あたろーの日記
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2006年06月30日(金) ねむー。

 旧暦6月5日。
 夜はなんやかやと、たとえば昨日は職場の歓送迎会、今夜は月末につき久々深夜残業になっちゃったりと、ちょっとドタバタして日記後回しになってました。
 今もう土曜の午前1時半なんですけど、ようやっと仕事終えて銭湯寄って帰宅、シードル飲みながら書いてます。シードルだけじゃ物足りないんだけど、夜中だしさすがになあ、我慢の子です。
 帰ってくる途中、屋外で寝ている人を2人見かけた。1人は地下鉄駅を出たところの菓子屋のシャッター前。もう1人は銭湯の隣の店のシャッターの前。菓子屋の前の人は、スーツ姿で、カバンも本人もぐったりしていて、手には携帯電話握ったまま寝ていた。銭湯のそばの人は、ポロシャツにスラックス。私が銭湯に入る前と出てきた後では寝ている姿勢が違っていた。2人ともすんごく気持ちよさそうに寝てました。起こしてあげたほうがいいのか迷ったけど、怖いのでそっとしておきました。ちょっと羨ましかった。
 この土日もちょっと忙しいので、今夜は夜更かししないで早く寝るべ、と思いまする。
 ねむー。


2006年06月27日(火) 機械恐竜

 旧暦6月2日。
 職場の入っているビルの隣は、現在ビル解体中、で、もうかなり工事は終わりに近づいていて、十数階建てだったビルも今は跡形もなく、重機が1階部分より下の方をギコギコ壊しているところです。
 仕事の途中に息抜きのつもりで廊下の奥の窓まで行き、そこから隣の工事現場を見下ろすのが、目下のところ職場最大の楽しみであります。赤いアームの先端に、巨大な蟹の鋏がくっついた重機が、コンクリの床をガシガシ壊して、がれきを挟んでウイーンと半回転して別の場所へ捨てる。そんなことを繰り返している。上から見ているとなんとも楽しいです。なんだか大きな動物、まるで恐竜のような。その話を職場の人にしたら、「機械恐竜ですね」と言う。そうだ、まさに、機械恐竜である。
 工事現場眺めるのがそんなに楽しいかいな、とお思いのあなた、そりゃ楽しいです。普段、ビル解体現場なんて上の方から見下ろす機会ないじゃありませんか。面白いですよ。重機が恐竜みたいで、かわいく思えるから不思議です。
 


2006年06月26日(月) 皇居歩いて帰る。

 旧暦6月1日。
 お金さえあればなんでも出来ると思っていた人がやっと逮捕されたと思ったら、5億円払ってあっさり保釈。ほんとにお金さえあればなんでも出来るんだな。なんかヘンだな。

 弟から何度も電話が来る。客観的に見ると、私ならもっとうまく対処できるのに、と思うこともある。でも彼の人生は彼にしか与えられていない。他の誰かが代役をしてうまく乗り切るなんてことは出来ない。
 さすがに気が滅入ってしまったので、退社後、会社のある青山から皇居に向かって歩いた。歩くと新鮮な酸素が脳に入ってきて、発想を転換することが出来たりする。それから強くて良い気に溢れている皇居周辺を歩いて、私も気を分けて貰う。太田道灌も徳川家康も、土地の持つ気には敏感だったようです。
 通勤ルートの約半分を歩いて、残りの半分を電車で帰ってくる。でもなんだか夕ご飯作る気が失せて、しようがないのでマクドナルドでハンバーガーとアイスコーヒー。うわー、ジャンクな夕ご飯だなー。・・・たまにはこんな自分を許そう。
 マックでしばらく本を読む。『アトランティスの叡智』(ゲリー・ボーネル著・大野百合子訳/徳間書店)を再読中。アリス・ベイリー、ラムサ、サネヤ・ロウマンなど、直感的になおかつ直観的に強く惹かれる本を、この何年か、繰り返し繰り返し読み、何度も咀嚼して自分の思考に吸収しようとしている。書かれていることについて行けなくて一時的に離れたこともあったけれど、やっぱり再び手に取っている本が何冊かある。線を引きながら大切に読み進めることもある。読むことが自分との対話ともなっている。小説や随筆、評論やいろんな雑学の本も読みながら、一方で、自分の意識や魂の本質について書かれている本も、私にとっては必要だ。
 ラムサやアリス・ベイリーの本を読んでも、世間の常識からかけ離れていることばかり書かれてある、と感じる人も多いと思う。だけど、科学者や歴史学者が証明している事柄は、この世の中のなんともちっぽけな領域でしかないんだ、と思う。人間というのは、なんとも限られた思考の中で生きているんだろう。どの本に書かれていることが正しくて、どの本が間違っている、ということは、読む人個人個人の判断や感じ方だから、他人がとやかく言う問題ではないと思う。ただ、確実に言えることは、思考の枠組みを取り払ってみることによって、今まで見えていなかったものが見える、理解できるようになる、というのは十分あり得る、ということです。当たり前なこと言ってますね(笑)。
 


2006年06月25日(日) 幾つになっても。


 旧暦5月30日。
 昨日携帯電話で撮った写真忘れてました。近所の猫。いつも烏にからかわれているか近所のボス猫(私の友達)に脅されているかしているせいなのか、好奇心旺盛なくせに相変わらず臆病だ。門柱の上でくつろいでいるところに携帯電話のカメラを向けると、「んっ?」という表情で上から覗き込んで、それからすぐに退散姿勢に入る。だけど、携帯電話の「カシャ」音が気に入ってしまい、逃げたいんだけど呪縛にかかって逃げられない状態。前足だけ門扉に置いて、お尻と後ろ足は門柱に残したままの形で、30秒位、ぴた、と動かなくなった。あんた、お腹、結構あるわねえ(私といい勝負)。ぽっこりぽんぽんが妙に可愛げ。
 あんまりいじめちゃ悪いから、私のほうが身を引きました。
 というより、猫すけが石みたいに動かずにこちらを凝視しているから、恥ずかしくなりました、さすがに。
 
