度々旅
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2003年08月30日(土)

 こんばんは。今日は夜の日記です。原稿の方はまだ仕上がっておりませんが、だんだん楽しいかんじになってきました。テキストに書いてある主張を自分でうまく使えるようになると、いろいろ見えてきます。その時点でやっと著者に対する反論が生まれてきたりするわけですが、ここまでが長かった。もう完全に引きずられっぱなしで昨日あたりまできました。やっと、自分の言葉で話せる段階になってきました。その段階になって、ああこの勉強やっていて楽しいなと思えるようになった次第です。久しぶりの感覚です。
 いつも文章を書くとき思うのですが、本当に物書きの人は身を削っているなと。昔からそうなのですが、少し長い文章を書くときは完全に頭の中はそれでいっぱいになったりします。だから身近な問題も、そこに結びつけて考えるようになってしまいます。そうすると、だんだん文章の方にも身近な問題の解決部分が入ってきてしまいます。こうなると、出来上がった文章はそのときの私の人格みたいなものがそのまま出てしまって、それが否定されるともう、自分の人格やら人生そのものが否定された気分になってきてしまいます。そういう意味で、文章書く人は身を削っているなと。
 本当はそういう書き方はよくないのかもしれませんが、何せあたしは他の人のためではなく自分のために文章を書いているわけですので、しょうがありません。あたしが幸せになるために、今の勉強を選んだともいえます。なのに、なかなか自分の言葉が発することができない段階は非常に苦しくて、あああ、幸せになるためにやっているのに、不幸だよ・・・と思いますが、やっと楽しい段階に入ってきてほっとしています。
 そして、この段階に入ってくると周りにあるいろんなものがヒントになります。そして、それらを解決するために、いろいろ頭がこねくりまわされて、きっとこの原稿を書き上げたときには、新しいあたしが出来上がっているのかもしれないなんて思ってしまったりします。大学受験の時、小論文だけは異様に得意だったのを覚えています。書くときに同時に、そのとき悩んでいたことや身の回りの問題を一緒に解決できたり、深く考えることができて、楽しかったのを覚えています。それでいて、よい評価がもらえたりなんかして、一石二鳥だわと思っていました。もしかすると、今やっている勉強の原点はあのとき書いていた小論文にあるのかもしれない。もともと理系に進むはずのあたしが、今の分野の勉強をしているのは、あのときがあったからなのかもしれない。そう思うと、浪人をしていなければ、私はこの勉強にあうことがなかっただろうな。どこに、どんな出会いやら道があるかわからないものだなと思うのでした。


2003年08月27日(水)

 いやいや、まいってます。かなりまいってます。書いても書いても、だーっと消してしまうです。原稿。。。著者の言いたいことはわかります。賛同します。けれど、あまりにも何重にも重ねて議論されすぎていて、これを整理して論ずるのは至難のわざです。著者自身の書き方が、論理的に整理されていないってのもかなり辛いです。いってみれば、並列的な書き方プラス、重層的な書き方なので、辛いです。図で原稿を提出したいくらいです。と、ここでグチってもしょうがないので、今日もゴリゴリ読んで書きます。
 ところで、夏は終わってしまったのでしょうか。今年はどこにも行けないので、家で夏を味おうということで、実はあこがれのカキ氷機を買ってしまっていたのです。子供のころ、お友達の家に行くとドラえもんのカキ氷機があってうらやましかったので、ドラえもんのにしようと思ったら、自動のしかなくて、980円のシロクマのカキ氷機にしました。なのに、楽しめる日が少なかった。。。あとは、毎週末のように友人と焼肉とビールをかっくらってました。けれど、電気のホットプレートがぶっこわれました。あああ。
 9月には、今ごりごり書いている原稿で研究会での発表。ある意味集団リンチをくらいます。その前に個人的に裏庭にも呼び出しくらってます。お休みしているあたしの指導教授に、この原稿を送らねばならないのです。あああ。もういなくなってしまいたい。


