あたろーの日記
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2005年04月30日(土) 一箱古本市と上野松坂屋

 旧暦3月22日。
 連休2日め。うだうだしているとあっという間に終わってしまうぞGW〜ということで、頭の中でどっちの方向に出掛ければ一度で沢山の用事を済ませられるか考える。今日のメインはこれ→不忍通りの一箱古本市と、新しいスニーカーを買うのと、「三河みりん」を買うのと、小さい雪平鍋を買うこと。これらを全部、最低限の交通費と時間で済ませることができるルートを考えて、考えた挙げ句昼過ぎにようやく家を出る(←出掛ける時間自体すでに遅し)。自転車で行きたいところですが、狭い不忍通りが今日はイベントでなおさら狭くなりそうなので、人の迷惑を考えてバスで行く。
 バスで不忍通りまで行き、まずは古書ほうろう。あー、やっぱり人が沢山いるなあ。店の前に段ボールとか、トランク?を置いて、その中に古書が入っていて、しゃがみ込んで本を眺めている人達、で、一箱古本屋さんの店長さん達や、関係者の人達がそばに立って楽しそうにおしゃべりしている。主催者の南陀楼綾繁さんもいましたが、すぐに分かった。だって、著書の表紙に描いてあるカワウソ?っぽい似顔絵(おつれあいの内澤旬子さん画)そのまんま。実はこの一箱古本市、ほとんど毎日読んでいる南陀楼さんの日記で知りました。不忍通りの古書店や喫茶店など、協賛各店が大家さんになる形で、一箱古本屋さんの各オーナーの箱を数箱ずつ、軒下に預かる、という仕組み。はじめ、店主として参加しようかなあ、と思ったのですが、自分は売るより買うほうが好き、というか、そもそも今まで買った本はみんな自分で抱え込んでいたい性分なので、売れないや、と思いとどまったのでした。しかし、それを知り合いの書店大好き君に話すと、「べつに自分の持ってる本を売らなくていいんじゃないですか。一箱古本市用に、自分の箱のイメージに合った本を古書店であらためて買い集めて、それを売ればいいんじゃないですか?」と言われた。な〜るほど!それなら楽しそうです。いわゆる背取りってことですね。背取りって、あんまり良いイメージ持ってなかったのですが、一箱分のそういう楽しいイベント用ならやってもいいなあ、と思った(ふだん古書店や古書市で、いかにも背取りやってるような、大量の古書を、それも中身よりタイトルと体裁をチェックしてブルドーザーの如く買っていく人に遭うと、ちょっと反感覚えてしまうのです)。で、その彼も、「僕来年参加してみたいっす!」と言う。確かに楽しそうだ。本に関するイベントに自分も参加できるなんて、いいよなあ。と、取りあえず第1回目の今年はどんな感じなんだろう、と、行ったわけです。
 途中から前置きに替わってしまいました。本題に戻ります。
 最初の古書ほうろう、せっかく一箱古本市に来たのに、店の前の箱のお店の周りに立っている人達が沢山いるので、箱の前にしゃがんで本を選ぶのがなんだか恥ずかしくて、そそくさとほうろうの店内に入り、フツーに古書店に来た感じになっちゃいました(笑)。しかし、ほうろうの店内もすごく混んでいた。次に近くのブックオフにちょこっと寄って、あとは往来堂書店に一直線、ずーっと歩いていく。通りは根津神社のつつじと一箱古本市、どっちを見に来たのか分かりませんが、普段の休日より人が多いような気がした。普段、休日はこの通りを自転車で行ったり来たりするのですが、歩きで正解。自分が歩く側になってみるとようく分かる。自転車っていうのは、結構傍若無人なのだ。自転車に乗っている側はそんなにスピード出してるつもりなくても、同じ歩道を歩いている人にとっては、怖い存在だったりする。反省。今度自分が乗るときは、もっと歩く人の立場になって走ろう。
 今回のイベント、古書ほうろうと往来堂書店以外にも沢山会場があったのですが、寄ったのは結局2ヶ所だけ。情けないことに、すぐ疲れてしまったのです。一週間の疲れがドッと出てしまい、早く家に帰って、落語聴きながら一杯やるべ、という気になってしまった。で、往来堂書店の前の古本市にも一応寄って、でもやっぱり人が沢山立ち話をしたり、店主さん達が店番してたりで、どうも気恥ずかしくて(?)、すぐ書店の中に入ってしまった。私はかなり優柔不断なので、新刊店、古書店にかかわらず、本屋に行くと、あれこれ手にとってはパラパラめくってジーッと読んだりして、さんざん迷った挙げ句買わずに棚に戻すという動作を繰り返す。年季の入った古書店だと、そういう客は当たり前なので放っておいてくれるし、客が多い店でも居心地は良いのですが、そうでない店だと、どうも、こいつ買う気があるのかないのか、って思われてる気がして申し訳ない。あと、自分の頭の中覗かれてる気がして、本を手にするにも気取って意識してしまう。だから、本を選ぶ空間は、ある意味、店主の広い手のひらの中で自由に遊ばせてもらえる空間でなければ落ち着かないのです。自意識過剰な客だよな(笑)。
 で、またまた往来堂書店の中に入り、買ったのは『行動することが生きることである』『私の作ったお総菜』(宇野千代著・集英社文庫)を買って出てきた。いきなり宇野千代2冊だ。宇野千代、私が子供の頃はまだご存命で、その頃は、得体の知れないおばあさんだ(失礼!)、とか、ほんとにこの人死なないんじゃないか?とか思っていた。で、100歳近くまで生きて、亡くなった時はなんだか衝撃的だった。死ぬまでしっかり生きていた、そういうイメージがあった。まだこの人の小説を読んだことがないのですが、最近ちょっと宇野千代さんの生き方に興味があります。生き方、というか、その姿勢。それで、小説じゃないけどまずはこの2冊が目に入ったので。このところ料理に関する仕事にずっと携わって来た人の、料理に対する細やかな気配りが書かれてある著作が面白いなあと思っています。辻嘉一の本や、辻嘉一と宮尾登美子(『八百善物語』という著作がある)の対談も面白かった。2年前の転居を機に、それまで使っていた電子レンジは押し入れに仕舞ったまま。電気炊飯器はやめてご飯は文化鍋で炊く、という風に、少しずつだけど、現代の便利でスピードのある調理機器に違和感を覚えるようになって、遠ざかりつつある。だいいち、お米でも野菜でも、電気で調理するより火で調理したほうが断然美味しい、ということに気がついた。そうなると、ダシだってインスタントじゃなくて椎茸と昆布を水に浸しておいてそれを使ったり、醤油や味噌だって、原料を混ぜ合わせて科学の力で急速発酵させたものより、長期熟成のものを使いたくなるし、お店で食材を買う時も、由来とか、製法とか、作った人のポリシーとか、とても気になるようになった。で、忙しさにかまけて食生活がいい加減だった結果、自分の体調もよくない!と自分で分かるようになって、自分の食生活をもっと見直そうという思いも強くなってきた。
 てなわけで、ご高齢になっても台所に立ち続けた宇野千代さんの、お総菜についての本。手間ひまこそが健康をつくり、心の豊かさも生み出すような感じがして、今、料理の手間ひまにとても興味があります。
 往来堂で宇野千代本を買って、次の行動へうまく繋がりが出来(笑)、次は再びバスに乗り、上野松坂屋前まで。途中、バスの中から南陀楼さんが自転車で古本市会場を回っているのが見えた。本に関するイベントを企画して実行してくださる方々に感謝。こういうイベント、もっと増えるといいな。他の会場にも行きたいような気がしたけど、心はすでにほとんど上野御徒町。松坂屋の屋上園芸コーナーを見て、台所用品売り場で、径13センチの雪平鍋発見!行った甲斐がありました。というのも、鍋はだいたい16センチからしかなくて、13センチと小さいものがなかなか見つからなかったのです。台所用具は最低限のものしか持たないようにしよう、と決めているのですが、1人分の味噌汁とか蕗味噌とか作るのにちょうどよい大きさの鍋がどうしても欲しかったのです。これでばっちりだ。次は地下の食品売り場に。ここにたしか「正直村」という自然食品店が入っている・・・あったけどスペースが小さい。うーん、「三河みりん」はない。でも美味しそうな「昭和六年豆腐」と納豆を買う。
 さて、「三河みりん」でございます。ご存じの方もいるかもしれませんが、ご存じなかったら、ぜひ、探して使ってみてください!!昔、大地宅配を教えてくれた女性、この方はマクロビオティックも教えてくれたのですが、彼女が「これを使ったらほかのみりんは使えなくなるよ」と教えてくれたのが「三河みりん」なのです。大地宅配でも扱っているし、自然食品のお店に行けばたいがい置いてあります。他のみりんより色が濃く、飴色で、実際味も濃厚なみりんです。作っているところはここ→(株)角谷文治郎商店これを使うと、スーパーで売っている、みりん風調味料が物足りなくなってしまう。みりん風・・の何倍もの値段がするのですが、それでも720mlで980円。調味料は高くても良いものを使った方が、日々の料理は絶対楽しくなるんじゃないかと思います。このみりん、なんとフツーにお酒として飲めるそうです。で、これで煮物つくると、やっぱり味が違う。私はこの前、この三河みりんを切らしてしまい、買いに行く時間がなかったので近所のスーパーで大手メーカーのみりんを買いました。しかし、使っていて、みりんを鍋に足している気がぜんぜんしなかった。早く使い終わって三河みりんを買いに行こう、と思っていたら、大地宅配の注文用紙に載っていたのですが、注文しそびれてしまい、今日、わざわざ探してしまいました。たかがみりん、されどみりん、です(←コーフン状態)。それで、「正直村」にはなかったのですが、同じく地下にあった酒屋さんに、置いてありました。しかも、初めて見る「三州味醂 自然農法産米仕込み」も一緒に置いてあったので、そちらを買いました。同じく角谷さんのみりんです。もう、使うのが楽しみです。
 ・・・・・・ところで、デパ地下って、凄い誘惑ですよね。一度潜り込んだら出られなくなるワンダーランド。恐ろしい場所です。用もないのにお菓子売り場も回って試食品つまみ食いして、浅草満願堂で芋きん2つ(今日の分と明日の分)買って、コーヒー豆買って、明日の朝用にパン買って(硬くてドライフルーツやナッツの入ったパンが大好きなのです)、イカの塩辛買って、シュウマイの試食もらって、匂いにつられて紫蘇餃子買って・・・だんだん当初の予定からずれて雲行きが怪しくなってきた。気がついたら午後6時。この後御徒町に行ってスニーカー買うつもりだったけど、人に酔った&大荷物&足の疲れ&時間的余裕がなくなったので、諦めて帰途につきました。
 自宅で落語聴きながら呑んだり食べたりしていたら、突然頭痛と吐き気に襲われた。それで、急いで片づけて布団出して寝てしまいました。なんだかだらしない。
 それで、昨日の日記を今日(日曜の午前)書いている次第です、ハイ。長くなっちゃった。


