亡確認でした
17日16時9分でした

最後まで人工呼吸器を外せなかったからしゃべる事も出来ないまま亡くなりました

親戚などに電話連絡して、彼に電話したらそれまではちゃんとしゃべれてたのに
彼の声を聞いたら急に涙が出て止まりませんでした

2002年11月26日(火)



 父が亡くなりました

父が亡くなりました

やはり持ちこたえられなかったみたいです
直接の死因は肺炎ですが、糖尿病の合併症で腎臓も悪く
この肺炎でかなり悪化してしまって尿毒症を引き起こしてしまったようです

詳しく書いて気持ちの整理をつけたいって思ってますが
留守にしてた間の雑事や普段の仕事がたくさんたまってて
まだ書けないでいます

色々・・・ありましたよ・・・

配偶者とは、完璧に埋められない亀裂が出来ました

2002年11月23日(土)



 寒いなぁ

父が悪くなってから、近所のおばちゃん(他人)には前以上にお世話になってるようです
同じ市内に住む親戚もお見舞いに来てくれてるそう
少し離れた所の親戚や千葉のいとこまで仕事を休んで来てくれた
感謝してます

配偶者には、日曜の夜に知らせた
メールじゃなく、ちゃんと電話して話した
さすがに驚いてたようだった
義父達に知らせるかどうかは、配偶者に任せる事にした

今日まで義父達からは何も言って来ないから知らせてないんだろう
配偶者からは月曜に送った物が着いたってメールが来ただけで
それ以外は何の連絡もメールもない

あたしが感じてた「冷たさ」は間違いじゃなかったんだって改めて思う
それと
あたしも母の様に世間体を気にして結婚してしまった事を
今、すごく後悔と反省してる
この先どうすればいいんだろう
何か決断しないといけないのかもしれないけど


今はその元気もない


何だか
やたらに
寒いです

2002年11月15日(金)



 改めて自覚

母の趣味は何?って考えても思い浮かばない

子供の頃は
「お母さんの趣味は何?」って聞いた事あって
その時も、あんまりはっきり言わなかった覚えがある

母の生活は家事や信仰してる宗教行事や内職などで一日が終わるらしい
これで満足してるみたい
そして、これが主婦になった、正しい生き方だと思い込んでる所がある
あたしが自分の時間を持つ事や趣味みたいな仕事にしか見てもらえてない事が
何十年経っても、母には理解出来ないみたい

あたしもそれがわかってるから配偶者の実家と険悪になった時でも
配偶者との溝の事も、全く話してない
話せば、あたしが責められる事、わかりきってるから

母にとっては
あたしは自分らしく生きる事より世間的にみっともない事をしないで
自分と同じ事をして一生生きればいいと思ってる
少しでも母の考えから外れた事を言ったりしたりすると
とたんに非難する
その度に、あたしそのものまで否定されてる気がして来る

あたしは、わがまま勝手に生きてると思われてる
小さい頃から、どれだけわがままを飲み込んできたのか、なんて全く気がついてない
母の言う事がどれだけあたしの人生に影響を与えて
やりたいなって思った事を諦める方向へ持って行く原因になってるのかなんて
思ってない

あたしの場合だけど血のつながりや家族と言われる物は偽者なんだって

改めて自覚

2002年11月13日(水)



 大きな心配事・発生

父が入院しました
あたしが小さい頃からあちこち病気もちだった父
糖尿病になってから、かなり経ってます
骨ももろくて、ヘルニアの手術もした事があるし、膝もかなり悪い
最近では、糖尿から来る腎臓障害、視力低下、心臓障害もあって
今回は風邪から肺炎を起こしての入院

容態がかなり悪いらしく人工呼吸器をつけなくてはいけなくなった
心臓や腎臓も悪いので、これをつけると危険が伴うらしい

先週の金曜に母から電話があって、急に呼吸器をつけることになったから来て欲しいとの事
心配で子供達を連れて夜から行った
幸い、急変する事なく
それでもなかなか回復には向かってないみたいで安心出来ない状態

しょっちゅう入院してたので、慣れてるとは言え
ここまで悪くなったのは初めて・・・
心配・・・
でも、住んでる所から実家まで、どんなに急いでも2時間弱はかかる
子供達だけ置いては行けないし、預けられる所もない
仕事もあるし学校の都合(子供達のもあたしの役員のも)あるからすぐ動けない
自分でも気にしてるのに、母に
「あんた、主婦してて暇なんやから来るのが当たり前」みたいに言われるとむかつく
まだ、実の母でもあたしの仕事は理解してもらえてないのか・・・って落ち込むよ