2003年08月26日(火)

 今は26日になったばかりです。だから、昨日の日記みたいだけれど、昨日の分のところにはもう書いてしまったので、こちらへ。こうやって、部屋の中にいるだけなのに、いろいろ書きたくなるのは、それだけ頭を使っているということか、ただの逃避の反省文か。。。
 今日、再びテキストを読み直し、図にしたりして、なんとか内容の方向性をまとめなおしてみたものの、いざ書こうと思ったら書けず。。。図にしているときは、自分の中でイイヨイイヨーって声が聞こえていだのだけれど、休憩をはさんだら、すっかりそれが抜けてた。ダメだぁ。
 その後、ワイドショーなど見て、横田ママの姿になんともいえない気持ちになった。横田ママの顔を見ると、「みかんの花咲く丘」が頭の中を回っていつも泣けてきてしまう。めぐみさんと一緒に歌っていたそうだ。あの歌詞の中に「はるかに見える青い海 お船が遠くかすんでる 」「黒い煙をはきながらお船は どこへ行くのでしょう」という部分がある。なんだか、横田ママが新潟の海を眺めている図がこれにはまって、ああああもう悲しすぎると泣けてくる。
 先週くらいから少しずつまた北朝鮮問題で騒がしくなってきている。一応、ものを考えることを専門としている身として、現実問題とできるだけ乖離しないようにしていきたいと思っているのだけれど、考えはじめるとやっぱり感情が先に走ってしまう。この部分は反省である。
 専門家は客観的判断を述べているように見えることもあるだろうが、それらは決して客観的でもなんでもなく、その人が既に持っている性向や、文化や伝統、受けてきた教育が反映されている。もし、本当に客観的な主張を行っていると本人が思っているとすれば、それは完全に現実との乖離だ。なんらかの判断とは、ある規範や基準に基づいて行われているように思われるが、そうでない場合も多々ある。寧ろ、日常生活における諸問題は、変化する規範に従っているといえる。規範は、状況状況でかわる。そのように変化するものは規範でも規則でも基準でもなく、ただの日和見主義だと思われるかもしれないが、現実と乖離した基準や規範が、何の役に立つのであろうか。現存する基準や規範に現実をあわせるのではなく、相互に変化が必要である。それらは、大きな過ちを犯す場合もあるが、一つの規範に従うことが過ちを犯さないという確信もない。ならば、柔軟に変化を求めて、必要に応じてさまざまな基準は変化されるべきである。より良い原理なんてものはなくて、ただその時その時に必要な方法があるだけだ。何かを批判する工程で、このような規範の変化は行われると思う。私たちが、何を守り、何を批判するかという判断が、日常においては先にあるのではないだろうか。

 あ。なんだか、原稿を書いているときみたくなってきた。いかん。原稿の時は文字が進まないのに・・・。その上、話もずれてきてたし。頭の中はもう、ぐちゃぐちゃだ。


2003年08月25日(月)

 おはようございます。今日も朝の日記です。昨夜、寝ようとしたらなんか音がする・・・・。そう、すっかりもういないものだと思っていたでっかい虫が、いた。部屋の中をぶごごごごんと飛び回り、あたしは一人悲鳴をあげながら逃げ回る。けれど、狭いお部屋。頭の上を何度もかすめ、うひゃぁ〜。窓を開けるものの、いっこうに出て行かない。ごめんなさいってことで、殺虫剤をかけた。どうせならば、この殺虫剤の噴射で、お外へ出て行ってほしかったのだけれど、部屋の中でただただ暴れるばかり。あっちへぶつかりこっちへぶちかり、顔に向かって直進してくるわ・・・。こぇぇえ。もう怖くて、すごい勢いで殺虫剤をかけまくる。ごめんなさいといいながら・・・。結局どこかへ落下した。けれど、落下したと思われる場所にはいない。どこへ?この部屋のどこかに、あのでっかいなんだかわからない虫がいる。ひぇええ。殺生した後の夢は、巨大タマちゃんにうなされる夢。巨大タマちゃんは、赤黒くて、変な毛が生えていて、内臓みたいのも見えてすげぇ怖い。それと一緒に泳がなければならない夢。。。
 ごめんよ、でっかい虫。