2005年04月29日(金) 新宿御苑と末廣亭


 旧暦3月21日。
 友人と新宿へ。まずデパ地下。伊勢丹の地下食品売り場を徘徊して、お昼のお弁当とおやつと夜のおにぎりを買う。それから新宿御苑。連休初日で好天に恵まれたせいもあり、大勢の来園客。で、みどりの日ということで、入園料が無料だった。つつじを見ながらお弁当食べて、のんびりおしゃべりして、園内散策。新宿御苑に入るのは初めて。いやー、でかい。新宿のビル群を間近に控えて、どどんとそこだけ一帯緑にあふれている。まるでセントラルパークみたいだ(NYには行ったことありません)。つつじと花水木が満開。藤の花も咲き始めている。カメラをぶら下げた人達、イーゼルを立てて絵を描く人達、家族連れ、カップル、サークルの仲間達・・・等々、いろんな人達がたっくさん。新宿御苑、これからちょくちょく行きたい、と思いました。
 御苑を午後2時半前に後にして、次は近くの末廣亭へ。先日招待券が当たったので、今日はタダ♪着いたらちょうど昼の部お仲入りでした。さすがに混んでいてほとんど空いている席はなかったのですが、幸い、桟敷席の前方端っこが2つ空いていたのでラッキーでした。ここに座って、3時から9時まで、落語を堪能。
 3時を目指して行ったのは、三遊亭歌武蔵がお目当てだったのですが、あいにくお休みで代演は三遊亭吉窓。でも着ぐるみでライオンを演じることになった主人公のとほほぶりが笑える創作落語は面白かった。すず風にゃんこ金魚の身体を張った漫才に爆笑。柳家権太楼の「代書屋」、桂文生「人形買い」はふだん途中までしか演らない噺を最後まで。夜の部は柳亭小燕枝「小言念仏」、三遊亭円丈の創作落語、柳家三太楼「初天神」、柳家喬太郎の創作落語、紙切りの林家正楽、などなど。残念ながら夜の部主任のさん喬師匠はお休みだったけど、喬太郎さんで大満足した。落語を聴き始めた頃は、古典落語のほうが断然面白い、と偏見を持っていたのですが、喬太郎師の創作落語は滅法面白い。ネットやラジオで、音声のみで喬太郎師の落語を最近集中して聴いていたのですが、やっぱり高座を間近に見ると、身体全体で演じる爆笑創作落語は最高に充実のひとときです。あの表情(私の視力がもっと良ければ〜残念)としぐさ。突然バタッと倒れ込んだり、足をくずしたり、首を振ったりと忙しい。マクラからくだらない話題でどんどん笑わせてくれる。街で見かけるカップルの生態とか。あー、いるいる、そういう人!とこちらは思わずゲラゲラ。いやー、ほんと、笑わせてもらいましたです。喬太郎師は、切り取った場面のアングルが絶妙だ。前の場面からいきなりズバッと別の場面へ移るのだけど、客席もその新しい場面展開に違和感なくついていき、噺家の意図した所にすんなり陥って爆笑する。噺の中の何人もの登場人物の中で、この場面には誰にどういう台詞を言わせるか仕草をさせると一番笑えるかが計算され尽くしている。それと場面展開と演じ分けの巧さが、喬太郎師の創作落語に客席を飽きさせずにぐいぐい引っ張り込んでいく。時々、古典新作にかかわらず、登場人物のどちらの台詞かまったく分からなくなってしまう、子供が喋っているのかご隠居さんの台詞なのかさえ区別がつかなくなってしまう噺家さんがいるのだけど、喬太郎師の場合、オーバーなまでに上手に登場人物の性格を表現していて、なおかつツボをわきまえて演じているので、高座を見ていて場面を容易に想像できる。ほんとに巧い噺家さんだなーと思う。
 途中、昼の部だったか、どの噺家さんだったか忘れたけど、噺の途中で、高座の上あたりの2階で、パイプ椅子?がバターン!と凄い音を立てて倒れる音が。しーんとなる客席。「・・・今の、大丈夫ですかね」と噺を中断して言う噺家さん。それからみんなで大笑い。どうやら2階の事務所で席亭さんかどなたか椅子ごとひっくりかえったらしい。木造ですからねー。それから気温28度を記録した東京、満席の末廣亭はさすがに暑かった。あまりの蒸し暑さにノースリーブに。しかし、それでも汗ばむ。最初エアコンが効いてなかったのですが、夜はなんとか涼しく効いてきました。でも、まだ4月なのに暑すぎますよね、今年は。
 寄席の後は新宿で少し呑んで、ほろ酔いで心地よく疲労した頭と身体で帰宅しました。連休初日でかなり充実した1日でした。


