FILL-MIND [フィルマインド]心情記 

   
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2002年12月31日(火)  ■潤えばまた一歩■

 仕事ばかりに追われた忙しい年末だったのに、メトロノームの激しい動きのようにめまぐるしく気持ちも動いていた。激動の最中というのは、たとえ時間があっても創作できる状態は遠ざかり言葉は生まれてこない。

 その合間をぬって書いてきたこの一年だったけど、ホントこの年末はまったく駄目だった。
凝縮されていた時間と想いと、その反動に心が空っぽになって固まっている時とが交互にあって、紡ぎ出す躍動には全く出会えなかった。

 心の動きとは繊細で厄介なものだ。一日という短いスパンでも一ヶ月くらいの長いスパンでも、ひとっところに留まっていることがない。流れていく時に翻弄されながら、戸惑いながら、逆らいながら、出会う刺激を吸収して形を変えていく。
 時に、とても冷たくなったり、柔らかくなったり、奔放な在り処には手を焼いてばかりだった。
 そんな移り気の多い心にあって、不動に存在している強靭な想いこそ、夢や愛に通じていたのだけど。しっかりと自分に根づいて、時々顔を出しては安堵を胸に残していく。確かに今、私はその存在を知れるところまで来てる。
 シルクロードの荒野の一本道を歩いているような感覚に近いと勝手に思う。黄砂に散って想いは舞っていても、わずかな潤いでまた旅は続く。

 来年もこの先も、きっと立ち止まらせるだろう、出会わせるだろう戸惑いや迷いや幻に、幾度はぐらかされたとしても、諦めずにこの道を進んで行けたら良いと思う。

……やっぱり激動の1年だった。かな…。今年も。

 ときめいていよう来年も。感じ続けようすべてを。

 大好きな皆に、幸福がいっぱいに降り注がれる新年であってほしい。

 
 SPECIAL THANKS DEAR ALL FILL FAN FROM ME, DEAR MY PRECIOUS.





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2002年12月27日(金)  ■年の瀬の出来事■

小さな幸せの時間。

争ってばかりいて、もうわかりあえないと思っていたのに、不思議なほど意志が通じた。思いやる気持ちにめまいがして、そんなことってあるんだなぁって驚く。

彼が変わったのか、私が変わったのかわからないけれど、傷つけあっていた日々が、決して無駄ではなかったのだと思えた。安堵ってこんな時に胸に舞い降りる。

自分が思っているよりもずっと、世の中は冷たくないし人は優しい。

その時に遭遇できた今を喜びたい。

来年こそ、いろんな人に会いたい。お世話になったあの人にも、窮地を助けてくれたあの人にも、いつも優しいあの人にも…。

同じように解りあえる未来は、きっと救ってくれるだろう。


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2002年12月23日(月)  ■変換作用■

忙しさの中に、小さな変哲もない喜びが寄り集まってくるように、笑いがたえない日々が続く。

全般的に見て、まんざら私がいる場所はひどい環境でもないし恵まれてさえいるのかも、なんて思いつつ、三連休を仕事に明け暮れて過ごしている。

面倒なことや、屈辱的なことや、やりきれないことや、悲しいこと。
辛くて耐え難く、困難に倒れそうで、思いが届かない悔しさ。

それは現実に今も私に迫っているのだけど、自分が諦めない限り、自分自身がしっかりと目的と夢と信念を見失なわない限り、たいていの災いごとはなんとかなる。あるいは越えられない壁自体、ドン・キホーテのように、自分でその虚構に怯えているだけなのだろうって思える。

それでも、人生真っ暗な気分になる時もある。もう駄目だって何度も目の前を失う。
そんな時は、決まってどこからか救いの手がさし伸びてきたり、救われる真理がみつかったりするから不思議。人の持つ強さと運命を知れる瞬間。

きっと私は、それらすべてを吸収できる感性に恵まれたのだから、思う存分活用して生きていればいいのだろうなって思ってる。そういうの、裏を返せば開き直りって言うのかもしれないけどね。

