TAGEBUCH
最近、また寒いですね〜。

2004年06月27日(日) 出棺

成田到着。なんだか見慣れないロビーに到着した。何やら乗り物に乗って移動。トイレに行っていたら、一緒に到着した団体からはぐれてしまった。その代わり、周りには夏っぽい格好の若者たち。入国審査のところで、みんな黄色い紙を渡してる。私は一人、長袖ジャケット。黄色い紙なんて持ってないから素通りしようと思ったら、「どちらからお帰りですか?」と聞かれた
ので「ドイツです。」と答えたら大丈夫だった。どうやら、夏っぽい格好はバリからの帰国だったらしい。

YCATまで弟が迎えに来てくれた。しかし、どうやら家までの道を間違えたらしく、中華街、山下公園などを通り、ちょっとしたドライブになってしまった。家に着くと、おじいちゃんの出棺の準備がされていた。和室の布団の上に眠るおじいちゃんの顔を見せてもらった。横で、おばさん(おばあちゃんの妹)が「あんたは、初孫だから一番かわいがられてたんだよ〜。兄さんよかったね〜。」と号泣。そして、親戚一同でおじいちゃんを棺桶に移す。あの世に行っても不自由がないように、いろんなものを詰める。片足を戦争で失ったおじいちゃんなので、義足と松葉杖も納められる。民謡が大好きだったので民謡のCDも納める。そしていよいよ出棺。といっても、とりあえず、明日のお通夜まで葬儀屋にあづかっといてもらうだけだが。

そして、さっきまでおじいちゃんが寝ていた和室が私の寝室となる。。ちょっと微妙。



2004年06月26日(土) 初北欧

行きなれたミュンヘン空港へ向かう。が、途中で、信号故障か何かで、「空港へ向かう人はバスに乗り換えてください。」という放送がかかったので、明らかに空港へ向かうと思われる、大きな荷物の人々とともに、ひとまず下車。バスを待つが一向に来る気配なし。そこへ駅員登場。「あの放送は間違いでした。次の駅まで電車で行って、そこから路線バスを利用してください。」と。間違いって!そして、今度は電車を待つがこちらも一向に来る気配なし。みんな飛行機の時間が迫ってるので、ピリピリモード。やっと電車が来て、次の駅まで行き、バスに乗り継ぐ。が、バスは満員。無理やり乗ったけど。しかし、このバスも一向に出発しない。みんな、痺れを切らして、運転手に「いつ出るんだ?」って聞くと、時刻表通りの出発だと。こんな緊急時になんとのんきなことを!バスは、満員なんだし、みんな今までの足止めでかなりの時間をロスしてるんだから、臨時バスを出すか何かして早く出発せんか!賢い人々は、バスを降り、タクシーで空港へ向かう。かといって、電車会社がタクシー代を払ってくれるわけではないし、なんかシャクだったので、このままバスで行くことにした。やっとバスは出発。と思ったら、停留所ごとに停まろうとしていやがる。もうあきれて怒る気にもなれなかった。そして、なんとか空港に到着。ダッシュでSASのカウンターを探す。が、見つからないので、LufthansaのE-ticketチェックインのところで、聞くと、その場でチェックイン完了。荷物も預けて、出国検査。例のごとく、ベルトがピー。搭乗口に到着したときにはすでに搭乗開始してた。ふぅ。危なかった。朝から疲れたわい。

飛行機はまずコペンハーゲンへ。デンマーク語もわからんし、しかもここユーロじゃないのかい!デンマーク通貨のレートもよくわからないので、買い物はせず、プラプラ。電子辞書でデンマークについて調べてみる。なんと、ここはヨーロッパの中でもかなり生活水準が高いとのこと。つまり物価も高いのよね。ますます買い物する気がなくなり、日本行きの搭乗口で待つことにした。ユーロでなくてもここはEU。久々に出国のスタンプが押された。待合室はまだガラガラ。適当な席を見つけて、気が付くと爆睡。目を覚ますと、まわりには日本人がいっぱい。しかも、みんな日本の新聞を読んでる。じゃあ、私もと思ったら、もうなかった。しょうがないので、記念にデンマークの新聞でもいただくことにした。

座席の隣には日本人のおじさんが最初座っていたのだが、斜め後ろのでっかいデンマーク人がそのおじさんに話しかけ、席を代わった。なんでよ?って思ったら、通路の向こうおのデンマーク人と一緒だったらしい。ちょっと窮屈になった。それにしても、このでっかいデンマーク人はよく飲む。食前にビールとワイン。食事中にもワインおかわり、食後にリキュールとウィスキー。そして、機内食に付いてきた箸に興奮。パンまで箸で食べてるし。SASは思ったよりよかった。一人一人テレビがついてるし、ゲームもできる。




2004年06月25日(金) バタバタ

朝一で、大学にある旅行会社に航空券をとりに行った。運良く、SAS(スカンジナビア航空)で675EUROという明日の便が取れた。これで、28日のお通夜には間に合う。ほんとはもっと長く日本にいたいところだが、まだ授業も残っているので、10日の滞在にした。

一安心して、家で荷造り。今回は特に荷物がなかったので、弟が要求してきたビールをたくさん詰めた。



2004年06月24日(木) あじいちゃん

 バイトから帰ると、おじいちゃんが亡くなったことを知らせるメールが届いていた。母は焦っていたのか、件名が「あじいちゃん」になっていた。。最近、容態が悪化したというので気になっていたが、まさかこんなに突然。せめて、夏休みに入るまでもってくれたら。。と思いつつ、帰国の準備。今年に入って3度目の帰国。ネットで航空券をとろうとしたが、急すぎて無理だった。ので、明日、旅行会社に行かなくては。


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