2005年04月28日(木) 大地を守る会

 旧暦3月20日。
 書いているのは金曜の朝なのですが・・・(^^)
 久しぶりに自宅のPCの電源入れました。今週はずっと帰宅が夜中になってしまって、まあ、連休控えているから残業もなんとか耐えられました・・・。しかし、家には寝に帰るだけっていう生活は早くやめたいです。とりあえず頑張って少しでも早く帰れるようにするしかないのですが。
 今週から大地を守る会の宅配を再開してもらいました。3〜4年ぶりくらい?です。無農薬有機野菜や飼料にこだわった肉、平飼いの鶏が産んだ卵、原料と製法に信頼のおける調味料などなど・・・週に1度、玄関先まで届けてくれるシステムです。以前、杉並に住んでいた頃利用していて、週一回、会社から帰宅すると玄関前にどどんと箱が置いてあって、開いて冷蔵庫に入れるのが楽しみでしたが、そのうち帰宅が遅くなり、生活も不規則の度合いを増してくるにつれて、そういうのが面倒になったり、届いた野菜を食べきれなくなったりして、休会してしまっていました。
 で、大地を休会してからは、会社で残業食食べたり、お昼もコンビニ弁当だったりで次第に自分の食べているものに意識しなくなってしまい、このところ不健康な食生活を続けてきてしまったなあ、と、エラく反省しております。それでやはり大地宅配時代にやっていた玄米食に戻して、自然食品店にも足を運んでなるべく無農薬や有機栽培された野菜を買うようにしていたのですが、お店に行く時間がなくて、困ってしまいました。それで、大地宅配に電話して、宅配を再開してもらうことに。
 週に1回、決まった曜日に配達してくれるのですが、我が家のエリアは木曜日。第一回目の配達が今日(28日)でした。てっきり日中私が会社にいる間に玄関前に置いといてくれるのだろうと思っていたら、朝(最近なかなか起きられない・・)、布団の中で「あー起きなきゃー、しんどーい」ともんもんとしている時に玄関先で元気な呼び声が。なんと7時20分。一瞬自分がお昼に目覚めてしまったのかと慌てる。パジャマ姿、しかもコンタクトも入れていないショボショボの目で出て行く。ドアの前には野菜セットの箱を抱えた元気そうなお兄さん・・・が、視力が極端に弱い私は、お兄さんの輪郭しか見えず、顔は全く分からない。
「早いですねー」
「はい、いつもこの時間帯です!」
「えっそうなんんですか!?」
「あの・・・もしなんでしたら次週からお呼び出ししないでドアの前に置いておきましょうか?」
「あっ、いえ、大丈夫です、この時間はちゃんと起きてますから」
 いやー、ほんとに早い。凄い。でも、このほうが助かります。夜帰宅して箱を開けて冷蔵庫に入れ替えるのは結構しんどいので。それに、これから暑くなるにつれて、外に置いておく時間が長くなればなるほど野菜がくたっとなりそうで心配だし。
 で、出勤前、慌てて野菜セット「ベジタ」の箱を開ける。葉っぱと泥のついた大根まるまる1本。きゅうり、小松菜、三つ葉、レタスまるまる1個、絹さやエンドウ(大きくてふっくら!)、スイスチャードの計7種類。こう言っては申し訳ないけれど、スーパーで買う野菜とはやっぱり違う。泥ついているし色も香りも濃い。箱の中を整理しながら思わずその場でかぶりつきたくなってしまいました。
 冷蔵庫の中にとにかくなんとか詰め込んで出勤。で、連休中は野菜を食べまくるのだ!
 


2005年04月25日(月) JRの事故。

 旧暦3月17日。
 JR福知山線の脱線事故の惨状に胸が痛む1日でした。54人もの方が亡くなり、負傷者は400人以上とのこと。亡くなられた方は本当にお気の毒としか言いようがない。いつもと同じ通勤通学の朝が、まさかあのような惨事となってしまうとは。マンションに帯が巻き付くように潰れているのが電車の車両だとは、信じられない光景に、ただただ恐怖を感じるばかりです。
 日付が替わろうとしているのに、まだ車両に残された生存者の方がいるとのこと。救出作業をする方も、それを待つ方も、どのようなご苦労をされていることか。どうか1人でも多く、無事に助け出されることを祈ります。

 それにしても、報道のあり方に疑問と憤りを感じました。遺体安置場所となっている体育館に向かう家族を、体育館の入り口で4〜5人のカメラマンが待ちかまえ、家族が入ってくるたびに容赦ないカメラのフラッシュを浴びせたり、遺体の確認を終えて出てきた家族にマイクを突きつけて、次々と無神経な質問を投げかけたり。「(息子さんの)遺体はどんな顔でしたか」「どんな言葉をかけましたか」「JRに怒りは感じますか」・・・取材する側の無神経さに呆れてしまう。そんなこと聞いてどうする?自分が逆の立場でそんな質問されたらどう思うか。まったく、遺族の心情を無視した、血も涙もない取材ではないか。
 もちろん、マスコミの取材があるからこそ、テレビや新聞から私も情報を得ることが出来るのですが、そこまでする必要があるのか?と疑問に思う取材も多いことは確かです。でも、事件や事故の被害者やその家族に対する取材は、取材される側の立場に立って、どこかが代表となって取材するくらいの配慮が欲しいと思いました。深い悲しみの中にあり、そっとしておいてあげるべき遺族に容赦なくフラッシュとカメラと無神経な言葉を投げつけている取材陣と、それをなんの疑問も持たず、他社に負けじと垂れ流し続けるテレビ局の無能さに、悲しくなってしまう。過去に凶悪事件の被害者遺族がマスコミの取材に対して自粛をお願いする声明を出したことは何度もあるのに、その経験がまったく活かされていないどころか無視されている。
 マスコミ人にもっと節度を持ってもらいたいです。

