度々旅
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2002年07月30日(火) from hong kong

i arrived in hong kong at 2p.m.
i had much time to next flight
so i tried to go to the city of hong kong.
i get the impression there are many tall buildings here.
they are like pencils.

oh!how long i spend to write this essay.
the flight to delhi is approaching.

from free internet of airport


2002年07月29日(月) ビーチサンダル

 実家にて。母に、サンダルに穴が開いていると言われた。見てみると、「宇宙百貨」で数年前に買った、お気に入りのビーチサンダルに穴が・・・・。

 私は、少しかかとの方を引きずって歩く癖があり、だんだんかかとの真ん中くらいが、薄くなってきていることには、以前気づいていた。しかし、指摘されるまで、その直径一cm程の穴があいたことにはまったく気づいていなかった。一緒に旅に行く友人にその話をしたら、「え?気づいてなかったの?てっきり知ってて履いてるんだと思った」とのこと。え??どうも、数日前から穴はあいていたらしい。それを、全く気づいていなかった私。今日、母に指摘されなければ、私は穴空きビーサンで、旅に行っておりました。

 それにしても、我ながら、物持ちが良いなぁと。物持ちというよりも、物を捨てずにいるだけなのですが。

 そんなわけで、夕方新たな旅用のサンダルを求めに。結局買ったのは、ビーサンで、それも100円ショップのものであります。いつでも捨ててこれるようにと思って、こういうものを買ったりしますが、だいたい持って帰ってきて、いつまでも使ってしまいます。なんだか、高いお金を出して買ったものよりも、こういうものの方が、いつまでも家に残っているような気もします。
 さて、このビーサン。いつまで持つのでしょうか。ちょっと、楽しみだったりします。

 では。行ってまいります。メールや、メッセージを下さった方ありがとうです。


2002年07月28日(日) 旅の前にやること

 さて、明日成田に近い実家へ帰り、あさって、旅立ちます。行く先は、インド。そして、ネパール。今回は、香港でのトランジットに5時間以上あるので、空港から出れれば、ふらついてみようかとも思ってます。

 先ほど荷造りをし始めましたが、こういうことは非常に苦手で、駄目です。昔から、修学旅行や合宿の荷物は、出かける直前に必死につめこんでおりました。明日も使うからまだ荷物に入れては駄目とか考えていると、直前につめることが、一番効率が良いという結論に達したわけです。(言い訳です)女性の方は、特に、荷造りが面倒なんではないかしら。確実に、男性より荷物が多いと思われます。


 旅の間に植物をどうしようかと思い、駄目もとで、近所の友人に頼んだら、水やりを引き受けてくれました。ハーブの植木鉢を友人の家まで運び、ついでに「枯らしても文句は言いません。がしがし食べて下さい」と書いたメモも渡してきました。唐辛子は、毎日水をやらないと枯れてしまいそうなので、明日実家まで運ぶことに。これで、安心。

 そして、私がいないということを忘れて、メールで連絡をされても困るので、教授や友人に数週間いなくなるという確認をもう一度。普段やっている勉強会の予定についても確認したりと、なんだかいなくなるにも一苦労。

 まぁ、やることさえやっておけば、向こうに行ってから、心配しないですむわけで、どっぷりと旅の空気を吸いこみ、精神を整えて、勉強もできることでしょう。

 そんなかんじで、だらだらと準備不足のうちに、円安傾向。あああ。115円の時に替えておけば良かった。今現在で118円を超えています。とほほ。明日はおいくらになるのでしょうか。両替に行かねば。そうだ。空港の銀行でも、TCって買えるんですかね。それならば、当日でも良いのですが。ああ。でも、そんなことしているうちに、120円になってしまうのかも。。。


 


2002年07月27日(土) ふくらんだ思い。

やっとこさ、旅のために保険を申し込み、少しばかり準備する気になってきた。でも、何を持っていったら良いんだろうぅ。だいぶ、忘れてしまった。
 
 ロープ、洗濯バサミ、洗面用具類、洗濯石鹸、蚊取り線香、ペンライト、着替え。。。あと、なんだろ。うううん。なんだか、もっといろいろ持って行かなければならない気がするんだけれどなぁ。あ、薬もだ。
で、テキストかなぁ。

 それくらいで、いいんだろうなぁ。まぁ、あとは、向こうで買いましょう。

 昨日、指導教授と話していて、やっとの思いで、数週間音信不通になる旨を話した。教授は、自分が北海道を一冊の本を持って旅をした話をしてくれた。勉強はどこでもできるから、特に私たちの勉強は、本さえあればどこでも良いとの話もしていた。よって、少し安心した。私が旅に行く=遊びと単純に、受け取らないでくれたことに感謝。

 旅にいけない間は、地図帳を開いては、妄想にふけり、旅行会社のパンフレットをもらってきては、頭の中で旅をしたり、行けない旅の計画をたてたり。そんなことを繰り返していた。再び訪れたいと思っていた場所に、とうとう行ける。本来ならば、その地に2年前、一年休学して行こうと思っていた。しかし、いろいろあって、行けなくなり、今年やっと解禁。そして、一年というわけにはいかなかったが、ある程度はゆっくりできる期間行ける。

 特別何かを探したいとか、何かを求めるためというわけではなく、ただただ、行きたい場所。そこにもう少しで行ける。ここ数年、私はそこへ行くことを心のよりどころにして過ごしていた。それが、今回果たされるわけで、もし期待したような時を過ごしたり、感じたりできなかったら、どうしようという不安がある。

 行かない間に、私の中で、どんどんその土地への思いは強くなっていた。それが、現実になる。その先に、何があるんだろう。今回行って、また次も行きたいと思って、帰ってこれるだろうか。その地に住みたいと再び思うのだろうか。

 


2002年07月26日(金) 夏の実はたくさんあるのに

気付けば、せみの鳴き声が聞こえていました。

先日田植えを終えたばかりと思っていた田んぼは、だいぶ苗の背も伸び、隙間に見えていた茶が埋まり、緑の絨毯が敷かれたようです。

空を見れば、入道雲があったりします。

ビールと枝豆もおいしくかんじます。

夜に歩けば、公園で花火をやっている人がたくさんいます。

部屋にいても時おり、パン!というロケット花火の音が聞こえます。

部屋の中には、蚊が迷い込み、私の足は知らない間にぷっくりと赤くふくらんでいます。

昨日つくったカレーは、鍋に入れっぱなしにしていたら、すっぱくなっていました。

テレビでは、花火大会や夏のコンサート情報が伝えられています。

台風が、やってきています。

そんなかんじで、たくさん夏の実はあるのですが、なんとなく夏を実感できずにいます。

絵に描いたような夏ってのは、もう味わえないのでしょうか。仲間がいた夏は、確かに楽しかった気がします。そんな仲間達は、地方へ散らばり、それぞれの生活をしています。彼らとの夏の思い出を思い出して、さびしくなったりしております。
そんな私は、本日も学校への道を、汗をだらだら流しながら、歩いたのでした。
 