誰にも負けたくないこの性格は、きっと敵も沢山つくってしまっているだろう。
ほとんど理解など得られないまま、誤解された認識でいる人たちに囲まれてもいるのだろう。

それがとてつもなくさみしいことに思えた日もあったけれど、今は、それすら嬉しく思う。
ごみも雑草もエネルギーに変えられるバイタリティに歓喜する。

何も持っていない、ちっぽけな人間だけど、意志と誇りと想いは、何よりも深い。
私にはそれがあるんだって信じてる。
訪れる何ごとにも、負けないで生きていきたい。

きっと、私ならできる。
夢も、未来も、ビジョンも、すべて叶えたい。

もちろん、想いを尽くした創作に辿り着くことも。きっと、叶えよう。




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2002年12月20日(金)  ■反省■

いつも強気な私なのですが、素直に反省しなければならない出来事がありました。

大切なところで、大切なことを見過ごしてしまったのは、あまりに自分の注意力が欠けているからだと思うわけで…。

まだまだ、何もかも足りてないなぁと、つくづく自分を思った。
いろいろなことが、試練のように訪れて来て当たり前だった。
もっともっと、磨かなければならない様々が私には沢山ある。

きっと、当事者を前にしてはまた意地が勝ってまともなことが言えないだろうから、ひっそりと気付かれないようにこの辺境地でつぶやいてみた。時々、自分もそんな小心物。

ちゃんと人の気持ちを慈しめる人間でいよう。忘れずにいよう。と心に念じた。


もうすぐクリスマス。私はクリスチャンではないけれど、皆の幸福を祈っていたい。
暖かい幸運の届く、年の瀬であるように。誰の下にも、くじけない強い気持ちが宿っているように。


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2002年12月16日(月)  ■■■■ご連絡の補足■■■■

昨夜、もう忙しくってギブアップ〜〜って書いたのだけど、正確に言うと、貧乏暇無しの私には、これくらいの忙しさは茶飯事でした。今さら根を上げるレベルではない。

では、何がいつもと違うのかと言えば…

責任の重さ。

大人になるということは、本人に意思に関らず、背負わなければなければならない重さが増えるという、試練を身にしみて受けているところ。

一段一段高い跳び箱を超えていくように、聳え立つそれに立ち向かい、必ず超えていかなければならない。その壮絶さに息絶え絶えなものだから、すべてが私から、活力やらゆとりやらを奪っていってしまって…。

こんな柔な私に超えられるのかはわからないけれど、与えられた今を、きっとこなしていきたい。

FILLご訪問の皆様、創作の続き今回は必ず書きますので、気長にお待ちくださいませ〜。



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2002年12月15日(日)  ■■■■ご連絡■■■■

脅威的な忙しさに、気がおかしくなりそうな毎日です。
毎年、秋から冬にかけてはいつものことなのですが、今年はホントもうだめぼ〜状態。

どれだけ凄いかというと、土日の休みはほとんど返上。
残業は、早くて9時、遅い時は終電(12時)なウィークデー。
もちろん朝は通常通り9時から戦闘開始。
でも、まだ徹夜までは至ってないから救われている。かも。(笑)

本当にやる気に満ちている時は、1〜2ヶ月のそれくらいのハードワークは何ともないのですが、今年は気持ちの半分は納得のいかないそれなので、そこが何より、辛い。
モチベ−ションが続かないハードワークくらい、ストレスが溜まるものはないってものです。

私にとって、創作はそのストレス解消の良い役割でもあったのですが、さすがに今は、お手上げ。書ける状態にありません。

気持ちの上では、とても志気に満ちているからなおさら辛い。

いつも見に来て下さっている方々、創作の更新できなくてごめんなさい。

でも、私の気持ちはとっても元気。がんばっています。めげていません。
だから、もう少々、待っていてくださいませ。

いつも、ご訪問ありがとう。





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2002年12月11日(水)  ■凍える夜に素足で歩いて 冷たい大地に頬よせてみて■

かっこ悪い生き方してるなって、めげそうになる。

誰かがやらねばならないのなら、私がやるしかないじゃないか。

誰もができぬと投げるのならば、私が受けて立とうじゃないか。

その矢がたった運命を、誇りにしよう。やりつくそう。玉砕するまで。

毒を食らわば皿まで。だい。

ちくしょー!