 事故で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。


2005年04月24日(日) うちの緑は美味しいです。

 旧暦3月16日。
 なかなか風邪が抜けなくてお昼まで寝ていました。天気が良いのに勿体ない。青空に起こされて、窓枠に腰掛けベランダの緑を眺めながら珈琲を飲んでいたら、むくむくわき起こる衝動。つっかけ履いて地蔵通りにある園芸店へ。が、途中で気がついた。今日は「4」のつく日。巣鴨地蔵通り商店街は縁日だ〜。しかも日曜日でもある。案の定、びっしりの人、人、人・・・っていうか、おばあちゃんっ!おばあちゃんだけじゃなくておじいちゃんも、老若男女が通りにいっぱいで、両脇に並んだ屋台に群がったり、キョロキョロしたり・・・歩いていてもちっとも前に進まない。ふぁー失敗した〜。でも、高台寺脇には縁日に付きものの植木市もあったので、かえって良かったかも。・・・結局商店街をずーっと歩いて、伊勢屋で大福まで買っちゃって、園芸店でブラックベリーとラズベリーと鷹の爪とピンク色のマーガレットの苗を買って来て、それから夕方までベランダいじりしてました。
 この前ようやく冬眠から覚めた我が家のベランダ、ご近所の庭木達に触発されてか、負けじとどんどん生長しています。ペパーミントはプランターいっぱいになってきたので、そろそろ第1回目の収穫(干してミントティーにしようかなと)の予定。ムスクラン(サラダミックス)はルッコラとチャイブが抜きん出てすくすく育っています。明日葉もまたバクバク食べてあげないと葉っぱが窮屈そうです。クレマチスはどんどん伸びて、ベランダの手すりにからみついています。ローズゼラニュームに蕾が沢山出始めました。冬の間地上部が枯れていたパセリ、いよいよ始動です。早く大きくなって食べさせて欲しい。チャイブと青じそは、刻んで今夜の納豆に混ぜました。ドッグローズの勢いが止まらず。これも手すりに這わせています。それから、今日発見して興奮したのが、朝倉山椒についていた蕾。なんとか花を咲かせて結実して欲しいです。そしたらぬか床に入れて香づけにしたいです。今からドキドキ。
 で、土だけで種まきを待っていた空きプランター2つに、ブラックベリーとラズベリーをそれぞれ植え付けました。これも手すりに這わせるのです。我が家は部屋は小さいけどベランダが長いので、ベランダ菜園には恵まれた環境かも。あと、ピンクのマーガレット(とても可愛い!)は、今のところ葉っぱだらけのクレマチスの脇に、ちょこんと植えました。
 ところで、ベランダに野菜やハーブを植えておくと、買い物に行けなくて冷蔵庫の野菜が乏しくなってしまった時、とても重宝します。それに、売られている野菜はどうしても収穫から時間が経ってしまうので、栄養価が減っているのですが、家庭菜園なら取りたて野菜だし、完全無農薬だし、なんてったって美味しいです。愛情を注げば注いだ分だけ育ってくれるし、美味しいし、もう、言うことなしです。なのですが・・・・・やっぱり畑が欲しい!!・・・いつか自然に囲まれた場所で畑をやるのが夢です。
 もうちょっとしたら、バジルとカモミールと朝顔の種も播きます。天気の良い休日、早く来ないかなあ。
 ベランダいじりしていたら頭痛が少し治まってきたので、今夜も早く寝ます。


2005年04月21日(木) けろけろ

 旧暦3月13日。
 今週は家に寝に帰るだけになってしまっております(T_T)今夜はもう限界グロッキー状態なので残業早めに切り上げて来ました。風邪がぜんぜん治らない。。。明日1日頑張って、土日はどっぷり眠ることとします。で、今夜も早く寝ます。
 というわけでおやすみなさい〜。


2005年04月18日(月) 風邪は経過するもの。。。

 旧暦3月10日。
 風邪はまだ治らず。野口整体で著名な野口晴哉先生は、風邪は治すのではなく、経過するもの、と著作に記している(『風邪の効用』ちくま文庫他)。もう十分経過させているつもりなんだけど・・・。『風邪の効用』の再読が必要??
 今週はずっと残業が続く予定。こういうのって精神的にも体力的にもしんどい。当たり前だけど。明日も明後日も、1日のほとんどを会社で過ごさなければならないと分かっているというのは、非常にストレスが溜まる。他にやりたいことができないなんて、なんの為の人生だ??ほらほら、始まった。私の愚痴が。世の中には思うように働けない人も沢山いるのは分かっている。私の愚痴は贅沢病だ。分かっているけど。
 目の前にあることから何も学べないのでは意味がない。今の私には、仕事を通して学ばなければならない何かがあるのだと思います。そういう風に頭切り替えてやっていこう。


2005年04月17日(日) 友達の樹。

 旧暦3月9日。
 喉と頭の痛みが取れなくて、せっかくの日曜なのに横になっていた。ほんとは池袋に出掛けなければならない用があったのに、電話して風邪のため欠席する旨伝えて、再び布団に潜り込む。あー勿体ない。こんなにいい天気なのに。
 と、大人しく寝ているのにぜんぜん良くなる兆候がない。せっかくのお天気に部屋の中に閉じこもっているからだ〜あー悶々悶々・・・発作的に家を飛び出して、自転車に乗って森林浴に行ってしまった・・・。
 で、見つけました。すごーく落ち着く場所。自宅から自転車で十数分。ちょっとした森林公園みたいな場所で、少し小高い森の中、ひょいっと背伸びすればビルが建ち並ぶのが見えるけど、ぐっとしゃがめば周囲はうっそうと生い茂る木立で、まるで山の中に来たような気分になれる。その都会の小さな森の中に、公孫樹の大樹を発見!嬉々として近寄り、自転車を傍らに止めて、大人4人位が腕を伸ばしてやっと囲めるくらいの大きな幹に抱きついたり、すりすりしたり、手のひらを当てて温かさを感じたり。それから根元に腰を下ろし、1時間ほど幹に寄りかかっていた。眼をつむって鳥の声や、遠くではしゃぎ回る子供達の歓声を聞いたり、頭上のこずえを見上げて緑のシャワーを沢山浴びたりしていた。時々散歩する人と犬が脇を通る。不思議そうな顔で犬が私を覗き込んでいく。近くにザリガニのいる池があって、裸足(!)の子供達が泥だらけの手足で横を通り過ぎていく。東京の子供もザリガニ採りするんだ!と、自分の子供の頃を思い出してなんだか楽しい気分になる。
 何十年何百年と、私の何倍もの年月を生きてきた公孫樹の幹に背中を預けていると、樹と一体化できるような気がしてとても心地よい。ちゃんと根っこがあって、大地に繋がっている樹にくっついていると、自分も地球の一部なんだという想いが湧いてきて、胸の中がすーっとする。頭痛が少しずつ和らいでいく。身体のだるさを樹が吸い取ってくれるみたいだ。
 樹に癒されて、元気を分けてもらって、また自転車漕いで帰ってきた。
 自転車で行ける範囲に、友達になれる樹を何本か探そうと思う。
 


2005年04月16日(土) 家で大人しく

 旧暦3月8日。
 天気予報大外れ。今日は降水確率70%で、午後から雨と雷が、とのことだったのに。ぜんぜん降らないよ。途中で焼きたてのパンなんか買って、緑の多い公園までサイクリングしようと思っていたけど、天気予報見て断念し、1日家で大人しくしていたのに。。。。もっとも、天気予報を恨むことはできない。風邪がぜんぜん治らなくて、たとえ天気が良くたって自宅に閉じこもるしかなかったのです。ちょこっと掃除したり、本読んだり、借りてきたDVD観たり。
 レンタルで観た「ラブ・アクチュアリー」、とても幸せな気分になれて、楽しい映画でした。リーアム・ニーソンとコリン・ファースがやっぱり素敵だった。ハッピーな映画を観ると、だんだん風邪が治ってくるような気がした。が、治ってなかったので、夜はにんにくを皮付きのまま丸ごと魚焼グリルにぶち込んで黒こげになるまで焼き、中のほくほくした身に味噌をつけながら食べ、キムチもたっぷり補給。ここで焼酎でも呑みたいところですが今日は我慢。で、早く寝ます。
 でもでも、ほんとは、自転車で遠出したくてムズムズしています。春になったのに。木の多い公園まで乗っていって、自転車止めて、大きな樹の下に身体ぽーんと投げ出して、陽の光浴びながら森林浴したいです。自転車で遠出というと、会社までの道のりも遠出になるのかもしれないけど、コンクリートの上を往復してコンクリートの建物の中で1日パソコン画面を見て過ごし、の繰り返しではどんどんストレスが溜まってしまう。たまには、緑の中に自分を連れて行って、木々と話をしたり、風の声を聴いたりしないと、人間としての大切な機能をどんどん忘れていってしまうような不安に駆られませんか。特に仕事が忙しい3月4月は、いつも追いつめられているような気がして心が安まらない。少しでも原始的な環境に自分を置いて、頭の中を空っぽにする時間が欲しいような気がします。
 ああ、ほんとに緑の中でぽーっと過ごしたいです!


