度々旅
INDEX|past|will
仕事で、ある新聞社の論説委員の方と会いました。その新聞の主義主張も、その方がもって行こうとしている論説の方向も賛同するわけではないけれど、取材立会いを通じて、救われたというか、力をもらったというか、久しぶりに頭が本当に心地よい形で回りはじめました。栄養をもらったようなものかもしれない。
今の会社に入り、七年目。いろんなことがあって、同じ部署でありながら、全く違う部署にさせられ。でも、私だけは残され。化石なのに残されている。そして、スキルもない。いや、相変わらず私には言葉しかない。
でも、言葉を通じてしかコミュニケーションをとれないことに半ば絶望しはじめてました。同じ言葉なのに、言語ゲームが成立しているのに、何も共有できない。言葉がラベルにしかすぎず。感性の手先にはなれても、主義主張、意思の現れとして機能しない。
羅列されている言葉は、確かに何かを伝えようとしているし、適確に描写もしている。意志を示している。でも、空疎。会話してても空疎。
もうやれることがないのではないかと、本当私には何もないのではないかとカナリやばかったのですが、今日の取材中、言葉に込められている思考、思想、魂を感じ、自分の言葉までも、生き返ったような気持ちになりました。
おこがましい話ですが、物書き脳やペンの力で生きてる人に会えて、本当にうれしかった。
|