浪漫のカケラもありゃしねえっ!
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2000年12月19日(火) ロック系のHPも立ちあげなきゃ

ファンジン活動からは足を洗って長いけれど、ロック系のHPも立ちあげなきゃならないかな、と思いはじめました。
このHPも作ったばかりなのに、どないするっちゅーねん?(-_-;)
キッカケは、ある音楽サイトでの出来事。
数年前に亡くなったインゴ・シュウィヒテンバーグの死因や脱退原因を知りたがるファンの書き込みに、「そっとしておいてほしい」「ショックなことだから、知らない方がいい」「今のバンドを大事にしたいから、知りたくもない」というような答えを書くファン達。
ふれてほしくないと言うファンの気持ちも、理解できます。人様の板が荒れる原因にもなりかねないことだから、そこに集まる人達がどう思うかということは尊重します。
しかし、PCだけでなく携帯からも年に何万ヒットもされてるページにもFAQが用意されてないから、教えてほしいと思うファンは、フラストレーションがたまってしまうだけなんです。
こんな事はたぶん、何十回も何百回も起こってきたろうし、これからも起こるはず。
その気持ちを満たしてくれる場を誰も与えようとしないなら、オレが作るしかないんだろうかと。
彼の死因は自殺でしたが、国内ではそのニュースが押さえられていたため、ひどいデマも流れている状況です。
自分にとって、その誤った情報がのさばり続けることは、やりきれなく、苦く、つらいことです。それを思うたび、どうしようもない怒りと虚しさに、のたうち回ってしまう。
メーテルリンクの「青い鳥」の中に、「知る苦しみ」「無知の幸せ」というのが出てきます。
私自身は、「知る苦しみ」の方がずっといいと思う。
「目を閉じて、耳をふさいで、なにがROCKだ?」
これが、そこの板にはハッキリ書かなかった、私の本音です。
私がストーンズのキース・リチャーズやメガデスのディヴ・ムスティンが好きなのは、彼らがかいくぐってきた地獄も悪行も愚かしさも、赤裸々に語ろうとする姿。
きれいな思い出だけじゃなく、苦しんであがいていった姿も、その人生の一部。そう思ってます。
アーティストに理想の人格を求めている人もいるでしょうが、人格と才能が一致するなら、芸術の世界は品行方正で友好的な紳士淑女ばかりになってしまう。(笑)
私自身は、英雄もいらない。もし彼らが誠実でなかったり、建て前で飾ったりしていれば、見破ってあざ笑ってやるだけのこと。
世間にはびこる常識に、その目を曇らされるな! 虚飾をはぎ取ったら、人にはなにが残る?
私にとってのROCKって、そういう精神を象徴しているモノなんです。
ウチのHPのノリも、私のROCK好きを反映してるかも。
ひっくり返して、別の視点から見る。苦い痛みを、うたいあげる。おちょくって、笑いのめす。みんな、ROCKがやってきたことやんか。(笑)
これからも、ROCK的にチョイとヤクザなノリで、やっていくことになるでしょう。
じゃあ、ベイビー、いってみようか?
ラウドに叫ぼうぜ!
「ロックン・ロール!」