2005年04月15日(金) 4月も半分。。。

 旧暦3月7日。
 今月も半分終わってしまったのに、仕事進んでなくて焦る。大学の授業が開始されたのになかなか出席できそうになくてこちらも焦る。連休は嬉しいけどまだ来ないでくり〜。
 残業していたら部長が私の机の上に、山崎パンの「高級つぶあんパン」を置いてくれた。お礼を言ってありがたく頂戴し、袋を見ると、やっぱり、393キロカロリー。うっ。社食で麻婆丼を食べてきたばかりなので、「明日の朝ご飯に戴きます」と答えると、「今食べなさい」、「夕ご飯食べたばかりなので。それに、今ダイエットしているんです」、「ダイエットなんてそんなものせんでもいい。それくらい食べても太らないからしっかり食べなさい」。
 ・・・と言われたのですが、有り難くリュックに入れて持ち帰って参りました。部下の体調を気遣う優しい上司なのです。で、あんこが大好物で、気がつくとよくあんぱんにかぶりついている。だから部下への差し入れもあんこものが多い。
 というわけで、明日の朝ご飯はあんぱんです。


2005年04月14日(木) 風邪を治すには。

 旧暦3月6日。
 同じアパートのお兄ちゃんは、自分の部屋のドアの周囲の金格子に、こうもり傘を8本もぶら下げたり、立て掛けたりしている。1人暮らしなのに8本だ。先週まで4本くらいだったのに、今週に入って8本になっていた。というのも、私が今日久々に自転車通勤しようと、お兄ちゃんの部屋の前を通って、奥に止めてある自転車を引っ張り出す時に、傘が増殖しているのに気がついたのです。雨が降ると傘が1本増える。一体どういうこっちゃ。傘が嫌いで極力持ち歩きたくない私は折りたたみ傘しか持っていませんので、傘が好きなんだなあ、と、お兄ちゃんの収集癖に感心しきりです。

 今朝自転車で汗かいて、会社についたら更衣室代わりの会議室にはもう人がいたので、トイレに着替えを持っていって着替えていたら、ふとした拍子に油断して、ブラウスの下に着るはずのキャミソールが、便器にポッチャン。朝からなんたる悲劇。トイレで服を着替える時は、便器の蓋を閉じましょう。あーあ。仕方ないので洗面台で洗って、扇風機で乾かしてました。

 風邪を吹き飛ばすには、「私は風邪など引いてない!」と自己暗示かけるのが一番!と、張り切って自転車で会社に行き、張り切って仕事してたら、やっぱり辛くなった。当たり前か。だいたいお熱があるのにチャリはまずいかも。でも、満員電車はもっともっとしんどい。しかし、あと1日、くたばるわけにはいきません。もう会社を休めない4月。なので、実験した。コンビニでビタミンCのサプリを1袋買ってきた。1日2粒で7日分14粒入りのやつ。それを、仕事しながら全部食べた。7日分のビタミンCを一気に食べました。さあて、明日起きてどれだけ風邪を撃退できているか、楽しみです。・・・ビタミンCって、とりすぎたら余分なのは排出されるんだよね?大丈夫だよね?(食べてから不安になる奴)


2005年04月13日(水) 食うぞ。

 旧暦3月5日。
 昨夜から喉と頭が痛いなあと思って早く寝たのに、今朝起きたら酷くなっていた。会社に行こうと電車に乗ったけど、頭がずきずき、しんどいので乗換駅で会社に電話してUターン、このクソ忙しい(下品ね)4月に風邪で会社を休むとは。
 2・3月に風邪で寝込まなかったのも生まれて初めてなら、4月に風邪で寝込むのもほとんど生まれて初めてのような気がする。どうなってんだか今年の私。原因はほぼ明白。太って脂肪に守られて風邪を引かなかった2月3月、その後焦ってちと無理なダイエットを始めて3キロ減量したところで一気に風邪を引いた、というわけです。この大バカもん。いえ、この冬あまり風邪を引かなかったのは他にも理由があることにはあったのですが(自己弁護)。4月の風邪はまったくもって自己管理の甘さです、はい。朝昼の食事には結構気を遣っていたのですが、夜は極端にカロリーを控えすぎていました。お陰で空腹に耐えられるようになったし胃も小さくなってきたように感じるのですが、1日の栄養摂取量を考えると、あんまりいいこととは言えなかったのかなあ(だから風邪引いてるんだろーが)。
 この3週間、1日のトータル摂取カロリーを、だいたい1200キロカロリー前後に抑えてしまっていました。+自転車通勤片道10キロ。うーん、これではちとストイックになりすぎ。そこで偉く反省いたしまして、明日からトータル1700キロカロリーで行きます。食事内容は玄米中心に野菜と鶏肉などの良質なタンパク質。って、実は、今朝帰宅する前にコンビニで『ターザン』買って、布団の中で読んで勉強してたんですが。
 しかし、朝昼は自分で調理した食事を食べることが出来るから問題ないとして、夜です。特に4月はどうしても残業せざるを得ないので、社員食堂かコンビニのお弁当になってしまう。これまで太った一番の原因は残業中の夕食にあるので、これを改善しなければならないのですが。。。悩みます。かといって、ダイエット用の低カロリークッキーだと、今回のように体調を崩してしまう。それから、コンビニのお弁当だと、レンジでチンしなければならない、電子レンジが嫌いな自分としては、こういうのも避けたいところ。ほんと、悩みます。ネックは残業食。。。残業しなくて済むように、昼間少しでもピッチ上げて仕事しないと!!!


2005年04月12日(火) 中国での抗議行動

 旧暦3月4日。
 昨日はすいません日記さぼちゃったです。
 やっと咲いたと思ったら一気に満開になって、そうしたらあれよあれよという間に風に吹かれて雨に降られて。今年の桜は可哀相ですね。
 実家のある新潟は桜はまだまだ。つぼみも堅い。花見どころか、今はせっせと蕗の薹を採りに出掛けているらしい両親。蕗味噌送ってもらう予定です。
 
 中国で日本批判が激しい。大規模な抗議デモも行われた。日本政府が過去の歴史に対する反省をしていないからだという。私もそう思う。日本の政治家は、靖国問題にしろ教科書問題にしろ、それから国連常任理事国入りにしろ、もっと慎重に対応すべきだと思う。イラク問題でのアメリカ追従姿勢や自衛隊イラク派兵に対しても、国内よりもアジア諸国のほうが敏感に注目しているのをもっと重視したほうがいいんじゃないかと思う。近隣諸国を侵略した前の戦争から60年、その間日本はアジア諸国に誠意あるまともな償いを行っていない。それどころか、あれから60年も経ったんだからいい加減もういいのではないか、という意見まで出てきて。戦争という大罪は時が解決してくれるものではないのに。せめて、まともな歴史教科書を次世代を担う子供達に読ませるべきだ。子供達が歴史を学ぶ上でもっとも大切なことは、自分たちの生まれた国が過去にどのような過ちを犯してきたかを知り、その反省点から何をどう引き出して、自分たちの将来の為に活かすことが出来るかを、自分たちの頭で認識できるようになることではないか、と思う。綺麗ごとだけを並べた歴史教科書を読ませられるだけでは、自分の国について深く考える姿勢は生まれない。