2002年07月25日(木) ムーミンと墓場の鬼太郎

ムーミンって、なんと体長30センチくらいだったのね。驚いた。その上、ムーミン族、スナフキン族、ミー族ってな具合に、あれは普通名詞だったとは。だから、お話にでてくるムーミンは、ムーミン族の代表みたいなもので、本当は犬とか、猫って名前を呼んでいるのと同じということだ。

 ちなみに、ニョロニョロは、どうも日本語訳らしく、スェーデン語では、hattifnatt。優柔不断で迷う(hatta)と、放浪する(finatta)という不定詞の合成語の名前らしい。ほぉ。これを、ニョロニョロと訳したのは、素敵!と思った。

 というわけで、なんとなくムーミンについての本を買ってしまった。先日も、ムーミンママの料理本を古本屋で見つけて、思わず買ってしまった。ムーミンと聞いたけで、なんとなく安心する。その理由も今日わかった。ムーミンの作者ヤンソンは、ムーミンの名前を、ママという響きの優しさを感じられるMの文字を用いることによって、考えた名前だった。そうか、M(ムー)って、なんだか優しい感じの響きだ。

 ムーミンたちは、動物でも人間でもなく、妖精でもなく、強いていえば、生き物だという。そんなムーミン達が住む、ムーミン谷の生き物たちは、水木しげるが描いた、鬼太郎のまわりにいる妖怪たちに、なんだか通ずるものを持っていると思う。それらは、人間を投影しているようだ。(両方の作者が、それを意図して描いているかいないかは別としてだが。)

 そういえば、昔大学のレポートで、異世界についてのレポートがあった。墓場の鬼太郎について私は書いた。なかなか楽しくレポートを書いた覚えがある。
 墓場の鬼太郎と、ゲゲゲの鬼太郎はまったく違うのだけれど、私は墓場の鬼太郎の方が大好きだ。子供は、ゲゲゲの鬼太郎の方に先に触れると思うが、墓場の鬼太郎の方が、ずっとロマンチックで、夢があると思ったのだけれど。いかがでしょう。

  『ムーミン谷へようこそ』 冨原眞弓


2002年07月24日(水) 今回の旅

 前期の授業は、とりあえず終了。まだ、学校には行かなければならないけれど。しかし、旅に行く話をするのではなかったな〜。聞かれなければ、私だって自らは言わなかった。自分の立場はわきまえているつもりだ。聞かれてしまった以上、嘘をつけないわけで、旅に出る旨を言ったわけではあるが・・・。

 旅も人によって、全然スタンスが違うわけで、相手の尺度で私の旅を計られてしまうのは、ちょっと辛い。大きな声で、いつ行くんだ?どれくらい行くんだ?という教授の声は、「おまえ、そんなことしていていいのか?全然自分の立場理解していないな。遊んでいる場合か?」そんなふうに聞こえてしまう。被害妄想?かもしれないけれど。

 でも、まぁ、うじうじ東京に残っているよりは、旅に出た方が数段実りある時間を過ごせることは確実なので、良いとしよう。しかし、もとは、テキストは、一冊くらい持っていく位で良いはずだったし、それはお守り程度のはずでもあった。旅に行くと、私は帰ってきてからの勢いがすごい。それは、ある意味、自分がリセットされ、新たなエンジンを搭載させられた様だ。そのために行くはずが、教授に言い訳を言っているうちに、勉強しに行くような気分になってきて、少し憂鬱でもある。あ〜〜〜。行くまで、何もわからんなぁ。

 それにしても、相棒に今回は、完全にまかせっきりである。ビザを申請したものの、受け取り日の今日、学校で行けないため、相棒に受け取ってきてもらった。向こうでのことも、今回は、全く関知していない。旅に出るのに、なんだかすんごい重い何かを背負っているようだ。その重みが、私の旅へのわくわく感を、減じさせている。向こうに行ったら、リセットできるという確信していた感覚まで、危ういような気がしてきて、旅に行かない方が良いんではないかと思う始末。あああ。駄目な正確だな〜。


2002年07月23日(火) anything goes

自分の研究のことで、少し壁にあたっている。本来ならば、じっくりとメインテキストを読んで研究を進めなければならないのだが、いまいちしっくりとしたテキストを選べずに今ここに来ている。

 私の学問における日本での主流のやり方は、偉人を選び、それを解釈していく方法が一般的だ。そのやり方は納得はできる。何もないことから自分で出発するより、ずっと良い方法だろう。しかし、重要なことは、過去の人間の解釈をして、それをどうするのかだ。他者の思考を、自分がいかに超えていくか・・・。

 しかし、社会は常に時間とともに流動している。過去の人間を、自分の時代の視点で批判するのは、ナンセンスだ。すると、過去の人間を研究する場合は、彼らの時代の視点を持たなければならない。それによって、得られた思考は、現代を考察するうえで、どのように役立つのであろうか。

 研究するということは、常に比較、類比を行い、そこから差異を見つけ出し、その差異の理由を考察し、新たな思考を展開することなのであろうか。

 自分の研究において、今まで一人非常に思いいれのある賢人がいる。彼は、自称アナーキストであり、ダダイストである。果たして、アナーキスト、ダダイストを考察し、彼を発展させることが可能なのであろうか。これが、今私がぶち当たっている壁である。彼が放った素晴らしい言葉、anything goes・・・。そのようなことを言い放ってしまった人物を、批判することはできない。私は、この人物に恋と同じような思いを持ってしまった。
 
 私の抱えている研究テーマを、彼の一言はあっさり解決しているようにみえる。しかし、彼が述べていることは理想であるということも知っている。

 私が抱えている研究テーマの、方法論が見つからない。やはり、彼をもう一度考察し、それを発展させることが一番無難な方法なのだろうか。しかし、彼は、合理的方法、一つの方法の存在を否定する。anything goesなのだから。しかし、自分なりの方法が見つからないし、分散した知を包括する力もない私は、このダダイストを研究するしかないのだろうか。