 お部屋すっきり大作戦をやっている。この前会社で血液型の話になり、私は血液型で性格が分かるはずなんてないやい、などとほざいてたのですが、よくよく考えると(考えなくても)、普段やりたくないことは極力やらない見向きもしない癖に、ある日ある時突然気が向いてやり始めると、これが止まらない、モグラの快進撃よろしく無我夢中で穴を掘り進めるかの如く、部屋の掃除も時の経つのを忘れて続けてしまう。いいんだか悪いんだか。あ、そういう私は典型的なB型人間であります。
 部屋の掃除をしていたら、棚の奥からビニールに包まれたままの、防災用ラジオ付き懐中電灯が出てきた。以前戴いたものをすっかり忘れていた。そこで突然、防災グッズの点検まで始めてしまった。しばらく使っていなかった太陽電池グッズも点検して、医薬品も確認、ビクトリノックスとかアルミの断熱ポンチョとかも今一度チェック。最近、いつ地震が来てもなんとか自宅にたどり着けるようにと、外出時のバッグにはペットボトルのミネラルウォーター1本とカロリーメイトを入れています。が、カロリーメイトは先日おやつ代わりに食べてしもうた。なんつう意地汚い。それから、通勤時の靴は自転車の日も電車の日も、スニーカー(ジョギング用)であります。歩くのが下手でヒールの高い靴が履けないのもあるのですが、運動用と、いざ地震が来て徒歩で帰宅する羽目になった時、危険物の散らばる道路をちゃんと歩けるように。やりすぎ?神経質???いやいや、テレビのニュース映像でどこか遠くの被災地の様子を見て、他人事と言っていられる時代はもうとっくに終わってしまったのです、きっと。これから先、なんらかの自然災害に一生のうち一度も遭遇しないなんて人は皆無になるのではないか。災害時帰宅マップ、なるものが今売れているのも、今度は自分の番かも、と思っている人が多い証拠かと。必要以上に神経質になってはいけないけれど、地球環境が激変していることを認識して、いつ何が起こっても、自分がどう行動すべきかを見失わないように普段から心がけたいと思います。
 といいつつ、非常食の蟹パンもカロリーメイトも食べちまうしようがない奴。明日買い足しましょう。

 実家の弟から久々に電話があった。妹も弟も、何か悪い問題が起こった時にしか私に電話してこない。弟は特にそうだ。まあ、姉として、困ったときに頼りにされるのは嫌な気分ではない。けれど、長女とて悩みのないパーフェクトな毎日を送っているわけではないのだ。妹や弟や、時には母からの相談事や愚痴を聞いて、とうとうとアドバイスらしきことを語り、励まして電話を切る。だけど、電話を切った後にいつも思うのは、相手にアドバイスしながら、結局私は私自身に向けても話していたんだよなあ、ということだ。家族の悩みと私の悩みは表面的な形は異なっていても、根っこのところで繋がっている。だから、家族から愚痴や悩みを聞かされると、自分の傷もえぐられるようで辛い。辛いけれど、それに対して自分がアドバイスしてやることで、自分自身をも癒して励ましている自分でもある。
 生きている限り悩みも辛いことも尽きないかも知れないけど、自分自身を好きになって認めてあげて、今自分がここにいてささやかな幸せがちゃんとあるということに感謝する。経済的なことや環境などを人と較べるのではなくて、自分が今、ここに存在して、夜寝る場所があり、ご飯を食べることができ、家族や仲間がいる、ということだけでもう十分ありあまるほど幸せなんだと感謝する。不安や不満はそれに見合っただけの現実を引き寄せる。それよりも、自分が取るに足らないダメな人間だなどと考えずに、自分がこの世に存在していることを肯定的に捉えて、その奇跡に感謝しながら毎日を大切に生きていく。・・・弟に話しながら自分自身に言い聞かせる。
 妹も弟も、幾つになっても(あいつほんっとにバカだよなあ)と思うこと多々ある。かちん、とさせられることもある。子供の頃のようなハデな兄弟喧嘩は勿論しなくなったけど。彼らはとっくに家庭を持って人の親になっている。さすがに親になるとこうも成長するものなのか、と思うところと、あれ?全然変わってない・・・と思うところと。だけど、妹や弟という存在は本当に可愛いもんだと思う。縁あって同じ親の元に生まれてきたんであるから。2人が家庭に恵まれていることに、羨ましいけれど、とてもホッとする。
 

 
 
 


2006年06月24日(土) トイカメラの季節?

 旧暦5月29日。
 休日、早めに銭湯に行き、帰りにスーパーに寄ってまだ日の暮れない明るいウチからビール飲みつつ落語を聴くのは至福の時。これだけはやめられない。と、今日は友人から借りた『タイガー&ドラゴン』のDVDを見ながら。以前放映された時は携帯のテレビでしかもところどころしか見ていなかったので、こげな面白いものとは思いませんでした。明日寄席に行きたくなったなあ。でも我慢。ほかにやらにゃならないことが。笑いに逃げたい・・・。
 
 サッカーのことは全く知らないのですが、ワールドカップで1次リーグ敗退が決まったら、選手が帰国するかしないかのウチにもう次の監督人事なんだから、日本人ってなんだか薄情だなーと思ってしまう。私が素人だからそんな風に感じるのかな。だけど、ジーコ監督だってトルシエ前監督からバトン渡されてずっと頑張ってきたのに、負けたらさっさと用済みにされてしまうんだから可哀相だ。次々と監督替えてきたけどそれで結果がついてきたわけじゃなし、もっと根本的に変えなくちゃならない大切なことがあるんじゃないの?っと思うんですが、サッカーに詳しい人達に叱られるかな。
 だけど、勝負の世界は、どこかが勝てばどこかが負けなきゃならない。ということで、仕方ないですがそれでバランスが取れている。監督も選手もほんとうにお疲れ様でした。あんまり落ち込まないで休養したらまたサッカー楽しんで頑張って欲しいです。

 夕方商店街を歩きながら、片手にトイカメラのベビーホルガをぶらぶらさせていた。時々立ち止まって、斜めになってきた太陽の中に立ちすくむ街並みを、頼りないシャッター音させてホルガで撮る。去年の春前だったかに買ったこの小さなおもちゃのカメラ。プラスチックの中国製で、使用フィルムは110(ワンテン)。絞りはf8シャッタースピードは125分の1秒と固定。レンズはプラスチックで25mmがちょっと魅力。ファインダーはただのプラスチックの四角い枠。操作を間違えることのない至って簡単シンプルなカメラ。ところが至って気まぐれいい加減な写真が出来る。粒子も粗くてどこかおとぼけ。トイカメラもっと欲しいんだけど、このBabyHolga君ならいつもかばんの隅に入れておけるから、これだけ可愛がろう当分。と言う私はしばらくトイカメラの存在をほとんど忘れていた不届き者。
 富士山にも連れて行ってあげようかなあ。
 久々にカメラ熱の予感。

 


2006年06月23日(金) 酒断ちしてるぞっ

 旧暦5月28日。
 昨日間違えました、昨日は旧暦5月27日。
 酒断ち5日め。
 
 残業しているはずが、いつの間にか富士登山計画に。山小屋の予約も完了。一緒に登るメンバーとお互い仕事ほっぽり出して、ああだこうだとスケジュールを錬る。今年も富士山が近づいてくるなあ。

 眼科に行った。当の本人は自分の目の血を見れないし、自覚症状もほとんどないのでなんとも思わないのだけど、会う人会う人が痛がる。「うわっ」とか「痛そう」とか「医者に行け〜」とか。で、医者に行ってきた。そしたら、別に眼球に傷が付いたわけでもなく、ただ、疲れたりした場合に、出血しやすい部分から出血しただけらしい。目薬をさしていれば何日か後には綺麗になるそうです。えがった。
 