 と、でっかい虫を追悼しながらも、あたしは今日もセコセコテキストを読む。さぁて、新しく一から書き直そうと思っている原稿、少しは書き始められるのでしょうか。


2003年08月24日(日)

 うおおおお。なんだか、違う。違うのだ。あたしが書きたい内容はこんなことではないし、これではこじつけだ。。。と、原稿を一から書きなおそうと思い立った。リセット。再びテキストを最初から読み直しをしなければ。間に合うかわからないけれど、やらねばやらねば。と、今日中になんとか、もう一回方向を練り直して方向をきめなおしてやろう。そんなことを思い立った今は、もう夜8時。しょうがない。とにかく、テキストにもう一度戻ろう。

 先ほど、洗濯物を取り込んだときに、でっかい虫が部屋の中へ入ってきた。セミのようにも見えたが、なんだあれは?ブウウンと飛んでいたのに、いなくなった。出て行ったの?それともまだいるの?小さい虫ならまだしも、でかかった。いるのかな?忘れたころに現われるのか。恐ろしい。あれだけ大きいと、いきなり顔とかにとまったら、悲鳴をあげてしまいそうだ。とりあえず、いるならば、音をたてて主張をしてくれればいいのに。。。音がしないってことは、いないのか?
 かなりビクついています。


2003年08月22日(金)

 おはようございます。ただいま午前11時近くであります。今日も朝から原稿と格闘です。暑いです。グデグデです。やけくそでクーラーはつけてません。じとぉと体から汗が出てくるのを楽しんでます。あいかわらず、原稿は進みませんが、そんなこともいってられないのえで、とにかく書いてます。あたしの悪いクセなのですが、雑にでも一通りの量を書いて安心しないと、パニック状態になります。だから、もう文脈はぐちゃぐちゃで、論理的に話が進んでませんが、書いてます。昔からそうでした。一通り目を通さないと落ち着かない性格です。試験なども、とりあえず5分前には一通り手をつけ終わってないと気がすみません。あたしにとっては、いつも最後の5分がある意味勝負でした。見直しの時の集中力ったらすごいです。問題集もそうです。一回目は超適当。二回目からが勝負です。よく勉強には、少しずつやって完璧になってから進む人と、回数派がいますが、完全にあたしは回数派でした。頭で覚えるよりも、寧ろ体で覚える派です。
 よくあることは、試験中などに、あのページのあの部分に書いてあったということだけは覚えていても、内容が思いうかばないということでした。それも、歴史問題だったりすると、雰囲気まで思い出します。いつそのページのその言葉を覚えたかも思い出します。でも、当の答えは浮かばないことが多々。ほんと、すべて印象で覚えているようです。
 さて、寝てるときも、頭の中では、あーじゃない、こーじゃないという状況になってきて、浅い夢しかとれなくなってきました。イエールの哲学の院生が、睡眠薬飲んで無理やり寝るって話を聞いて、その域まで行ってみたいと思っていたのですが、いけるでしょうか。ま、そんな高尚なこと考えているわけじゃないんですがね。
 さて、お友達の掲示板にも書いたのですが、こう旅にいつでもいけるぞって環境重要ですね。別にいけなくても、行こうと思えば行けてしまうのだって状況だと、かなりがんばれますね。けれど、今はお金も時間も許してくれず、それがあたしをますます追いこんでいるような気がします。基本的に、現実からいつでも逃避できる状況にありたいようです。
 さて、今日もまた朝からグダグダ書いてますが、ええ、旅のかわりにこの場を使わせてもらってます。別に旅の話を書いているわけでもないのですが、違う文章を書くってのは、少しは今かかえている問題から頭を離すことができたりしてよいです。