2002年07月22日(月) 行方不明者登場

 先日結婚式の案内状をくれた高校の時の友人を囲む会。彼女は、5年付き合った彼との結婚ということで、非常におめでたい。今まで周囲の結婚は、子供が出来てしまったという理由ばかりだった中、彼女は違うということで、なんだか嬉しくなってしまった。別にできちゃった結婚がどうのということではなく、二人で一緒にいたいという気持ちから、直接結婚へ移行したというのが、喜ばしいなと思ったのだ。 

 ちなみに、私は高校の中では行方不明者だ。一部とは連絡をとっているものの、同窓会には顔を出していないし、大学が同じ人もいなかったし、非常に仲が良かった友人とも、年賀状を時々やりとりする程度で、そこには私が何に属しているかより、私が何を感じているかが重要だと思っていたため、思うところを適当に年賀状には書くのみで、現状を書いていなかったからだ。どちらかというと、有名な高校であるために、その所属であったことを言うと、先入観がもたれてしまうことが多く、できるだけその呪縛から私は逃れたかった。プラス、卒業生がいつまでもその高校名で自分を語る姿に、嫌気がさしていたこともある。
 そんな私が今日登場したわけで、「今何やっているの?」「生きているか、噂になっているよ」という声が掛けられる。これだけ音沙汰なしなのに、結婚の案内をもらえたことを感謝したり、私を気に掛けていてくれる友人に感謝したりだ。

 今日集まった中に、非常に大切な友人がいた。もちろん彼女とも、大学へ入ってから会っておらず、連絡もとっていない。互いに薄情といえば薄情だけれど、だからといって、彼女との関係がくずれているとは私は思っていなかったし、今日会ってその思いは確かであったこともわかった。
 私は浪人し、一年遅れて彼女と同じ大学に受かったが、いかなかった。それを、冗談まじりで責められながら、なんで理系だった私が今の選択をしているのか問われる。「直感かなぁ」とのらりくらりと答える私。そういう時に、本当のことが言えない私を彼女は知っている。だから、それ以上の追求はしないでくれる。そんな彼女は、一度社会に出てバリバリ働いていたが、体を壊し会社を辞め、今度も就職するつもりはないとのこと。みんないろいろあるのねー。
 会も終わりになる頃、みんなで連絡先の交換をし出す。その様子を眺めている私に、その彼女が、言ってくれた一言。「一番大切な人のを聞かなくては。話したいこと、沢山あったんだよ。」表面には出さなかったものの、私がその言葉にどれ程喜んだことか。そして、その彼女は私のことをよく理解しているので、「聞いたからって、住所とかアドレスすぐ変えないでよ。」と。そして、私が彼女の連絡先を聞き返しをしないと、「わかっているよ。あたしが、メールしろってことでしょ。」と。

 素晴らしい!これだけ連絡をとっていなかったにも関わらず、これほどまでに私の心を察してくれているとは。別に、私はみんなと連絡をとりたくないわけでも、みんなが嫌いなわけでもない。しかし、私が私として保つためには、どうしても日常を共にしたくないのだ。もしかしたら、それは過去の輪の中から得た思いからかもしれない。うまく表現できないこれらの気持ちや、私の変な頑固さを言葉なしに受け取ってくれる彼女。ありがとうと思った。

 帰ろうとイスから立ち上がる時、私の足元に数枚の紙が・・・。途中で、働いているものは名刺を配っていた。別に理由があっての行動ではないと思うけれど、内心私はなんで友人同士で、名刺を配らなければいけないんだと、不快である。しかし、もらってしまったわけで、適当に膝の上においていた。その名刺・・・。私はすっかり忘れ、足元に落とし、あげくの果てに踏んでいた。それを見て、友人達は大笑い。「あんただから許す!」はぁ〜。相変わらず、社会への道は遠いことを実感。。。しかし、私のそういう部分を、そのまま引き受けてくれている友人に大感謝。ごめんよ、みんな。偏屈な私で。

 それにしても、本日の主人公であった彼女。幸せになってくださいなぁ。と強く願っております。

 


2002年07月21日(日) そろそろ旅の準備

やっと旅の航空券を購入。予定より高く、航空使用料も上がっているので、不満ではありましたが。。。しょうがないなと諦めました。しかし、格安チケットではなく正規の値段で、航空券を買う人は世の中で、どれくらいいるのでしょうか?
 
 さて、今回の旅もいつもどおり二人旅であります。上手に一緒に旅を出来る友人というのは大切な存在。一緒に旅をする相手は、一人で行動できるタイプではないと、非常に辛い。そうではないと、常に相手を意識してプランをたてなければなりません。私の今までの旅の相棒は、同じことがしたければ一緒にして、したくないならば別行動ということが可能な友人達ばかり。だから、相手に殆ど気を使わず、自分の満足するように旅が出来ます。食事は一緒にして、一日の互いの行動を報告しあったりするのもなかなか楽しいもの。

 やはり、こんな私でも一応は女なので、旅には危険がつきものです。それを、二人でいることによって軽減し、その上、宿は一緒なわけですから、お得になる。思い出を共有できることも、良い点です。

 そんな理由から今回も二人旅。旅先での、沢山の出会いも楽しみ。と思いつつも、今回はテキストを抱えての旅なので、一番の心配は、果たして私は旅先での課題としたテキストを読んでこれるのかしら。。。という所。はぁ。持っていくテキストの選定もしなければ。と、なんだか、日常を引きずったままの旅になりそうな予感であります。


HP:植物日記更新


2002年07月20日(土) ミミズ

梅雨明けということで、昼間はものすごく暑い。半ばやけくそで、クーラーをかけずに汗をだらだら流していた。もちろんそんな状態では、なかなか勉強の方は進まないわけで、一冊読み始めては、他の本へという繰り返し。結局、本日はまったくはかどらず。外を見れば、太陽はサンサンで、空は青くて、でも私は窓を開けても蒸し風呂状態の部屋の中で、小難しいことを語るテキストに相手にされずに、気付けばソファーで昼寝でした。梅雨明け第一日目がこんなでは、ちょっとばかし先が思いやられます。