 今日は眼が疲れたので、パソコンはこれくらいにして寝ます。おやすみなさい。


2006年06月22日(木) 血球勝負。

 旧暦5月26日。
 酒断ち4日め。
 今朝、コンタクトレンズを入れようと鏡を見てびびった。右眼の隅が真っ赤になってる。充血気味なのはいつものことなのですが、そうじゃなくて血が白目の一部を覆っていた。昨日夕方からどうも眼精疲労が酷いなーと思っていたのですが、それは眼球の違和感も感じてのことだったのかも。でも、特別痛みを感じるわけでもないので、眼鏡にして出勤。眼鏡って外歩くのしんどいなー。まず、駅の階段でこけそうになる。遠近感を掴むのが難しい。だけど、しばらくは眼鏡星人になります。眼球に少し開放感を感じて気持ちいい。

 銭湯で、サッカーを全く知らないおばちゃん同士が、サッカーの話を大声でしていた。川口選手のことを「網の前にいる人」と言っていた。この間日本が試合をした相手がオーストラリアじゃなくてオーストリアになっていた。しかもオーストリアを連呼していた。サッカーは1試合45分だから、明日4時に日本対ブラジルの試合を見ても、仕事に行く前にもう一眠りできると言っていた。
 脱衣所にはおばちゃん達の他には私しかいない。私さえぐっと聞き流せば良いのだと思い、こらえました。


2006年06月21日(水) ねむい。

 旧暦5月26日。
 酒断ち3日め。
 朝、家を出る支度をしていたら、サイレンが激しい。なんだろ、と思っていたら、巣鴨の洋菓子店で8人が一酸化炭素中毒になり病院に担ぎ込まれたとのこと。気の毒です。気の毒で、中毒になった方には申し訳ないけど、あんなところに美味しいと評判のケーキ屋さんがあったなんて知らなかった。営業再開したら買いに行こうと思います。不謹慎なこと言ってすみません。

 もうひとつ朝の話。ネットで天気予報を何ヶ所かチェックして、今日は曇りのち晴だから自転車で行こうと張り切って自転車担いでアパートの外階段を降りようとして、あれ、と。しっかり雨が降っている。しかも結構本降り。どういうことでせう。天気予報っていったい何?と思った今日の朝でした。

 


2006年06月20日(火) 死刑制度に思う。

 旧暦5月25日。
 酒断ち2日め。
 なんかこのところ寝苦しかったり(暑くないのに)、頭が痛かったりと。やはり適度な運動をやって健やかに生きなければ。
 今年の登山予定。8月富士山。10月尾瀬燧。10末〜11月奥多摩?秩父?あたり。富士山と尾瀬燧ヶ岳は昨年と同じ。私って懲りない女なの。

 広島県光市で99年、当時18歳の「少年」に23歳の女性と11ヶ月の女の子が殺された事件。最高裁が二審の無期懲役判決を差し戻し。広島高裁での無期懲役判決に割り切れない思いがしたのですが、これで少し納得出来るような気がした。加害者が「少年」で、更正の可能性があるとか、情状酌量の余地があるとか、そんなこんなで簡単に無期懲役にしていいものかと疑問に思っていた。
 一方で、死刑制度も心の中に引っかかるものがある。加害者にも被害者と同じ恐怖、痛みを味わうべきだと思う。被害者の苦しみ以上の苦しみを知らなければならないと思う。残虐な行為で人の命を奪った加害者がこの世で更正する必要はあるのだろうか。被害者は突然明日を奪われたのに。だけど、加害者を死刑にするとしたら、加害者の命を奪うのもまた同じ人間だ。判決を下すのも人間、実際に死刑を執行するのも人間。それに、たとえ表面上どんな凶悪な加害者だとしても、その内面を他の人間が100%把握できるわけではないのに(本人だって把握できないのに)、人に対して人が判断を下すということの危うさも感じないわけではない。
 ・・・おそらく、死刑制度については永遠に答えは出ないと思うし、肯定でも否定でも、答えを出すべきことではないような気もする。答えを出せないまま、死刑制度について考えたり議論したりすることが、命の大切さを認識し続けることになるので。
 
 それにしても。被害者の気持ち、遺族の気持ちを考えると、ほんとうにやりきれない。日本はどうしてこんなにも被害者に追い打ちをかけるような残酷なシステムになっているんだろう。他の事件にしたってそうだ。加害者の人権は神経質な位に守られるのに、被害者の人権は見向きもされない。加害者が「少年」の場合はなおさらだ。法律上結婚が許されている年齢であるならばもう責任ある立派な大人と見なして良いのではないか。長い裁判を被害者遺族が辛い思いをして耐えている間、保護され続ける加害者の立場はおかしいと思う。せめて、名前と顔写真を公表すべきだ。


2006年06月19日(月) 固い決意。

 旧暦5月24日。
 東京マラソンのエントリー受付が昨日から始まった。ので、今朝出勤前にエントリー申し込みを済ませました。フルマラソンのほう。申込者が多い場合は抽選になるそうな。来年の2月。参加できるといいなあ。。。。
 と、おいおい、ぜんぜん走ってないのによく言うよなあ。・・自分が情けなくなります。
 しかも、去年の夏、高山病で途中リタイヤした富士登山の話、そろそろちゃんと予定組もうよ、という声もちらほら。私が「うんうん」と言いつつぜんぜん動こうとしないので、仲間が先に動き出した。へい。すいません。計画立てなくちゃね、ちゃんと。
 富士山登るとしたら7月か8月。あと1ヶ月足らず。まずは富士登山に向けて体力を速攻でつけないと。あいにくと梅雨時でチャリ通もままならず。それを良いことにジョギングもサボりっぱなし。なのに呑むは食べるはで体重だけが増えてきた近頃の私。
 とりあえず、ちこちこと走り始めます。
 それと、今週は一切アルコールは飲まない。飲まない飲まない絶対飲まない。私の意志は固い。
 


2006年06月18日(日) 古代の叡智

 旧暦5月23日。
 ちょっと間があいちゃった。
 先週は、会社を終えて友人と呑んだりおしゃべりしたりが続いたのと、帰宅後あんまりネットをする気が起きなかったのとで、ほとんどパソコンの電源入れてませんでした。なんでだろう、時々、パソコンに触るのが怖くなることってないですか?
 怖いと言えば今22時ちょっと前なんですけど、サッカーの日本対クロアチア戦見るのも怖い。ドキドキしっぱなしが2時間続くなんてダメだー。というわけで、たぶん、時々ネットの速報を恐る恐る確認することになると思います私。
 
 先週木曜は、もう4〜5年位顔見知りで、会社で会うと挨拶やちょっとした立ち話はするものの、いつも「いつか食事でも」と言いながら実現していなかった女性と呑んだ。会社では部署も職種も違うから接点は全くなし。なんだけど、すごく気になる人だった。
 実際じっくり話してみて、恐ろしいほど話の合う人だということが分かって、びっくりした。こんなことならもっと早くから呑みに行きたかったと思うのだけど、これもタイミングだろうと思う。彼女が今答えを求めていることの答えを、私との会話の中で新鮮さを持って発見できたのだから、今がそういう時機だったんだろう。ここ数年、こういうことまで話せる相手が欲しいな、と思っていることについて、同じように興味を持っていて話し合える友人が、ぽつぽつ、とできている。不思議で面白い。元来、人の輪っていうのは、そういう風にして繋がっていくものなんだろう、と思う。