って思って、また立ち向かう。

日々に負けてたまるか。お金も地位も、喜びすらいらない。

誇りを売らない強さをもっと。もっと自分にわけて欲しい。

失笑されても、馬鹿にされても、むげにされても、ただ進みゆく。

何がため、自分のために。







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2002年12月10日(火)  ■寒いねって響く音 ■

例えば、すごくだらしなくても、いい加減でも、飽きっぽくて気まぐれでも、想いはずっと真剣だった。

例えば、要領悪く口下手で、わからず屋の強情でも、情熱はきっと冷めてやしなかった。

悩みごとの行方は遠いまま、結果は最悪。
弱くもろい心の糧は、強く生きる生命力と絶妙に釣り合って、崩れ堕ちずに季節を保つ。

積もった雪の残る朝、冷える心の行き交う風景。
未来は少し立ち止まり、冬ってそんな季節と思う。


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2002年12月09日(月)  ■淡々と しんしんと 外は寒く 窓は白く■

大切なことはたいていは一人で悩んで、一人で決めている。
ほとんど誰にも相談しない。仕事でもプライベートでも。私はあいかわらず、いつもそんなふう。

ひどくそのことを口惜しがられた。皆、誰もが悩んでいるし、迷っているのに一人で抱えこむだけで何がてきるのだと。皆、数々の悔しさと屈辱のなかであえいで、探し歩いているのに一人ぼっちで歩き過ぎるなと。

私は根本的に、極わずかな人を除いて、周りにいてくれる人たちを信じていない。
いや、信じて裏切られることを恐れて近付かない。裏切られたことを根に持っている。

肩をぽんっと叩かれた。俺は応援するから、力になるから頑張れと。ちゃんと信じているから大丈夫だと。

的を突かれそうで、急いで熱い想いを覆いかぶした。込み上がってくる気持ちを見透かされないように。

毎日はそんな落胆と励ましが折り重なって、連なっている。


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2002年12月05日(木)  ■う〜〜っ!■


日常に忙殺されそうな日々。
けれど氷のように固まっているよりかは、まともな日常。

やらなければならないことと、やるためにそこにあること。
どちらも私にしか、私だから、与えられている。

すべてをこなしていきたい。すべてを叶えたい。
すべてを取り込んで進んで行きたい。

パワーが足りないよー。叫び出しそー。

創作の続きは……、書くためにそこで待っているのというのに。


ふーっ。とても、とても忙しい毎日です。


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2002年12月01日(日)  ■伝聞その2■

数少ない私の巡回サイトの記載より要約。

----100年前の話ですが、NY在住の8才のバージニアという少女は、友だちからサンタクロースはいないと聞かされ不安になり、サンという新聞社に投書をしました。サンタクロースはいるのですかと。

そこで、サン誌は社説でこんな返答をしたそうです。

『バージニア、あなたの友だちは間違っています。
このごろ何でも疑ってかかる人が多い。目に見えるものしか信じようとせず、自分の小さな頭で考えて理解できないものは存在しないと思ってしまう。だが、限りなく広い宇宙と比べたら、人間の知識など小さな虫程度のもの。

そう、バージニア。サンタクロースはいる。それはこの世の中に愛や人への思いやりや真心があるのと同じように確かなことです。サンタクロースがいなかったら、素直に信じる心も、詩も、ロマンスもなく、人生はちっとも楽しくない。

サンタクロースを見た人がいないからといって、サンタクロースがいないと言えるでしょうか。この世で一番確かで本当のものは、大人の目にも子どもの目にも見えないのです。』------

このエピソードは大切な友人が運営するサイトの、いつも素敵な言葉を、のんびりと更新するページに紹介されていました。(原文は朝日新聞・天声人語より抜粋とのこと)

そのサイト管理人の彼女のコメントは、正しいことを教えることも大切だけれど、すてきな夢や心を育てることも、それ以上に大切な教育だと、語り、儚く消えるだけではない夢の存在の重要性を説いていました。母の持てる強く優しい言葉です。

知識や、現実や、現象や、常識や…、それらの目先に惑わされずに人間らしく生きていくことを忘れてはならないと、教えてくれています。

大人になってしまった私たちができることは、いつだって自分を信じ夢を諦めずに、深く勇気を持って生きていく姿で、次世代に指し示していく他ありません。世の中そんなに、冷めてばかりではなく、もっとロマンチックでもあるんだ、と伝えるために。

素敵な伝聞をありがとう。





※今回は参照サイトのリンクは貼りません。もし、知りたい方は時々FILL掲示板にあらわれる、謎のうさぎ(?)に聞いてみてください。(笑)


 
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