 そして、夕方涼しくなったので、買い物に。

 駅前のスーパーに行くまでの道のりには川があり、その川原で、カキ氷を食べ夕涼みをしていると、目の前にミミズがはっていた。そいつの横には、すでに干からびたミミズ。川沿いを走るコンクリートの道を必死に這うミミズ。しかし、ミミズの向かっている先は、川の方ではない。「反対だよ」と声をかけても、理解してくれるはずもなく・・・。
 やがて、ミミズの動きが止まった。おお。あせって、ミミズを土の上に移動させようとすると、暴れ出した。私から逃げるために、最後の力をふり絞らせてしまっては、申し訳ない。私も急いで、カキ氷を食べるヘラで、ミミズを土の方へと飛ばしてやる。

 なんとか、ミミズは土の草むらの方へ到達。あとは、ミミズの運次第。


2002年07月19日(金)

神保町を友人とふらついてみる。あの辺りはかつて私の庭だったが、そういや古本屋に入って本を探すというようなことはしていなかった。古本屋で本を探すという行為にあこがれてはいたものの、何が読みたいというわけでもなかったので、敷居が高く、店先からちょこっと覗く程度だった。それが今では、目的を持って古本屋を梯子するようになり、もしかするとあこがれていた自分に近づいているのかもなんて、ふと思ってみたりした。

 本日の収穫は、読んでみなければわからないが、かなり期待できそうなかんじ。しかし、本がどんどん増えているので、消化しなければならないという憂鬱な気分になっているのも確か。たぶん、本屋にいる時は買う前なので、知りたい読みたいの一心だったのが、買ってしまうと、せっかく買ったのだから読まなければという気持ちに変わってしまっているのだ。

 そういえば、アルバイトも探している時が一番楽しい。いざやってみると、予想どおりの仕事なのにいつのまにか、義務になってしまって少し辛くなる。何事も、選択している時が一番楽しい気がする。無責任でいられるからかもしれない。

 さて、本日は旅に出るためにビザをとりにいくはずが、時間に間に合わずに行けずじまい。さすがに、来週の月曜日には行かなければ。というか、チケットもとらなければ。本当に私は10日後に、日本を離れられるのかしら。
そうだ、格安チケットでも台風で飛行機が飛ばなくなったら、お金は戻ってくるのでしょうか?


2002年07月18日(木) ドイツという国

 ドイツ料理というものを御馳走になった。ドイツからビールを直輸入しているとのことで、いつもはビールをあまりたのまないのだが、頼んでみる。いまいち違いがよくわからなかったが、ビールが苦手な私がごくごく飲んだのだから、美味しかったのだと思う。

 そして、本当のソーセージってのは美味しいものなのね。これとビールってのは美味しいぞ。じゃがいも料理も美味しい。じゃがいもが、このうえなく好きな私にとっては天国のよう。ドイツ・・・。ヨーロッパの料理って、なんとなく苦手というか、高尚すぎて私にはわからないと思っていたのだけれど、ドイツはやっていけそうな気がした。そういえば、ドイツ語のテキストを読んでもいるわけだが、あまりそれとドイツって国を結びつけて考えたことがなかった。ドイツ・・・。

 これは、聞いた話なのだけれど、ドイツ人は世界でも数少ない親日国らしく、もう少しおおらかな頃は、ドイツ人が「また一緒に戦おうな」「今度はイタリア抜きでな」なんてことを言ってくれていた程だったらしい。そういえば、アメリカでテロがあった時、アメリカが愛国心とやらを強く掲げていた。イマジンをかけることを禁止し、I LOVE USAの声のもとに、国旗を掲げ、ナショナリズムの空気が蔓延。それを見て私は、恐怖というか、嫌だなという気持ちを感じていたのだが、あの時ドイツ人も、かなりアメリカのナショナリズム一色の雰囲気に辟易だった模様。そのコメントをドイツ人が言っていた時、心の中で私は、「さすが、同胞」と思ったものだ。日本もドイツも、同じ過ちをかつてしたわけで、ナショナリズムの恐ろしさを身をもって知っているというわけだ。

 ドイツ人は、勤勉だともいう。結構日本と似ている国なのかも。

 さて、本日は大人に御馳走になったのだが、大人の力ってすごいなぁ。と会計の時に思わされる。私は、あんな風な大人にはなれないだろうなぁということも、思い知らされた。久し振りに、美味しい食事と美味しいお酒。ああ。本日御馳走してくださった方が、東京から離れてしまうのは、悲しいなぁ。あ。。。御馳走してもらえなくなるからというわけでは、ないのよ。なはは。


2002年07月17日(水) トップの資質

相変わらず、雑務に追われている。学校の行事のために、ちょっとした係をやっているのだが、予想以上に面倒くさい。というより、もともとはそんな大変な仕事ではないはずなのに、連絡の行き違いが多すぎ。係りの中での連絡もきちんと行き渡っておらず、いらいら。やっぱり、係りの中で責任者をちゃんと決めておくべきだったな。責任者はいないけれど、流れ的に中心になっている人間がいるのだが・・・。ちゃんと決めた責任者ではないので、やはりうまい具合にいかない。

 責任者は、仕事を一人で抱えずうまく分担して、他の人が責任者への報告義務さえ怠らなければ、だいたいサークルや学校程度の仕事は上手くいく。責任者は、下の助言も受け入れ、他が気付いたことをうまく取り入れていかなければならない。私が、早め早めに気づいたことを助言していたにも関わらず、他の係りの人間に「別にいいんじゃん」の一言で、流され、しわ寄せが私のところにやってきている。むむむ。

 もう面倒なので教授にすべて判断を本日は仰ぎ、教授が言ったのでコレコレすることにしたと、他の係りの人間に報告。明日、休日出勤ならぬ、休日登校すればだいたい見通しがつく。

 サークルにいる時を今回のことで思い出した。気付けば、いつもトップに頼られていた。それは、表立った場ではなく、裏でだ。私は昔から副班長のような位置が好きだった。自分で人に仕事を采配する能力は欠けるが、これでもいろいろ気付いてしまうために、それをトップに報告したり、助言するという立場でいることが多かった。サークルで責任のある学年になった時、同学年の部長が「誰を頼っていいかわからない」と電話をしてきたことがあった。だいたい、こういうパターンが多い。そして、結局私がやることになる。みたいな。