 昨日土曜は昼間小唄のお稽古、体調を慮っていたお師匠さんが、久しぶりに遠方はるばる来てくれて、弟子一同、張り切る。お師匠さんが作詞作曲した唄を何度も練習する。『赤き実の』という、素敵な唄なんです。小唄はわりと湿っぽい唄が多いのだけど、お師匠さんの作る唄は可愛らしい唄ばかりなので、好きだし唄いやすい。。。三味線のほうは難しいのだけど。
 
 お稽古を終えて、同じ職場の女性と待ち合わせて、森下の「魚三酒場」へ連れて行って貰った。「酒場」っていう響きに異様に興奮するあたろーである。わくわくしながら森下駅まで歩いていく。このあたりって、柳家さん喬師匠の独演会の折、何度か通っていたのだけど、こんなお店があるなんて知らなかったなあ。どきどきしながらのれんを潜る。わ、18時というのに、もう店内ぎゅうぎゅう。かろうじて2席空いていたので座ると、後から新しいお客さん達がどんどんやってきて、入り口にずらりと立って並び始めた。店内、まさに酒場、だ。居酒屋っていうより、酒場、って感じだ。コの字型の大きなカウンターが2つ、その回りにぐるりと丸椅子があり、隣のお客さんと肘が触れあうほどのぎゅうぎゅう詰め。みんな赤い顔してわいわいがやがや。いいなあ、この雰囲気。刺身や焼き物などの魚料理が中心。中落ち、鰺、赤貝、焼き穴子、大根煮、アラ汁、ビール、大関。で、お腹いっぱい、ちょうど良い酔い加減。さすがに刺身旨い。アラ汁にも感激した。・・・あ、接客のおばちゃんは怖い。注文の仕方やタイミングが悪いと睨みを効かせて怒る。注文もすぐ忘れる。接客の人数が少ないからしようがないんだけど。最後店を出るときは笑顔でお愛想言ってくれたのでぜんぜん問題なしですが、接客態度にすぐカチンと来る人は覚悟が必要です(笑)しかし、わたし的にはこんな店に連れて行ってくれた彼女に大感謝であります。
 巣鴨にも欲しいなあ、こんな酒場。もっとこじんまりとしていてもいい。女性1人でフラリと入って、気ままに呑んで、すっと出てこれるような。
 森下あたりにいつか住んでみたくなってきた。のらくロードのそば。

 今日は、文学サークルの勉強会(と呑み会)もあったのですが、最近夜遊びが続いていたので、自宅謹慎にした。休肝日兼小説書きに集中・・・のつもりだったのが、朝早起きしたはいいけど、原稿用紙広げる前に、ちょっと、本棚をごそごそと整理始めてしまい、おまけに、昔買ったけどまだ読んでなかった本を見つけて、なんとなくページをめくり始めたら、はまってしまい、ずっとそれを読んでしまった。
 『謎のクリスタルスカル』(クリス・モートン+セリ・ルイーズ・トマス著南山宏監訳/徳間書店)
 確か、グラハム・ハンコックの『神々の指紋』がまだ記憶に新しい頃、邦訳は1998年出版で、私がブックオフで買ったのはその直後だったから、もう7年位読まずに所有していたという、勿体ない話です。当時読もうと思っていたのだけど、すぐ他のことに興味が移って読まずにきてしまった。それが、今読み出したら止まらないほど面白かった。なんでこれもっと早く読んでおかなかったんだろー、とも思ったけど、たぶん、今読むのが自分にとってもっとも理解できるというタイミングなんだと思う。
 古代マヤの遺跡から発掘された精巧な水晶のドクロ。チャネリング能力のある人を通して、ドクロからメッセージが発せられる。似たような水晶ドクロは世界各地に散らばっている。13の散らばる水晶ドクロが、人類にとって大切なある時機に集合して、人類に叡智を与える、という伝説もある。独立系テレビプロダクションを主宰する著者達は、ひょんなことからこの水晶ドクロに魅せられ、世界を股に掛けて調査を重ねることになる。
 一見すると荒唐無稽なトンデモ話に思えるし、昔の私だったら、この本に書かれていることの半分も理解できず、また理解しようともしなかっただろうけど、今の私にはひじょうに面白い内容だった。
 地球は過去に何度も大災害に見舞われ、生まれ変わっていること、人類は大昔、地球外から訪れた異星人が、地球にもともといた霊長類に自分たちのDNAを掛け合わせて作り(荒唐無稽に聞こえるけれど、今の人間がまさにDNAを操作して生命を操作し始めていることを考えると、あり得ない話ではない)、霊的な進化を加速させた(ダーウィンの進化論は「ダーウィンの」でしかない)。人類には地球外生命から様々な高度な知識がもたらされ、クリスタルスカルはその知識が詰め込まれた叡智の記憶装置である。そもそも水晶は人間には感じ取るのが難しいほど微細なエネルギーを振動によって受信し、記憶する。
 ちなみに、水晶は地球の核の部分の多くを占めているそうです。私の勝手な想像ですが、地球全体が巨大な水晶製のアーカシックレコードの受信・記録装置となっているのではないか、という気がします。それに、人間はもともと体内に水晶と同じ結晶構造を持ち、互いに共振しやすい間柄であるといいます。
 と、本の内容に戻ると、異星人(本書ではあまり触れられていないけれど、ここで言う異星人とは、必ずしも今の私たちと同じ次元にいる存在とは限らない、というのは他の本で何度か読んだことがあります)によって高度な知識や技術を貰った人類は、ムーやアトランティスやレムリアなどで、ひじょうに高度な文明を発展させたが、やがて環境破壊がすすみ、ある時自分たちの技術を過信して使い方を誤ったために、洪水などの災害に見舞われて大陸ごと海の中に沈んでいった。その際、アトランティスの人達がクリスタルスカルも持ち出して中南米に移動し、先住民と共にマヤ文明を作り、しばらくマヤの人々がクリスタルスカルを守った。その後アステカ文明が起こり、やがてスペイン人が征服に来てマヤ、アステカなどの貴重な文化遺産を略奪し破壊してしまったために、今日、かなりの量の古代の重要な情報が失われてしまう結果となった。クリスタルスカルはそのさなかに世界に分散し、来るべき時に備えてそれぞれ大切に守られ、或いは(人の手から手へ)旅を続けているらしい。
 今、古代マヤ歴にもとても興味があるのですが(その話はまたいずれ・・・)、古代マヤ歴についても書かれてあり、また、エジプトのピラミッドとマヤのピラミッドの共通性や、ナバホやホピ族の指導者ともコンタクトを取り、いろんな角度からクリスタルスカルについて調べている著者達の姿勢に好感が持てた。
 実はレムリアやアトランティスに関する本もいくつか読んでいるのですが、どの本の著者も、高度に発展した文明が、忽然と消えてしまった理由や、人類がほんとうはどうやって作られたのか、どういう道を辿ってきたのかを知ることは、現代の私たちが、自分たちの技術を過信して、また自分たちだけが地球の主であるかのように傲慢に振る舞い、さらには互いの命まで奪い合うという現状に対する警告を発するために、必要なことである、というようなことを述べています。私も同感です。
 人類は、どう考えても、古代のある時期に、外部からの手が加えられているとしか思えない進化を遂げている。しかし、今ある科学技術や経験や理論などでどうしても証明できない事柄は無視されるか異端視される。だけど、近年、世界各地で、それら異端視されてきた説を裏付けるような遺跡などの発見が相次ぎ、また魅せられて調査や本に著す人も増えているというのは、画期的であると思う。人類がようやく、自分たちのルーツを正しく知る準備が出来てきたのだという気がする。と同時に、知識の進化を加速させねばならないある重要な出来事も迫っているのだという気もするし、そういうことをすでに述べている本も多い。
 



