un capodoglio d'avorio
1998年10月16日(金) |
つか「寝盗られ宗介('98)」2 |
西岡徳馬が、宗介役だったのね。んー。若干弱いな。頑張ってテンションを上げては来てるんだけどー、歌舞伎の所作とかよく知っていて歌舞伎流口立てもやってくれるんだけどー、なんかガラスの向こうで叫んでる人みたいだったなあどかにとっては。大衆演劇、テレビドラマの演技というか、厳しく言えば。小劇場の役者特有のヒリヒリした自意識の痛み、「破裂しそうな」ではなく「破裂しちゃう」テンションというのが稀薄だったかな。しかーし!主演の片割れが力不足でもそれを補って余りある「華」が隣にいたから救われた、この人。
で、小西真奈美がデビュー作だったのね、この舞台で。いきなり、もう、デビュー作からすっとばしてる。ああ、輝く人は、初めからもう、輝いてるんだよ、やっぱり、と思った。平栗あつみサンや鈴木聖子サンクラスには、ついに届かなかったとは思うけれど、内田有紀サンや渋谷亜紀サンクラスを遙かに凌駕する舞台女優だと思いました。「弱者の開き直り」というより「無垢の残酷」だね。自分のオリジナルな持ち味を初舞台にて早々に勝ち得ている。さすが、つかサマの口立て、役者の五臓六腑を引きづり出してでも上手いところを味わおうとするそのゲスな貪欲さ・手腕、尊敬する。
北区繋がりで言うと、トロイくんが出てた。んー、美しいプロポーション。反則だよなあ。で、なかなかきちんとつかのテンションを出せていた。さすがだ。この舞台はもう、大カラオケ大会でもあったんだけど、トロイが日本語で歌った「乾杯」はほんっとに反則だよー!ってセゾンの客席でどかは思っていたのを思い出した。思いつつ泣きじゃくってたんだけど。ああ、最近(2003年)北区の舞台で大活躍の川端サンはこの舞台のオーディションで初めてつか舞台に上がったみたい。こん時はホンの端役だったのにな。ここから良くあそこまで歩いていったなあ。なんかしみじみ。
さて、この舞台、成功に導いた二番目の功労者は、JAE(当時JAC)の総帥・金看板の春田純一サマ。どかは春田サンを観たのはこん時が初めて。この後「蒲田行進曲」や「二代目はクリスチャン」「銀ちゃんが逝く」「新・飛龍伝」「モンテカルロイリュージョン」などで見続けたのだけど、この'98年のが、ベストじゃないかと思う。それくらい、圧倒的なテンションだった。無理もない。この40人弱の役者が舞台に上がる芝居で、つか芝居をちゃんと把握していたのは彼だけだもん。一人でつかのテンションを合格点にまで引き上げていったのだ。・・・そう、ほんとに春田サン、マジでかっこよかった!ライオンズクラブ会長の鬼頭理事長役のあのズレまくりの訳の分かんないおかしなテンション。そして大岡越前守の時の白装束、腹をかっさばくときのあの「狂気」の目!先に書いた「質的改訂」において、より極限的に突き詰められた悲惨なストーリーの下ごしらえを一人でしたのが、春田サンだ。劇中劇、お志摩は品川鉄砲隊に射殺される。あのシーンの凄みは、鉄砲のSEによってもたらされるのではない。あの春田サンの、目だ。
さてさて。そして、この舞台を成功に導いた立役者。日本一の大女優、藤山直美サマ。世評的には「NINAGAWA身毒丸」で好評を博した白石加世子がすごいってことになってるけれど、どかは白石サンも観たけど、話にならない。女優の凄みという点で言えば、もう、藤山直美以外にいないだろう。彼女が切なそうな顔をすれば、それだけでセゾンが青色に染まっていく。彼女が辛そうな顔をすれば、それだけでセゾンが朱色に染まっていく。照明は、もはやいらない。唯一無二の「華」なのだ。つか恒例の大カラオケ大会も、彼女、全部自分で歌ってた。普通は口パクまでいかないにせよ、ちゃんと声も入ったテープを流してそれにあわせて歌うだけなのに、藤山サン、歌ってもすごいんだもん。ああ、彼女が歌う「大阪で生まれた女」!もう絶品ッス。
たとえば舞台が東北なのに、なんで大阪弁なん?とかいろいろ細かい矛盾はあるんだけど、そんなのどうでもいい気にさせてくれるくらいの存在感。伏し目がちのフェロモン。甘えた声の艶っぽさ。すごんだ声の恐ろしさ。女優はスタイルなんかじゃないのよ、と言わんばかりのあんこ型体型も、愛嬌。ああ、もう、降参です。彼女がセンターにいたからこそ、40人からの役者は自分の居所を見つけられて、改訂された悲惨で救いのないプロットはハッピーエンドに結びつけられた。確かに若干、つかっぽくないリズムなんだけど、それもま、愛嬌。このレイ子に、たとえば、2003年3月現在、宗介をやってる山崎銀之丞を合わせてみたいなあ。西岡徳馬ではなくて。したらすごいだろうなあ。と思った。
春田サンの名サポートと、藤山サンの明るい「華」でこの舞台は歴史に残るはずだ。このバージョンで再演、是非求む。でも、このバージョンのレイ子をやれる役者は日本に何人もいないだろうな。だって「飛龍伝'90」以降のバージョンの神林美智子並みに大変だと思うもの。
樹木希林?「んー・・・」。大竹しのぶ?「・・・ダメ」。白石加世子?「・・・違う」。藤山直美?「ウン!」。
←「寝盗られ宗介('98)」のパンフレット
1998年10月15日(木) |
つか「寝盗られ宗介('98)」1 |