 自分が表に立つことは好きではない。団体で何か行うときは、トップなりその団体が褒められれば、自分も褒められたと思う。そして、トップにありがとうと言われれば、それは非常に嬉しい。しかし、どうも最近は、「俺が!俺が!」タイプが多い。自分がしたことの評価が、団体やトップの評価になってしまうことが気に食わないという人間が多い気がする。ま、今回の場合係りの者は、全員俺が!タイプではなかったので良かったのだけれど。でも、俺が!タイプが一人いると、責任者になってくれるのでラクな場合もあるのだけれどね。
 


2002年07月16日(火) 連絡手段

雑務に追われている。連絡をとったり、確認するために一人一人電話をするというのは、とても面倒。自分が人に捕まりたくない派なので、こういう時に、私を捕まえようとしている人の気持ちがわかり、ごめんなさいというかんじ。しかし、メールの普及率というのは本当にありがたい。結構、多くの人が毎日メールを確認しているということが明らかに。メールでの連絡も、かなり早急性があるものなのね。

 でも、そうなると何週間も予告なしにいなくなったり、パソコンを開かないというのは、なかなか勇気がいることになる。そういえば、教授から授業の休講の連絡もメールできていたわけで、それを私が見ずに授業に行ったとしても、私の責任なのだろう。メールによる連絡は、電話と違って直接的なものではないので、私はいつも相手がメールをみるまでに、一週間以上かかるだろうという前提でメールをおくっているが、それは人それぞれまったく違うのだろうな。本音を言えば、連絡をとるための技術はあまり進んでほしくないなぁ。

 台風による雨を窓から眺めながら、小津監督の「秋刀魚の味」を観ていたら寝てしまった。起きたら、すっかり台風はどこかへ行ってしまっていた。窓を開けていると、部屋には蚊が・・・。おお。私の夏気分がいまいち盛り上がらなかったのは、蚊が足りなかったのかもしれないと思いつつ、蚊取り線香をつけ、また一歩夏気分に近づいた。


2002年07月15日(月) 明かりのない夜空

 夜、学校の帰り道、畑の間を抜ける小道を通る。その道は明かりがなく、畑の向こう側の道路の明かりによって、道がほのかに照らされている。音楽を聴きながら歩いていると、近くの大きな道を走る車の気配は遠くに行ってしまい、田舎の真っ暗な小道を歩いているような気分になった。

 ふと空を見た。台風が近づいているためか、雲の動きは早く、星は見えない。小道には私しかいなく、空を独り占めしているような気分で、しばし立ち止まっていた。星の見えない空に吸い込まれそうになる。大げさに言えば、宇宙と一体化したような気分だった。

 青空を見上げて、空と木々の緑しか見えない時の気持ち良さは、常々感じていたが、夜空を見上げて障害物がない時の感覚なんて忘れていた。夜は、木々の緑も黒く見えるため、星や月が見えない限り、濃淡の黒が広がる。それは、怖いというよりも、心の延長線上に空があるというような気持ちを引き起こすものだった。

 夜の街の明かりを高いところから見るのも悪くはないが、真っ暗な空を真下から見上げることの方が今の私には合っているようだ。


2002年07月14日(日) 私の後ろの私

高校の友人から結婚式のパーティーの招待状が届く。おおお。とうとうこういうものが、やって来たかというかんじ。風の噂に子供が出来たり、結婚したりした同級生の話は聞いていたが、実際招待状をもらうとなるとどきどきしてしまった。そうか、結婚なんてことに全く現実味を感じていなかったが、自分もそういう歳なのねと思わされる。

 何をきっかけに自分は結婚するのだろうか。どうも実感が湧かない。付き合っている人がいる時、結婚して養ってくれなどと、のたうち回っていたが、それが現実になることなんて考えてもいなかった。私は一生自分の人生を現実的に捉えることができずに過ごしそうな予感。

 どうも自分を一歩下がって見てしまうことが多い。本当に苦しんでいる時も、後ろにもう一人の自分がいる。だから、恋愛のような我を忘れそうなことでさえ、後ろの自分が自分の状態を恥ずかしがっている。試験の時も、出来なくて途方にくれながらもそれを見ている自分がいる。しかし、それは余裕があるということではない。

 記憶にある中で、本当に真っ白になって後ろの自分と行動している自分が同一になった経験はセンター試験を受けた時だ。数学で恐ろしい思いをした。丁度、新課程と旧課程が入れ替わった年に旧課程で受けた私は、センター模試でも経験したことがないような出来なさだった。数学で点数を採れないなんてことは、一度たりとて予想していなかったので、帰り道で本当に電車に飛び込みたくなった。これからどうやって生きていけば良いんだ。。。というかんじ。あの時は、確かに後ろの自分がいなかった。なんとか家までたどり着き、なんとなくベッドの中に潜りこんで丸くなっていた。

 あの時ほど途方にくれたことはなく、現実の自分の状況を直接的に受け取ったことは他にないと思う。しかし、この話には少しオチがある。それだけどん底に落ちた私を救った人物がいる。それは、江頭2:50だ。
 なんとかベッドから這い出し、母に夕飯を食べるように言われ、テーブルにつき、ふっとテレビを見ると江頭2:50が、たしかナイナイの番組にでていた。そこで、いつもの通り暴れている江頭を見て、涙が出てきた。エガチャンも頑張って生きているのだから、私も頑張って生きていこうなんてことを思った。そして、涙を流しながら江頭を見て、夕飯を食べているうちに、いつもの通り後ろの私が戻ってきて、なんだこの図は・・・と思ったのだった。


2002年07月13日(土) 変人美容室

 実家に帰り、いつも行く美容院で髪を切ってみた。夏に反発して、重い感じでお願いしますと注文。相変わらず、重く見えるけれど、実際は軽くて、段はそれでもあまりいれないで、おかっぱだけれど、起きた時につく寝癖がいいかんじになるやつ。と、わがまま注文。お前のような客は、他の美容院じゃやってくれないと言われながら、店長は楽しんでやってくれていた。その美容院は、変人美容室というあだ名がついている。予約はできないので、客は待つことが多い。そして、自分が早くやってもらいたいがために、待っている客は、前の客の切った髪を掃除することもしばしば。

 どの客も、簡単な注文をした後は、適当に切ってくれとたのむ。自分がしてほしい雰囲気の髪を、自分に合うように仕上げてくれるだろうという信頼があるのだ。青山にあるようなサロンと違い、客が注文したとおりの髪型ではなく、客に合った髪にしてくる。例え、雑誌を抱えてこの髪型にしてほしいとたのんだとしても、その髪がそのまま本人に似合うかどうかは疑問なわけで、しかし、似合わないとしてもやって欲しいというような客は、ここには来ない。店長は、似合わない頭を作らないからだ。そして、仕上げは客が勝手にドライアーを使ったり、ワックスを使ったりして帰ることもしばしば。普通の店じゃ考えられない状況だ。