2000年12月10日(日) ブラインド・ファナティシズム/荒れる板

定期的に荒れてた某F速板。ネット人口が増えてネチケットを飲み込めないネッターが増えたのか、板の名前が悪いのか。(爆)
論戦は見るのも参加するのも好きなのですが、理性的かと思って反論書き上げた頃には「でも嫌いなんだもん!」と開き直られて腰砕け。あるいは、論争の流れが途切れ、あえて蒸し返すことをはばかられるなどということもございます。
「オレが費やした時間と労力を返してくれよ、ベイビー(-.-;)」と言いたくなることもしばしば。 (わたしゃ、推敲に時間がかかるので、そういう投稿しなかった反論がもったいない。次回の反論やHPの材料にしちゃわな、損だわなあ。HPのネタと思えば、イタさもやわらぐだろか(笑))
荒れる発言って、どんどんシュールな泥仕合になってきますね。
罵倒や泥仕合のシュールさについ笑ってしまうのは、筒井康隆のエッセイで育ったツツイストゆえでしょか。
自分がパソコンとネットの世界に誘惑されたきっかけは、新聞連載「夜のガスパール」と連動した「電脳筒井線」の抜粋ログ(全3巻)を読んだこと。
これの真の面白さは、両方を連動して読むことで訪れます。
ツツイスト同士が巻き起こす論戦、荒らしと罵倒、ジョークの応酬。爆弾は落ちるわ、葬式はするわ、それが連載に反映され多重性を形成していく抱腹絶倒の瞬間。
演技する作家であり、実験に挑む作家である筒井康隆の醍醐味。
おっと、脱線してしまった。(笑)
くだんの板に限らず、人が多く集まる板は、荒れちゃうこともよくありますね。
宗教的・反宗教的な書き込みやシグネチャに噛みつきあっての大舌戦なども、ままあるし。
ファンのファナティックさも、過度なノリとなったら、宗教対立のごとく相容れない。(苦笑)
人間は、無意識のうちに戦闘のシュミレーションをして、己が生き残るための競争力を獲得しようとあがく生き物なんでしょうねえ。
論戦や過剰な口撃も、人類黎明期の昔からやってることがネット上に現れただけとも言えますわな。(笑)
群社会を形成する動物としての順位を争う習性から、己(及びその思想)の優位性を無意識のうちにディスプレイする傾向をもはらんでる。
敵対勢力との闘争を効率的にするため、己の信じるところの価値を認められない異質な価値観を持つ者を、属する群からしゃにむに排除しようとしてしまう。
出会った者すべてと攻撃し傷つけ合うタカ派のエネルギー浪費するライフスタイルに比して、平和主義的ハト派のライフスタイルは損耗が少ない故に、それぞれは環境に応じて一定の割合のバランスで均衡し、けれどどちらも完全に絶滅することはあり得ない。
対立=血の雨ではなく人道主義やディベートを行って解決する方向に移行してきたのは、マスコミニケーションの実現と歩調を合わせて大量殺戮兵器を手にしてきた人類の、種としての自己防衛本能でしょうか。(笑)
穏健派が仲裁に入り互いの自治を提案していようと、うっかり地雷を踏んで誘爆をそそる人やらフラストレーションのはけ口に爆弾投げ込む過激派は絶えず、尻馬に乗って手榴弾投げ逃げする確信犯が現れ、野次馬はチャチャを入れ、矛先を他にずらそうとアジる人、反撃に出て誤爆する人、平和に暮らそうと懇願してなで斬りにあう人、十字砲火に入り乱れての大混戦。大統領にだって止められやしねえ。(笑)
とばっちりを受けるのは、住み心地のいいところで楽しく暮らしたいと願いながら、泣いて立ち去る決心をさせられかねない民衆であるのことヨ。(-.-;)
海外サイトのフォーラム・ニューズグループ・パソ通などでも、罵倒発言・タイトルオンリー発言を山ほど入れてウェブマスターに削除させるパッパラパー、場を荒涼とさせても同じことばかり繰り返すアンポンタン、日に十数回のしつこく揚げ足とりな反論を投げるスットコドッコイなど、いろいろ見てまいりました。 (良い子は、決してマネしちゃいけまへん。軽蔑されるか、悪名あるいはギャグ的名物になるだけ。(笑))
そして、荒れた板は、砂漠のごとく荒涼としたり、パスワードという鉄条網に閉じられて人の出入りの少ない地となったり、沈没して海の藻屑と消えたり、住処を失った亡国の民は安住の地を求めて今日もさまようのであった。嗚呼、約束の地に建国の日は来るや否や。さすらいの放浪者の運命やいかに。(違う)
荒らし的な発言は、たいてい心の中で「ブラインド・ファナティシズム!」「トラフィックの無駄遣い!」「こんなバカヤロ様の相手をするのは、エネルギーの浪費!」と一笑にふして済ませちゃいますが。(最近は、「トラフィックの無駄」という罵倒を見る機会がなくなりました。まあ、ウルトラ・ヘヴィなサイトを読み込む方が、よほど時間がかかるかもしれんて。(爆))
あえて反論を書かないのは、あざ笑って挑発したら、またスットコドッコイを騒がせるだけだから。
バカヤロ様に一日中手をかけていられるほど暇じゃないから、こっちのレスのペースは遅いしなあ。(笑)
でも、あっさり笑い飛ばして傍観者でいられない時もある。
自分自身もまた、「ファンダム」に住むことを愛し、それにエネルギーを得ている「ファン」なのだもの。
ファナティックに語り、「トラフィックの無駄遣い」して遊んで、楽しく暮らしてるんだから。
ネチケット無視や論点をねじ曲げての引用の無法ぶり、黙殺や抑制した反論を「勝ち」とすり替えるバカヤロ様の横行もまた、片腹痛い。
こみ上げた怒りをしばらく寝かしてあやしても堪え切れぬこと、誰も指摘してない部分に歯がゆさを覚えることもある。
住み慣れた場が荒涼としてくるのを、座して見ていられないときも来る。反撃に涙するほどウブじゃなし、降りかかった火の粉ははらわにゃならぬ。
「そんなにかまってほしいのか、ベイビー。お望みなら、キスしてあげよう。唇には毒が、歯には牙が、抱きしめる手にはカギ爪が潜んでいる、楽しいキスを」と妖艶に迫ってあげる。いざというときは、12センチのピンヒールも磨いてあるの。うふ。(違う)
まあ、興味のない他人様から見たら、喧々囂々たる議論も、ケンカも、「ファナティック」に遊んでるようにしか見えないかもしれませんなあ。
この世はウチらの楽しい遊び場。意見が異なっていても、共通できる部分で遊べれば、それも愉快だと思っています。
というわけで、みなさん、くれぐれもネチケットは忘れずに、楽しく遊びましょうね。(^^)


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