 
 


2006年06月13日(火) いろいろぶつかる。

 旧暦5月18日。
 夜、友人とカフェで話し込む。
 将来の暮らし方について、自分と似たような夢、ビジョンを持っている人がいてびっくりし、嬉しかった。最近、語り合ってみると実は自分に近い人だった(ものの見方とか考え方とか、興味のある分野とか)、ということがあったりするのですが、面白くて不思議だ。
 
 帰り道、桜並木の下をチャリで走っていたら、頭上から何か落ちてきて前髪に「ぼてっ」とくっついた。げげげの毛虫!?毛はなかったかも、芋虫!?もう、自転車止めて必死に前髪をばさばさ叩いて、振り落とした。うひょう!!この前はウチの近所までたどり着いたところで何かが背後からぶうんと飛んできて、後頭部に「がぼんっ」とぶつかった。感触(は知らないけど)っていうか、重さというかで、なんとなく、もしかしたら、あんまり考えたくないけど、おそらく、まさかそんなことないだろうけど、ごっきー、だったかも知れない、と、思ったりもしたけどたぶん違うだろう。きっと気の早い蝉であろう。
 と、1人納得して心の中で大泣きしながら家までたどり着いた。

 今朝も、ウチのアパートの前を、女子中学生だか高校生だかの集団が、ヒキガエル君にきゃあきゃあ言いながら通り過ぎていった。いい加減、朝から女の子達脅すのをやめなさいっていうの、カエル君。そのうち間違えて潰されちゃうよ。と、心配な近所の住人であった。

 都電荒川線の車両同士が衝突事故。負傷者が30人近くらしいけど、それでも死者が出なくてよかった。と、つくづく思った。都電は大好きです。毎日音を聞いて姿を見ている身近な風景の中の路線なので。車両は1両で走っていて、発車するときは、チンチン、とベルが鳴る。のどかな電車です。巣鴨も通るから、おばあちゃん達も多いのです。安全運転でずーっと続いて欲しいなあと思う路線です。


 


2006年06月12日(月) にわかサッカーファン。

 旧暦5月17日。
 にわかサッカーファン。
 携帯電話のテレビだとボールがよく見えないんですけど、野球やテニスのボールよりは大きいので我慢できます。
 日本対オーストラリアの試合を見ながら日記を書き始めたのですが、落ち着かないので、本日はこれにてm(_ _)m
 わ!日本先制点だ!
 なんかラッキーなゴールだわぁ。
 ではでは。

 ・・・と、書いてパソコン消して試合終わるまでテレビ見てたんですけど。。。
 はふー。
 やっぱ心臓に悪いや。
 怖くて次の試合見られそうにないです。。


2006年06月11日(日) あれやこれやありゃこりゃ。

 旧暦5月16日。
 金曜の夜は職場の仲間と呑み会。木曜に仕事中、むしょうに呑みたくなって、翌日の金曜は天気予報では雨だから、チャリ通じゃないし、ってことで、周囲を見回して呑みたそうな顔してる10人位(って、そういう本人が一番呑みたい顔だったりして)に、明日呑みに行きたい人行きませぅ、という内容のメールを出しておいた。別にコンセプトはなくて、ただ楽しんで呑みたい人だったら誰でも歓迎なので、知り合いに呑みたそうな人がいたら連れてきてOKです、とも書いておいた。行く行く、という返事があったのは5人位で、まずは定時退社して早速呑みに行った先発隊は私と同僚女性の2名。会社近くの居酒屋で18時前からサシで呑んで語り合っているウチに、1人増え、2人増え、で、お開きになる24時近くには、私も酔っぱらっていてよく分からないんですが、15〜6名位に膨れあがって盛り上がっていた。気がついたら上司もいた。当初のメンバーが誘った人ありーの、他のところでやっていた呑み会が終わって二次会も兼ねてなだれ込んできた人ありーの。「で、何の呑み会やってるの?」と訊かれるも、「分かりません。ただ呑みたいからの集まりです」なんであります。
 ふだん、友人達と少人数で予定立てて集まって呑む、というのはやるけど、こういう、後から誰が加わってどれくらいの規模になるか分からないけど呑みたい人が自然発生的に集まる呑み会っていうのも、原始的で結構楽しいな、と思いました。これから時々やりたいです。
 