2003年08月21日(木)

 久しぶりに暑くなりました。午前10時です。昨日は寝てません。寝ようと思っても眠れませんでした。うむぅ。よろしくない傾向。
 朝からお香を炊いて、ネパールで買ってきた仏教徒が使うと思われる鐘をチーンと鳴らし、サイババの絵にお祈りです。ええ、もう神頼みです。なんとか、9月頭に提出の原稿を進めさせてくれと。日本人は最後は神頼みです。
 と、パソコンに向かったものの数行書いては、とまり。メモばっかり増えていく。。。原稿用紙にしたら、20〜30枚程度だから、あと10日くらいなので、一日2枚くらい書けばなんとかなるようです。書ければね。。。。実は、かなり途方に暮れてます。自分の研究内容にまで迷いが出てしまう始末です。いや、もともと迷いはありました。メインテキストとして使わせてもらっている著者の意見には、おおいに賛成ではあるのだけれど、はて、それを発展させることはできるのか?と。その人は、自ら人の論証に訴えると自分のことを評してます。つまり、ケンカしてなんぼなわけです。ええ、ケンカ対象がいないと、彼は成り立ちません。いってみれば、学生運動が大きな権力があるから闘って自らの存在や主張をアピールできるみたいな、何かしら敵がいないと成り立たない人です。が、現状として、彼の主張は今満たされてきているといってよいわけです。となると、あたしが闘う相手は誰???
 とまぁ、今更ながら途方に暮れてます。困ったもんですね。すみませんですね。グチグチを。いや、これを書いている間にも、頭の中には、研究のことでいっぱいなのですよ。あーでもない、こーでもない。違うこと書いたら、少しはすっきりするかなと思ってもダメですね。外見てもダメみたいです。中にドップリ浸からないと進展しないみたいです。ということで、再び闘争に出かけてきます。


2003年08月20日(水)

 いや、もう8月も終わりの方ではないですか。かなり驚き。あたしは、8月に入って何していたのでしょうか。。。。毎日毎日。時間が過ぎるの早すぎます。
 9月はじめ締め切りの原稿が、まったくといっていいほど進んでません。どうにかなるんですかね。。。どうにかしなければならないのですが。
 いろいろな本に手を出しすぎて、主題が見えなくなっていたというか、絞りきれないというか、枝ばっかり増えて幹がないというか、そんな状況になってました。
 いや、解決したい問題はずっと抱えながら、どこから取り掛かろうかと、あれこあれあれこれ。ま、よくない傾向ですね。で、さっきやっと入り口見つけたかんじで、明日から少しはなんとかなりそうだなぁと。
 完全に頭の中は、パズルのパーツが、ばらばらに散らばっていて、よろしくない。寝て整理しませう。


2003年08月15日(金)

