度々旅
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お久しぶりです。日記を書かない間、引越し、旅行、バイト等忙しく過ごしておりました。旅行については、後日エンピツを使って、書きたいと思います。いやぁ、母との旅行ってのはなかなか楽しかった。
昨日寝違えて、また首を痛めてしまい、ムチウチ患者みたくなってます。首コルセットが、あたしのババァ度をアップさせてます。そんなあたしは、昼ごろクリーニングに出していた服を取りにお店に行ったら、18時仕上がりですと言われてしまい、がっかり。確認しなかった私が悪いのだけれど。 帰り道、ランチ480円という寿司のテイクアウトの看板を見て、せっかく出てきたのだからと店に入り注文。すると、750円になりますと言われた。え・・・。ほんとだ、14時までだ。あたしが部屋を出たのは、ザ・ワイドが始まってから。確実に14時過ぎている。またもや、ミス。 寒い中、悲しい気持ちになり部屋に帰ってきた。750円の予想外のお昼ごはんネギトロ丼を食べる。いや、食べようとして、割り箸袋をやぶると、箸が1本でてきた。1膳ではなく、1本だ。え???割れてるのかなと思い、確認するも、袋の中は空である。ええええええ?ありえる?箸が片方だけって。これは、あたしのミスじゃないよ!さっきまで、今日は運が悪いのではなくて、私がぼーっとしているのだと思っていたけれど、やっぱりこれは運が悪いのだ。 なんだか、ものすごく悲しい気持ちになった。
母と台湾へ。母方の祖父母は、台湾で知り合い、そして結婚して、戦後引き上げてきました。数年前から、母は自分の両親が出会った場所に行きたいと言っており、今回それが実現。そして、母が持っている写真と、祖父母がかつて住んでいた地名だけを頼りに、できれば写真の場所などを訪れたいというのが母の願い。 というわけで、この数ヶ月いろいろ調べました。が、結局のところ、母の現地調査能力の方が数段上でありました。 午前発、昼ごろ台北に到着。その後、空路で高雄へ。いやぁ、揺れた揺れた。確か向田邦子さんは、この空路で亡くなったような・・・と思い出し、すごい恐くなった。高雄は、ムワァーっと暑く、すぐに空港で着替え、路線バスで市内へ。途中、この辺で降りた方がホテルが近いのではと思われる場所で、適当に降りた。 そうなのです。母がいるので、今回はホテルを予約してあったのだ。バス停から、地図を頼りにタラタラ20分程歩いて3時半頃ホテルに到着。ホテルのプールを見て、プールがあるなら水着持ってくれば良かった!と悔しがる母。いや、出発前からプールがあるってあたしは教えていたよ・・・。
その後、近くの愛河へ。祖父は、高雄港で潜水夫をしていたらしいということで、港が見える場所などへ行こうとするも、今とかつてはきっと違うだろうということと、歩いては遠いということで断念。川沿いの公園で、ケーキを買いむさぼり食う二人。そのケーキ。よく見たら、日本語のラベルが貼ってあった・・・。 そんな私達のベンチの脇に、70歳を越えたと思われるおじいちゃんが二人、話しながら夕刻を楽しんでいた。母、いきなり彼らに近づいて、「日本語話せますか??」と尋ね、自分が持ってきた、祖父母の結婚式のときの白黒写真を見せる。「この場所わかりますか??」 す、すごいよ。母。その行動力!と思っていたら、おじいちゃん達は、「これ、靖国神社だ」と言い出す。どうやら高雄神社のことらしい。そうか、戦争で亡くなった死者を祀る神社は、すべて靖国神社なのかもしれない。ちょっとジンときた。 というわけで、あっさりと、写真の場所が判明してしまった。喜ぶ母。じいちゃん達と握手し、「ありがとう。ありがとう。」と涙ぐむ。私もホロっときてしまった。じいちゃん達は、高雄神社までのタクシー料金だとか、昔とは何が違ってしまったかとかいろいろ教えてくれた。わからなければ、その辺にいる70歳以上の人に聞きなさい。日本語もわかるからと。かつての国民学校は厳しかった等々話してくれた。日本にいる、その辺のじいさんと一緒だった。なんか、すごく懐かしい感じ。というわけで、明日は、早起きして高雄神社だ!そして、その後今回の第二目的地、祖母が育った場所である、虎尾(フーウェイ)へ行く予定であります。
夜は、六合夜市へ。7時頃オナカいっぱいにして帰ってきて、その後果物を食べなかった母の後悔と、臭豆腐を食べなかった私の後悔を消すために、10時頃また行ってしまった。ああ、台湾。美味しいし、親切だ。