 ・・・職場近くで呑んだ後、なんとか帰れるだろうと思っていたのに、地下鉄に乗り、途中の乗換駅で次の路線のホームに行ったら、電車が終わっていた。がーん。直前の路線で電車を降りるときに、一緒に乗っていた呑み会のメンバー2名に、「これから上野に行ってラーメン食べない?」と言われたのだけど、「そんなことしたら帰れなくなります」と断って降りてきたのですが、断らなきゃ良かった、と、2人がそのまま乗っていった電車を追うべく、再びもとの路線のホームに戻る。携帯で連絡を取り合って、先に行った2人が待っていてくれる上野駅に私も合流し、そこでラーメンではなく、朝5時までやっている居酒屋に入って、再び呑み始める。この時点で夜中の1時を過ぎていたような。まあ、上野駅まで来れば、巣鴨までなんとか歩いて帰れるだろう、と、最初は高をくくっていたのですが、呑んでいるウチに次第に眠くなり・・・一緒に呑んでいる2人は、私より年上の女性と男性なのですが、まあ、なんと、元気なんだろう。疲れを全く見せずに呑んで喋り続けている。私って相当お子ちゃまなんだな。そういえば昔から私のこういうところは変わってなくて、学生時代も、友達と夜通し呑もうと集まっても、夜中過ぎると1人だけごろんと横になって寝てしまっていた。実家の父がやはりそうだ。父がごろんと寝てしまうのは私より相当早い時間帯、21時前にはすでに寝てしまう・・・のですが。
 とうとうテーブルに突っ伏してがーがー寝始めた私の前で、2人が「あー寝ちゃったよ」と、じゃあもうこれからタクシー拾って帰ろう、という相談をしているのがおぼろに聞こえる。で、ほれほれ、と揺り起こされて、お店を出て、タクシーに乗り、女性社員と一緒に途中で降り、彼女の自宅までとろとろ歩いて行き、途中トイレに起きてきたお母さんにびっくりされ、お風呂まで使わせて貰い、お布団まで敷いて貰い、朝までぐっすりと眠らせて貰い、朝ご飯まで戴き、すっかりお世話になってしまった。一軒家っていいなあ。自分のアパートの四畳半とは大違いだ。当たり前だけど。ほんとにぐっすり眠れた。
 その後、丁寧に整理された家族のアルバムを何冊も見せて貰った。人の家の写真を見るのが結構楽しいものだというのに初めて気がついた。昭和30〜40年代の写真が特に面白いし、興味深い。当時のみんなの服装や髪型、居間の様子、家構え、商店の雰囲気。特に、電化製品を扱っているお店のお宅なので、昭和30年代の電化製品が写真に沢山出てくる。電子レンジやテレビ、ステレオ・・・博物館で、昭和30年代の家庭の様子を再現したコーナーがあるけど、まさにそういう感じ。店の前にあるミュゼット!かわいすぎる。。。よく、古本屋さんで、昔の雑誌を見つけてめくっていると面白くて止まらないことがあるのですが、それと似ている感覚。貴重な写真を見せて貰いました。ここ数年マイブームの昭和レトロ。今度実家に帰ったら、実家の両親のアルバム、久しぶりにめくってみよう。
 その後、あたりを散策しながら駅まで送ってもらう。その散策というのが結局なかなかのイベントになってしまい(笑)、4時間近く、歩いたり食べたりした。両国駅周辺をぐるぐると。相撲部屋が多いのですが、住宅地の中にぽつぽつとあって、道路に面してまわしが干してある光景、結構見かけました。横網町公園近くの浪花家本店のたい焼きをご馳走になり、東京都慰霊堂や、江戸東京博物館(展示室は入らずにロビー床の地図に見入る)を巡り、お昼は亀戸餃子両国店。私は亀戸餃子というのを知らなかったのですが、美味しかった。本店のほうは餃子オンリーだそうですが、両国店のほうはラーメン等もあって、普通の中華料理店の雰囲気。味噌ラーメンも野菜がたっぷり入っていて、気取りのないこってり味ですごく満足です。お昼食べた後は回向院を訪れ、結局15時近くまで両国散策してました。駅まで送ってもらい、その後は1人で神保町へ。いやあ、ほんとにお世話になったです。
 さて、久しぶりに土曜の神保町。古書店に入るのも久しぶり。小宮山書店のガレージセールや三省堂書店隣の古書モールなどの古書店、それから岩波ブックセンターや東京堂書店、三省堂書店といった新刊書店にも入る。し、しかし、前日遅くまで呑んでいたのと先ほどまで歩き回っていたのと、蒸し暑さで、自分が疲れているということをようやく悟る。
 買ったのは。
『噺のまくら』(三遊亭圓生・朝日文庫)、『黒澤明の世界』(佐藤忠男・朝日文庫)、『魔術と錬金術』(澤井繁男・ちくま学芸文庫)、『すみだ川新橋夜話』(永井荷風・岩波文庫)の以上4冊が古書モールで、三省堂書店にて、『神々の指紋下』(グラハム・ハンコック著・大地舜訳・小学館文庫)と『東京かわら版6月号』。
 帰宅し銭湯へ行き、読みかけの文庫本を持って近所の居酒屋へ。前日とはがらりと変わり、カウンターの隅で1人静かに呑んでました。
 
 今日、日曜は、朝から雨です。
 梅雨ですねえ。

 


2006年06月08日(木) いろいろ。

 旧暦5月13日。
 今日も雨が降りそうもなかったので、チャリで出勤。天気予報って難しいのね。と、納得してあげる。
 出勤途中、とある街の路上、甚平姿のおじいさんがウロウロお散歩中。とそこへ、綺麗な東欧系の外国人女性が通りかかり、おふたりどうやら知り合いらしく、おじいさんが女性を呼び止めて、挨拶、だけかと思ったら、おじいさん、両手で彼女の手を握って、離さない。一生懸命何か話しかけていて、彼女もそれににこにこ答えているのだけど、彼女は明らかに出勤途中、時間を気にしている様子。腕だけ残して身体はおじいさんから離れようとしている。私が自転車で追い抜くときに、苦笑しながら困り果てた彼女と眼が合った。・・・はあ、なんとも、が、がんばってくださいとしか、思いようがない。きっと、町内会の行事か何かで顔見知りなんでしょう。おじいさんは美人な外国人女性とお友達なので、そりゃもう朝だろうが夜だろうが、嬉しいんでありましょう。
 なんだか可愛い光景でした。


 「いぬづかさん、というのは漢字でどう書くんですか?」と訊いたら、電話の相手である年配の男性社員は、「んーとね、ほら、いぬはいぬへんのいぬに、つかはつちへんの、普通のつか」と、一生懸命説明してくれた。こちらもあんまり深く考えないようにしよう、と、「犬塚」と書きました。いぬへんのいぬ、っていうのがちょっと分からなかったけど、ほんとにちょっと分からなかっただけです。世の中にはそういうことが沢山ありますね。
 
 TBSで「クロサギ」というドラマをやっていて、それが面白いのだそうだ。テレビを見る習慣がない私は今流行っているドラマすらも分からないので、残業中に周りの人にちらっと訊いてみたら、そばにいた上司が子供さん達と見ているそうで、粗筋を話し始めたら止まらなくなった。こちらが仕事をしているのに、ドラマの話が横でずっと続いていた。
 
 


2006年06月07日(水) グラハム・ハンコック再読。

 旧暦5月12日。
 ひゃあ、私は冗談でよく、皇居の周りジョギングしてチャリで走って、ついでにお堀でスイムして、それでトライアスロンの練習だぁ、なんて言ってるんですが、まさか本当にやろうとしているとは・・・「皇居の堀を五輪会場に トライアスロン連合が提案」(ヤフーのニュース)しっかし・・・皇居のお堀、結構汚れてますですよ。
 今週は天気予報傘マークだらけだから、チャリ通勤できないとぼやいていたのですが、今朝晴れていたので、夕方から局地的に雷雨との天気予報と空をにらめっこして、降らないほうに賭けた。んでもって都内の私の行動半径は本日平穏な天気でした。よかった。雨が降ると、私は濡れても風邪引いて治って終わりだけど、自転車君が気の毒で。風邪どころじゃない、錆び付いてしまうので。
 就業時間になると冷房が切れてしまい、一気にもわっとなるので、勤労意欲が失せてしまう。それで、今日は残業そこそこに退社。途中本屋覗いて、次に遅くまで営業しているカフェに入り、原稿用紙にかじりついて・・・いた。ほんとにかじっているだけで、ほとんど書けてない。私に足りないモノ。根気。
 書店では、『神々の指紋・上』(グラハム・ハンコック著/大地舜訳・小学館文庫)を買う。同書が単行本で日本に出てからもうかれこれ10年経つんだ。当時はグラハム・ハンコック本、一応読んだけど、あまりにもベストセラーになってしまい、逆に印象が薄い。それと、私の頭がまだ常識にとらわれていたこともあって、常識の範囲を超えたところに興味はあるし常識内にすべてが収まらないという現実に疑問も持っていたにもかかわらず、「こういうことはあんまり深く考えないでおこっと」と、頭の隅に追いやっておいたような感じです。だけど、もともと超古代史の本もいくつか読んでいたので、グラハム・ハンコックの述べることがあながち嘘っぱちってわけでもないという気がしてた。
 あれから約10年経って、気がついたら、昔の自分とは較べものにならないほど超古代史に惹かれていてある程度知識も身に付いてきた(らしい)ので、書店で文庫を見つけて、改めて読み直してみよう、と思ったわけです。
 だいたい、10年も経てば、書かれてあったことほどんど忘れてるし。今読み返せば新たな発見も自分の中であるかもしれないし。


2006年06月06日(火) 今週は雨ばかり??