 8月15日ということで、靖国神社へ。おととしくらいから、一度15日に行ってみたいと思いつつ、旅に出ていたので行けずじまい。ちなみに、靖国の傍にはインド大使館があります。以前都内に少し大きめの地震があったときに、職員たちがが周囲の様子を見るために外に出たら、その間に調理室から火が出てボヤになったインド大使館です。
 あのあたりは、緑が多くて好きです。そういえば、ここ1年くらいあの辺りによく行っている気がします。一応、そのたびに靖国神社へお参りを、と思っても夜が多くて、閉まっていて参拝できないことが多々ありました。
 母方の祖父は、台湾で戦っていました。戦後は、亡くなった友人のために、毎年8月15日に上京して靖国へ来ていたそうです。まだ私が小学生くらいまでは、私は毎年この季節に母の実家へ遊びに行っていました。広島、長崎の原爆投下の日の朝、8月15日の正午に、祖父が黙祷をしていたのを覚えています。たぶん、年をとり、上京することをやめたと思うのですが、祖父が8月15日にどのような思いで黙祷していたのか、どのような思いを抱えていたのかということが知りたいということもあり、今年は靖国まで行ってみました。
 わけのわからない団体の多さにはびっくりしましたが、雨ということもあり、いつもより揉め事は少なかったようです。
 参道で行われていた戦没者追悼中央国民集会で、君が代斉唱の時、私はなんとも言えない思いになりました。君が代を今まで歌う場面は多々ありましがた、それはあまりにも形式的なもので、世間ではいろいろ問題になっておりますが、はっきり言えば何か考えて歌ったことなどなかったわけです。卒業式で歌う君が代は、その他の曲に比べれば、ついでみたいに歌われていたような思い出があります。そんな歌が、たくさんのお年寄りや、その家族によって、お腹から出る大きな声で歌われているわけです。皆、堂々と誇りを持って歌っているわけです。日本人である私が、自分の国の国歌を、これほど堂々と歌ったこともなければ、歌っているのを聞いたことがないってことは、この国がいかに多くの問題を抱えているかということを示しているといえました。報道によるどれほどの情報よりも、この歌声は、多くのことを私に感じさせてくれたように思います。
 その他、終戦の詔書の玉音放送を初めて全部聞くことができました。文章を見ても、何を言われているのか、まったくわかりませんでした。「偲びがたきを偲び…」のところしか、わからなかったのですが、いつもこの玉音放送がテレビなどで流れるとき、あの部分しか流さないのは、あの部分しかよく聞き取れないからなのでしょうか・・・。
 とまぁ、学部生の時は反基地デモをし、今は8月15日の靖国に行きと、ノンポリ丸出しで生きているわけですが、こういう問題を「わからない」とは言わずに、オルグられるのではなく、自分の目で見て感じて考えていきたいと思います。国というものは、私が一生背負わなければならないし、逃れることができない、大きな枠なのですから。
 帰り際、大学の先輩と偶然遭遇。たくさんあるテレビカメラに映らないように、がんばって逃げていたのに、結局誰かに見つかってしまうとは。。。


2003年08月14日(木)

 今週に入って、夜になると興奮してきてしまい、夜になって始めてテキストの中に入り込み、寝るのは朝方で、一応6時くらいには起きて、今日こそは夜早く寝ようと思うのだけれど、やっぱり眠くて昼寝などして、やばいやばいと夜本を読み、昼よりずっと中に入り込め、そして・・・。という、めちゃくちゃ悪循環な日々です。まいった。別に昼間起きてなければいけないという身分でもないのですが、やっぱり太陽と一緒の生活ってのがしたいもので。といっても、今週は曇りや雨が多いですがね。
 気分を変えるために、パソコンの壁紙変えてみたりしました。ミラクル・ペティントです。大好きな映画です。さっき初めて公式HPを見たら、「トゲトゲしくて、ほのぼのしてて、エロスもブラッドも何もない、ファミリー・ファンタジー・SF・ドラマにして、総天然色のブっとびムービー」って紹介されてました。あんな映画を、ここまで表現できる言葉をお持ちのこの紹介文を書いたスタッフの方を尊敬します。
 
 そんな生活をしているうちに、8月も半分終わりそうです。


2003年08月12日(火)

 昨日は、なんだか眠れず徹夜してしまった。で、今日はぜんぜんテキストを読みすすめることができず。人のことで振り回されてしまった自分を反省。ま、しょうがないのさ。あたしはあたしのやり方でしか歩けないしね。そして、私は私のやり方で歩くことによって、素敵な人たちと出会え、大切にしてもらえているわけだし。
 昨日書いた彼女との関係は5年以上になるのだけれど、サークルの人と合わないとか、研究室の人と合わないだとか、そんな話ばっかり聞いている気がするわけで、そう思うとあたしは幸せ者だ。私が、行く場所行く場所で、とても素敵な人と出会えるのは、自分の性向を把握できているってことだ。きっと。自分が評価してほしい点を評価してもらえる環境にいるってことは、なかなか難しいことだと思う。各々の場には、各々の価値判断の基準があるわけだから。そういう部分で、苦労しないでよいのは素敵なことだなって気づいた。簡単に言えば、いくらもてても、肝心なあの人に思ってもらえなければ、意味がないわけなのだ。
 そういう意味では、あたしはずっと恵まれて生きていると思う。今の教授も、直感で指導を頼んだのだけれど、知れば知るほど、この人に認められたいと思う。そういう人と出会えることができているあたしは、幸せ者だから、他人のことで振り回されている場合ではないと、今日は冷静に思った。彼女は彼女のやり方でがんばればいい。あたしはあたしのやり方しかできないのだから。さて、明日からまたゴリゴリがんばるぞい。


