度々旅
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2011年12月31日(土) 一年

 去年の今日は、母と配偶者とバリにいた。一昨年は、配偶者は実家へ、私はアパートで仕事をしてた。2008年は配偶者と広州に行き元旦に卵げっぷ病にかかってた。2007年は、アパートにいた。その前はどうしてたんだろ。
 とりあえず、大晦日に実家に帰らなくなって、あるいは帰っても心が耐えられなくてアパートに戻ってしまう生活は学生になって一人暮らしをしてからだから、かれこれ15年近くになる。
 どうしてこうなってしまったのかはわからないけれども、耐えられないんだな。見かねた父親と母親が一人じゃ来ないだろうからと、彼氏という立場だった配偶者も一緒にとって元旦から4人と犬一匹で温泉に行ったことがある。まだ学生の頃だったかな。
 そんなわけで、昨日は配偶者と私の実家に行きすき焼きを食べ、今日は朝布団の中で青森へ配偶者の気配を感じつつうとうとしてた。そうそう、正月はないことにしてるけれども、年末にすき焼きを食べるはなんか習慣になってる気がするな。昨日の帰りに配偶者に、あーとにかくこの時期が嫌いだと言っていると理由を聞かれ、うまく言えないがとにかく子供の頃のこととか、いろんなことが重なってだめなんて。じっとして耐えてるしかないんだと言ったら、楽しい思いでをつくればいいじゃんこれからと言われ、そんな普通のことが言える人間だったのかと驚いた。

 今日は昼頃起きて掃除や洗濯をして仕事をしようかなと思いつつも、漫画を読み寝てしまった。起きて仕事をするも集中できず緑のたぬきを食べながら紅白をなんとなく見てしまった。徳永英明が歌う中島みゆきの「時代」に、不覚にも心を揺さぶられたりね。そんな時代もあったねと笑える?そんな時代って?とか。
 
 私はまだ父がいないことが受け止められないんだと思うし、今のいろんな状態が受け止められないんだと思う。でも日々はすごく充実していて、仕事で悔しくて泣けることもあれば、真摯に悩むこともあり、怒ったりうれしいこともある。すごく幸せだ。もしかしたら、こんなに毎日必死に一所懸命だったことはないかもしれないくらい思ってる。そういう時間や、そういうことを感じれる場が父からの贈り物とさえ思ってる。
 でも、本当にこれが本当の私の道なのだろうかとふと思うこともある。父がいないこの時間が。仕事をやめたり、勉強したり、何に熱中しているのかもわからない、がんばらない、ただただ時間を食べ続けているそんな生活だったとしても、お前は俺にそっくりだと言ってくれる父がいるその世界こそがあたしの世界であり、あたしの本物の人生なのだという感覚から抜け出せないでいる。
 いないことは慣れた。ラジャスターンで町並みを見ながら、どこを探してもいないと泣けて泣けて仕方なかったことも、インド人に寄りかかりながら父が逝ってしまったと初めて人前で泣いたことも、点でつながりそれが年数を重ねても私の時をつなげているような気もする。

 取り返せないことが多すぎる。でも、ふと途方もない気持ちと悲しいのかなんだかよくわからない感情がわき出す点の時間は、それを取り返したいという思いからというわけでもない。

 そんなことをアパートの一室で考える。窓からはスカイツリーが聞こえる。iphoneのヒットチャートからは、今年トルコのマルマリスの船上でずっとかかっていた音楽が聞こえる。そうやってただ過ぎて行くだけなのだ。どこへ?わからないけれども、きっとみんなどうにもならないことを抱えてる。申し訳ないくらい、配偶者が実家に一人で帰る気持ちを私は想像できないし、申し訳ないという気持ちもない。なんて勝手なんだろうとも思うけれども、いつまでも寂しいんだと思う。私は。でも、寂しくない人なんていないと思うし、寂しいから孤独になろうとするとも思う。

 乾燥と涙で顔が痛い。


こげんき |MAILBBS

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