 昨日今日と急に寒くなって、ちょっと風邪気味です。
 皆々様もお気をつけください。


2005年04月10日(日) 銭湯と落語

 旧暦3月2日。
 早めに銭湯に行って、帰り際に銭湯だけで入手できる月刊冊子『1010』をもらってきた。そうしたら今月号のインタビューに『東京かわら版』の編集長である佐藤友美さんが出ていた。意外にも寄席情報誌の編集長は若い女性だったというのにも驚いたけど、毎日銭湯に通うという銭湯派だと知ってさらに驚いた、というか、嬉しかった。そうなんです。銭湯と落語には巧く表現できないけど、共通項がいくつもある。銭湯好き=落語好き、というのは自分で大いに実感するところ。たまらないのだ、銭湯の雰囲気も、寄席の雰囲気も。
 で、『東京かわら版』をめくっていて、今月新潟で柳家権太楼師匠が独演会をやるのを知り、電話をかけて前売りチケット2枚の予約をして、実家に電話した。実は父がこの3月で40年近く勤めた仕事を定年退職して、今母と2人、暇をもてあましているらしい。私が寄席に行ったりしているのを以前母に話したら、ゲラゲラ大笑いして、「あんたもまたヘンなものにはまったわねえ」と言いながらも、ちょっと羨ましそうだった母に、ぜひとも今をときめく権太楼師匠の高座を見てもらいたくて、半ば強制的に(どうせ暇なんだし)行かせることにしたのだ。ウチの両親は、テレビやラジオ以外、生の落語を聴いたことがないはず。だいたい落語が毎日どこかで聴けるなんてのは東京か大阪くらいのもんです、たぶん。これを機に両親も落語ファンに仕立てちまおうと娘は考えた。
 チケット代は私が払うし、今最高に巧くて勢いのある噺家さんで、こんな人を新潟で聴けるなんて滅多にない機会だと、電話口で説明する。母は勿論乗り気で(だいたい父と行くならどこにだって乗り気な母なので)、「なんて名前の人?」「柳家・・・ゴン?ゴンタ?え?」と、電話の向こうで一生懸命師匠の名前をメモしている。「知らない名前ねえ」そりゃ、あーた、バラエティ番組や笑点やお茶漬けのCMに出てくる人だけが落語家だなんて思ってもらっちゃ困るのよ、と、ゴン様がどれだけ凄い噺家さんだか説明してあげる。で、永谷園のCMに昔出ていた小さん師匠の一門だと知ると、母は「ああ〜」と納得がいった様子。
 まあ、いいのです、それで。最初はそれでいい。私だってまだまだ走り出したばかりの落語ファンだし、あんまり大きなことは言えません。とにかく、田舎の両親に、ゴン様の高座を堪能してもらい、落語ってこんなに面白いんだ、と感激してもらいたいのです。
 あと、自分が寄席に行ってて、いいなあと思うのは、年配のご夫婦が揃って来ていて、一緒に笑って清々しい顔で帰って行かれるのを見ること。いいなあ、自分もいつかそういう風になれたら、と思うし、自分の両親にも、落語を通してそういう楽しいひとときを持ってもらいたいのです。
 ほんとは私が新潟に聴きに行きたいんだけど。


2005年04月09日(土) 「さん喬を聴く会」

 旧暦3月1日。
 旧暦ではやっと3月になった。なるほど、旧暦を使っていた時代は、2月の終わりから3月にかけてが桜の時季だったのかあ、と、文庫の『江戸名所花暦』などをめくってみた。
 近所の大学に、春学期の受講手続きに行く。履修届を教務課に出す直前になって、書き間違いに気づき慌てる。受講科目ごとに割り当てられている申し込み番号欄に、教室番号を書いてしまっていた。お陰で訂正印だらけになってしまった。あと、履歴書や学籍簿書くのも一苦労。年々忘れていく自分の学歴と入学卒業年度。えー、昭和天皇が亡くなった年に自分は浪人が決まったから・・・えーと、となるとあれは何年?と、いちいち紙に書いて計算しないと分からない。私の出す履歴書は、もしかしたら出すたびに年度が違っていたりするかも(笑)

 その後神保町に行き、岩浪ブックセンター、書肆アクセス、東京堂書店を回り、東京堂書店で『アイヌの世界観・・・「ことば」から読む自然と宇宙』(山田孝子/講談社選書メチエ)を買う。アイヌ関係の書籍は、わりと揃っていると思うのが、池袋のジュンク堂書店と、神保町の書肆アクセス。三省堂はまだ見てないけど、他の書店では「意識的に」アイヌ関連の本を集めて置いてある、という感じではなく、探してみると、申し訳程度にちょこっと棚に入っている、という感じがする。失われていく少数派の文化にこそ、書店はもっと眼を向けて欲しいのに。英語学習本や、欧米文化に関する本は多いけれど、日本にあって消えて行こうとするこの魅力的なアイヌ文化に関する本は重要視されないのは、おかしいのではないか、とまで思ってしまう。と言っている私自身も、これまでアイヌ文化の魅力にあまり気づかなかったのですが。

 それから江戸深川資料館へ。「さん喬を聴く会vol87」。資料館へはこれで3回目なのに、道に迷ってしまう。というのも、最初は大江戸線の清澄白河駅、2回目は門前仲町駅、そして今日は半蔵門線の清澄白河駅で降りた。それぞれ利用した駅が違うので、当然道順も前回来た時と異なり、結果迷う羽目に。いえいえ、普通の人なら迷わないんです。私って相当方向音痴なんだな、と、改めて思い知った。これでよく自転車乗ってるなあ。いやしかし、自転車ならあんまり迷わない(と思う)。なぜなら、自転車なら迷わないようにと予め大きな道沿いに走ってきて、目的地の近場で路地に入るパターンが多いから。それに、自転車だと、自宅を出たときから私の頭の中に道がずっと繋がっているイメージがあって、自分の位置が分かりやすい(のつもりなんですけど)。その点、路地が多い場所にぽんと放り出されるような電車の駅だと、悲惨な結果になる。とにかく、駅を降りて、手元の地図帳で確かめて歩き出したのに、実は資料館を通り過ぎてしまい(あらぬ方向を見て歩いていた)、とんでもなく遠くまで離れてそれでもすたすた歩き続け、ふと立ち止まり、住所表示を見て呆然とする。半ばパニックになり、キョロキョロして、突然妙に確信的な気持ちになり、明後日の方向に歩き出してしまい・・途中2人の人に道を聞き、駅から徒歩4〜5分と思われる資料館まで、25分もかけてたどり着いた。すでに開場していて、ほとんど満席。が、運良く前のほうの端っこがあいていて、なんとか座ることが出来、ほっとした。
 「聴く会」は前回1月に友達と行ったのが初めてで、今回は2回目。2時間もさん喬師匠を聴けるなんて、なんて贅沢なんだろう。宝箱のような会です。
 さて、開演の午後7時少し前に前座さんが登場して、7時に喬之助「芋俵」それから、いよいよさん喬師匠が登場し、「茶金」お仲入りを挟んで「魂の入替」、ゲストの鏡味仙花・翁家小花の太神楽、最後に再びさん喬師匠の「笠碁」。今日聴いたのは私にとってどれも初めての噺でした。「茶金」は、清水寺の境内の茶屋で使われていたなんでもないフツーの湯飲み茶碗が、ひょんなことから始まってどんどん価値が上がってしまう、という噺。茶碗がとうとう天皇の元まで届けられ、天皇が茶碗をしげしげと眺める場面で、師匠が昭和天皇の口調を真似すると、開場大ウケだった。よく特徴を掴んでいるなあ。。「魂の入替」は、さん喬師匠の師匠である亡き小さん師匠の十八番だったそうで、「短くて馬鹿馬鹿しい噺」とはまさにそうですが、それはそれで大笑いできた。とそれから、小さん師匠の思い出話も楽しかった。ゲストの太神楽、まだ若い女性2人、この春から各寄席に上がるそうですが、初々しくも、芸は達者で、見る方もハラハラドキドキでしたが、傘の上でのボール回し、アゴにいろいろ乗せて上手にバランスとっての曲芸などなど、あんなこと出来るんかいな、みたいなのを沢山やってくれて楽しかったです。で、最後の「笠碁」。幼なじみの碁仲間2人がふとしたことで意地の張り合いから大げんかになり、絶交状態になるも、しばらく立つとお互いが気になって仕方がない、碁もやりたいが相手がいない。と、片方が片方の家の前を覗うようにウロウロすれば、もう片方も待ってましたとばかり相手の興味を引くように碁盤を持ち出して・・・。さん喬師匠が、強情だけど憎めない幼なじみ同士の心理状態をようく掴んで、高座で巧く演じ分けていた。何度も笑わせて、ああ分かる分かるその気持ち、と思わせてくれて、最後はジーンとさせてくれて。
 