2003年08月11日(月)

 先ほどまで友人と電話。世の中なんて不条理なんだと叫びまくり、二人で慰めあうというよりは、もう毒を吐きまくっていた。
 いや、いいんですよ。今いる道というか場所はあたしが選んだのだから。電話していた友人もそれは一緒。どうやら、あたしも電話の彼女も不器用というか、自分で自分のクビを締めるタイプのようだ。こういうことは良くないって思ってみたり、適当にできない部分や譲れない部分があったり。もしかしたら、そういう部分のは思い込みで自分たちの首を絞めているのではないかと、二人で悲しくなってしまった。
 今日だけ暴言を吐かせてもらう。遊べなくなるから、地方に行きたくないだとか、彼女のためだけに担当教官が合宿してくれたにも関わらず、実験途中で電話していてとるべきデータをとれなかっただとか、それでいて研究者になりたいから大学院に行くだとか、日本がダメだったらアメリカの院に行くだとか。。。それも、彼女が大嫌いだと言う親のお金でだ。そんな彼女は、どうやら実験器具の名前も使い方もわからず実験に参加させてもらえないと笑ってた。そんな彼女がだ。なぜ、院に受かる???それもだ。学外だ。あたしが昔行きたかった大学だ。
 なんだか、切ない。おめでとうと素直にいえない私がいる。まぁ、見えない所できっと勉強していたんだろうな。と思うしかないのだけれど、ここには書いていないけれど、今までのことを振り返ると、なんて運のいい奴なんだとしか思えなかったりする。
 運も実力のうちとはよく言ったものだな。
 電話で話していた友人は、あたし同様かなり不安定な立場にいる。彼女は資格取得のために頑張っていて、その資格が取れ次第アメリカに行くつもりだ。自分で資格の学校の学費を出し、アメリカへ行くお金を貯めるためにバイトしながら勉強中。彼女には、あっさりと親のお金で語学留学している子から「まだ日本にいるんだっけ?」なんてメールが来ているらしい。やるせない。彼女も頼めば親にお金を貸してはもらえるけれど、それは自分が許さないと言っていた。そういう部分が彼女の首を絞めているというのかな。語学は国内でもある程度取得できる。だから国内で身につけて、資格とってそれからアメリカに行くっていう彼女が、不器用がゆえにただ遠回りしているだけだとは思いたくない。


2003年08月10日(日)

 台風去って、ますます夏らしく。気持ちい青空が広がっています。なのに、あたしは部屋の中。今日もガガガとテキストをこれから読むであります。
 この間友人に買ってもらったラジカセ。なぜか、CDが聴けなくなりました。ヲイ・・・。FM専用みたくなってます。これでは、前のコンポと同じではないか。早く修理にもって行かなければ。何もしてないのに、突然聴けなくなりました。CD入れても、noCDって出ます。
 とことん、あたしは機械との相性が悪い。このパソコンも騙し騙し使っているし。なんなんですかね。ラジカセなんて、ホントに何もしてないのに。普通に使っていたのに。
 あうあうあう。


2003年08月06日(水)