 ここに来る客は、髪を切ることでリフレッシュだとか、お任せで綺麗にしてくれとは思っておらず、自分のこだわりを実現させるためにやってくるのだ。出来上がった髪は、店長と客の共同作品ってやつだ。客層はかなり広く、老若男女問わずというかんじ。サービスを買いたいと思ってくる客は、まず一回で来るのを辞めてしまう。こういうやり方で、店を続けられる店長はすごいなと思う。

 昔店長に、「あなたもつまらない人間になった」と言われたことがあった。私が注文した髪型が、面白くなかったらしい。店長と私は、なんとなく通じるものがあり、互いにどこか認め合っていた。私は店に行く時、今度はどんな面白い素敵な頭に仕上がるかしら?と期待しながら行き、店長は、私がどんなものを注文するのか楽しみにしていてくれる。それが、私が学生であるにも関わらず、一般的な髪型をたのんでしまって彼はがっかりというわけだ。社会人になると、冒険ができないので、学生をカットすることは、彼にとっては特に楽しみということもあるのだろう。
 思い返せば、その頃の私は社会に少し迎合していた時で、彼はそれをいち早く見抜いたというわけだ。

 普通はこんな美容院は嫌だろうが、私は変人美容院に通う変人であり続けたいなと思う。

 夕方、昔の友人達と会う。非常に楽しいひと時を過ごした。以前日記にも書いたが、アメリカ人彼氏と付き合っている彼女とも会った。彼女は、彼と別れそうな状態。それをいいことに、私がそのアメリカ人にたまっていたものを吐き出したら、彼女も同意してくれてちょっと安心。相変わらず、卑怯者の私だ。彼女とアメリカ人のことは、いろいろ勉強?になることが多かったので、それについて思うことをそのうちここに書こうと思う。


2002年07月11日(木) 靴磨き

台風が去り、素敵に晴れた。風も乾いた風なので気持ちが良い。夕方アパートのドアを開けて座り込み、靴みがき。靴墨の匂いが、結構好きなことに気付いた。実家の玄関は、自転車もおける位のスペースがある。母はいつも、玄関にたくさんの革靴を並べて、磨いていた。その時、玄関は靴墨の匂いが充満するのだが、それが妙にしっとりした、落ち着いた匂いとして私の中に印象づけられている。

 靴磨きという職業にあこがれがある。小さな頃から、なんとなくかっこいいと思っていた。昔から道端にいる靴磨きのおじさんたちが、味わい深いというか、絵として美しく見えていた。墨で汚れた手、たくさんの道具が入っている木箱、おじさんたちが座っている椅子、お客が足を置く台。全てが、こじんまりと、しかしながら厚みがあるというのだろうか、木が生えているように、どっしり自然と存在しているように見えるのだ。そして、下から客を見上げて話をする。きっと、靴一つでお客の人生を見通しているのだろうと思った。
 
 今だにそのあこがれは変わらない。友達になった道端の靴磨きのおじさんは、素敵な人だった。季節の移り変わりに敏感であったし、人の靴を通して社会を見ているようでもあった。
 ものの見方にはいろいろあって、一つの方法だけではない。何事においても、じっくりと観察を続け考察をつづければ、対象は姿をはっきりと現してくる。靴磨きという仕事から見えてくる社会と、学者が考察する社会。直接に見えてくるものは違うだろうが、考察を重ねることによって見えてくる社会の先の姿は同じものだと思う。


2002年07月10日(水) 自然災害のある国

 台風がやってきている。なんだか、わくわくしてしまう。テレビ画面の向こうで、非難している人達を見ても、実際自分も危険にさらされているという実感がない。ただ、閉じ込められているみたいな感覚を楽しんでしまう。

 幼い頃に一度台風のために、家から歩いて3分程の所にある川の水位が非常に上がったのを覚えている。川原は、川の水によって埋まり、土手の高さの途中まで水位が上がった。雨があがった後、土手に行って、いつもとは違う風景に驚いたものだ。川原にある小屋や車は、屋根だけかすかに見えていた。あれだけ水位が増しても、その水をせき止めている土手はすごいなと思った。土手が決壊したら、恐ろしいという感覚はなく、ただただ土手って素晴らしい!と思ったのだ。

 なんとなく、台風が来ると、家の窓に木をばってんに打ち付けて、台風への準備という図が思い浮かぶ。しかし、そのようなものを見たことはない。サザエさんで見たのかな。

 しかし、東京で洪水になったならば、どうなってしまうのだろう。雪が少し降っただけで大騒ぎ。日本は、台風があって地震があって噴火があってと災害はたくさんあるのに、今一それらと上手く付き合えていない。太ももまで水かさが増す場所なんて、世界中にはたくさんある。そして、そういう国はそれらと上手く付き合う術を心得ている。決して、自然災害を憎んでいるばかりではない。もっと、自国の自然と上手く付き合う国づくりを考えてほしいものだなと思う。でも、これだけ狭い島にたくさんの人が住んでいるという時点で、かなりそれは難しいのだろうか。

 自然災害のある国。それは、自然の声を感じられる国ということだ。それは、素晴らしいことだ。そんな自然の声に逆らって、人の生活を築くのは無理なことだと思う。


2002年07月09日(火) 試験期間

 朝からアブラムシ探し。いいぞ。なかなか、良い時間を過ごしている。
 蒸し暑さに負けて、クーラーを。クーラーの下でうとうとと眠ってしまい、頭が痛くなってしまった。窓を開けてみると、いつの間にか雨が降り出していて、涼しくなっていた。

 雨が降ると気温は下がるが、蒸し度があがり、風もなく、じとっと汗ばむ。気温は高くないのに、余計に暑く感じる。一度汗をかくと、なかなか乾かないので肌がべとべとになってしまう。からっとした晴れが恋しい。

 世間では今、期末試験真っ最中なのだろうか。学校も、急に人が増えてきた。夜にコンビニに行けば、ノートをコピーしている人が必ずいる。深夜にファミレスの前を通れば、勉強している学生で席が埋まっている。休み前の試験は、夏休みへの期待を膨らませる。これが、終わったら夏休み・・・。そう思って、皆勉強している頃だろう。