そういや、コンビニや薬局などのお店では、ビニール袋をくれなくなってた。くれと言ったら、1元と言われた。
先週の土曜日、かつての部屋から荷物を運び出し、新しい部屋へ移動。翌日、早起きして、掃除のために以前の部屋を訪れる。荷物が無くなった部屋は、なぜか狭く見えた。そして、声が響いた。すごく不思議な気分。 部屋に到着したらすぐにガス屋さんが来てガスをとめられてしまったので、冷たい水で2時間程あちこち掃除した。しかし、さすが7年分ということで、きたねぇ。どうせ壁紙は変えるだろうと思い、途中からドンドンやる気をなくしていったよ。立会いでも、心配だった床については触れられず一安心。 そんなわけで、無事に引越しも済み、新しい部屋での生活が始まっているわけですが、ダンボールをまだ半分も片付けてません。引きこもりのあたしには、引越しなんて作業はだいぶ負担だったようで、腰が痛くて、今頃疲れがどっと出ています。けれど、明日から母と台湾に行くのだ。
明日、7年間住んだこの部屋を出ます。けれど、荷作りが終わらず、感傷にひたっている場合じゃなぁい。あああ。今日は徹夜になりそうです。引越し屋さんには、友人と一緒に二箇所積みでお願いしたので、荷物が載るか結構心配。 しかしだ。あたしは、ここにダラダラと7年も住んでしまったんだなぁ。実は実家を出るときに、1年の約束でした。一人暮らしを経験するということで。それが、大学在学中いっぱいということで延長し、留年してまた延長し、院に行き延長し・・・。いろんな人をこの部屋に迎えました。最初に引っ越してきたとき、サークルの先輩がすぐにやってきて、ゲーム大会したな。そういや、よくカレーを食べに来てもらった。カレーの日は授業など休んで、朝からみんなを迎えるべく、グツグツ準備してた。懐かしい。 何度模様替えしたことでしょうか。この7年間、本を収納する戦いだった気がしないでもない。それと、なかなか良い机に出会えず、苦労した。やっと、いろんな意味で模様替えしないで良い!と機能的な部屋にしたのは、2年前だ。長かった・・・。 そういうわけで、ちょっと日記の更新ストップすると思います。といっても、まぁ、最近書いてなかったんですが。
大安ということで、新居へ少し荷物を運び掃除をしてきた。ホントの引越しの日は仏滅なもんで、なんとなく気になったので。 で、実は初めて部屋の中を見たのだ。そのマンション(といっても、アパートに近い)の角部屋が二つ空いていて、東南に窓がある部屋と、西南に窓がある部屋があり、見たのは東南だった。なぜか、東南は二部屋とも畳なのに、西南は一部屋フローリング。西だと夏暑いしなぁと同居人になる友人と話し合ったが、フローリングも捨て難いということで、南西に窓がある方の部屋にしたのだ。そんなわけで、初めて部屋に入ったのだけれど、最初やっぱり失敗したーと。窓の高さが違う。そして、大家さんの家と庭が丸見えだ。ってことは、あたし達の部屋も向こうから見えてしまうわけだ。別に悪いことするわけでもないが、なんだかなぁと最初は思っていたのだけれど、ある位置からその窓を見ると、空だけがぽっかり見えるということがわかり、なかなかお気に入りの風景で、数分でこっちにして良かった!ということになってた。 しかしだ。フローリングにワックスをかけていたのだけれど、途中で間違えて踏んでしまって、あたしの足跡がついてしまったよ。そして、その足で畳を歩いてしまい、畳・・・。もう、汚してしまったよ。とほほほ。引っ越すときには、畳替えはこっちでやるという約束をしてるから良いのだけれどさ。こうやって、あたしは注意しながらも、あっさり汚したり傷つけたりしてしまうのかもしれないとちょっと落ち込んだ。 その後、照明器具を買ってきて、台がないので友人が馬になったあたしの上にのっかって天井につけた。そんなことしているうちに、きっと一人でこういう作業をやってたら悲しくなっただろうなぁ、寂しくなっただろうなぁと思い、同居人がいるということは、なんて温かいことなんだろうと思った。 あと少ししたら、ここがあたし達の城になるのだよ!と、ベランダから首都高の明かりを見た。そうなのだ。今までは山が見えたが、これからは首都高の光が見えるのだ。
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