猫頭の毒読書日記
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2002年08月20日(火) 【徒然草】




◎ 2002/08/30(Fri) 07:02




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第10段 家に宿る心

調和がとれ、理想的な家というのは、たとえそれが一時的な住まいであったとしても、自ずと趣が感じられるものである。

教養ある人が自然体で暮らす家には、射し込む月の光でさえ、一際感じ入るものがあるようだ。今風なきらびやかな作りではなくとも、木立が古び、庭の草々がありのままに育ち、濡れ縁、垣根の配置にも味があり、室内の調度品においても昔からの物が良い具合に使い込まれているその様子にこそ、深みがあるように思われる。

多くの匠が心を尽くして磨き立てた、唐や大和のなかなか手に入りにくい貴重な調度品を並べ、前栽の草木ですらありのままにせず手を加えているというのは、非常に見苦しく、興ざめであることこの上ない。そのような家に果たして長く住むことができるだろうかと考えると、これは甚だ疑問である。せっかくの家も時という間の煙となって消えてしまうであろうことは、一見しただけで明らかである。何事においても、家を見ることで住まう人の心は推し量られるものである。

後徳大寺大臣が、寝殿に鳶をとまらせまいとして縄を張ったという。その様子を見た西行は「鳶がとまったとしても何も困ることなどないだろう。この大臣の御心はそんなに狭いものなのか」とその後、かの下へ参内することはなかったそうだ。綾小路宮が住む小坂の棟にいつの間にか縄が張られていたので、後徳大寺大臣の例を思い出していたところ「烏が池の蛙を捕らえてしまう様をご覧になり、お悲しみになって縄を張ったのだ」と語る者があったことから「それならば合点が行く」と納得したという。そう考えると徳大寺の縄にも、きっと何かの理由があったのだろう。
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(引用) 
 


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