 私の場合は、試験もないということもあり、いまいち夏休みというかんじがしない。夏休みといっても、日頃とやらねばならないことは変わらないということもある。夏休みだぁ〜という開放感。懐かしいな。


2002年07月08日(月) 早起き

 昨日は早くに寝たので、今朝は6時に起きてちょっと良い気分。晴れていたこともあり、爽快感あふれる。布団を干して、洗濯機を2回まわし、タオルケットも洗った。太陽の匂いに包まれて今夜は眠ることができる。

 朝の涼しい風にあたりながら、とうがらしのアブラムシ探し。これからの日課になりそうだ。今まで葉を見ながらぼーっとしていたけれど、葉を一つ一つ裏返しながらアブラムシを探すのは、時間がゆっくりと流れていて幸せな気持ちになった。ただ見ているだけよりも、幸せ度が高い。

 昨日コンタクトをつけたまま眠ってしまったために、午前中はずっと目がくもっていた。勉強する気になれず、漫画を読んだりテレビを見たり、ついでに旅の記録をHPへupするためにパソコンをいじったり・・・。これでいいのか?と思いつつも、先週に忙しさで疲れた自分へのご褒美と言い訳を。

 早起きの休日は良いなぁ。やっと理想の休日を送れた気分。夕方、さすがに気になって机に向かう。でも、一日でしっかりだらけきってしまった。これは、夏休みに入ったらやばいぞと思う。ちゃんと計画をたてないと、ものぐさの私は、ただただ時間を食べるだけで終わってしまう。今年の夏は、早起きしよう。そして、昼の暑い時間は昼寝をしよう。自然に合わせて、涼しい時に読書や勉強をし、夕方は川原で夕涼み。なんて、素敵なんでしょ。

 そんなわけで、やっと旅の記録のインド・ネパール編をHPにupできました。かなり遠い過去となりつつあったけれど、久々に写真を見たり、記憶をたどって楽しい作業でした。しかし、写真・・・。一番充実してとれていたはずのフィルムを日本に帰ってきてなくした私。悔やまれるな。。。宜しければご覧下さい。


2002年07月07日(日) トトロとアブラムシ

友人がジブリの森のチケットを入手したので、行ってみた。吉祥寺から歩いていこうと思ったが、日曜日のあの駅前の混み具合を考えると憂鬱になるので、井の頭公園駅から歩くことに。

 道を知らなかったけれど、前にまっくろくろすけをかばんにつけている親子がいたのでついていく。すごい速い・・・。母親の足がとんでもなく速い。小学生くらいの娘は、必死について行く。私も必死。汗がだくだく流れてくる。こりゃ、運動だ。

 途中で親子がトイレかどこかえ消えてしまった。なぬ。これから道がわからん。一応途中で道を示す看板はあったが、これが適当なかんじ。とにかくこっちの方向だろうということで歩いていると、親子は違う道へ行ってしまった。ありゃ。後戻りはせず、私は私の選んだ道を歩き続ける。そして、なんとか到着。親子の方が早く着いていた。負けた。。

 この時点でかなり体力を消耗。ジブリの森自体は、日曜日ということもあり子供だらけ。猫バスに乗ってやると思っていたが、無理だった。でかいトトロと戯れるとか、もっとそういうことがしたかったな。いい年こいてなんだけれど・・・。

 帰ってきてからは、昨日も徹夜ということで、さざえさんの時間くらいからもう熟睡。しかし、本日の朝見つけたとうがらし達にむらがるアブラムシ。。。心配。


2002年07月06日(土) 春巻き

なんだか、久し振りに解放されてゆっくり眠った気分。でも、暑さに耐えられず起きた。

 夕方買い物から帰ってくると、私が住む3階の部屋の5つのうち2つの部屋がドアを開けたままにしていた。なんだか、仲間が増えたようで嬉しい。去年の夏までは、クーラーをつけたくなくて、ドアと窓を開けたままというのは、私くらいだったのに。隣の部屋からは、包丁でとんとん何かを切って夕食の支度をしている音が聞こえる。これも嬉しい。そのうちお醤油の貸し借りでもできるようになったりして。ちょっと期待。

 そういえば、お隣さんもよく布団を干しているし、ドアの前に植木鉢を置いている。なんだか、仲良くなれそうな予感。

 そんな私の今日の夕食は春巻きでした。せっかく上手くできたので、写真をとりました。こげんきの家流なので、ついでにレシピも。

●春巻き●
 具:セロリ(1/2本 80円)椎茸(3つ 50円)ゆで卵(2つ)春雨
   ひき肉(150g 100円)
 皮:10枚で180円

 ということで、春雨はお湯でもどしておく。具を適当に切って炒めて、塩と醤油で味付け。ごま油をたすと風味がでます。あとは、巻いてあげるだけ。





ということで、500円くらいで10個というところでしょうか。皮もつくったらもっとお安くできるのでしょう。セロリとゆで卵がポイントということで、よろしければどうぞ。



 


2002年07月05日(金) 永遠のテーマ

3月に拾った本棚は、もう一杯になってしまった。これは、食器棚だったので、仕切りがうまい具合にいかず、結局のところ、あまり本が納まらなかった。でも買う気にもなれないし、うまい収納の仕方はないだろうか。不安でしょうがない。部屋はこのまま本が散らばったままになるのだろうか。考えただけでも恐ろしい。

 本当は、持っている本すべてを本棚に並べたい。そして、すべて私の手の届くところにあってほしいし、二重には並んでほしくない。ひょいっと手を伸ばしたら、取れる。すごい、理想。あとは、大きな机が欲しいなぁ。いつでも、辞書が手に届けば嬉しい。そして、何冊も本を広げながらの作業。できたら素敵。

 今はそんなことが無理なので、テーブルを机がわりにしてそこにパソコンも置いてあって、床に座っている。私の席のまわりは、常に紙や本が広がっていて、気付けば身動きできない状態に陥って、床はどんどんうまっている。広げる時は簡単だけれど、しまうのは面倒だ。部屋は、すごい散らかっていて、必要なものは、ひょいと手を伸ばせば届く所にはなく、だんだんいらいらしてくる。
去年の夏に、本をソファーで心地良くゆったりと読むというのに憧れて、安いソファーを買ってみたものの、結局はそこで寝てしまう。そして、最近では物置き場。