 今特に面白いなあ、出来る限り噺を聴きたいなあ、と思う噺家さんは、柳家さん喬、それからさん喬師匠の兄弟弟子の柳家権太楼、と、さん喬師匠の弟子である柳家喬太郎、このお三方です。さん喬・権太楼師匠は言わずもがなですが、喬太郎も滅茶苦茶楽しいです。お二人の師匠のほうは古典落語をじっくり聴かせてくれる、これがとてもいいのですが、喬太郎師は独創的な創作落語がこれまた巧くて、爆笑させてホロッとさせてくれます。喬太郎師の高座はまだ直接見たことがなく、ネット上で落語を聴かせてくれるサイトで見まくっているのですが、独演会があったらぜひ行きたいです!!
 あと、2月に行った末広亭で、大いに場内を沸かせてくれた三遊亭歌之助師匠の高座ももっと見たいです。
 でも、落語にはまってまだ日が浅いので、もっといろんな噺家さんを聴いて幅を広げていきたいです。
 
 最後に、深川で綺麗な夜桜をみつけました。携帯電話のカメラ、機種変更してからどうもよくないんですが。深川資料館の隣、霊巌寺の前にある出世不動尊の桜です。この写真だとぼけてて写りが悪いのですが、ここ、とても妖艶な感じのする桜でした。夜中1人で通ったら、絶対取り憑かれて気が触れてしまいそうな感じの桜。


2005年04月08日(金) 花見

 旧暦2月30日。

 ほんとに桜が満開で。
 昼休みは近くに新しく出来たイタリアンレストランに仲間と行き、なんと500円(限定20食)のワンプレートのパスタ・サラダ・パンのセットを。安くて美味しくて量もちょうど良いのでした。それから店を出て、てっきり会社に戻るのかと思ったらみんなが違う方向に歩き出したので、「あれ、どこ行くの?」と聞いたら笑われた。「何言ってるの、今日はお花見ランチしようって言ったじゃない」ああ、そうでした。ホントは満開の桜を見るために出てきたのでした。ごはん食べたらもう花より団子気分。
 会社の近くにある青山墓地は桜の名所です。墓地と桜の好きな私には嬉しい名所です。そういえば去年の今頃は、飲み会で終電を逃し、会社に泊まって翌土曜の午前、二日酔いの頭でフラフラ青山墓地を1人さまよい、花見をしたのだった。それにくらべたら、会社の昼休みに同僚と花見だなんて、とても健全だ、と、感慨深く思い出す。そうしたら一緒に歩いているその友達が、「去年はさ、○○ちゃん(私のことです)、徹夜して会社に泊まって翌日1人で青山墓地行ったんだよね、その時蝉が脱皮してるのを見つけて、翌週一緒に来たとき、その蝉の抜け殻のある場所を教えてくれたんだよねぇ」と話し合っている。え、そんなことあったっけ?しかも私仕事で会社に泊まったことになっている・・?「え、やだ、覚えてないの!?去年も一緒にお花見ランチしたじゃない!!」ああ、思い出した!そうでした!去年の記憶がほとんどもうなくなっていて、二日酔いの青山墓地巡りとか、そういうヘンなのしか覚えていなかった。
 そして、去年と同じ場所に立ち、去年と同じように並んで写真撮影。ああ、そうだったそうだった。こういうところに気の利く仲間がいるというのはほんまに有り難いことで。私ときたらいつも行き当たりばったりで、ただただ毎年、「あ、咲いたぁ〜」で、あとはぼーぼーぼけーっとして終わる。
 昼休みの青山墓地は、周囲の会社からあふれ出た人達がひとときの安らぎを求めてなだれ込み、すごい人出でした。しかし、悲しいかなビジネスピープル、13時近くにはもうそれぞれの職場に戻っていったのでした。

 少し残業して夜の自転車。途中神田川を通ると、ぼんぼりのぶら下がった桜並木の下、びっしりの人人人、で大宴会。周囲の職場から仕事を終えてきた人達のグループがいくつも並んでいる。もう宴会もだいぶ佳境に入ったようで、アルコールも相当入ったようで。うわーお酒臭い〜。通るんじゃなかった!!・・と顔をしかめながら通るも、ちょっと羨ましくもあったりして。私のいる職場では、「今夜は花見だーっ」と誰かが号令かけて、誰かがシート持って場所取りして、お酒や料理調達して桜の下で宴会、という雰囲気がない。ただただ、世間がお花見で浮世の憂さ晴らしをしている間にも、相も変わらず皆しこしこと、パソコンとにらめっこで残業しているのでした。それに最近では花粉症の人が多くて、みんな外に出るのは楽しそうではないので、可哀相でもあり。。
 たまには桜の樹の下でバーッと呑んで歌って騒いでみたいよなあ、なんて。
 そんな風に思いながら、満開の桜の下で立ち止まり、立ち止まりしながら、夜桜見物しつつ自転車漕いで帰ってきました。


2005年04月07日(木) 桜が満開に。

 旧暦2月29日。
 開花宣言したと思ったらあっという間に満開になってしまった桜。いつも通る道がある日突然花のトンネルに。しかし、朝は必死に自転車漕いで花を愛でる余裕がないし、夜桜は疲れながら家路を急ぐためこれまたゆっくり自転車を止めることも少ない。それでも花に見守られるように桜の樹の下を走っていくのは幸せな気分だなあ。
 今週末はゆっくり桜に囲まれる時間を作りたいです。
 
 今夜は帰宅が遅くなって、中国語講座は最後のほうしか聴けませんでした。これではほんとに上達しない。でも、今年は最後まで聴き続けなきゃ。万年三日坊主とはこれでお別れです。
 それにしても眠い。。。
 


2005年04月06日(水) アイヌ語。

 旧暦2月28日。
 昨夜は日記を途中まで書いて、11時35分になったのでラジオ中国語講座を聴いたのですが、聴いているうちに机に突っ伏して眠ってしまい、エンディング曲でハッと目が覚めました。やばい。まだ2日めなのに大丈夫かあたろー。会社の中国出身の人に話したら「駄目じゃん」と笑われてしまった。ようし、今夜は最後まできちんと聴くぞ。
 
 えっとアイヌ語の話です。
 
 “sirokani pe ranran piskan, konkani pe ranran piskan”
 「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに。」

 という美しい響きの言葉ではじまる、『アイヌ神謡集』(知里幸恵編訳/岩浪文庫)を以前読んで以来、アイヌ語をいつか勉強してみたい、アイヌの人達の世界観、自然観、宗教観をもっと知りたい、という想いが生まれて、ずっと思ってるだけだったのですが、これから少しずつ、『アイヌ神謡集』を読み解いたり、またネットのアイヌ語ラジオ講座を聴いたりしてみよう、としています。先日ジュンク堂で『アイヌ神謡集』の岩浪文庫版より詳しく解説してある本を見つけたので心強いです。
 中国語は世界で最も使用人口が多い言語ですが、アイヌはどんどん忘れ去られていこうとしている言語です。
 ・・・と、ここまで書いて11時35分になったので、今夜はこれにて。。
 


2005年04月05日(火) アイヌ語

 旧暦2月27日。
 残業短く切り上げて、会社から自転車で東京駅のそば、八重洲にあるアイヌ文化交流センターへ。アイヌ関係で調べたいことがあり・・・。ここは小さいながらアイヌ関係蔵書のちょっとした図書室があり、民具の展示もある。それからもうひとつの目的が、STVラジオ(北海道)で放送され、インターネットでも配信してくれているアイヌ語ラジオ講座のテキストをもらうこと。
 ・・・と、ここまで書いてもうおねむに。
 短いけど今夜はこれで。続きはまた明日に。