 旧暦5月11日。
 今日は特筆すべきことなし。・・・いつもないけど。
 今週は毎日雨なのかなあ(東京地方)。週間天気予報見てもずーっと傘マークなので、自転車通勤もジョギングもできずに、うなだれています。
 最近ちゃんとジョギングしていないから、一気に太り始めた。会社で、毎日出勤前に走っている男性社員がいて、今朝水場でジョギングの話になって、偉いなあ、と、我が身を振り返ってしょんぼりしてしまった。
 
 寄席に行きたいなあ。
 雨続きの日は特に、落語聴いて大笑いしたい。
 今週はダメだから来週かなあ。うーん。無理かな。

 なんてぼやいているくせに、実はなんだかだるだる。夕方から頭痛と吐き気とめまいがしている。頭痛は土曜のとは違ってどんより重い鈍痛って感じ。ああこれは風邪ですかね。寒いのにお腹出して寝ていたから?
 早く寝ます。
 皆々様も寒いのでくれぐれも風邪にご注意。


2006年06月05日(月) 今願うこと。

 旧暦5月10日。
 仕事を休んで、ある人に会いに行く。
 その人の孤独と、一日中向き合っていた。
 人は誰しも孤独だけど、孤独でもない。孤独を感じるかも知れないけど、本当は孤独なんかじゃない。もしかしたら、この世のあらゆるものと自分が繋がりを持っていると確信できるまで、その人は孤独であると思い込むのかも知れない。確信するのは簡単なことなんだろうけど、それがなかなか出来ない、と、自分で理解しているらしい。
 その人が、自分がここに生きて存在していることこそに価値があることに、早く確信を持ってくれるといい、と願う。
 
 


2006年06月04日(日) 郷土の祭り。

 旧暦5月9日。
 15時に近所の銭湯に行き、のんびり湯に浸かって、その後スーパーで缶ビール(発泡酒)などを買って帰ってくる。自宅近くのおなじみさんの猫。車の下でごろごろしていたので、かまってもらいたくてしゃがみ込み、撫でるも、完全無視される。

 ねえねえかまってよう。。。
 こいつ、他に人(特に近所の男の人)がそばにいると、私に甘えてくるくせに、誰もいないと私の存在もないとみなすらしい。私バカにされてるんだにゃあ。・・・と知りつつ、通りかかるとちょっかい出さずにはいられない、いじらしいあたろー。
 夕方17時。まだまだ外は明るいうちから、自宅で晩酌を始めた。
 これまで1ヶ月に1度更新されていた、社団法人落語協会のサイトの中にある「インターネット落語会」が、6月からリニュウアルして豪華になったのを知った。落語協会のサイトにアクセスして歓喜。早速見ながら呑む。社団法人落語協会・インターネット落語会inpressTVとのコラボだそうです。今までは月1度、2席程度の更新だったのが、今月から月3度の更新になるそうで。6月10日までは柳家喬太郎師匠と権太楼師匠、それから新真打ちの甚語楼師匠の高座を見ることが出来る。喬太郎師匠は新作落語じゃなくて『道灌』、さすがにうまいけど、新作落語もアップして欲しいなあ、と今後に期待。権太楼師匠は『代書屋』、何度見ても面白いです、代書屋とひでさんとのやりとり。甚語楼師匠は『試し酒』。実は私、この噺が大好きです。田舎出の大酒飲みの下男が、1升飲み干すごとに変化するところ。あと、噺家さんがいかにうまそうに酒を飲むか。甚語楼師匠のはうまかった。面白かったです。
 勿論、無料だから、落語見たいけど寄席行けない人は、是非見て楽しんでくらはい。
 と、何故か宣伝している無関係の私。
 
 実家のほうで、300年以上の歴史がある白根大凧合戦という祭りが始まっている。これは、中ノ口川という川を挟んで東西の地区が、大きいもので畳24畳分の大きさの凧を揚げ、互いの凧を引っかけて引きあうというかなり勇壮な祭りです。地元では凧合戦に命掛けているような人達が沢山いて、たぶん今頃町中血が煮えたぎっているんだろうなあと想像できます(^^)私は保育園の年長組から小学2年までその土地にいて、その後転校を繰り返し、中学の時に再び戻ってきたので、凧合戦の記憶で一番残っているのは小学1ー2年の頃のこども凧合戦(大凧ではないけどそれでもある程度大きい凧をやっぱり東西に別れて引きあう)の思い出です。凧合戦の期間中は、ウチの田舎は東京みたいに高いビルなんてないので、住宅の屋根の向こうに大凧がいくつも舞い上がっているのが見えます。舞い上がっていると思ったら突然他の凧が絡んできてばさっと視界から消えてしまう。絡み合って川面にざっぶーん、という迫力の場面が現場では繰り広げられているわけですが。青空に大凧が舞っている様子は、なんとも気持ちがいいです。
 ほんとのこというと、実家に暮らしている時は、凧合戦にそんなに魅力を感じなかったのですが(あーまた荒々しい祭りが始まったわ、程度で)、東京で長く暮らしていると、郷土の祭りの良さに気づく。東京にも祭りはあるけれど、どうも、「これは江戸の祭りだ」と言われて田舎モノは排除されているような気がしないでもない。だからってわけでもないんだろうけど、将軍は見ることはなかったけれど、素朴で力強い農民の荒々しい祭りが懐かしいなあ、なんて思ったりします。
 今朝実家に電話したら、母が出て、姪っ子達は朝から凧合戦に出掛けていったそうな。私がこども凧合戦に参加してた頃からもう20年。今では姪っ子達が同じように出掛けていくんだなあと、ちょっと不思議で感慨深いです。