自宅で仕事するって、遊んでるって思われてるのかな
理解出来ないのかな

それと近くに住んでる親戚やよく面倒を見てくれるおばちゃんの手前と言うか人目を気にして
すぐあたしを呼びつけようとする
自分の都合と世間体しか考えてない

人間って変わったように見えても全然、全く変わってないんだなぁ
昔、あたしが大嫌いだった母です

2002年11月12日(火)



 バザーの準備

今日は学校のバザーに出す品を集める日でした
役員さんなので行って来ました

いつもなら子供達も出かけてゆっくりコーヒーを飲むんだけど
今日は集合時間が早いので全部飲みきれませんでした

昨日と今日で集めるんやけど、そこそこの数で多くも無く少なくも無く
ちょうど良かったかな?ってあたしは思いました
空き缶回収の当番でもあったけど
そっちもちゃんとつぶして持って来てくれてるのばかりで
移し変えするだけですぐ済みました

初めてなのでどれ位時間が掛かるのかわからなくて不安だったけど
10時前にはお開きになって良かったです

後は当日の販売やけど、こっちも1時間って決まってるから心配するほどじゃないかな
しかし、長副のお二人は拘束時間とかも多いみたいで大変そう
あたしに当たったら出来ないなぁ

2002年11月07日(木)



 決断は慎重に

配偶者と子供達の事を

あたしが思うところの「家族」と思わないって決めてから
配偶者が帰って来ている間のイライラが少しずつ減って来てる気がする

今回も向こうは以前と全然変わらずでした
あたし一人が普段通りの家事であくせくして家の中をウロウロしてる横で
関係ない顔してのんびりくつろいでた

前なら
「休みの日やって言うのにあたしはいつもと同じかいつもよりたくさん働いてるのに
 なんであんたは、そんなに涼しい顔して笑ってられる訳!?」
ってすごくむかついてた

「家族」じゃないって思う様になってから
笑う事は少なくなった
前は作り笑いも多々あったけど、上手く行かなくてもいいやって思うから
笑いたくない時は笑わない
配偶者の色々が気に障る
『こちら側のどこからでも切れます』状態

昔、何でこの人と一生やって行けると思ったのか・・・不思議
見え隠れしてた「嫌いな部分」を避けてたから・・・やと思う

ああ、つくづく過去の安易な決断を後悔してる

2002年11月06日(水)



 かなり違うね

日も暮れて、電気をつけないと暗くなってから出掛ける時
何人かで行くんだけど、たまたま自分が一番先に玄関に立つ場合

1 自分は他の部屋の明かりで靴が見えるから電気はつけなくてもいい人

2 何も考えないで適当にそこら辺の靴をはく人

3 電気をつけて靴をはく人

4 他の人の事も考えて電気をつけてはく人

他にもいるだろうけど
あたしの周りの人達は全部違う

4があたし
これが普通だと思ってた
2と3は子供
そのうち4になってくれたらいいなぁと思ってた
1が配偶者
当たり前って言うか何も考えず暗い玄関に立って待ってた

2002年11月05日(火)



 空気が悪い

やばいなぁ・・・
体が疲れすぎてるみたいで、また持病が出そうな感じ

そりゃ、疲れるか 金曜の夜から布団で寝てないんやから

金曜の夜は和室に薄手の敷布団を敷いて、綿入れはんてんと毛糸のレッグウォーマーを着たまま
毛布を着て寝たけど、寒くなって来てこたつに電気を入れて入って寝ようとした
それでも寒くて、リビングに移動
ファンヒーターを付けっぱなしで寝たら眠れました

ゆうべは最初からリビングで寝るつもりだったから同じ様に寝ました
そしたら朝の6時過ぎ、ガス会社から電話が掛かってきました
うち、この前ガス漏れや止め忘れの時にガスの供給を止めてくれるメーターに変えた所でね
夜から朝まで長時間のガスの使用が検知されたとかで電話してくれたって事なんですね
やば・・・今夜はタイマーにして寝ようっと

しかし、家の中がタバコ臭くて風邪ひきの喉が痛いです
気分悪いです
顔が歪みます

配偶者はあたしの事、誤解してとらえてる
自分の父親を最初から嫌ってて今でも疎遠なの、知ってるのに
自分が父親そっくりになってる事に目をつむって
時間が経てばあたしと元に戻れると思ってる
あたしは、もう義父と同じ様に生理的に合わないって心から思ってるから
この先何十年過ぎようが、変わらないのに・・・

明日は息子の誕生日なので昨日、以前から言ってた自転車を買ってやった
娘のも、だいぶ前から小さくなり過ぎてタイヤもパンクしたのかダメになってるから
一緒に買ってやった
2人共安いタイプで納得してくれて良かった

配偶者や子供達を家族だと思わないようにしたら、かなり気が楽になりました
何もしない人達を見てイライラする事も減りました
月曜の夜まで後もうちょっと、体に気を付けなくちゃ

2002年11月03日(日)
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