 夜あまり眠れず、朝起きたのはよいものの、10時頃から本を読みながら、寝ては本を読みを繰り返し、いつの間にか昼寝全開モードで寝てました。汗をかきながら、かたまった状態でぐごーと寝てました。
 そして、起きてさぁ勉強再開。しかし、なんだか無音だとまた寝てしまいそうなので、FMをかけようと。けれど、うちは場所のせいなのか、あまりよくどの局も入らいのです。なので、この間針金ハンガーでアンテナもどきを作りました。それを、あっちやらこっちやらの伸ばし、どこがよいかしらんとやっている時、ガシャン!・・・・
 あぁ〜。この間も落としたのです。宝物の小瓶。この間は口のところが欠けてしまっただけなので、飾っておいたら再び落とした。とても大切な人からもらった物だったのです。あちゃ。かなりショック。破片を拾いながら指を切ってしまい、思わずうるうるしてしまったです。
 宝物だったのに。あああ。ショック。しかし、これを贈ってくれた人に何かがある予兆ではないんだろうな。こういう場合。あたしが、自分の不注意で割ったのだから。


2003年08月02日(土)

 花火大会行きたかったなぁ。しかし、テキストが予定のところまで読み終えられず断念。行けないって思うと行きたくなるものね。それ程行きたいわけではなかったけれど、テキスト読み終えたら行ってみようかしらんって思っていたくらいだったのだけれど、こうテキストが読み終えられなさそうなことが確定してくると、うごごご行きたいぞよって気持ちになる。ホントに行きたかったら、さっさと午前中から今日の予定を終わらす勢いがあるはず。あたしって、こういうのダメだわさ。
 祖父は、まだ施設で暮らしている。親が面会に行くときには、うちのバカ犬も連れて行き、許可をもらって中に入れてもらっている。かわいいわねぇ、などと皆に言われ犬はいい気になっている。が、そのバカ犬が素敵な出来事を起こしたと母からの連絡。
 一ヶ月程前、鬱のおばあさんが入所したそうな。そのおばあさん、まったく表情がない。母が他の老人たちと話しているときも、遠くから見てはいるのだけれど、母がそちらに目を向けると目をそらしていたそうだ。それが、昨日、おばあさん自ら「(犬を)抱いてもいいですか?」と聞いてきた。母がおばあさんに抱かせると、バカ犬はおとなしくしていた。それを見て施設の人や、他の人たちが、「あらぁ、おとなしくしているわねぇ」なんて言っていたそうな。そこで、母は、そのおばあさんに向かって、「赤ちゃんが、お母さんに抱かれて心臓の音を聞いて安心しているのと一緒で、犬も今抱かれて安心しているんですよ。やっぱり、優しい人ってわかるのねぇ。」と言った。すると、そのおばあさんの顔が笑った。なんとも、入所して初めて見せた笑顔だそうな。施設の人は喜び、思わず母も涙してしまったらしい。
 バカ犬。やるな。癒し犬として、活躍中。思えば、あたしもおまえのおかげで、何度も助けられたよ。ありがとう。そのおばあさんが、これをきっかけに時々笑顔を出せるようになるとよいな。そんなバカ犬が近づくことを、施設で一人だけ、嫌がる人がいる。それは、うちのおじいちゃん・・・・。じいちゃん、一緒にイビキをかいてコタツで寝ていた仲なのに。


2003年08月01日(金)

 おおおお。とうとう、8月ですね。恐ろしい。夏のうちにやらねばならないことたくさん。7月中に読み終える本は、まだ終わっておらんです。今週中に読み終えるべし。
 最近、早起きするのはよいのだけれど、眠くて昼寝してしまっております。いかんですね。まったくもって、意味のない早起きです。そんなわけで、昼寝というより、午前中から寝てたので、朝昼寝?をして今起きたら、なんてまぁよい天気ではないですか。昼寝などしてないで、布団干すべきでした。なんだか、この天気でめちゃめちゃ元気です。さて、これからガシガシテキストを読みませう。
 みなさま、よい夏を。


こげんき |MAILBBS

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