2006年06月03日(土) しばらく行ってない。


 旧暦5月8日。
 朝から偏頭痛。仕事休みなのにな。なんだけど、自宅でもパソコン見てるからいけない。局地的にズキズキ。釘を刺されるような痛み。うーん。
 頭痛いけど小唄のお稽古に出掛ける。食欲なかったのだけどお腹に何も入れないといけない、ので、コンビニでおにぎりを買い、食べ歩きする。食べ歩きしてるなんて私くらいだろうと思っていたら、交差点で信号待ちしている時、私の隣にいたおばさん、自転車の前カゴにしきりに手を突っ込んでは口に運んでいる。買い物袋に入ったスナック菓子をバクバク食べているのでありました。信号待ちしながら食べる女2人。
 途中、酒屋さんの前にいた猫。携帯電話のカメラを構えると、「なに?」という顔で睨みをきかせてきた。す、すいません。しっぽが気になったものですから。。。あの、大丈夫ですか?しっぽの毛。痒いですか?痛いですか?・・・お大事に。
 そういえば昨日会社で、若い男性社員に「落語聴きに行って思いっきり笑いたいんですけど」と言われたので、「末廣亭のホームページあるよ」と教えてあげた。えらく喜んでサイトに見入っていた。・・・SEの仕事って、きついもんね。可哀相に。私もしばらく寄席に行ってないなあ。末廣亭や鈴本演芸場に行ってない。1日会社休んで、昼からずっと寄席にお籠もりしていたい。できれば金曜がいいな。ゲラゲラ笑ってくつろいで、明日まだ休みっていう。近いうちに有給休暇取得して、1日こっそり寄席で過ごそうっと(その、たぶん、実は、こっそりできない性格・爆)。平日に体調不良でもないのに休む罪悪感と笑いのはざまにある快感を楽しみたいです。よし、休んでやるぅ。・・・って、いつ?

 イラクで米兵が住民を虐殺、との報道。殺された子供達の写真を見る。無惨に打ち砕かれた頭部。或いは安らかに眠っているように見えても実際は亡くなっている子供の顔。恐ろしいことに、哀しいことに、アメリカ軍によるイラク人虐殺は、今に始まったことではない。イラク戦争開戦当初から、無抵抗のイラク住民が多数アメリカ兵によって殺されてきた。世界がほとんどそこに目を向けてこなかっただけだ。もしくは、戦争とはそういうもの、という恐ろしく無知な欺瞞を世界がイラクに押しつけてきたとも言える。
 罪のない無抵抗な市民が巻き添えにならず、理性を失った兵士が市民を虐殺することもなく、正義だけが遂行される、なんて戦争はあり得ない。戦争は隅から隅まで国家による殺人、殺戮だ。アメリカ兵による市民の虐殺は、イラク戦争を支持した側全ての責任ではないか。
 


2006年06月02日(金) 金曜の夜の幸せな過ごし方(色気なし)。

 旧暦5月7日。
 夜は書店に寄り、近くの居酒屋でちょっと呑んで帰る。
 居酒屋で、職場の仲間と出す予定のミニコミ誌の記事をうねうねと考える。手帳にネタを書き出すと、結構アイデアが次々と浮かぶ。私の手帳は、スケジュール管理というより(管理するほどスケジュールないので)、アイデアを書き留めて広げていくためのツールになっています。そうなってしまった。うねうねと手を動かすとどうやら脳も動くらしいです。でも、呑んでいる最中に浮かんだことはちゃんと書き留めておかないと、翌日にはすっかり忘れているというのが、メモることの一番大きな理由かも知れません。
 とかなんとか考えながら焼き鳥と焼酎。


2006年06月01日(木) 今日からいろいろ。

 旧暦5月6日。
 ポコタンポコタンとのんびりMTB漕いで帰る。
 時々通る道、居酒屋の前、お店のおじさんが立っている。あー、この店の前通るとおじさんに「呑んで行ってよ、安くするよ!」と声をかけられるんだよなー。と、おじさん、向こう側から自転車漕いでくる私を見る。眼を合わせないように通り過ぎようとしたら、おじさん大声で、「募集してるよーっ!これ見てってよーっ!!来てね〜っ!」
 アルバイトに誘われた。

 朝、大地宅配のお兄さんがだだだだだっと階段を駆け上がってきて、野菜を届けてくれた。「そっか、今日から大変ですよね、がんばってください」と言うと、「そーなんですよ!」と笑っていた。配送業務の人は今日から気苦労が増える。ちょっとでも路駐して車を離れるともう取り締まられてしまう。やりすぎの法律では?
 
 今日のこむぞうは「巣鴨」を連呼している。30回位巣鴨が出てくるんじゃないか?住人としては誇らしい。

 今日から東京都の銭湯は料金が30円値上がりして430円になった。私が上京した17年前は確か280円くらいだったから、だいぶ上がりました。雑誌1冊買えるなあ。だけど銭湯の経営も大変なんだから、仕方ないですね。大きいお風呂、気持ちいいし。毎日露天風呂入れるのは幸せの極致。
 もう1つ、今日から都内の銭湯は全館禁煙になった。これは嬉しいです。私が一番よく行く銭湯はビルになっていてちょっとしたスーパー銭湯なんですけど、前は脱衣場でも禁煙じゃなかったのですが、去年だったかから、脱衣場も禁煙になった。だけど、テレビのあるロビーは喫煙可だったので、煙草を吸う人達にとってはそこが「喫煙所」になってしまって、非喫煙者にはいたたまれないコーナーになってしまった。それが、今日から、どこもかしこも禁煙っつうことで、ありがたいです。
 私が社会人になりたての頃は、まだ世の中に喫煙マナーもへったくれもなくて、私が仕事している隣で上司がぷかぷか煙草を吸っていて、時々「ぽわ〜っ」っと、黄色い煙をこちらに向かって吐き出していた。上司なだけに嫌だとは言えず、我慢していたうぶな社会人1年生であった。今いる職場は喫煙室が廊下の奥に狭っこく作られていて、吸いたい人達はそこにすし詰めになって吸っている。外から見ているだけでニコチン中毒になりそうな空間であります。同じ会社の他の部署が入っているビルは、最近全館禁煙になったそうで、勿論喫煙室なんぞもありはしない。喫煙者の肩身が狭くなったとぼやく方々には同情もちょっとするけれど、昔さんざん煙害を被った側としては、今の状況は天国です。煙草を吸う人で、吸わない人の気持ち分かる人って少ないんだよなあ。
 あと、歩き煙草もだいぶ減ってきたけど、まだまだ、歩いている人が少なければ吸ってもいいと思っている人がいるみたいで、周囲の人が多かろうと少なかろうと、1人でも嫌な思いをする他人がいるなら吸わないのがマナーなのに、そこらへんちっとも気がつかない喫煙者がいるのには閉口する。地下鉄の駅から地上へ出る通路や階段で吸い始める人、嘘でしょ〜!後ろ歩いている人は逃げ場ないんだよね、狭い通路に煙がこもって。そういうことに気がつかない人の神経って凄いなと感心します。
 昔、JR神田駅を利用していた頃、駅から歩き始めるビジネスマンが一斉に煙草を吸うので、私は駅から出るときいつもマスクをしていました。
 思うんですけど、喫煙者用に、吐き出した煙を自分の中に還元するような喫煙マスクみたいなの、開発されないかなあ。マスクって言うか、宇宙飛行士が被るヘルメットみたいなの、それを被っていれば歩き煙草も人ごみの喫煙でもOKっていうの。受動喫煙は本人だけ。周囲の人には害は全くないというのなら、凄く良いアイテムではないでせうか。


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