2005年04月04日(月) 今日からラジオ講座

 旧暦2月26日。
 帰宅すると、先月受診した定期健康診断の結果が届いていた。ほとんどがAランクだったけれど、眼と他にもう1ヶ所思わぬ所の計2ヶ所にランクEの「要経過観察」があってぎょっとした。反省。生活スタイルをもっと見直さなければ。このままでは成人病も他人事ではない。・・・幸い、最近は食生活を見直して、わりと健康に気を遣っているので、1ヶ月前の受診時より少しは・・・と思う。うーん、しかし、かなり危機感を持った。食事、運動、気持ちの持って行き方、等々、もっと見直して、改善していかないと。・・・お酒、減らさないと。と言っても私が呑むのはほとんど金土日の週末に限られているのですが、それでも私の身体にとっては負担なのですね。ああ、反省しきり。

 話は替わって、今日はNHKラジオ語学講座の新年度開講です。
 今年私は、朝の「英会話入門」と、夜の「中国語講座」を聴くことにしました。以前「やさしいビジネス英会話」(今は「ビジネス英会話」)を聴いていて挫折してしまったので、いきなり難易度が桁違いに異なる「英会話入門」を選ぶという、訳の分からない飛び方ですが、英語喋れないんだから仕方ない。とにかく喋れるようになりたいです。あ、先日チラッと書いた音読のほうも続けてはいます。
 と、中国語です。突然。いえ、突然ではなくて、私の中ではずっと憧れの言語だったのです。中国語の音の響きの美しさに魅せられていました。いつか勉強してみたいと。あと、中国の歴史や文化をもっと知りたい、それから映画、中国の映画を字幕に頼らず観てみたい、というのと、さらに(これが一番かも)中華料理が大好きなので、なんだかムズムズしてしまったのでした。というわけで、勉強するのを先延ばしにする必要はない、と、今日からラジオ講座聴いてます。
 幸い、職場に中国人が。その人は来日して長く、流ちょうな日本語を話すのですが、彼に、中国語ラジオ講座を聴き始める旨を宣言しました。職場にネイティブスピーカーがいるというのは、心強く励みになるし、また途中で投げ出してしまっては恥ずかしい、合わせる顔がなくなる、という緊張感もあり、なかなかありがたいことです。その人も、祖国にいる時、ラジオ講座(中国にもあるそうです)で日本語を勉強したそうで、まさに良いお手本でもありますね。
 さてさて、今度は続けるぞラジオ講座!


2005年04月03日(日) BabyHolga

 旧暦2月25日。
 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世死去。私はキリスト教徒ではないけれど、とても悲くなりました。法王が来日したときのこと、覚えています。偉大な宗教指導者というのは、宗教の垣根を越えて、平和や愛といった、人間にとって最も大切な事柄について、広く深く理解させる力を持っているのではないかと思います。四半世紀の長い在位だったとはいえ、惜しい方が逝ってしまった、という寂しさを感じます。。。

 昨日は日記をさぼって何をしていたかというと、ネットの動画配信で映画を観ていました。『故郷の香り』(ヤフーの動画サイト)それで、胸がつまって、日記も書かずにしばらくぼうっとしてました。
 中国映画なのですが、3人の主役のうち1人が、日本人俳優の香川照之です。舞台は現代、中国のとある農村。10年ぶりに故郷の村に帰ってきた青年(ジンハー)は、幼なじみで初恋の相手でもあった女性(ヌアン)と再会するも、彼女は耳の不自由で粗野なヤーバ(香川)と結婚していた・・・というのがおおざっぱな筋書き。3人それぞれの切ない想いが交錯して、3人それぞれが必死で、それぞれに惹きつけられる。中でも香川演じるヤーバの2人に対する想いがずしりとくる。香川照之という俳優さんは、以前大河ドラマ『利家とまつ』で見たきりだけど、こんなに凄い演技をする人だったんだ、と、一気にファンになってしまった。それからこういう映画を撮る監督さん、霍建起(フォ・ジェンチイ)監督の、他の作品も観てみたい。
 大好きな映画がまた増えた週末でした。

 
 あひるちゃん登場。
 今日の午後、マンションの宣伝で、駅前をうろついていたあひるちゃん。後ろ姿があんまりかわいかったので、携帯のカメラで撮ろうと構えたら、いきなりくるっと振り向いて、手を振ってくれた。あんまり人通りが少ないもんだからヒマだったらしい。。。。

 さて、凄く久しぶり(1ヶ月ぶり?)に池袋のジュンク堂に行った。夜から天気が崩れるというも、日中は晴天でぽかぽか陽気の池袋は凄い人出。ジュンク堂も人が多い。先月末に出てたのに本屋に行く暇がなくて買えず、気が気でなかった『東京かわら版』4月号をようやく手にしてほっとする。ん?なになに、1月に単発ドラマでやった『タイガー&ドラゴン』(長瀬智也主演の落語ドラマ)が今月から連続ドラマになるという記事。ひゃあ、凄いんだなあ、落語テーマのドラマかあ。見たい気もするけど、私は毎週決まった時間にテレビをつける(連続ドラマを見る)のが苦手なので、たぶん見ないと思う。あと購入したのは同じく東京かわら版の増刊号『寄席演芸年鑑2005年版』と、『中国語はおもしろい』(新井一二三著/講談社現代新書)と『注解アイヌ神謡集』(知里幸恵著訳・北道邦彦編注/北海道出版企画センター)と、それからなぜか、カメラ本コーナーで売っていたトイカメラまで。これ、以前青山ブックセンターで見かけて以来、欲しいかも、と思っていたのですが、とうとう我慢しきれずに買ってしまった。BabyHolga。カメラはNIKONのFM2というマニュアル一眼レフと、OLYMPUSのX-1というデジタルカメラの2台を所有しているのですが、なんだか最近思いっきり脱力系の写真を撮ってみたくて。このBabyHolga、とっても可愛いです。手のひらに乗る大きさでもの凄く軽い。操作も至ってシンプル。これなら会社に行くとき鞄の隅っこに入れていける。嬉しくてしばらくこれで遊ぶ気まんまん。


2005年04月01日(金) 今日のにゃんこ。

 旧暦2月23日。
 明日はやっと休める。今週はほとんど帰宅が日付変更したあとになってしまった。年度替わりと組織変更が重なってとにかく片っ端から仕事を片づけているつもりなんだけどちっとも前に進まない。こういう時、他人の行動についいらいらしてしまう。腹の底に怒りの気持ちが溜まって、すごく不快。しかし当然、あからさまにそれを態度に出すわけにもいかないので、なおのことストレスが溜まる。だけど、他人のあれこれに不満を感じたり批判的な気持ちになるのは損だ。自分にとってマイナスの印象しか与えてくれない人のことを、とやかく考えるのは、その人と繋がることになってしまうので、不快感が尚更大きくなるんだと思う。イライラさせる人や怒りの気持ちに執着してしまうと、きっと自分のほうが転んでしまう。
 人の心というのはとても無責任で、状況によってコロコロ変わる。自分の心もそうなんだと胆に銘じて、怒りの気持ちで精神的に疲労してしまうことのないようにしないと。
 ・・・そんな風に何度も思い返しながら仕事する毎日。

 今日のにゃんこ。・・・・・と、私の影。
 会社を出て少し歩いたところで、ビルの間から大通りにひょいっと出てきて、キョロキョロしていた。背後から声をかけるとギョッとしたように振り向いた。民家はほとんどないので飼い猫とは思えない。近くの青山墓地に住んでいるのかな。


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