 快適な部屋つくりは、永遠のテーマなのかもしれない。アパートの一つの部屋で、食事も睡眠も遊びも勉強もってのは、所詮限界はあるけれど。暖炉のそばで、ソファーや、ロッキングチェアーに座りながら本を読む。いつかはやってみたい。でも、寝ちゃうんだろうな。


2002年07月04日(木) クーラー発動

結局のところ、昨日?というより今朝は眠ることができなかった。太陽が出る前に、授業の準備は一段落して布団にもぐり込んだのだけれど、やはり自分の解釈が不安で、どんどん頭は勝手に展開していってしまい、眠れなかった。でも、授業に出てみればもう一人の担当の方が終わったのが、結構授業時間の終わりの時間に近かったので、私の発表はあっさりと・・・。

 しかし、前の担当者が発表している間に、私はまた混乱に陥り、あれ???あたしの解釈やっぱり違う??と思い、自分のレジュメを読みつつも、まだ自分の中で明確ではないと述べたら次回にも、もう一度発表ということになった。おおお。でも、こんなふうにどっぷり、うねうね一つの文につかるのは、実は楽しかったりもする。気付けば、どんどん私の解釈はこの数週間で変化していて、その変化が大きすぎるので、たぶんまだ著者の世界に入り込んでいないのだろう。引き続き、格闘続けましょ。ちょっと情けなくもあるのだけれど、しょうがない。未だ、解釈力が未熟なのだから。

 そんなわけで、いつもは寝坊しそうな私だが、ゆっくりと朝ニュースを見ていたら、NYでたばこが7ドル!!!。ある意味、その値段でも吸い続ける人はすごいなと思った。そして、金持ちの印になるのでは。なんて思った。

 しかし、今日は久し振りに晴れ間が見えた。部屋に帰ってきて水道の蛇口をまわしたら、温い水がでてきた。そうか、7月といえば立派な夏だ。太陽があまり見えないので、いまいち実感がないけれど。朝の準備中に汗をかくのは嫌なので、今年初めてクーラーをつけた。10分くらいの間だけれど。でも、まだまだ夏の本番は先なので、夕方は、タオルを冷凍庫で凍らして、それを顔にこすりつけたり、頭にのせて、涼を得た。


2002年07月03日(水) 七夕が近い

さて、なんとか本日二つ発表。相変わらず直されたり、指摘はされたが無事に・・・というかんじ。それ程辛い授業ではないし。寧ろ楽しい授業なので。一つは来週も続くのだけれど。やっぱり自分の興味あるテキストは良いなぁ。しかし、一番辛いのが明日。授業は楽しいのだけれど、私一人ではなかなか解釈できんので、予習が苦しい。そして、いつもどおり、水曜は徹夜??ってかんじ。でも、寝てやるのだと思って踏ん張る予定。

 だいたい頭の中で描いても、実際本番になると頭が真っ白になって、質問に対して考えていたことを言えなくなってしまう私です。よって、前日に頭をそのモードにしておく必要がある。どっぷりつかったまま、突入したいのであります。

 それにしても暑い。蒸し蒸し。外で夕涼みなんて思っても、気温は下がっても湿度が高いので心地良くない。息苦しいかんじがする。だんだん視界も、湿気で雲っているような気分になってくる。そういや、もうすぐ七夕だ。早いな。短冊に願いを書いてみたい。小さい頃の方が、そういうことが出来る環境が整っていた。でも、大人になった今だからこそ、そんな気分を味わいたい。

 最近中国の天文学の本を読んでいる。それはアメリカ人が書いた本で、干支が時刻と方角を示すということから、天と地の調和が見られると大層に語られていた。そうか、干支が時刻と方角を示すなんてこと、あっさりと受け取っていたけれど、西洋では驚きなのかもしれん。違う国の文化を違う国の人が研究するのは、新しい発見だらけなのかもしれないな。ちなみに中国では、天文学は天を占って政を決めるためのもので、「天文」という言葉はそういうところからきている。それは知っていたのだけれど、「地理」という言葉も、土地占いからきている言葉ってことは知らなかった。そうか、地の理ね。またもや、理って言葉の持つ意味の深さを感じた。

 そんなことを思いながら空を見上げてみるけれど、雲が分厚くて星は見えない。果たして彦星と織姫は今週末会えるのでしょうか。 


2002年07月02日(火) 髪が切りたい

 シャワーを浴びても、体が乾かないうちに汗が出てくるので、べとべとになってしまい、気持ちが悪い。あげくの果てに、湿気があるせいか髪もなかなか乾かない。ううううん。切りたい。すごく切りたい。髪の毛。でも、今切ったら、結べなくなって余計暑い思いをするんだろうな。数年前、残り数センチくらいの頭にしたけれど、女受けは良いが、男受けが悪かった。やっぱり、男とやらは、長い髪が好きなんだなと思った。

 私は異様の髪の毛が伸びるのが早いらしい。その坊主みたいな頭にした時も、一年後には後ろ髪が肩につくくらいまで伸びた。それも、切りながら。髪の毛に栄養がいきわたっているのだ。美容師には、それだけ痛むようなことをやって、よくつやがあると言われた。小さな頃は、綺麗な髪ねと近所のおばさんに褒められた。真っ黒で、直毛だったのだ。しかし、もう10年くらい自分の髪の毛の生まれたままの姿は見ていないので、今だに直毛なのかはわからない。

 短い髪は、黒じゃない方が素敵と思って何度もブリーチしてみるものの、金髪になると書いてあるものを一時間くらいつけたままでも、かろうじて日にあたると色が変わったとわかる程度だった。キューバ人ダンサーみたいな髪にしてくれと美容師にたのみ、すごい長い時間パーマ液を頭につけっぱなしにしたにも関わらず、なかなか思うようにいかなかかった。本当に頑固な髪の毛だ。

 そういや、私は美容師にいつも無理難題を押し付けている。基本は朝起きて、そのままで良い頭。そして今までした注文は、オノヨーコみたいにしてくれとか、中国人風とか、そんな風な伝え方だ。それで、私好みにしてくれる彼は素晴らしい。今考えているのは、UA風。あれも起きたままでよさそうなので魅かれた。が、夏は暑いのかもなぁ。あれ。

 さて、明日とうとう二つ発表。さすがに、もうどうでも良くなってきた。私の場合、近づけば近づく程、緊張の糸が切れ、その上諦めモードに入ってしまう。だから、最後の詰めが甘い。わかっているが、そうなのだ。


こげんき |MAILBBS

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