これはどかが本格的に芝居に見始めた、本当に最初期のころの舞台。つかこうへいから受けた衝撃にただただとまどい、それを自分のなかでどう消化すればよいのかまごついていた当時のどか。そして、この日、今はなき銀座セゾン劇場にて観た舞台において、どかのその後の演劇的嗜好の基本ベクトルが設定されてしまった。ソワレ観劇。
「寝盗られ宗介」、副題「徳川六代将軍・家宣の若き日の恋」。
ストーリーは、かなり複雑な入れ子構造。東北巡業どさまわりの一座が演ずる劇中劇と、その一座の舞台裏を、交互に描きながら進んでゆく。一座の座長・宗介はわざと一座の男とレイ子をくっつけ、その寝盗られ亭主のマゾヒズムに快感を感じていた。しかし、レイ子が駆け落ちにやぶれ一座に戻ってくることで、愛を確認していた宗介も、父親の死期に際してレイ子と式を挙げることを決意。しかしその直前またしてもレイ子は駆け落ちすると宣言。「帰ってこないよ」とレイ子は言い捨て出て行くが宗介は式の準備を整えてただその日、待ち続ける・・・という一座の舞台裏といちいち呼応し暗示させるかのような劇中劇(これも宗介とレイ子がそれぞれ主役を演じる)。さあ、帰ってくるのか、レイ子は。・・・ってこんなかんじ。
さて、このレビューを書いてるいま現在(2003年のひなまつり)「寝盗られ宗介('03)」の一回目を観たところで。ここで比較はあんまししないけど、つかはこの80年初演の脚本を、この98年に再演するにあたり、大幅に改訂してきた。その改訂は、単なる気分で書き換えたわけではなく、つかにとってある種の必然を伴った再生作業だった。ポイントは二つある。「量的改訂」と「質的改訂」だ。
まず「量的改訂」について。
'98バージョンにおいて、登場人物は4倍ほどにふくれあがり、上演時間も2時間30分を越える大出し物になったのね。それは企画・公演に大阪府が全面的にバックアップし、役者も大阪の各種劇団(新感線や遊気舎、火の車等)から客演を募って芝居を打たなくちゃだったという外部的要素だけが理由じゃないと思うの。
つかは「飛龍伝'90」という自身の代名詞とも言うべき伝説の大(出演40人以上!)傑作舞台をかつて仕上げた。でもそれも元々は「初級革命講座飛龍伝」という70年代に初演された濃ゆいけど登場人物はミニマムな舞台が基本だった。つかは90年代の殺伐とした現実に対して、虚構のリアリティを追求するためには、大人数の構成美と、そしてその上にたつ絶対的なスターの「華」を散らせるという構造が、破壊的な効果をもたらせることを直感的につかんだのだと思うの、どかは。だから90年代に再構成されたきら星のごとく輝くつか芝居、「飛龍伝」も「蒲田行進曲」も「銀ちゃんが逝く」もそして「寝盗られ宗介」もスターさんの「華」を支える大人数の「人柱」が配されたのだ(「熱海」は例外、これはまたいつか)。しかし、これは諸刃の刀である。つまり、絶対的な、本当に圧倒的なスターさんがいなければ、決して成立しない構造である。敢えて厳しく言っちゃえば、2000年に満を持して再演された「銀ちゃんが逝く」がこけてしまった理由は、ここにある(内田有紀・吉田智則には、そこまでの「華」はなかった)。
次に「質的改訂」について。
最近のつか芝居について、良く言われるのが「大げさな舞台設定」と「あまりに辛くて暗いプロット」である。たとえば東海村原発自己であるとか、たとえば被差別部落であるとか、たとえば和歌山ヒ素カレー事件であるとか、たとえば柏崎幼女誘拐監禁事件であるとか、たとえば神戸少年A猟奇殺人事件であるとか。そういった「スペシャル」な事件を決して「スペシャルではない」と思わせるプロット作り。そこには70〜80年代の牧歌的な風景はなく陰惨辛辣なセリフが、乾いた笑いのなかで舞台上の役者を切り刻み、その返り血を観客は浴び続ける。
そういった、具体的なエピソードが提示されていなくても、身につまされるような辛い前提が設定されているのが90年代以降のつか芝居においてはもはや常識である。つまり、生半可なふやけた脚本では、もはやこの時代に有効なカタルシスは生まれえないというつかの悲壮な決意の表れなんね。この「'98版寝盗られ宗介」もかつては宗介・レイ子の逆説的な恋愛表現にのみ焦点があたっていたある意味シンプルな劇作だったのが、今作では一座の劇中劇において「身分・家柄の違い」という伏線(家宣公と心中崩れのお志摩の悲恋)が、実に巧妙に示される。この壁を乗り越えて帰ってこられるのか、否か!という興奮こそ、セリフにこそ示されないけれど今作のラストシーンのエッセンスなの。
この「徳川六代将軍・家宣の若き日の恋」については幸運なことにNHKのBS2にてVTRが放送されたから、どかはそれを録画して持ってる。で、今回(くどいけど2003年ひなまつり)改めて見直してみて、かなり感動した。実際に6年前にセゾン劇場で流した涙がよみがえってきた。詳しいレビューはページを改めて書くけれど、この公演は紛れもなく成功だった。つかマニアからは当時、「緩い」と酷評を受けたりもしたんだけど、でもどかはこれは成功だと思う。ひとえにそれは、日本一の大女優、藤山直美の圧倒的な「華」によるものだ。大衆演劇のマドンナ、恐るべし。ほんっっとにすごいと思うわ、この人わ・・・(続く)
|